枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

メモリアップ!

2012年01月31日 | Weblog

 ややこしい数字は省くが、ここ2年程にメモリーが不足して、うんともすんとも動かないことがあった。先ず、ブログの更新に手間取る。次に、いろいろなサイトが覗けない。その次に、メールが出せない。

 どうしたものかと思案していたが、昨年の秋にPC専門の方を捕まえた。先日、やっとおいで願いPCを見てもらえた。どうやらメモリーを増やさなければ、パンクしてしまうらしいのだ。寿命もあるらしいが、家庭で使う分には事足りるらしい。

 本日、メモリーを増やしてもらって帰宅。しょえ~!は・早い!!いや、これが当たり前なのか。あっという間に書き込みが終わる。なんなのよぉ。機械に疎いという事はこういう事態を引き起こすんだ。ちょっと反省する。

 今回の教訓では、鬼のキリ番を踏めなかったこと。暫く手紙を書いていなかったので、メールが出せないとすんごく困った。必要最低限の支出は避けられない。いやいや、惜しんだ訳ではない。何やかやと出費もあったのよ。

 還暦になると年金をもらえるのだ。そうなのだ。これを先延ばしにしても、何等いいことはない。人性の折り返し地点に来て、当然の取り分であるのだ。仕事をしなくてもいい暮らしではない。従って勤務は続ける。働けど働けどわが暮らし楽にならずじっと手を見る。その心境です。

 昨日。ドクダミを掘っていたのを、寒水で洗う。う~、冷たい!止めようか?とも思ったが、5分もすれば慣れ、洗っては笊に入れ、新聞紙の上に広げて外に持って行った。縁側に並べて乾かす。夕方には室内に入れ、硝子越しに乾かせる。

 寒中の水は腐らない。と言うが本当である。水道水は知らないが、井戸水はその通りである。自然エネルギーを利用した暖房が注目されているが、地熱を取り込んでの生活を取り上げていた。経費が二百万というのが痛いが、原発よりは遥かにいい。

 但しこれも、建物を築くのに、場所を選ばなければならないだろう。何せ、室内に取り込むのだから、有毒ガス等、危険なものがあってはならない。人類の我儘が生じて科学が化けた。神の存在を無視するからだ。我々は、謙虚にならねば。

 手前に見えるのが1m丈の枇杷苗。3年物です。向こうが長崎茂木枇杷。毎年花を咲かせ、実を生らす。右手にはサンタ枇杷がある。

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肌の乾燥予防に・・・

2012年01月30日 | Weblog

 冬場には、何かと乾燥する。その尤もたるものに、乾燥肌があり、背中や、体中の痒みが伴う。激しい時には粉を噴く。角質が剥がれて再生不能になるのだ。洗剤による、皸やひび割れも生じることがある。痒みが続くと掻きむしるので、酷い場合は血だらけになる。

 症状を抑えるのには、軟膏やローションが効果的だが、全身となると厄介だ。簡単で安上がりというと中々でない。柚子風呂がいいとか、蓬風呂、蜜柑風呂等があるが、アレルギーのある場合には困難で、却って悪化する。

 枇杷葉には、保湿し、症状を抑える効果がある。お茶にして飲み、体の中から改善をする。毎日飲むことに依って、体調を整えるので、いつの間にか症状がなくなる。言い換えれば、一度に大量を摂るのではなく続ける事が大切。

 然し、これだけでは心許無い。というのであれば、肌着は綿にし、石油系の物は身に着けない。或いは、食品の成分も自然の物に変えること。無農薬で食べること、作れるのが良い。こういった暮らしの中に、枇杷葉を取り入れると、更に身体に及ぼす影響が大きい。

 枇杷葉のいいところは、自分で管理すれば格安なこと。手入れが面倒でなく、どの部分でも無駄がない。四季を通じて活用できる。環境にもよく、空気を清浄化させ、人間には酸素を提供してくれる。二酸化炭素を吸収する。

