枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

人混みに気疲れ・・

2008年11月30日 | Weblog
 今日は、一日出っ張りでした。新聞はなんとか読めましたが、珈琲をゆっくり飲みたかったのができなかった。食事する場所もファミレスで、価格は安いが騒がしい。

 え?集まった我々が、小母さん根性丸出しで、しゃべくるもんですから・・・。なんかその場を脱出したかったです。

 同類相憐れむ、でして、黙って相槌打ってりゃ、仲間ですからね。3時間近くだべってりゃ、相当でしょう。布団干しもできない。本も読めない。うう、ストレスが溜まっていくよ。

 その後に、忘年会の買い物をしたのはいいけど、ごちゃごちゃ言ってる割には、さっぱりまとまってない。Tさんはやったことがあるからと、鼻息は荒いんですが、それがこちらに伝わってこないから、何をどうしたらいいのかわからない按配。

 で、1時間程、¥100均の中をうろうろして、打ち合わせをしよう、と思ったら、そこからが何にも出来てない。しょうがないから、鯛焼きでおやつにしようと一服です。

 そこでTさんが取り出したのが、自分たちの衣装。ええっ!!なによ、それ。なんでそういうこと、してる訳?もうばかばかしいったらないよ。自分中心もいいとこじゃない!だったら落語を覚えたのがいいんじゃない?絶句!これだから、いっしょにやるのって好かないのね。

 来年は絶対にしないぞ。と固く心に誓いました。で、開放されたのが夕方の5時です。明日からの弁当の、お菜の準備もある。芋の煮っ転がし、蒟蒻の炒りどり、大根の煮付け。結構忙しいんだから。

 あ~、疲れた!ガレージに車を止めて降りたら、枇杷の花の匂いがしている。とたんに機嫌が直る。しばし深呼吸をして、ゆっくり家に入りました。洗濯物を取り込んでいても、ゆるゆると漂ってきました。

 白枇杷の種を、焼酎に漬けたものです。赤枇杷の20~30倍はあるようです。少量でも、分量を間違うと、命に関わるようです。

 我が家では、もっぱら赤枇杷酒で充分、効果があります。千葉の友人の所に、今年は、白枇杷の葉だけを、少しばかり漬けてみようかと思っています。糠と塩の分量も考えなくてはね。
 
 
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振り向けば

2008年11月29日 | Weblog
 ひたすら前を見続けて、ふと立ち止まって振り向けば。あらまぁ、なんにもありませんよ。って、自分の人生の軌跡ですが。忘却、彼方に・・・という処です。でも実際、どんなに一生懸命にしたと言ったところで、人生80年です。

 生きるという事は、どうやって死んで逝くかという事でもあるのですからね。かといって、生まれたての赤ん坊が、そんなことを考えている方が怖いし、何十年か生きてみないとわからないものでもあるでしょう?

 高齢者にとって生きにくい現代ですが、じゃあどうすれば生きていくのが楽しくなるの?って、結論づけもできない。楽天的な考えと、悲観的な思いでは、違いが生じてくるだろうしね。

 新聞に、高齢の方が行き場がなく収入もないので、警察のお世話になれば食べさせてもらえると犯行に及んだと記事があった。何処の施設も、お金がなくては入所できないし、お世話をしてはくれません。

 死にたい、けれども死ねないのです。という内容に胸が篤くなった。もしかして自分もそうならないとは限らない。認知症が進んだり、合併症が出てきたりすれば、心臓が動いているだけになる。

 自分ではどうすることもできない人を、知らん顔でいることの罪悪感に眼が冴える。一昔前なら、助け合って暮らしていけたのが、隣人でもそっぽを向く。あれは自分の分身だろうか?三位一体ということもあるから、きっとそうなんだろうなぁ・・・。

 淡路枇杷の2年目。鉢植えでしかも北向きなので、とんと発育しません。南側のより、半分の生育です。枇杷の葉自体は、結構大きい。

 焼酎漬けが少なくなったので、東側の茂木から、10枚ばかし採って漬け込みました。これは15cm~25cmの大きさで、幅も10cm~15cmはあります。瓶の中に入らないので、半分にして入れました。

 枇杷酒は、このところ毎晩、眠る前に呑んでいます。朝までぐっすりでして、一度も夜に起きません。湯たんぽと枇杷酒で温かな寝心地です。

 明日は、年末の溝掃除が朝8時からあります。その後、職場の忘年会の出し物の買い物。新人さんは参加で、しかも芸をするらしい。落語か、漫才をしたかったのですが相方の要望が低く、止む無く断念。高齢者の方々の前では、聴き取りにくいのはNGらしい。

 まあ、コンクールに参加するのではなく、笑ってくれて、楽しんでくれればいいらしいからね。忘年会は、職場の参加ですが、職員だけらしいです。

 それにしても、新人の取り得が知れちゃうよ。悲しき人生ですな。いや、違う。ぶっ飛びな人生ですよ~ぉ。曲がり角は幾度も飛び越えてきましたからぁ!!

