前回の話をまとめてみる。私の理解するInputとは、もともとクラッシェンの言葉である。Inputとは何とか理解できるレベルの英語でありクラッシェンの考えによれば英語力の「素」である。90年代の私の同僚の中にはクラッシェンの影響を受けオールイングリッシュで授業をする方が複数名いた。
さて、私はというと何度か試してみたが、どうもオールイングリッシュは上手くいかなかった。授業の運営の仕方もそうだが、英語力自体(今以上に)お粗末だったので、何とかそれを付けようと藻掻いていたのもこのころだった。
やがて、英語で進めるべき局面(内容に関する局面)と日本語で進めるべき局面(形式に関する局面)があることが分かってきた。その結果、オールイングリッシュではなくなったものの、授業にメリハリは出てきた。
そうこうするうちに、校長から海外研修の話をいただいた。そして、事前研修に出かけたときに初めてお目にかかったのが当時の教科調査官である新里眞男先生である。新里先生は事前研修でかなりクラッシェンの話をされた。それまで断片的だった知識が一つの大きな体系的なものになったと感じた。
余談ながら事前研修参加者のうちかなりの片が筑波研修の経験者のようだった。海外研修と筑波研修は連動する場合が多く、筑波研修を経てから海外研修へという流れがあったからだ。参加者の多くは(そして教科調査官も)すでに顔見知りといった感じで、筑波に縁がなかった自分は肩身が狭かった。
自分にとって筑波(英語)研修は未だにその大部分が謎のままだ。人伝えに聞いて唯一印象に残っているのは、「英語で授業をしないものは英語で授業をする力がないだけだ。悔しかったら英語で授業をしてみろ」という叱咤なのか挑発なのか分からないような言葉をかけられたらしいということだけである。誰が講師でどんな内容だったのか、詳しく知りたいものだ。
さて、私はというと何度か試してみたが、どうもオールイングリッシュは上手くいかなかった。授業の運営の仕方もそうだが、英語力自体(今以上に)お粗末だったので、何とかそれを付けようと藻掻いていたのもこのころだった。
やがて、英語で進めるべき局面(内容に関する局面)と日本語で進めるべき局面(形式に関する局面)があることが分かってきた。その結果、オールイングリッシュではなくなったものの、授業にメリハリは出てきた。
そうこうするうちに、校長から海外研修の話をいただいた。そして、事前研修に出かけたときに初めてお目にかかったのが当時の教科調査官である新里眞男先生である。新里先生は事前研修でかなりクラッシェンの話をされた。それまで断片的だった知識が一つの大きな体系的なものになったと感じた。
余談ながら事前研修参加者のうちかなりの片が筑波研修の経験者のようだった。海外研修と筑波研修は連動する場合が多く、筑波研修を経てから海外研修へという流れがあったからだ。参加者の多くは(そして教科調査官も)すでに顔見知りといった感じで、筑波に縁がなかった自分は肩身が狭かった。
自分にとって筑波(英語)研修は未だにその大部分が謎のままだ。人伝えに聞いて唯一印象に残っているのは、「英語で授業をしないものは英語で授業をする力がないだけだ。悔しかったら英語で授業をしてみろ」という叱咤なのか挑発なのか分からないような言葉をかけられたらしいということだけである。誰が講師でどんな内容だったのか、詳しく知りたいものだ。