枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

思考回路

2009年04月30日 | Weblog
 先日、思考がプラスか、マイナスかのテストをした。正直に記入したら、-64という数字が出た。職場の数人に、そうは見えない。と言われた。あはは!心で笑ったよ。そんな風に見えたら、職場の雰囲気が壊れてしまうし、自分オンリーではなし、露骨に表すほど私、そこまで莫迦ではありません。愚の骨頂ではないか。

 恐ろしい、怖い、というのは、人間が一番です。幽霊も、妖怪も、化け物の類も全て、視えたとしても、実態がない分、危害を加えてくる訳ではなし、生きている人間ほどの恐怖感はありません。

 枇杷の実が、今年うまく結実しなかったのが、何となく思い当たる。私の心が、届かなかったか、或いは、邪悪なパワーが紛れ込んできたかだ。または、私のパワーを必要とする人の元に出ていって、我が家の枇杷の力が弱まったか?その何れにも思いが往くよ。

 してみると、あの命は助けてあげなければならなかった、尊い魂であったのであろう。以前も、自分を正当化しようとして、嘘を言った人のことを書いたが、結局死んだのである。その時には、悪意がなくても結果的にそうなれば、何らかの形で現れる。

 私の言った通りをしなければならないのではなく、正しい行いでなければ、神の裁きを受けるのではないか?とも思われる。仕事を終えて、外に出ようとしたら、知人に遇った。何十年振りであろうか。因果は巡ると言うが、私に暴言を吐いた妹の話がとても皮肉だった。言葉の魔力と言うのか、必ず還ってくるんだね。

 真の復習とは己の手を下さないで行い、共犯者を持たないことだ。完全犯罪とはそれである。世の中のきれいごとばかりを唱えていても、腹の中はどす黒い。でも、それが人間の本性でしょう。イエスのおっしゃる、右の頬を打たれしは、左の頬を出せよ。

 そんな人間が一体どれほどいようか。見返りも当てにせず、感謝の心での、慈愛に満ちた行動ができる人類なら、戦争はとっくの昔に無くなっているよ。まあその内、地球さんが憤怒、激怒して乗っかっている余計なものを取っ払ってしまうでしょう。地球さん、応援してます。思う存分にやっちゃってくださいね。

 バラの蕾が、霜にやられたか・・。いや尺取虫か?はたまた、アブラ虫にか。日中に留守が多いので、じっと観察できなくて、帰宅したり、出かける前の時間の中では、ひじょうに怪しい。しかたなくスプレーで農薬散布した。梔子の葉も食い逃げ常習犯がいる模様。木香バラが咲き始めた。家が覆われて潰れなければいいが。我が家だけ白い覆いの塊である。

 昨年咲いたミニバラ。後方にはアリッサム。シャーベットのような色の可愛い花に、シャッターをきりました。
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あまたの星々

2009年04月29日 | Weblog
 今夜は月の冴えと星の輝きが、澄んだ空にきれいです。本来は大気が澄んでいるのは冬空で、春の夜空は薄ぼんやりとしている。個人的には、星の美しい宇宙が観えるのには賛成です。遅番の晴れた夜には駐車場までの数分を宇宙を観いみい歩くので、あっという間に行き過ぎたり、足元に注意がいかなくてこけそうになる。

 おぉっとと・・・。自然の移り往くさまは、何とも形容し難い。自分自身の思いようで、心が満たされていくのには感慨深いものがあるよ。

 枇杷の実はまだまだ青いが、出来がよくない。この2年間は、たくさん実が生って驚くようだったのが、花芽が実にならない。寒さには弱く実を結ばないのはしっていたが、ここまでとは思いもよらなかった。枇杷の木は鉢植えではあるが地植も同様になっている。

 今更動かすのは無理である。鉢植えで、移動ができるようにするかな?でも、何処に?!家内には限度があるし、ハウスとなると、厄介だよな。何処かの農家に間借りしようか。なに、持ちつ持たれつです。

 クリスマス・ローズの種が、風であちこちに飛んでいる。タンポポの綿毛みたいね。大きくなるのには、3年くらいはかかりそう。まあ、そこから店頭に並ぶ大きさで、買って帰って育て、花が咲くには、尤に2年はあるようです。花には子孫を残す目的があるから、我が身に変えても遂げようとするよ。自然の掟の厳しさに、びっくりするばかりです。

