河北新報より転載
悟る/覚悟の除染活動、放射能と闘い続ける/常円寺住職・阿部光裕さん=福島市
福島第1原発事故後の世界をどう生きるか。
迷いのない筆さばきで「覚悟を決める」と半紙にしたためた。
「放射能に対する正しい知識を持ち、正しく対処する。この覚悟ができて初めて心を安定させることができる」と説く。
未曽有の経験から体得した処世訓を、行動力が裏書きする。
2011年6月、3歳の子を持つ福島市の母親が寺に助けを求めにきた。「周辺の放射線量が高いが、家の事情で避難できない」
原発から約60キロ離れた福島市内にも放射性物質は降り注いだ。「説法では放射線量は下がらない」と、自主的な除染活動を始めた。母親の顔に浮かんだ安堵(あんど)の表情が忘れられない。
週末は袈裟(けさ)から白い作業着に着替える。高圧洗浄機を抱え、子どもがいる家庭を中心に除染活動に励んできた。地図に30センチ四方のメッシュを書き込み、ホットスポットを特定する地道な作業を続けた。
活動をホームページで紹介すると、首都圏を中心に賛同者が集まった。これまで延べ約5000人がボランティアで除染活動に従事した。
「説法をして悩みを聞くのが僧侶の役目だが、言葉は行動を伴わなければ被災者の心には届かない」
3児の父として事故直後は眠れぬ夜を過ごした。行動を起こすことで、何もせずにじっとしている苦痛から解放された。
「除染」が「移染」であることは否定しない。身近な所から汚染物質を取り除けば当然、保管場所が必要になる。檀家(だんか)や隣近所と相談して、民家から離れた寺の裏山に「仮置き場」をつくった。「寺を追い出されてもいい」と腹をくくった。
国や自治体が「仮置き場」確保に難航し除染のめどすら立たない中、原発事故から3カ月後の早業だった。
昨年9月から管理は福島市に移管されたが、「日本初の仮置き場」として後世に記憶されるかもしれない。
「人間が勝手につくって、勝手にこけて、ばらまいて、大騒ぎしている」。原発事故の断面を、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで地元ラジオ局や自身のブログなどで発信してきた。
舌鋒(ぜっぽう)は国会の福島第1原発事故調査委員会が12年5月、参考人聴取した佐藤雄平知事にも向けられた。
何度も後ろを振り返り、担当職員から助言を受ける県政トップの姿。「これがわが故郷の首長かと思うと泣けてくる」。ブログにこうつづった。
丸刈り頭と僧侶名「鶴林光裕(かくりん・こうゆう)」から「つるりん和尚」と子どもたちから慕われてきた。
安土桃山時代の1587(天正15)年に開山した古刹(こさつ)の境内は、地域の子どもたちの遊び場でもあった。
「過去、現在、未来はつながっている。現在は将来から見れば過去。今、何ができるかが問われている」
つるりん和尚の放射能との闘いは続く。(山崎敦)
2014年08月03日日曜日