枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自分の体を大切に。

2011年02月28日 | Weblog

 今日は、肌寒い一日で、冬に逆戻りしたようです。昨夜からの雨が、午後まで降っていて、洗濯物も乾きません。勤務先でも室内に入れて、空を見上げていました。プランターの花がほっとしたように見えます。きっと咽喉が渇いていたことでしょう。

 腰痛やヘルニアには、患部を冷やすのはよくない。と、言ってあげてはいるが、案外大儀だからとしない。痛み止めの薬では、その時だけになる。私は、自分が辛いし、仕事に差し障りができるので冷やさない。年中、腹巻をしている。

 枇杷葉の焼酎漬けを貼って、使い捨て懐炉をつけている。ミニなので、熱くなくいい加減である。患部には、蒟蒻を載せるのがいいのだが、勤務中はそうもいかない。休みの日には外しているが、殆ど貼っている。年中、枇杷葉が必要なのだ。

 枇杷葉も使えばなくなる。従って、庭の生葉を採り、焼酎を買って来て漬ける。毎月これの繰り返しだ。幸いにして、我が家に植えているのがあり、必要な時に採れる。庭もなければ、枇杷葉もない方は、困っているに違いない。

 昨年、農文協からの『作って育てる・ビワの絵本』が出ていたが、鉢仕立てでも充分育つ。我が家にも、鉢植えはある。木丈を上にしないで、剪定すれば、実は生るし、葉も茂る。精々2mで充分である。ちゃんと育つ。

 我が家の庭のも、何本かはそうしよう。と思っているが、サンタさんのとりささんのは、とっくに2mを越えた。油断していた。まあ、枇杷葉は、そのままなら10mくらいには、あっという間になる。それくらい生命力に優れている。

 枇杷葉に、白枇杷があるとは知らなかった。偶然、芽が出て、30cm位まで育ち、その後枯れてしまった。で、そのままほったらかしにしていたら、横から新芽が出た。夏の暑さに、再び枯れ、これは3度目に、ようやくここまでになった。

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兎追いし・・・

2011年02月26日 | Weblog

 今日は、他のスタッフの体調不良で、早出になった。いかんなぁ・・・。業務をこなすのが精一杯で、心のゆとりがない。介護の仕事は、言うは易しく。であるんだとつくづく思った。年だけ重ねていてはだめなのかもしれない。しっかり落ち込んでしまった。

 明日は、日曜日なので、昼の献立を作らねばならない。ちょっと早いのだが、はまぐり寿しと茶巾絞り寿しをしてみよう。と、買い物をお願いする。何のことはない。寿司飯に具を混ぜたものを、卵焼きで包むのだ。上手くできるかどうかはわからないが・・・。

 はまぐり寿しは、私が二十歳の時に、お雛様のご馳走として、母に作ってもらった思い出がある。確か、『今日の料理』に載っていた。当時の私のお雛様は、叔母からのお下がりの、掛け軸雛であった。扇子と簪は付けるのだが、内裏雛など買ってはもらえなかった。

 祖母が桃の木を切って、活けてくれた。旧暦ではないが、4月3日に祝うので、日溜りの桃は、綻んでいた。梅は散り始めていた。蛤は、魚屋さんが軽トラで売りに来るのを買った。三つ葉は、家の裏に生えていた。卵は、庭に居て、走り周っていた。いや、鶏が。

 母は、私の言うことに、ほとほと困りながら作ってくれた。焼き鏝で印を押して、蛤の貝に見立ててくれた。今度の母の月命日には持って行こう。今の私になら、テキストだけを頼りにしてくれた、母の想いが伝わってくる。ありがとう、お母さん。

 祖母が居て、父と母が当たり前のように居た風景は、二度と戻っては来ないけれど、思い出の中には残しておける。時折、取り出して風に当てたり、心の中で広げて観れていたりする。誰憚ることもなく、推さない自分に、その時折の私に遭える。

 今日は、朝が早かったので眠い。梅ジュースを飲んで寝よう。種を植えていたのを忘れていたら、いつの間にか芽が出てきていた。枇杷葉は、生命力の強い植物です。

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春一番?

