枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、下弦・小潮

2018年11月30日 | Weblog

 鹿と遭遇したからか?パソコンがフリーズしてしまった昨日。ブログも途中で止まるが、更新だけは出来たので。今朝、何時もお世話になっているSさんに連絡する。困った時にしか連絡しないこちらを知っていて、親切丁寧に教えてくれるが、呑み込みの悪い者には、中々理解できない。

 それでも数分の格闘で、何とか起動できる目処が立ち、作動しなかったら再度連絡するということでOK。指示の出し方もだが、こちらの話す内容を、瞬時に理解し、手順を言われるのに、唯感心するばかり。頭の中身はどうなっているのだろう?素晴らしく細胞の働きもいいのだろうなぁ。

 DVD ウォルト・ディズニーの約束を手に入れる。メリー・ポピンズの作者の想いと、ウォルトの20年に渡る、娘との願いと約束に、作者の頑固なまでの狭間で、周りの者を巻き込みながら、完成となったメリー・ポピンズ。ウォルトの子ども時代の経験が、成長していく過程でもある。

 トム・ハンクスがいいなぁ。娘との約束は裏切らない、という決意も、相手を不快にすることでなく、その原因を知りたい気持ちで一杯。恋愛感情抜きで、果たそうとする想いに揺さぶられた。バンクス氏の仕事一筋の性格も、妻や子どもの想いにも、押し付けがないことに気づく。深い愛。

 午前中は、蒲団干しと洗濯に終わる。酢の置き頃かと、2本ばかりを分けていく。薔薇には、自家製の液をかけおく。気温は、10月並みというが、風も出てきたことだし蒲団を仕舞う。廊下を拭き掃除し、掃除機を掛ける。遅い昼食を戴き、温めた珈琲を口にする。枇杷葉の花芽が匂う。

 枯葉も落ちてしまったので、箒で丁寧に掃いておく。自分ちの玄関やその回りくらいは、各自で掃いてほしいものだが、暖房をつけてぬくぬくとしていても、掃除はしないらしい。まあ、枯葉は腐葉土になるので、我が家に貰えばいい。自然からの恩恵を無駄にして、もったいないことだ。

 サッシの窓が濡れているのを拭き、すばるについ、猫の手も借りたいもの、と言うが無視される。結露になって、放っておくと黴が付くのだ。風呂場は、枇杷湯のお陰で、黴は無くていいが、家中がそうはいかない。掃除の液体は多々あるが、身体に悪いので買わない。年末の掃除の準備を。

 リエさんとしーちゃんに、友人が持って来た銀杏を送ろうと思うが、それだけでは芸がないので、花芽の咲くのを待っていた。しーちゃんのに決めてあるのは、早くから咲いているのだが、分量が少ない。花芽茶専用のを採りたいので、待っている。花芽茶にするのは、結実しないのを摘む。

 昨年には、1枝だけ咲いたが、結実しなかった。今年は、鈴生り状態になって、やっと咲き出した。

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米を研ぐ

2018年11月29日 | Weblog

 若い者の中には、予測もつかない遣り方をするが、米を湯で洗っていた。仰天して注意したが、新規での勤務者に、教えると称して、指導する資格がないのが原因。その後洗った米は、ボールに入れて冷蔵庫に仕舞い、取り出して仕掛ける。どうにも開いた口が塞がらぬ状態に、唯々呆れるばかり。

 米は、洗うのではなく研ぐ。即ち、冷水でのことで、幾ら水が冷たいとは言え、湯で洗うとは・・・。米を水で研ぐ行為には、お百姓さんの汗水の結晶への感謝。昔のように清水や井戸水がないので水道水だが、米の声を聴くことをしない。食べられることへの祈りも乏しい。嘆きの一途であるなぁ。

 勤務しながら、テレビの料理番組や、ちょっとしたニュースに、関心を持てば品数の1・2品は直ぐに出来る。それを素早く頭に入れて、高齢者への食事に提供できるよう工夫を凝らす。そういったことは、個々に違っているので、食材で決めればいい。毎日テレビは点けっぱなし。利用しなくちゃ。