 無農薬の珈琲に、インスタントがあるんです、って。おいしいらしい。
 千葉の友人が、送ってみようか、と言ってくれて、楽しみですぅ。
 
 
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未知能力の行方

2008年11月28日 | Weblog
 鼠のアルジャーノが、迷路を進んで餌を食べる早さを記録していくと、しだいに速くなるが、薬で能力を高め、研究内容を発表しようとして、限度に突き当たる。実験は失敗であった。

 ダニエル・キイスの『アルジャーノに花束を』で、主人公が鼠のアルジャーノには、自分が花束を供えてあげれるが、一体自分には誰が墓前に訪れて来てくれるのだろう・・・と思うシーンがある。死んでからのことまで、知らなくてもいいと思うが、せめて1年に1度でも訪れてくれる人がいるのか、というのが感慨深い。
 
  最近は、お墓に居らず、風になっているそうだが、生前の出不精が祟っているのもあるかもしれない。まだ死んだことがないから、その後がどうなるものか、さっぱりことわからないです。

 それでも、自分の希望があるとすれば、死んでまで押しかけてこなくていいですよ。息子達に伝えています。まあ、お墓だって、今日日高こうござんす。あ、話がちょいずれました。

 未知能力というのに、力をコントロールさせて、それを相手の意思と関係なく、自由に操る、というのを備えているとして。つまり普通の人の意思を心のままにすることなのですね。何もかも全てを手にいれられたとすれば、世界が自分のものになる。

 でもそれは無理な気がする。結局思い上がってしてしまうことって、地球を破滅に導くことではないのかしら?あのヒットラーにせよ、ナポレオンにしろ、アレクサンダーさえ世界を征服には至らなかった。

 小さな地球を独り占めしたところで、何が残っているのだろう。どうせやるなら宇宙の帝王までやってみなくては。と思いますです。

 四季咲きのバラです。青虫にかじられ、尺取虫に計られたりしながらも、健気に蕾をつけて咲いています。挿し木をして増やしたいのですが、なかなかです。

 枇杷の花があちこちに見られ始めました。車の窓を閉めて走っていますので、ちょっと惜しいですが、休みの日だと堪能できそうです。我が家のは、咲き初めですが、とても心地佳い匂いです。

 興味のない人がちょっと見には、枇杷の木の傍で突っ立っているのは理解できないようです。ついでに直ぐに、枇杷の講釈をし始めるので、怪訝な顔で去って行きます。

 千葉の友人が、花芽茶も少しになった、とメールをくれたので送ってあげました。彼女は、枇杷茶もおいしいと飲んでくれていますが、何分花芽茶を好まれる。これは、枇杷の木を、葉や花芽茶専用に決めていないと採れません。ほとんどが実にしてしまうからです。

 枇杷は何がどういう風に効く、というのではなくて、自分に合った方法を見つけられるのがいいと思えます。鰯の頭も信心から、ではありませんが、間違ったやり方だとまったく意味がないように感じます。
 
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蒟蒻物語

2008年11月27日 | Weblog
 寒い夜は、鍋がいいですね。おでんもいいなあぁ。と思い立って、昨夜はおでんにしましたよ。

 そんでもって弁当もおでんです。牛筋は苦手なので出し昆布。ストーブの上でじんわりとしたので、コクが出ておいしいぃ!