 先日、胃の調子が悪くて、口内炎になった。鉈豆の焼酎漬けのエキスを、少しばかり口に含んで漱いだ。これを3日ばかり続けたら、きれいになって治った。歯周病にも効果がある、というのは本当です。歯茎がきれいになったものね。

 腹痛には、梅の丸薬を食べる。処方箋を疑うのではなく、待つ手間と薬害が怖い。人間は治癒能力があるの。最低限の力を使うようにしましょうよ。体の免疫や抵抗力を強化していないと、ウイルスにはてき面やられます。

 自然に強い体にしましょう。是非、枇杷茶を飲んでみてください。あなたの自分を信じる気持ちが、きっと効き目をうながしますよ。

 枇杷の花芽。12月にはまぶれ付いていた。このまま全部が実に生ると思っていたが、予想に反して、さっぱりの出来になった。でもまあ、こんな年もあるんだろうなぁ。自然を侮るな。という訓示です。
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優しさの意味

2009年04月28日 | Weblog
 やさしいことって、何だろう?反対に強い、と言われるのは、どういうことであろうか。私は、決して強くもないし、かといって、優しくもない。自分に厳しいだけですよ。感情に負けそうで、心は絶えず揺れている。またいつも迷うことばかりです。前に進もうとしても、路がなかったり、絶壁に立っていたりする。

 四面楚歌にもなるのです。けれども神さまが導いてくれて、往くべき路へと誘ってくれる。但しその路は険しく困難で、とてものことに往けそうもない。挫けそうな弱い心にばかりなる。じっと考えてみたり、立ち止まって四方を見渡したり、時には逆立ちもするのです。答えが見つからないことの方が多いけれど、諦めないでいます。

 体中が血まみれになっても、何処からか清らかな水が沸き出でて、洗い流してくれるのです。辛抱すること。耐えること。信じることで生かされてきました。私は自分のような人を見たら、往くべき路を示したくなる。けれどもそうしたからと言って、安楽な路ではないし楽しいばかりの路でもない。

 示してあげれるのは、努力をすることを薦めることです。そういう心がなかったら、元の木阿弥。気泡です。弛まぬ努力の結果として、予言した姿が手に入るのですよ。何もしないでいて、素晴らしい約束された人生はありません。人間は誰しも弱い生き物です。

 だからこそ知恵を使い、勇気を奮って、歩いていくのでしょう?逃げていては何も始まりません。めげたり、しょげたり、泣きたくなることもあって当たり前です。むしろそういうことがないことの方が怖い。親が全てを解決してくれるかしら?できるかもしれないね。

 でもそれでは人間としての、成長はないでしょう。壁にぶつかって痛みを感じ、次からはぶつからないように、気をつけていくのです。自分をいつもいじめる奴には、念入りに奴の弱点を調べ上げ、鼬の最後っ屁をかましてやりましょう。江戸の敵は長崎で。というところでしょうか。

 自分自身の生き方です。親が決めるのでも、兄弟が命令するのでもありません。不服ながらもそうしているのは、自分自身の気持ちなのです。そうなっておいて自分より他の人間を批判するのは、至って簡単なことですよ。でも、やはり。そうしようと自分で決めたことに、違いはありませんよ。

 西遊記の、孫悟空が一人で天竺に行くには、何等困難はありません。けれども人間の三蔵法師を伴い、仲間と協力して、お師匠様を守っていくことにこそ、真実の心が生まれてくるのではないのでしょうか?その中に、化け物や妖怪は怖くないが、人間の悪心ほど怖いものはないよ。とありました。妬み、嫉み、差別。人間とはこうも欲深な者かと心が苦しくなりました。文庫が出ていますね。ハードカバーもありますが、やっぱり買うことにしたよ。

 勤務先の裏手に、鈴蘭の群れがあります。我が家にも、半日陰になる玄関の左に植えていたら、繁殖しています。まだ小さな鈴です。人間の心の中にも、こんな小さな鈴があるのかもしれないねぇ。
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眉月 

