枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

糠と塩、施肥す。

2015年12月16日 | Weblog

 友人が折角持って来てくれたのを、何時までも放っておく訳にもいかず、天気はぐずついているものの、枇杷葉の根元に糠と塩を入れ、家の周辺も片付ける。プランターの壊れたのを袋に詰めた。野鳥の餌になる危惧もあるが、まさか違反とは言うまいな。

 フェンスの所も気になり、朝顔の蔓を取り除く。薔薇の蔓を茎どおし絡め、百日紅を日当たりに伸ばす。球根類がたくさん発芽し、春を待つ準備に眼がいく。何と、じゃが芋の茎が、暖かな気温に緑が眩しい。掘ってみるとそこそこの芋があった。今晩の夕食。

 隠岐伝説殺人事件。読破する。戦争の悲惨さは、そこに行った者でないと解からない。死ぬのが誉れのようだった戦時中。でも、親にしてみれば無念の想いも。殺されて、遺髪さえ戻らぬ息子を、胸中は如ばかりであったろう。戦争は、二度としてはならない。

 県立図書館での借りには、期日までの返却がある。年末は特に厳しく、催促される。横浜殺人事件は今晩からになりそう。横浜には、我が家の枇杷葉を、例年愉しみにしてくれている、某児童作家さんがおいでになる。桃も、至極待っていてくださるのは恐縮。

 リエさんに送っていた野菜が届いたらしい。しーちゃんからは、何か大きな荷物が届く。リエさんが明日、柚を持って行くそうなので、用途色々使ってね。友人が持って来てくれたのだが、もったいなくての御すそ分け。掘り立てだったから、新鮮さは充分です。

 荷物に入れた後に、しまった!と思う。そうなのよ。花芽を入れるのを忘れたのだ。サンタさんには、年を越してからだが、リエさんもその時にしようかな。こちらから送る物は、然したる贅沢品でもないが、新鮮さだけはある。農薬もかかっていないのが自慢。

 暖かい。夕方になれば、そこそこ寒さを感じるが、日中は凌ぎ易い気温に、ついつい季節を忘れる。鉢のバラも咲いているし、アネモネが白い花を覗かせている。室内では、毎年花をつけるシクラメンが、今年は開花してきた。例年なら立春過ぎになるのだが。

 初夏の庭を彩どる中に、清楚な姿のシラン。まるで、スケーターのような雰囲気を想う。華奢でありながら、迸るエネルギー。

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ふたご座流星群観望

2015年12月15日 | Weblog

 昨夜は、絶好の星月夜であった。少し、雲が気にはなったが、見上げれば流星群。初心者向きの流星群とは言え、外に出なければ観えない。寒さは余り感じず、自宅での観望になった。オリオン座が上がってきた頃から、暫し眺めていた。

 近所では、家々に明かりが灯っていて、テレビの音はしているが、誰も外には見当たらず。こんな素晴しい夜を、贅沢極まりない時間を過せるのに、つまらないこと夥しい。ああ・もったいないこと。暖かさで大気が澄んでいなかったのは残念。

 枇杷葉の花芽に、鼻腔を擽らされると、天空へと舞い上がって往くようで、危うく蹈鞴を踏み締める。然しながら、花芽の香りには、身体に及ぼす影響が大きく、或いは精神安定であったり、エネルギーの補充も行う。そういうの、感じませんか?

 朝の内は、薄日が差していたのが、次第に悪化して雨になった。リエさんに野菜を箱詰めにして送る。友人のくれた野菜に、青空市のを足す。柚も、年末は要るだろうと入れる。新聞紙に包んでいたら、意外と長持ちします。でも早めに食べて。

 蕎麦の実が、零れたのが発芽している。じゃが芋の苗も、暖かいので芋が入っている。今年は特に暖かくて気味が悪い。原発が再稼動すると、地球のあちこちで変動が起きる。印度に原発を輸出するらしいが、ガンジーが生きていたら否だ。

