枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

朝寝・・・

2015年10月31日 | Weblog

 雨が降れば、と思ってもいたが、生憎との天気に起きる。休日なので、ゆっくりしていたら、既に陽は高い。布団を干し、洗濯機を回しておいて、朝食にする。新聞が丹念に読めるのはいいとして、ため息の出る記事の多い事。アメリカの言い成りだ。

 昨日の出張のレーポートを書かねば、と思いながら図書館に行く。予約本があったためだ。愛車の中に掃除機をかけ、庭の様子も見回っておく。花芽の1つ2つから、何とも云えぬ匂いが漂う。この香りを閉じ籠めておきたいもの、と佇む。花芽茶に。

 水仙の芽が出てい、フリージアの茎が伸びている。アネモネも青々としている。枇杷葉の枯れた葉を落としておく。桑の葉が、秋風に舞い落ちるので、箒を手に掃く。紺碧の空には、雲の形もない。暫くすると、白い綿雲が棚引く。魔法の効き方は?

 布団を早々と仕舞って、パソコンの前に座る。鉈豆の煮汁は捨てないで、浸しに加えてもいいし、何やかやに使いきってください。この汁はエキスが出たものですから、効果もある訳です。鉈豆の鞘が小さな時に、茹で塩汁を顔につけたらつるつる。

 鉈豆の鞘は、切って干しておくとお茶に。焼酎に漬けて置くのも、塩漬けにもいいです。要は、保存状態が冷暗所であれば、何処でも構いません。使う時に、適量を飲むように気をつけます。物事は何でも、過ぎたるは及ばざる如し。適量を守って。

 年末への準備にも、少しばかり速いようだが、時間は待ってくれない。計画的に着実にしていかないと、あっと言う間に年末が来る。尤も、個人的には旧暦での換算だが、世間の波には抗わないようにもする。適当にできないので、息苦しいもの。

 暦は買った。カレンダーも用意した。手帳も届いた。年賀状は予約しているので、来月になったら取りに行く。おせち料理は、田舎料理で済ませるので、特には拘らない。お客様がおいでと言うなら兎も角、寝正月にしている。年末が気忙しいだけ。

 白枇杷の結実に、飛び上がるほどうれしかった。今年の花付きはさしてない。来年は裏年なので少ない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気不安定につき・・・

2015年10月30日 | Weblog

 今朝は、研修での出張であった。何時ものように起きて、毎度の弁当を詰め、家を出たまではよかったが、この時間は混むことを、すっかり失念していた。まあ、それでも滑り込み直前で間に合う。登校時間とかち合ったのも、拙かった。

 白バイは走行しているし、横断歩道には、交通員と教師が立っている。これを突っ走って行くほどの元気はない。安全運転と制限速度を守って走る。目的地まで、愛車でも行けるのだが、市内を走る勇気はない。JRが安全でよいね。

 そのJR、下りは無事であったが、上りが貨物の脱線事故で、大幅に遅れたようだ。9時から、昼食を挟んで、午後4時半まで、びっしりと講義があった。暖房が効いており、仕事の疲れが出て、眠くて仕方なかった。珈琲も眠気覚し否。

 帰宅する頃には、辺りは暮れており、宇宙も雲の多い様子だ。週末は雨らしいが、お天気ばかりも疲れるので、丁度佳い気が。尤も仕事になっているので、静に過せそう。介護フェスタに向けての大掃除もあるが、粗方は完了させた。

 サンタさんに送ってもらっている、無農薬の珈琲が、円高で値上がりするらしく、取り扱えなくなる、と連絡があった。仕入れるのが個人ならだが、利潤が絡んだり、販売するとなると、すんなりとはいかないらしいのだ。嗜好品だからねぇ。

 買い置くのも、消費期間のこともあり、保管場所の確保もあって、たくさんはできない。まあそれよりも、鮮度の違いが味に影響するしで、価格が下がるまで中止となった。小川珈琲も、淹れ方次第では美味しい。水も無関係ではない。

 戸隠伝説・・・クライマックスに胸が締め付けられた。だが、どんな理由があろうとも、人を殺めたら、死を覚悟しなければならない。鬼や鬼女には先住民族への、忍従と征服が根強い。今尚そういった考えが残っている。沖縄に対して。

