枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

発想の楽しさ

2009年08月27日 | Weblog
 勤務先の高齢者の方と一緒に、近所へ散歩に出た。玄関を出て直ぐ、3人姉弟に会う。小さい子に「いくつ?」と尋ねると、もみじの手をかざして、指を3本立ててくれた。上の子は、幼稚園の年長さん。時計回りに1周しようと思い、その姉弟と分かれて行った。朝の内、雨が降っていたので湿気が多いものの、風ははっきり秋の色である。

 幼稚園と小学校を、両脇に見ながら行くと、小学校の裏手に枇杷の樹が見える。枇杷の樹に断りを言い、5枚ほどを採らせてもらう。その角を曲がると、用水路に鮠が、水面を波立たせているのが見えた。上手に学童の悪餓鬼が居る。その中の数人が網を持ったり、水に入ったりと賑やかだ。監視の大人は、未だ尻の青い連中。

 こういうのを見かけると、ついからかいたくなる。「魚がいるけど取れたの?」「うん11匹ほど取れた」数人居る中の、利かん気の強そうな子が答えた。「今晩のおかずが出来たね」「ええ~!こんなの食べれんよ」口を尖らせて反論した。「あら?ならどんな魚ならいいの」「鯨!!」え。鯨って魚か・・・?と思いながらも「鯨って、川にいるの?」「いない!」「じゃあ、呼んじゃおうか?」「連れて来れるの?」「どうやって連れてくるの?」

 鯨なんて川には呼べない。大きいからだめだよ。入らないよ。と、思いつく限りのことを並べる。小母さんは、しっかり意地悪を言う。そんなんじゃだめだよ。鯨は海に住んでるから、川の水じゃだめなんでしょう。大きいのじゃなくて小さいのを捕まえてくる?海の水は塩水だよ。だからここでは生きられないんだよ。じゃあここの水を塩水にしちゃったら、鯨が住めるね。眼鏡をかけた男の子が、真っ直ぐな目で見て言った。

 私は、空想事でもいいから、じゃあこの網に入れちゃおう。とか、僕の手の中に捕まえてみよう。とか言ってほしかったな。中川利枝子の『くじら雲』ではないけれど、発想の乏しさにがっかりした。魚を採るのも、闇雲に網を水の中で振り回すのではなく、川上と川下に分かれて居て、片方で追い、逃げる方には隠れる場所を作っておかないとだめなんだ。蝉も素手で捕らせてほしい。木の温もりや、自然に触れながら、してはいけないこと。知っていなければならないことを、しっかり覚えて育ってほしい。網でも捕れないのは困り者だが、自分達の地域のありのままの姿を知っておくことも大切だよ。

 採って帰った枇杷の葉を、みんなに見せてお茶で煎じていただく。初めてのことにしては、結構飲んでおられました。麦茶や番茶は、何度もだと、出し殻になっておいしくありませんが、枇杷茶はそういうことがなくて、煎じ方次第では、何度でも同じように飲めますからね。癖が無く無難な味でしたよ。薬缶1杯(1.8ℓ)が、あっという間になくなりました。小学校の枇杷の樹は、10m近い大木です。こんな大木をもったいない。宝のもちぐされ。12月が楽しみです。枇杷茶の用途を知らないからでしょうね。花芽茶がたっくさんできちゃうよ。

 夏の庭です。青紫蘇が、緑の絨毯になっています。そろそろ秋の庭にして、春の準備をしておきましょうか。
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秋の空には

2009年08月25日 | Weblog
 トンボが、すぅ~いすい。と低空飛行している。アキアカネだ。狭い庭だが、オハグロトンボは木々に止まっている。そうかと思えば、かなりの曲芸を際どく見せる。空中とんぼ返り。猛スピードで来て、ピタッと垂直に静止する。極めつけは、まるでダンスを踊っているように、羽と尻尾とで風に揺れている。

 蝶も、揚羽はもとより、黒い羽に美しい模様の、ドレスを纏った貴婦人が、我が家の庭に訪れる。蜜を吸うのが目的だろうが、羽の模様の眩いこと。思わず手を止めて魅入ってしまう。一体何処からやって来るのか?考えるだに摩訶不思議です。

 植物に、農薬や除草剤をしないで、自然農法で育てていかないと、これらは全てが人間に却ってくる。大袈裟に言えば、人類の滅亡。地球の破滅。細かく言えば、生態系を壊し、DNAを作り変え、新たなる植物を作らせてしまう。子孫を残そうとした結果は、生態系の壊滅的な破壊です。地球さんを怒らせてはいけません。人間の排出物にも、何らかの影響があって、徐々にではあるが、作り変えて破滅に導くのだ。皆、心して土と会話しなくてはいけない。水や、草木や花々にも、心があるのだということに、どうか気づいて!!