 介護の業務をあらゆる角度から察して、一日の流れや、自分の役割を行うのは、確かに重労働でもある。でも、命を預かっているのであれば当然の事。況してや、食事の接種は重要な生きる糧だ。高齢者の嗜好も異なるが、どう調理すれば支障なく食べてもらえるかを、心に留め於いての献立計画を。

 自分が年齢を重ねて来ると、嗜好的な感触が変化してくる。これでは口に合わないという状況に、ここをちょっと変えれば、ということも儘ある。家族も単位が狭まって、夫婦と子どもであったり、様々な状況から、単独の生活もあろう。だが、基本的な要素は同じであるとも思えるが、違うのか?

 配膳の仕方にも、お箸や湯のみの出し方・置き方等、何だか見ていてびっくりする配置をする。戴きますの意味も分からないのに、唖然とする。そういった細かな動作に、今の介護職は対応できていない。施設で預かればいいというだけの、介護の責任転嫁である。誰もが、ゆったりと其処で憩いたい。

 オリンピックも、万博も然りであろう。やれば経済効果上がり、消費増税が容易に可能だと思っているようだが、入って来る金額が決まっているのを、余計に引き締めてはみても、散財する者はいまい。何億という収入があればあり、資産もしこたま貯め込んで、秘書のせいにしたりの者にしかできまい。

 昨年の花芽の様子。収穫では、意外と生ってくれ、贈ったりもできた。裏年にしてはたくさん。

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三連休を終えて

2018年11月28日 | Weblog

 三日間の休みであるが、実際には2日位のものであり、貧乏性と心配症が高じて、きちんとしておかねばと、献立を考え、来月のことも併せて、早急に持って行かねばならなくなった。栄養科への提出が遅れると、お正月に用意が出来ない。ギリギリセーフで間に合ったもの。気苦労が絶えない。

 人間、失敗を恐れてはいけないが、それを糧にして進むこともしなければ、信用を失うものだが、一向に懲りないときては、本人よりも他が迷惑を被る。料理の雑誌に目を通しても、広告で予定を立てても可能なことも、毎回同じ。大雑把どころか、何も考えていないのも困る。工夫の痕跡なし。

 そろそろ辞める者としては、バトンタッチで終えたい。高齢者の献立を安易に考えてもらっては困る。皆、食事形態が違うのだから、材料をどうすれば使えるかを、自分で作ってみてほしいのだ。大根1本にも、用途は多様にあろう。ちょっとした手間を加えることによって、食材もいきてくる。

 その場任せのいい加減さでは、唖然とする出来となる。自宅での調理に失敗しても、現場ではそうもいかない。食事の用意を考えていても、ガスと電気の熱には、微妙な時間差がある。そういったことも、遣ってみなければ分からない。何度も挑戦して、実演となる。でもそれが、介護職なのだ。

 給料を貰っているから、仕事には来るが、雑で荒いのも。相手は、生きている。同時に人生の先輩でもあるのだから、日頃の会話でも、話を聴きだす工夫が欲しいところだ。好物ばかりは作れないが、それでも期待を裏切ってはならない。介護の業務内容にも多々あるが、規定・既存の事ばかり否。

 激務を終えて帰宅途上。我が家が見えてきたのに、ほっとしたものの、前方にすっくりと立つお兄さんに、通り過ぎてから気づく。立派な角があったが、無闇にクラクションを鳴らさなくてよかった。未だ若い鹿だが、餌が乏しいのか、散歩であったのかは知らない。こういう時には慌てず騒がず。

 でも、びっくりした!狸の次は鹿だろうとは思っているし、今までにも何度か遭ってはいるが、交通事故にならなくてよかった。実際に直ぐ傍を通過して、動かなかったからいいようなもので、不幸中の幸いであろう。車も鹿も無事で安堵です。これが猪だったら、車は粉々かペシャンコになるよ。