 きらん草。春の花だ。群れてさくのにびっくりしたまでは良かったが、無遠慮な検針員が通り抜けし、失せてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝には、霜が降りる・・・

2015年10月29日 | Weblog

 暦の季節感には、思わず頷く。今朝、庭に出たら、薄っすらと霜が降りていた。成程、二十四節気の大切さを実感する。若い人とか年配と言う区別ではなく、物事への関心度で違う。俳句には、季語が付きものだが、何故?とは思わないのか。

 その癖、やたらと頂きますや、上げますを付ける。言葉の持つ意味さえ知らず、無茶苦茶な日本語を使う。猫や犬に、上げますは違うんだよ。最近は、教えを乞うた方なら、恩師であり、せんせいだが、これも矢鱈と乱発し、嫌悪感を抱くばかりだ。

 そう言えば、生前に、灰谷健次郎さんが、教師であった時には、抵抗ないが、作家では面映いです。と、言われていた。苗字でお呼びするのが、一般的ではないのか。亦、呼ばれる方も、そういったことを、きちんと説明しないと気恥ずかしくなる。

 リエさんが送ってくれた、ぎょうじの絵本には、新暦と旧暦の違いや、その季節にあった慣習等が、様々に説明してあるのが楽しい。花が咲く時期、行事の謂われ等を、丁寧に描いてあるのもいい。介護の仕事には、そういった季節感が大切だ。

 枇杷葉の花芽の、何という芳しさであることか。暫し、佇んでから家に入った。仕事の疲れが消える訳ではないが、心の安寧が訪れる。蛙がじっとつぶらな目で見上げるのも、可笑しい。冬篭りの準備にも、暖かいと出てき、日向ぼっこをしている。

 本は、知らないことを教えてくれる、知識の宝庫だ。或いは、知っているとしても、更に詳しく説いたりして、研究や疑問の答にもなる。また数行の字に、秘密の想いを抱いたりして、そこから深く考えることにもなる。ノーベル賞も近くで待機している。

 どうしてだろう?なぜかしら?どこが違うの?あらゆる範囲の疑問には、自然からの教えが大きい。勘という特殊な力だけでは割り切れない。察するに余りある。予知能力とも言う?でも、何故分るのかは不明だ。当てるのではなく当ってしまうの。

 林檎の花は咲くが、結実はしない。これもまた、十年後かな?と、気長に待つことにしている。枯れないでね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長月、十六夜・大潮

2015年10月28日 | Weblog

 風流な季節に、はじらうような月の姿。何とも情緒のある恒星に、地球との関係が不思議でならない。月があるからこそ、命も誕生してくるのだ。加えて、人間は何一つ、自ずとは作り出せない。思い上がってはならないことを、教えているようだ。

 沖縄の人々の、素直な想いを、何故政府は真摯に受け止めようとしないのか。横暴でもあり、理不尽でもあることが、解からないとは言わせない。そこまで、アメリカの言い成りになり、戦争への加担をするのは止めて。国民も危惧しているのに。

 平和な世の中で、皆が幸せに暮せることを考えていこう。核のゴミも要らない。それらを戦争に使うことも赦されない。湯川博士も、知っていたかもしれない。それを止めようとしたにも拘らず、アメリカの実験の威力を見せ付けた、原子爆弾だ。

 国会議員の仕事は、自国に不利なことにならず、他国と諍いをせず、国民を守ることにあるのではないか?自分の命は大切でも、低所得者の生活は切り捨て、胡坐をかいていられるとは。税金の無駄使い以外の、何者でもない。莫迦にしてる。

 問題の根底が間違っているのだ。私たちは、もお騙されない。これほど憤る想いを、庶民の大方が持っているのに、原発再稼動はする。無駄金は湯水の如く使うわ。地球を滅ぼすことばかり考える。恐らく、天罰は下るだろうが、人類に対してだ。

 駐車場までの距離を、歩いていたら、風に乗って枇杷葉の花眼が匂ってきた。何という芳しい香りだろう。夕顔も、木犀や柊もだが、夜行性の香りだ。ラストノートに当るのだろうか?白い花がそうなのか、とも思えたりする。待っていた甲斐がある。

 金星の輝きは、地球の周りを囲む惑星では、取り分け美しい。ビィーナスの響きも、眩しいものがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かぐや姫の泪・・・