 人間は、自分たちだけで生きているのでも、地球上に生存しているのでもない。これらのどうということのない、自然に生かされているのです。それを忘れてはならない。命の源には、ありとあらゆる生命体が集まっていて、そこから生まれるべく者に代わって、命を紡いでいくのです。前世・現世・来世は切れることはありません。メビウスの輪です。普通では視えないけども、感じられないけれども、繋がって周っているのです。輪廻転生です。

 死後の話や、霊魂の話をすると、騒がしく喚いたり、怖いわ・・・などと言う人がいるが、何ということはない。皆そうなるのさ。却って、生き続ける事の方が怖い。と思うがなあぁ。霊魂は、先ず恨みだけでは出てこない。自分が死ななければならなかった理由が知りたいだけ。注意1秒、怪我の元。これから事故につながった経緯がわかればいい。そういうのちゃんと調べてくれない。うやむやにする。これが嫌なのね。死んじゃった者、どうでもいい。なんて言うから、それはないよ!と出ざるを得ない。最近千の風になることが多く、住所不定に止む無くなってしまった。

 カーネーションは、5月には咲かない。新暦でなく、旧暦では咲く。初夏から初秋辺りまで、次々に花を咲かせる。
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気配を感じる・・・

2009年08月24日 | Weblog
 人は、臨終に際して、どんな行動をとるのだろう?肉体を離れた心は、想いの残る傍へと往くのだろうか?とても不思議な現象を視たよ。黒い影が、畳の上に映っている。それが歩き回っているのがわかる。歩く度に、其処が凹んだり持ち上がったりするよ。父であろうか?今日、本命日のSさんだろうか?毎月、24日は彼女の命日で、お墓参りを欠かさない。

 平成17年の今日、亡くなったSさん。私は、亡くなったのを知らなかったが、その日から、私が訪ねるまで、毎朝遇いに来てくれた。その間には、五色の虹もはっきり観えたよ。あの光の中に立って居たのも視えたもの。唯、信じたくなかった。きっと何処かに隠れていて、驚かそうとしている。って思えたよ。悪い冗談に違いない。とも思えていた。今は、月命日を欠かさないよう、遇いに行くんだ。

 人と、人との繋がりって、いろんなところで絡んでいるね。この年になって、自分の生き様を思ってみて、せめて悔いないように。と精一杯生きる。生かされていることを感謝する。出遭った人には、ご縁があってと頭を下げ、助けてくれた人には、お陰様で。と手を合わせる。人間は、一人では何一つできない生き物。自分では何一つ作れないのです。他の物にちゃっかり便乗して生きている、ずる賢い生き物なんですね。

 神さまって、どうしてこんな、めんどくさい生き物を創ったんだろう。酸素、水に食べ物。それも、生ではなくて、料理するというシステムまで組み込んで。厄介だなあ。何だか失敗作の連続で、できちゃったような・・・。宮部みゆきの『英雄の書』を思い出す。神の意思による物語。でも、その神さまは、すんごく気紛れだったりして。明日の朝、起きたらば何にもなくなってたりしちゃう。

 暦を見ると、新月からの始まりになっている。午前中に、パンジーの種を蒔いたよ。今まで発芽状況が悪かったり、失敗してばかりだった原因は、満月にあわせてしていなかった。加えて、満潮時に添ってしていなかった。月の満ち欠けや、満干潮に合わせて行っていなかった。挿し木や、植え付けにも多いに影響があるようです。今後は、特に注意しなくては。

 昨年の、10月初旬。枇杷葉の中心の状態です。1cm程の塊が覗いています。でもまだ、これが花芽だとは思えない。況してや、薄茶色の苞にも見えません。
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泣き声でわかる性別

2009年08月23日 | Weblog
 近所に、赤ん坊が生まれて、ビィビィと泣いている。聴くともなしに耳にする声に、『男の子だわ』と思う。威勢がいいというか、張りがあるというのか、音程が少しばかり違う。声だけではわからないようにも感じるが、年齢が耳を肥やしているのか?泣き方でも微妙にわかって、なんだか微笑ましい気分です。

 覚言う私も、新米の時には、どうして泣いているのかわからず、赤ん坊とはこんなにも手がかかる生き物だとうんざりもした。泣きたいのはこっちであった。夜中もおちおち寝られず、乳を与えなければならず、排泄物もそのままにはできない。子育ての時期は、寝るに眠れず、無我夢中で過ごしてきたもの。食事など、何処に入っていったのか見当もつきません。

 現時点で思えば、それなりの時間もあり、数少ない友人や、大勢の知人。その他諸々の人との繋がりが、今の私を生かしてくれている。ありがたいなぁ。仕事上での様々なことには、更なる努力を要しますが、遣り甲斐のある内容に、いろんな角度から試みていくことができます。応用範囲の広さには、可能性が含まれている。一人ひとりの時間は、24時間と決まっているけど、中味を濃くすることは、その人なりの努力次第でもあるのです。きっと私は、108の煩悩をし終えたら、自然淘汰されるのでしょう。視えないけれども、感じてしまうのです。

 Kさんは、あどけない孫を、家の傍で失った。家族が直ぐ傍にいながら、お互いが連れていると思い込んで。次いで、頼りの息子に急死された。今、半身不随の体で、生きていても辛い。と零す。一日も早く死にたい。と泣いていた。心中、察するに余りある・・・。医学が進歩して、長生きが出来るようになったのが、却って仇でもある想い。無念の思いでは死にたくもなかろうが、死ねないのも困る。

 勤務先で、枇杷葉を持って行って、薬缶で沸かして飲んでもらった。淡白な味で臭みも無かったようです。我が家の庭のを持参したので、無農薬の保障つきです。枇杷茶を飲むと、病気知らずになるのは、知る人ぞ知るです。薬効は、各々異なりはしますが、体内の毒素を排出し、殺菌してくれます。重宝な漢方薬です。環境にも大変役に立ち、排水口の臭いやぬめりを取ります。何よりも、二酸化炭素を吸って、新鮮な酸素を供給してくれます。空気の浄化をしてくれるのです。

 グリーンアイス。緑のスプレーバラです。春先から初冬まで咲いてくれます。
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枇杷葉あれこれ

2009年08月22日 | Weblog
 現代農業の7月号に、蜂に刺された時の、応急手当の方法が載っていた。『枇杷の葉の焼酎漬け』として、枇杷葉を細かく刻んで、焼酎に漬ける。とあった。枇杷葉を細かく刻むと、湿布には使えません。また、夏場の枇杷葉は灰汁が大変強いので、できれば12月以降がいいでしょう。夏の葉には、却って被れたりすることもありますので、充分な注意をしてください。どうしても夏の葉でしかしない。と言われるのならば、枇杷葉は冬場の3分の1にしましょう。

 枇杷葉の焼酎漬けは、蜂だけではありません。百足にも効果が大きく、患部に湿布で貼って寝れば、翌朝にはすっかり治っています。医者になぞ行く必要はありません。蚊やダニなどの単なる虫にも、とてもよく効きます。体内に入ろうとする毒素を受け付けず、駆除する働きがあるようです。水虫、田虫にも驚く効果です。

 枇杷葉は、こういった一連の効果に加えて、毒に対する抵抗が最も大きく、従って癌細胞を食べてくれるのです。枇杷茶で飲んで、体内に取り込みます。また、青く硬い枇杷葉を、幹部に貼る温圧療法には、病巣だけでなく、体全体を覆っていきながら、回復させようと全力を注ぎます。つまり集中治療を行なうのです。その効果は天晴れです。但し、他の治療法と汎用するには、大変危険なリスクがありますから、闇雲にはされないのがいいでしょう。

 枇杷葉の効果には、本人の治そうとする気持ちが、とても強く働きます。何もしないでじっとしていては、効き目も何もあったものではないでしょう。どんな生き物にも、自然治癒力があり、それらを促してこそ、効果もあるのですからね。相乗効果がうまく働くことによって、治りもするのです。どんな名医よりも、信じる者であればこそでしょう。

 夏の飲み物と言えば、麦湯と枇杷湯ですが、隔たった考え方になっているようですね。麦湯を飲むのには、脚気の予防というのが伺われます。枇杷茶には、疲労回復、食欲増進、夏バテ予防などの要素が含まれ、暑い夏を乗り切る、庶民の知恵と工夫がありました。何れも、身の回りにある素材を使っての、安価な方法です。近年のような農薬漬けでもなかったようです。麦茶も枇杷茶も無農薬のは、味が格段に違うことを付け加えておきます。

 今年の4月。新芽が芽吹いてきました。太陽の光を浴びて、軟らかな葉が硬く、大きく育っていっていました。
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脱走のサンバ

2009年08月21日 | Weblog
 銀河を風呂場で、洗濯した。ぎゃあぎゃあと必死の抵抗を試みていたが、そこはきれいになりたい誘惑には勝てず、止む無く断念した。泡に埋もれていた体が、湯をかけて出現したら、さっぱりの顔である。バスタオルで丹念に拭き上げてやる。どうにか水滴が滴らなくなったので解放。炬燵に潜って毛づくろいをしている。やれやれと何日かが過ぎた。

 昨日、孫が泊まりに来た。暑いので扇風機をかけ、網戸で涼んでいた。隙を狙って脱走した。しかしものの10分も経たぬ間に発見され、逃亡は庭の隅で終了。出た部屋からは入れず、恰好悪く寝室の方からご帰還。青紫蘇に目立つ体の色が(黒)発見をさせたものである。今日は、おとなしい振りをしている。小さい子は苦手なのね。特にチビ助が。追い掛け回されるのが最も嫌いである。

 お天気が続いてはいるが、湿度が多いので、不快感が大きい。でも、我が家は涼しい方であるよ。網戸の窓を風が抜けていくもの。電気代がちと高いかな?何せ、除湿機がフル回転です。日中のみの使用ですが、これをかけていないと黴が生えてきそうです。え?私はおろか、家が黴に侵略されます。退治するには、納豆がいいようです。はい。なるほど納得します。でも納豆のものっとられそうです。

 枇杷葉に、蟷螂がさばっていました。葉がかじられているからには、食べていろのでしょうね。淡路赤枇杷です。出窓の下にいたのですが、ぐんと背が伸びて、とても大きく育ちました。莫迦息子みたいです。親に上から(頭上)物を言うようですんごく腹が立ちますです。枇杷葉は、花が咲いて実を生らせて、楽しませてくれます。息子は態度がでかいだけです。まあ、孫可愛さに我慢しておるぞ。

 種が落ちて、自然発芽したもの。毎年、交配の変化で色が変わります。このマゼンダ色は、とてもきれいで、目が覚めるようでした。
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徒然に思う

2009年08月20日 | Weblog
 旧暦の夏が終わる頃からの暑さに、行く夏を惜しんでいるような気がします。とは言え、夏が暑くなくては、米が摂れません。日照でも困るのですが、自然界の現象に左右されるのが、農作物でしょう。夏中を、祖母や母は、水汲みに追われ、田畑の作業に精出し、汗びっしょりであった。扇風機もなく、唯団扇のみであった。風呂の残り湯で行水できればましで、2・3日は同じ風呂を立てていた。

 井戸水は、飲み水であり、毎晩風呂には入れられない。遠くの清水の湧き出る場所に、桶を担いで行き、水を汲んでは往復する。母の仕事を手伝おうとしたが、担うことも片手で提げての道中も、容易いものではなかった。汚れた風呂には嫌気が差すが、入らないとよけいに気分が滅入った。思い出すのが枇杷葉で、祖母は湯船に入れていた。汗疹も治せる。と数枚浮かんでいた。

 祖母のしてくれていたことを、思い出してしているのは、恐らく兄妹では私だけであろう。お金を出せば、快適な生活ができ、ちょっとしたことに病院で薬をもらう。人間は、いや生き物には、自然治癒力があるのだもの。それをうまく使っての治療の方がどんなに安全なことかしら?考え方や、生き方や、その他の柵でままならぬこともあろうが、身体を薬漬けにするのは嫌だなぁ。

 今年の夏は、猛暑でも酷暑でもなく、冷夏だったからかもしれないが、梅を漬けたジュース、冷たい物を食べない、枇杷茶を飲む。ことで乗り切った。夏バテとは無縁でいられた。ありがたいことです。仕事場でも、極力冷たい物は避け、他の人が、何と言おうと温かい飲み物に徹した。腹巻も外さなかった。若い時の身体にはなれないのと、調子を崩したら復旧作業に手間取る。

 節分の日の、枇杷苗。前年の8月に発芽して、約半年の苗である。
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ある種の危惧

2009年08月19日 | Weblog
 今日は、久しぶりに定時で帰宅する。3ヶ月近く残業ばかりで、心身ともにヘロヘロであったから、多いに深呼吸したよ。明日は、夕方に孫たちを迎えに行って、我が家でお泊り。さあ、何を作ろうかしら?毎月の恒例の、企画です。

