枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神のみぞ知る・・・

2011年12月31日 | Weblog

 昨日は一日しんどく、動くのもやっとだった。膀胱炎になりかけていた。1時間早く帰ろうとしたのだが、結局30分の切り上げになった。どうにも体がだるいので、明日は午後からの出勤にしたく、上司に連絡する。

 朝方、まどろんでいたら、家の中に人の気配がする。職場の〇さんが居て、用意ができたからもう起きて。と言う。えっ~起きるの?そうよ、起きなきゃ珈琲の淹れ方がわからないでしょ。ああ、それは私にしかできないから。起きようと眼を開けた。同僚はにっこりして消えた。

 な・何?今のは何なのよ。慌てて上司に電話する。熱は下がったが、午後からの出勤にさせてもらう。その後、しばらくぼんやりと考えてみた。同僚は、この時間には勤務先に居る筈だ。それに、どうやって来たのか。問うと、何も答えなかった。

 特異体質というべきか、話しても信じてもらえないことが多い。だが、真実に違いない。こういったことは間々ある。虫の知らせ、胸騒ぎがするのも同じだ。何かを知らせたかったり、伝えたかったりして、感じる者の傍に集まるのではないか。

 枇杷葉の苞。薄茶色の苞を破って、白い花弁が咲く。その香りには、精神安定作用の効果がある。

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さても不思議や・・・

2011年12月30日 | Weblog

 亡くなった人の思いや、この世に言い残したことがあった場合、それらを伝えたくて、出てくることがある。別段、怖がらせるのでもないのだが、何故か見えない人には不気味らしい。霊感が強いと、他人の想いをちょくちょく感じる。

 先日亡くなった方は、皆にお礼が言いたく来てみたが、誰も気づかないので、水道のセンサーを触り知らせてみた。或いは家族に電話をかけてきたりする。通夜の時間に、以前居た場所のソファに座っていたり・・・。夢の中で伝えようとしたりする。

 父は、入院先に訪ねた私たちをわかっていて、亡くなった時、孫娘の夢に出て来た。孫息子に見舞いのお礼を言おうとしたが、通じないので孫娘に言ったらしい。どんなに兄や妹が会わせないようにしても、母がまるで導くように父の居場所を教えてくれたもの。

 悪意がないので怖がらせる心算は毛頭ない。唯、出没する時間があって、大抵は真夜中にだったり、明け方だったりするが、視える者にはあまり関係ない。幽霊やお化けだのはいない。尤もこの世に想いを残しているのは、悔恨もあるが。

 我が家に枇杷葉を植えているのには、実はそういった諸般の事情もある。枇杷葉に依って、生じる波動が変化して、祟られることがない。寧ろ自然からのエネルギーをふんだんに与えてもらう。私にはありがたいパワーです。

 夏に、真っ赤に熟れたトマト。すんごく甘くて美味しかった。

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命の芽生え

2011年12月29日 | Weblog

 枇杷葉の花が咲き終わったところに、小さな塊ができている。まだそれとははっきりしないような、枇杷の実だ。枝には咲いているのや、結実できていないのもある。それらが寒中を越したら実らしきものへと変わる。楽しみだなぁ。

 勤務先の年末掃除。エアコンのフイルターを外し、洗剤をつけ洗う。換気扇も同じ。玄関の自動ドアの電源を切って手動にする。雑巾がけを、丁寧にする。溝は掃除機を使って吸い込む。綿埃がソファの後ろについているのも吸う。

 新聞受け、事務所の外窓、下駄箱。気になりながら中々できないでいた箇所を、一気に片付けた。適当にできる性格ではないので、一つひとつを順番にする。床にモップをかけて、ゴミを掃き取った。明日は、外窓の拭き掃除をしよう。

 玄関にはお飾りをつけるので、何としても今日中にしたかったのだ。本来は月曜日にはつけていたかったのだが、掃除ができていなかった。私の休みである。洗面台も、流しも、毎日の掃除はしているが、視覚になっている部分は汚れている。

