枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

くつろぎかえる

2008年08月31日 | Weblog
 早朝6時からの団地内・草刈作業。
 AM5:30に目覚ましをかけておいたが、5時に起きる。

 しかし、朝食はこの時間では食べたくない。
 新聞もまだ届いていない。
 
 諦めてゆっくり着替え、6時過ぎて外に出た。
 おはようございます。何人かはすでに来ていて、草刈機のエンジンをかけ、駐車場の周りや公園の外を刈っていく。

 みんなで使う場所や、隅っこの方をするのはしかたないとしても、見るからにそこ、自分ちでは?という箇所を平気で、この時とばかり、している人が居れば、参加するふりをして居なくなってしまう人も・・・。

 個人の自由か?自覚の問題に思うが、考え方が違うから、口を利くのもうっとうしい。
 住んで居る家の中はむろん、外もきれいにしておくのが常識と思っているから、草ははやさない。

 まして、中から外にゴミを平気で掃き出すなど、空いた口が塞がらない。
 まあ、いいけどさ。
 
 腹を立てれば、腹が減る。草刈終了。
 やれやれ、とキッチンで、深炒りのおいしいコーヒーを淹れて頂く。

 これは、千葉の友人が、花芽茶のお礼にと、殺虫剤・殺菌剤・除草剤のない無農薬、有機栽培の物を贈り届けてくれているコーヒーである。おいしい~い♪

 久々の天気に、布団干し。
 雨で1本、枇杷苗が芽を出している。どうにか2本になった。

 白枇杷は5個種を植えたのが、2本出た。

 赤枇杷の種は?え~、幾つだったかしらん、何処にはさげたかわかんないよぉ。
 たくさん、あちこちに植えたんだけど・・・今夏、雨が少なかったからな、しかたありません。
 芽が出てくれただけでもありがたい。

 白枇杷のレポート、青紫蘇の食べ方を書いておかなくっちゃ。
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夏休み終了

2008年08月30日 | Weblog
 昨晩が、夏休みで最後の孫たちの泊まりであった。
 風邪気味であるが、熱はなく蒸せるので度々着替える。

 銀河がやきもちをやいていてご機嫌斜め。
 孫たちが眠るとやれやれと、足の上で眠りだす。

 弱い立場の人間も動物も、相手の威圧的な態度や言葉では、誰しも傍にはよれないし、じっと黙ったまま嵐の過ぎ去るのを待っているように思えるのだが・・・

 昔には決して還る事はできない。
 それがわかっているからこそ、罵ったり、怒鳴ったりをできるだけしないで、自分の行く道と看取ってあげれたらいい。
 
 今年の種は、暑過ぎたのか、1つ出ただけで、さっぱり芽が出て来ない。
 水道の蛇口の下のだけ、やっと葉が3枚になった。

 淡路枇杷は、成長する速度が速い。
 ニンニク・玉葱・鉈豆・枇杷は肥沃で、絶えず気をつけていないと、育たない。

 昨年は、プランター仕立ての種に2本の芽が出た。
 房州枇杷と、四国の枇杷の種も植えていたので、何れかだろうが、別々にしようとして驚いた。
 双子なのである。

 今は東のフェンスの手前に置いて管理している。
 産地や品種にもよって異なるのだろうが、長崎の茂木は、葉が長細く、15cm×5cmくらいのが多い。

 淡路枇杷の葉はといえばどれもが25cm以上の大きさに、葉幅が12cmはあろうか?

 白枇杷は、葉の色からして薄い緑。
 植えた年数とは比例しない成長過程。

 とりあえずは陽射しに弱い。静岡の土肥地方にしか発育しないというが、納得できる。
 これは、葉だけ使うかな?化学肥料はしていないのと、農薬は一切使用していない。

 中には散布するらしいと聴き、びっくりした。
 それって、お茶や枇杷水はむろんだが、ほとんど使えないんじゃない。

 自然と共有することのむつかしさかな?
 
