枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・七草粥

2020年01月31日 | Weblog
 勤務中に内線で、雹が降っているとのことに、隣の職員が洗濯物を仕舞ってくれる。ライオンでなかったようで、アフリカを身近に感じる。キリマンジャロには雪も降るとか。ジャングル大帝では、レオがおふくろさんに出遭う。アフリカは赤道直下で暑いものと思っていたのが、俄かには信じられなかった。未だに行く気もないが、少年ケニアには心ときめく。

 今朝は、久々の早出勤務だった。明日は、森山良子さんのコンサートがあり、近くなので半勤で帰る予定。気温が気になるところだが、着ていく用意は出来ている。懐炉も貼り付けて行こう。重装備でも痩せている分、絶対に分からないので、重ね着が可能なのだよ。駐車場まで歩いて行くか?それとも車にするかを悩んでいる。風がなければ暖かそうに思える。

 今晩は、旧暦の七草なので粥にしよう。新暦での行事では、余りにも速過ぎて季節感がない。致し方なく遣るのではなく、どういった謂れがあるとか、その祝い事に興味を抱きたい。子どもの頃には然程に思わなかったことも、年齢を重ねてくると懐かしい。祖母の両親の健在時に戻れはしないが、記憶を辿り想いだすのは出来る。彼岸浄土に逝く日も近いかな。

 感染対策を来月一杯はするので、本気で掃除を遣るとしんどい。業務内容に含まれると言うが、早目に行っての掃除にしないと、業務に滞りが生じる。全くしない者も居るし、めんどくさそうに手抜きをしているのも居る。これでは対策にはならないし、また同じことが起きるのは必須だ。冗談ではないのよ。泥棒が入ってから縄を綯うようなもの。後手後手に。

 沢田研二さん。アーティスト、歌手、役者。若い頃の格好良いのは避ける。でも、苦労をされたのも分かる。あんなに浮き沈みの激しい芸能界で、今尚歌っていられるということは、凄い事なんだろう。若い時には、歌唱力よりも見た目優先でもあったように思える。今の、沢田研二さんには角が取れて、声も素晴らしく佳く、聴いていて心が震える。素敵です。

 今年も、コンサートに行くぞ!年金生活になっても、チケット代だけは、例え食費を減らしても作ろう。魂の声が、聴けるのもうれしい。けるDVDもCDも、お気に入りで増やしていきたい。わたくしが死んだら子ども等は捨てるだろうが、遺言を書いておくから。あの世に持って行って聴きたいものですが、未だ逝ったことが余りないので、住まいも決まらず。

 ストーブを点けると、自分の居場所だと言わぬばかりに来る。餌も枇杷葉茶もたっぷりある。えっ抱っこ?
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強風に・・・

2020年01月30日 | Weblog
 風があるので、洗濯物を何杯もして干す。すばるのトイレも換え、暫く掃除機をかけていなかったので、隅っこ迄丁寧にしておく。台所のサランラップが気になり、扉を開けるとゴキブリの糞が…。吊り棚なため重い物は入れられないので、軽い物ばかりだが、こんな所にもゴキブリは居る。掃除も可なりな手抜きで、繁殖したものらしいが。

 図書館に寄り、支払いを済ませ、Aさんちに水を分けて貰いに行く。予定としてはこれだけなので帰宅する。落ち葉を掃き、野鳥にパンを枝に刺しておく。買い過ぎたため、食べ切れないので串刺しを思いついた。明日の朝はさぞや賑やかな事であろう。何時もでも姦しい囀りが、大騒ぎとなるのは必須だ。クリスマスローズが綻んできたよ。

 独り暮らしには、食材が余り困る。明日の弁当を何にするか、頭が痛くなる。少量を多々作ればいいような物だが、食べ切れないで捨てるか、延々と同じ物を食べることに。廃棄するのは最悪のことで、何とか我慢して頂く。考えてみるに実に贅沢なことである。度々作るれば好いのだが、台所に立つにも忍耐がいる。やれやれと簡単に済ます。

