枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生十五日、望・大潮

2018年04月30日 | Weblog

 薄曇りだな、と思いつつ起きたが、蒲団は諦めよう。水遣りも中途半端で、撓れてきているのもあって、柄杓でかけておく。枇杷葉の袋掛けは明日に持ち越す。留守番も淋しいのか、居ると甘えるすばる。駐車場の草を、雨に濡れた場所だけしておく。木香薔薇が咲き始めて、何ともきれいだ。

 昨年まで、咲き競っていた大輪の、深紅の薔薇。これは買った時点では、数輪しか咲かなかったが、さし芽にして増やしたもの。枝を伸ばそうとしたのだが、枯れてしまった。何本かはついたのがあり、こちらは蕾が膨らんできた。蟻の巣にでもなったんだろうか?芍薬も枯れてしまう羽目に。

 蟻の領域も知っていればだが、何処にでも棲まいをしているようで困る。まあ、あちらさんにはご存知のないことではあるが、自然との共存の難しだ。殿様バッタにも、注意を促したい処だが、じろりと遣られては言葉もない。膝の上で気持ちよく鼾をかいている、すばるであるが何とも重たい。

 山本悦子さんの、夜間中学へようこそを借りたが、中々ページが捲れない。お宿かわせみは、何度読んでも面白い。唯、初期の内容が物足らずで、設定の不備もあるのは否めないこと。東吾とるいの情感が読んでいても楽しい。テレビでのこの時の嘉助役と、お吉役は好きだった。挿絵も素敵で。

 ちょっと外に出たら、小さな塊が走った。この春に産まれた猫である。霜降りが、我が家に出現して、来たばかりのすばるを思い出させる。ガリガリのひょろながだったのが、いつの間にか7倍近くになって、重いのでずり落ちる。笑うと拗ねて隠れてしまうのも可笑しい。実に甘えん坊である。

 知人の実家に、黒猫が産まれているそうだが、秘密裏にしているのに、2匹も飼えない。すばるが来ていなければ、もらったかもしれないが、今となっては遅い。飼い主は気儘にするので、すばるにとっては丁度いいのかも。片時も離さずでは、息苦しいだろう。唯、外には出してやれないのだ。

 通草の花が咲いたと喜んでいたのも束の間で、野鳥だと思うが、食べられてしまったのが残念だ。自然に生えているのも、残ったのが熟れるのだ。山形の特産も、山から移したと読んだ。自然の物を、根気よく手にするのは、偶然でもある。だからこそ恩恵に感謝と祈りをする。あり難いことです。

 枇杷葉にしても、寒さに滅法弱いので、その対策は必要だ。売り物ではないので、そのままにしているが、もっと広い場所と見回りをしたい。青い実も、親指大になってきた。淡路田中はバッタが好むのだろうか。白茂木は、やはり枯れたか。剪定も必要に応じて行おう。低い位置のが作業は楽だ。

 揚羽の姿が見えない。そろそろかなとも思いつつ、卵を探してみたが、人間の見つけ難いように、産卵する賢さに感心する。幼虫のグロテスクさと、蝶になった綺麗さが反比例だ。自然界の掟であるのは、敵からの晦ましで、無事に育っていく必要性を覚える。人間には到底出来ない芸当でもある。

 チューリップの赤は好きで、毎年買う。時々双子になったり、違う色が混じったりするのも。

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昭和の日・・・

2018年04月29日 | Weblog

 日曜日は昼食の用意があって、5人でも足らないのに、4人になった。病気とあらば仕方がないが、一時もじっと出来ない方も居て、見守りのしんどさでもある。トイレ誘導もせねばならず、水分の提供もある。てんやわんやの一日であった。大型連休に突入するのはいいが、施設に親を預けっぱなしは止めて。