 銀河までちょうだい、と騒がしい。大根と、蒟蒻をたっぷりと入れました。蒟蒻は、砂下ろしとも言いまして、体内の毒を排出するのに便利な食べ物です。

 蒟蒻のステーキもおいしいし、キンピラもいいなあ。田楽もよいです。そういえば、坂田靖子さんの作品に、『味噌ひとなめ』っていうのがあります。いやいや笑えますわ。

 違う、田楽はおいしい!おでんの味が全体にまんべんなく沁みこんだ蒟蒻。うまいでっせぇ。これが、漢方になると、枇杷葉温圧湿布になって、毒を吸出したり、冷え切った体を心底まで温めてくれるというもの。

 じわっと効いてええです。冬場は特に、ストーブがあるから、そのままだともったいない。蒟蒻をとっかえひっかえ、患部に当てて療養しましょう。

 自分ではできない、とおっしゃらないで、容貌など気にしないことです。美容と健康にやってみましょう。但し、蒟蒻を三日坊主でほったらかしにすると、黴が生えます。いかな冬でも、たんまり毒を吸っていたり、温めますから、腐ってしまいます。ご注意くださいね。

 また使ったその後を、食用にはしないように。いくらもったいないと思えども危険です!蒟蒻には、今昔はなく、昔ながらの療法ですが、一工夫されれば、美しく変身できます。

 北西にある南天。野鳥が啄ばみに来るので、瞬く間に実がなくなってしまう。食べた実が下に落ちて、芽が出ています。

 自然の掟が、自然を守っていくのですね。枇杷苗もたくさん、芽が出ました。移植も何本かしています。

 鉢を買ってこなければ、バラも植えたいしね。
 毎年植えて育てていないと、友人に送ってあげれない。
 根気佳く、世話をして、使わせてもらえるとありがたいです。
 
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白い花に想う

2008年11月26日 | Weblog
 勤務先からの帰途。道路脇に柊の木があった。小さな白い花がこぼれんばかりに咲いている。その後には、枇杷の樹が立っている。白の可憐な花に、緑の葉がとてもよく合っていて魅せられる。

 冬の寒気に、凛として咲く、白い花の清々しさにはため息の出るような美しさがある。山茶花もどの色もきれいではあるが、白い色の清さに、七色の絹の光りを視るようです。

 もう今は、あちこちの枇杷の樹に、花芽が鈴なりで付いている。けれども実が、花の数だけ生ったかというと、そうでもなく、また他所ながら味が気になるところです。

 我が家の木はさほど大きくなく、せいぜい3mくらいであるのに、よそ様のは、遥かに高い梢である。だいたいが我が家の倍ちかくあります。でも実が付いている様は、我が家のが断然多い。芽を欠くからなんでしょうか?確かに、実が大きくはありませんし、また売り物ではない、ということで自然に任せていますからね。

 やはり、この時期に、剪定をしておかなければ、なんとなく実付きが違うように思えます。枝のどの位置かといえば上の方がいいようです。

 実の収穫時に、便利ですし、野鳥対策のネットを張るには、枝の低い方がいいですよ。さて、それで剪定した枝は、葉や花芽をお茶にしましょう。きちんと計らなくてもいいですが、枇杷の葉の目安は20g~25gです。花芽は、15gにします。香りを楽しむ、といっても結構きついので、注意しましょう。

 風味が損なわれるかな?と心配なら、冷凍庫で保管します。これだと2年は充分に持ちます。ナイロン袋か、タッパーに入れておいてください。花芽を何処かで分けてもらわれる時は、必ず無断で取らない事と、許可をもらいお礼を忘れないようにしてくださいね。

 山の中にあるからといえども、持ち主は居られますから、独断ではしないでください。ネット通販では花芽の販売はないかと思えます。労を惜しまないように、ご自分で探されるのもよろしいのでは?

 淡路田中の枇杷の実と、茂木赤枇杷の種から生った我が家の枇杷の実です。一目瞭然の大きさの違いがあります。この年の淡路枇杷は、甘酸っぱくてとてもおいしかったのですが、仕入れ先の農家によっては、まずいのもありました。

 こちらが農家を指定して選べないだけに、がっかりしました。なんといっても、丹精込めて、作っている物に話をし、かかわっていかなければおいしくならないのだと思えます。

 枇杷の木だけではないことは明かですね。そんな気持ちの通った枇杷になるよう日々願っていますが、元より自然を侮らずにいなくては、としみじみと思いました。

 今日確認したところ、花の苞が、30ほど咲いています。
 しばし傍に佇み、匂いをかぎました。
 
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霧の向うに

2008年11月25日 | Weblog
 トンネルを抜けると、そこは北国だった。というのではないが、朝の交通状況が五里霧中である。

 霧が濃く巻いていて、まるで白蛇がそこにいるよう。往けども行けども、出口のない場所のように思える。

 近在が、昔は高瀬舟の行き来をして発展してきたこともあり、河は、幾つもの小さなのが流れ込んでいる。しかし毎朝、余裕を持って出掛けねば、対向車にライトの点いてないのがあってヒヤリとすることもある。橋の上には、雪に撒く塩が置かれていた。冬到来です。