 アトピー性皮膚炎の症状を改善してくれる。自律神経失調症にも、薄紙を剥がすようにではあるが、よくなっていく。但し、これには自然治癒能力を生かせる、専門の治療も否めない。決して、独断ではしないように。

 今冬には、頭上に木星、月が真ん中に、その下に金星が斜めに並ぶ。オリオン、シリウス、プロキオンの冬の大三角も輝く。昴の美しさは、清少納言の言うところ。

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七草

2012年01月29日 | Weblog

 旧暦での七草です。友人は、畑や田の畦にある七草は、犬の糞があるから採らない。と言う。確かに、田舎の事情は見掛け倒しで、袋を持っているだけだったり、後始末をする振りの人が多い。それらはまだいい方で、殆んどが垂れ流しである。

 子どもの頃には、放し飼いが多かったし、当たり前でもあった。ペットではなく、人間の佳き友でもあった。相棒とでも云おうか。つまりは番犬である。そこここに縄張りがあり、其々に特徴のある生き物であった。犬にも個性があったのだ。

 インフルエンザが大流行!と、世間では騒々しい。先日、『トゥーランドット』を観に行ったが、電車の中も、観劇場もマスクがちらほらとある。風邪であろうか?勤務先に持ち込んではならぬので、無論マスクは外せない。空気の乾燥も怖いです。

 歌劇、というので、ちょっとばかしドレスアップをして出かけた。しかし内情は、しこたま着込んで、ホッカイロを背中に2個貼り付け、ブーツの中にも、足用をつけていた。タイツとパンストで重装備を決める。マフラーと手袋も忘れない。

 トゥーランドットは、全3幕であった。所々をはしょってある。最期の3幕で、トゥーランドット姫の着ている衣装にはっとした。ああ、そうなのだ。トリノ五輪での荒川静香さんが着ていた、あの衣装に他ならない。氷の姫ではなく、カウラによって愛を知った、その姿であった。

 興奮冷めやらずで帰宅したら、10:40であった。その後書き込みができなくなり、枇杷湯に入って眠る。日常の生活が清貧の暮らしではあるが、こういう愉しみは時々必要でもあるのだ。そろそろリエさんにも逢いたい。墨田川の桜を観に行こうかな。

 知人にもらった枇杷。種だけを採っていたのですが、どうやら残っていたらしい。20~30本、10cm位のが芽を出している。

 

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蒟蒻騒動記

2012年01月27日 | Weblog

 一日、1個は蒟蒻を食べよう。蒟蒻で体を温めよう。懐炉の代わりができますが、時間的な短所があります。しかし、そういった手間を見返ることで、回復力が増加されます。昔から、冷えに良く効き、漢方では腹痛を初めとする、数々の痛みに用いられてきた。

 この頃、寒さゆえか腰が軋む。勤務には枇杷葉の焼酎漬けを貼って行く。冬になってから、ちと調子が出ない。肩凝りも酷い。下手な考え休むに似たり。と言うが、これはもう蒟蒻しかないのだ。帰宅して、休みの日、せっせと蒟蒻を鍋で温める。

 温めた蒟蒻を手拭に包み、枇杷葉の生葉に乗せ、幹部に当てる。ひたすらこれの繰り返し。枇杷葉の生葉が、あっという間に真っ黒になる。毒を吸い出すのだ。毒が無くなれば、生葉はそのままである。これが何とも不思議です。

 枇杷風呂に入っている間に、蒟蒻を鍋で温めておき、就寝の時に腰に当てて眠る。体が温まっているので、体温が一定に保たれる。足元には湯たんぽで間に合う。朝、起きるのにはちと勇気がいるが、以前に比べて、寒さは然程感じない。

 昨年の寝起きとは暖かさが違うのだ。室内の温度が変化したのか?いやいや、体温と言うか、皮膚の温度が温かい。然し、体温は35.7℃。平熱である。36.2℃になると要注意、37.2℃だとぶっ倒れる。今年は、暖冬でもないが、風邪を未だ引かない。

 蒟蒻は冷やして使うのは、氷嚢代わりに。温めては懐炉にもなる。今の近代化の生活は、体を冷やし過ぎなことばかりしている。肩も腰も、膝もだが冷やしていけない。食生活の改善も大切だが、蒟蒻を使っての体調維持も必要です。