 況してや、大切な約束事を忘れる神経にたじろぐ。日にちと時間の指定をするのにはそれなりの理由がある。詫びる言葉も無ければ、申し訳なさも見られない。利用者さまさまではない。わたくし共の仕事ではあるが、約束事は必ず守ってくれねば、業務に支障が出る。どんな事にも、約束は守るのが鉄則だろう。

 明日は休みになっているが、枇杷葉の袋掛けをしなければ、青虫やバッタが狙っているのだ。青い実であるのに、バッタは平気なんだと驚く。砂漠の中では、青い物は根こそぎ消えると言うが、こんな田舎でも、農薬のかかっていないのは分かるのか。美味しいんだろうか?という疑問も、アミグダリンも怖いが。

 帰宅の車中で、タイガースのCDをボリューム一杯にして聴いた。大声で叫びたい衝動に駆られるうっぷんを、ジュリーの声で紛らわす。今朝の新聞にも載っていたが、認知症状と言えども、男性の中には卑猥な言葉を言ったり、身体に触ってくる輩も居る。利用者だからと我慢はしない。ふざけるな!怒鳴る。

 認知症状があるから、と言うだけの理由は通じない。若かろうが年齢を重ねていようが、下心が見え見えである。芸能界であろうが、一般庶民であろうが、自分の立場を弁えての行動にしてくれ。惚けた振りをしているのは明らかだ。世の中に、蔓延している不徳の人間の、何と多いことか。教養もけじめも無い。

 人徳が備わってこそ、お互いの心も通じ合うのだ。狎れ合いの矛盾には抵抗があるもの。尊敬にも値し、素晴らしい方は、そんなに多くは居ないものだ。わたくしの心の師と仰ぐ、光瀬龍師、著作のどれもに深い想いの、佐藤さとるさんや、末吉暁子さんには格別のものがある。恐れ多くもったいない存在でも。

 スター・ウォーズのNo・8を買ったが、ちょっとがっかりした。最後の3部作が重要なのに、核心が抜けている。演技力にも問題がある。今回は、大勢の主役級が多過ぎた帰来がある。船頭多くして山に登るだ。レイとレンとの繋がりでよかった。最後のシーンが、新しいジェダイの登場を観せたが、遣り過ぎかな。

 今年も、ブルーベリーが満開になっている。毛虫と雀の餌になってしまうが、速いもの勝ちかな。

 

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爽やかな緑が・・・

2018年04月28日 | Weblog

 昨日とは打って変わっての天気に、仕事に行くのが厭になる。然し、行かねばならずで、弁当をこしらえて出かける。すばるがしょぼんとして、出窓で送っている。早1年が経過したことに驚く。慣れてきたのもいいが、昼間一人にするので、甘え方が半端でない。今も、腕にしがみついてチュウチュウ吸い付く。

 体は、来た当時の7倍程になったが、していることは幼い。加えて、重くなったのでずり落ちる。電気の紐に絡まって暴れ回り、首が閉まって死にかけたり、カーテンをずり落ちたは何回もやった。欲しい物には、右手でちょうだいをする。最近は、爪切りをするので、じゃれても痛さは感じない。加減が分った。

 気温が落ち着いて来たので、蒲団の中には潜らずで、枕の所で丸くなっている。本能でもあるが、寒いと入ってj来る。それにしても、どでかくなったものだと感心する。餌も腹一杯食べるし、茹で卵やアイスクリームも好きだ。美味しいのは良く知っていておねだりをする。パンもちょっと焼いたのがいいようだ。

 外に出しては飼えないので、ちょっと心が痛む。どんなに可愛がっても、外には行きたいだろうな、と思うが見つかれば殺される。銀河は、17年生きたが、すばるはどうだろう。このまま一緒に暮らせれば、と案じる気持ちになる。風邪を引いていたのは治ったようだ。枇杷葉茶が効いたのだと、信じて疑わず。

 山の藤も咲き終わるようで、そろそろ桐の花に変わる。躑躅も五月も道端の彩になってきた。それが済むくらいになると、栴檀が木を覆う。枇杷葉への袋掛けも済ませて、熟れていくのを待とう。今年は、裏年で少ないので期待はできない。りささんのと暁子さんのは、数えるだけだ。初生りも多少は実が見える。