 宮崎駿 もののけ姫そのものじゃない。いやぁ、田舎っていいですねぇ。とも言えない危険な棲み処です。歩いていて遭ったら、逃げないこと。じっと目を見ていれば危害は加えない。良からぬことを考えていると、向かってくるので、無心が好い。それにしても、夜行性とは言え、危なかったな。

 宇宙を観上げて、星の瞬きに心を広げていけるのは、大いなる幸運でしょう。流れ星に願いを。

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風もなく・・・

2018年11月27日 | Weblog

 早朝、知人からメールが入る。昨夜送信していた返事だが、職場まで行くついでがあるのでと打っておいた。すばると起きようかと蒲団で温もっていたら、リエさんから電話がくる。23日に、品川を歩けたそうで、一先ずは安心する。kazu君の出発が延びていたそうで、この日留学された由。

 その後は、余りの上天気に蒲団を広げ、洗濯物も放り込んで洗う。駐車場から職場までを歩いていたら、近所の方と立ち話となる。血圧が高いとか、薬を呑めば低すぎるらしく、健康維持が難しいとの事。そこに上司が通りかかり、お稲荷さんを強引に渡す。余分に持って来ててよかったです。

 職場に着いて、来月の勤務表を見ながら、タイムカードに記入していく。年末年始なので、早目に集計しなければ、給料もボーナスも出ないとか。ボーナスって、しこたまもらえるものでもないが、事務所にしたら多忙な訳で。出勤して書けばいいじゃない、とも思うが、休憩中には休みたい。

 介護の仕事でもなければ、それなりに可能だが、体力・気力の限界を感じる職種ではそうもいかない。事務員がするのが当然とは思いつつ、我が職場ではそうもいかない。他の用事もあったので、序でと言えば気晴らし。帰り道、図書館に寄って、佐野洋子さんの書籍を借りる。動物ものがたり。

 葉室麟 星火瞬く、冲方丁 天地明察も借りている。こちらの方は再読になる。宇宙の話を再度読むのも、と手に取った次第だ。葉室麟著作は、初めての試みだ。読書に没頭することが少なくなったが、老眼鏡を頼りに読むのだから、滅法時間が掛かってしまう。若い時には時間が作れなくて。

 何もしないで居ると、つい居眠りをしてしまいそうで、読書に勤しんでいるが、根を詰めると、これもまた眠くなる。歳を重ねると云うことには、結構都合の良い時間も含まれることか。同じ時間がある筈なのに、気づけば既に夕刻であるのが多い。一日、何をしていたのか、疑問だらけの日に。

 すばるが、肢拭きを出して遣ったら、気になるのか嗅ぎ回っている。トイレの側とパソコンの部屋の出入り口に敷いた。そこら中に、トイレの物を散らかすので、その度に、雑巾を手に拭いていく。掃除機を掛ける。雑巾を掛けるのは、ダイエットにもなっていいが、度々の掃除に考えたまでで。

 本日の気温は高めで、コートも要らない天気だ。蒲団もふかふかで気持ちが好い。明日の勤務を思うと気が重いが、そうも言っておれないので、弁当の下拵えを何にしよう。大根葉を、醤油と出汁とかつお節で絡め、大根は下して納豆昆布と混ぜた。蕪の酢漬けと、蒟蒻のきんぴら。鮭は焼こう。

 長崎茂木は、最初に咲いてくる。その後、房州枇杷や、淡路田中、白枇杷に移っていく。馥郁と匂う。

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知らなかった・・・

2018年11月26日 | Weblog

 宮部みゆきは、ペンネームだったのか。言葉の響きがとても好くて、こういう名前を付けた方は、先々のことも考えていたのか、と思ったりもしていた。彼女の作品は、出版されているのは、片端から読んでいるものの、若向きのはちょっと抵抗があり、控えている。特に、ゲームには閉口だ。

 魔術はささやく 孤宿の人 ソロモンの偽証 龍は眠る クロスファイア 蒲生邸事件 は特に想い入れがある。時代物は文句なく読める。最近の新聞連載されているのに言葉遣いが気になるのは、その時代の言い回しが大切だと感じる。英雄の書にも強く惹かれたが、続編が気になるところ。