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星が観えなくて・・

2008年08月29日 | Weblog
 今朝AM6時過ぎ、実家に電話する。

 少し長めの呼び出し音に心配したが、母が出て安心する。
 父もどうにかリハビリに行き元気らしい。

 朝ごはんは? 今ご飯炊いているとの事に納得してゆっくり受話器を置いた。
 母も、普通に切った。二人が毎食、ささやかでも食べていることには、ほっとするが、三度の仕度は疲れるだろうなあぁ・・と思い一緒に暮らせる方法を考えてはいる。

 その後、孫が来たり、家事をして、パソコンに向かうが、天空ではなにやら不穏の動きが視え、ふてくされてご機嫌斜め。雷雨の影響からか作業が困難になる。

 しょうがない、と断念して昼食を取る。
 いまやっと、静かになって書き込んでいる有様だ。

 ほんとうになんで、うちんち(我が家)の上でばかり、ドンガラ・ガッシャンやるのかしらん?  
 雷神・雨竜・白龍・青龍の龍の群れ。

 仏界や鳳凰まで視えてしまう。
 あまりにも思考回路が???になってすんごく疲れてしまうよ。

 そろそろ、星が観たいなあ。
 天気にならないと、枇杷湯後の、葉や花芽の処理ができないのね。

 夕方には、パンジーの種を蒔いておこう。
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異常の根拠

2008年08月28日 | Weblog
 

 

 今日の天気は曇り。大気の不安定が気になる。

 昨夜まであった気配が消えているのが気がかり・・・なんだろう??

 朝刊の一面に、拉致された人の生死が載っていた。

 男性で、知らない人だったことを思い出してぎくっとする。
 そんな!とっても離れた場所だよ。それに、どうしてここに???

 人間が天寿を全うするとしても、生きてきた事に満足していなければ、或る程度想いが残るのか・・それが、なんの予告もなく、理不尽にだったら、計り知れない波動が出現するのではないか?

 それがまったくの偶然か、ここまで届いたものか。
 パソコンの調子も異常だった。

 あれは電気を媒体とするからか?非科学的なことの証明はまず不可能だが、思考した結果、感じることができた。

 なにか、伝えたかった、そのこともわかるから・・・
 

 隣市の青空市に行く。昨晩、作成した鉈豆の食べ方のメモを、店番の小母さんに渡す。
 売上を増やすには、食べ方や方法があったのが、お客さんはわかりやすいと思うよ、と話した。

 気にいってくれたのか、葡萄を安く分けてくれた。
 自分が誰かの、何かの役にたてるってうれしいなぁ♪

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摩訶不思議

2008年08月27日 | Weblog
 昨日・今日、曇りのち晴・雨模様で大気が不安定である。

 パソコンの調子がなんという事はないのに、ひっかったりして時間がかかる。

 さらに、足元に居る奴が悪戯をする。

 今朝は、洗濯機の電源がOF状態で、設定を最初からし直す。

 雨が何かを知らすようにしきりと降る。廊下と台所の掃除に、雑巾がけをし、掃除機をかける。
 隅々までしながら移動していたら、突然電源が切れた。え???誰も触ってないよ。と、確かに居るのがわかる。

 実家の事が気になり電話すると、ヘルパーさんが出て、母と代わる。元気らしい。とすると、お墓かなぁ・・・。午前10時、PCの電源を入れたら異様な音がする。???ふと画面下を視れば、赤いランプが消えている。

 あれぇ?昨晩、メイン電源はそのままにしてたよ。
 あ・やっぱり居る。居るのはいいが、なにかを伝えたいはず・・・・・。

 千葉の友人の方か?明らかに男性だということはわかる。近ければ直ぐにでも行って、原因がわかるのだがなぁ。退院ができることを知らせているのかしらん?

 白枇杷の木も、赤枇杷の木も変わりなし。
 来年に実をつけてもらうよう、そろそろ肥料をあたえるかな。

 今回は、枇杷湯をした後の葉と花芽を焼いて灰にし、有機肥料と混ぜる。
 パンジーの種の土にも入れよう。あ、バラもだ。
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枇杷茶

2008年08月26日 | Weblog
 昨夜は、夜半から雨が降り出し、木々や花を潤してくれた。
 水道水はカルキが入っているからあまり好ましくはないのだが、井戸がないから致し方ない。

 だが、どんなに毎日水遣りをしても、天水に優るものはないであろう。

 枇杷茶を淹れるのに、初めは水道水でしていたが、知人の親御さんの介護に使ってもらおうと持って行ったら不評であった。
 水道水に慣れているこちらとしては、冷めた枇杷茶が口に合わなかったとしか思えず、???で申し訳なかった。

 ふと、知人の家で沸かせば、温かな内に飲んでもらえるし、1日に持参する容量も安心していられる、とお茶パックだけを持って行った。知人の家に行き、お茶を沸かす了解を得て、薬缶に水を汲んでいてはっとした。モーターのうなりが聞こえてきたのだ。ひょっとしてこれは井戸水?ああ・そうか。水の味が違うんだ!!