 何が好いかと言えば、漬物があれば足りる。それに梅干しがあり、鰹節を加えると豪勢になる。肉も多少は食べるが、毎日は要らない。野菜物と合わせて摂れば、お腹も良くなる。寒中の卵も好いので、目玉焼きかオムレツを作ろう。出汁巻きも美味しい。栄養面も考えない訳ではないが、そんなことをしていたら、却って食べれなくなるのだ。

 明日は、旧暦の七草であるので、お粥にする。小正月には小豆粥であるし、昔の人等は、知恵と節約や倹約で、身体を創っていた物だろう。日常では切り詰めて、何かというとちょっとした贅沢をした。それだからこそ、行事を待つ愉しみがあったものだ。昨今の豊かさと、貧困の差がどうにも理解できない。近くのコンビニ未だ行かずである。

 感染対策も、個人の心得違いで、随分と歪になってしまう。決められたことが守れないなら、決める必要はない。決めた以上は、徹底して遣らねば意味も無いのだ。然し、生活歴と言うのは非常に怖い。躾は家庭でしよう、と言うが、その躾自体の意味も分かっていない。学歴は無関係と思うが、小学生でも書かぬ文章力では情けないことです。

 昨年の冬に一晩降った。朝には溶けてきて、まだらになってしまった。今年は、寒太郎の出番がないか。

 
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雷に暴風雨?

2020年01月29日 | Weblog
 雷は、春雷と言って春の訪れを告げるし、暴風雨に至っては、夏のことであろう。四季が滅茶苦茶で、季節感もへったくれも吹っ飛ぶ。古来雷が鳴る筈もなく、安倍晴明が生きていたら、さぞや慌てふためいたことだろう。天変地異とはこのことかと、否政界の不穏な動きが、天に連動しているのかも知れない。正にそういう雰囲気でもある。

 昨日と変わって、何と言う暖かさであろう。今朝は、水仕事も辛くない気温に、指先が動く。節分も近くなり、立春を迎えるので、自然でもあろうが。先日には、荒神さまでの往復に、梅が開花していた。日溜まりであったのも然りだが、今年の春は身近に感じる。と言うことは、前倒しの傾向になると予測しておきたい。何事にも慌てずで。

 寒中の用事も、庭木に糠を入れたり、塩を混ぜたりとしたので、今年の作出来を頼みにしたい。木村秋則さんちの林檎も、余りにも有名になり過ぎて、ストライキを起こしたものか、昨年は生らなかったそうだ。自然栽培の中には、自然の力のあり方が好く解るので、読んでいて心に落ちる。水分摂取もだが、氷で冷ますのは良くないのです。

 そう言えば、祖母が作っておいてくれた白湯の、寒露で美味しかった味が懐かしい。井戸水は、冬には温かく、夏には冷たいのだ。それを薬缶に容れて、焜炉で沸かす。冷ました物が何故あんなに美味しかったのか?当たり前のようでいて、心の籠った味でもあったのだと、今更ながらに想える。丁寧に時間をかける遣り方が、次第に廃れる。

 寒中に作った枇杷葉茶が、腐りもせず、一年経っても飲めるのは、置き場所にも因ろうが、どうしてかの疑問にも、自然が答えてくれるもの。熱の加減にも縁るかも知れぬが、これ程に不思議なことも無い。数字で弾き出したり、化学的な根拠があるのでもなく、自然の摂理には学ぶところが大きい。添加物も防腐剤も入れてない状態である。

 最近、枇杷葉茶の威力を見せつけられたのは、以前には煙草を吸い、不摂生の生活をしていた方が、顔色も良くなり、素顔でも綺麗に見えてきたこと。顔のくすみが取れ、血色が良くなって来た証だろう。詰りは、血管の掃除を枇杷葉茶がしているので、明らかに正常になったためでもある。半年以上の結果にびっくり。今後は更に脱皮を!

