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今治綿業の父矢野七三郎

2005年03月18日 05時57分53秒 | Weblog
矢野七三郎
時は明治10年代。 今治タオルの源流となる綿業の発展の礎を築いた最大の功労者 柳瀬義富は、今治地方最大の豪商で『 興業舎 』の総師であった。 義富は、キリスト教に関心を寄せていた。明治16年今治教会初代牧師伊勢時雄より洗礼を受けた。 明治20年に義富の5女豊 (とよ)は当時東京・本郷教会の牧師をしていた 伊勢(横井)時雄の後妻として迎えられた。
  柳瀬義富は父亡き後、16歳で家業の木綿商 を受け継いだ。事業は順調に運んだが,明治12年後継者を失ってから事業欲も萎えた。 持ち船13隻を一挙に売り払い廻船業を廃業した。売った船の全代金で田畑を買った。地価の値上がりで巨額の富を得ていた。義富は19年弟 節太と合資会社「興行舎」を起こして、節太の長男矢野七三郎を代表者に据えた。義富は甥の七三郎に大きな期待をかけてキリスト教に 入信させ、
  紀州ネルの実地研修に行かせた。その後、七三郎は伊予ネルを生み出した。江戸時代から盛んであった伊予木綿は1882(明治15)年頃から急速に衰退し始めた。それは綿替木綿制度による家内工業が様式紡績業に太刀打ち出来なくなったからである。 このような不況を打開する方策として考え出されたのが紀州から綿ネル業の技術を導入して、 会社組織による経営の合理化を含め、新しい需要の多い綿ネルの製造を開始することであった。 これは今治地方の綿業にとって革新的な意味をもっていた。 

平成13年10月今治近代産業史顕彰委員会発行 『いまばりの夜明け』から引用

矢野七三郎は(安政2(1855)越智郡宮脇村に生まれる明治12(1879)今治に四国最初の
キリスト教会が創立されたのをきっかけに入信。同志社大学の新島穣先生や徳富蘆花の
影響も受けた。
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