枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月二十三日・小潮

2018年10月31日 | Weblog

 昨夜は、夕方には気温が下がってきて、羽織物だけでは寒くなった。ストーブを点け、大根を煮付けるのに都合が好い。パソコンの部屋には、暖房器具があるが、昼間に干した毛布が温かい。すばると一緒に包まって、うとうととしていた。沢田研二さんの声を聴きながら。シアターは独りがいい。

 枇杷葉の花が、夕方の気配に香りだす。何とも馥郁とした匂いに酔いしれる。身体の健康のリズムには、自然のもたらしてくれる匂いがいいのだ。人工的な香りが悪いとは言わないが、どうにもきつく鬱陶しい。どんなに人柄がよくても、この臭いに閉口してしまう。付けている本人は気づかないが。

 強烈な場合には、すれ違っただけで発疹が出る。季節の風が運ぶ、当たり前の香りに慣れていると、息が出来なくなってしまう。徳江さんが、小豆の声に耳を澄ませたり、木々の揺れる様に返事をする場面に、共感してしまうのは、それが極当たり前の、わたくしの日常だからだ。心で感じて視るの。

 木村秋則さんが、林檎に声を掛けるのも、自然の掟に合っているのだろう。枇杷葉にも同じなことが言える。今年、苞の膨らまないのが、1本ある。昨年は初生りで、結実もし、収穫したのが見えないのだ。心得違いを明らかにされたことが、自然からの掟に背いたことを教える。祈りも感謝も謙虚。

 寒いと、足元が冷えて来るので、入浴した時には、塩でしっかり擦ろう。土踏まずを丁寧に揉みしだくと、ぽかぽかとしてくる。小さめの束子で擦るのもいいが、慣れないとくすぐったいし痛い。蒟蒻を温めて当てるのもいい。寝ていて蹴っ飛ばすので注意しよう。湯たんぽを入れて眠る季節になる。

 テレビを観ないでいるので、世間の噂はさっぱりだ。毎朝配って来る新聞が頼りの日々である。新聞は、活字が印刷されているのと、後の活用方法もあるし、思った時に読めれる特権もある。従って、スマホにはしないでいる。ガラケーの新機種が出たとかで、そっちにする心算だが中々行けないな。

 電話は、固定があればいいと思っている。これは留守電にしていて、滅多に出ないので、勧誘や詐欺には遇わない。尤も、掛かってくれば、相手が窮地に陥る。そういう状態を知らないから、掛けて来た方には、都合よく思えるらしい。こちらは気の毒の感ばかり。迷路に入ったら出られないでしょう。

 手紙か葉書なら、配達してくれるので、不在でも可能だが、何せ日数が掛かる。それを承知で、便りをくださる有り難い方もいて、恐縮する次第。今年は、年賀状を書かないことにしたので、更に音信不通になることと。このブログを訪れてくれていれば、事情を察してくれるであろうが、それが困難。

 実家の周りには、たくさん生えていた。持って帰って植えたが消えた。それがひよっこり生えて。

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桜が咲いてはいるが・・・

2018年10月30日 | Weblog

 彼岸桜が咲いており、暖かさに季節を忘れる陽気だ。本日も、風はあるものの、晴天に蒲団を干す。午後になって仕舞い終え、すばるを探すが姿は見えない。小さく呼ぶと押し入れから出て来る。其処に居たのか・・・ふかふかの蒲団は、さぞや気持ちよかろうと苦笑いする。どうやら眠っていた。

 片付けが済んで、灯油を買いに行く。運転中に携帯が鳴り、着信相手で出る。暇なのでこれから行ってもいい?と言う。時間を約束して、灯油を買って落ち合う。その後、我が家にて珈琲を挽いて淹れ、お八つを摘み、あん の上映会をする。本を読んでほしいのだが、漢字が難しいとの返事をする。

 身体の冷えが治らない、と言うのに、手当てをしておく。肩も腕も冷たいのが、触っていくとほんわか温かくなる。枇杷葉エキスで、更に軟らかくし、腰に手を当てて終了する。足の裏にも、枇杷葉の生葉を入れて、身体の冷えが消えるようにする。枇杷葉の生葉は、当てる時に冷たいが、温かいの。

 時間にすれば4時間程だが、来た者を直ぐに追い返すことも出来ない。明日は勤務なので、今日中にしておきたいことも有った。然しながら、頼って来る者を、すげなくもできない。尤も、あん を観てほしかったので、丁度よかった。樹木希林さんの自然体には、わたくしたちの想い以上の心が宿る。 