 パソコンを開けると、僕も・・・と足にさばりつく。小さいので登れない。抱っこをせがみ、膝に乗る。
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睦月、三隣亡

2020年01月28日 | Weblog
 仕事であるのに、身体が言うことを利かない。それでも、弁当を作ったり、洗濯をしている内に何とか終える。それにしても、時間が掛かるようになった。これが年齢を重ねて来る、ということにも匹敵するのだ。しなくていいなら、身体も動かなくなるのだ。まあ、自分の事だけでも出来なければ話にもならない。今後はゆっくりとしよう。

 雨で、耳が痒くて困る。天気予報よりも正確で、そういうことには直ぐ反応する。身体の一部が弱いと、何かしらの影響が出て、他の部分が強まって行くのも事実だ。そのことの良し悪しには関係もないのだが、結果として感染していく。病原菌であろうが、心の反応であろうが、伝わることには同じで、空気を媒体とするので注意しよう…
 
 寒いけれども、暖冬の影響であるので、感染力も大きくなる。凍った状態なら、そこまでの威力はないようでも、適温になってしまうと威力を増す。人間の便利さや快適さを、実に嬉しそうにする。潜んで等いないくても、膨大な勢力に育って行くのだ。無論の事、眼には見えないので、気付くこともない。気づかれた時には、手の打ちようも。

 久々の勤務に、身体が慣れた頃には帰宅である。感染のために、ずっとハイター掃除をしているのにも手間に思えるが、保健所からの指導が入れば仕方ない。とは言え、遣っているようでも、形だけのことなら、しないのが好いのにと思う。だからこそ広まったのであって、皆がきちんと意識していればそこまではならない。枇杷葉でガードを。

 マスクも、自分のを持参しての勤務である。普通のだと鼻の皮が剥けるし、頬も腫れてしまう。価格の高いのは炎症を起こさないが、施設で使うのではそこまで言えない。従って、持参品で対処している。マスク本来は厭で、個人的にはしたくはない。呼吸困難に陥るし、耳が痛くなるので付けたくない。マスクはもっと格好良くなくちゃです。

 帰宅すると、一週間一緒に居たのに、今朝はいない飼い主に、ちょっと甘えて来る。服の中に潜り込んで、丸くなっている。部屋中が枇杷葉の香りになって、心地好いのもうれしい限りだ。外は雨でも、安定した気持ちで過せる。暖房が暖か過ぎるが、観葉植物のためにも切れない。春の訪れが速いようだが、梅雨は長引くようだ。卯の花くたし。

 エイトマン。大人の雰囲気を持ち、思慮深くハンサムである。何よりも素敵だった。幸子さんが羨ましく。

 
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雨に手仕事・・・

2020年01月27日 | Weblog
 旧正月をのんびりと過せる幸せには、神さま(天)の御心としか思えない。今年も一年が無事に越せますように、と祈ってしまう。沖縄の辺野古の基地問題、原発再稼働への動きにも、長期政権への驕りにも油断はできない。国民の生活を守ると言うなら、消費税を廃止にして、防衛費を削るべき。次世代への借金の膨らみを何としても停めよう。

 今朝は、昨夜からの雨音に洗濯物は最小限に、掃除も手抜きで済ませるが、枇杷葉の生葉を焼酎に漬けるのだけはしておこう。と鋏を片手に瓶に容れる。エキスが勿体ないので足しておく。2ℓの瓶に30枚を目安に入れる。枇杷葉の大きさは決まっていないが、大人の片手大であれば好い。小さいのは2枚で使えるし、大きければ切ればいいのです。

 剪定をしたのがあって、お茶にするのは充分あり、焼酎に漬けておくのも必要なのだ。荒神さまで駐車場の小父さんにも話したが、硬くてごわごわしたのを採ります。後は、お茶にするので捨てないで。我が家のは、4ℓ用ので沢山入る。然し、作っておかないと使えない。寒中の手仕事も、地方や個人差で様々なことがある。暖冬で雪が雨になる。

 休みであるが、のんびりと言うのも当て嵌まらず、献立表も作成しないといけない。めんどくさい事や手間な事には皆、背中を向ける。誰かがしないといけない訳だが、することが多いのだと文句を言う。パソコンで作成するのも楽しいが、手書きでしている。絵が描けないためで、そこに描くくらいなら出来る。パソコンも、得手不得手がある。

