福島民報より転載
希望の松、会津で芽吹く 津波で犠牲の陸前高田の夫婦 孫の幼稚園に贈る
東日本大震災の津波で流失した岩手県陸前高田市の「高田松原」の松が県内で芽を出し、会津若松市の幼稚園で苗2本が成長している。津波で亡くなった陸前高田市の夫婦が生前、孫の通った会津若松市の幼稚園に贈った松ぼっくりの種を、会津坂下町の会津農林高の講師らが育てた。関係者は近く、苗1本を松原の復活を進める陸前高田市に贈り、もう1本を幼稚園内に植える。孫を思う愛情のこもった松は、復興のシンボルとなる。
陸前高田市の斎藤良一さん=享年(78)=、江千子(えちこ)さん=同=夫婦は震災前まで、会津若松市に嫁いだ長女星直子さん(48)に、高田松原で採った松ぼっくりを段ボールに入れて贈っていた。孫娘2人に、飾り付けを楽しんでほしいとの思いが込められていた。松ぼっくりは、斎藤さん夫婦から孫2人が通った会津若松市のみなみ若葉幼稚園にもプレゼントされ、園児がクリスマス飾りなどに使った。
幼稚園理事長の中沢剛さん(80)と保育士の星久美子さん(46)は震災後、斎藤さん夫婦が津波で亡くなったことを知り、「2人のため、何かできないか」と考えた。園内に残っていた松ぼっくりの段ボール箱を開けると、底に小さな種が落ちていた。松を立派に育て、天国の2人に見てもらいたい。種を芽吹かせるプロジェクトが始まった。
中沢さんと星久美子さんは震災から約1カ月後、会津農林高講師の星誠一さん(65)=南会津町=に約200粒の種を託した。関係者の思いに心を打たれた星誠一さんは、同校の温室で栽培を始める。保水性に優れた鹿沼土と山砂を混ぜ合わせた土に種を植え、気温が低い日にはストーブをたき発芽を根気よく待った。
2つの種から小さな芽が出たのは、平成23年の秋ごろだった。その後、星誠一さんは講師を辞めたが、同校の教諭らは苗が30センチほどになるまで大切に育て、今年7月中旬に幼稚園側に鉢植えを渡した。
海岸線2キロにわたってアカマツやクロマツ約7万本が並んでいた高田松原は津波で流され、「奇跡の一本松」だけが残った。市や地元の市民団体が松原の跡地に松を植える活動を進めており、星直子さんらは会津で芽を出した苗1本を陸前高田市に贈る考えだ。
もう1本は、幼稚園内の自然観察園に植えるという。中沢さんは「園内に松を植えることで、子どもたちに震災の記憶を伝えたい。大きく育てば復興のシンボルになる」と期待している。
■孫思いの優しい祖父母
陸前高田市の走ろう会に所属していた斎藤良一さんは、高田松原をランニングしながら、松ぼっくりをこつこつ集め、孫たちの喜ぶ顔を思い浮かべていたという。
震災のあった年、下の孫の卒園式に合わせて会津に遊びに来る予定だったが、願いはかなわなかった。自宅近くで発見された江千子さんのリュックサックには、孫に届けるはずだった入学祝いののし袋が入っていた。
2人の仏壇の遺影には、背景に高田松原の風景を写した合成写真が使われている。星直子さんは「孫思いの優しい両親だった。海を見るのがつらい時期もありましたが、両親の分まで元気に笑顔でいたい」と誓っている。
( 2014/08/18 09:25カテゴリー:主要)
松の苗を手入れする(左から)星久美子さん、星直子さん、中沢さん