枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

春爛漫・天しゃに

2021年03月31日 | Weblog
 我が家の庭も海棠が咲き終わろうとしている、山桜桃梅もヒアシンスにチューリップやアネモネが次々と彩る。枇杷葉は結実したのが見え始めているし、梅も小さな実が付いている。薔薇の新芽が出てきたなと思う間に、蕾も確認できた。クリスマスローズは大賑わい。今朝はその鉢の移動や植え替えに汗をかいた。未だ途中なのだがお腹も減ってきての中断。疲れちゃった。

 人間、自分に関係ないと思わぬ失言をやらかす。結果は言い訳を拵えるのだが、潔さは全くなく却ってくすぶっていた火を熾す。あれはそんな心算はなかった。と言うのは、じゃあどんな心算だったの?覆水盆に返らずで一旦口に出してしまうと言うことは、常々思っていることであり冗談にしろ零れた言葉だ。人生の大半を男性優位で育っているのだから、今更は無理だよ。

 ブログの個人への干渉も、誤解を招く書き方をしておいて反論するのも紛らわしい。どんな下手くそな文にも、其処に記載する以上は本人の責任が伴うもの。それに違った意見もあれば賛同する者も居て当たり前だ。わたくしはそれが民主主義だと思っている。加えて100人居れば百様の捉え方がある筈で、以って非なるものでもあろう。唯、喧嘩をする意志はないのである。

 自分本位の考え方ばかりしていると、目先のことが判らなくなり支離滅裂になってしまう。自然は人間の都合勝手に合わせているようで、堪え我慢をしているから暴走することにもなる。地震や津波を畏れる前に、しなければならないことがある筈で気づければ援けても貰える。皆違っていて同じなのだから、と個人的には想う暮らしをしている。清貧の晴耕雨読がいいの。

 例えて言えば、人間であることを奢っていれば見返りは出るもの。それがどんな形で現れるかは個々に異なっており、一概にこうであるとは云い難い。地球の公転・自転と月の満ち欠け、それに伴う潮の満干潮にも深く拘るのが身体だ。或いは家の方角方位にも無関係ではない。わたくしには一人・ひとりに繊細を告げることは出来ないので、感応する方に知らせている。

 ブログ名を出してのことは出来ないし、取り方で誹謗中傷にも成り兼ねない。真実を告げるのは医者だけでいい。その医者が厭であり、薬も拒否するとあっては自力で治すしか方法がなく枇杷葉にたどり着いたのだ。自然からの恩恵や畏れを心に据えて、祈り感謝の気持ちを持って過ごせば時間は掛かるが癒される。わたくしはあらゆることに弱く、怖がりで泣き虫でも。

 でも。泣いてばかりは厭だし怖くて震えるばかりもしたくない。ブログ訪問をさせて貰っていて、とてもうれしかった言葉が、○○は此処に居るよ、何時でもおいで。きっと書いた本人は忘れているかも知れぬが、何気なくさりげないやさしさに心が放たれた。人間の弱さを隠すこともないが、気丈に振舞っている陰で、不安や哀しみを視てしまうことも間々あるのですが。

 わたくしのブログにお越し下さる方の一人でもが、枇杷葉での力を貸して貰って生きる心で居てくれればと祈る。自然を侮らず、素直な気持ちを以ってすれば安らぐのだと信じて。産まれた瞬間から死への路を歩むのが、命を授かった生き物の性だ。蝶にも一寸の虫にさえ価値観は異なろうが存在している、そのことに気づけば自分だけが良かれという思いはなくなろう。

 
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気温の変化に

2021年03月30日 | Weblog
 春先は暖かくなったと身体が認識し始め、脳への指示を送るので少しの寒暖差に対処しきれない者も出てくる。見た目では元気そうにしていても、内面的・精神面の援けが微妙に違ってくるからだ。これは幾ら薬を服用していようとも、身体が自然の反応になるため心身のバランスを崩す。枇杷葉はこの精神面に深く拘っていくのだが、時間もゆっくりとになっていく。