 ジュリーマニアに変えて観る。ブログの更新は、新しいのでやっており、以前のはDVDやCDを、観たり聴いたりしている。写真の取り込みも出来るし、エクセルもワードも使えるが、ネットに繫げていないので、色々と考えてやっている。人間、頭を使っていないと更に惚ける。細胞の削減に苦心。

 枇杷葉を見回り、初生りの多さにびっくりする。昨年は咲いて結実したのが、今年は付いていなかったりで、原因ははっきりしないが、じっと眺めていた。育っていて3年目に枯れたのが、今年は鈴生りになっている。枇杷葉の不思議さ、神秘さに驚くばかりだ。北東に中る長崎茂木に、たくさんの苞が。

 未だはしりでもあるので、この後次第に開花するのだが、立春を過ぎた頃になるのも珍しくない。白枇杷がそうであり、かと言って結実しないのでもない。枇杷葉の不思議な力・パワーでもある。焼酎にもたくさん漬けておく。毎日のことなので、これがないと仕事が出来ないからだ。感謝に尽きるのだ。

 すばるは、客人が居なくなって、静かになった途端、何処からか出て来た。一日暖かったので機嫌がよい。ジュリーの歌声を聴きながら眠っている。留守番もちゃんと出来る。トイレは無論の事だが、ちょっと悪戯が少なくなった。閉じ込めておくのが心苦しいのだが、病気にも野良猫にも注意している。

 今は模様替えしたので。以前の様子です。趣味の範囲が無限であるが、中学生の頃に夢中になった。

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予感・・・

2018年10月29日 | Weblog

 あんを観た。仙太郎とわかなが、徳江の住む所を訪れ、もてなされた時に、ぜんざいを食べながら泣きそうな顔になった。美味しい時には笑うのよ。あの場面には、ハンセン病の方への無理解と、偏見と無慈悲があるのを感じ、わたくしもまた、心の底では、差別をしてきたのだと知った。

 小豆を育て、収穫し、売り物にするまでの、お百姓の苦労に思い遣る。貧乏であったから、それを出荷するまでの、祖母の努力は見ているが、手伝いに文句ばかり言っていた。その小豆を、これほどまでに慈しみ、心をかけてあんにする、徳江の行動にさざ波が立った。風に雨に聴いては。

 戴きます ご馳走さま には、心の籠った感謝があるが、言わなければとか、マナーであるとかでの言葉ではないのかも。自分では出来ないことを、誰かがしてくれる、そのことへの想いで言えれば、と心に沁みた。監督の腕もあるのだろうが、樹木希林さんの演技には、誤魔化しがない。

 今朝の新聞の、女の気持ち特集に、沢田研二さんの往年のファンの方が載っていた。今回の騒動を受けての掲載かも、と思いながら読んだ。人気のある者には、やっかみも中傷もある。でも、沢田研二さんは彼だけで、他の誰でもない。ファンというにはおこがましい者だが、それも含めて。

 ここに書くことでしかしないのは、以前、地元の新聞によく載せてもらって、名前が知れると、必ず注目され、何であんなことを書くのか、とまで言われ傷ついた。文字は残るのであって、言うには残らないからだそう。違うなぁ・・・そっちの方が余計に傷つくのに、そのことへの配慮なし。

 自分のブログでありながら、名前を書かないのも、制約をしているのも、実名が解れば酷いことになるのが明白だ。但し、ここに書いているのを、知っている方も多少は居る。職場でも、何処からか漏れてしまい、内容を削除させられた。一時期怒りに途切れていた。莫迦を相手には出来ない。

 雲があるものの、天気に蒲団を干し、枇杷葉の生葉を採る。葉裏に卵が産み付けられていたり、傷んだ葉を取り除ける。今年は花芽が凄い。初生りの木にも群れていて愉しみだ。西側のと北のは、花芽茶専用に決める。毎年のことだが、枇杷葉茶のお陰で身体がよろこび、生かしてもらうのだ。

 パソコンの横の下で、隙を伺っているすばる。この上にはプリンターが置いてあるが、人形も居て。

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介護フェスタに

2018年10月28日 | Weblog

 介護フェスタの前日には、トイレ掃除と、電磁器の回りを丁寧に行う。取り外しができるだの、なんたらかんたらと言うばかりで、一向に進まない。他人のしていることへの注文は言えるが、ではしたらいいではないか。遣れよ。掃除のノウハウも知らぬのがごちゃごちゃと煩いばかり。