 先日の新聞に、ひき逃げや、飲酒運転に対して、車が拒否するセンサーを開発中というのがあった。自動車メーカーは早急に造るべきです。

 また、人身事故も故意であれば、終身刑が相当ではないのでしょうか。なんだかやりきれません。霧が晴れたら、タイムスリップしていた。でも、そうなるとよけいにややこしいかしら?

 枇杷茶で温湿布しましょう。洗面器に熱い枇杷茶を入れて、タオルを浸します。それを固く絞って、顔にのせます。何回か繰り返して、最後に冷たくなった枇杷茶で湿布します。

 手軽で便利な美顔術です。ニキビや吹き出物もなくなることでしょう。何日か、枇杷茶を飲んでからしてくださいね。体内の毒をある程度、排出しておくと、後がやりやすいですよぉ~。

 リンパ線マッサージもお忘れなく!冬は筋肉が硬くなりがちです。自分でできることはしましょうね。備えあれば憂いなしです。

 枇杷の花芽が咲き始めて、とても佳い匂いがほのかにします。梅や夕顔、金木犀も銀木犀、柊と枇杷も夜気に漂ってくる香りの方が、一段と匂い起つように感じられる。枇杷はバラ科だが、夏には咲かず、実が生る。

 バラは、冬越しをして、初夏に咲く。どうってことではないのですが、同じバラ科なのにと、とても不思議な気がします。

 勤務先からの帰宅途上に、ランタナの大きな木があって寒さをものともせずに咲いていた。我が家のは、ランタナは霜にやられるというので、家に取り込んでいるが、そこは日溜りで、しかも、周りに風除けのように名も知らない木があった。ランタナをまるでやさしく守っているようでしたね。

 淡路枇杷の、種から芽が出て7ヶ月の状態です。プランターに植え替えて、あしらいに花苗屋さんからのを植えています。これが今は、南側にあってすくすくと育ち、体長1.2mになっています。

 2年目になりますが、随分と大きくなったものです。なにしろ葉が半端でなく大きい。どれも25cmはあって、中には30cmを越えるのもありますね。くふふ、うれしい♪

 ああ、そうだ。米屋さんに行って、糠を注文してきました。寒肥に使うのです。なんだかわくわくしちゃいますねぇ。枇杷葉のおかげで、こんなに心が癒されていって、ほんとうに幸せです。
 
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雨の一日

2008年11月24日 | Weblog
 今日は雨で、のんびりと起きたはいいが、出掛ける用事がある。孫が、巻きずしが食べたい、と言っていたので、昨夜作ったのをお昼に届け、いっしょに食べる。

 その後、毎月の墓参りで、巻きずしを持って行った。墓の周りを片付け、少しばかり話をして帰った。途中に露店のお好み焼き屋があるので、寄って珈琲を(無農薬持参)飲んでしばし話す。

 視えない糸に手繰り寄せられて知り合ったが、枇杷茶を買ってもらっている。最初は、彼女の態度がひどく荒っぽかったし、嫌な目つきをしていたのが、この頃は消えてきた。彼女が卑屈になっているのではなくて、普通にして接してきてくれだした。

 なんとなく違和感を感じていたのが、少しずつなくなってきている。本人の心がけが違ってきたのだと思える。彼女の親友が、枇杷茶を飲んでくれてはいるが、単に沸かしている、作っているといういいかげんさで、同じ枇杷葉なのになんで違うんだろう?と本人は首を傾げたのだが、家族に感謝しながら沸かしたら、枇杷茶の色が変わった、というのに思わずにっこりした。

 夫に感謝、子どもに感謝し、親に感謝、周りに感謝することによって、枇杷茶の色に変化があったのではないかしらん。きっと自分自身の心映えが変わったからなんですね。枇杷は少しばかり手助けをしたに過ぎないと思う。

 人を変えることはできないけれど、自分が変わろうとすればできる。ただ、きかっけがわからないか、しないかだと思えますよ。枇杷葉は自律神経失調症に効果があるのも、アロマ的なものと、漢方と両方でしょうね。医学的な根拠は知りませんが、そこらへんに謎があるようです。

 人の持っているべき抗体が、枇杷葉によってなんらかの働きをし始めるのかもしれないです。枇杷葉を作って売る全ての方々が、心を込めて送ってあげ、受け取った方も感謝の思いがあれば、相互に通じ合うでしょうから。

 病気とは、気を病んでしまうのです。深い思いやりと、温かな心が薬になるのではないのでしょうか?

