枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

何時ものように

2020年12月31日 | Weblog
 コロナで変化したことも然してなく、何時も通りの普段の暮らしでいられた。実に有難く感謝に堪えない一年でもあった。仕事を辞めて半年が経過したものの、変わらずに付き合ってくれている者や途端に掌を返した人も居たり、物事を有耶無耶にしている感が拭えない方もおいでだ。きっと言葉の掛け違いであるのだろうが蟠りが消えないでいる。とても残念だ。

 その他にも多々考え違いの著しい方々がいて、こちらが仕事を辞めれば済んだと高を括る。わたくしは辞めるまでには、勤務外の時間も使い気持ちがすっきりなるようにして、引き際も気づかぬようにしている。施設に住まう人等にとっては、そこは自分の居住なのであるから、居心地の良い空間を提供したいもの。物凄い汚れでも平気な神経が堪らなかったものだ。

 換気扇も部屋の壁も、窓の桟もドアの仕切りも、綿塵や手垢で真っ黒だった。ちょっとしたくらいでは追っつかぬし、掃除当番が居るのだから当然出来ていなくては。手抜きばかりでやっているから、病気にもなるし認知症状も進むのだ。見守りって単にじっとしていれば好いのでもなく、何かの訴えに耳や心を傾けることが大切。呼び方にも名前は失礼なのを平気。

 学校で習わなかったのだろうか?子ども時ならいざ知らず、成人前後で父・母と呼ぶが、最近ではやたらといただきますを連発し、いい年をしておかあさんと言う。まあ、無視すれば済むので相手にしないが、頭の善し悪しでなく物事への弁えかなとも思える。また、年下の者から名前で呼ばれるには、それなりの親しさや拘わりもあるので初対面ではぎょっとする。

 昨夜は、サラダ巻きを取りに来ると連絡があって、時間が気になっていたのが的中したが、鉢合わせをしたにも関わらず歓談出来て一安心。一人は珈琲を淹れているのを持って帰り、搗き立ての餅を土産に置いてくれた。足湯に来る娘さんは、すばるの餌をプレゼントしてくれた。何故か、すばるはこの娘さんが好きである。PM7時台にはどちらも帰って安堵の極みだ。

 その時点では曇空であったのが、徐々に怪しくなって小雪が舞いだし、月を諦めて中に入った時点から閑となる。10時には振り切っており、真夜中を過ぎて出たら観えた。雪は積雪5cm程だが寒い。それでも、月の煌々とした姿に魅せられて佇み写真も撮る。玉人とは、月の精霊のことだろうか?嫦娥姫の嘆きも聴こえそうで、静かに仰ぎながら探索は中止に願う。

 人間の欲にも程があろう。地球を壊して資源を採り尽くし、それでも足らなくて棲めぬ星に換え、恒星や他の惑星へと侵略を図る。地球を自分達の手で汚したのですから、皆で綺麗に元の状態にしなければ駄目なのよ。こんなに美しく青い星を棲めなくして、権利だけを主張するのは違っている。エコな暮らしには、便利さも快適さも少ないが地球のことを想って。

 カリーナの林檎。絵本でもネットでも観てくれると好いなぁ。チェルノブイリ原発での事故は、皆さんの心にはないのでしょうか?広島のことも長崎のことにも、既に過去のことでしょうか。第五福竜丸被爆や、東海村の臨界事故、福島第一原発の人災も済んでしまったことなのですか?自分の回りには快適で便利なことがあれば好いのですか。障碍者は排除して。

 横断歩道を渡るのに、眼が見えないであれば音で知らせてもらわないと分からない。それが近辺の住民優先で止められているそうです。じゃあ、そういった方には家から出るな、盲導犬と一緒にと言いますか。線路に落ちても他人の命なのですか?見かけは健全でも心が病んでいる人を分かります?自分の事よりも他者のことを考えて行動しますか。していないのよ。