2015年10月27日 | Weblog

 満月で、晴れていたから、月からの迎えが来たもので、これが曇っていたり、雨であったりすれば、かぐや姫はどうしたのだろう?月を見上げるまでもなく、悲嘆に暮れて、泣きの泪で流されてしまったかも。まあ、御伽草子なので、そこは脚色しているか。

 然し、山や田畑には、潤いの歓びが広がる。どんなにこの雨を待っていたことか。おおよそ1ヶ月近くの晴天に、種物は発芽しないし、カラカラで撓えてしまう。水遣りはしていても、天水は訳が違う。雨の有り難さに感謝する。古の人々の苦労が如何に。

 午前中は、例の如くに布団や洗濯物を干し、リエさんへの発送をしに行った。鉈豆、銀杏、胡桃を入れたのを送った。リエさんからは、行事のえほん・冬が届いており、暖かな首巻も貰っている。その後に、友人が訪れ、キウイを絶対に上げて、と強く宣。

 林檎を入れたら、熟してしまうので、別に箱に取り分ける。やれやれ・・・、言い出したら利かぬ友人である。野菜をたくさん持って来てくれたので、余り言い返しもならずである。鉈豆は、大きなナイロン袋に、山になっている。誰か、何方か要りませんか?

 枇杷葉を見回りながら、黄色になった葉を取っていたら、目の前に咲いた花芽を見つけた。咲き始めの段階だが、とても佳い匂いが漂う。数日前から何処かしら?と、気になっていたが分らなかった。良くしたもので、旧暦の中秋の名月とはと感心する。

 内田康夫の、戸隠伝説殺人事件。これはお能でもあることに、草子の深さを想ってしまう。作者の知識の広さにも感心す。物を知らなかったことに至って、解説の手ほどきに悦に入り、物語の読み易さに惹き込まれていく。浅見光彦は出てこないが・・・。

 伊方原発が再稼動される。戦争に突き進む前触れに慄く。第三次世界大戦は、呆気なく終わるが、地球の生命体は消えてしまう。核のゴミは、人殺しの武器となり、地球の在続は困難を極める。核兵器の恐ろしさは、誰にも想像できない。木っ端微塵。

 椿は、春の木と書くところから、椿と言われる。如月の声を聴いたら、次第に綻んでくる。今は、硬い青い蕾。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵐の前に・・・

2015年10月26日 | Weblog

 昨夜は、新暦での十三夜だが、どうもそんな雰囲気ではない。長月も中旬が過ぎ、慌ただしさが増して行く。子どもの頃には稲刈りを終え、田んぼにはで足を立てて、刈った稲藁を干していた。そろそろ脱穀していたかしら。暗くなるのが速く、冷え込んでくる。

 家から田んぼまでの崖や畦道に、野菊が咲き、竜胆が風に揺れる。薄の穂が棚引いて、青い空と赤い柿、鳶が大きく輪を描いていた。懐中電灯の小さな光に、家路へと辿った。お腹が空いていても、風呂を沸かさなければ、暖を取ることもできなかった時代。

 テレビもなく、ラジオさえ点けるのを憚る頃。楽しみと言えば、雑誌だけであった。学校の図書室さえなかったよ。無医村であったから、お爺さんの医者でも重宝された。その方の厚意で、図書室ができ、本が並んだ。たくさんの本ではなかったが、興味が湧く。

 知識が増えることは、自分を磨くことにもなる。学ぶことの大切さは、何に、どう使っていくかだろう。年齢を重ねていくと、子どもの頃に読んでいた思いと、今の気持ちとに大きな隔たりがあることに気づく。作者の伝えたかったことに、今更ながら想い至ることも。

 活字も、紙で読まなくても可能な時代になったが、あのページを捲る感触がいいのだ。或いは読み返したり、其処の箇所に釘付けになったり。物語の意外性や、どんでん返しの面白さに、笑ったり、どきどきしたりする。映像では味わえない、物語の醍醐味が。

 介護フェスタに向けて、トイレ掃除に余念がない。普段は出来ない所もあって、口煩いのでさせてもらっている。いやいや、他人に任せると、手直しに腹が立つのだ。自分で思う様遣りたいだけ。介護フェアには、高橋源太郎さんに遭える。サインしてくれる?