2009年04月27日 | Weblog
 古人の人々は、月を観上げ星を眺めて、世の動きを知った。火星が赤々と輝けば、恐ろしそうに震え、金星が煌々と照らせば作物の出来を心配した。異変には政府を挙げて対応し、夜な夜な蠢く不可思議な物には陰陽師が祈祷を施した。

 庶民は弱かったが、強かに辛抱しながら、じっと息を殺して時世の変化を待っていた。月は、幾度何千、何万年も、欠けては満ち、満ちては欠けていった。風も曇も姿を変えては、人間達を見下ろしていた。懸かる月よ、煌く星々よ。悠然と宇宙に存在しているのですね。私は、心を向けていられる幸せを感謝します。

 小でまりが、白い小さな塊で咲いている。孫が、学校に持って行きたい。というので少し切った。フリージアの濃いピンクがきれい。シランも咲き始めている。枇杷の新芽が、葉を採った後から出ている。傷んだ葉を取り除いてやる。昨年の苗も新芽を出している。小さいながらも、踏ん張っているよ。

 茂木の赤枇杷、2年連続でたくさん生り過ぎたのか、今年は結実が悪い。雪こそ積もらなかったが、冷え込みが厳しかったのかな?20個くらいしかない。東側のは実がない。花芽はついて咲いたんだが、今日見ると枯れた状態だ。もう少し見ようと枝を引き寄せたら、股の処で裂けてしまった。

 今年の暮れには剪定をしよう、と思っていた箇所なので、自然に任せることにした。白枇杷は、南側では新芽が大きな葉であった。北東に移してから、直ぐに芽吹いた下の方のが枯れていた。新芽も見えるが、発育は悪い。淡路田中枇杷は、葉も大きく木も太い。傷んでいる葉の、好い箇所だけ切って、湿布用に焼酎につけた。

 毎晩、飲んでいるのには、種と花芽が入れてある。3年物なので香りが違う。美味である。何とも形容しがたい芳香です。今年は、野生の枇杷の実をもらって、枇杷酒を漬け込もう。年数が経つほどに、味がのってきて美味しい。

 孫の乳歯を抜いた。枇杷酒で止血し、塩を塗り込み、枇杷茶でゆっくり口を漱がせた。血が出たのは一滴。痛みはまったくなく、孫はいたく感心してくれた。これで3本の乳歯を抜いてやった。歯医者に行って、麻酔をかけて抜くのもいいが、自然に生え変わるのもいいように思う。

 このところ、風が冷たい上に、時雨が多いね。おちおち布団も干せない。そろそろ天気が回復かな?銀河が、膝から動かない。足が痺れているが、落ちそうでいて這い上がってくる。連休中は勤務体制。曜日は関係ありません。その前の休みであったので、大掃除をいたしました。3ヶ月振りかな?日々雑巾掛けをしている。奥の方や、裏側をきれいにした。連休明けには、網戸の掃除をしよう。

 冷凍庫の花芽茶の保存状態です。お茶パックに適量入れて、ナイロン袋に20個ばかりを一まとめで入れています。採って来た状態で、直ぐに花芽茶にしている。香り、匂い共に持続しています。これは、珈琲や紅茶も同じらしい。お抹茶も。冷凍庫専用が買いたいところですね。
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物語の偶然性

2009年04月26日 | Weblog
 昔、むかし。海辺の村に、太郎という若者が住んで居て、毎日、海に出かけては魚を取り、それを売っては暮していました。ある日、魚が取れずに、打った網に亀がかかりました。亀は、見事な甲羅をしていましたので、鼈甲にすれば高く売れると思い、肩に担いで家に帰ろうとしました。亀は、自分の運命を知って、観念しようと考えましたが、最後まで諦めてはいけないと思い直し、太郎に言いました。

 命を助けてくれるなら、自分の住んでいる竜宮まで連れて行って、主人の乙姫に逢わせるがどうか?亀は乙姫が、独身で結婚したがっている事を話し、美人であることを付け加えました。太郎は自分の知っている娘の中に、美人という喩えがなかったので、逢ってみても悪くはないな、と亀の背中に跨りました。亀は、自分の命が助かったことに安堵し、太郎を背中に竜宮へと海を泳ぎ、海水の中に潜って行きました。

