年金削減廃止老いも、若者も安心して暮らせる世の中にみんなで声をあげれば世の中変わる

消費税5%に、自・公政権退場、核兵器廃止・自然・再生エネルギーで原発ゼロへ・憲法9条コワスナ。

キンちゃんとタロウの海(4)ー4年目の被災地から 人の心も変わったよ

2014-08-28 20:20:22 | 震災

中日新聞より転載

キンちゃんとタロウの海(4)ー4年目の被災地から

(2014年8月28日) 【中日新聞】【朝刊】

母校の小学校の跡地は消波ブロックの置き場になり、雑草が生い茂る

 愛犬タロウとともに、再び漁に出るようになったキンちゃんこと佐々木公哉さん(58)=岩手県田野畑村=は、やがて悪夢に苦しむようになった。震災直後、津波で流されたタロウを探し回る中で見た村の光景が、眠りの中で鮮明によみがえるのだ。
 最もひどかったのは、三陸鉄道の島越駅近くにあった実家の周辺。住宅街は土台が残るだけ。通った小学校の二階建て校舎も、全壊した。駅前の広場もがれきに埋まり、回収されていない遺体があちこちにあった。家具にはさまれて息絶えていた女性は、幼なじみだった。
 強烈な心的外傷後ストレス障害(PTSD)。「漁が順調だったら、乗り越えられたと思う。でも、この状態だから…」とキンちゃんは言う。
震災後の三年で震度1以上の余震が1万回を越え、海底の泥を巻き上げる。長期間沈んでいた布団の綿が水中を漂い、網に張り付く。かご網をつなぐロープが、がれきにひっかかって切れることもある。タコ、サケ、イカ、サンマ…とすべての魚種が不漁で、魚市場は閑散としている。漁船の備品や魚網などが、あちこちで盗まれるようになった。
 恵みの海も、人の心も変わってしまった。漁船の改造に使った千八百万円の借金を返すめども立たない。

 時間の経過とともに、被災地の報道が減り、原発再稼働、二〇二〇年東京五輪、集団的自衛権と、キンちゃんにとって納得できないニュースが続くことも胸を締め付けた。
 キンちゃんは若いころ、勤めていた村役場の人間関係に悩み、アルコール依存症になった。治療を受けて十九年間断酒を続け、安定した日々を送ってきたが、それも途切れた。「スリップ」と呼ばれる現象だ。
 入院して抗酒剤を服用し、PTSDに向き合うカウンセリングを受け、再び断酒。それを、この二年で三度繰り返した。
 でも「隠すことが大敵」という信念を持っている。
 「震災直後から、私のように心の問題を抱える人はたくさんいたけど、精神科に偏見があって、かかろうとしない。それではこじらせてしまう」
 ブログで入院を報告すれば、全国の仲間から励ましの声が寄せられる。そして、退院すれば相棒のタロウが全身で喜びを表現して、迎えてくれる。一人じゃないことが、揺れる心を支えている。(続く)


キンちゃんとタロウの海(3)ー4年目の被災地から 助け船 再び漁へ

2014-08-28 06:11:39 | 介護

中日新聞より転載

キンちゃんとタロウの海(3)ー4年目の被災地から

(2014年8月27日) 【中日新聞】【朝刊】

助け船 再び漁へ

漁をするキンちゃんを見守るタロウ。一緒に沖に出る日々が再び始まった=岩手県田野畑村冲で

 「私の船を、お譲りしたい」。岩手県田野畑村の漁師、キンちゃんこと、佐々木公哉さん(58)=にメールが届いたのは、震災から4カ月後の2011年7月。東京で趣味の釣り船「太郎丸」を持つ金属工事会社社長大江一郎さん(46)だった。
 「佐々木さんのブログを読んでいて、何か役に立ちたいと思っていました。奇跡の生還をしたタロウ君と太郎丸。不思議な縁を感じて…」と大江さん。当時は中古船を東北に転売するビジネスも盛んで「売らないかという打診もありましたが、知っている方に贈りたかった」。話はとんとん拍子に進み、翌月初めに太郎丸は、被害の少なかった隣村の漁港に着いた。しかし、その後が長かった。
 漁に使うには、魚群探知機、衛星利用測位システム(GPS)、レーダーなどプロ仕様の装備が必要だが、船修理の会社は相次ぐ注文に手いっぱい。加えて漁港の復旧工事も進まない。海底には、大量のがれき。「これからやっていけるのか」。焦りと不安の中で、キンちゃんは不眠に悩まされた。毎日更新するブログにも後ろ向きの言葉が目立つようになった。

 「(震災から)半年たちました。何も考えたくない。何も書きたくない。そんな時もあります」(同年9月11日)
 「へこんでいます」(同年10月18日)
 そこへ支援者が現れた。被災地の心のケアに尽力する東京学芸大教授の小林正幸さん(57)=教育臨床心理学=。同年11月に研究仲間と共に訪れ、キンちゃんにカウンセリングを施した。
 「ブログを見ていて、心のとげを抜いてあげる必要があると思いました。漁船での左足の骨折事故で自信をなくしたことが、根本的な原因だと感じました」
 面談で事故の状況を詳細に思い出してもらいながら、「何とかなる」と思えるように導いていく。気持ちを整理できたキンちゃんは「自分のペースでやっていこう」と切り替えた。
 それから半年後の12年4月に進水式。船名は、津波で流された「第八みさご丸」に替わり「第十八みさご丸」とした。漁師は末広がりの「八」を好む。「たくさんの幸運を」と、十を加えた。
 寄せられた支援はさまざま。村は交通の便が悪いが訪ねてくる人も少なくない。善意に感謝しつつ、キンちゃんは日焼けした顔をほころばせる。
 「みんな『タロウに会いに来ました』って言うんだ」(続く)


あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない