CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

錦帯橋架け替え1周年(その2)

2005年03月21日 06時12分56秒 | 岩国情報
昨年(2004)の3月21日の夜は錦帯橋が
7色の照明に照らされる祭典が開催されていた。

小雨の降る中での行事であったがそのすばらしさは
格別であった。

これからもタイムリーにこのような行事が開催される
ことを望む。
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錦帯橋架け替え後1周年

2005年03月20日 06時32分47秒 | 岩国情報
昨年の3月20日の写真で錦帯橋架け替え記念式典の準備をしている
写真がありましたので投稿しました。

架け替え後100万人目の方が東京八王子から夫妻で訪問されたのが
57歳の公務員だそうで記念品が渡されているNewsがあった。

これからも多くの人々の訪問を期待したい。
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朝日長者屋敷跡---岩国市中津薬師堂 境内

2005年03月19日 17時29分09秒 | 岩国情報
朝日長者屋敷跡

 長者はたった一人の娘に死なれ悲しみにくれていました。
 娘の霊を弔うために薬師堂を建て仏様をまつりました。
 自分がなくなったあとも弔いに役立つようにとお堂の近くに
 黄金千両うるし千杯を埋めました。
 その場所を「朝日さす夕日輝くその下に黄金千両漆千杯」
 とだけ言いおきました。
 それから人々はこの長者を朝日長者と呼びました。
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今治綿業の父矢野七三郎

2005年03月18日 05時57分53秒 | Weblog
矢野七三郎
時は明治10年代。 今治タオルの源流となる綿業の発展の礎を築いた最大の功労者 柳瀬義富は、今治地方最大の豪商で『 興業舎 』の総師であった。 義富は、キリスト教に関心を寄せていた。明治16年今治教会初代牧師伊勢時雄より洗礼を受けた。 明治20年に義富の5女豊 (とよ)は当時東京・本郷教会の牧師をしていた 伊勢(横井)時雄の後妻として迎えられた。
  柳瀬義富は父亡き後、16歳で家業の木綿商 を受け継いだ。事業は順調に運んだが,明治12年後継者を失ってから事業欲も萎えた。 持ち船13隻を一挙に売り払い廻船業を廃業した。売った船の全代金で田畑を買った。地価の値上がりで巨額の富を得ていた。義富は19年弟 節太と合資会社「興行舎」を起こして、節太の長男矢野七三郎を代表者に据えた。義富は甥の七三郎に大きな期待をかけてキリスト教に 入信させ、
  紀州ネルの実地研修に行かせた。その後、七三郎は伊予ネルを生み出した。江戸時代から盛んであった伊予木綿は1882(明治15)年頃から急速に衰退し始めた。それは綿替木綿制度による家内工業が様式紡績業に太刀打ち出来なくなったからである。 このような不況を打開する方策として考え出されたのが紀州から綿ネル業の技術を導入して、 会社組織による経営の合理化を含め、新しい需要の多い綿ネルの製造を開始することであった。 これは今治地方の綿業にとって革新的な意味をもっていた。 

平成13年10月今治近代産業史顕彰委員会発行 『いまばりの夜明け』から引用

矢野七三郎は(安政2(1855)越智郡宮脇村に生まれる明治12(1879)今治に四国最初の
キリスト教会が創立されたのをきっかけに入信。同志社大学の新島穣先生や徳富蘆花の
影響も受けた。
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王府井のチリソース---今治タオル美術館内

2005年03月17日 05時46分07秒 | 旅行記
王府井(ワンフーチン)といっても中国北京の繁華街ではなく、
今治のタオル美術館の中にある中国料理の店である。

美術館の中でも高い位置にあり、前には庭園もある。
落ち着いた雰囲気で食事を楽しめます。

2004年12月31日の昼食をここで食べた。
メニューの一つチリソースの写真を紹介します。
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タオル美術館---愛媛県今治市アサクラ

2005年03月16日 20時24分03秒 | 旅行記
2004年の年末(12/31)にタオル美術館を訪れた。
運が悪く当日は雪であった。
タオル美術館はタオルの製造工程の実演。
キャッシー中島のキルティング(パッチワーク)や
俣野温子のギャラリーなどがあった。
また、オリジナルのタオル(刺繍入れ)も販売されている。
写真は入り口の風景。

タオル美術館ASAKURA
〒799-1607
 愛媛県今治市朝倉上甲2930
 TEL 0898-56-1515
 FAX 0898-56-2727
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因島水軍城---しまなみ海道

2005年03月15日 05時52分58秒 | 旅行記
昭和58年12月に築城された全国唯一の水軍城。
水軍の故郷因島にふさわしいものと歴史家奈良本辰也氏の
監修で再現されました。
村上水軍は因島を拠点に、室町から戦国時代にかけて
瀬戸内海を制し、 多くの合戦で活躍しました。
本丸(271㎡)の資料館には、 水軍船の模型、 水軍の武具
や遺品など村上水軍ゆかりの品が数多く展示されています

2005年1月1日訪問 城への登り口に金蓮寺と村上水軍の墓も
ありました。


web情報はこちらを参照
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「御旅所許可」の石柱---由宇町

2005年03月14日 17時59分40秒 | 岩国情報
御旅所
蛭子神社の境内に榊八幡宮の御旅所(祭礼のとき神輿を暫く留めておく所)
があります。これは大正時代商工関係者の要請で南町の馬場のつきあたり
にあった御旅所を街が賑やかになるようにこの位置に延長してもらったものです
「御旅所許可」の石柱が建っています。(写真2005-1-15撮影)
許可したのは当時の宮内省でした。
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蛭子神社---由宇町

2005年03月13日 05時59分45秒 | 岩国情報
蛭子神社

吉川氏の領内に水軍を駐在させており由宇浦にも約50軒の
屋敷がありました。彼らは藩主の参勤交代や大坂蔵屋敷への
物資の輸送にあたりました。
この流れを汲み江戸末期から明治時代にかけ廻船業者が
由宇町の本町で商売していました。
町筋の北端にある蛭子神社はそうした海に関わる人達によって
祀られたものです
もともとは南向きに建っていましたが現在は東向きになっています。
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株式会社由宇銀行跡(現在山口銀行由宇支店)

2005年03月12日 06時25分32秒 | 岩国情報
明治20年頃から日本の資本主義経済も浸透し由宇村でも
廻船業、織物業、米穀精米業などが盛んになってきた。
商業活動に必要な預金や融資を受けるための銀行は当時
岩国に第百三国立銀行があり柳井にその支店がある程度
でした。
明治27年(1894)制度改正があり民間でも銀行を開設
できるようになり明治31年(1898)地元の有志により
株式会社由宇銀行が設立されました。
初代の頭取は村重泰治氏で2代目は重岡蔵五郎氏資本金は
3万円1株20円で総株数は1500株出資者は77名であった
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