 三が日を餅ばかりでいると、胃がもたれてくる。だが、買っておきながら、黴が生えてくるのを捨てられない。そのまま焼いて頂いている。今朝は、味噌と砂糖と醤油で絡めた。餅も、近年は高くなったものですな。贅沢品になっている傾向。年寄りが独りでは、餅米から買わねばならず、蒸篭を臼も杵もない。おかき屋さんが搗いて売るのねぇ。

 明日から、どうにか勤務に戻る。体力も気力もずんと落ちたが、年金だけでは暮しも間々ならずで、春までは仕事を続けよう。一年、毎日の努力にも、限度が見え始めた。一生懸命に努めても、病気になったのでは何もならない。今回は、感染もならず、インフルでもなかった。ハイター掃除に因って、細胞が壊されてしまった。化学反応は怖い。

 枇杷葉の花芽を挿しているのが、部屋中で香っている。身体が歓んでいるのも感じる。すばるが時々、花芽を齧っているのが可笑しい。枇杷葉茶や千振が好きな猫も変わっているか。厭々、我が家に来る猫は、神の使いなのかもしれません。走るなったら!地震がくるかな?暖冬ではあるが、冬には違いないのです。体調には注意して暮らしてね。

 昨年の暁子さんの花芽です。びっくりするぐらいの大きさでした。大人の片手大の状態に、たまげてしまった。
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荒神さまへ

2020年01月26日 | Weblog
 旧正月の三が日だけが開くので、普段は居ない筈の人でごった還す。鳥居の手前で少し待つくらいで参拝できた。お札とお砂を買えばいいので、そそくさと急ぎ足になる。何時もの小母さんが、駅の近くで屋台を張っている、と聞ききょろきょろ探し見つける。枇杷葉の話をしながら、余り邪魔をするのもと、駐車場の方に移動する。たこ焼きを買い土産に。

 お好み焼きは、丁度昼を回ったので椅子に掛けて食べる。焼きたてなのが美味しい。そうこうしていると、小母さんがやって来る。親子でしているので、話は通じており、多忙な中を行き来できる。通草や刀豆、ドクダミとを渡しておく。家は知っているらしく、枇杷葉が植えてある家、と言われてしまう。気温が上昇して暑く汗ばむ。コートが要らないわ。

 駐車場に着き、そこにいた小父さんに話しかける。強面の者は、敬遠するのか?人の好さそうな小父さん、自分の過去を懺悔する。えっ、そんな話を他人に聞かせてもいいの?若い時には、相当な無茶なことをしていたようで、法螺話に聞いておく。枇杷葉の話をしていたら、違う小父さんの所に連れて行き、実物が好きなんだよ。と演説が長引く有り様に。

 行き来はCDを聴いているので、眠くなることは無いが、ザ・タイガースの時代はよかった。との思いばかりが膨らむ。然し、信号も見なければ、速度も守らねばならずで、周りに充分な注意をしながら帰宅する。その後、庭にお砂を撒き、剪定していた枇杷葉の葉を選んで、箱に入れて部屋に。花芽も別の箱に保管。節分までが超多忙でもある。期日限定。

 すばるが留守番を機嫌よくしていた。トイレを片付け、餌も入れて、お茶も換えていた。新しい事をし始めると、気になるのか落ち着かない。自分の匂いを付けて周る。飼い主が其処に落ち着くと、自分も居て好いと決める。他人が来ると本気で下りろと怒るが、女性には反抗しない。飼い主の言うことは、聴いておく性格でもある。我が家に来て3年目が。

 小さな痩せぽっちの身体であったのが、抱えられない程に成長した。膝に上がれば重たく、腕が痺れてしまう大きさに。悪戯は変わらずするが、何をすれば怒られるかを知っている。廊下を走っていてこける。猫なのかが分からなくなる。外に行きたいのか、どうなのかがはっきりしないが、事故に遇うので行かせない。枇杷葉茶で、病気知らずでもあるよ。

 こんなにも小さかったすばる。首輪も、20cmのがクルクル回る大きさで、今大きくなったのが嘘のようだ。

 
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睦月、朔・大潮・旧正月

2020年01月25日 | Weblog
 朝から散々に悩んでの結果、荒神さまには明日行くことにする。リエさんから、宅配が届いたとの連絡があり、kazu 君の声も聴けて安堵する。ネクタイの彩が気になっていたが、デザインも感性と合ったらしく歓んでもらえた。リエさんにはちょっと早いが誕生日を。スマホを持っているので、同時収納が可能な財布にした。派手と高価な感じが…