 湯飲みに注いで自分でも頂戴してはっきりとした。寒露なのである。それも極上の水である。
 それからは、枇杷茶だけは知人の家の井戸水を分けて頂いている。

 今年、東京から御出でになった方も、納得してくれた。
 枇杷水は、沸かした枇杷茶の荒熱をとってからグリセリンを入れてかき混ぜて作る。

 寒中に作っておくが、足らなくなった場合もあるので、随時している。
 枇杷水も、お茶と同様、さっぱり・すべすべ・艶やかで、なんら入れていないので、安心して使える。

 また、虫刺されや、かぶれにもいいようで、冷蔵庫で保存できる。
 枇杷茶は、掃除全般に重宝する。環境にも優しいし、何よりアレルギー反応が少なくなったことが、自分の治癒能力を援けてくれる。

 まあ、全ての人に勧める事はできないのが難点だが・・・。
 雨が上がって、陽がのぞいてきた。庭に下りて深呼吸しよう。
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あたりまえの日常

2008年08月25日 | Weblog
 祖母が居て、母が居る。
 夏中、蝉を追いかけ、畑の傍の木の枝に作ってもらったぶらんこに乗って、藪蚊に刺されながら遊んでいた。

 三度の食事に、文句を言い、無い物ねだりを度々言って、親を困らせる・・・。
 けれども、季節の行事は必ず我が家なりの取り決めで、桃の節句も、端午の時も、七夕も、十五夜も、十三夜もしてくれた。お正月の用意も、ささやかではあるが心を込めてしめ縄を飾っていた。

 重労働で母は、苦労をしていたし、毎朝、仕事に出かける父も、家に居る日は、田畑・山の事をしなければならず、年中あくせく働いていた。

 今年老いた両親を見ながら、その時に還れることが叶わないことも、子どもの頃の様々な想いも、忘れ去ることはできないまでも、看取ってあげれればどんなにいいか思える。

 地位も名誉も財産もないが、できることはあるのだから・・・。泣いたり笑ったり、あたたかな食事を囲むささやかな時間の中で、死なせてやりたい。
 眠れない日々を過ごしながら、故郷の親を案じている。

 今年の白枇杷の種から芽が出、大きい苗は1ヶ月で10cm。
 小さなのはわずか2mmで、一向に進歩を見せず、育つかな?と、見守ってきてやっと双葉になり、秋風にほっとしたのか1cm、葉が3枚ついたのだ。

 毎日、風や雲や、雨に尋ね、お陽さまに語りかけてパワーをもらった。なんと手間隙のかかることか。
 天界の1日は、地上の1年というから、まさに根気との付き合いであろうか?

 今年の七夕は、星空がみえたが、8/7の夜空は(旧暦では8/22か23日)さほどではなかった。
 それでも冴えていく大気の流れは、これからが本番。

 秋の夜空には、カシオペア王家が並ぶ。
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枇杷苗を育てる

2008年08月24日 | Weblog
  
 枇杷葉、大薬王樹・アミグダリン・核・仁などという表現には、枇杷のことを調べていくほどに、わからない言葉が出現する。
 化学記号も出てくる。チンプンカンプンである。辞書だけではわからなくて、漢方書やネットで検索すると、多々な事柄が知り得られて、びっくりした。

 自分の幼い頃に、なんら書籍などなかった時代に、祖母は誰からどうやって教わったのか?また、覚えていたものかと不思議であった。
 量りにせよ、道具にしろ、高価な物は手に入らなかった時に、一体どうやってしていたのかしら?どんな物にも、薬用として用いる場合は、必ず副作用が生じてくるはずだ。

 最初に試したのは・・・祖母自身か?いや、まてよ。祖父は胃癌で亡くなったと聴いている。写真でしか見たことのない祖父だが、ひょっとして、医者の処方箋の話から、祖母は聞き知っている薬草を、野山を駆け巡って集めていたのではないか。

 何処に行っても、季節の折々に、鎌で刈り取っていたのが、鮮明に蘇ってくる。
 実家の藪に自生したとはいうものの、それまでは近所にもらいに行っていたらしい話も聴いている。祖母は、我が夫の看病に、それらを用い、治すことができるならの想いから、一縷の望みを託して、していたのではないか・・・