 フェンスの際の長崎茂木。これは、昨年は花芽はついたが、生らなかった。今年は、どうにか3個熟れた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全力投球は・・・

2015年10月25日 | Weblog

 連休ののんびりさとは、一転しての勤務状況。怪我の無きよう、事故の起きないように、目配り、気配りを怠らない。然し、朝から連続しての緊張感は、持続が困難になる。介護フェスタに向けての大掃除、トイレがピカピカになりました。

 扉の隙間を雑巾と箸とで擦っておく。埃が溜まって向こうが見えない。大掃除と言っても、ポイントを押えてしないと、時間ばかり掛かる。掃除の良い所は、体を動かせると、自然にダイエットできること。わざわざ会費を払ってすることか。

 ドクダミの解毒作用は、実に良く効く。注意事項を話しておいたのだが、余りの排便にびっくりしたらしい。下手な下剤よりも、明らかに効果あり。自然の恩恵には、計り知れないエネルギーが含まれている。そのことに感謝して、祈るよ。

 晴天続きの日には、布団干しが好都合だが、午前10時前後に出し、午後2時には仕舞いたい。夕方に取り込むくらいなら、室内に干しておくのが望ましい。人間の身体の機能が、微妙に狂ってくることに気づこう。物を知らぬに程が。

 介護を辞めたら、ハウスキーパーの仕事をするかな。勤務先では、誰もがその仕上がりに眼を瞠る。そんなに驚くことでもない。綺麗にするということは、汚さないことにもなる。つまりは、汚れはその都度掃除をする。放っておくから溜。

 トイレの掃除の手っ取り早い掃除は、備え付けのトイレットペーパーでの拭き取り。なまじ化学雑巾などは使わない。雑巾も洗う手間を惜しむ。洗濯機なら2台要る。手洗いだと汚れが気になる。そこいくと手軽で簡単な品物。即効です。

 枇杷葉茶をペットボトルに入れて置き、汚れはさっと拭き取るのがコツ。枇杷葉茶には消臭効果もあり、無臭なので身体にも良いのだ。変色するまで放っておくからえらいことになる。我が家のトイレは、観葉植物で溢れ返っています。

 チューリップの色は、やっぱり赤が似合う。親指姫のイメージが強烈に残る。まあ、どの花色も綺麗だが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長月、霜降

2015年10月24日 | Weblog

 二十四節気の霜降。陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は、黄変する意味で、霜降と言う。毎年、十月二十三日頃である。然し、今年の時期には、何とも似遣わない風景でもある。紅葉は、朝夕の極端な冷え込みで、見事ではあるよ。

 リエさんから行事の本が届く。友人にも渡すよう、ちゃんと2冊入っている。お礼の電話を掛けたら、丁度稽古中であった。明日が本番の発表会で稽古に余念がない。銀杏等を送るのを見合わせていることを告げておく。腐る物ではないし。

 青空市に出かけ、野菜物を買う。鮮度が命なので、早々と料理する。大根の辛味が利いていて旨い。葉も付いているので、炒め物にしよう。明日の弁当に持って行く段取りだ。昨日、し忘れていた庭の片付けと、ドクダミを天日に当てておく。

 枇杷葉の苞が、少しは緩んできたものか、微かな匂いが漂う。10月の下旬ともなるのが例年のことで、後少し待てば、薄茶色の苞を押して、白い花弁が現われる。芳香性の物は何れも、夜行性の特徴が多い。夜露の降りるしじまに香る。

 今年は、白枇杷の木が、高くもなり、花芽も多く見える。東側のフェンスのも、中の方に苞を見つけてびっくりする。この時期には、春や初夏に咲く、その花の群れを想像して植えている。あの咽返るような、花姿の美しさに想いを馳せていく。

 ほうれん草の苗が、水遣りで成長している。この3週間ばかり、一滴も雨が降っていない。そろそろお湿りがあっても良さそうだが、お天道さまは臍を曲げられたか?神さまの引越し中には、大荒れになるに違いない。神無月は要注意となる。

 内田康夫、本因坊殺人事件。これは、将棋や囲碁に全く興味のない者にとっては、至極難解な内容である。坂田三吉は知っていても、その心情や推し量れない。況してや囲碁ともなると、皆目見当もつかなかった。然し、戦争が伏線にあった。

 白枇杷が生りだして、3度目の結実だ。正直、こんなにたくさんの結実になろうとは、思いもよらなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春に向けて・・・

