「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

学校教育のポリティクス

2009-11-07 11:19:35 | その他
昨日は年に一度の英語教員の市内中高連絡協議会の日。比較的授業の少ない金曜の午後だったので、楽に参加できるものと高をくくっていたら、保護者面談による時間変更で午後が詰まってしまっていた。それでもなんとか研究協議には潜り込み、他校の先生の意見を聞くことができた。

その中で今年も出たのが学びの共同体の話題。私が何度か授業を見に行った中学校を拠点として、市内の多くの中学校が(おそらく)市教委主導でそのスタイルを取り入れているのだった。

中学校の先生方曰く、学びの共同体が市内の中学校で採用されていることは十分に知られているだろうか。活動中心の授業を受けてきた中学生が、高校入学後に講義中心の授業に耐えていけるだろうか。

たしかに、この件については誰かが間を取り持ってしっかりと連携を取る必要があるだろう。学びの共同体を知っていた高校教員はおそらく参加者の4分の1程度だったから。もちろん、考えるべきなのはほとんどの高校が、未だに一方通行的な講義中心の授業をしているということだ。

とはいえ、以前のエントリーにも書いたように「学び」のスタイルは英語という教科にはどうにも馴染みづらい。中学校現場の先生方の中でも必ずしも100%賛同を得ているわけではなさそうだ。

けっこう興味深い捻れ現象である。

学びの共同体は、教育における競争や習熟度別クラス編成に対する全面否定を根本的な原理としている。これは少人数授業を習熟度別に行わせたい文科省と正反対の立場だ。それゆえ、学びの共同体に賛同する教育関係者は基本的にリベラルな方々だ。

一方、ほとんどの地方教育委員会や各校の管理職は文科省の指導に忠実に従うことが自分たちの責務だと信じている。習熟度別学習の失敗例がどれだけ積み上げられても、自分で判断するのではなく素直にお上からのお達しに従い、失敗は実際に担当した教員の力不足と見なすのだ。

ところが、学びの共同体の提唱者である佐藤学先生は、管理職クラスを集めてセミナーを開き影響力を広めているのである。だから、私の地元の市のように教育委員会全体で学びの共同体を受け入れ実践させることが可能なのだろう。ついでに言えば、陰山先生の手法で改革を進めている隣の市への対抗意識もあるのだと思う。

佐藤先生の「力」が文科省を越えているのか、文科省がある意味佐藤先生を利用して、進むべき道を見極めようとしているのかは私には分からない。

ただ、現場では理念が何であれ「押しつけられた」ものに対しては必然的に抵抗が生じるということなのだろう。

研究協議は先生方の熱心な思い溢れる発言が相次ぎ15分延長。遅れて参加した私もなんとか最後の最後に発言の機会をいただき、tm先生ご企画のフォーラムへのお誘いがかなって一安心といったところでした。

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