 平和な世界を創り上げていくのは、誰でもない私達なのだ。それなのに、余りにも決める水準が低いのは嘆かわしい。間違っていること、してはいけないことには、誰であっても同じである。東京オリンピックなど、中止にしよう。潤うのは誰の懐。

 年末年始の図書館は、閉館にしないでもらいたい。こういった時こそ、静かに書籍と向き合いたいものだ。貸し出しは出来ずとも、館内での読書は自由にできないものか。県や市町村の管轄では無理もあろうが、庶民感覚は通じないものばかり。

 隅田川殺人事件。最後の方で、あっと目が釘付けになる。何ということか、誤植だ。浅見がという処が、浅草になっている。まあ、人間のすることに完璧はないし、絶対もないから、間違いがあってもいい。そういった意味では、原発は共存できない。

 りささん枇杷葉に決めていて、根元に置いている鉢。フリージアが咲いて、とてもいい匂いをさせる。

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三日月、鼻にオデキが・・・

2015年12月14日 | Weblog

 左の鼻が痛く、もしやと思った。祖母が言うには、身近な知り合いに、新しい命が宿るらしい。然し、これが実によく当る。この頃は、スキャナーの如く、鮮明に胎児の様子が分る。但し、視ようとするのではなく、見ていると分るのだ。どういったことでかは不明。

 昨日に続いて、一日暖かな日であった。掃除当番でもあり、居室を拭いていると、汗ばんで気分が悪くなる。どうなっているのでしょうねぇ。これで急激に冷え込んでくれば、花芽が危ない。結実が上手くいかなくて、枯れて落ちる。でもこれが自然な成り行き。

 年末の時期には、歳末戦が賑やかだが、余分な物を買いたくないので、出かけないことにしている。青空市で金時人参は買い、膾作りが目的なので大根もあり、用が足りる。これに乾燥ワカメを戻し作ったら、意外と色目がよかった。白と赤と緑が鮮やかで。

 年始には、家族が集うだけで、お雑煮を食べにくる娘と、お年玉が目的の孫等だ。普段にも珍しい物があれば、取りに来させているので、お年玉の金額は小額。下の孫は、小銭をやると歓ぶ。知人の子どもさんが挨拶に来れば渡すが、持ってまでは行かず。

 鴨肉を間違って注文したらしい?でも、可笑しいなぁ・・・。鴨など、葱をしょって来る筈で、買ったりしないのだが。友人が食べると言うので、お歳暮にする。昨年のシクラメンが発芽しているので、今年は買わない。球根のいいのが当ったらしい。ワクワクする。

 イタドリは微熱も軽減するのか、肩の痛みが消えている。枇杷葉茶は、身体の機能全般に、細胞の活性化を促し、通草は風邪の予防や、痰の絡みを取る。鉈豆には、胃腸を整え、口臭予防や歯槽膿漏の効果が。イタドリには、熱を下げて平熱に保つのだ。

 薬草にも色々な種類と働きがある。医者にかかるのも自由だが、薬漬けになりたくない。自然からの恩恵を感謝して、暮して逝きたいものだ。そんなに薬ばっかりに頼って、何かあった時には、たちまち命を終えてしまう。自然にこそ、生かされていることを知る。

 ハンバーグが好評です。知人の子どもさんに作ったのが、調味料が塩だけ、と話したらびっくりした。素材の旨味を引き出せば、何たらかんたら入れる必要はない。それに加えて、魔法の言葉があれば充分。簡単で便利な物ほど、愛情の欠片もない。作りたい。

 初夏の庭には、花が溢れる。玄関の向って右には、菖蒲が咲いている。南天の下に、青い色が爽やか。

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気温は20℃、八せん終わり

2015年12月13日 | Weblog

 暖かな気温で、ちょっと動けば汗ばむ。人間の感覚が、次第に狂ってきそうな按配に危惧しそう。殺人事件が後を絶たないのは、精神的に病むからなのか。表面的なことと、内面的なこととの差が、著しく広がっていくのを、止められないのも哀しい。