 猫の記述に思わず頷く。パソコンの上に乗るのは勘弁して、と常々思っていたら、お何ような経験をされているようで、苦笑いをした。ハードデスクでも、ノートでも温かいのであろう。この上にどっかりと居座る。中々退けないのを、やっとこ膝に下りたと思ったら、最初の設定になっている。

 機械オンチのわたくしに、元の設定は壊すことになる。何度も、SOSを発信して訪問してもらった。高くついたよ。ノートにしたのは、ネット接続が出来なくなってだが、銀河に代わって、すばるがやって来た。これが腕白で、雄であったばかりに、とんでもないことに陥る羽目に。ぎゃ~あぁ

 猫は、静電気を発するのか?それとも異星人なのか?予想もつかない展開を打ち立てる。叫ぶ自分にも驚きながら、何でこうなるの・・・とさっぱりの状態が起きる。悲しいかな、自分では直せないので、やはり自宅までご足労してもらう。製造元に送れば、元の状態らしいのであるが高くつく。

 それなのに、何でパソコンを使っているのか?原稿用紙が消えてしまったし、万年筆も既に使われない。両方とも持ってはいるが、実際には不便である。年金暮らしになれば、考える余地はあるが、パソコンを遣る方が速いし、便利さは疑う余地もないので。何よりも、欲しかった作品が手に入る。

 失われた世界 華氏451度 麗しのサブリナ ローマの休日 奇跡の人 郵便配達は二度ベルを鳴らす ファイアスターター キャリー新旧 書籍で読んではいるが、映像が観たいのもあるからで、こういうのを見つけると、少しづつ買うのだ。邦画は先日の砂の器とザ・レイプ。大阪物語、あん。

 原作とは必ず異なるのが映像だが、微妙な部分が気になるので、必ず目を通す。監督にも依るのだろうが、残念であったりもする。老後の愉しみにしよう、と買い溜めているが、死んだら誰が貰ってくれるのだろうか。ヤング・スーパーマン シャーロックホームズ等、全編あるが捨てられる運命。

 リエさんの所迄行った時、走っていたらしいが、他を回っていて乗り損ねた。最近見かけなくなった。

 

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小春日和の穏やかさ

2018年11月25日 | Weblog

 春のような穏やかさで、晴れていることを言う。日本の旧暦の季語は、俳諧をたしなまれる方には分かるが、一般人には馴染みが薄いもの。暦を見たり、気づかなければさっぱりで、会話が成り立たない。それでも、パソコンから意味を知ろうとする努力はかう。辞書で調べるのも好い。

 テレビで、蒲団の安売りをしているのが、眼に止まった。あんなにオプションをつけなくても、蒲団の柄が選べたり、必要な物だけの購入の方がいい。結果的には、場所を取るし、すぐに飽きる。従って粗大塵に成り兼ねない。そうして安価が却って捨て金となる気がしてくる。貧乏性だ。

 野菜を捨てることなく、或いは衣類も着回しをしたい。買うのではなく、身体をそれに合わせる努力を。毎晩入浴時に塩で擦っていたら、ウエストが元に戻った。枇杷葉茶で淹れた刀豆茶も飲み、枇杷葉ローションの塗布。もったいない精神で、可能な限り捨てないで使う。すこぶる節約。

 新暦では既に11月も末になった。クリスマスと浮かれる気分ではないが、花が咲く野は心待ちで、日毎に育つクリスマスローズに、水遣りをする。今年は、フリージアも元気がいいのだが、寒さにやられると萎れる。ナイロン袋を被せる?日中には外さなくてはで、忘れると自滅するよ。

 来年のことを言えば、鬼が笑うのだが、余りにも疲労困憊につき、出ないことにした。手当てが出るだの云々ではなく、正月くらい、家に連れ帰ってもらいたい。誰の親でもない、自分の親じゃない。せめてそれ位の孝行が出来ないとは。自分が子どもの頃に慈しんで育ててくれたお礼だ。

