枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・睦月に・・・

2014年01月31日 | Weblog

 旧正月・大潮・朔。今朝は、早起きをして塩を換えた。敷地の周りも清め、恒例の蝮避けの神社に詣でる。平日というに、大変な人出だ。中々前に進まない。然し、羽がないもので跳ぶ訳にもいかず、延々と順番を待つのみ。どうにか参拝を済ませ、お札とお砂を求める。

 さて、帰ろう。土産というものでもないが、縁起の饅頭を買う。孫等が来ていないので、余分な物は買わずである。人混みを縫って、愛車にたどり着く。枇杷葉茶を持って行っていたので、一息いれる。暖かで麗らかな上天気に、コートを脱いでしまう。まるで春である。

 そろそろ蕗の薹が頭をもたげるか?菫や土筆も、日溜りでは顔を出しそうだ。白梅の香りに誘われて、道端の野草に命が宿る。青空市で、節分の用意に豆を買う。椎茸の新鮮なのと、白葱にほうれん草。冬が去っていく名残に、夕空を見上げる。オリオンが雄々しい。

 今年は午年。丙午は、60年に一度廻るらしい。へぇ~知らなかった。馬は、どんな曲がり角でも左に転ばないって。それは、引力や重力・遠心力に作用するものか。何故なんだろう?競技場のトラックは、西に向って走るが東には向かわない。何故なんだ?変じゃない。

 誰が走るのも左回りに行くのか。時間を巻き戻しても同じだろうか。後ろ向きで歩かないのは?車で車道を逆走することはある。進入方向を間違ってのこと。これは、鳴門の渦の巻き方にもあるのか。地球の自転と公転にも関係しているのか。やっぱ知らべてみよう。

 疑問を持ち、関心を深めることは、様々な要因を探り出し、探究心をくすぐる。謎が解ければ納得し、更なる疑問に突き進む。算数も数学も苦手だが、忘れたことを思い出すかもしれない。意外な発見をするかもしれないね。学校で学べることってのは、ありがたいね。

 義務教育を終えて、高校に大学に進むのに、中退する者が多いことにも驚く。折角入った所で、きちんと学べないとは。親の苦労も知らずだ。贅沢なことと思えて、些か腹が立つ。行きたくても行けない者も居るんだ。学べることに感謝して、卒業してほしいなぁ。親にも。

 人間の想いをよそ目に、すくすくと育つ枇杷葉。品種は様々で、交配したのも、雑種もある。花が咲き、実が結実するのも愉しみ。

 

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雨音に耳を澄ませば

2014年01月30日 | Weblog

 明け方、雨の音を聴いた。そろそろ起きねば、と身を布団から離す。ところが強力接着剤で貼り付けられたように、体がはがれない。それに何だか変だ。ぐるぐると眼が周る。耳鳴りもする、気分が悪い。何処に自分が居るのかさえわからなく、不可解極まりない。

 そのまま眠ってしまった。ぐちゃぐちゃの正体のつかないものに取り囲まれて、眼を開けるのが鬱陶しかったのもある。気づいたら、午後2時近かった。勤務先から電話があったらしい。着信が残っている。ふらふらの頭で連絡を入れると、出て来られないかと言う。

 無理です。行けるくらいなら、とっくに起きて身支度してますよ。起きれないんだってば。激怒すると血圧が上がるが、低血圧なのでいいか。腹が立つと腹が減る。よろよろしながら台所に向かい、ご飯を結びにして頬張る。枇杷葉茶と鉈豆ちゃを飲む。再び布団に。

 ひたすら眠る。次に気づいたら、午前2時であった。これから風呂に入るのも大儀だ。パジャマのままなので、また眠る。湯たんぽも取り替えず眠ろう。でも、可笑しい・・・、何でこんなに変な気持ちになるのか?そんなことが、どうして頭に浮かぶのかが変である。

 異変が起きる時に、ひどく妙な気分になるが、なんだろうか?胸騒ぎがする。地震かなぁ・・・、ひょっとして津波か。いんや、違う。でもなんだろう、このもやもやは。もしや・・・と不穏な自分を発見する。でも、どんなに考えても視えない。親しい人ではないことを祈る。