 枇杷葉の花芽は、長崎茂木が一番早く、次いで白枇杷になり、淡路田中は未だ蕾が多い。然し、毎年のことに思うが、花芽が幾ら咲いても、結実するとは限らない。雪の降る時や、冷え込みもあるから、うっかりして枯らしてしまう。自然は厳しいね。

 初夏の頃に、青い実を確認すると、ほんとうにほっとする。売り物ではないので、数も少なく、粒も小さい。でも、味は最高に美味しい。果汁たっぷりで、甘酸っぱい。サンタ枇杷葉に、今年はびっしりと花芽が付いている。さあて、待ち遠しいことである。

 肩の痛みと言うか、腕の痺れが取れなくて、介護に不自由なことといったらない。堪りかねて、イタドリを飲んでみた。ちょびちょびとではあるが、痛みが消えていくようだ。イタドリとは佳く云ったもの。日中は、枇杷葉で湿布をしての勤務だが軽くなった。

 イタドリなど、田舎でも誰も採らない。青空市で売っているのを、子どもの頃に戻ったように求めたのは、祖母のしていたことを思い出したからだ。扁桃腺炎の効果があると、焼酎に漬けていたが、痛みを取る、というのは正解だ。リエさん、どうなの?

 自然に感謝すること。祈りの気持ちは大切だ。窮地に立った時に、何かと閃くのは、きっと神さまが教えてくれているんだわ。気づくことで、その偉大なエネルギーを分けてもらえる。知らないでいれば、それまでのこともある。宇宙からの声なんです。

 隅田川殺人事件を読み始める。東京大空襲時には、明治時代とは暗転して、悲惨な状況にもなったとある。ブラタモリには出てきたが、泥で埋まったことも。花の詩には窺い知ることのない、川の流れがあったのだ。前回、リエさん等と行ったから分る。

 梅の実の、梅雨時の青いのには、アミグダリンという青酸配糖体が含まれている。過って口にすると、腹痛、下痢症状に。

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忘年会、霜月・大潮

2015年12月12日 | Weblog

 勤務先の忘年会。恒例の催しで、ここ数年は市内で行う。近場でも億劫なのに、市内まで出掛ける気分にはなれない。何処も彼処も、クリスマスの雰囲気が厭だ。どうもクリスチャンでもないのに、商魂逞しいのもげっそりくる。賛美歌は、教会で歌いたい。

 三連休に大掃除を予定だったが挫折。それでも、居間の片付けと掃除は済んだ。雑巾掛けも終えた。風呂場とトイレは、常時掃除している。外回りが気になるが、次回に持ち越す。肩の痛みが中々治らない。歯科の方は、虫歯を埋めていて、予定通りだ。

 枇杷葉の生葉を採り、焼酎に漬けておく。これも無くなった時点では、直ぐにできないのだ。備えあれば憂いなし。それにしても、焼酎が要るんですな・・・。以前はボトルに増やして上げていたが、とても足らなくなって、それからジャム瓶にした。多大な出費。

 然し、ジャム瓶と云えども、エキスは漬けて直ぐではないので、増やす段階では、何等問題はない筈だ。加えて、原材料が入っているのだ。飲んで済んだら元にすればいい。通草も鉈豆も、何回かは充分なエキスが出て来る。飲んで直ぐには捨てないでね。

 リエさんの足の痛みが、少なくなったらしいが、イタドリは在庫がない。友人に話したら、春には取りに行くと言う。子どもの頃には、お腹の足しくらいに思っていたのが、薬草とは。そうしてみると、祖母の遣っていた、生活の知恵と、第六感には驚くばかり。

 友人が、糠を持って来てくれたのを、そのままにも出来ないので、土と糠と塩を混ぜる。糠だけにして置いていたら、最悪猪が嗅ぎつけるかも。野生の物は、風向きを良く知っているから、ここまでくらいならやって来る。ミミズと糠はご馳走らしい。鹿もそうなの。

