転載
第3回
「もはや戦場だ」~8月14日、ついに辺野古は包囲された~
一夜明けると、海を埋め尽くす大船団が大浦湾に展開していた。
「これじゃあ沖縄戦だ」
明け方、大川から大浦湾に猛スピードで入っていた私は、フロントガラスから飛び込んで来た海に浮かぶ黒い海保の大船団に胸が潰れそうになった。
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8月14日の光景は一生忘れないだろう。
私だけではない。 これを、沖縄戦開始を告げる1945年3月の光景とダブらせた人は多い。
翌15日には、水平線に連なる大型の海保の巡視艇、海保のボート、警戒船、合わせて86隻までは数えた。
島は、再び力ずくで包囲された。少なくとも辺野古沖は「占領」されたのだ。
2004年も、海のボーリング調査を巡って、防衛局の監視船が作業員の船を守るといいながら、反対運動の船と激しくやりあった。
防衛局の船を操船するのは、雇われた辺野古の漁師たちだ。基地を止めたい人々は、海人と闘いたくはなかったが、仕事の邪魔をする市民に対し、海人も容赦なかった。
しかし、クレーンを積んだ大型の台船がやって来た時、それを止めようと飛び込んだ市民を間一髪、下敷きになる前に救い上げたのも、海人だった。
そこには、対立の中にも、島で生きる人間同士を繋ぐ何かが存在していた。
今回、直接反対する人を押さえつけるのは海上保安庁に代わった。
もう、海人は前線に立たない。それは、両者を知る私たち地域人としては本当にほっとする。
海猿たちのほとんどは県外だが、中にもうちなんちゅはいる。
物々しい海上。
キャンプシュワブからは、赤い数珠繫ぎのウキがスルスルと引き出されて行き、海を囲い込んだ。 黄色いブイも打たれた。
様子を見ようとすると、工事区域にも、提供水域にも入っていないのに、海保のボートが過剰に制止する。一時、反対運動の要になる平和丸は14隻に囲まれ身動き出来なかった。
下の動画で左側の水面に出てくるのが、海を分断する赤いウキである。
15日には、平和丸が海保に拿捕。
定員13人が目一杯乗っている上に、海保の職員が次々乗り移ってきて、抵抗もしていない船長を2人掛かりで押さえつけ、確保されてしまった。
提供水域でもなく、理由の説明を求めても答えず、実力行使あるのみ。
やがて、大雨と雷で、小さい屋根しかない平和丸の船上に危険が迫り、いつもの平島の内側を通って港に帰ろうとしたところ、海保の船が立ちはだかった。
「今日からここは通れません!」
沖を回ればリーフから出てしまい、さらに波も風も当たる。
安全のために通してくれと言っても聞かなかったので、やむなく外を回ると案の定、悪天候で視界はゼロに。
立ち往生しているところに海保が現れた。
船長「岸はどちらですか? それだけでいいから教えて下さい」
海保「船長さんならわかるのでは?」「そんなことで12人の命を預かるとは、無責任だ」
船長の誇りを散々傷付けた挙句、海難救助ということなら助ける、と念を押してきた。
海猿たちはプロだ。訓練も受け、GPSも無線も装備している。島の未来のために止むに止まれず四級船舶の免許を取り、海に出た素人たちに恥をかかせて楽しいのだろうか。
結局、海難救助で曳航され、事情聴取をうけ、乗組員の住所氏名を記録される。国に逆らうものはこうなるぞ、と言わんばかりだった。
海の安全を守るはずの彼らは、基地を作りたい政府の手先になり、反対運動を恫喝する役割を演じている。
戦場の島に戻りたくない、ここは譲れないんだとメガホンで叫ぶ言葉に対し「工事区域に入ると危険です。それ以上近づくと、処置します」とだけ繰り返す。サングラスをかけたロボットのように。
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そして、2004年、2005年と海の上に座り込んで止めてきたボーリング調査の掘削が17日、ついに開始された。
私は絶望感に襲われていたが、詩人のアーサー・ビナードさんが私にこう言った。
「沖縄戦、みたいね。でも、まだ戦争じゃない。まだ埋めたても始まってない。8月6日の原爆で言えば、僕たちは今8月5日にいる。8月5日なら歴史は変えられる」
笑顔のアーサーさん。その奥の海には黒い船影が連なっている。
圧力を前にしても、冷静で前向きな思考ができる能力。それこそが、今の私に一番必要だ。
辺野古にかけつけた、詩人のアーサー・ビナードさん。