 さて、日が変わって当日。見守りの大変さを知っているので、食事を担当したが、これにも口を挟む。器具を持たして、出来ることもあれば、危険が伴うこともある。見守りはしないなら、こちらに押し付けないで。毎年、そういうことばかりするから出勤を控えていた。してください。

 食事作りの見守りをするくらいなら、自分の裁量で遣って欲しい。言うは易く行いは難しで、そのしんどさがあるから遠慮している。職員の協力も、裏方で支えてこそ可能だ。高々4時間の勤務だが、途中でしんどくなってしまった。このざわつきや、人混みが厭さに休む。普段で幻滅。

 じゃが芋の種類も分からず、野菜の分量も適当で、加減して作ったが余る。もったいないが捨ててしまう。これが自分での判断なら、見当がついて遣り易い。野菜の鮮度もあるので、皮を剥けば使うしかない。皮を剥かずにすれば、身体への免疫や抗体を作ってくれて、風邪も引き難い。

 塵を出さない工夫と、片付けの手間を考えて、時間の遣り繰りができるというものだが、何で皮を剥くのかとも思う。環境を破壊してからでは遅い。ストローも、塵袋も微小プラは、空や海に散らかるのだ。結果、人間への影響が大きいし、地球を壊しているのは事実だ。気づきが遅い。

 帰宅して駐車場の枇杷葉に安堵する。苞が綻んで来ており、匂いが素晴らしい。白い花びらの何と可憐さか。今年は暖かなので、開花が愉しみでもある。傷んだ葉を外していたら、痛みが走った。枇杷葉と同じ色の毛虫が居る。枇杷葉の葉を漬けてあるのを塗ったら、直ぐに痛みが止まる。

 あん。DVDがポストに投函されていた。ドリアン助川さんの原作は読んだので、樹木希林さんの演技を観よう。河瀬直美監督の撮り方にも、すこぶる興味が。人は皆他人に対して、差別意識を持っている。と思う。でも、相手への感じ方で、通じ方で多少は違う気もする。心は視えない。

 庭の花。この時期に必ず咲くので、亡くなった者を偲んでいるのか、と毎年両親を祖母を想う。

 

 

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読書週間

2018年10月27日 | Weblog

 最近の傾向では、スマホ片手が多いので、活字を読まないらしい。従って、長文を読むのは元より、書くことさえ困難なことになっているそうだ。詰りは、喋る内容にも障りがある。子どもに本を読まそうとしつつ、言う方の大人が読まないし、平気でそのことを自慢する。華氏451℃になる。

 今朝の新聞を眺めていたら、沢田研二さんのファンが、責めないでと投書していて、その通りだと思える。被災地での開催時に、こんな空席があって、歌ってくれるのだろうか?と感じた。幕が上がって、詫びておられたが、前日からの待機では、中止に出来ないのもあったのだろう、と思う。

 個人的には、この観客では、さぞ歌い難かったのでは、と案じた者です。曲目は、その殆どが、わたくしの好きな曲であり、これまでのステージとは違った演奏に、耳を傾けられたのはうれしい。タイガース時代からのファンではなく、つい最近のなり立てなので、DVDを買って観て来たもの。

 政治の世界には皆無だが、庶民のことを先ずは考えての瀬策ではない。ということぐらいは判る。自分のしたい放題で、批判さえも無視しての横暴さであるのだ。沖縄の辺野古への移設以前に、沖縄の基地の撤退と、土地自体を返そう。沖縄の人等の物を騙して取り上げ、政府がいちゃもん付け。

 辺野古以外にはない。って、一体誰に言っているのか?他人さまの物を、私物化しての発言ではないか。莫迦にしきった態度に腹が立つ。憲法を、六法を変えればいいという問題でもないのだ。沖縄は、沖縄の人等の住む場所であって、それ以外でも何でもない。政府の介入の仕方は可笑しい。

 伊方原発を再稼働させるようだ。桜島や阿蘇山が、今直ぐにも活動するのでもないからだ、とあったが、それが解れば稼働させないのか?廃炉にするべくには、金もかかり、なら今の内にという魂胆がみえる。地震が起き、津波が押し寄せて来た時点では、どういった釈明をするのか。言い逃れ。

 人間の就労年数を延ばし、ロボットに仕事をさせ、外国人を雇い入れる。日本人の貴重な人材を遊ばせ、施設に放り込んで、認知を増やす。本人の生きがいどころか、生きる権利させ奪う政策に呆れる。外国への支援ばかりで、肝心の本家本元の労りがない。人間の心を持たない機械がうろうろ。