 何か、酷く妙な気分の一日だった。今までには感じない、切なくも哀しい想いがした。加えて、ここまで疲労困憊したのも初めてだった。張り詰めた糸が切れたように、心の均整を失った。滅多にあることではなく、度々あっても困るのだが。依然として謎が解けない。

 暑い国で取れる綿。アンクル・トムの小屋で知った。リンカーン大統領の、奴隷解放がなかったら、虐げられ続けた人々だ。

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悲喜こもごも・・・

2014年01月29日 | Weblog

 疲れたぁ・・・。今朝は、久々の遅出であったが、帰宅したらぐったりした。真面目に遣るからだが性格もあり、手が抜けない。夕餉の片付けも、きちんとしておかないと、ノロウイルスが怖い。熱湯消毒をして乾燥機に入れる。帰宅時には嗽と手洗いの遂行。

 遅い夕餉を戴き、新聞をじっくり読む。記事の中には、考えさせられる内容もあって、心の襞が増える。此のところ夢見が悪い。どうにも厭な感情が多い。それを裏付ける、人間関係にも軋轢を覚えてしまう。一生懸命やるのって、莫迦馬鹿しいのだろうか。

 それでも、と想う。では、誰のためにしているのだろう?丁寧に真面目にするのは、他ならぬ自分のためではないか。天知る、地知る。己の行いは、何よりも自分の事である。この命をもらえたことに感謝しての、生き方ではないのか。考え到らずであった。

 日中の気温が上昇して、今冬一番の暖かさであった。3月上旬の気温らしい。暖房を1つにしていても暑かった。高齢者は自分での体温調節が難しいこともあり、換気をしたり湿度をチェックしたりを、小まめにしている。急激な変化に即応できない年齢だ。

 駐車場からの遊歩道を隔てた民家に、蝋梅が咲いている。塀の隅で咲いているが、それと知らなかったら気づかない。冬には、春を待つ想いがあり、寒さの厳しい時期を、耐えている。灯火近く衣縫う母は、春の遊びの楽しさ語る。囲炉裏火はとろとろ・・・

 麦が生え、青々としてきた。せっせと麦踏をしている。あちこちに蒔いてはみたが、野鳥に啄ばまれた所もある。失敗は次回に回そう。初夏には、豆を植え、収穫するのだ。ちょっとした愉しみが増えるというもの。収穫の歓びは大きい。無農薬で安心なのね。

 白枇杷の木と桃色百日紅。尺取虫がいるが、自家製の薬散布で、いなくなった。枇杷葉エキスに、唐辛子と大蒜。

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江戸の大火・お七火事

2014年01月28日 | Weblog

 寒い時期に、風が強く乾燥していれば、火の手が上がれば炎は広がる。近代的な建物でも、火の回りは速いのに、江戸時代で木造でもある、あっという間だろう。お七の干支は、丙午だったことから、その歳生まれの娘の縁談には、支障があったらしい。

 勤務先で、インフルエンザが出ている。人数不足は否めないが、出勤停止なので、こればっかりは仕方がない。個人的には、嗽も手洗いも遂行しており、持ち込まないこと、持ち出さないことを守っている。免疫も抗体も、枇杷葉で増殖しつつ、維持している。

 淡路島の水仙が見頃だと、某新聞に載っていた。春を告げるように咲く、蝋梅、水仙、梅には香りも強く、風向きで方向がわかる。植物の世界にも命の継承があり、媒体してくれるものを、匂いや形、或いは色で誘う。日高敏隆さんの『蝶は、なぜ飛ぶか』だ。

 蝶の飛ぶ路は決まっているし、時間も凡そ外れない。揚羽蝶にも依るが、あの美しい文様には眼を奪われる。揚羽蝶が飛ぶ頃には、枇杷葉は咲いていないが、庭の中に見かけると、心が騒ぐ。瞬きをするのさえ憚られ、その一瞬に息を呑む。優雅な姿。