 田舎のことだから、その可能性は充分だろう。枇杷葉の実が、甘く美味しくなってくれることを願うが、反対に野生の物には、絶好のチャンスだ。自然の掟は厳しい。道路脇の枇杷葉を見て、花芽を失敬してきた。数年の間に、大きくなっているのにびっくりした。

 月の光を浴びて、其処に佇んでいると、壮大な宇宙の彼方から、ムーン・ソナタが聴こえてきた。

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霜月、朔・大潮

2015年12月11日 | Weblog

 昨夜からの雨に続いて、早朝からの暴雨風雨。洗濯物は、乾いているのか、横殴りの雨に濡れているのか、何とも物凄い天気だ。半乾きのを取り込んでおく。雨も止みかけたので、塩を換えるが、燃やさずに缶に入れる。火事にはならずとも、危険回避しておく。

 拭き掃除を終え、ほっとする間に友人の来訪。糠を持って来てくれるが、重いので取りにと言う。行けば、何と野菜もある。玄関前に車を停めればいいのを、遠慮しての人使い。まあ、必要な物なので抱えて運ぶ。大根は葉つきの状態で、新鮮そのものが有難い。

 季節の折々の、新鮮な野菜には、常備しているスーパーにはない、自然からのエネルギーが詰っている。年中、何時でも陳列するよりも、見かけは悪いかもしれないが、素材の持つ旨味が溢れているもの。そうして調理方も、素材を生かすことを是非お奨めしたい。

 これからの季節には、鯖が美味しくなるが、子ども頃には、毎日のように食卓に出て、またかとがっかりしていたが、今では中々手に入り難い。鰯も同じだろう。秋刀魚に於いては、殿様の嘆きが良く分る。庶民の暮らしを支えてきた食材が、次第に遠くなることを痛感。

 蒟蒻の用途にも、医学的なこととが多くある。身体を冷やさずにおくために、温めて使い、或いは、鍋に入れて口にする。味をしっかり凍み込ませる、すき焼き等美味しいのだ。個人的には、腰痛や肩凝りに用い、安くて肥らないのも有難い。別名・砂下ろしとも言うが。

 城之崎殺人事件に入る。へえ~ぇ。ここは土蜘蛛伝説の郷とある。歌舞伎やお能で観たことはあるが、行ったことはなく小説も読んでいない。それにしても、偶然であるのか・・・。江田島の話には、真珠湾攻撃の特攻隊が出てきた。折りしも、あの季節でもあったよ。

 勤務先で、歴史の過ちを繰り返さず、と話してみたが、高齢者の方にも、遠くなってきた想いがあるようだ。職員など、あっけらかんとしている。これでは戦争へと突っ走っていくばかりだ。国の命令でも、人類の破滅という事実を、決して忘れないこと。核の平和は否。

 今年は、3匹の幼虫を見かけたが、寒かった関係で、蝶の姿にはいかなかったようだ。自然は厳しい。

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神無月二十九日・大潮

2015年12月10日 | Weblog

 昨夜の曇り宇宙で、雨降りは分っていた。然し、身体とは怖ろしいもので、条件反射で朝起きてしまう。目覚ましを止め、午前中布団にて眠ることに。疲労困憊で、二度寝の醍醐味。頭もすっきりと午後から活動。買物メモルート順に出かけた。

 ポインセチアが安価で、思わず買った。食卓が明るくなったよう。台所の出窓に置いてある、シクラメンが今年は、早々と花を付けている。年内に咲くかな?友人に頼んでいるのは、そろそろ届くだろう。庭の煉瓦の囲いに、蕎麦が発芽発見す。

 買い物は、青空市がいいとつくづく思う。スーパーに行けば、いらない物も買ってしまう。ポイントの関係もあって、得なことは少ない。電気店に寄って、インクを見ながらも、品質や容量の悪化にがっかり。最近の品物は、詐欺ではないか。憤怒!