 竜宮に到着したので、門番に乙姫への用件を伝えましたが、肝心の太郎が居ません。亀は、泡食って、元の海辺まで取って返したら、太郎は波間に浮き沈みしており溺れる寸前!瀕死の太郎をなんとか助け上げ、亀はそのまま海底に姿を消しました。

 数時間後に気がついた太郎。「うら、しまったただぁ!!」と叫んでいた。以来太郎は、浦島太郎。と呼ばれるようになり、村の娘には無論のこと、近隣の娘にも名前だけは知られましたが、泳げなかったショックの余りに、一気に年を取ってしまい、誰にも見向きされなかった。ということです。END

 朝、携帯が鳴った。Yさんからだった。我が家に来る。ということで、休みのスケジュールの調整をする。ところが夕方には、行かなくてもよくなりました。と電話がかかる。あのさ。自分で決めてしようとすることは、最低限実行してよね。時間のやりくりをしなければならないんだよ。

 こでまりも、木香バラも、明日には咲きそう。初夏の季節に心が躍る。研修で一緒だったSさんと仕事のことを話した。彼女は念願の就職ができたようです。自分の信じる道を歩んで行けているみたいです。よかったぁ!!私も一生懸命の、努力を惜しまないよう、やらなくちゃ。千葉のRさんも気にはなるよ。
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眼に青葉山時鳥初鰹

2009年04月25日 | Weblog
 雨は夕刻から、雨脚を強めて、樋を伝い落ちる。台所と洗面台の水漏れが直ったと思いきや、雨の音が賑やか。朝になっても止む様子がない。出かける予定であったから、身支度をして孫の待つ息子夫婦の家に行く。息子は仕事。嫁の運転する車で、孫たちとドライブに出発。

 最初ははしゃいでいた二人だが、早朝から起きていたとみえて何やら怪しい態度が窺える。そうこうしている内に、静かになった。眠っているではないか。寝息どころか、いびきをかいている。新学期が始まってまだ日が浅いので、二人とも慣れない環境に適応しずらい。息子がそうだった。似なくてもいいのに、そっくりである。

 道の両サイドには、藤が花房をぶら下げています。紫の濃淡、緑とのグラデーションが見事!自然の織り成す景色には、圧倒されますね。桐の花も、薄紫の出で立ちで、佇んでいる。処所に山吹が色を添えて、初夏の色彩に変わろうとしているよ。八重咲きの桜がまだ残っていた。垂れ桜も雨に打たれている。

 枇杷が新芽を出していて、そのほとんどが大きな樹で、屋敷内にあったり、畑に植わっていたりする。野鳥の被害から守っているのか、大きなネットをかけている樹もあった。つい、家人に聞きたくなる。え?枇杷葉の活用方法ですよ。帰り道には温圧療法という看板が見え、思わずにっこりしました。

 勤務し始めてから、風邪を引いて寝込むことも、熱が出ることもなく今日まできましたが、鼻風邪にはなっていたらしい。朝起きると鼻汁が出る。ティッシュを使ってかむため、鼻の頭が爛れて皮が剥ける。2・3日すると脱皮する。枇杷の焼酎漬けを指でつけておくが、度々かむので赤鼻のトナカイさん。いつまで続くやら・・・。

 今日あたりからか始まった、GWですが、私の仕事にはそれらはない。世間は2週間とか、3週間とかいう大型連休ですね。でも、そんなに休みがあっても、その休みを使いきれないのが現状でしょう。本が好きなら、図書館に行けば、眼一杯の冊数が読めますが。

 アウトドア派に方でしたら、キャンプでしょうか?自然の中に3週間暮すのも、悪くはないですね。でもです。迷惑至極な垂れ流しを、平然とされるのには、いかなものでしょう。自然の資源を汚さないで!!ゴミを捨てたり、川の水を洗濯や、炊飯に使って帰らないでください。

 自然を満喫されるのはいいですが、最低限のマナーを守ってお出かけください。私は、天文台に星を観に行く時には、お金を出しても、トイレは使わせてもらいます。お使いください。とおっしゃってくだされば、差し入れをそれとなく置いて帰ったりします。