 枇杷の葉で、じっとしている蛙です。この後、雪花が舞ったので、プランターの土に潜ったようです。庭の生き物は、冬篭りに入りました。

 鉈豆やダリアも霜に焼け、枇杷の花が少しばかり咲いて、匂い始めました。
 
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旅立つ心算

2008年11月23日 | Weblog
 

 朝になれば陽は昇り、夕刻が迫れば、陽は沈む。当たり前である日常も、高齢になったり、病気になると不安をかき立てる。

 どんな人であろうとも、心根は苦しまずに死にたいと願うのではないのか?介護されていても、認知症であろうとも、生きている以上は死が待っている。

 というかそこに必ず往きつかなければならない摂理のような思いがする。かく言う自分も、どんな死に方をするのかはわからない。自分で思った死に方ができるのならどんなにかいいだろうか。

 人間が霊長類であり、賢いが故に背負っている責任に思える。介護の現場で心を砕いて接してあげていても、所詮してあげている事に終わる。

 自分は一人で相手は数人。それを平等にさせてもらおうとしても、行き届かないのが現状。煩がられず、寂しがらせずを同じようにはできない。その人の個性や、個人のその日の気分や、今までの感情の行き違い等、どれ一つとして同じにはならないのだ。

 心が読めるからといってそれは使えない。そんな微妙な変化さえ見破られてしまう。人生の多々なる先輩諸氏に感服するばかりです。

 神は、人間として地上に遣わされて、何を悟らせようとされているのか?心の襞に、涙が吸い込まれて消えていく。

 神を信じてこなかったことが、いまになってわからせられようとは想いもかけなかった。それも、神がいつも我が身の傍に居られたことに慄然とした。

 千葉の友人の父上さまが、足の調子が捗々しくない、とおっしゃるのだが、足袋を履いてはくれてなかったのかしら?枇杷茶も、枇杷酒も飲んでくださっているんだけれども、心配になったよ。

 枇杷の花芽。11月中旬の状態です。これは、南側の茂木です。これで4度目の花付きです。花芽が鈴なりですが、これも寒中に入ったら、自然落下してほどほどになります。1個だったり、15個くらいだったり、枝によってばらつきがあります。

 孫たちが枇杷狩りするだけですから、充分過ぎる生り具合です。今年は、東側にも花芽がたくさんついて、そちらも楽しみです。

 淡路枇杷の木も大きくなっていますから、3年も経てば、千葉の友人にも贈れそうです。珈琲を取り扱ってくださっている宅配サンタさんにも。

 今度、東京でお目にかかることがあれば、Mさんともお話がしたいものです。枇杷で繋がっていく輪に心を躍らせていますよ。

 願わくばそれまで元気でいられることを祈っていましょうか。
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プレアデス、ヒアデス星団

2008年11月22日 | Weblog
 寒さは苦手なわりに、星空の見応えに、俄然うきうきするのが、これからの季節です。夏の大三角と、ペルセウス流星群は必ず観える定番。

 冬にはオリオン、シリウス、ぺテルギウスの大三角にふたご座流星群ははずせない。加えて、北極星と和名を昴や、カシオペアや、アンドロメダ等、見応えのあるものばかりです。

 防寒具はスキーウエアがいいですね。これの内側に懐炉を貼ったり、毛布を巻きつけて観望ですわ。ううぅ・・うっとりですぅ。

 アルコールに強ければ、寒さも少し和らげてくれるのですが、まあ贅沢は言えません。独りで夜空を観て何がおもしろいか、と怪訝そうな顔をされるが、(友人、知人には多いんです)いくら理解に苦しまれたって応えようがありません。ぼぅっと観ていられるからいいんです。誰かが傍に居たら邪魔でしょうがない。