 足湯に来る娘さんの手当をしているが、基本的なことを中々守ってくれずで対応仕切れない。身体を冷やしてはいけませんよ、と耳タコで話していてもそこが若いので足首は出している腹巻もせずで。自分の若い頃でも抵抗が少なくなかったので、強制はしていないが遅々として進まない。我が家に来るのも気が向けばの状態では、こちらの想う手当も不十分となるよ。

 昨夜はPM7時頃からの月の出現を待ち、山際での撮影は止めて再度でたのは9時だった。真ん丸と言う形よりは少しいびつであるが、春霞の朧月夜を薄着で観望していたらくしゃみが出た。その後、アンジェラ・アキさんのCDをかけて さくら の曲を聴いた。なんだかんだと遣っていて、気づけば真夜中過ぎとなっていた。明日は弁当の日だと言うのにとごちるが。

 夕方にはすばると一騒動あり、餌を与えているのにご飯頂戴と言うのは何?然もですよ、久々に卵かけご飯にしようと作って、おかずを探している間にオーマイゴッド!半分を食べられていた。熱いご飯に卵では、幾ら何でもとの飼い主の思惑を見事に裏切ってくれた。たらふく食べてうみゃお!はいはい、油断した飼い主が悪いんです…猫って猫舌は違うのかにゃ。

 今朝は少し早めに起きてのブログ訪問を済ませ、弁当を作り洗濯をして干しAさんに枇杷葉の種を持って行く用意をして出かけた。病院受診の日だと言われていたから留守なら、と寄ってみれば息子さんのお嫁さんと子どもさんが春休みで来られている。で・何か肩の調子が思わしくないと頼まれて手当を、筋を痛めたのか左肩が腫れているのに両手で気を注いでいく。

 Aさんちには枇杷葉も植えてあるので、生葉を当てていたらしいが熱い蒟蒻を乗せたために肌が真っ赤に。どちらかと言うと皮膚が弱い方には控えるのが好いのだが、とやんわり伝えておく。手当というものの、気を通じさせていくので時間も掛るし、体力も気力も必要とすることには変わりない。肩に置いた手が自然と離れるので、時間の目安は個人差が異なるのだ。

 桜は満開で、行きも帰路も沿道は見事な花見ができた。川面にも並木の下にも花茣蓙が続き、昨日の風と雨とに散り始めていることに気づく。桜の色も薄い白に近いのから桜色へと薄桃も見え、枝垂れ桜や山際の山吹が野苺葉の緑色とのコントラストも際立つ。山は笑い人間の心に憂いを省き、明日への希望と歓びをもたらす。やさしい風も吹いて身体を包みこんで。

 病に罹っている方も、介護で行き場を無くしている方も、自分自身に勇気を見いだせない方も、明日に少しだけ眼を向けてみませんか?苦しくて哀しくて自分だけがと思わないで、自然に任せてみませんか?冗談じゃないこのどん底で!と言われるなら、そこから始めてみませんか。15のあたたに伝えられるなら、今を生きることにして顔を上げてみませんか。さあ!

 

 
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如月、望・大潮

2021年03月29日 | Weblog
 源氏と平家の生死の別れ目は、潮の満干潮と月の満ち欠けにも影響していたようだ。時代を翔けようとする者は、多少なりともそういったことへの着眼点があるかも知れない。額田王が、戦に勝てるべく鼓舞した詠にも表れている。船を漕ぎ出だすにも、潮が満潮にならねば行けず月の光も三日月では頼りない。直観ではあるものの、閃きは疑うべくもない。

 自然を敬い祈りと感謝で暮らせば、風の声に雨の囁きや哀しみに心が反応する。桜の写真にも、そこに写っているのは樹ではないこともある。お能で舞われる精霊・魂には、何故そうなっているかが謡われる。葵上を獲り殺そうとする六条の御息所の想い、羽衣での天女の心境にも心根がある。桜の精は性別を問わず、怪しきも美しく佇むので夜間は出ず。