 公共の施設ではありますが、次回に訪れた時、気持ちよく挨拶がしたい。また、自然を破壊してはなりませんね。地球は生き物全ての住む星です。

 プランターに植えた種から、芽が出てきた枇杷の苗。半年ほど経過では、丈は8cm程度です。春先から、茎も葉も育って、新芽が芽吹きます。2・3枚の葉が、5・6枚くらいに増えてきます。現在成長中です。
 
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光と闇

2009年04月24日 | Weblog
 天気が晴れてばかりだと、日照続きに成る。雨ばかりだと洪水になってしまう。それらが交互に、適当に来るから、生活もできる。生きてもいける。自然の恵みには、人間は勝手に変えてはならない法則があるんだ。とこの頃頓に思う。

 日本人だけではなく、文化の整った地域では、災害に遭った時、そこからの出発に、めげてしまう人間が多い。未開地では、電気も水道もないから、食べていけれれば、それだけで佳く、それ以上を望まない。けれども、機械文明に慣れてしまい、それが当たり前の生活になっていると、水も飲めないので死んでしまう。

 況してや、人間に飼われているペットはより悲惨。自活は絶対にできないし、自然に還ることもできないだろう。で。突如として、本能に目覚めたら一体どうなるか?この世に、光の溢れる世界があるとすれば、同じだけ闇の世界もあるのではないか?

 闇は、決して表には出ないが、心を支配すべく、いつも隙を狙っている。スポットライトを浴びすぎて、自分を見失ったら、瞬時に現れて呑み込む。我に返っても、最早リセットできない。普通がいいよ。自然に任せて生きていられる、そういう幸せはお金を出しても買えません。

 日常生活の中で、自分のしていることと、他人がしていることの差に、びっくりすることがある。洗濯時の衣類は、裏返して入れたり、重ねたまま入れる。干す時に、衣類の皺はそのまま、棹またはハンガーにかけるのに、裏向き、或いは北向きで干す。

 自分ではこんなことをしたことがない。時間がない!って冗談でしょう?ちょっとした手間を惜しんで、取り込んだ時に困るんだよ。昔、子どもが小さかった頃、夫の妹が、おしめをしわくちゃで干し、そのままたたんでいて、注意したらアイロンをかけた!!絶句したのを思い出した。

 安い衣料を買って、何回か着たら捨てる。あたしゃごめんです。安物買いの銭失い。と言われる所以です。質のいい物で、シンプルなのが着回しができるし、何年でも飽きません。躾の基本を教えておくのは、親の努めです。拘らないのがいいのかもしれませんが、あまりにもだらしない。

 亡くなった時には、皆で服を着せたり履物を履かせるが、生きている人間にはしない。今時の若い人には、時間のことしかないから通じなくて、じっとしていないで。と言われてしまう。う~ん。なんだかなぁ・・・。

 庭のリナリア。種がこぼれたり、風で飛んで、あちこちに群れている。きんぎょ草のミニで、枝分かれして、次々に咲く。色も様々で、ピンク、イエロー、オレンジ、パープル、ホワイトなど。枇杷の木の周りで、金魚たちはうれしそうに、遊泳しています。
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寒い!冬に逆戻り?

2009年04月23日 | Weblog
 今朝の寒さには、ストーブを点けてしまった。睡眠不足もあって、珈琲の淹れたては効果がある。昨夜は、一晩中、ポッタンポッタンの水漏れ音に眠れなかった。洗面台の下の排水管が、鉄管なので錆びて漏れがひどくなったのだ。一晩で、バケツの三分の一まで水が溜まっている。

 水浸しは嫌だが、元栓を止めれば、電気温水器の夜間給水ができなくなる。しかたなく断念して、眠ろうとしたが、水音がうるさい!夜の静けさには、殊更に音が大きく聴こえるのだ。うとうとしながら、朝であった。早出なので、ぼんやりながら起床。パンと珈琲をいただきながら、新聞に目を通す。読み終える頃にやっと目が覚めた。

 AM7時過ぎ勤務先に向かう。留守中に、家が水没しては困るので、帰宅したら業者に来てもらい、修理してくれるよう手配をしておいた。親切な業者さんでよかったよ。水はバケツにほぼ満杯であった。やれやれと洗濯を開始。それにしても今日は寒かった。とニュースを観ていたらば、何やら不穏な騒動があったらしい。