 自然の掟には、人類の計り知れない取り決めがあり、宇宙の摂理の素に時が廻っているのだろう。数字にも言葉にも現わせない、森羅万象なのだ。それらを解き、組み立て、根拠を示すこともまた、困難であり記せない。其処には、無限のメビウスの輪。

 今年の目標は、何にしようか。100冊の書籍を読むか、原稿を書くか。それとも専門的な勉強をするか。二足の草鞋は履けないのに、三足では雲助ではないか。こうなると、新しいことに取り組みをするべきか。プラス思考でいきたいものだが、中々である。

 白いランタナ。冬には室内に取り込む。春、新芽が出て、夏に咲いた時には、何だかうれしくなる。

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凍てつく夜に・・・

2014年01月27日 | Weblog

 木星の煌きと、冬の星座の輝きが、凍てつく宇宙を賑わす。プレアデス・ヒアデス星団、和名昴の美しさは、ため息が出る。冬は、西高東低で大気が澄むので、肉眼での観測には持って来いだ。野外は寒いのだ。冬の宇宙の醍醐味は、冴え冴えとした星の輝き。

 木星がかなり上昇して、オリオンの頭上を照らす。カシオペアの美しさも、ちょっとばかり翳る。来月になれば節分が、次いで立春が訪れる。春の星座のスピカの、緩やかな曲線が眼を惹くようになる。月日も経てば、宇宙の星座の配置も変わる。さて、何座が?

 12星座のかに座、ふたご座、おうし座、しし座、おひつじ座、うお座。これは、初夏から秋の誕生座の黄道12星座である。これらのものが冬の宇宙に観えている。望遠鏡は元より、双眼鏡での観測も素晴しく、大気の澄んだ冬季だからこそ、観る価値があるのだ。

 まあそういうことに興味がなければ、何が面白くて、と眼を剥かれるかもしれない。哲学的なことにも、心理的なことにも通じているのですが、命は何処から来て、何処に往くんだろう、とか。宇宙の果ては、何処にあるのか。との疑問にも心が騒ぐかもしれないが。

 明日、早出をもらったので、帰宅して弁当の準備をする。朝、着替えたら、枇杷葉の湿布と懐炉を貼るので、ストーブは極力点けない。一旦、点けてしまうと傍に寄ってしまうし、寒さを更に意識する。確かに指先は冷たいが、南極のことを思えば、暖かいものだ。

 江戸時代以前のことを考えても、寒さに凍えたりすることもない。暖かい衣類があるし、それなりの防具もある。多少の我慢をしても、働けることがありがたい。それらの元には枇杷葉がある。自然からの援けがある。感謝して暮せることが大きい。お蔭さまの心。

 我が家で、種を取った鉈豆を蒔いた。赤鉈豆だが、花は咲いたものの、豆に生り難かった。まあプランターだし・・・

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落語カレンダー

2014年01月26日 | Weblog

 昨年、万年カレンダーという、落語のを求める。日替わりで、噺が変わるのだが、中々覚えられない。まあ、噺をしようと思うんですね。あれっ?次はなんて言うんだっけ。それを毎日繰り返しているのだ。人前で喋るなど、思いの外難しい。本業よりタレント家業が儲かる。

 古典落語を、時折聴きに行く。夕方からですが、昼間にしてもらいたいものだ。夜道は危ないんですな。眼がよく見えません。何より、眠くなるのが辛い。CDを買っているが、DVの方がいいようだ。料金的にはあんまり変わんないが、贔屓にしている噺家に、生で遭えない。

 年末も後数日でお正月だ。旧正月には、1時間ちょいかけて初詣に出かける。暦に縁る二十八宿では、井戸掘り、植え替え、建築、改築や、学問初め、治療初め等、様々な吉凶を記してあるが、西洋暦になっていることから、気にも留めない。科学的根拠がないそうだ。

 自然に基づいたことなので、天気や眼には視えない物への配慮に欠ける。心理的なもの、内面の動きに、敏感になること。人間の持つ五感に、第六感を加えること。風の匂いや、雲の動きや、或いは雨や雷、季節の天気にも、そういった想いを抱いてみれば面白いもの。