 ブログを見ればこのところ桜の写真が多くあり、視点の違う風景に見惚れてしまう。撮影者が心を奪われていればその姿で、咲いているから撮ったのはそれなりに見える。意表を突く趣ではなくその方にしか撮れない被写体は、言葉を持ち姿を魅せる。海の波間に宇宙の輝きにさえ想いは宿るのだ。器具の金額等も関係あるかも知れぬが、観る者を虜にする。

 庭の草木の新芽が伸びてきたので、酢と水を混ぜて散布した。海棠の葉が巻き始めていて焦るが、緑の毛虫が繁殖したら来年咲かない。枇杷葉の結実したのや、芍薬に通草へと庭中の物に掛けて周った。農薬はどんなに薄く溶いても口にする時に、不安が過ぎるのでしない。百日紅や猿梨にも散布するが、クリスマスローズへと遣っていたら無くなり昼に。

 昼食には乾燥饂飩を湯がいて戴き、葱をたっぷりと乗せた。残った葱はナイロン袋に詰めて冷蔵庫に仕舞う。昨夜は団地の総会があり出席したが、自分の意見をはっきり言わずな者が多い。陰口はいいからとも思うが。会費等への変更はなく運営にも支障はないようで閉会。これも男性中心の考え方で何故か夕方から、PM7時って一番多忙な時間じゃないの。

 森は炎上したものと思っていたら、消し忘れがあって未だにくすぶっているようだ。然もありなん。江戸時代までは権力の象徴としては将軍であったが、大奥の権限が優先されたのは書くまでもない。明治になって是では如何と、政治的なことや決め事を男性優位にしてしまった。女性が政界に物申すと正しいことを言えたのは、市川房江さん位でしょう。

 今の政界は後ろ暗さには事欠かないし、謙虚や丁寧を穿き違え嘘と誤魔化しでの運営を何とも感じない。庶民の苦しみや困窮には蓋をして、破れ鍋を守死するばかり。支持率も作為し物事の細部には触れず決定させ、条例を無理矢理に制定してしてしまう。肝心の文書が残れば後で面倒と廃棄、事実無根だと言い張る驕りに徹する。原発再稼働は駄目です。

 追記 外での黄砂や花粉等の眼への影響に、枇杷葉茶をコットンかガーゼに浸して拭くと痒みが取れます。注意点は二度拭きは禁物です。洗面器だと汚れたままで余り意味がないです。ティッシュペーパーでも可能ですが、破れることもあるので注意しましょう。五十肩には、枇杷葉の生葉を貼っておくと痛みが軽くなります。蒟蒻との汎用も可能です。


 

 
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価値観の違い

2021年03月28日 | Weblog
 物事への個人の思いと言うのか考え方なのかは定かではないが、写真を撮って載せているのに心を鷲掴みにされることがある。その風景をカメラに収める瞬間、変にいじりまくらないでその彩を移すことに集中する。これは至難の技であろうなと何時も感じる。画面構成にも依る処が大きいのかも知れないが、其処には文字も隠れているし言霊さえ聴こえるものだ。

 文章にも他人さまに読んでもらうことは分かっているのであるが、誰の言葉も借りずに自分の心を晒しだす作業は難しい。然も、そのちょっとした言葉尻を捕らえる物言いもある。ブログと言えども小説の短編であり、続編へと流れていくのだが読み辛いのに当たると、ボタンさえ押せなくなってしまう。願わくば遠慮したいとかの項目も欲しい想いに駆り立てる。

 日本語の正しい使い方教室ではないし、それなりの教養もあり年齢的な考慮もあるので指摘は躊躇する。わたくしのさえまともかどうかは疑問なのを、他人さまへのことには及べないと思ってもいる。枇杷葉のことだけではなく、他のことも記載しているが誰かに褒めて貰おうと作為はしない。それが最近はファロー数が急激に増えるわ、コメントもあって驚くわ。

 仕事を辞めてから、自分と向き合うことが増えたのも良かったのか?枇杷葉に賛同してくれる方も次第に多くなっているのもうれしいな。個人の想いなので強制はしたくないし、枇杷葉生活を奨めても本人の気持ち次第であるのも尊重している。唯どういった繋がりかは不明だが、判ると言うのか視えてしまうことがあって真実との葛藤は止まない。森羅万象なの。