 つまぐろひょうもん若年幼虫が、発生して伐った枇杷葉だったが、ふと見遣ると木肌に新芽が!びっくりしたぁ。寒中には、大きくなった葉がたくさんついているよ。

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雪女・・・

2012年01月26日 | Weblog

 雪女は、ラーメンが食べれない。お茶もご飯も冷たい。冷凍品が好みである。温泉に入れない。炬燵もストーブも当たれないのだ。何よりも、お天気に弱い。吹雪には、俄然張り切る。枇杷葉茶が飲めないのはすごく残念だなぁ。凍てつく宇宙の、星の群れは眺められるが・・・。

 三日月がかかっている。何と美しい月だろう。嘘つきではない。ごろつきでもない。むろん、啄木鳥ではないのね。寒に入ってから、湯たんぽを2つ使っている。とても心地よい。枇杷湯に浸かり、枇杷ローションを塗布し、布団に潜るのだが温かい。

 朝、ちょっとばかりの勇気がいる。かなりの決断も必要だが、それさえ跳び越えれば、難なく節約の生活が送れる。快適そのものかもしれない。少しばかり体が慣れるまでは我慢も必要だ。しかしそれさえ愉しめば、雪女、とまではいかなくても冬は好きになれる。

 インフルエンザにかかり難い方法。先ず、手洗い・嗽の遂行。次にマスクは必須。暖房に頼らない生活。清貧の暮らしである。ドクダミ茶の飲用、枇杷葉茶の活用。梅ジュースは勿論、梅干、お粥などの胃腸にやさしい食事も大切。

 暴飲暴食、不規則な生活での睡眠不足、体を冷やすこと、室内を暖め、そこでの快適な生活では風邪を引きます。ウイルスを蔓延させてしまう。今思うにだが、風邪を引いていたのは、そういったことが原因であったような気がする。

 枇杷葉茶も、飲むだけではだめです。どんなことにも感謝して、御蔭さまです。と、手を合わせること。寒中の枇杷葉をお茶にすることも大切な要素。1年中を通じて、何時の季節でもいいのですが、味が違うし、効果も微妙に違います。

 育ちゆく白枇杷。赤枇杷に比べて、葉が小さく細長い。実が生る年数も、9年以上かかる。今年で2回目の花芽がついた。

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寒中の仕事・・・

2012年01月24日 | Weblog

 昨年、小寒でドクダミを掘ったら黴がわいた。一昨年には、大寒の雪の降った後で掘った。これはとてもよく乾いて、甘い味がした。今朝は天気で、穏やかな日差しが溢れていた。布団を干し終え図書館に行く。返却と貸し出しと予約をして外に出たら吹雪である。

 遭難するかと思った。なんなんだぁ~!家に着いて、昼食(ちゅうじき)を戴いていないことに気づく。久々の粥にした。ガスに雪平をかけ、水を張った。米は研いでおく。木のしゃもじで混ぜる。お湯を足して焦げ付かないようにし、蓋をして火を止めた。

 その間に、蜆の味噌汁を作る。寒中の頃に、祖母が滋養になる。と、川まで行っていた。寒中のことである。昼飯を済ませるとあたふたと出かけた。それでも川の水は冷たい。石垣には氷柱がぶら下っていた。

 祖母は、大きめの蜆を数十個取ると、小さいのは砂に戻し、笊を抱えて足早に帰る。裏の井戸端で砂を吐かせ、夕飯の時に汁になった。顔にかかる湯気の温もりと、醤油の香りが忘れられない。直ぐ其処にまでやって来ている春を待つ、行事の一つだった。

 氷餅や、花餅もよく作ってくれた。田畑の担い手は、祖母と母であったが、労働は子どもにも強いられ、手伝いは当たり前の仕事だった。今は懐かしいことも、当時は厭でたまらなかった。食べていくための知恵を、祖母は教えてくれていたのに・・・。