2011年02月25日 | Weblog

 強風である。洗濯物がよく乾く。黄砂かな?周りがぼんやりに見える。これからは、一日いちにちと、緩んだお天気になっていく。霞み棚引く空になる。服装も、薄い物へと変え、寒さが和らいで暖かい。銀河と一緒に日向ぼっこをしていると、暑くなってきた。未だ、鶯は鳴かないけれど、梅の花が咲き始めた。

 Aさん家にリンパ線マッサージに行く。耳の後ろ、首、肩、鎖骨、脇の下。その何れも、最初は飛び上がらんばかりに言うが、除々に痛みがなくなり、痛気持ちいい感触に、黙ってしまわれる。体の中の壷にも触っているが、あまり気づかれない。足は、膝の痛みがあった。サポーターを外されていた。

 体は正直です。寒さには敏感に反応する。年寄りの冷や水です。いや、冷やしてはいけません。汗が出ると言われるが、体が自分でコントロールしているのですから、自然に任せるのがいいですね。無理はしないのがいいですが、適度な運動はなさってください。寝たきりになるのは困りますよ。

 人間として、悔いのない生き方ができれば、それに越したことはありません。でも、先ずありえません。生き残った者がそういう思いになるか、どうかでしょうから。歩くのもゆっくりだったり、走ったりするでしょう。その時に応じて、生きれれば好いようにも思えます。他人が何と思おうが、自分の生き方が素晴らしいのではないかしら?

 オリオンが、随分と西に傾いた。春の星座のスピカが緩い曲線を描いて観えている。また今年も、美しい乙女らに素っ気ない素振りをされた。今ならさしずめ、ストーカー行為で訴えられるだろう。厭きないオリオンではあるが、心変わりをしないのはたいしたものです。いつまでも手に届かない乙女であるのが哀しい。

 連休だったので、枇杷葉を見回りながら、硬い葉を採って、自分用のお茶を作っておいた。先日、電気屋さんに枇杷葉の、切らないままのをあげた。パックに入れたり、切ったりは捨てる時に手間がかかる。それに自分で飲むのだから、薬缶にそのまま入れた方がいい。最もよく洗ってから入れますが。

 今年の寒中の庭の様子。この時には、青い葉であったのが、雪に降られて変色した。寒いのは苦手である。

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春の雨はやさしい・・・

2011年02月24日 | Weblog

 庭に置いてあるみかんに、雀が群がっており、忽ちにして突いてしまった。梅が随分と綻んできた。水仙の花も咲き始めた。県内の梅の名所に、問い合わせて、会期中の休みと、車で行くルートを聞いた。友人との珍道中なので、迷わないように地図も出す。

 今年は、寒かったので、3月の下旬が見頃らしい。お彼岸の辺りかな?春やはる、梅一輪のあたたかさ。ちょっとじわ~んときます。今日は、曇り空で、途中雨が降ってきたりした。Sさんの月命日なので、出かけた。何年続くかはわからないが、行ってあげよう。

 春の雨の、降っているのかいないのか、わからないような静けさは、傘を差すまでもなく行ってこられた。お花を供えて、お菓子を置き、話しをして再来を告げて帰宅した。夕方には、研修があって勤務先に向かう。数学のややこしさは、半端ではない。

 そう言えば、パソコンを教えてくれた師匠は、数学も物理も、コミックや専門的な論文まで、ジャンルを問わず、得意としていた。あれは凄い。どういう頭脳構造をしているのか、疑心暗鬼で眺めていた。今頃は、亜空間にでも紛れ込んでいるかも。音沙汰がない。

 小説も、長編を読みたいのだが、布団に潜って1時間が限度。眠ってしまう。最近は、寝不足です。平岩弓枝氏の『西遊記』を再読しよう。悟空の心のありように惹かれる。手塚治虫氏の『悟空の大冒険』は、当時中学生だった私には、衝撃的なアニメでした。

 『白蛇伝』も、よかった。時代の移り変わりか、探偵物が多いが、実につまらない内容。シャーロック・ホームズや、名探偵ポワロ。名作に勝てはしない。アガサ・クリスティの作品は、女性とは思えぬ展開に胸が躍った。何処に仕舞ったかな?

 一日、ゆっくりしていると、枇杷葉の細かいことが見え、傷んだ葉を外した。もう少し暖かくなると新芽が出る。傷口の瘡蓋が剥がれるように、むずむずしていることだろう。春を待つ心の、なんという晴れやかさか。洸溢れて、世界中に満ちていく。

 枇杷葉の実が熟れていく。チャボの卵の大きさだが、これが5~7粒集まれば、案外重いのだ。枝が撓る。楽しみでもあるが、心配でもある。

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枇杷の効能・・・

2011年02月23日 | Weblog

 最近、枇杷葉茶を、個別に訪問して、売って歩く若い者がいるらしい。貴金属の、高価買取にも来ている。田舎の至る所にある枇杷葉を、何が悲しくて買うのだ?況してや、無農薬かどうかもわからない品物です。しかも高い。自分ですれば、簡単にできるし、安全安心でない物を、わざわざ買うなど、あり得ない。