 最近目に留まった方のコメントに書かせて貰ったが、自然を敬いその姿を残そうと写真を撮ってなので夜間のことも尋ねた。そうしたらこの方は、人間が踏み込んではいけない境界もあることを教えてくださった。自然への畏怖と言うのは、人間の好き勝手ではなく命の宿る場所でもある。簡単で便利な生活も悪い訳ではないが、人間の傲慢・驕りを考えてしまう。

 昨夜から降り出しだ雨は、春雨の如くで音もなく止んだりと不規則である。洗濯物も少しなのと換わりの衣類もあるので、外に出したままだ。気温は20℃以上になっていて、寒さを感じるものの衣類での調整可能なのが有難い。すばるは午前中駆け回っていたが、マッサージチェアの羽根布団で丸くなっている。ハーフサイズなのがお気に入りで使うと機嫌が悪い。

 
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見えないことも

2021年03月27日 | Weblog
 Aさんの手当に行く予定で、今朝は早くから起きての支度をして出かける。着くと緊急事態が持ち上がっておりドキッとするが、枇杷葉エキスを浸して手を当ていたら少し腫れが引いた。何でも昨日電話機が落下しての打ち身で、薬を呑まれている関係で患部が黒い。無論触ると痛いしで、大騒ぎをするのを何度もエキスで和らげる。ここまでになるまでにしておかないで、と内心思うのだが大儀だったらしい。2時間の滞在となる。

 午後から足湯に来るかも知れずで、訪問と更新をしておこうとかかる。桜の花も満開を過ぎての散り始めており、一気に咲いたもので春を忍ぶ思いだ。草木の匂いは自然で好ましいが、桜餅とは格段に香りは薄いのでそれとは気づかない。花よりも葉の方が匂いはあるかな?車の排気ガスがコロナ禍で自粛され、分かる者も居るとは思うが然程ではない。昭和の時代になら梅の馥郁とした匂いと反対に、微かにはしていた記憶も残る。

 枇杷葉茶を人間だけではないが、薬を嫌がる猫には覿面の効果がある。医者も見放す症状でも持ち直すのだが、自力では無理なので支えて与えるのが好い。銀河にもやってはいたが気づいたのが遅くて死なせた。飼い主だけの満足かも知れぬが、あの眼差しは忘れられない。自宅での看取りでよかったと思っているが、家族同様にしていたら淋しさは癒せない。子猫の時からであれば尚更で、心の空洞は埋められずに引きずっている。

 この処すばるは、飼い主がご飯を食べようと食卓に着けば駆け寄って来る。そこでご飯頂戴とねだる。熱くなく冷めた箇所をじっと見て何度もせがみ、ご飯だけを皿に入れてやるとうれしそうに食べる。どうやらカリカリやチュールに厭きてきたのか、飼い主の行動を良く知っていて足にまとわりつく。お結びでなくても好いのか?まあ、ご飯と言っても片手も口にしないのだから。これに鰹節が好いのであろうか悩む飼い主でも。

 天気を頼みに布団を干したまま出かけていたが、明日以降の雨になるらしくふかふかとなっている。そろそろ仕舞う段取りにしよう。午後からの足湯もあるかと連絡待ちで、昨日の時点で伝えてある。訪問は未だ半分しかできていないが、慌てずゆっくりと読んでいきたいところだ。焦ると誤字脱字となるし文章も纏まらない。書くからにはきちんとしたいし、読むのであればじっくり眼を通したい。この至福の時間は貴重で重要。

 図書館で借りていた猟犬。訳者が良かったのかすんなりと読めたし、内容的には怖いのだが手法が面白かった。次は魔女の目覚めに入るのだが、ブロ友さんの紹介も映像では観られないので、原作本を予約してからの読破となる。個人の遣り方で且つ、自分に合った愉しみができるのもうれしい。色んなことに興味を持てるのも、そこから学べることにも歓びが多い。人生は捨てる神あればだが、その反対にも遭遇する想いが大きい。
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強風に煽られて・・・