 全ての人がそうであるとは限らないが、どんな親でも、最初の想いは同じなのだ。生活の慣れや疲れから、変化が起きて来るのだ。昔なら隣近所の世話もあったが、今は犯罪が絡み出来なくなった。人間が人を騙すのか、騙されてしまうのかはいざ知らず、金がないと生きずらい世の中に。

 でも。マザーテレサさんは、自分のことを還りみず、貧しい者を救い、世界中を笑顔で翔け周った。してみると人柄もあるんだ。キリストの教えだけではなく、私欲でもなく、一つ一つの命のために、自分を捨ててこられた人だ。わたくしの考え等、取るに足らない物、贅沢は身を亡ぼす。

 沖縄の基地の撤退と、原発の廃炉や停止を求めるが、他人の関心事で済ませてしまう。大阪に、万博が誘致されたことも含めて、世間の眼は方向を変える。でも、一番大事なことは、原発が再稼働されて、事故が起きれば大阪は全滅だよ。逃げ場も何も原発から、大勢の避難場所は何処に。

 性別が判明した。♂である。♀にしたら、余りにもお転婆できかん気だと感じてはいたが。

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生きる糧に・・・

2018年11月24日 | Weblog

 普段の食事は、栄養科から出るが、日曜・祭日はこちらが作る。そのためにも、美味しく季節の野菜を選び、バランスの取れた献立にしたい。給食委員はいるが、同じ物やいい加減さに呆れて考えていた。然し、辞めるのを目の前に迎えて、そろそろ手を放そうと思ったのだが、何も考えずに愕然とする。

 食材の旬を知ろうともせず、作れればいいという出来上がった物で誤魔化す。ちょっとした工夫をしようとか、これなら摂取してくれるか、という献立がない。料理の本を見たり、少しは研究しようじゃないの。大根にも使い道は様々で、即席漬けから、煮物まで用途も広い。家で料理をしないのかしら。

 料理家のようにいかないのは当然だが、食材をどう使えば、高齢者に食べてもらえるかや、柔らかくして、味の浸み込んだ品にしたい。若い者の感触でなく、これだったら口にしてくれるかを感じてほしい。先日、散らし寿しをしたが、子どもの頃に食べた味で、お祖母さんのと同じだった、と喜ばれた。

 特別なことをする訳でも、腕がいいのでもない。心を籠めて作ることこそが、美味しくなる工夫だ。寿し桶を忘れて、どうしよう?と悩んだが、その場の気持ちでやってみたら、成功した次第で、皿まで舐めなくてもいいが、とても静かに食べてくれた。美味しくないと、箸が進まなくて文句が出て来る。

 レトルトを買うのが悪いのではなく、そこに1味を足すのだ。盛り付けに工夫をして、眼からも食べたい。誰でも作れるが、誰にも負けない味にする。年齢を重ねれば目分量にも熟れる。食べりゃいいってものでもなかろう。食材がもったいない。命を無駄に使ってはいけない。感謝と祈りを忘れずにいよう。

 Aさんちで、水を分けて貰い、図書館に寄って帰宅する。新刊本が到着していて、ラッキー・クッキー・八代亜紀である。ヨシタケシンスケさんと、宮部みゆきさんの書籍だ。三連休にしてあるので、じっくり読める。蒲団も、小雪を過ぎたので、干すのは控えよう。すばると毛布に包まって、湯たんぽで温。

 高齢者に、御伽草子を聴かせるのもどうか?と思ったが、話をし始めると、深として居住まいを正す。不思議なものだなぁ・・・♪灯火近く衣縫う母は、春の遊びの楽しさ語る。囲炉裏火はとろとろ外は吹雪。囲炉裏の傍で縄綯う父は、過ぎし戦の手柄を語る。囲炉裏火はとろとろ外は吹雪。冬到来の季節に。

 これはサンタさんのにしている枇杷葉で、淡路島に枇杷狩りに行った時に、買って帰った。

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神農祭、望・大潮

2018年11月23日 | Weblog

 勤労感謝の日、と言うが、実は、お百姓さんが、神に作物を実らせ、生活の糧を与えてくれることへの、感謝の日だと思える。いただきますには、あらゆるものの命を、人間として口に出来ることへの、祈りであるのだ。言葉には、ちゃんとした意味があり、加えて魂も宿るものだ。