2015年10月23日 | Weblog

 球根の植え付けを終える。剪定も済ませ、鉢の配置も換えておく。日当りが良くなった分、水遣りが必要になり、この時期には余りしないのだが、元気がないのでたっぷりと遣る。玄関の入り口の向って左には、枇杷苗がてんでに生えているのが大きくなっている。

 枇杷苗の丈は低いが、既に何年も経過してしている。鉢にも植えず、そのままにしている。誰かにあげてもいい、と思っている間に数年が経つ。枇杷葉の手入れもしておこうと、枯れた葉を落とす。枇杷葉の剪定は、寒中の作業なので、花芽が咲くように触っておく。

 箱に入れたままのドクダミを、連日の天気に開けて干す。風を通しておくといいか、とも思えてだが、湿気の籠もるのが気になっていた。先日の連休もだが、家でしておくことが多くあり、出かける気分にもなれない。リエさんに銀杏を送らねば、とは思っているのだが。

 鉈豆も、そのまま送ろうか、鞘を割って種だけにしようか、色々と迷っている。箱がないと言うのも困るが、紙袋に入れ、濡れないようにナイロン袋で覆うかな?この2種類だと、壊れる心配はない。品名にダイアモンドとしておくか。結構重いし、硬さがあるからねぇ。

 伊方原発再稼動。先日、湯川博士 原爆投下を知っていましたか。という新聞に連載されていた記事を書籍したのを読む。そうして、手塚治虫氏の鉄腕アトムには、ウラン・コバルト・プルート・チタン、マグマ大使には、ゴア・アース・モル等、作品の中に登場するよ。

 今にして、自分が化学オンチであったことに愕然とする。その恐ろしい化学兵器には、人類の滅亡を意味する、核のゴミも含まれている。それなのに補助金を貰い、再稼動をさせるようにするとは。人の命が保障されないのに?責任の是非も不明なのに受容れる。

 オリンピックも、二度目ともなると、関心は薄くなろうというもの。況してや、日本での開催に、果たしてどれだけの意味があるというのか。福島の除染さえ覚束無い現状で、安心して日本に来るものか。心配ない、責任は取るって言ういい加減さが、通用するの?

 しきみ、しきびとも言う。これにこんな可憐な花が咲くのだ。三月弥生の時期、片栗の花を見に行った先で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ冬眠に・・・

2015年10月22日 | Weblog

 このところのお天気続きに、よくよく考えてみれば、そろそろ冬眠支度である。雨乞いを頼もうにも、強い助っ人は眠そうにしている。枇杷葉の葉表に、身を乗せてじっとしている。薄緑の身体も今は、濃緑色に変わり、枯葉や土の中に潜っていく。

 浅見光彦シリーズの、鳥取雛送り殺人事件は、父の郷が鳥取なので、とても興味深かった。加えて、旧暦での雛祭りには、意味するところがあったのにも納得。端午の節句も、七夕も、旧暦での役割は大きい。新暦での行事には、狂いが生じる。

 春夏秋冬が怪しい時代だからこそ、季節の訪れの行事の役割は大きい。人間の勝手都合では変えられない、意味合いもあるのだ。自然から伝わってくることには、逆らわず、事を荒立てず感謝し、或いは祈っての暮らしがついてくることを知る。

 晴天続きの宇宙に、次第に丸くなっていく月が輝く。天の川も、夏の大三角を天空に据えている。秋の星座も艶やかに、北の方角に陣取る。蠍がいなくなった確信をして、オリオンが顔を出してくる。ヒアデス・プレアデス星団の華やかさに眼を凝す。

 早朝、百舌鳥のけたたましい囀りに、慌てて飛び起きた。目覚ましよりも効く。雀も姦しい。枇杷葉の木に止まってか、虫を見つけに来たものか。安眠を妨害するのに、やれやれと目を開ける。昨年なら、寒さにぐずぐずするところだが、今年は暖い。

 このところ、塩で身体を擦っているのが、効いているらしく、あまり寒さを感じない。冷えると、膀胱炎や扁桃腺になって、直ぐに熱が出るのが、枇杷葉温圧療法も施行しているのがいいらしい。使い捨てカイロも、まだ使っていない。ありがたいことだ。

 今年の白枇杷の生り具合。これがあちこちに鈴生りになった。白枇杷の味は濃厚で、甘酸っぱいのが特徴。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする