枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

如月、望・大潮

2018年03月31日 | Weblog

 球根類も、水仙は不発であったが、チューリップは開花してきた。ムスカリも咲き出して、庭の色どりも賑やかである。そよ風が気持ち好くなったが、油断すると花が萎れる。慌てての水遣りに、何とか元気になったようだ。昨日は、農薬の変わりに酢を、空瓶に容れていった。枇杷葉の黄色の葉を落とす。

 明日から新学期である。大学は始まっているのだろうか。春休みは、宿題がないので遊び放題となるが、新学期の組換えもあるので、進級するのも楽ではない。生きた人間程、怖い者はないのが実情だ。やれやれ気が重い。死んでまで、この世の恨みなど、何時までも続かない。この世には愛憎こそ多いが。

 施設でも、職員の移動があって、以前居た者が舞い戻って来るが、無断欠勤はする、嘘は突く、狎れなれしい。最後は泣き落としをやらかす。一番厭な人種だ。総理も、国民の信頼を取り戻したいなら、やったことは素直に認めればいいのを、首相を辞めると言わねば、外交実力は認めているのに無駄足掻き。

 国政を多人数で、強引に押し切ってはいけない。悪い前例を作ってはいけないのよ。誹謗中傷もやることではありません。一国の酋長が、そういうことを平気で遣っているから、国民の中に、同じような者が出現してくる。最近の動向には、同じ人間でありながらも、ちょっとした役職がつくと威張るんです。

 それにしても、籠池さん。遣ったことは拙かったですが、国会答弁には拍手です。ご立派です。真実を語ってくれて、ありがとう。そこいくと佐川さんの、間の抜けた答弁、子ども騙しの遣り取りには呆れました。麻生さんなど、あっそう答弁一辺倒。国会議員の資格すら怪しい。国政に阿る人物ではないです。

 陽気に浮かれる天気でした。今晩は満月です。昨日よりは風も吹いていませんが、洗濯物の乾きはいい。午後から干したのも、乾いたようです。枇杷葉の新芽も覗いて来たし、庭は花盛りになっている。何よりもうれしいのは、あけびの(通草・山女)の蕾が見つかったこと。暁子さんに心の中で伝えましたよ。

 鬼通の新連載が始まって、心待ちにしていた矢先、初夏の盛りに逝ってしまわれたのが、無念で仕方ない。あけびの花のことを書かれていて、実物をお送りもした。庭に新芽が出てきていませんか?かんりびとさん、お元気ですか?邪魔っ気になって、刈られたのでしょうか。故人を偲ぶ余りに、想いが強過ぎて。

 昨年の初夏に、暁子さんの墓所にお参りした後、大仏さんにおめもじしました。銀杏の木も。

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通草の蕾が・・・

2018年03月30日 | Weblog

 どうということはないのだが、昨年なかったのが見つけられると、顔がほころぶものだ。今年は種を蒔いて4年目になる。最初にばら撒いたのが、探していて10程ある。今は1cm位のだが、花が咲くのが待ち遠しい。友人に貰わなくても、リエさんに送れるのもうれしい。早生か晩生かは不明。

 チューリップが咲き、山桜桃の蕾や、椿も海棠も陽気にうれしそう。季節の訪れは、暮らしの中で、余程気をつけていないと、見逃すもの。天気に月や星を眺め、気温に花々に眼をやればいいだけだが、それが中々できないものだ。人間の棲むだけの地球ではないことに想いを馳せたい。祈り。

 星野仙一さんは、野球自体は好みではなかったが、人柄が好きでファンだった。往時の長嶋さんよりも格好よかった。何しろ、巨人が嫌いだったのと、野球のルールがさっぱりであったので。他人の見た目には、スポーツ好みと思えるようだが、バレーボールも突指するわの運動オンチオンリー。

 天気が好いが風がある。洗濯物がはためき乾く。蒲団を干しておいてから、フェンスの外の、先日の残りの草抜きをする。2時までの時間をしたが、草は後から幾らでも生えてくる。リナリアの苗だけ残して刈っておく。風はあるものの、心地よいので捗る。すばるも外が気になるようだが駄目。

 鉢物に水を遣り終え、そのちょっとした隙に、庭に出て行く。駐車場の方に行って中に飛び込んだ。その後、ソファで昼寝をしているが、鼾をかいて眠っている。蒲団はふかふかだし気持ち良いのだろう。明日は満月で、朧月夜になるかな?あちこちでの花見らしいが、出不精としては家で過す。

 施設の花見は4日で、雨が降って散りそうだ。昨年には、全員参加でしんどかったので、今年は休みにした。職員の皆が協力しないと、出来ないことだが、命令ばかりしてでは、些かうんざりする。他の者が動き易いように、段取りを組ませて、自らも配慮が出来ねば、上司とは言えまいだろう。

 加えて、幾ら綺麗な言葉を使っても、相手に通じるように尽くすことも大切だ。最近、やたらといただきますや、上げますが多いと書いても来たが、地方の田舎のことである。そこに似合ったやり取りがあって、方言も含めて、心が籠ればいいのではないか。無論、標準語は基本で、謙譲語は否。

 パソコンの検定試験の時にも、研修でも、いただきます は傍線を引いて必要ないと言われた。戴きますは、食事の際の言葉であり、たくさんの自然への感謝の気持ちを現わす。人間の勝手都合で、命を終えた物への祈りでもある。家畜や、野菜への感謝の思いでもある。生かされているのです。

 昨年の5月にリエさんを訪ねた。行きの新幹線から見えた富士山。帰りは雨になって残念。

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夢占い・・・

2018年03月29日 | Weblog

 最近、頻回に夢を視る。それも確実性のある夢で、後日分かってびっくりする。何故そうなるのかが分かれば好いが、はっきりしないことが多い。不吉な予感に胸の動悸が治まらないこともあり、どうしてなのか旋律を覚える。そういった特殊能力が、良いのか悪いのかは定かではないが、本人は戸惑うことも。

 介護の仕事をしていて実感するのは、どんなに丁寧でやさしい言葉使いでも、相手に届かないことがある。要するに心が籠っていないからで、上っ面だけでしかない。業務を滞りなく、遂行しようとすれば、こちらの都合も優先させる。何処をどうするかで、相手に寄り添えるかは、本人の努力にも依るのが大だ。

 認知症だからと言って、何もかも分からないのではない。若い時分の記憶や、していたことは鮮やかに覚えている。先日も、富山の置き薬のコマーシャルに、昔は来ていたことが思い出されて、話しが弾んだ。全く自分一人では忘れていることも、何かでスイッチが入れば、加えて話の広がりがあればいいのだ。

 年齢を重ねていると、子どもの頃の記憶には戻れるので、母親位の高齢者なら、糸口さえあれば、幾らでも語らうことが出来る。若い者にはそういったことは不可能だが、図書館に行って調べればいいし、歴史は大切な記憶を呼び覚ます。ハイテクな機械も便利であったり、簡単ではあるが空しいのも事実かな。

 桜が満開で、春爛漫という景色だ。辛夷が咲き、木蓮・白木蓮が鮮やかだ。特に白木蓮は、まるで木に下がるシャンデリアで、夕方の闇を薄っすらと照らす。きっと今夜辺りに、舞踏会が開催されるのでは?妖精たちの集まりに、ちょっと出かけてみようかしらん。月も満月が近くなって、そぞろ歩きには好いが。

 姫路城の天守閣が新しくなって、未だ行ってはいないので、出掛けるのもいいかもしれない。白鷺城とも別名があるが、家康の孫の、千姫さまが嫁いで来た城だ。お菊の井戸でも有名。夜桜を見に行くと皿を数えている、お菊さんの姿があるかも・・・でも桜は、墨田川のが眺めも良い。ブラタモリを実現させた。

 昨年の上京の際の富士山。新幹線から眺めたが、何処から見ても雄大で美しい山ですね。

 

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花回廊

2018年03月28日 | Weblog

 桜の並木が続く中を出勤する。沿道の花に心がざわめく。気温も一気に上がって、25℃以上あるようだ。爽やかを通り越して、暑いのに倒れそうになる。高齢者にはこの気温は堪える。衣類での調整ではあるが、薄着になると寒い。暖房を切って、窓を全開にする。そよ風が気持ち好い。

 満月が近くなり、月の出も早くなって来た。午後の4時も過ぎると、天に浮かんでいるのが観える。菜の花や月は東に陽は西に、俳句の表現の絶妙さに、古人の暮らしを重ねる。然し、自然への想いを馳せる者は少なく、勤務先でも、これから咲こうとする、ハナミズキを伐っている。エゴ。

 咲いたのを、1枝貰うのはいいかは知らぬが、邪魔にするなら植えねばいいのに。猫でも犬でも、小さい時は可愛いが、大きくなったら捨てるとは。実際、はた迷惑な話では済まないのだ。そこには命があることを忘れてはならない。飼う以上は責任を持ち、最後まで面倒をみなければと思。

 すばるの悪戯も、多少下火になってきているが、未だやっと1年である。成りは大きくなったが、3年程は無理だろう。ここら辺で二十歳位かな?リエさんちのロイ位になると、ずっと落ち着くのだが。未だ甘えん坊のすばるは、子どもが嫌いで、声を聴いただけでびくんとする。奥に逃げる。

 今朝、出勤時には蕾だった海棠が、ちらほらと咲き始めている。日中の陽気に、一気に開いたようで、気温の威力にたまげる。普段は、水分を嫌がる方も、咽喉の乾きにごくごくと飲んでいた。北風と太陽の寓話を思い出す。グリムもアンデルセンも、古典になった今日、読み返すのもいいか。

 就寝時の湯たんぽを、何時止めにするか決めかねるが、やはり当分は外せない。足元が冷えるのは、眠気を促さないし、一向に眠れない。今夜だけならいいが、ずっと寝不足では、仕事に差し支えるので困る。

 イタドリが効いたのか、肩が少し軽い気がする。激痛がしていたのが和らいだ。年齢を重ねると、身体に支障が出るのは致し方ないが、仕事となるとそれでは済まないのだ。枇杷葉と、自然からの恩恵を感謝して、日々を乗り切っていかねば。年金だけで暮らせるようなあてはない。厳しいのだ。

 昨年の咲いた海棠。この花の形が好きで、買ってきて植えた。近年、花数が減ってきている。

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春霞に・・・

2018年03月27日 | Weblog

 午前中、勤務の更新の手続きに行き、余りの天気の良さに、気になっていた草抜きをした。よく抜けてくれるので、半分程を片付ける。その後、箒で掃いておく。見た目には綺麗になったが、ここはフェンスの外なので、自然発芽した花くらいで、植えてもあまり育たない。立地条件は最悪で、土が抜けていく。

 ゴルフ場の看板が撤去され、陽当たりと眺めはいい。田舎のゴルフ場など、客も来ないのを、無理矢理に開発しての結果だ。コースは設置していなくて、打ちっぱなしだけでは、幾ら料金が安くても、不便さが先に立つ。儲けようとして、不発に終わった愚かな地球破壊。そのしわ寄せをこちらに言われて来ても。

 暁子さんの枇杷葉が、早くから咲いて楽しみにしていたのが、殆どが枯れてしまったようで、何とも気抜けがした。花芽茶に前以って採って、リエさんに少々送ったが、今の状態では、香りが消えてしまった。絶望の暗澹たる想いがしている。霜の降り方や、雪の回数にも依るので、自然の畏怖には手立てが無い。

 快晴の気持ち好さに、すばるは満足している。寝息を立てて傍らに眠る。同じように眠りたいが、来月の献立表作りと、ブログの更新をしておかねば。桜は、咲き始めており、今週一杯が見頃かな?友人は花粉症で、それどころではないようである。庭の通草が蔓を伸ばして来て、柔らかな薄緑色を絡ませてる。

 クリスマスローズも、地植えにしたのが活き活きとして咲いている。鉢植えも狭いと無理なようで、大きめのに移さねば。今年は遣っておこう。職場の同僚が足の裏に貼る枇杷葉を採る。苗をあげてはいるが未だ小さいので、今年の秋口辺りかな?生葉が黄色になってくるので、その前に採っておく。明日、忘れず。

 すばるのトイレが気になって、珈琲の粕を入れて置く。薔薇と海棠に、酢を散布しておいた。李が数輪咲いたが、実が生るところまではいかない。蜜蜂が飛んでくればだが、期待するのは無謀。まあ商売でのことでなし、趣味の愉しみでもあるので、自然に任せる他はないようだ。ブルーベリーも新芽が出てきたよ。

 我が家に咲いてくれる種類は、植える者の好みで決まる。寒色系とマッチする枇杷葉に白で。

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如月十日

2018年03月26日 | Weblog

 天気に気を良くして、早速の蒲団干し。草も抜かねばと思いつつ、先週に娘の持って来て設置した、下駄箱の整理がある。郵便局で振り込みをしていると、激しいくしゃみの連続。花粉症に難儀をされて、マスクのいでたち。気の毒な局長さんは別として、受付のお嬢さんが可愛そうになった。

 山女や枇杷葉がいいのだが、個人差もあり、強引な勧めも押し付けになるので、蘊蓄を垂れておく。帰宅して、下駄箱の掃除と片付けをし、靴の入れ方を換え、履かなくなったのを捨てる。不用品を塵で出すと、すっきりとした。普段履きも見える場所で都合良い。余所行きも扉が閉まるよ。

 さて。片づけたはいいが、置き場所に悩む。やはり以前の位置に置いておくことにして、捨てる物を分ける。貧乏性であるがために、やたらと何でも取り置く。子ども等は直ぐに捨てようとするが、雑巾になるとまとめておいたのを、洗濯機に放り込んで洗う。職場にも持って行けるんです。

 通販で買ったのが、扉が壊れてしまい、どうするかなと思案していたら、娘夫婦の引っ越しで、貰ってくれというので頷いたが、夜半にいきなり持って来るので驚く。夜は在宅していますが、電話位はしてほしい。のんびりと食後を過ごしていたので、チャイムが聴こえたがすばるは不機嫌。

 昨夜は暖かかったので、蒲団の上で眠っていたが、朝になったら腕枕である。今朝は休みで、ゆっくりしたいのだが、天気には逆らわないことに。蒲団がふかふかになってあり難い。夕方には冷え込みがあり、セーター1枚では寒い。身体を動かす云々でなく、自然の温度は正直なこと。

 桜が咲き出して、鶯の囀りも上手になった。睦月の頃には、ケチョと鳴く程度だったのが、ホ~ケチョ・ケキョである。気温の上昇に声の張り方も違う。この時期の登山で何時も思うが、わざわざ出掛ける気が知れない。雪山は、緩んで来ており、雪崩も多くなると言うのに。常連・熟練慢心。

 祖母が元気な頃には、春蘭を探して山歩きをした。目の前を鶯が飛び、枝に止まって囀る。梅の木もあちこちに生えていて、空腹時には捥いで食べた。尤も、梅雨前の蒼い実は口にしなかった。アミグダリンの猛毒作用で、七転八倒するのは体験済み。あの腹痛は半端でない。賽の河原へ行く。

 枇杷葉の花芽が咲いた後に、結実した小さな実が見える。今年は、雪と霜の寒さで枯れてしまった。

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如月、上弦・小潮

2018年03月25日 | Weblog

 月を眺められることに、当たり前であって、自然からの贈り物と気づけることに感謝する。宇宙に懸かる月や数多の星等、取るに足らないことかもしれないが、そこには必ず命の根源がある。月と地球の関係には、命への畏怖が籠っているのだ。何億分の奇跡であるのだろう。その神秘さにも感動する。