 
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霜月、望・大潮

2020年12月30日 | Weblog
 今朝はAM7時起き。ご飯は仕掛けてあるので炊けているのを、飯ぼうに酢を振って移し、砂糖と塩で調整する。シーチキンは3缶混ぜたが、早くも匂いにすばるが振り向く。卵焼き・カニカマ・レタスを剥いて皿に乗せ、蒲鉾も切っておく。卵焼きは弱火でゆっくりしたが、やっぱり砂糖を入れたので焦げた。酢飯を5合にしたので充分には巻けたが、レタスに手こずる。

 まあ初挑戦なのでやるしかない。と11時前までには何とか仕上げ、弁当に2本持って配達に出た。おおっ!物凄い風で車が浮き上がりそう。往きはそうでもなかったが、帰りには横波に攫われそうな感じがして速度を緩めた。川面に白い波が幾層にも連なり、まるで小さな兎が跳ねているようだ。兎のダンス。こういう日には地震があるんだとニュースを見れば大当り。

 PCの調子は何とか機能しているが、ネット切断は相変わらずで訪問が思うように出来ない。作動時に出る画像を消して、と頼んでいたのが残っているのも。どのみち年明けに持ち越すしかない。ブログ更新には支障はなく、手短にささっと済ませば好いだけのこと。でも、内容が気になるしちゃんと読みたいのよ。どんな文章にも、各々の言いたいことが溢れている。

 で。身体の不調を読むにつけ、枇杷葉茶を飲めばいいのに生葉で湿布すればとかを思う。実に多様な効果があるのにも驚くが、医者に罹らないで居られることは、何よりも金を使わずだし、自然での能力が増してくるので有難い。身体の悪阻を排出する働きがあり、細胞への影響にも著しい。薬害は無いし、我が家にあるので使い勝手も佳いばかり。エコな暮らしで。

 弁当を配達して帰宅してみれば、ポストに何やら投函されている。もしやと見ればリエさんからのクリスマスプレゼント。カリーナの林檎が観られただけで好い。電話をかけてお礼を言いながら、来年には逢いたいねと話す。どらえもんの何処でもドアーが欲しいねぇ、とため息交じりに会話して、一年のお礼と来年へ期待をかけるが、何やら暗雲たる雲行きに…。

 昨夜は、夕方からの雨に外には出られなかった。今晩は、満月なので観たいものだと思いつつ、足湯に来る娘が雪になるからと騒がしい。ここらはノーマルなのでちょっとした雪が恐い。出不精が正解なのよ、でもサラダ巻きはどうするの?早目の再度連絡を待つ。室内に居ればポカポカとした天気で、気温も意外に高いのだが、何せ風がきついから、猛吹雪になる。

 昨日、PCの作業をして貰っている間に、年賀状を書きつつ台所の水屋のガラスや、流しのドアをボディソープを浸けて落とす。何時間掛るやら不明なので、パウリスタの珈琲を挽いて淹れて出しておいて実行。手垢というか油脂なので簡単に汚れが落ちる。高価な洗剤は不要だし、臭いもきつく無くて助かる。力も然して必要としないから、手早く済ませられ綺麗に。

 地球にやさしい物で、簡単に汚れを落とせるのはうれしい。壁の上の方が気になるが、落ちた時のことを考えて止めた。入院だの手術だのは真平御免であるし、保険証は辞めた時に返して作っていない。事故に遭ったらその時だが、延命処置は望まないし臓器の提供もしている。誰かの何かのお役に立てれば、それに越したことは無く、地球の為にも好いのではと想う。
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約1ヶ月間に渡り・・・

2020年12月29日 | Weblog
 今朝、どうにも立ち行かなくなってPCの業者さんに連絡して、やっとおいで願い修復して貰ってメールが開く。見れば何という膨大さであろう…、どうにかメールを仕分けて確認したが疲れた。それでも自分では出来ないのだから仕方ないのだ。何時もの方が良かったのだが、多忙につき代理店さんが来てくれ処理。丁度本日までと午前中になら都合が好いとのこと。

 ネットでの買い物は控えているので全部削除し、図書館にも度々寄っているので支障はなかった。問題は、ベルメからのメールに期限があることで、ポイントを増やせなかったのが残念でも。フェイスブックは、別の所から観られるので困らないし、書き込みにも何等問題はなかった。PCは便利でもあるが、こういう事態に対する能力が無いので不便さに茫然だ。