2021年03月26日 | Weblog
 今朝もAM7時台で起き、弁当を手早く作り布団を干し洗濯機を回す。濯ぎの段階で全自動なら止められないが、二層式はそれが出来るのが有難い。ペットボトルに水を溜めて草木にかける。まあ飲めはしないが捨てるのが勿体ないので、これからの季節毎日のことと思案した。雑巾を洗ったりハイターを容れると使えないが、単に洗濯だけなら水は綺麗である。そのまま流してしまえば下水道へと直結し、水道料金も増していくのだ。

 基本は、独り暮らしであるから文句を言う者は居ない。誰かに払ってもらうのでもないから、年金の遣り繰りは必須となる。庶民の最低限度の金額は知らぬが、あるだけで知恵を働かし遣っていかねば暮らせない。花木を処分すれば済むことなのだが、夏の暑さを遮り冬の寒さを防いでもくれ必要なくなったし金もかかると直ぐに処分できない。その花木のお陰で生かされているのを、天に唾吐く行為になる。人間の勝手都合は否。

 弁当を作って届け、Aさんちで水が出るようになったので分けて貰い、図書館に寄って書籍を借り帰宅した。桜の花は満開状態で、この強風に煽られ花弁が舞う。明日あたりから天気は下り坂と言うし、わざに出かけるのもとデジカメでの撮影をしておく。孫等の通った小学校跡なのだが、統合されて廃校になり活用もされていない。耐震工事までしての廃校では、何億と言う財政も勿体ないな。オリンピックの聖火走者も何のため。

 コロナも落ち着く処か、迷走に陥る兆しさえあると言うのに中止しなかった愚策。本来のオリンピックは庶民の為の物であったと思うが、金が絡み始めてからは上っ面ばかり。戦争を止めて、何処の国とも行き来をして物々交換であれば良い。原発もなく殺し合いもなければ経済も動くと思うが、私利私欲にしようとすれば闇が被さる。夢の島に行って第五福竜丸を見た。あれは都庁に飾るべき遺産で、辺鄙な場所では伝わらない。

 北海道への偏見と差別も、沖縄でのいざこざにももっと自分の事と考えよう。日本に元から住んでいた人々を追い払って、其処に移住したのは・させたのは誰だろうか?沖縄も、アメリカに勝手に土地を売り渡し基地にしたが、其処に住む人等を騙して手にした物だ。自分達は、百済や高句麗・新羅からの移住であるのを忘れている。地球のあらゆる資源を取り尽くし地震や津波に慄き、何かが起これば自然のせいにして大騒ぎする。

 自然から視たら、宇宙からの啓告を無視し好き勝手を遣っている人類への戒めになろう。森羅万象というのは命の発生する場所であると共に、其処に還らす役目もするもの。どんなに自分だけは助かりたいと願っても通じずで、無心な心でいることでさえ難しい。覚悟の上で命を愛おしみ、一日を感謝と祈りで過ごしたい。誰にと言うのでもなく我に課せられた宿命なのかもしれない。幾つになっても学び続けて逝けるといいのだが。

 
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世間は花見に

2021年03月25日 | Weblog
 今朝は夕方からの雨で肌寒いが、桜は満開に近い状態であるのを弁当配達時に眺めていく。田舎の事情ではそこら中が桜で埋まるので、わざわざと言う程のこともなく花見ができる。仕事を辞めた関係上、誘いは来ないと思っていたら、足湯に来る娘さんから声が掛かる。今週が見頃となるが、そこでは菜の花を見に行くらしいので再来週計画。まあ、八重桜もあることだし花見は可能。自粛も好いが庶民の鬱屈を祓えることも大切。