 いせひでこ展に通っていて、壁に貼ってあったポスターに眼がいった。チケットは売り切れであった。

 

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廃炉に・・・

2018年10月26日 | Weblog

 廃炉にする決定がなされても、更に耐久年数を延ばし、加えて再稼働する電力会社。電力の無駄使いをさせ、真夜中も消耗させる。電力は余っていることを隠し、庶民にどうにかして使わせようとする魂胆。時代が変わったというが、変えて行くのであって、地球そのものの意志ではない。

 月を眺め、陽射しに感謝し、風に雨に恵みを賜り、日々の暮らしをしていく。田畑があるとは限らないので、食生活の全ては賄えない。それでも贅沢を慎み、晴耕雨読をしていれば、これ以上の幸せもない。何かに頼ることは極力控えたいが、水だけは命に直結するので困る。天気に感謝。

 庭の枇杷葉を見て回る。枝が重なってきているのを、ちょっと括っておく。紙の紐なので、雨に濡れれば切れるのは承知。まあ当分は持つだろう。クリスマスローズの苗が勢いを増し、蕾の出かかっているのが見えた。すばるは、陽だまりで毛繕いをし、ごろごろとのたうつ。蒲団干しを。

 片付けをしなければ、と布団カバーや敷物の入れ替えをする。座布団も冬支度。気温は暖かであり難い。休日の日には、雨ならば読書だが、天気だと用事も多くなるのだ。冬支度は秋の頃にしたい。掃除も少々遣りたい。雑巾を使っての掃除には、細かい箇所への行き届きもあり綺麗になる。

 落合恵子著 ザ・レイプ 読んでいて深く考えてしまう。これは人間の人権も含んでいて、主人公の意志の変化に、心が揺さぶられた。映画は観ていなくて、話題だけが一人歩きしていた感があり、原作を読む気にならなかった。自分の生き方を還りみた時点で、読んでみる気になったもの。

 差別も、虐めも、当人にしか分からないことがある。教師や親にさえ、死んでからなら何と言えることがある。他人に何が解るんだ。身体は何処も変わらないが、心の細部に至れば、どんな棘や裂け目があっても、写ってはこない。どんなに謝っても、詫びても元には還らない。それが人間。

 物事の基準自体が違う。裁判長の男性陣に何が解る?弁護士の男に。暴かれたことは事実かも知れないが、それは人間としての尊厳ではない。下等な生き物としての、女への侮蔑だ。ひたすらに自分に正直にしている者への、妬みと嫉みだ。現実社会にある、男性中心の仕組みに腹立たしい。

 知人が、廃品回収に協力して、と言うので取りに来てもらう。新聞も、段ボールもまとめて渡す。前回の時よりも少ないが、それでも結構な分量だ。職場では仲良くしていると、陰口をたたかれるので、話さないようにしている。他人のことには目を皿にして喋る。そんなことよりも仕事を。

 おいで。と呼んだら、今は気分ではなかったようで、拗ねてしまった。すばるにも都合がある。

 

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無関心であること、望・大潮

2018年10月25日 | Weblog

 研修で、災害地への支援に、子ども達にへ本を送ってほしい。と話されていた。直ぐに帰宅して本を選び、まとめていたが一向に何も言われない。主体となって実行すべき人間も決まっているのに、況してやその場での声掛けをしているのに。既に1ヶ月以上が過ぎた。呆れてしまった。

 見えない物を視たり、聞こえないものを聴いたりできれば、多少は書籍の大切さを感じるのだが、心を亡くしていると、本の大切さが解らない。華氏451℃を、読めとは云わぬが、大きな隔たりを痛感した次第。話にならない、開いた口が塞がらない。こういう社会では、人間性は皆無。

 他人の事どころではない。自分の息子にしても、そういったことは出来ていない。間違いに気づけばいいが、相手の方が可笑しいとほざく。何度頭をぶつけても、自分が正しいと譲らない。言葉を尽くしても甲斐がない。喋るのが莫迦らしい。例えていえば、時代が古い、今は新しいと。

 まあ、時代錯誤になるのかも知れぬ。そういった時期もあったからだが、話を聴こうとする態度がみえない。乏しい言葉しか出ない。今が楽しく、面白可笑しくあればいいのだろう。命が、何処から来て、存在しているかを知ろうとしない。我が子ながら、言葉を失うばかりで呆れるね。