 個人的には、ネクタイを贈る等ということが無いので、然も若者に。百貨店で悩んだ甲斐があったものか、気に入ってもらえたのはうれしい。今度、印度に行くからお土産を、と言うkazu 君。無事で往って還って来てくれれば、他には何もないです。出不精のわたくしには夢のような贈り物で、それだけで充分な想いです。何時もありがとう。感謝!

 初期の風邪には罹るかも知れぬが、漢方の処方で片付く。身体が欲する物が治してくれる。薬は副作用が強いので、用心に越したことはなく、滅多に呑まない。疲労困憊している身体には、休養が第一であり、のんびりと過せることが必須条件となる。医者や薬よりも、大切な人に遭えることの方がどんなにか回復する。でも、この世には既に居ないが。

 そんな時にはどうしたらいいのかしら?ワインを静かに呑んで蒲団に潜ろう。夢も視なければ、誰にも遇わない。哀しみから遠ざかるのは、まだまだ時間が掛かる。こんなにも心を占めていたなんて、自分でも気づかなかった。生きている時には、当たり前に想っていたんだものね。久々にジュリー祭りを観る。沢田研二さんの活躍を、応援するばかり。

 今朝は、塩換えの日でもあり、旧暦の元旦にも当たるので、雑煮を頂く。昨夜は蕎麦も茹でた。旧暦での暮らしの中で、困るのは物品が無いと言うこと。加えて、新暦もあるのでややこしい。時代のずれを少なからずも感じてしまう。世の中に遅れているとは思わないが、どうにも違和感が強くなる。考え方にもあるのかと、思考の中断をやってみるが。

 随分と大きくなって来た、りささん枇杷葉。軒下迄伸び、手は既に届かない。花芽も付き結実もした。房州枇杷。

 
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大つごもり・師走

2020年01月24日 | Weblog
 旧暦で大みそかは、三十日であり、掛け取りに慌しい日でもあった。北風の吹く中を、女中や下男は追い立てられ、皹や皸に我慢しながら正月を待った。生活が近代化して、何が変わったのか分からないが、金への意識が薄れ、有り難くも何ともない物になったか。個人的には、やっと正常な暮らしに戻りつつあって、珈琲が飲め出した。本日休業。

 診療所の薬が悪いのではなく、体質的に合わないだけで、数回呑んだだけなのに下痢をする。千振の方がましである。身体に合わない物は、例え薬であろうとも駄目ですな。大寒でもあるので剪定をする。上に伸びていっているのを、数本伐っていく。花芽もたくさん付いていて、花瓶に挿す。たちまち部屋中が、馥郁とした香りに包まれる。感謝!

 昨夜は、四日振りに枇杷湯に浸る。身体が温まるのは勿論だが、垢が出ましたね。塩でも擦ってすっきりしました。そのお陰でもあるのか、今朝は平常に戻っている次第。だが、身体は正直で、動作が怠慢になってしまう。一日々歳を重ねていくのも、これまた自然の営みでもある。Aさんちに水を分けて貰いに行く。用事も済ませ図書館に寄るが。

 返却のみとなってしまう。31日から図書館整理日で長期の閉館となる。まあ、読む本はたっぷりあるので、困ることではないがと帰宅。伐った枇杷葉をお茶にするのもあることだし、明日からの三連休を有効に使おう。段ボール箱は結構あるので、切って乾かそう。誰が何時必要になるとも解からずで、寒中にしておかねば分けられないから備えを。

 化学物質の臭いや人工的な臭いには、反吐が出る思いだが、大多数の者はそっちが好みらしい。枇杷葉には、消臭効果があるので、身体にやさしいのだが、余り目立たないので好まれない。環境にも著しく対処する。光合成を持つ物は、どんな物でも人間にとって害をなさない。臭いが人工的に作られ、多種多様になる程、地球には生き難い環境だが。

 そこで爪を研がない。おかあちゃん、あっちに行ったかな?すばる、何してるの?あっ、見つかっちゃった!