 で、結構うるさいのね。原稿のストーリーを考えながら、宇宙に想いを馳せて往けるのも、ちょっとした楽しみだし正に、スペースオペラです。

 星を観あげながら、魔法瓶に珈琲や枇杷茶を用意して、持ってきた温かいのを飲んだり、予想外の流れ星が観えたりする醍醐味は、わっかんないでしょうよ。

 星を観始めたきっかけは、NHKの星座教室というのがあって、解説者は草下英明さん。チロの天文台長さんが出てたような記憶もあります。

 あの頃は、満天の星が、いつでも観られた。今は、防犯灯がついたおかげで、明るくて観えにくい。しからば天文台と言う場所まで行かねば観えない。

 夜半に厠に立つと、凍てつく宇宙には、シリウスがギラギラと輝き、昴が宝石のように煌めいていて、体が冷え切るのも忘れて佇んでいた。冷たくなった手足を、祖母にくっつけて眠った。あの緩やかで、懐かしい想いが残っていることに感謝する。

 白枇杷の葉の状態です。中心のところが膨らんできません。今年も花芽は見あたりませんでした。
 まあ、枯れないでいてくれてるだけ、ありがたいです。

 以前生協で、夏椿というので買ったのが、白い花を咲かせています。これって山茶花だよ。きっと接木でしていたものでしょう。

 ちょうど、白枇杷の傍で咲いています。
 
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杉玉飾り

2008年11月21日 | Weblog
 隣町に酒造りをしている所があって、数年前に見学をさせてもらったことがある。お酒ができていく過程を、お店の方が案内してくれ、丁寧に説明してくれた。

 宮尾登美子の『蔵』に、本物が見てみたくて見学をさせてもらったのだが、室の中は、汗が吹き出るほど熱く、通路はひんやりしている。

 小さめの池という感じの樽の中で、酵母が奏でるシンホニィー。樽の上から覗いてみれば、交響曲の3番辺りであろうか?晒しの布が、木樽に括りつけられているのには、ゆっくりと水滴ならぬ新酒が下に落ちている。

 個人的には、お酒にあまり強くないので、匂いだけで酔っ払うかと案じていたが、それほどでもなかった。見学し終えて蔵に入る前は気づかなかったが、杉玉に眼が留まった。

 聞けば、新酒が出来上がると、毎年門の所に、杉で作った玉をぶら下げておくのだと話された。但し、今年までで、来年からは何年置きかになります、とおっしゃっていた。材料も作り手も、なかなかでして・・・。

 見学も、前ほどはないんですよ。やはり映画の影響ですかな。と日本酒が、ビールやワインに押され気味な事を言われていた。

 江戸時代には、兵庫米が酒にはもってこいで、元旦に間に合うよう、船を仕立てて運んだそうですね。その頃は、酒樽も木枠でしていたであろうし、杉玉も酒蔵の門前に、立派で大きなのが飾られたことでしょう。

 先程新酒を届けてくれた友人が、社員価格だと持って来てくれました。千葉の友人に贈ってあげよう。Rさんは、めっぽう強いらしく、きっと少しばかりでは呑み足らないかもしれないけれど、お正月にさしつさされつでやってくださいね。

 今度の仕事は年末、年始がありません。年が明けると研修が始まるので、こっちも気が抜けない。加えて土日もなくなります。命と向き合っている現場には、自分の都合は最後です。

 また、必ず逝きつく道でもあります。大掃除を夏場にやっててよかったよ。枇杷茶を買ってくれている友達が、娘が枇杷水を使ったら、ニキビが消えたよ!とたいそうな喜びようで、感嘆しまくる。

 そこにたまたま来ていた親友の方が、えっという顔をした。あ・でもわかるよ。だって、家の枇杷茶と、ここの枇杷茶の味が同じじゃないもの、と頷いている。

 あらまぁ!家から持って来ている同じ枇杷茶だよ、何で違うものかしら?と問えば、でも違うのよ、と言い切る。友達がにっこりして言った。あんたさ、どうでもいい気でしていない?飲めばいいくらいにしか考えてないでしょ。うんそう。と、友達の親友は即答した。

 ここに集まる人は、水筒に枇杷茶を容れて、持ち歩いているそうです。いろんな形で、枇杷葉が広がっていくのはうれしい限りです。と同時に、心も体も健やかで、年を重ねていけるよう、お手伝いをさせてもらえることのうれしさでもあるんです。

 大山れんです。夏の一夜に咲き出したところを、携帯で撮りました。薄緑の花弁が開いて、白い花が現れました。

 夜の闇の中に、芳香を放ち、一晩で散っていきます。美人薄命の例えどおりですね。
 
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