 リエさんのと長崎茂木がまずまず生っており、このままいけば収穫できる。淡路田中は、結実が見えたものの、虫に齧られて消えた。自家製のエキスを掛けたが、遅かったようだ。大蒜と蓬と唐辛子を入れてある。お酢だけだと駄目だった。これは薄めて使ったからだが、やはり瓶に容れて根元に置いておこうか。

 昨年には花だけだった。今年は、毛虫に乗っ取られてしまったから、咲くのだろうか?

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来客につき

2018年04月27日 | Weblog

 木香薔薇が咲き出した。他所様のは分からないが、我が家のは棘もあり、香りも強いので、傍に行くと噎せ返るようだ。げんかんの脇、北側のスズランも蕾が膨らんで、台所の下なので、匂いも凄い。梅は実を結び、芍薬の蕾もと喜びもつかの間、殿様バッタに蕾が萎れている。しまったと思うが後の祭り。

 職場の同僚の同級生である方が、我が家の枇杷葉を見学に来られ、枇杷苗の鉢如差し上げる。小さな苗も数本掘って、新聞紙に包む。トラックなのでそのままで大丈夫そうだ。通草や柚子の焼酎に漬けたのや、枇杷葉エキスも袋に詰めておく。イタドリもたくさんあるので入れる。地球環境にやさしい暮らし。

 昼前に慌てて帰られたが、我が家の珈琲と枇杷葉茶が美味しかったようで、感激して飲まれていた。猫も家族が増えているとかで、枇杷葉茶を飲ませるように言い置く。子猫のままからでないと、口にしないこともある毛艶が全く以って違うのと、病気に罹り難い。人間に効果があるのだ、猫も同じでしょう。

 何だか、大荷物になってしまったのが、申し訳なかった。それでも宅配でないので、苗は傷まないと安心する。置いてある場所から抜く時に、一緒に行くんだよと送り出した。元気に育っていてと願いつつ、何時か逢にも行くからと。命のあるもの凡てに、心もまた然りだ。大切に育てますと約束してくれた。

 寒い地方には、花芽は付いても、結実はしない。従って、枇杷葉の生葉を使われるとかで、施肥の事や時期の事を話しておく。そうして何よりも、地元の高齢者の助言はとても大事なことを加えた。風をよみ、雨を知り、天地の教えを賜ることも。自分を大切にするのは、引いては命への賛歌でもあることにも。

 農薬を施肥せず、草刈りも程々に行い、小さな命にも、生きる権利があることを話した。人間は、そういったあらゆる物に援けられて、この世に存在する。宇宙の摂理であり、森羅万象の原則であろう。地球のためにもなる。枇杷葉は、あらゆる疾病に効果があり、命を活性化させ、再生にも繫げてくれるのだ。

 然しながら、こういったことにも相性があって、自然賛歌と命への慈しみが無ければ、届くこともない。これらは天性のものか、稀に何かの異変で備わってしまうこともある。だが資質も無関係ではない。またメディアの前に出たばっかりに、力を邪に使われることにもなる。天変地異は第六感の為せる技にも。

 どんなことにも欲張らず、どんな物も惜しまず、あらゆることに努力し、力を使えれば幸せなことだ。ちいさなことにも感謝し、些細なことにも祈り、日々を生きていけることは有り難いもの。これ以って自然からの恩恵に外ならず。命の尊さと儚さを知る。命は消え、芽生えるものなり。我も同じにして感謝。

 小さな青い実が、次第に熟れて行くのは心が弾む。その実を捥いで口にする歓びは至福。

 

 

 

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自然現象への遭遇

2018年04月26日 | Weblog

 勤務を終え、図書館に寄っての我が家に数分という距離で、太陽が沈みかけている。雲の多い天気だと、黄昏る空を観てびっくりした。西に傾く太陽光線を受けて、雲の間に虹が出ている。不思議なこともあると、撮影しておく。ひょっとして地震かな?津波もと不安が湧き上がる。気温も不安定だし・・・