 新聞連載の文章にも、江戸時代に使われていたとは思えぬ表記があった。宮部みゆきさん、ファンの心を裏切らないでください。新聞社の意向か、編集者の独断かはぞんじませんが、言葉は簡単で難しいです。その時代での庶民の言葉がないと、空々しくて愕然とします。読者に媚びない。

 駐車場の北側の枇杷葉が、今年初めて苞を付けてきたと思っていたら、これが一番に咲き始めた。何とも芳しい匂いに、心が洗われ満たされていく。年末から歳を新たにして、花芽茶にする心算だが、これでお茶にすると、実に至福な時が訪れる。お茶を淹れて口に運ぶ度に、幸せを感謝。

 激務を終えて帰宅し、道路の落ち葉を掃き集める。銀杏の葉は、油があって滑るらしい。何の木かは知らぬが、風が吹けば枯葉が落ちる。自然の肥やしに出来るので、掃き溜めておく。枇杷葉は常緑樹なので、緑の葉を繁らせている。少しづつ、色づき始めたブルーベリー、山茶花が綻ぶ。

 昨年の夏休み中、知人の子等を連れて行きたかったが、関心の無さにがっかり。一人で何度も通う。

 

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視えないのか・・・

2018年10月24日 | Weblog

 沢田研二さんが、コンサートを急遽中止にしたとの報道に、俄かファンとしては、折角会場まで行った方が気の毒には思った。今年は、東京での時点で、コンサートの内容が明らかになり、次の開催地では、被害が著しくなって、会場はまばらであった。幸いにも、開催されるというので出掛けた。

 交通機関は動いておらず、仕方なく車で往復した。何とか無事に辿り着き、会場に向かったが、広い会場は空席が目立つ。2階席で、死角になる場所だったが、チケット通りに座った。ところが、1階席の中央部が抜けており、誰も座らない。そういった場合に、即断で移動させたりは無理なのか。

 個人的には、遠くまでの会場に足を運ぶ気持ちは無い。然し、沢田研二さんの歌を聴きたいのであって、他の事には煩わしさがある。それにこちらが決めてしまえるものでもない。年齢も古稀を超えれば、好きなようにしたらいいのに。という想いも深い。人気があるから、叩かれるんだろうなぁ。

 読書週間が始まる。図書館に出向いたので、是非 あん を薦めてほしい由伝える。これは、小学校高学年から読める。加えて、この本をきっかけに、ハンセン病のことも知ってほしい。差別を先んじて、国が行った責任は大きい。隔離さえすれば、死んでしまおうが、どうなろうとも知らぬ顔で。

 地球は、あらゆる生命体で成り立っている。それらが徐々に欠けたり、消えていくことに因って、滅びへの道を進むのは、これもまた自然でもある。それを、人類の選択で決めてしまうものではない。大国の横暴さでもある。核兵器を開発して、機械と武器が人類を滅ぼす。温かな血は通わないのだ。

 豊かさの先には、人類の平和と安全と、よろこびがあるのを、アメリカの一存で奪っていいのか?大統領なら、何を言っても、遣っても構わないのか?歴代の大統領の中では最悪である。アメリカは、現住民族を殺し、移住してきた寄せ集めでは無いか。日本も、沖縄もアイヌ民族も追い払っている。

 沖縄の土地を元に返すどころか、更なる不条理を突き付けて行く。これほどの人間への差別があろうか。辺野古に基地を造るなど、その前にこれまでの経過を詫び、基地を撤退するのが最善策だ。人間の心を持っているなら、平等であり、平和に暮らすなら、何をすべきか判断されたい。嘘ばっかりだ。

 毛づくろいをしている。そろそろ4ヶ月が過ぎる。自分の居場所と諦めたのか、外の景色も気になる。

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霜降、長月・大潮

2018年10月23日 | Weblog

 二十四節気 霜降 陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は、黄変する意味で、霜降と言う。毎年、十月二十三日頃である。昨日とは打って変わって、雲行きの怪しい天気。洗濯物を躊躇していたら、音もなく落ちて来た。図書館に返却に行き、頼んでおいた書籍を受け取る。某新聞の書評欄参考。

 青空市まで上がり、胡桃を買って、野菜も詰めて、リエさんに送る。泊めてもらうお礼が、余り出来ていなくて心苦しいので、珍しくもないだろうが、と旬の物を入れた。自分のも弁当を作るので、野菜が重宝である。試食の役目は知人だが、文句を言うことなく食べてくれる。さて明日は何を・・・