 今は、ネットで何でも買え、自分の信頼できる生産者から、必要に応じて送ってもらえる。枇杷葉だけではない。生葉も同じである。種や花芽もあるし、焼酎に漬けているのもあります。自分で手間隙をかけ、信頼を買うのなら心配はないだろうが、単に枇杷茶を買うには勇気がいる。知識の受け売りではなく、自分が飲んでみることですよ。

 物事の基本・初歩は、自分の人生をかけてみることです。故・福島正信さんや、木村秋則さんは、悠久の時の中で、試行錯誤され、愛する者のために、何ができるかを考えていたのではないか?他人から見れば実にどうでもいいことでも、人間として、たった一人の人を守りぬくことが、ある意味、生きとし生きる者への賛歌に繋がっていく。

 私の場合も、子ども達のアレルギーに、ほとほと困り果て、往きついたのが枇杷葉だった。娘が交通事故に遭った時も、咄嗟に食べさせた枇杷の種は、生の物を擂ったもので、美味しくもなんともなかったと思う。それでも、きっと効くという確信があった。自律神経失調症ではないが、繊細な神経の隅々まで行き届いた。

 むち打ちにも効果はあるでしょう。でも、膨大な時間が必要です。期限がありません。従って、手っ取り早い病院に行くのです。一週間で治るか?数年かかるかは不明です。けれども薬害はありません。その保障は誰がしてくれるのでもなく、自分の人生をかけるしかない。そういったことを踏まえても、安易に枇杷葉を薦める気にはなりません。

 何よりも、枇杷葉を信じ、自分を大切にして、自然と共有できなければ無意味です。自然に感謝するということは、神の恵みを受けとり、新しい命を生み出すことにも繋がっていくからです。枇杷葉は、とても生命力の強い植物です。そのエネルギーを分けてもらって、体全体に行き渡らせるように促します。そうでなければ、植えっぱなしで、邪魔な樹になってしまいます。

 昨年の花が咲いた状態。このまま、実に生るかな?蕾のままのもあったりする。冬には、花が少ないのに、枇杷の花は、更に目立たない。

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機械に頼り過ぎない

2011年02月22日 | Weblog

 掃除ができている。と言う割には、ちっともきれいなっていない。掃除機をかけて、電気の無駄である。机を拭くのも、雑巾で表面を撫でただけ。汚れは落ちていない。食器を洗うのも同じ。手が荒れるからと手袋では、洗剤と水の無駄です。資源は限りがあります。お金を払うという単純な問題ではない。

 一昔前の作業をすれば、とてもきれいになる。つまり、手作業です。雑巾を洗う、絞る。拭く。ということです。これをすれば、ダイエットなど必要がなく痩せます。特に、拭き掃除は、お腹のぽっこりを解消してくれる。どこそこのエステに行かなくても、絶対に痩せられる。エネルギーも無駄がありません。

 今日の休みは、床拭き・磨きです。掃除機は最後にゴミを吸い取るだけ。腕や腹に、贅肉のつく暇もありません。休みの日は朝昼兼用なので、食事代も浮きます。加えて、フル回転で体を動かすので、普段は使わない筋肉のトレーニングができる。夜は働いた分の半分をゆっくり保存して眠る。

 今日は、洗濯日和なので、布団を干し、洗濯機を何度も回して、コートやジャンパーを洗った。マフラーも洗う。朝夕は寒いが、厳寒を通り越したので、お天気を幸いにこざっぱりとしたのです。衣類は、全体的にシンプルな物が多い。着まわしができる上に、好みの格好ができるからです。ファッションの先端をいかなくても、自分の着心地の好い服装がいい。

 それで思い出した。今冬はスカートを穿かなかった。風邪を引いても不味いので、極力気をつけていた。そろそろ穿こうかな。ストーブも仕舞うようにしよう。自分の体温での調整ができれば、それに越したことはない。それにしても、休みの日は、着た切り雀である。枇杷葉茶を飲んでいると体臭が消える。ハンガーに吊るして、繰り返し着る。

 今月は、孫の誕生日に始まり、友人の誕生日に、リエさんの誕生日です。それにしても早2月も過ぎようとしている。3月を過ぎたら、4月にオープンする同じグループホームが増え、忙しくなるようです。新しい人員も増えている。兼務の内容も変わってくるだろう。一生懸命に取り組んでいくしかない。どうか自分なりの介護ができますように。