 仕事場のBさんは男性ですが、とても優しい人で、皆の人気度は、150%くらいかなあぁ?何より一生懸命で、何事にも素早く応じていくのです。優しさにも間々あるが、動作がついて行っているのが自然なの。よく言えば真面目。悪く言えば頑固みたい。諍いを好まないけれども、それとなく自分を持っていて、さりげなく、やんわりと主張する。回りが女性ばかりなので、決して逆らわない姿勢を保つ。威張らない。というのが好感度を上げている。

 Bさんは、背が高いし、面差しが柔和です。はにかんだ顔に白い歯が素敵なのです。加えて童顔です。私は、もっぱらちょっかいをかけたり、ジョークを連発するのですが、一向に反応がない。今日も、何の日か当ててね。と謎かけをした。??首を傾げるばかりのBさん。俳句の日が何とも出てこなかった。ジョークというより、駄洒落の連発小母さんに、焦りまくっていました。

 宮城谷昌光の『天空の舟』を読み返している。何回読んでも発見がある。というより新たな事柄に遭遇して、はっとなることが多い。歴史物では、平岩弓枝や井上靖に凝っていた。(人物像に興味がある)。松本清張や宮部みゆきも、語り口がいいのね。おっと脱線してるよ。天空の舟の中に、自然界の現象を、読み解くことができれば王になれる。とあった。ああ、そうなんだ。宇宙の原理を知れば、己の小ささがわかり、自然を畏れ、敬う心が視えないものを見せるのだ。

 SFは、サイエンス・フィクション。と呼ばれる所以。でも、決して絵空事ではない。物理、科学の基本を踏まえて、書かれている読み物なのだ。人間の心理描写の巧みさに加えて、機械の行動を設置している。これら相互の絡み合いが話の中心。話の結末は、リアルでシリアス。相手が機械だと言うことも忘れて、心がじんわりしちゃいます。アシモフの『ロビィ』、何回読んでも胸にざわめきが起きる。

 携帯変えました。初歩の説明をしてくれました。さて、電話をかけよう。???ははは・・・!!操作方法がわからない。慌てて息子の家に行き、嫁に教えてもらいました。番号そのままでの機種変更です。それにしても高い。機能が増えても使いこなせない。便利なのか、不便なのか???

 夏に買った、カラジューム。どでかい葉に成長しています。
 
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さらば夏よ!

2009年08月18日 | Weblog
 旧暦での夏は今日までで、明日は立秋です。夜空の美しさが増していくのは、明日くらいからです。やはり大気が澄んでくると、星の数も違ってきます。今月の26日が、七夕祭り。胎内星祭りがあります。宮沢賢治の、故郷では一層賑やかなことでしょうね。銀河鉄道の乗車券が、手に入りましたか?今年は、何人が乗っていくのでしょうか。

 蛍が、ふんわりと遊泳するように、山に向かっています。近年は、土葬がなくなりましたから、人魂が飛ぶことは稀なことです。でも、生前に深い想いが残っていれば、自ずと現れてくるのですね。生き様にも縁ると思えます。落語では、『うらめしや・・』と現れなくなったので、幽霊に訊ねてみたところが、夜が怖い~。と言われたとかありました。

 男女平等と、自分の得意分野の違いはどうであろう。家事や育児が得意な男性にとっては、女性の手元を見ているより、台所に立ってしまう人もいよう。家で、家事が苦手な人が、仕事場で炊事をやらかすと、波乱万丈になって収集がつかない。とにかくゴミが多い。辺り一面水浸し。それを見ながら唖然としてしまう。

 先日も、食器乾燥機の排水管が、ちゃんと伸びていないまま、洗った食器を入れていき、あわや大洪水となるところ。茶碗を(食器)洗っているが、手つきだけなので、ぬるぬるである。そのまま乾燥機に入れる!乾燥すればいいってもんじゃない。もお、卒倒しそうだわ。で、これにお茶をだばだば入れて、飲めってか!!勘弁してくれよぉ。何も、洗剤の中に漬け込んでおけ、とか言いません。磨き粉でもいいし、炭灰でもかまいません。食器の汚れを取ってよね。

 地球の環境は、まったくもって考えていません。漂白剤を使えばいいらしい。私はそういった化学洗剤は苦手です。食器のそういう臭いが、とても気になってしまいます。排水口には、ぬめりがどろどろです。これは、重曹とお酢で綺麗になります。時間があれば、小まめに手をかけてしましょう。そういった一連の流れがわかってなくて、そこら中が水浸しなのです。水が蛇口を捻れば出る。と思っている。