 今年の後半から仕事も辞めての清貧の暮らし。つい他所さまへの訪問になっていき、その内容を読むのに四苦八苦させられた。加えて評価のボタン押しだが、納得すればいいがそうでなければ無理もある。この項目には、詰まらないとか、読み易いように工夫を、というのがないから押せない。写真を観るのも、その日に依っては明暗もあるから安易には出来ない。

 何しろ書かれていることをじっくり読みたい、それにわたくしの想いを書きたいこともある。また中には次々と更新されて追っつかない方も居るが、そこは一日での閲覧で済ませるようにした。わたくしは自分のブログを訪れて下さる方には、奇特な方だと思えるし、内容としては枇杷葉の記事が占める。リエさんとの付き合いから、児童者の絵本を多く載せている。

 元々、読書が好きであり活字中毒症状から、作家の追っかけをしてのことで、偶然末吉暁子さんと知り合いになって、とある書店の公募に出したことから光瀬龍氏にも、石ノ森章太郎にも遇った。灰谷健次郎さんは永遠の憧れで大好きな方だし、佐藤さとるさんには、我が家の枇杷をお送りして歓んでもらった。然し、どなたも今は鬼籍に入られて、こちらが往くしか。

 30代からなので既にもう一回足せる年齢になったが、あの光溢れる素晴らしい時代は忘れられない。今は、コロナでの自粛と姦しいばかりで、上京する気も失せているので。大人の書籍も面白いが子どもの本にも好い物が沢山ある。そういう仕事を続けているリエさんには、尊敬以外のものはない。他人への思いやりがあって、心根がやさしい。わたくしは迷惑ばかり。

 リエさんとの付き合いも随分と長いですが、枇杷葉での繋がりから、父上さまや伯母さまにもお会いでき、泊めて貰うのでうれしいことばかり。でも、そのお礼が中々出来ない。年金暮らしになってからは、更に手元不如意が増え何かと頂くばかりでもある。はり灸さんは枇杷葉エキスを使っての治療をしてくれるので、遠路遥々訪れているが品川で乗り換えて向かう。

 蒲田まで乗って、そこから池上本線で久が原降り、駅から徒歩で10分位の距離の治療院である。品川での乗り換え自体がややこしく、何時も間違たりするので、駅員さんか感じの好い男性に訊ねる。若い者には地方から出てきた方もいるので、迂闊には聞けないのと相手にされない。田舎出は見れば分かるので中年の方は、気の毒に思うのか丁寧に教えてくださいます。

 明日はサラダ巻きを作る。誰でも出来る簡単な事だが、注文が殺到して困る。足湯に来る娘は、勤務なので終えてからと言うから、我が家で食べる心算なのだろう…。珈琲を取りに来る者も、餅搗きがあると言うのを、済ませて寄ると連絡があった。中味は然したる具でもないが、酢飯が旨いからと巻く算段。さてさてやはり10本は巻くかな?前回は自分のが無かった。

 

 

 
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老後の暮らしでは

2020年12月28日 | Weblog
 コロナで始まり続いている昨今です。それも新しい菌が発生しての鎖国と相成って、様々なイベントも外交も閉ざされてしまう。で・これって最初から対策を立てていれば、ここまでの広がりは防げていません?予算だけ膨大に膨れさせての悪徳政治・施策。何が遣りたいのかさっぱり不明な議案は、隠れて通過させてしまう手際。検察も端っから嘗められてる。

 昨日は、カリーナの林檎を観たくてブログの記事もいい加減で、訪問さえ御座なりの横着者でしたが、チェルノブイリ原発の悲惨さを、子ども目から見ての想いと映像に心が壊れた。福島の事でも判るが、事故は起きるべくしてなったのだ。安全で安心という枷の中には、プルトニウムが如何に危険かは含まれていなかった。でも、騙されて仕事に就いている者も。