 4年前に生った、長崎茂木の赤枇杷。瑞々しい甘さがありました。粒は、チャボの卵の大きさです。自然栽培ですので、その年によります。

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どこかで春が・・・

2011年02月21日 | Weblog

 麗らかなお天気に、居眠りしたくなる昼食後です。空は、澄んだ青から、ぼんやりと軟らかなあおい色になっている。冬の名残を少し留めているものの、季節は確実に春になっているのだ。山には、春蘭が咲きかけているだろう。木々の新芽が堅い皮の鎧を脱ごうと、じっと待っていることだろう。春の幕開けの、白梅の香がする。

 棚引く霞のあちこちに、花が咲き乱れる。それらの花木は、自分たちの命を繋げている。自然という媒体を介して、新しい命を生み出していく。生きとし生きる者全てに、光と水とを与えてもくれる。この世の全てに感謝する。生かされていることの幸せを想う。私は、私であるけれども、いろんな人に援けられていることを実感する。

 リエさんに花芽が届いたらしい。焼酎に漬けておいてね。種には少し劣るかもしれないけれど、香りはいいでしょう?私は、もっぱら化粧水で使っています。今年の冬には、っていうか、ここ数年、背中が痒い。ということが全くありません。顔も、べたつきません。さらりとしているのに、艶やかです。枇杷葉の力は凄いです。

 明日は、久々にゆっくりできそうです。とは言え、家に居て、研修の宿題を片付けなければなりません。とっくに提出期日は過ぎています。答えを写してすれば早いのですが、それでは納得した答えにはならない。解き方がわからなければ、つまらない。PCの操作の仕方も、自分なりに知っておきたい。

 数学の授業は、中学校1年生のK先生なら、とても解り易かった。女の先生であったが、教え方がよかったのです。その後、先生が変わって、さっぱり解らなくなった。下手くそな説明で、難しく教える教師であった。以来、数学は苦手である。理系とは縁が浅い。生きていく上で困ったことは少なかった。

 枇杷葉は寒さが苦手です。花芽が実になって、育っている状態。

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春霞の・・・

2011年02月20日 | Weblog

 空がくぐもっていて、春の気配です。日中は、暖房を止めても暖かく、窓も開けていた。夕方の時間まで風もなく穏やかな一日です。明日当たりが寒くなるかな。除々に繰り返しての、本格的な春へと、季節は移っています。まだ、ストーブは要りますが、体の芯まで寒いという事はなくなってきた。自然の温かさはありがたい。

 今冬の雪で、花木の被害は、その殆どが新芽を尽くやられて、赤茶けてしまい、花の咲くのが危ぶまれます。昨年まで、なんともなかったアネモネまでがぐったりしている。椿でさえ、蕾が育たない。寒さが花に与える影響の大きさに、とてもびっくりした。人間は、防寒できるからいいが、自然のものは厳しい。

 枇杷葉も、暖かな場所を好むが、どのみち霜除けは完璧にはできない。ハウスの中で育てれば別だが、諸々の条件が重なって、誰でもが出来る訳でもない。田畑を持っている人は、簡単に手放したり、作る事を放棄するが、一反あれば、米も採れるし、野菜も作れる。土地の無い者は、頭を使ってプランターでしている。

 木村秋則さんが凄いのは、自分の頭で考えたことを、失敗を重ねての成功に結びつけたこと。仕事がないからと泣き言を言わず、あらゆることに感心を深めて、調べ上げていったことだろう。常に、なぜだろう?と、疑問を持ち、追求していったこと。自然に受け入れてもらう努力を怠らなかったこと。

 今月は、28日しかないのが、早1週間を残す処だ。感覚がめまぐるしい。何だか取り残されたみたいになる。実際ついていけないことが多く、新聞を読みはするが理解できない。テレビなど更にわからない。従って観ないことが殆どである。地デジ対応でないと観れないなんて、愚弄している。としか思えない。

 雪の舞う寒中。この日には積もりこそしなかったが、とても寒い一日だった。

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雨水・草木の芽吹き

2011年02月19日 | Weblog

 今日は、暖かな日差しでした。選挙の声が喧しいので、市内まで出かけた。といっても、仕事に関わる一大事なので、どうしても行かなければならなかった。布団が干したかったのだが、渋々諦め、用事だけを済ませて、とんぼ帰りである。駅の地下は春の園。花が咲き乱れていた。化学肥料での栄養補給なのだろう。生気がなかった。