 自然と語らうことは、自然からの最大限の祝福であり、恩恵を受けること。古く昔から、人間は教えてもらってきた。ところが、機械に頼り始めて、人間の在り方を失念したのだ。煩わしいことや、めんどくさいことは省き、手軽で簡単な操作を求めた。原発で滅亡するのに。

 身体を病む原因には、自分以外の物に頼り過ぎるからだ。感覚も、体も麻痺する。人間の持つ自然治癒能力を、援けれない方向に、止められない道標に向う。誰かが、右と言ったらその方向に往き、二度と後戻りはできない、とわかっていても、破滅の路を進んで行く。

 師走も、数日を残すことになり、お正月が近い。旧暦では、これからが睦月です。新暦と旧暦とのずれがあり、閏月が入ったりしてくると、結構ややこしいが、時間に急かされず、ちょっと深呼吸ができたりもする。勤務中には西洋暦で、休日は旧暦でのんびり過ごす。

 夕顔。闇の中に浮かんで咲く。その香りには圧倒される。艶やかであり、白い気品も感じる夕顔。毎年、種を蒔き育てる。

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ドクダミ掘り・・・

2014年01月25日 | Weblog

 午前中は晴れていたのが、薄日になり、ドクダミを掘った頃には、曇ってしまった。お八つ時にはまだもっていたのだが、洗濯物を仕舞おうと外に出たら、雨粒が落ちている。枇杷葉も伐ったし、買い物にも図書館への返却も終え、パソコンの前に座った。

 ソロモンの偽証Ⅲ.読み進んでいるが重い。だが、きちんと読まなければ。とも思う。宮部作品では、龍は眠る、が今も鮮やか。孤宿の人、にも心が揺さぶられた。強烈な印象は、火車、だった。人物の書き込みが丁寧で、目の前にくっきり浮かび上がる。

 ここ数年の読書の中から言えば。誘拐、レ・ミゼラブル、孤宿の人、誰も知らない小さな国(自家製新装版)、カリーナのりんご。今までに読んだ物は膨大にあるが、とても書き切れない。その中でも、シャーロック・ホームズと我はロボットは、外せないが。

 昨夜は、咽喉が痛痒かった。梅ジュースを飲み、布団に潜った。インフルエンザが流行っているので休めない。健康管理には充分な注意が必要だ。朝の検温は無論だが、嗽・手洗いの続行は勿論。私、よほどの事がない限り、怠ったことはありません。

 仕事を休むには、受診せよ。と言われる所以で、病原菌がうようよしている院内に、わざわざ行こうとは思いませんね。この時期には、暴飲暴食の付が出て、胃腸は無論ですが、体力が落ちてくるもの。ここで鉈豆茶や、ドクダミ茶の飲用、枇杷葉茶も。

 美味しい物にも、味付けや素材に依っては、隔たりがあるのだ。形は歪でも、旬の野菜であり、新鮮なことに起因します。加えて、買ったものではなく、自分での調理をすることです。味付けも同じで、素材の風味が生きる方法をすることが、大切です。

 味噌、醤油、生姜、山葵、梅、唐辛子、山椒等、自然の物が望ましいのは、云うまでもなく、安易な調味料に含まれる、人工的な甘味や味付けには、気をつけることですね。柚や酢橘、蜜柑、八朔のエキスも美味しい物です。鉢栽培ができるのも好い。

 自然からの恵みを上手く取り入れて、食卓を潤す工夫をすれば、体の持つ機能も自ずと維持でき、気力の面でも充実します。ネットを検索すれば、作り方は丁寧に書かれており、最初は失敗しても、やってみる価値は大きい。少量から始めます。

 昨夏、茗荷の良いのが、青空市にあり、酢砂糖で煮てみた。卵焼きと胡瓜の塩揉みを載せて、握ってみた鮨。

 

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自然と暮す・・・

2014年01月24日 | Weblog

 旧暦での行事には、自然を中心とした生活があった。然し、それは素朴で援け合う暮らし名上に、自給自足だったり、物々交換であったりの、貧しい生活でもあった。冬の時分には、炭焼きをする人が居り、猟をする人等が山に居た。遊び半分ではない、暮らしの糧だ。