 今朝は早出で、くたくたに疲れてしまう。何がしんどいって、見守りが難儀なこと。人間であれば、何かの欲求を満たそうと動く。生理的現象か、外に行きたいかだが、風邪が落ち着いてこなければ、フロアを移動できない。マスクは職員だけだが、認知症状でも見えるので厄介だ。通じない職員に苛立って。

 大型連休と云うが、施設は休めない。家族が引き取ってくれればいいが、そんな殊勝な者には遇えない。預けていれば、家は綺麗だし、手間も取らない。来訪しても数分で帰る。自分の親であろう。普段の様子を尋ね、時には連れ出し、心の籠った態度を、数時間することも出来ないのか。職員だけの笑顔は。

 介護の仕事をしているのだから、当然ではあるかも知れぬが、他人に接するような姿を見るにつけ、侘しいというか哀しい。認知症状ではあるが、人減ではないか。況してや自分を産んでくれた親である。何も分からなくなって、娘や息子の顔さえ忘れているが、だからこそ慈しみの心で接してほしいものだ。

 ヴィクトル・ユーゴーの、レ・ミゼラブルが、日本版で放映されているが、これは復讐だけではない。自分を信じてくれた者へのジャンバルジャンの証だ。人間の心が無ければ、到底できなかったことだ。ジャベール刑事が追い詰めていく過程、最後に苦悩の末に身投げをして詫びるシーンは、鷲掴みにされた。

 主役もさることながら、ラッセル・クロウの役に填まった。ノア、スーパーマンの父親役にも、眼を瞠り、DVDを持っている。原作は、文庫で6巻ある。フランス革命の時期をして、貧乏のどん底にあった人々の、一途にひたむきに生きた証でもある。戦争の痛みは心の奥深くに残る。命は一つしか存在しない。

 非現実的な世界に、どんなに憬れても、現実とは違う。そういった不可思議なことは、万が一か、稀でもある。人間は、言葉を使えるのだから、武器や武力でなく、話しあいでの解決が出来るのだ。況してや双方大人ではないか?地球という、たった一つの青い惑星を、誰もが壊すことはできない。自然を侮らず。

 月と金星が西天に懸かる。光度はマイナスなので、人目を惹く明るさだ。自然はありがたい。

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体調不良の蔓延に・・・

2018年04月25日 | Weblog

 風邪である。高齢者の風邪は、たかがとも言えない。油断していると肺炎を併発する方も居て、僅かな変化も見逃せない。然し、介護者も同じで、疲労困憊の身体では、到底対処できない。自分の健康管理の如何に大切な事かと痛感する。千振は、強い味方である。病院・医者に行く時間も、金も惜しい。

 咽喉の痰の絡みというか、鼻水の詰りも解消してくれ、この数日で治ってしまった。医者に等罹らなくてよかった。職員の中には、点滴をした者もいるようで、身体の衰えを感じてしまう。さてこそ、自然の恩恵に感謝し、祈ることこそと感動を覚える。その基本には、枇杷葉があるのも決して忘れずだが。

 昨日は、止む無くの遅出勤務であった。何しろ人出が足らないので、人員の配置も困難とあっては、都合勝手ばかりも言えない。慣れない業務におたおたの者を、他の皆が協力してくれてのことだが、とてもあり難かった。偶々、その日の勤務者に不平を言う者も居なかった。風邪症状は一向に思わしく無。

 疲れ果てて帰宅し、さてブログの更新を、と電源を入れれば接続できない。なんちゅうことかと、様々にやってみるが、契約の初期のなのでか、認識されないの一点張り。こういうのが機械の頑固な、妥協しないところで、ロボット法の適用を促したい。まあ図書館で借りている、かまくら三国志・上下を。