 帰宅して車から降りたら、枇杷葉の花芽の匂いがした。体中にやさしく纏いつく。体の疲れはあるが、心が安らぐ。暫し立ち止まってから中に入った。Aさんに頂いたカレーを食べる。お腹がくちくなると眠くなるので、珈琲を飲む。

 9連勤の内、4日をクリア。何とかやれそうだ。今年の目標には届かなかったが、自分なりにできたことが、新たな事へと繋がっていく。枇杷葉で生かされ、明日へのエネルギーをもらい、自分の役目を行なうことができればいいのだ。

 夏の繁る枇杷葉。緑の葉の、青々とした艶やかな輝きは美しい。

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それぞれの思い・・・

2011年12月28日 | Weblog

 今年も数日になる。テレビで震災の映像を観る度に、或いは、新聞での記事に触れる度に、胸の奥から哀しみが突き上げてくる。誰に、何処に、何を言えばいいのか。途方もないエネルギーに巻き込まれた、自然の掟に逆らった人類の付けは大きい。

 福島の原発事故にしては、設置される以前に、その危険性が叫ばれていたにも拘らず、警告を無視して造った人間が居たという事実。日本だけではない、地球上に何基という原発を造って、破滅への道をたどっている。

 この時点で止めなければならない計画を、中止するどころか、発展途上国に輸出するとは、言語道断である。アメリカの言いなり。沖縄県民を、愚弄することにも、国民を蔑ろにすることも既に呆れてしまう。これが日本の政治の実態か。

 人間は、山を崇め、月や太陽、水を敬う、自然に対する畏敬の念を持っていたのではないのか?それが何時しか、科学の進歩と銘打って、快適な生活へと変化した。便利な暮らしの隙間に潜む時空のズレには無頓着であった。

 美しく着飾って、泥にまみえることを嫌い、労働する場所も、地上から宇宙に届けと上がっていった。聖書にある『バビルの塔』だ。神の怒りをかい、災いがもたらされた。歴史は繰り返され、忘れた頃に降りかかる。

 今夏には、想いの他たくさん咲いた。母が偲ばれて、時の経つのも忘れるようだった。

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寒水仙の咲く

2011年12月27日 | Weblog

 庭に咲いているのは、枇杷葉の花と寒水仙。南天は紅白があったのを、玄関に活けてある。来年もお飾りはできないが、掃除をして片付けた。母や父には毎朝お茶湯を供える。銀河にもしているが、外では凍結するので、昨日から室内に変えた。

 寒肥の糠を買いに行きたいが、休みがないのでどうするか思案中である。まあ、急ぐことでもなし、年明けで間に合う。年末には体調維持でやらなければならず、どうしても後回しになってしまう。最大の悩みは、洗剤による皸。これは非常に痛いのだ。

 手袋をすればいいように思えるが、それだと洗ったのかどうかが怪しい。冷たいからと湯を使うからで、水で洗えば良い。或いは洗剤を持って行くこと。パックスナチュロン社には、洗剤はないらしいのだ。あると助かるのに。

 湯たんぽでの低温火傷は、容器に湯を入れて、そのまま布団で使うからです。私は毛布で包むか、何かで巻く。温かいのは確かだが、直に足に触れると熱い。長時間では火傷するのは必至です。特に高齢者や子どもには無理がある。

 電気毛布は無難なようでも、却って体温調整ができなく、風邪を引いたりする。どんな物にも使い方によっては危険が伴うのだ。科学がいくら進歩しても、それを使うのは人間で、何世紀経っても然程の進歩はない。

 サンタさんから、絵本が届く。Aさん家のお孫さん用だ。まだ小さいので気持ちばかりのプレゼントです。孫も同じで、真心のこもった物である。どう使いこなすかは本人次第。本を読んで心の豊かな成長を願う。

 里芋と百日紅。芋の切れ端を置いていたら芽が出た。自然の力は凄い。

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寒さを纏う

2011年12月26日 | Weblog

 雪である。昨夕、厭な予感はしたが、寒冷紗をかけるのを迷い、結局は的中である。住まいの範囲内は1cmばかりの積雪で、道路を隔てた側は、道の上に薄っすらとあるだけであった。1kmも行けば、殆んど雪はなくなっている。