 我が家の庭の、クリスマスローズは、大きな蕾を綻ばせている。白、紅、薄桃色、黄緑などが、ちらほらと膨らんできた。あんなに雪が降ったのに、春の足音に反応する。自然の掟は厳しいけど、確実に知らせているんだね。雪の寒さに葉焼けをおこして、赤くなっている。箒で払ってやろうかとも、思ったのだが、これは葉が傷むので止めた。

 図書館で借りた本も読みたいし、片付けもあったりする。掃除は、拭き掃除だけした。出かけて冷えたのか、お腹の調子がいけない。梅の丹を1粒飲む。やはり、人混みのあるところは出られない。目的地までの往復で正解である。寄り道はしないでよかったです。駐車料金も、¥200で済んだ。親切なご隠居さんでした。

 午後からは、勤務に必要な宿題があって、かなり遅れているが、どうしても提出しなければならない。しかしこれが数学ときては、どうにもさっぱり解けないのだ。PCのエクセルを使ってするのも、方法はわかるものの、数字がめまぐるしく回って、動転する。今晩は、これで眠れそうもない。

 本を読んだり、書くことは厭わないが、数字の羅列を見ると、卒倒しそうになる。何故であろう?小学校の3年くらいで躓くらしい。そうだろう・・・。あの時分は、山を庭に駆け回っていた。数字は、時空の彼方にあった。授業は真面目にしていたが、どうにも相性がいけなかった。なかなか打ち解けない間柄である。

 今は、便利なPCが何でも操作一つでしてくれる。ところが、捜査はできても、裏づけがさっぱりなのだ。犯人が捕まらない。これでは、証拠不十分で釈放である。掛け算はどうにかできても、ルートなど、博士に聞いてもさっぱりです。小川洋子は、よくも悪くも、あんな小説が書けたんだ。と妙に感心した。

 桜は未だ、蕾が硬いが、梅の花が咲き始めた。水仙も、ようやく花を見せた。今年の1月7日の月と木星です。

 

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薮入り

2011年02月18日 | Weblog

 今晩は満月。薮入りでもある。昔の人は、休むという事はしないで、日々仕事に励んでいたし、それが当たり前のことであった。旧暦では、日曜も祭日もない。一週間ができたのは、明治になってからか?四季折々の行事があるのも、仕事をしての骨休めも兼ね、そこそこゆとりのある生活であった。

 同時に、仕事に励んでいれば、必ず食べていけた。子どもだって同格。子守やら水汲みやら、年齢にあったことをやっていた。無論、してはいけないこともあり、何故なのかを学んでいただろう。自然の中で、工夫し、どうすればいいのかを知っていったことだろう。山には神が宿り、大地には恵みをもたらせてくれた。

 朝の陽を拝み、宇宙の星を観あげ、風の声を聴き、花木を愛でて、生きていることを感謝して暮していた。それだけに、理不尽な世の中でもあった。士農工商、という差別もあった。現代の暮らしには、神を崇め恐れる気持ちがない。人間が偉い、という思い上がりが、災害を呼び寄せる。国の負債は増えるばかり。

 宮部みゆき氏の『蒲生邸事件』を読んで、心の中で叫んでいる私を見た。誰かのために立てるなら、何処に居たって、いつの時代に居ても何等問題はない。けれども、自分を必要とされ、生きることへの望みがなければ、虚しい。とも、思うよ。枇杷葉による手当てをしていて、助かる命であったかも。と、自分の無力さを思い知る。

 Aさん家の、姫とブラック・ソックスが亡くなった。風邪から肺炎になったのか、日増しに弱っていく体に、言葉もなかった。一縷の望みに、エネルギーを贈ったが・・・。姫は急死。ブラックは、家族に看取られて逝った。とても安らかな死だったそうだ。命の尊さは、人間だけが偉いのではない。ということを目の当たりにした。

 新しい命になって、きっと生まれてくるだろう。何処からともなく、やってきたブラックである。子どもを産んで居ついた。大事にしてもらい、医者にも連れて行ってもらった。猫ではあったが、命を持った者として扱われ、大切にされていた。自分たちのことより、そっちが先で、驚かされていた。淋しくなった。

 リエさんの誕生日に、青い薔薇を贈ろうとしたんだが、やんわり断られた。生花は高いし、もったいないというのだが、この花の持つ魔力に惹かれる。物語の中での青い薔薇は、もっと青い色だ。透き通ったような色であり、深い闇を溶かしたような青色は、私の心を蕩けさす。何だか『ナルニア国物語』のよう。

 寒冷紗を架けた枇杷葉。野鳥がこの中にまで入ってくる。花芽を食べています。

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