 旧暦での行事を思い出す度に、祖母や母との想いが甦る。大きくなってからではなく、小学校の低学年の頃だ。何故か不思議と覚えている。いろんなことに興味があり、仕出かすことは失敗ばかりであったが。

 山に入って、山繭や三椏、がんび、楮の皮剥ぎをしたのもこの頃。春に新芽を出せるよう、枝の打ち方は決まっていた。場所も木の大きさも、その年にできる範囲は決められていた。人間が自然との折り合いをつけていた。

 夏場の水遣りに、零れた種が発芽し、大きくなっていたコリウス。

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旧正月

2012年01月23日 | Weblog

 お天気ではある。風が冷たい。しかし洗濯物はよく乾く。定例の塩を換え、お清めを済ます。その後は友人を迎えに行き、大回りになるが、厄除けに向かった。例年の人出は多くもないのだが、今年は平日の初めとあって、スカスカのがら空きである。

 二人とも、目的が決まっているから、お参りをして、必要な物を買ったら帰る方向に向く。周りは、爺さん婆さんばかりで、後は小連れのヤンママ連中だ。よろよろよたよた、のらりくらりの足取りで、待っていたら日が暮れる。仕方がないから、波の間を潜って進む。

 神主さんには無断で・・・いや、賽銭はあげましたぞ。還暦のお祓いをしてもらう。神妙に拝んでおきました。何事も、区切りですから、親に感謝、祖先に手を合わせる。お蔭様でございます。普段は信心の欠片もないのですが、ありがたや・・・。

 友人が、咽喉が渇いたので自動販売機で停めてくれ。と言う。はい?止めなさい、それなら我が家はもうそこでしょう。と、自宅まで帰り、お湯を沸かして紅茶を淹れた。サンタさんに頼んで送ってもらっていた紅茶です。おいしいです~う。

 小一時間、我が家に居て、友人を自宅まで送って行った。そうなのよ。後で、考えてみれば、何だって友人を迎えに行って、送って行ったのか。答えは簡単、友人が勘違いをしていた。この友人、思い違いが多い。

 枇杷葉の種や、梅の種に猛毒があると言っていたのを、あけびと勘違いしていた。何処をどうやって取り違えていたのかは聴かない。そもそも初歩的な間違いである。それにしても、枇杷葉のことを鵜呑みにしているのも気になるところ。笑い話で済むからいいが・・・

 晩秋に、ふと見ると。茂木枇杷に絡んだ朝顔が、一輪咲いていた。

 

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歴史は旧暦で読み解く

2012年01月22日 | Weblog

 自然の成り立ちには、そこに古くからある暦が基本になっている。その気象状況には、必ず月の満ち欠けが関係していたし、実に細やかに潮の満干潮も要因となっていた。命が誕生するのにも、大きく作用している。

 昔話やお伽噺には、どの場面にも旧暦でしか見当たらない、季節の様子が描かれていて、新暦では決して眼にすることのない、というか、釣り合わない事柄が、そこにはあった。まあ、目くじらを立てることでもないが。

 ここ数年の温暖化で、旬の季節は失われつつあるが、潮の満干潮と、月の満ち欠けは変わることがない。もし、あるとすれば、地球の自転の速度や、何かの強い作用を受けて、軌道がずれてしまった時だろう。

 それが、何時、どうやって、何が原因で起こり得るのかは不明だが、想定外ではなく、必ずあることには違いない。身近に考えられることでは、原発での影響が大きい。恐らく近い将来に災いとなってくるだろう。

 未来少年コナンでは、いがみ合っていた人類が、手を携えて協力しなければ、地球は破滅してしまう。と訴えていたが、実際にその危険性を身近に感じた者は少なくないと思える。そうだよ、誰も他人の為に、ノアの箱舟は造らない。

 国の予算が赤字で、消費税を増やだの、無駄を省いていこう等、カモフラージュをしていると思っていたら、原発の研究費に回されていたとは。言語道断つつじ、ダムの無駄はよさんか!と、怒鳴りたくなる。