 価格が安いとか言うが、それは嘘である。数枚の印刷で直ぐに無くなるし、発色も悪い。以前には、未だあるという長持ちであった。消費者にはやさしくない、消費増税であり、高額所得者への優遇処遇に他ならない。議員年収などとは無縁だ。

 自然からの恩恵を感謝する、たったこれだけのことかも知れないが、大切なことでもあろう。人間のすることには限度があるのだ。絶対はあり得ないし、パーフェクトもない。核による平和利用等とは以ての外だ。放射能物質を甘くみないこと。

 鉈豆のエキスが効き、口内炎は略完治する。明日は、朔日で霜月になる。神さまも出張からの帰還となる。旧暦でなので29日ですが。友人が午後から来るので、その心算をする。掃除も雑巾掛けをしよう。内田康夫作品は、江田島殺人に進。

 月と金星。美しい惑星には、伝説が残っている。ギリシャ神話がそうだが、リボンの騎士も面白い。手塚治虫氏偉大なり。

 

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アクシデントに・・・

2015年12月09日 | Weblog

 ネットへの接続不可能となってしまう。落ち着いての対応をやっていたら、やっと繋がった。そう言えば、パソコンを始めて、10年が来るんだわね。ブログは、ずっと後になってだが、現在はイタリアに移住しているakiさんが、手ほどきをしてくれた。

 CDやDVDを観れるようになったのは、それよりも未だ後のこと。パソコンの型式は古く、ノートでもない。お金が有り余ってのことではなく、自分の撮った写真を入れて、ブログが書きたかった。それにしても、携帯は賢いねぇ。数多の星さえ写せる。

 昨夜は星月夜で、オリオン座はむろんのこと、大犬座のシリウスや、子犬座のプロキオンの、冬の大三角が見事である。これからの季節、大気が澄んでくるので、寒い等とは言うておれません。完全防寒での星座探訪は、素晴しい自然からの贈物。

 大根葉をもらって帰り、油で炒めて味付ける。今回は、お酒を入れてみた。あっらら・美味しいですな。自然からの恩恵を大切にしていると、神さまが褒美をくださる。わたくし、決して料理が上手でも、得意でもありません。単に、美味しい物を食べたい。

 どんな素材も、調理する時に、美味しく食べてもらいたい、と思って作らないのだろうか?南瓜一つとっても、旬の時期の物を買い、切って面取りをし、鍋に油を少々垂らして炒め、調味料を入れる。さしすせその順番です。魔法の言葉も一緒にです。

 どんな物も、心が籠もっていないと、相手には届きません。認知症の方は特に、心が直ぐに伝わってしまうのです。行為がどれほど立派でも、見掛けだけでは通じない。自分のしていることで、誰かが歓んでくれたり、やさしい気持ちになれば幸せです。

 介護の仕事には、重労働が付いてくるが、思考的なことには多々ある。何時も、どんな時にもだが、誇りを持ってしたい。相手を受け入れることの難しさは、言葉では言い表わせない。自分の感情面のコントロールは、至難の技でもあることを実感する。

 南側の、長崎茂木枇杷葉の根元に、プランター植えにしてあるスズラン。冬には、枇杷葉の花芽が匂い、初夏には・・・。

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真珠湾攻撃・戦争へと・・・

2015年12月08日 | Weblog

 地球は、誰の物でもない、というのに。国々では、自分達の主張を曲げず、力で心を抑えようとした。若い、新命を犠牲にしてまで、争いをしたかったのか?戦は、江戸時代に終局させた筈だ。日本国土は元より、諸外国への侵略で、地球を穢してしまった。

 不穏な空気は、誰しも感じていただろうに。国民の声を聴かず、横暴と武力に依って、愚かな争いを続けていったのだ。犠牲になるのは何時でも、無力な庶民である。金も地位もなく、突きつけられた赤紙に命を差し出した。生きて還れないことを感じつつ。