 休日出勤を、好んでしたくはないが、食事の支度や、他のこともあり出ているが、心労は重なるばかり。体力も気力も、根気比べのようなもので、辛抱強く対応。グリーンマイルを買い観ていたら、トム・ハンクスが言う台詞。ここでは大声は出さない。怯えさせてはいけないと説。

 死刑を宣告されて、その間をここで過す。天命であればいいが、殺人を犯せば、その償いを受けねばならない。今日であるか明日であるか、獄舎の鉄格子の前で止まれば、その日となる。被害者の家族は、殺しても飽き足りない想いが満。トム・ハンクスはウォルトディズニー役も。

 鼾をかくのは、耳鼻咽喉に支障があるのだ。これが、通草を飲み始めてから、少し落ち着いてきた。鼻の調子も良いが、咽喉の痛みや、扁桃腺も快調である。枇杷葉茶の花芽茶を欠かさず飲み、嗽や全身への塗布もしている。何よりも根気・持続力で、真面目一方に遣っているのも佳い。

 アマゾンのDVDも、色々とあるものだと眺めていたら、郵便配達は二度ベルを鳴らす、があった。これは原作を読んではいたが、映画では観ていなかった。今時の不倫よりも凄みがあった。女優の名前も知らなくて、タイトルだけで買う。これは独りで観ても、二人で観てもいけない。

 今晩は、ジュリーマニアを観よう。ちょっと気分がブルーになっている。深く碧く透明に染まっていきたい。海よりも深く、って今なら分るが、年齢を加えないと納得できないことが多い。ちょっとずれてしまう。今夜は満月。メリーベルと銀の薔薇のように、月の雫が降り注いでいく。

 アランとエドガーは、今どの辺りかしら?普通の少年になって、月の光の中に佇んでいるのかも。メリーベルを探して、薔薇の花弁に触れて雫を溢す。消えていく花弁が、霧のように流れていく。ああ、この次元を知っている。あの時の微笑みを、澄んだ瞳を視た覚えがある。何時の事か。

 芥川龍之介の、蜘蛛の糸には、お釈迦さまと一人の罪人が出て来る。人間は、死しても尚、助かりたい。

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神無月、小雪・大潮

2018年11月22日 | Weblog

 二十四節気 寒気つのり、雨凍って雪となる意味で、小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。天気が良く、気持ちの好い日でも、蒲団を干すのは間遠になる。午前中の数時間も、風の冷たさに負けて、折角干しても膨らまない。事実、昨日までが干し収め。

 真冬の間は無論外には出さないが、立春を過ぎても、時雨はあるので、如月も中盤にならないと干せない。その頃には、春一番も二番も吹いて、大わらわでもある。季節は廻り、春に浮かれていると、初夏が訪れる。日本の風土を有り難く思い、四季のあることに感謝する。冬の盛りを咲く枇杷葉。

 今朝は予想通り雨になる。休みで休養を取った筈が、身体が動きたくないのか、疲れが残っているのか、出勤したくない気が過る。働かねばならないのだが、理不尽なことに遭遇すると、腹の立つのも忘れて、ため息ばかりが出る。厭な世の中になったものだと思いつつ、これで増税ばかりなのも。

 気力が回復しないままに出勤する。上司が1週間の出張から帰っており、無事なこととお土産の礼を述べる。口は動くが身体はだるい。然し、業務であるので遣っていく。でも、職員二人での業務ってきつい。向こうには4人も居る。妊婦だからって、出来ることもあるよ、勝手都合が多過ぎるわ。

 途中で帰ろうかとも思いつつ、大人げないと踏み留まるが、源泉徴収の記録も、提出日までに、きちんとしておきたい。それをわざわざ聞いておいて、業務中にするのは違うよ。仕事に来ているのでしょう。その空白は誰が補うの?段取りも何も考えずに、これで給料を貰う資格があるんだろうか。

 真面目に、正直にする方が莫迦かもしれない。でも、介護の仕事は、心で寄り添いつつ、共同生活を送ること。その人らしくを大切にして、其処に居られる手助けをしたいものだ。時間ばかりを気にするのでも、当たり前の日常を、穏やかに過ごしてもらい、自分の好きなことを、楽しんで貰いたい。

 掃除当番であったので、居室の中を拭いていたら、お菓子の食べこぼしがたくさん出て来た。入歯なので虫歯にはならぬが、口の中がベトベトである。尿臭と混ざっており窒息しそうだ。毎食のご飯もおかずも残すので、食べてもいいけど、病気になるよ。と話す。明日になったら忘れてしまうのね。

 初秋の天に懸かる月。昨年には木星が観えていたと思うが・・・。宇宙を眺めるのは愉しい。

 

 

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穏やかな休日・・・

2018年11月21日 | Weblog

 図書館で借りたのは、天地明察。これは一度読んだのだが、手頃な書籍もなく、退屈なので暇つぶしに。ところが、砂の器を読み返していて、填まり込んでしまう。加藤剛主演の映画は、本作に忠実な方だが、同じではない。何しろ、登場人物が意外に多く、人間関係も入り組んでいる。

 従って、本作の再現には、3・4時間かかるだろう。それでも足りないかもしれないのは、文庫でさえ上下だからだ。松本清張作品は、配役の関係もあるが、演じる者が貧相であったり、役不足では撮れない。獣道も、名取裕子と山崎努であったからこそ。最後に場面での小滝の高笑い。

 作品の中で好きなのは、黒の福音。映画になっているかは別として、その展開に驚くばかり。戦後の混乱期であったればこそ、戸籍の偽拾得や、他人に成りすましての生き方等、起こり得たものだろう。昨今の下手くそな書き手とは雲天の差がある。日本語もまともに書けない作家も有。

 大阪物語。これはDVDだが悲しかった。何でや、沢田研二死なせてからに。あ・否役の上であるから、ほんまやないのや。でも、切ないなぁ・・・、女を腹ましといて別居して、産んだら男と出て行かれて、子どもだけ残る。姉ちゃんが面倒見て、家の児やと母親も可愛がるのに・・・

 漫才師も仰山居て、同じことを飽きもせず遣ってるのや、若手だからと古株を莫迦にする者。でも、良い事言うてるやん。千原兄弟等、今はしょうもない事をする番組に出て、お笑いなんてしよらん。笑わせる商売じゃなく、笑われてる阿保や。芸が廃るのは仕方がないけど大阪好きや。

 可笑しくて楽しい筈の映画が、何でこれ程に哀しいのか、とても不思議な気がしてならない。所謂至極当たり前の日常を、自然に見せているだけなのに、心を揺さぶる内容もあるんだ。池脇千鶴もよかったが、脇で支えるベテランが素晴らしかった。これが大阪なんやと泣けてしまった。

 昨日伐った枇杷葉を、お茶にしようと小さく切る。結露が気になって来たので、ボディソープをバケツに1滴垂らして、雑巾を絞る。窓ガラスを拭いていくが、天気は下り坂のようです。こういう時に窓拭きをしておくと、綺麗になると、いい加減な解釈をしながら済ませる。曇ってきた。

 塩茹でピーナッツを食べていたら、すばるがせがむ。少し遣るとハムハムとしている。旨そうに食んでいた。ロールパンも好きで、膝に乗って来る。餌にも、メーカーに依っては不味いのもあるようで、よろこばない。美味しいのはお代わりをせがむ。喰い過ぎになるだろう、と叱りおく。

 二槽式の洗濯機にして、水量をついて加減しなければ溢れるが、脱水と洗いだけで済むので早い。そんなに汚れていないので、部分洗いも兼ねて擦っておけば、汚れは半分以上が落ちている。洗剤もたくさん入れないので、濯ぎは簡単である。脱水は数秒でいいので、あっという間に片付く。

 今年の花芽は、初生りが多いが、昨年は、裏年でもあったので、少ない出来で、塊も小さい。

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