 閣僚の嘘と誤魔化しが次第に厭きてくるばかりだが、ここまでの忖度も自分都合と言う前例を作っている。それにしても報道関係者は突っ込みが甘く、疑問等を抱かないのかが不思議な気がしてくる。これは間違っていることだが、閣僚のしてはならない基準なのを何故平気で行うの?文春号砲でばれたら開き直るのにも愕然とする。国民のと言うよりも庶民が困っていようが死んでいようとも、自分の懐だけが潤えばいいのかもな。

 二階から指示を出す者やあっそう等言うだけの者も居て、庶民の血税だけは多額であろうが受け取っているのも謎。一体どんな仕事を庶民の為にしてくれているのか?わたくしにはとんと理解不能なことである。でも、一体誰がゐれたのだろう。地元の連中でさえ恥は知っているだろうにとも思うが、庇うばかりの能天気だ。でも、原発は再稼働なし!最近の地震状況では油断するも何も、事故への可能性は広がっていくばかりです。

 海棠がちらほらと咲いてきている。一昨日場所も移動しているので、鉢物も雨と気温に満足かな?通草が、頗る勢い良くて何処までも伸びていく。小さな房も数えれない程に見えていてうれしくなる。クリスマスローズも、咲かなかったのも含めて新芽が出て来ている。薔薇も芍薬も季節を忘れていない。人間よりも正確に条件さえ整えば咲いてくることに感謝。速く咲かずとも遅くであっても、花はそれなりに美しいものと知る。

 すばるは、パンは好きなのだがロールパンでないと口にしない。ライ麦パンだと愛想もなく立ち去る、パンの種類での文句は受けていないので飼い主はゆっくり戴く。枇杷葉茶がないと容れて!と大騒ぎして、熱いと飲めないと怒る。客人には見つからないように隠れ、居なくなった時点でやれやれと出てくるのが可笑しい。最近は観葉植物の味を覚えたのか狭い場所に入り込み、ちょろまかせて知らぬ顔で居るので気づき叫ぶ羽目に。

 いっくんのブログを探し当てて舞い上がっている。高が人形と言えどもされど人形である。こちらの気持ちが通じていくこともあるのだろうか?持ち主さんはわたくしではないが。あのピノッキオを思い出すのよ、木でできた人形であっても本当の人間になれる気もする。アシモフの我はロボットにも、グローリアの単純明快な気持ちがある。人間だからとか花であるとかでなく、自然は雄大にして存在しているのだと感嘆するばかり。
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桜満開に

2021年03月24日 | Weblog
 数日籠ってだったので、久々の弁当配達で山も川端も桜が咲き笑う。廃校になった孫等が通っていた場所にも、空に向かってそびえる姿が見える。今朝は、裏手の子どもであろうか早朝からの泣き声で起こされる。すばるも、びっくりな大声に地団太まで踏む騒ぎ。勘弁してくれ、子どもを泣かすなとは言わぬが我儘を放置は迷惑なのよ。甘やかすばかりでは駄目だ。

 家の玄関前には使わなくなった物が溢れ、菓子袋は他所んちに投げ込み放置している。煙草の吸殻は我が家の枯れ葉の中に突っ込んでいるが、消した心算で火が残っていたらどうすんだろう?車は、駐車場でなく道路に勝手に停めるわで、こちらが車を出せない状況にする。停まっている車に当てた方が悪いと言うなら、公共の道路では駐車禁止だろ。この親に児で。

 従って掃除をして片付けるのはこちらという訳で、腹の立つのを通り越してすれば済むことと黙っている。同じするなら不平たらたらでなく気持ち良くやろうと、箒と塵取りを持っての婆さんで塵は全部そこの家に持って行き捨てる。冗談は佳子さんですわ、三平師匠でなくても分からぬようにしている。自分ちの玄関も掃かねばならぬし、花も置いて咲かせたいの。

 枇杷葉の下に沢山の鉢を置いていたのを、陽射しが当たる方向に移動した。クリスマスローズの鉢が多く、今まではそのままで放っていたのだが、新芽を見つけてたり花を確認して即決断する。段差のある飾り棚にもムスカリを移したり、素焼きの鉢に移し替えたクリスマスローズを持ってきた。枇杷葉の下になっていて、忘れていた新芽が出て慌てたのが事実だ。