 子どもの頃に、不思議な体験をした。気づくと真っ暗な空に、敵機が轟音を上げ飛んでいる。降ってくる焼夷弾で、辺りは真っ赤になった。逃げ惑う群れに流されつつ、火の粉が腕に落ちて来た。熱つい!と叫んだ途端、眼が覚めていた。腕に赤い斑点が。

 戦争を経験してはいないけど、叔父の遺影があって、祖母から話を聴いていた。シベリアに抑留されたとか・・・。遺髪さえも戻らない息子を偲んで、祖母の胸中は如何ばかりであったろう。戦争へと流されてはいけない。心を正しく持って、周りを視てみよう。

 どんなに科学が進歩しようとも、戦争はいけない。人類の破滅はむろんのこと、宇宙の仕組みも壊れてしまう。きっと素のしじまに還えり、何億もの時を経て、新たなる生命体が産まれてくるのだ。それが何処か、何時のことかは不明だ。遙かなりムー大陸よ。

 今晩は星月夜だ。晴れた宇宙に、瞬く数多の星々には、宇宙の歴史が刻まれている。星は、物言わぬと思えるが、言葉の意味が違うのだ。竹宮惠子の、シルベスターの星から、というのがある。未来社会の中も、人間の心の有様には、然したる差はない。

 沖縄に基地は要らない。武力で抗えば、同じことをされるものだ。神を畏れぬ者よ、恥を知らぬ者よ。あらゆる悪の化身を、その身に受けるであろう。闇に潜む邪心に心を囚われた。何も持っていないことは、失う物もない。あるのは清らかな魂と、溢れる光。

 初夏の風薫る日に。夕刻の宇宙には、星が観えてくる。夏の到来を感じさせる、薄墨が広がっていく。

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神無月、大雪・若潮

2015年12月07日 | Weblog

 二十四節気・大雪。寒気盛となり、大雪となる気配も濃く、前の小雪に対し、大雪と言う。毎年十二月七日頃である。然し、青空の広がる、雲も風も少ない天気の、小春日和とあって、布団を干す。洗濯物は、多少は風のある方が、早く乾くが。

 布団を干している間、縁側に陣取って、読書に勤しむ。博多殺人事件が済み、しまなみ幻想に入る。昨夜は、スターウォーズを観ていて、就寝が遅くなった。月曜日は図書館の定休日なので、何処にも出かけない。のんびりとしていたのだ。

 枇杷葉の生葉の、弱ったのを取り除く。それにしても、今年のサンタ枇杷葉は、何とたくさんの花芽だろう。今は咲き初めで満開には未だ。長崎茂木は、咲き誇っていて、たくさんの昆虫が訪れて来る。ウワン・ワァンと賑やかな羽音がしている。

 春や初夏の頃とは、格段の差があるが、この季節には静謐な、雰囲気があって佳い。田舎でののんびりとした趣もいいのだ。休日は可能な限り、自宅に居て本が読みたい。仕事から離れたことをしていないと、落ち込んでしまう。殺人も解る。

 疲労困憊で、胃腸が荒れているのに、鉈豆酒で改善されていく。食欲の減退があるので、ほしいとも思わないが、仕事に行くのに空腹では行けない。食べることが苦痛に成程、疲れが溜まるって、しんどいものだ。最近は悪夢に魘される・・・。

 小説が書けそうなくらい、生々しい感触があって、夢とは思えないこともある。眠っている間に何処かに往って、殺人を犯しているのか?異空間に入り込んで、其処に自分を棲まわせているのかも。空気と言い、肌の触れ具合といい、実感がある。

 妙だなぁ・・・、一体何処に居るんだ?と考えると、目覚めてしまう。居る筈のない場所に、どうやって来たのかも解らないが、リアルなんだよなぁ。あれは、滅び行く惑星の思考かも知れない。科学技術が進んで、人類は幸せになったのだろうかね?

 玄関のは入口。向って左側の、台所から見れば、窓の下に、スズランが群れて咲く。白い可憐な花と芳香が・・・

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