 何なのよ?というくらい、我が家の佇まいは寒い。衣類もしこたま着込み、懐炉も貼り付けた。勤務先が近いので、車の中でもマフラーをし、手袋を填めている。外気温との差があまりないのです。勤務先では暖房で、温度が高く湿度が低い。

 一日の勤めを終え、帰宅してストーブを点ける。鍋に水を張り蒟蒻を入れてかける。甘酒の残りがあったので、生姜を入れて電子レンジで温める。夕食を摂り、洗濯機を回す。蒟蒻が温まったので腰にあててPCに向かう。

 旧暦は師走。寒さが一段と増し、厳しくなるのもこの頃。枇杷葉の生葉を焼酎に漬けこもう。寒肥を入れるのも小寒から大寒にかけて。糠と塩を混ぜ合わせます。納豆菌もいいようです。土の状態をよく調べて施します。

 ドクダミの根を掘ります。寒い時に掘った物は、どういう訳か甘味がある。寒い時期にも自然の恵みはあるものです。体の健康維持のためにも活用してみては?意外と気の休まることがあります。病気は、書いて字の如くです。

 夕闇に咲く夕顔。その美しさには魔力が潜んでいるようです。

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大潮・朔、墓掃除

2011年12月25日 | Weblog

 快晴である。大霜に南天の葉が濡れている。半紙に塩と南天の葉を包む。東西南北に置く。外回りにも塩を置く。ようやく済んだところに、嫁から電話があり、実家に行って、墓掃除である。木の葉が落ちているのを取り除け、鎌で笹を刈り、曄枝を入れ替えて水を差した。

 枇杷葉茶をあげようと思っていたのだが忘れ、お供えを買って、再びお墓に行く。どうも祖母に呼ばれたようだ。庭に咲いていた紅い山茶花を少し持ち帰る。祖母の殊の他好きだった花だ。水仙や梅、桃に日本紫陽花、四季折々の花があった故郷ではあるが。

 きらん草も、2株大きなのがあった。母が隠していて、出してくれたようだ。小さな紫の花を咲かせており、きれいに洗って新聞紙の上に広げた。自然の恵みを分けてもらえた今年の締めくくり、ありがたいことです。

 家の掃除をちょこっとする。外回りは網戸とガラス戸。洗濯機もフル回転。昨年に続いてのお飾りはしないが、玄関の拭き掃除はしておこう。廊下の拭き掃除は済んだことだし、ゴミも片付けた。車の掃除がしたいが、時間切れ。

 明日から、年末年始に向けては休みなし。世間の皆さまには関係なく、旧正月でのんびりします。サンタさんから珈琲も届いた。いつものように夜が訪れ、変わりなく朝の来ることを祈ろう。日常の暮らしの恙ないことを感謝しよう。

 晩夏に咲いたランタナ。すっかり忘れていた頃に、蕾が膨らんで咲いた。

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雪が降っている・・・

2011年12月24日 | Weblog

 さ・寒い。朝から気温が上がらず、室内を温かくしても寒い。っていうか、一方的に寒いです。こんな日は、雪が降るんです。午前中仕事でしたが、懐炉をし枇杷葉の湿布は無論ですが、寒さ対策を万全にしていても、自然の寒さには適わない。

 枇杷葉の花芽に寒冷紗をかけていない。このまま寒さが続くとは思えないが、ちょっと手違いである。職場での手洗い、嗽は欠かさないが、ウイルスは何処でも浮いているので、咽喉が痛かったり、鼻水が出てきたりする。

 その際には、梅ジュースでの対応をするが、まさか勤務中にはできず、乾燥した空気に閉口している。体に着れば、少しは寒さも和らぎ、冷えを防いでくれる。ただっぴろい場所に、じっと座っていたり、テレビを観ているだけでは、寒いのは当たり前だろう。