 貧しい農家でも、古米や野菜、漬物等と交換して、炭を買っていた。親切な人であれば、山鳩や雉を持って来てくれた。祖母の綯う縄は、誰のよりも頑丈で、滅多なことでは切れなかったから、損得抜きであったのかもしれない。何をするにも、その人と成りが現われる。

 介護の仕事って何だろう。お世話をするだけだろうか?年齢を重ねれば、できていたことができなくなる。できていてもゆっくりになる。見ている方はまどろっこしい。でも自分も往くのである。辿る方向に多少の差はあっても、行き着く先は同じだ。邪険にはできないでしょ。

 可愛い高齢者って、必要でしょうか?何かと言うと、かわいい、という言葉で片付けるが、それは違う。自分の孫のような者に、二言目にはかわいい、と叫ばれる。それってすっごく厭だね。中には、言われてうれしい者も居るらしい。本当だろうか?哀しすぎるじゃない。

 祖母は、数ヶ月寝込んだが、気力的には排泄に、這ってでも行った。亡くなる1週間前には、おまるにしていた。気丈さはたいしたもので、おむつは直前まで当てさせなかった。次第に食が細くなり、最後には何も食べなくて、水差しを口に含んでも、湿らすだけだった。

 尤も、往診を頼むお金もなかったから、じっと横たわっていただけだ。夏の間、汗が出るのを、母が井戸水で拭いていた。自分の死を覚悟していたから、お棺を担ぐ時の草履も仕上げ、死装束も準備して、母を頼り切って亡くなった。人間の死を間地かに見て、胸が震えた。

 わたしには、それだけの覚悟がない。事故が起きれば、突然に死ぬ。助かったとしても、様々な症状が残る。長く生きていると病の症状が増えるもの。それらと上手く付き合い、騙しあって生きて逝きたいものだ。生かされていることの意味を、初めから考えてみよう。

 自然との暮らしで、旧暦を活用していると、気分が落ち着くことがある。西洋暦ではない、日本に独自に遭った生活が送れる暦には、二十四節気を始め、様々な風習がある。食の文化もある。体にとっての健康には、四季折々の旬の物がありがたい。もったいない。

 昨年には咲かなかった、薄桃色の百日紅。夏の夕昏に、月が昇っている。満月が近いのか明るい。

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穏やかな日に・・・

2014年01月23日 | Weblog

 枇杷湯に浸っていると、体の芯まで温もる。塩で体を揉むのもいい。生葉は、庭に出れば幾らでも採れる。枇杷葉温圧療法に真ん中を使って、葉先と軸を湯に入れるのだ。加えて、枇杷葉茶で飲用後、乾燥させたのと一緒に入れる。綺麗な夕焼け色になる。

 角質が驚くほど剥がれる。え~っ、毎晩洗っているよ!と思うが、出るんです。つまり、一皮剥けます。その後のケアに、枇杷葉ローションと乳液か、クリームを塗ります。これは自分に合った化粧品を使います。価格には変わりなく、使い慣れている物でいい。

 因みに、わたくしはメンタムです。拘りでは、近江兄弟社のを使います。これに昨年から白色ワセリンを加えました。これは赤ん坊にもいいのです。はと麦や鉈豆を飲んだり、食べたりしていますから、肌は艶やかです。滲みもソバカスもなく、安い物で充分。

 以前には、たっかい化粧品を使っていた。それらが効果があると信じ、肌に合うとも思っていたのだ。枇杷葉と出遭ったことで、知恵や工夫を凝らし、自分でやってみたことが大きい。敏感肌の方には、枇杷葉茶を化粧水に使うといい。花芽茶なら最高です。

 リンパ線マッサージもします。これは佐伯ちずさんのやり方です。某新聞に連載されていたのを切り抜いている。手当ての基本でしょうか。疲労困憊した時にはエネルギーを溜め、充電できるまで我慢していると体が熱くなる。この期間の、辛い時がある。