 雪は北海道に降っていました。山藤が咲き出しているが、この寒さに縮みあがったのではないかしらん?我が家の庭に、冬眠から覚めた蛙が出没していたが、風邪等ひいては居るまいか。ヤモリも虫を目当てに来ているが、今晩は見かけなかったよ。

 木香バラも、咲く寸前をびっくりしたであろう。小でまりが咲き始めたよ。芍薬も勢い大きくなった。ドイツスズランもぐんと芽が伸びた。薔薇の新芽をカナブンが食事中であった。レースフラワーにも早番くるでしょうね。家に来ないで、何処か他所に行ってくれないかしら。

 杏が芽が出てこない。生協で買ったキウィは葉が繁っています。ユスラ梅も、桑も育っています。アケビを何処に植えようかしら?と言っても、種をばら撒いておこうと思うの。山葡萄ではないけど、自然に生えてくれるのがいいね。

 髪をね、思い切ってばっさりやった。目敏く見つけてくれたのは、他所の部署の人だったよ。案外、気がつかないものなんだ。私は、日常のちょっとした変化もわかるんだけど、慢性化してきてわからなくなってるものね。でもそれではいけないの。心の動きに着眼していたら、微妙な変化がわかるよ。努力を惜しまなければ、視えてくるんだ。マイペースで行こう♥

 枇杷の花芽。採って来て、玄関に挿していたもの。花が咲き終わったら、こういう状態になるよ。匂いはしません。花芽は、咲いた時か、採って来た時かに、お茶にするのがいいです。寒中なら、そのままで充分に乾燥します。
 
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平日の休みに

2009年04月22日 | Weblog
 勤務の関係で、平日が休みになる。図書館が開いていないことが多い。月曜日が休館なんだよ。今日は、開いているので、魔女の宅急便の2巻目を借りに行った。このシリーズは、5巻まである。一度には読めないので、順番に借りていこう。

 息子夫婦が、ガス湯沸かし器をつけてくれるという。業者に来てもらう。取り替えるだけだから簡単です…。じゃないよ!水道の元が、腐っていて一瞬、ナイアガラの滝となりました。三途の川に着いちゃったか、とも思ったよ。で。水道屋さんにも連絡して来てもらい、修理してもらった。

 ところが今度は、ガスが点かない!もう一度連絡して点検してもらい、新品の取替えとなった。こういう時の自腹は痛い。何のための給付金なんだ?政治家の悪だくみ、としか思えない。憤怒収まらずです。出かける時間が大幅に遅くなったが、致し方ありません。Sさんの月命日参りですから、時間的な拘束はないのが救いです。

 本日の予定もそれだけができれば佳い。Sさんの命日に墓前にお参りするようになって、早2年です。できるだけ欠かさないように、命日に近い日に合わせて、水を持ったり、お菓子や花を供えて、草を抜いたり、墓石を磨いたりしながら、一頻り話をするのだ。

 形式も何もなくて、心のままにお参りしている。Sさんは、膵臓癌の末期で、見つかった時は手遅れだった。どんなにか生きていたかったろう。それなのに延命治療は一切、受け付けなかった。一人娘の訪れを笑顔で迎え、虹の橋を渡って旅立って逝った。私は助けてあげられなかった。そのことが今も心の奥底にある。

 苦しみも痛みも計り知れないものであった、と後日お聴きした。何もかもたった一人で背負って逝った。Sさんらしい。と涙が止まらなかった。懺悔の想いが溢れていく。遇いたくなったら来るからね。と言いつつ、毎月お参りしている。雨の日にも、風の日にも関係なく、その日が休みであれば行こうと決めた。

 私自身は、強くもないし、立派でもなんでもなく、努力を怠らないだけです。また、先を読んで行動しているのでもないのです。自然とそうなってしまうのには、耐え得る根気を養ってこれたからか?誰しも同じであって、同じではない。一緒のことはできません。心を澄ませたり、相手に添える、努力をしていくしかないでしょう。