 日中の暖かさに慣れて来た頃、寒さに戻ることがある。旧暦の卯月を、四月朔日さんと言うのも、気温が安定して、早初夏になって来る。綿を抜くのだから成程である。それが丁度、季節を言い表しているのも凄い。睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神無月 霜月 師走

 田舎の桜は、未だ蕾は硬く、咲く気配すら見せない。梅は、先日の雨と風に散ってしまった。草は茎を伸ばして、青々としてきた。雨上がりに抜こうとしたが、根が張ってきており、ちょっとやそっとでは切れる。道具を使っての作業に、断念してしまった。明日の休みにするかな。枇杷葉も採ろう。

 最近、足がつってしまう。こむら返りなのだが、痛みが半端でない。仕事でのトイレの回数にも問題があって、つい水分を控える。昼食時の枇杷葉茶は持参しているが、後は自前の珈琲を、時間があれば淹れる。水分を気にするほどの症状でもなし、後回しにしていた。イタドリを飲んでみたら軽減。

 すばるの甘えが激しい。生後1年経ったのに、こんなに軟では困る。今も、膝に来て喉を鳴らしている。加えて重いのだよ。足が痺れる程にずっしりとしてきた。パソコンを操作していると、自分もすると手を出して来る。あっという間に画面が変わるのに、何てことを!と焦る。ノートパソコンが壊。

 来月の勤務表を見ながら、年金との合算で、のんびりとした老後を想定して、晴耕雨読を実行するべく、予定を立てていたが、すばるを置いては、何処にも行けない。かと言って、連れても行けないのは分かり切ったこと。新幹線も、荷物でなく、同伴者としての措置を取れないか?近未来への実現に。

 厭々、どこでもドアーさえあれば、リエさんちにも、何処にだって行ける。普段着での訪問も、意外と愉しくていいものだろう。そろそろ筍や、タラの芽が出て来る。先日の蕗の薹は美味しかった。三つ葉は、墓参りに行って、母の植えてくれていたのを、少し摘んできた。旬の物の匂いは格別ですね。

 姫金魚草の花が、風に揺れている。毎年、彼岸前後に苗が見えだし、次々と咲き出す。

 

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如月、彼岸明け

2018年03月24日 | Weblog

 年度末で、煩雑なことであるが、そこに持ってきて、娘夫婦の引っ越しである。勤務を終えて寛いでいたら、チャイムが鳴る。何事かと出て行けば、下駄箱が必要なくなったからと言う。息子と嫁も応援に来て、あっという間に置く。まあ一人では出来ないので、後で思うようにするしかない。

 すばるがびっくりして、パソコンの部屋から出てこない。騒ぎが治まったのを感じてそっと覗く。自分の家はここだと確信しているので、不審者としか思わないのだろう。すばるにとっては、唯一な人間がわたくしだとすれば、可愛さも増す。でも、いけないことは叱らねばならず、悪戦苦闘。

 夕ご飯を戴いていた時、膝に乗ってきて甘え、ご飯頂戴とねだる。キャットフードに厭きているのか、たまにはいいかと遣るが、ちゃんと手ですくって口に入れる。その仕草が何とも愛らしい。見た目は猫であるのだが、4歳位の幼児に視える。銀河も猫離れした生き物であったのが思われる。

 蒲団の中に入って来るのも、随分と上手になった。少し暖かいと毛布の上で、丸くなっている。遊んでほしい時には、隠れて纏わりつくが、以前のようには爪を立てなくなった。加減を知ったようで、お利口さんである。爪切りはきちんとしており、手術の時の長さにしている。慣れてきたよ。

 来月から、新体制での勤務になる。欠員が出来、他部署からの移動だが、以前居た者が戻って来る。そこの部署でも要らない者を、こちらに寄こすんだから堪ったものではない。介護の仕事に携わる者は、相当の覚悟が要るのを、無断欠勤や、勤務の指定は出来ないことだ。我儘が通る考え?