 平岩弓枝氏の著作だが、買う段階になって、馴染みの本屋が在庫を止め、注文でしか出来なくなった。後はアマゾンで買うしかない。図書館に問い合わせたら、あると言うので、取敢えずは借りることにした。宮城谷昌光氏の、新三河物語も上下で借りたのを読破しなければならず、パソコンは諦めて読んだ。

 従って、昨夜は夜更かし、明け方までの読書に、休みも重なって昼前の起床。思わしくない天気だが、洗濯物は風があるので乾く。すばるのトイレも気になっている。日にちが変われば接続可能、とやるが拒否された。何時もの方に連絡すると、対策を考えてくれた。有難いことであるがノートは難儀でもある。

 夕方には、施設での地域取り組みがあり、自由参加で研修ではないが、講師の話しが解り易いので行く段取りだ。それまでに筍を使って、散し寿しをしたい。本日の予定では、枇杷葉の袋掛けは、雨上がりなので止める。これは連休中の仕事に回し、掃除をしておかねば来客がある。我が家の枇杷葉見学だ。

 雨で、青虫が脱皮していたり、バッタが飛び交っているのも注意したい。浩太郎さん、我が家では、農薬を撒かないので、季節と共に必ず出現します。殿様バッタと、ショウジョウバッタです。これが何故か、わたくしの丹精籠めた花木を齧ってしまうのも癪である。然しながら、天の采配とあらば仕方ないが。

 昨年、枇杷葉の花芽が咲いた後、適当に摘芽してみた。5粒程残したが、自然にこの位になった。

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明日は雨か・・・

2018年04月23日 | Weblog

 朝方は天気であったのが、昼に差し掛かる前頃から、空気に湿気を含んで来た。明日は雨になるかな。午前中、ドコモのDポイントカードを使えるべく、手続きに出掛け、クリーニングを受け取り新たに出し、コンビニに寄ってポイントで買い物を済ませ、郵便局で珈琲代を払い、帰宅して蒲団を干した。

 水遣りもしなければ、花木が萎れている。バケツの水をかける。林檎の花が咲いてはいぬかと見れば、毛虫がうようよと。バッタが孵化してきており何でも齧る。薔薇の蕾も無いではないか。なんちゅうことであろうか。腹の立つのを越えて落ち込んだ。農薬を掛けないから仕方ないが、できれば他所に。 

 観ないテレビを置いておくのも邪魔である。十数万で買ったが、観ることがない。受信料も払いたくないし、そういった暇な時間がない。テレビの前にじっと居る訳にいかず、かといって点けっぱなしは。もったいない。パソコンでDVDやCDは充分だし、読書がしたいのもあって、どちらかに決めている。

 百日紅の新芽が出てきた。枯れた枝は切っておこう。枇杷葉の新芽も可なり育ってきた。で、ふと見ると通草の花が消えている。唖然と突っ立って居たら、雀が出てきたのにびっくり。そうか、野生の物には、餌になることに気づく。考えてみれば、そういう循環で、自然は保っていると感心してしまった。

 連休中には仕事なので、出かける予定はないが、さぞや人出は多いことだろう。上野の森には行ってみたいが、想像するだに恐ろしいことだ。リエさん達がブックフェアでの販売を行っており、一度は応援に行きたいのだが、何分遠くて遠慮している。上野は、何回も行ったが時期が違ってである。睡蓮です。

 陽射しがあれば暑い気温も、室内で過しているとひんやりする。我が家は、特別に風の抜けがいいのか、枇杷葉のお陰なのか、夏時も涼しい。冷房など以ての外で、凌ぎ易さは格別だ。風邪を引いた後が中々で芳しくない。体温が低いので、相当に出ないと休めない。でも、その中途半端がしんどくて困るが。

 以前には、同時進行が易々と出来ていたのが、今は一つのことにも時間が掛かる。本を読むのも相当に難儀で、しなければいいと言われそうだが、活字中毒なので、老眼鏡をかけて読む。新聞もだが、無いと一日落ち着かない。外出は苦手なので、まとめてするが、忘れてくることも多くなった。歳を理由に。