 私は頑張りません。その時の一瞬を大切にしたいのです。私の持っている枇杷パワーが、必要と言われる方には、幾らでも差し上げます。でも、使えますか?私の話すことを聴かないで、いいとこばかりを取ろうとしても使いこなせない。

 庭の、枇杷葉が何か変なの。近寄って枝の先を確認すると、12月にたくさんついていた花芽が、実に生らなくてそのまま枯れているよ。寒さだけではないようです。それに昨年は、蜜蜂が来なかった。そういうのも原因の要因かもしれない。

 ヒヤシンスの花は、暖かな春が待ち切れずに咲いた。まるで、真新しいランドセルがうれしくて、朝の光りの眩しい1年生に思えた。
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故郷は山ありて

2009年04月21日 | Weblog
 故郷には山の幸があった。筍、蕨、蕗、三つ葉、イタドリ、タラの芽、薇、ユキノシタ、山椒、ゆすら梅、ぐいび、野いちご、麦いちご、梅、李、山桃、枇杷、桑の実、桃、梨、柿、無花果、棗、アケビ、団栗、菱の実も全て食べれない物はなかった。

 芋も南京も、トマトや胡瓜も、お八つになった。瓜は味噌漬けに保存し、芋や南京は、室に入れて腐らないようにしていた。豆腐や揚げを買いに、豆を持って行って交換していた。然も、鍋を片手に使いは走って行く。恥ずかしさと極まり悪さとで、黙って鍋を店の人に差し出した。

 小母さんはにこっと笑うと、豆腐を1丁入れてくれた。今はその家並みも、人間の居た賑やかさも還っては来ない。故郷の山は年々変貌していくばかり。道を広げるのに、イタドリも筍も、ブルドーザーがなぎ倒していった。

 孫が手紙をくれた。『おばあちゃんへ。わたしは、おばあちゃんががんばるすがたおみて、おばあちゃんがんばれと、こころのなかで、おもっています。大すきなおばあちゃん ○○より』小学校2年生の孫が、仕事のことで悩んでいたら、こんな手紙を書いてくれました。自分では何気なしにしていることが、孫の瞳には異様に映ったのでしょうね。

 15歳だから悩むのではなく、人間である以上、悩みは尽きません。けれども努力はしなければならない。その姿が、孫には頑張っているように、思えたのでしょうね。実際、気力全開の勤務です。精神力の根競べをしているような日々です。

 気負うことなく自然体であることが一番なのですが、毎日が失敗するばかりで、なんだか進歩がないように思えてしまう。勤務を終えると、反省が残る。ため息をつくことはないですが、進歩のある考え方が浮かばないのです。感情が混乱するばかりです。

 春先の枇杷葉は、小さな実をつけている枝や、そうでない枝とありますが、できる限りこの時期の葉は採らないでおきます。湿布に用いるのでしたら、硬くごわごわした下の葉を使いましょう。1回につき、5枚程度あればいいので、たくさんは要りません。

 蒟蒻を買ってきて鍋に入れます。弱火で20分沸騰させ、採って来た枇杷葉を患部に当て、その上に、てぬぐいで巻いた熱い蒟蒻を乗せます。火傷をしては困りますから、適度に当てたり離したりします。我慢できる温度になれば、患部に置いてじっとしています。

 腰の場合は、うつ伏せですから、時間に耐えられる状態の工夫をしてください。また、そんな悠長な時間がもったいない。とおっしゃられる方には、腰にそれ自体を縛ってください。私は、腹巻で固定して家事をします。この時、台所での作業が手っ取り早い。特に換気扇や、ガスレンジ周りがお勧めですね。

 蒟蒻を鍋にかけたりすると、湯気がでますね。その湯気をうまく利用されるのはいかが?換気扇は、ボディソープを布なり、スポンジにつけて、軽く満遍なく全体に伸ばしていきます。途中で蒟蒻を取り替える。お湯を捨てるなら、換気扇の羽根にかけましょう。雑巾で小まめに窓や、ガラスを拭きましょう。

 枇杷葉の葉を5枚使う頃には、台所はキッチンとなり、腰はシャンとなって、ガラスから差し込む光りに、清々しさを感じられるでしょう♪
 いざ、実行あるのみですよ。
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