 田舎の桜は、未だ硬い蕾だ。今月の末くらいには咲くだろうか?このまま気温が上がればだが、安定した予想には遠い。暑さ、寒さも彼岸まで、とも言うが、自然の摂理や掟を、人間が勝手に壊している現状では、季節感の安定には及ばないだろう。便利で快適な生活には、失う物も大きい。

 昨年の四月の山並。桜木が、自然に生えてきたもので、遠く霞んでいるのがきれいです。

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如月七日

2018年03月23日 | Weblog

 ブログの更新をしようと、電源を入れたものの、一向に立ち上がらなくなってしまった。頼みの綱は、このパソコンのデータを入れ換えてくれた方しかない。勤務先に持って行って、上司に預けて1週間である。心配は上昇して、あらゆる想定をするが、最悪交換してもらうしかない。と絶望が過る。連絡だけはしておこうと試みたら、直りましたよ。

 ありがとうございます。一体何処が悪かったのかは不明だが、ちゃんと起動している。パソコンがないと、結構様々な障害が出る。無いことに慣れていれば、それなりに不自由しないが、自分のブログの更新が出来ないのが、一番に手持無沙汰で困った。まあその分、読書に勤しんでいた。図書館で借りていた本、読めたのはうれしいが。

 チャイコフスキー。相当に難解な内容であった。それが上下であったのには閉口した。DVDでは可なりの端折りがあり、全体のイメージは損なわないものの、事実というか実際には違うのも、仕方がないことだ。二十歳の時には、憬れでしかなかったことも、歳を重ねたことで、深い部分の想いに浸れる。作品で好きなのは、ヴィオリン協奏曲です。

 ピアノのチャイコフスキーコンクールが、何故開催されているのか分かる。なるほど、ピアニスト無視の指の使い方が、弾けるかどうかになるんだ。デジレとは、18年の歳月を経て再会しているようだ。母親への確執は、女性観にも現れているようだ。自分にも他人にも厳しく、仕事だけを生きがいとして一生を終える。繊細で頑固、融通が利かず。

 3月17日 旧暦如月、朔・大潮であった。天気も良く、蒲団を干して、気持ちよくなったはいいが、パソコンの調子がイマイチとなる。さあ困った。どうすればいいかが分からない。電話をして、指示を仰ぐが、回帰できずである。旧型のはDVDとCDは観れるし、聴けるので、仕方なく我慢する。然し、明日は日曜日である。連絡だけはしておく。

 3月18日 彼岸の入りである。午前中は天気であったのが、昼前位から下り坂になる。夕方には篠突く雨となり、止む気配はないようだ。パソコンは電源を切っておく。耳が痒くて堪らないので、雨は止まないようだ。すばるを相手に戯れるが、ブログの更新が出来なくつまらない。然し作動しないものを、どうやってするんだ。専門者に任すこと。

 3月19日 連絡を入れたら、こちらには明日でないと行けない由。既に四日が過ぎている。直るんだろうか?新品なのでNECに送れば、交換してくれる筈なのだが、電話番号に掛けると、予約していないと駄目らしいので諦める。精密機械はこういった時に、自分で修理できない。便利で簡単ではあるが、ややこしいので故障すると難儀なことだわ。

 3月20日 勤務先に持って行き、上司に預けておいた。夕方、訊ねてみたら、何も言わずに持ち帰ったとのこと。きっと最悪状態だったのだろうと、不安が胸の底から湧き上がる。今月の遣り繰りもしておかなければ、修理費が払えないでは。来月からは、年金から介護保険料を差っ引くそうだ。庶民の所なら、無理矢理にでも取れるからだが立腹。

 3月21日 二十四節気 春分 太陽王道0度、昼と夜を等分に分かつ日とあって、春分と言われる。実際には昼の方が、少しばかり長い。この日は春の彼岸の中日とされ、毎年三月二十一日頃である。それにしてもよく降る。連日の雨に少々うんざりの勤務である。墓参りに行きたいが、お天気になってくれるかな?庭のクリスマスローズがきれい。