 海棠の下に、鉢に植えた椿がある。白い花が咲くので、エリノアと名付けている。この題名が分かれば・・・

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チケット入手す・・・

2018年04月22日 | Weblog

 朝、ちょっとぐずぐずしていて、8時半過ぎの電車であったが、きっと長蛇の列、と思いきや3人ばかり佇んでいる。最後尾はどこであろうと訊ねて並ぶ。一様にジュリーの?と頷き合う。その中の垢ぬけて見える方が、話していて貴重な写真を、スマホで閲覧させてくれたのにはびっくりした。

 瞳みのるさんにも、歩いているのに出会ったそうで、気さくな方なのよ。と教えてくれた。こうなると後に引けなくて、携帯で撮影した宇宙を見せた。こういうのをブログに載せてる、と言ったら、沢田研二さんの、珍しい格好をしたのを出し、田中裕子さんのファンなのには隠し撮りを見せて。

 沢田研二さんのファンというのでもないのに、素敵な方だった。コンサート当日には隣の席になるかな?昨年の嫌な想いをしたくなくて、チケットを買いに行って正解。午後からの勤務はあっという間に終了。風邪を引いていたのも、治ったような気分になり爽快。当日は県立博物館にも行こう。

 ちょっと動けば汗ばむ。風が吹いているのに、通り抜けなくて暑いのだ。衣類での調整をしつつ、見守りを行う。高齢者になると、風邪から肺炎になって、命取りになる。この時期の不安定な気温に配慮するが、自分での調整が出来ないので難儀だ。暑いと脱がせても、直ぐに着てしまうのだよ。

 すばるが風邪を引いたようだ。抱っことスリスリをせがむんだもの。そりゃ移るわなぁ。枇杷葉茶を飲ます以外には手立てはない。千振など苦いのを舐めもしないだろう。何処にも出ないから、その内に治ると思っている。猫も風邪を引くのだ。何時もより体が温かくて気づいたが、同居の運命。

 銀座から珈琲が届く。隔月にしているが、サンタさんのように、200g入っていないので、あっという間になくなる。毎月に切り替えようかな。金銭の問題もあるが、贅沢は珈琲だけなので、他の遣り繰りが生じる。瞳みのるさんのDVDも買いたい。生演奏にも行きたい。死ぬまでにはきっと。

 枇杷葉の結実した青い実。これには青酸カリに匹敵する、アミグダリンが含まれると言われる。

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介護の仕事も・・・

2018年04月21日 | Weblog

 腰痛は、充分な注意をしていても、不注意でなくても、年齢にも依るが予期せず起きる。個人的には、そのために枇杷葉の湿布をしている。然しこれだとて、絶体ということではない。歳を重ねれば、色々の障害が出て、慎重な動きを必要ともされる。65歳という年齢には、余程心していかねば。

 そのための研修は受けており、コツと技で乗り切っている。相手の言葉や動作の中に異常を感知し、動かなければ顰蹙を買う。排便が気持ちの好い筈はなく、トイレに行こうと言えば、恥ずかしいものだ。言葉かけも、微妙なことで温度差が出て来る。それが長年の経験でもある。タイミングも大事。

 介護の仕事には、手抜きは通じない。おもてなしと云うが、裏があっては困るのだ。そこの微妙な駆け引きを、判断するのも年季が要る。昔も今も、心は変化していないのに、遣り方だけを新しくしても、ついてはいけないものだ。相手を慮る気持ちさえあればよく、自分の立場に置き換えてみれば。

 資格や役職の位置づけには、必要であれば習得しなければならない。だが、それだけでは部下は無論、相手も納得しない。自分を必要としてくれ、信頼関係が結べていなくては、どんな言葉も伝わらないものである。また、相性の問題も多いに関係する。感情の行き違いには、修復できないことも有る。