 
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複雑怪奇

2020年01月23日 | Weblog
 漸くの思いで、診療所迄辿り着く。診断は、見立て通りで扁桃腺が腫れていた。そこをDr強く押さえるのに思わず悲鳴を。痛いんですぅ・・・抗生物質やらなんたらを容れた点滴をする。看護師さんの都合上、点滴も速くなる。指先が痺れているよ。薬を貰って会計を済ませ、車に乗って勤務先に連絡する。インフルの疑いは晴れたが、明日も休みにした。

 リエさんに送れてなかった品物を、明日にすることを告げるが、土曜日の方が好く手配する。燃料を補給して帰宅し、ストーブの上に仕掛けていた粥を器に移して頂く。梅干しも入れる。豆腐があったのを、冷奴のまま食べる。無論、生姜は擂っておく。食欲も気力も戻らないが、何分薬を呑まねばならない。刀豆茶も煎じて置いたので、何とか咽喉越しを。

 枇杷葉茶をせっせと飲んでいたのに、ハイターで壊されてしまったのが、何と言っても残念だ。マスクを二重・三重にしていても、過敏症となれば無理だろう。それにしても他の人達は何ともない?しんどい同僚は数人居るが、平気な同僚も居るのに驚く。これも体質のせいかとも思うが、我慢できる範囲を超えているので、身体が悲鳴を上げる。瀕死の…

 地球は、物云わぬだけで、こういった言い知れぬ待遇に甘んじて来た。誰も気づかず、一人として声を上げずで。これは毒であると言った者は掴まり、研究を邪魔され、職を追われ奪われた。田中正造の一生は苦節に満ちたものであったが、足尾銅山の内部を暴き、法の下に正しい判決を導いた。今尚苦しむのは水俣かもしれない。同時に地球も苦しんで。

 諍いで緑は消され、砂漠に刻々と転じていく。自然を破壊し、資源を取り尽くし、原発の力を利用して、気球の物でこの星は壊される。愚かな事は止めてください。自分の事ばかりを言わないでください。話し合いましょう。お互い人間であり、理解できる言葉があるのです。地球が壊れてしまってからでは遅い。自然の力を信じて、小さなことから始め。

 庭中を(猫の額)見て周っているのに、気付かずにいた。カメラを向けると恥ずかしそうに俯いた。

 
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師走、天赦

2020年01月22日 | Weblog
 午前中は熱がぶり返して、すばるを抱きつつ眠るが、洗濯をしていないことに気づき、気力を振り絞って起きる。身体がふらふらしているが、汗で濡れたパジャマも着替える。悪夢ばかり視るので、厭な予感もしてくる。この世に未練がある訳でなく、わたくしの大切な方々は、あちらの世界に居るので、どうでもよくなる。

 地震や津波で、最愛の人を失い、心の襞を埋めれない気持ちが解かる。せんなに容易く行政の言うようにはいかない。何も見ても、何かを聴いても、それらの全てがその日に還る。放心してしまうとは、そういうことにもなろう。誰かのために生きていたいと一途に想えば尚、消失感は否めないもの。哀しみも深まっていく。

 黄泉の縁を流離って、何度も呼んでみたけれど、応えてはくれなかったので、この世に舞い戻ってしまった。正直生きているのが辛いのだ。精一杯の努力をし、懸命に励んでいるから、ぶっ倒れるのを分らない。皆、いい加減に手を抜き、お座成りで済ませている。上司が知らなければそれでいいのだ。罪悪感等存在しない。

 枇杷葉で自分を守っているのを、ハイター掃除をすると壊されるので、倒れてしまった。化学品の中でもきついので、注意しているが、職場ではどうすることもできない。自宅では極力使っていない。体調不良になってみて、つくづく厭な臭いだと感じた。無論、吐き気も催す。慣れるとか、仕方が無いとかは別事情である。

 暁子さんの枇杷葉。初花芽でこんなについたのも珍しい。自宅のお隣から飛んできたように思える。
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