 実のところ、掃除も洗濯も嫌いです。況して料理など、得意からは宇宙並みに、かけ離れています。でも、自分の好みにはできます。野菜屑を出さない工夫。煮えにくい物からの調理。油物を拭き取っての洗い物。汚れ順位の区別。苦手で嫌いな者が、するからにはきっちりやりたい、段取り方法なのです。

 我が家の庭中が、青紫蘇の海です。見る度に、抜こうかなあ・・・。と思いつつそのままでいる。昨年までは、めちゃくちゃ草を抜いて、完璧綺麗な庭にしていたのです。花芽を随分と食べられました。ところが、青紫蘇にぶら下がって、花芽はちゃんとあるのです。

 花芽。50cm角四方もあれば、その芳香は素晴らしいものです。お茶で飲めば、脱臭効果がありますが、アロマで嗅ぐのには、そこまではありません。皮膚に触れた状態になれば、また違います。乾燥させたり、香油に浸したり、用途はこの限りではありませんです。保存方法は、冷凍庫でしましょう。
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小説は奇なり

2009年08月17日 | Weblog
 一日の勤務が終わり、帰宅して、先ずするのが花木の世話。水遣りである。TVでもいっていたが、庭中での緑のカーテンは、本当に涼しい。今夏、扇風機を使ったのは、孫が来ていた日で、それも限度を越えた暑さだったから。下の孫の方が、汗びっしょりで、止む無く出してしまった。体温が高いのと、自分で調整が出来にくいことでもあり、見ていて可哀相になったもの。

 私は、枇杷茶を飲みだして、丸3年目になります。少しは抗体ができたようです。今回、わかったこととして。夏の枇杷葉は、お茶で煎じないこと。焼酎に漬けても、飲酒や湿布には使わないことでしょう。かなりな被れができます。痒みも伴われてきて、なかなか治りません。これは枇杷葉が、季節の内で特に夏には、変動している証拠かもしれません。どの季節も、欠かすことのできない、とても大切な四季ですが、6・7・8月は不安定でもあるのです。こういった時の枇杷葉の葉は、用いないのがよいでしょう。

 アレルギー反応は、誰でもが持っているのですが、特記事項が反覆しあわないと出てこない。その最もたるのが、アトピー性皮膚炎でしょう。女性の場合、化粧品が肌に合わない。というのは、心底辛いものです。私も、一時期、顔の半分がお岩さんのようになりました。原因は、草取りでの、汗と草が反応して、出たものでした。当時は、子どもが小さかったので、参観日も行かなければ成らず、困ってしまいました。

 随分迷ったのですが、ドクダミ茶を飲みました。鉈豆を苗から育てて、鞘を食べました。それでも基本的な痒さが消えず、たどり着いたのが、枇杷茶です。祖母や母がして、伯母から聴いたことにもよります。こういったやり方は、個人差が大きいので、興味本位にはしないのがいいでしょう。根気とやる気がなかったら、続けられるものではありません。

 枇杷ローション作りは、簡単にできます。枇杷茶を沸かして、グリセリンと混ぜるだけです。ポイントとして、カルキ臭さがないこと。弱火で煎じること。使い切ってから次を作ることです。常温で放置しないこと。同時に冷蔵庫を過信しないことでもあります。界面活性剤も、防腐剤も入っていません。シンプルでいて、肌のためにはとてもいい化粧水ですよ。

 枇杷葉ローションは容器にいれる時、注意しておくことがあります。焼酎で容器を漱ぐことです。決して水洗いをしない!煮沸消毒も、余り意味がないです。焼酎は、容器の目詰まりを防ぎ、殺菌をもします。

 余談ですが、平成天皇のお后である、美智子皇后。カナダ訪問の際、子ども達に子守唄を歌われていました。なんと!!『ゆりかごの歌』です。♪ゆりかごのうえに、びわのみがゆれるよ。ねんねこねんねこ、ねんねこよ~。そう歌われておいででした。皇后さまは、民間療法の枇杷葉を、きっとご存知ではないのかしら?そんな想いが、胸を過りました。枇杷葉を広めたのは、光明皇后なのですから。

 川の源流。ここには水神さまである、白龍が住んで居る気配がしました。とうとうと流れてくる、水の様には、一種の神秘さがありました。
 
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