 芍薬の芽があちこちに出始めてきたが、忘れて踏んでしまっては咲かないので棒を立てた。駐車場の軒下と南側に植えてあるが、先日肥料を容れ雨が降ったので驚いたのか?今年、フリージアは全滅したが、スイトピーは何とか盛り返している。猿梨に付けたのが一番勢いが良く伸びている。通草は、12ヶ所程に蒔いておいたのが育っていて房も百近く見えている。

 そうだからと言って全部が実になるとは限らなく、噴霧器でお酢を薄めての散布をした。自分の口に入れるのだし送ることもあるので、農薬は掛けたくない。身体のどの部位にも癌細胞を発生させたくないので、冷やさないことは勿論だが病の巣を作らせない。枇杷葉の力を信じてだが、医者に罹る金もないし時間に至っては勿体ない。可能な手当てを施行して。

 年齢と共に身体はあちこち壊れていくので、それらを止める手立ては限られて来る。枇杷葉には細胞を活性化して病の進行を抑え、本人の意思と枇杷葉の持つ力とで自然への祈りが通じるために援けて貰える。渾身の想いが身体にも判るのであり、治したい・治りたいとの気持ちがあれば自然は見捨てないのだ。そのことに気づき悟ることで援けられる不思議。

 
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彼岸明け、若潮・如月

2021年03月23日 | Weblog
 雨の降った後には寒さも戻るようで、今朝は打って変わった上天気となる。通草が勢いよく蔓を伸ばしており、小さな房も沢山あるのを確認した。枇杷葉の花芽も結実しているのが多くあり愉しみで、それにしても今年の季節の異様さに戸惑いを隠せない。花芽の一部が今から咲いているのや、霜と雪とでそのまま枯れているのと対照的なこと。自然は厳しい。

 布団を出して広げ庭の見回りをしてデジカメに撮影、その後午後も1時が近づいたので仕舞っていたらスマホが。足湯に行きたいがと言うので、急遽ブログ更新している有様です。訪問にも新しいのだけは出かけたが、世間は花盛りに感心するばかり。まあ、弁当を作って花見にも行ける近さにあるのだが、急に来るのには間に合わないのよ。巻き寿しの支度を。

 天気になると汗ばむ異常さであるが、油断しての体調不良には気をつけねばならない。海棠が咲き始めたが今年は少ない。ちょっと剪定をし過ぎたかな?リエさん枇杷葉と白薔薇に挟まれての場所なので、中々思うに任せない。椿がさっぱりと蕾のままで、どうしたのかと危ぶんでいるが。芍薬も芽が大きくなってのことだが肥沃なのか、花の付きも芽も増えず。

 我が家は、枇杷葉発育中なので余り他が増え過ぎても、と思うので花も分かるのかしらん?それに様々な条件が重なって来ては、其処の家でしか育たない品種もあるようだ。寒冷地での物は暖地では無理なことだし、その反対も改良種でないと育ち難いのだろう。野や山にある植物も同じ条件にしなければ大きくはならず、枯れてしまうこともあろう。自然次第。

 枇杷葉での色々な効果には、初めはゆっくりと少しづつ行い無茶な対応はしない。枇杷湯も、最初から生葉を大量に入れれば好いと言うのでもなく、身体を慣らす為にもお茶で飲んだ後をしたりで。束子で擦るのも少しだけに留めたり、しないのも好いようである。生葉は、可能な限り寒中にと言うのには、啓蟄を過ぎれば虫が這いだすからであるのを忘れない。

 自然の成り立ち仕組みには、必ず謂れがあると言う事にも気づいて欲しい。自分都合で行うのが好いとばかりも言えなく、迷信でもなければ無理矢理ではありません。わたくしの出来ることは、ここからの啓告に過ぎません。それを受け止めてくれての施行なら、効果の程もあがると信じています。枇杷葉の力には、実に不可思議なものがあって驚くのです。