 3月22日 天気は回復の兆しがあるものの、春雨は音もなく。友人が遣って来るが、花粉症でマスクが離せないようだ。枇杷葉茶を飲まないからよ。わたくしなど、くしゃみは出るが、しんどさも熱もない。あり難いことである。枇杷葉茶も本人の心掛けで、自然治癒能力に働きかけるんだから、と言うが通じないようだ。上野の桜は咲いてるそうだ。

 3月23日 暦を見れば、何事に用いても好し。とあるので、古里の墓掃除とお参りに出かける。長靴、水と鎌、箒を愛車に積んで出かける。近所の小母さんが草抜きをしているのに挨拶。持って来ていたお菓子を渡し、墓まで行くと、笹や杉の枝が折れて落ちている。箒で履いて、笹を少しばかり刈るが、誰も掃除に来ていないことは一目瞭然である。

 パソコンが気になって連絡をしたら、直ったとのことに安堵する。最悪状態だったのを、修復できるとは。機会に詳しいのを、生業としているとはいえど、凄いなあぁ、と感心する。専門の技術が出来る人間は、頭の仕組みが違うのだろうか。これまでにもお世話になってきたが、親切な対応に感謝するばかり。大変お世話になりました。ありがとう。

 リエさんの枇杷葉を、海棠の傍に植えた。陽当たりいいので、両方がすくすくと育っている。枇杷葉の実も生りだしたよ。

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今夜はワインを・・・

2018年03月16日 | Weblog

 一日中、雨がしのつく天気だった。夕方にも音もなく降っていて、紅梅の咲いたのが無残に散っていた。気温も低くて、肌寒い日であった。業務をしていると寒くはなく、汗ばんでくる。落ち着かない方が居て、見守りが必要で目が離せない。気を抜くと一大事になる。転倒して骨折し、ギブスを填める状態になるのだ。折れたのが足なら動けないが、腕では大変なことに。

 認知症状があるので、腕が折れていることが理解できない。従ってギブスを外し、更なるアクシデントが発生する。高齢になればなるほど、骨折の確率は増える。義歯も合わなくなる。食べ物が間に入り込んで、違和感から義歯を外すのだ。歯科医には、その辺のことが分かっているのだろうか?生身の方は修正が利かないので、義歯が縮むように作ってほしいと切に願う。

 施設にずっと居ると、歩かないので歩けなくなり、足が浮腫む。最悪、壊疽の状態になる。三度の食事より、二度の摂取にできないか。太ってしまって動かないので、悪循環が繰り返される。血の巡りが悪くて、足が腐るのだ。この症状には枇杷葉茶が効くが、施設等での生活では、解消できない。清貧の暮らしをしてこそ、身体は動くことを忘れない。贅沢は病気の元だ。

 明日からは如月。彼岸も近くなって、気温も程々になってくるだろう。日本の四季として繰り返されるが、地震や津波への繋がりには、用心が欠かせないのだ。火山も、活動しているのだけでなく、突如として噴火するのもあるんだよ。何しろ、地震列島である。そういった自然災害が起きないことの方がおかしい。不測の事態に備えることこそ、未来に向かって生きること。

 沢田研二さんのチケットを、予約しようと試みたが、ファンクラブに所属していないので、日程が出ていなかった。テレビでは、堀内孝雄さんのが受付中とあったのに。これってひょっとして、コンビニでの予約かな?これだと席がはっきりじゃないから、困るんだよなぁ。やっぱり市内まで出かけるしかないかな。今回は喜寿のお祝いもあるから、行きたいんだよな・・・

 今、青春出来ている幸せを感謝。枇杷葉のお陰で、背筋はしゃきっとしてるし、体型もすらりとなので、年齢相応には見てもらえないが、自分の働いたお金で、コンサートに行けることがうれしい。誰かの許可をもらうでもなく、自分で決めてしまえるのも最高。還暦を過ぎたからこそ可能なのかもしれない。瞳みのるさんのにも一度は行ってみたい。計画はしているのだが。

 自宅から青空市までの山並に、点在する桜。遠くから眺めると、山が笑っているように見える。

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