 蒔かぬ種は生えぬ。必要な時、手じかになければ、もらいにいかねばならない。亦急を要する場合には困る。
 枇杷の実を、焼酎漬けにするのと、お茶と、発芽用とにして、プランターに入れたり、地植えにした。

 これの左側にあるプランターの枇杷の木が、長崎の茂木で、全長3mくらい。
 枇杷は9年で生り渡る、らしいが5年くらいで実をつけた。陽当たりがいいからか、有機肥料がよかったのか不明。

 枇杷の木を、家の周りを囲むよう植えている。
 風向きと、天空の変動があった。
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花芽茶

2008年08月23日 | Weblog
 夏中、水遣りを欠かさないようにして、有機肥料もいれて秋口に備える。
 枇杷の実を収穫した後が、最も大切であるのはわかっている。
 ここで気をつけていないと花芽(苞)が出てこないからだ。

 新芽が芽吹き、陽射しを浴びて硬くなった葉の中心に、薄茶色の小さな塊がのぞいてくる。
 これが枇杷の花芽とは思えない形であるが、次第に膨らみ、大きくなってきて、12月、白い五弁の可憐な花を咲かす。
 咲いた花からは、近づく間でもなく辺りに馥郁とした芳香を撒き散らすので、直ぐにわかる。

 やがて、花には蜜蜂が何処からともなく集まって来る。
 最初は、蜜蜂の集まる意味がわからなかったが、枇杷蜜を知って納得した。

 昨年は、実家の樹齢70年は経っていよう樹を、横から新たな芽が出て育っているのを確認して切った。
 後は、前の家の一級上の幼馴染が、自分には必要ないからと大量に分けてくれたのだった。

 お茶パックに詰める方法を、枇杷の葉だけ、花芽だけ、種だけと分けてした。
 自分用のは、拘りがないから、あまったものを入れることにした。

 千葉の友人はアロマ効果がある、と花芽を好む傾向で、着払いで送ったところ、感激しまくった。
 また、来宅する人や、検針のご夫婦、宅配の小父さん等暑さ・寒さに「お茶はいかが?」と淹れてあげる。

 たった1杯のお茶だが、相手は仕事でしていることには違いないが、自分ならねぎらってもらえたら気持ちがいいなぁ、と思うからだ。

 今の自分には、送料を負担することも、お茶を無料で贈ってあげることも不可能である。それで生活しているからだ。でも、相手が困っていると知れば、何かができないかと考えてしまう。

 現代農業の7月号に“葉っぱビジネス”なるものの記事を見つけた。
 人間関係がうまく築けない自分に、当に適した収入源になるかしら? 

 少しずつやってみよう、と気持ちがわずかだけ軽くなった。
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処暑に思う

2008年08月22日 | Weblog
 静岡の土肥地方にしかない、枇杷を白枇杷というのだそうです。

 それはどんな色をしていて、味や形は?と考えていたら、以前、生協で買ったのを思いだした。
 あの1パックだけ、妙に色が薄かった?味も違ってコクがあった・・・。

 もしかして白枇杷??庭に出て枇杷の木を見れば、どことなく弱弱しい、葉の色も薄い黄緑だし、木の丈は1mくらいで一向に育たない。

 反対に長崎の茂木は、成長が早く、すでに実を結んでいる。
 記事を読んでいくと、根気と情熱と、愛情がなければ困難なことが判明した。

 それにしても、我が家に白枇杷が紛れ込んでいたとは!!
 ただ鉢植えで置いている場所がひどく気になる。1日中陽が当たる南側は、茂木や田中には適しているが、白枇杷には合わないのかも・・・さんざ考えた結果、東側のもう1本ある場所に移動したら、とたんに新芽が吹き出した。

 自然界で起る様々な出来事が、人間全ての者にあてはることはあり得ない。
 けれども、数人の者に、感じ取れるとしたら、これほどありがたいことはない。

 まったくの鬱ではないけれど、症状として人間が怖かったり、仕事に行くのが出来なくなったりしていた時期、枇杷葉に触れているとなぜか安心した。

 心が落ち着いて心地よかった。
 他人が見れば、おかしな行為も、本人にとっては大切な居場所であったのだ。

 枇杷茶を飲むこともしつつ、薄紙を剥がすように、持っている治癒能力を使っていった。
 枇杷葉の謎がなんだかわかったようで、こころがあたたかくなった。
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