 わたくしの視える力にも何故なのかは解りませんが、感応してくる何かが相手にあるのだと思えます。高々ブログだと侮るのも、かと言って超能力でもありません。そういった力を持っている方は大勢いますから、偶々の偶然から感知してしまうのかも知れません。枇杷葉茶を飲んでくれたり、手当をし始めた方は身体に変化の起きていることに気づくのです。

 あちこちにパワースポットもあるとは思いますし、其処に霊気があるのも視えたり解かることがあります。金縛りに遭うのもそういった場所から動けなくて、その感覚は経験した者にしか解からないのです。それが良いのか悪いかは別として、感応するのはとても疲れることで厭な想いにもなる。最近は、自分なりの制御も出来だしたので少し気持ちは楽だが。
 
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春の寒暖差に

2021年03月22日 | Weblog
 時期は春で、早春は過ぎて中春となっている。花木への品種改良も進んでいることから、咲いているのにも眼を疑う物も多い。図鑑に載っている品種では判らないことにも、今はネット検索で直ぐに判明する仕組みだ。それでも野に咲く花々には陽当たり次第で風に揺れている様は何とも可憐である。近所の李の樹も枝を広げており我が家の木とは比べる絡もない。

 ブログへの添付はここ当分していないが、写真だけは撮っておこうとしたら電池充電のサイン。先日、ブロ友さんの処でクリスマスローズ名ヘレボレス・フェチダスと判る。これね、以前に買ったのだが咲いて消滅してしまった。昨年その跡に小さな苗(2株)を発見して移植したのだが、咲くのには数年かかると苗を購入した。茎を伸ばした先端で花が匂っている。

 今朝の気温の低さにストーブ点火し、枇杷葉茶を煎じていたがその後が勿体ないので煮物をかけた。弁当のおかずにもなるし箸休めに丁度いい。朝パンを食べようとしてレタスに気づき、これに春雨と乾燥ワカメを容れて塩だけの味付けスープにした。塩は、シンプルで素材を引き出すので重宝する。加えて手荒れにも効果が大きく、すばるに舐められるのも安全。

 コロナでのアルコール消毒は守らねばならないだろうが、個人的には枇杷葉エキスを持参するか枇杷葉茶での対策をしている。枇杷葉には殺菌効果が大きく、焼酎は35℃なので単品よりは好い。冬場での柚子も湯舟に浮かべるだけではなく、皮は料理にジャムにして実の部分を少し裂いて果実酒に漬ける。容器はペットボトルでもジャム瓶でも、何でも良いのです。

 注意時点としてはしては、ホワイトリカーのアルコール度数を35℃は守ること。容器の中に少し垂らしてよく振ってからすること。煮沸消毒をするのが手間でも億劫でも無ければですが、物に因っては溶けてしまったり乾燥までの時間が長いので。猫を飼っているとハンドクリームは危ないかも、メンタムには逃げ出し近寄りません。手荒れ対策は重宝しますのよ。

 身近にある薬草にも花への散布に採って漬けておきます。最近は、お酢を薄目ての散布が殆どですが塩も役立ってくれ有難い存在。枇杷葉茶の齎す効果にも、本人の自然への祈りと感謝次第で病も快方に向かいます。食材も、四季折々の物を戴いて色目優先でなく、身体への影響も考えてみましょう。日本にある四季を楽しみ、自然からの恩恵に感謝で生きたい。

 人間は、様々な物からの命を当然のようにお金で買いますが、ではそのことへの感謝は口にします?スーパーに行けば何でもありますからね。わたくしの価値観では大きなずれを感じてしまうので、極力行かないことにしていますし、旬の物しか求めないようにしている。身体への負担を思えば然りなのですが、他所さまに強制を致したくはありませんので。

 腰痛の原因の1つに、身体を冷やしているという自覚がないために起きます。室内を快適にしていれば身体も慣れて来ますから、外気温との差に悲鳴を上げるのです。人体の仕組みや医学的な見解も持ち合わせていませんが、自分の経験からそうではないかと思える。介護の仕事をしていた時には、枇杷葉の生葉を漬けたのを手拭いに包み腰に当てて対応し効果大。

 
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