 要は、体の中から綺麗にしていかないと、幾ら表面を塗りたくっても効果がないのだ。年齢を重ねる毎に、誤魔化さないことも大切。ありのままの姿で、自然との共有を薦める。人間の持つ本来の態勢は、神を敬い、畏れ、その恵みを戴いてきたのだから。

 寒中の作業の一つに、ドクダミを掘りましょう。庭の片隅に無いかしら?根槐を掘って洗い乾燥させ、笊か新聞紙に広げる。隙間を空けて干す。密封容器に容れるも良し。早めに飲み切るのもいい。風通しの良い場所に保管する。黴に注意しましょう。

 身近な漢方薬は、誰でも何処でもできるが、正しい知識の中で行い、無茶な飲用は避けること。用途が其々に違うことも知っておき、或いは個人差もあることも、ちゃんと把握しておくようにします。決して、同じ処方はありません。匙加減を知ることです。

 昨年の、駐車場の場所。東側に面した枇杷葉に生った実。割合、大きく甘くて美味しかったですね。今年は花芽なしです。

 

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花芽茶作り・・・

2014年01月22日 | Weblog

 昨年の暮れに、花が咲かなかったのを採って、1週間ほど乾燥させておいた。サンタさんに送るべく、市販のお茶パックに詰め、郵便で発送した。例年、万が一にも花が咲くかとそのままにするが、結果は枯れてしまう。実になるのは咲いており、花が萎んでいる。

 サンタ枇杷にも花芽が多くついたが、咲いたのは僅かだ。まあ、数個は結実するだろう。寒中の作業として採っておかないと、これに虫が入って飲めなくなる。寒いからと、炬燵に入ってはおれず、作業をした。リエさんは、以前のがあるらしい。りささんはどうかな。

 剪定をしたかったが、鋸が落ちて壊れたので、息子に借りるため、次回に延期。孫等を送って行き、持ち帰る。東側のを少し伐ろう。薔薇、クリスマスローズに自家製液を散布する。百日紅にもしておく。これを散布しておくと、見事な花をつける。色も鮮やかだ。

 春を待ちながら、何かと用事も多いが、愉しみでもある。図書館にも寄る。ソロモンの偽証Ⅲを借りる。宮部みゆき氏の新刊も、予約出来ていて借りる。書籍を買うことに抵抗はないが、置き場所に困るのだ。あればそれなりに役に立つ。図書館は、期限も時間ある。

 まあ、それでも。どうしても持っていたい本は買う。福島正則さんの『藁1本の革命』や、木村秋則さんの『百姓が地球を救う』は、ハードカバーで持っている。平岩弓枝さんの著作は殆んど、宮城谷昌光さんや、宮部みゆきさんのは、置き場所がないので文庫だ。

 ちょっと必要な部類では、文庫サイズがいい。出かける時には、待たされる場所もあるので、持って行く。退屈しないで良い。勤務がコミニュケーションを必要とすることもあり、仕事を離れたら、静かで落ち着いた環境が望ましい。人付き合いは苦手だし煩わしい。

 友人と言っても、勝手都合だけのもので、殆んど独りでの行動が多い。まあ、意見の合わないこともあり、決して妥協はしていない。リエさんとは、奇妙な縁からの付き合いだが、離れているし、細かいことを詮索されないし、丁度いい関係かも知れない気がする。

 サンタさんとは、珈琲の関係で知り合ったが、リエさんを介してでもある。イタリアに移住している方は、ネットのブログが縁だった。我が家においでになって、結婚・出産しイタリアに永住した。外国には行けない私としては驚異の出来事。努力は並々ならなぬもの。

 枇杷葉からの繋がりが、その殆んどだが、奇縁のことにびっくりもする。私との間には、必ず枇杷葉が存在する。それがないと続かないのもある。それでも、インチキを言っている訳でもなく、正直に視えたことを告げ、症状の改善に努めてもらえば安堵するものだ。

 啓蟄を過ぎると、何処からか這出る蛙。日中には、葉裏や表にじっと留まっている。さぞ、気持ちいいのだろうなぁ。

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