 今夜は、ホワイトクリスマスになりそう。明日は休みなので、お墓掃除に出かけるのだが、さぁて、どうなるか?実家はこれよりも寒いのだ。重装備で行って来よう。1年の締めくくりである。父と母、ご先祖様が待っていよう。

 夕方には息子や娘の家族が集まっての、クリスマスです。孫たちは、何やら催しを考えているらしい。小一の孫は、落語の『饅頭こわい』を。そして二人して『まるもりダンス』を踊ってくれました。手巻き寿し、ピザは手作りで、たこ焼きにアイスクリームを食べ、温かな枇杷葉茶を飲む。

 最期には、プレゼント交換です。静かになったのは9時頃。寒さが増してきて、湯たんぽを2つ用意する。梅ジュースも飲もう。明日は、朔です。塩を換えなきゃ・・・仕事が年末で増えており、風邪を引かないようにしなければ。

 旧暦での名月と、木星です。冴えた宇宙の中空で、燦然と輝く恒星と惑星。

 

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薄れゆく季節感

2011年12月23日 | Weblog

 日本には、春夏秋冬の四季があり、其々の季節に応じて、衣類を替えていた。冬には合わせがあり、綿入れがあった。夏には単衣で涼しく装った。今日では、冷暖房が各家庭に普及したこともあり、体に着て、温もったりすることを忘れてしまった。

 家の中で過ごすことが多く、遊ぶことも体を使わなくなった。従って、風邪を引き易い体質になる。野外を年中駆け回っていれば、病気にはなり難いし、体力や気力が衰えない。子どもは風の子というが、本当である。

 そういった経験をしないで育った者には、季節感もなければ、自分自身の免疫もない。抵抗力が低下する一方なので、風邪を引き易いのだ。冬は寒くなければならず、夏には暑くないといけない。そこには、農作業での作物の出来がある。

 電気を自由に使えるからいいのではない。それは即ち、原発に繋がってしまう。ケチと倹約は違う。質素堅実に過すのと、贅沢に馴れ過ぎての無駄遣いはよくない。下着をしっかり着て、熱の放出を防ぎ、体を動かすことで細胞を活性化させよう。

 今年は、風邪を引きそう。と、思ったら、梅ジュースを飲んでいる。とてもよく効く。鼻水が止まる。咽喉のいがらみが消えるし、体の中から温かい。自然の力を借りて、効率よく体を動かす。寒い!という人の格好を見ると未だ、秋の格好である。

 暖房を28℃や30℃に温度設定するよりも、体にきちんと着るのがいいし、何分冬は寒いのだから、体に覚えさせなければ、色々とアクシデントに見舞われる。心して、冬を乗り切っていきたい。暖房に体が慣れると、体に様々な症状が出てくる。

 晩秋に満開の百日紅。抜けるような宇宙の青さに咲く。

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心は見えないけれど・・・

2011年12月22日 | Weblog

 伝達手段は、声にして話したり、絵や字を書く。発信する方の一方的な思いが、相手にどう届くかは未知数でもある。相手の考えていることがわかると、つい先読みをして話をする。会話をする糸口に水を向けるのだ。

 心は見えないけれども、想っていることを感じることはできる。その際の成り行きは、決して行き当たりばったりでもないが、会話は脈絡の無いものになる。つまりは的をはずしてしまう。心が不安定なら尚更だ。

 小説家は、嘘つきならなれるそうだ。尤も、文章が読者の心をつかめなければ、読んではもらえない。特に児童書にはその傾向が強い。挿絵があるのはもちろんだが、活字での訴えが重要なこともある。

 どんな本にも、其処に隠れている魅力を見つければ、面白さが増す。面白い本を読むのではなく、読むことが面白さを気づかせる。そしてその面白さは、初めの3行で決まる。大人の本も子どもの本も、魅力は自分で見つけることにある。

 年末に図書館で借りた本。マンガ版『江戸しぐさ』入門、昔ながらの和の行事、日本の神話・伝説が面白いほどわかる本。勤務が激務になっているので、さて読めるかな。いやいや、この愉しみがあるから、仕事ができるのだ。

 鉢仕立ての猿梨。甘くて美味しいのが、たくさん生った。

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