 大学は、純粋に学問をするところだと考えていたが、こういった落とし穴が待ち受けていたんだ。それも、庶民の血税を湯水の如く使って!国会議員が、無給になって、国民のために働かない訳だ。

 夏中花をつけ、秋口まで外に置いていたベゴニア。冬の間は室内で咲いている。挿し芽でどんどん増える。白・赤・薄桃・橙などある。

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大寒

2012年01月21日 | Weblog

 寒中の気温は低く上がらない。曇っている空が湿気を含んでいて、音もなく雨に変わった。勤務を終えて、帰宅する頃には止んでいたが、二日続きの雨である。洗濯物が乾かない。明日、何を着ていこうか?乾燥機が嫌いなので、濡れたのは厭だし。

 季節は蕗の薹が、蕾を出す頃と言うが、今以って寒い。けれども、土の中から、薄緑の頭を覗かせる自然の物には、いと愛らしき思いがする。あの独特の苦味さえも好ましいのだ。辺りの灰色に、くっきりと眩しい色であることか。

 宮部みゆき氏の、『夢にも思わない』を、読みかけたら、何と前作があった。その日は、急用で市内まで出かけていた。慌てて本屋に飛び込んだ。持っていた本を見せ、文庫の在り処を聞いた。直ぐに見つかった。代金を払うのももどかしく買う。

 で。読み出したら止まらない。昨夜など、午前3時を回って眠った。危うく遅刻するところであった。以前は、徹夜で読むなど平気であったが、この頃はとても厳しい状況です。何があっても弁当が要る。住まいの地域にはコンビニがないのだ。

 今も、明日の用意をしながら、これを書いている。加えて、洗濯もしている。いや、洗濯機がです。まあ、気儘な暮らしゆえ、本が読めるのだが。と言えば聞こえはいいのだが、実際は活字がないと息切れがする。目眩もする。中毒症状である。

 毎朝、新聞を読み、珈琲を飲めないと気分が悪い。従って寝過ごした日には、不機嫌になる。沈黙は金なり。と言うが、物を云うのが億劫になるのだ。しかし、仕事上そうもいかない。他の人はどうであるか知らないが、莫迦丁寧に喋ると鬱憤が溜まる。

 地植の枇杷葉。東南方向に付き、あまり木丈が伸びません。生物は、光合成をするので、日当たりはこじんまりしている。

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発明する発想

2012年01月20日 | Weblog

 江戸時代に、奇妙・奇天烈な発想をして、売れもしない発明品を作っていたという、平賀源内さんだが、夏の時期、うなぎ屋に頼まれてか、土用の鰻として企んだ。人気はうなぎ上りであった。今もその季節には、店頭に鰻が並ぶ。

 最近の発想は、米粉をパンやお菓子にすることだ。これには補助金が出るが、鰌政権になったせいか噛みでがし過ぎる。小麦粉で作る場合には、アレルギー反応があったりして、食べれない人もいるらしいが、こちらはそうでもないらしい。

 小麦のために言っておくが、麦には脚気になり難い長所がある。大正天皇が麦を食べて元気になった。という話は有名です。どんな物にも、運悪く体質的に合わないことがある。枇杷葉も同じであろう。極希にだが・・・。

 私の場合は、白玉や団子で食べるにはいいが、お茶や湯舟に入れると蕁麻疹が出る。蓬である。何故かは不明。どうしてかもわからない。察するには、原液では灰汁が強すぎて、もの凄く薄めないといけないのだろう。

 かと言って、春の野を萌えいずる如く薄緑色の葉を陽にさらす蓬を、決して嫌いにはなれないでいる。青々として美味しそうな色合いである。灰汁を抜いて、白玉団子で食べる。庭にも少々だが生えている。

 1月も既に後半になった。早いものである。夕方の宇宙に輝く金星と木星が、一際美しい。何ということもない宇宙だが、興味を持って観れば愉しい。雲のさまに明日の天気を重ね、星の輝きに、命の大切さを想う。

 クリスマスローズの蕾が出てきた。うふふ・・・今年はどんな色が咲くかな?毎年、微妙に色が違うよ。

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