 仕事で上、職場での仲良しはご法度で、そういった個人的なことを、持ち込むのは頂けない。カップや食べ物の食べ回しや飲むのも、これ見よがしで厭である。職場での飲食は自由だが、仕事に差し支えては困る。なあなあの狎れ合いでなく、節度を保った姿勢も大切な気がする。結果的には自分を守。

 今朝は体温が低かったので、仕事に行ったが、日中眼がパシパシして困った。何度途中で帰ろうか思案したが、自分のことばかりも言えない。何とか我慢して帰宅したら、すばるがゲロを吐いていた。風邪が移ったのかも。体を触ってみたら、少し暖かいのも気になる。同居しているからには引くだろうが。

 日中の暑さに閉口するばかり。かと言って、この気温をどうにかはできない。自然の為すが儘なのも、身体を慣らすしかない。明日は、沢田研二さんのチケットを買いに行く。午前中の仕事はキャンセルで、午後からにした。さて、どの席があることやら。願わくば、2階席の前列がいいなぁと念じているが。

 昨年の大豊作の結実。袋を掛けるのに、手はだるいし、首は痛いし、袋は足らなくなるし。

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弥生、穀雨・中潮

2018年04月20日 | Weblog

 穀雨 二十四節気  春の太陽が、強さを増す、この頃の雨は、五穀の成長に、天の慈雨と言う意で、穀雨と呼ばれる。毎年、四月二十日頃である。爽やかさを通り越しての気温に、花は萎れ、人減もぐったり感がある。そこに持ってきて、風邪を引きかけてしまったのは、休息時に転寝したからだ。

 昨日、勤務をしながら、しんどいなぁ、と思っていたが、途中で帰ることも出来ず、勤務を終えた。帰宅してからが、咽喉はいがらっぽいし、熱もあるようだしと、通草酒を飲んだはいいが、一向に思わしくない。そこで千振を口にした。即効で効いたが、寝不足から来ていたのだろう。睡魔が襲った。

 今朝は、休みなので眠っていたかったが、外は上天気。洗濯機を回し、蒲団を干す。網戸にしてやったら、すばるはうれしそうに背伸びしている。枇杷葉の実を見回っていたら、暁子さんのが齧られている。慌ててそれにだけ袋を懸けた。本来なら、全部に掛けたいのだが、何となく大儀で日延べを。

 ドイツスズランが咲き出して、庭中に匂いが漂う。可憐な花に似ず、香りは強い。台所の窓下のは、新芽が出たばかりだ。クリスマスローズも、一向に衰えず、何ヶ月も咲き続けているが、水遣りをしておこう。シクラメンの白の鉢を移し替えておく。球根がしっかりしているので、来年に期待したいもの。

 出窓の場所から動かさないでいるのは、未だしっかり咲いている。花は、最初に置いた場所がいいようで、あちこちさせると枯れてしまう。毎年、零れ種で発芽するリナリアは、フェンスの外や、庭のあちこちに群れているのがやさしい。花は、草も同じだが、蔓延ってしまうのは困る。きらん草も咲いて。

 勤務の業務内容に、掃除と入浴担当が記されるが、その役目を何かと言い逃れる。腰の痛みは皆持っているし、治療もしなければ歩くことさえ出来ない。わたくしは枇杷葉温圧療法と、焼酎漬けの湿布で事なきを得ている。病院は苦手だし、自分での手当てしかないと施行。給料を貰っているんだからさあぁ。

 それにはちゃんとした診断書が要るでしょう。個人的には、年齢も無関係ではないが、入浴介助嫌さに、嘘をついてまでとは。以前、代わってくれと言うのに、何回もしたが、3ヶ月で時効だと逃げられた。勤務中に喫煙をして、勤務先に前借を言い断られて辞めた。現金が無くなっていたのも、今となっては。

 昨年の今頃の枇杷葉の状態。丁度小指大になってきており、そろそろ袋掛けをしなくては。

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