 今晩は、唐揚げを予定しており、昨晩に漬けこんでいる。材料も調味料も、光熱費も莫迦にならない。解凍したり、凍結させたりが面倒なので分ける。知人はほくほく顔で取りに来る。ロイズのポテトチップが、大きさが半分になって、価格が3割増しになった。分量はこれ位がいいが、値段は高いな。

 以前には、職場でのまとめ買いをしていたが、結構謀殺されるので止めた。送料もかからず、個数での注文が一番だ。これからの暮しを考えると、贅沢は敵であるので、頂き物に期待しよう。でも、何が欲しいかと聴かれても、物は増えるのは困るし、食べ物も然して思えないのだ。宝石は、宇宙にある。

 死ぬまでに口に出来たら、と思うのが奇跡のりんごだけ。木村秋則さんの作られる畑で、熟れた林檎を食べられたら、人生の最後が輝かしいい。願いは、沖縄が基地のない静かな土地に返り、原発の再稼働が不可能になり、庶民が平和で心休まる生活ができたらいい。明治どころか、戦後の復旧は遠くなった。

 梔子にでかい緑の虫発見。薔薇にも小さなのが数匹いた。フェンス側の枇杷葉も、枝を伐っておく。問題が生じてからでは遅いので、中側に入れ込む。そこの北側に寄った場所のが咲き始めた。これをしーちゃんのにしよう。花芽茶にするのは、西側のに決めている。これは数年咲くだけで、枯れてしまう。

 すばるの居場所も、天気だと出窓に寝ているが、寒いとパソコンの部屋に来る。昨年は、悪戯が激しかったので、締め出していた。今年は飽きたのか、ロッキングチェアでの居眠り。留守にしている時は、ここでおとなしくしているようだ。パソコンは閉じて行く。この上が温かいので、上がっている形跡が。

 天の川が美しい季節だ。ペルセウス流星群が観られ、子どもの時期には、縁台に寝転がって眺めた。

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穏やかな気温に・・・

2018年10月22日 | Weblog

 この処、風はあるものの、気温の一定した暖かさに、つい気が緩む。こういう時期が風邪を引き易い。そう思って、インフルエンザの予防接種を、早々と済ませた。これは自分の直感力しかない。詰りは、何時受けようが、抗体も免疫もなければ、罹ってしまう。枇杷葉茶のお陰であり難いのよ。

 今年も、たくさんの苞が付き、花開くのを待っている。そろそろ柊が咲き出すので、その後を追う。金木星も銀木星も、華やかな匂いだが、枇杷葉は知らなければ、何の香りかが判らない。わたくしも最初には、一体なんだろう?まさか4年目で咲くとも思えず、気づかなかった。白く可憐な花。

 枇杷葉の苗を移植し、枯れた葉を落とし、クリスマスローズを見れば萎びていて、水を遣る。室内の観葉植物にも、土が乾いた時点での水遣りをし、気づけば昼だ。本日の予定では、宮城谷昌光 湖底の城を読んでしまうこと。庭の土入れもしなくては。天気だと結構色々することがあるものです。

 しーちゃんのに決めていた枇杷葉が、何時までも結実しないので、リエさんの傍のに変更しよう。これは暁子さんの並びにもなって、未だ9年にはならない。リエさんのと暁子さんのには、たくさんの苞が見える。りささんのとサンタさんのは先ずまずで、隔年の生り年となるので、来年は豊作だ。

 駐車場の北側のは初生りで、北東に植えてあるのが、一昨年から急に増えた。ここには通草が巻き付いており、今年花は咲いたが、虫にやられた。大きな毛虫がいて、何匹か捕獲した。自然との共存にも、それなりの掟があって、人間の無知を晒すのかも知れない。白枇杷は上に伸びて高くなった。

 そろそろ蒲団を仕舞わなければ、と思いつつブログの更新をしている。新聞にはじっくり眼を通したが、アメリカの強引な遣り方に、呆れてしまう。核廃絶を願う者が増えているのを、何の権利があって剥奪するのか解らない。日本も憲法を変えようとしているが、人類史上での過ちにつながる。

 原発の耐震度も、いい加減な基準であり、再稼働に向けての審判には疑問が深い。民主主義は死んだのだ。これ以上の犠牲は無い。平和で安心して暮らせる世界には程遠い。よくもまあ、自分勝手な見解ばかりを並べるのだろう。傲慢さも権力を、思うが儘に可能にすればいいのか。地球の破滅だ。

 どんどん増えてきて、花が咲くようになった。夏時分には、たくさんの花をつけている。

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