 東海村の臨界を覚えていますか?防護服も無ければ素手でしていたのですよ。殺人にも匹敵することに、政府はひた隠しに囲って、日本の各地に原発を築きあげ、今尚再稼働へと突っ走っている。広島での長崎の被爆を忘れてしまい、便利で明るく綺麗だから安いと嘘を並べる電気会社を政府は支持する。そこには懐に転がり込む膨大な資金があって胸は弾むのだ。

 庶民の生活の為ではなく、自己中心の利益だけに拘る。コロナでも、放っておいても我が身になければそれで良しで、罹患しようが亡くなろうが意に関せずである。事情を知っていても報道される記事は限られ、真実は伏せておかねばオリンピックは出来ない上に、これまた儲けが入って来ない。他人の命等どうでもいいとの試算で、生きる術を先読みしての逃げだ。

 だからこそ、カリーナの祈りのように願いをしよう。素朴で小さな祈りでも、どうか誰かに届いてほしいものです。枇杷葉での身体を労わり、免疫や抗体を僅かでも増やせるならば、と想いを強くしている。年齢を重ねて来ると身体のあちこちに支障が出るのは当たり前だが、医者に罹る前に、通院していても援けて貰えることと信じて、枇杷葉の力を借りたいね。

 健康法も、枇杷葉が全てではないし、他の方法で暮らしておいでの方もいよう。枇杷葉には副作用がなく、対処する場合にも外れは少ない。唯、稀に合わない方も居るようだが、それは悪い物を外に出そうとする働きがあるためで、最初からすんなりとは行かぬことも。わたくしの場合には角質がボロボロと剥がれ、驚きの脱皮を繰り返した。皮膚は再生してくる。

 現在での暮らしには、贅沢をしないで自然への委ねでもあるが、身体への異常を察知したら直ぐに枇杷葉に援けて貰える。日々の暮らしへの祈りと感謝以外にはない。日本での田舎の様々な事例にも、納得してのやり方で過ごすだけだ。無理もしないでいる。これ以上のことを願うと限もなくなるので、感謝することで癒される。実に有難いことと日々を送るよ。
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カリーナの林檎

2020年12月27日 | Weblog
 絵本ではリエさんが訳して、本日の24時までの無料配信では今関あきよしさんの監督である。人間は、自分が神であったなら何を願い行うのだろう。おばあちゃんの病気もママのことも、悪魔が毒を撒いたからそれを綺麗にしたいと祈り、自分の身体よりも誰かの幸せを願う。ラストの映像は観えなくなってしまった。原発は要らない!わたくしが祈り願うのも。

 昨夜は、玄関を出た途端に、大熊座の方向へと流れた。真夜中を過ぎていたが、滅多に観れないので満足して入る。母彗星のチリが地球の軌道上にあれば、大気圏に突入してのことだが、今年は比較的に沢山観られたことに感謝しよう。コロナのせいにはしないで、自分で愉しみを見つけていけることも有難い。どんな小さな出来事にも、恩恵があるのだと祈る。

 仕事を辞めての悠々自適、と自分では思っているが文明的な生活を遠慮してのこと。清貧の暮らしと言っても、全くの自給自足ではないからややこしい。故郷に帰るにも両親は居ず、家屋は自由にはならないのだ。贅沢を言わず、今の暮らしを静かに遣っていけることは、何よりも有難いことだ。明日の生活さえ出来ない人も居る年末に、雨露凌げるだけでも…

 枇杷葉のお陰で、腰痛にも響かず、寒さも湯たんぽで我慢しつつ、衣類は冬中を着る心算で過ごす。洗濯も掃除も身体を動かせば済むことで電気代も節約できる。自由には必ず責任が伴うのだ。一度言ったことを訂正も無理なら、子どもでも判る嘘は止めろ。これが前政権を掻き回した者の様である。恥を知らない情けなさに唖然、どでかい態度と顔に嫌気が差す。

 政治家は皆がそうだろうとは思っているが、最低の者等が集まっての愚策ばかり。コロナも楽観ばかりで、広げてしまう後手後手。庶民には宴会は愚か行くことすら資金不足で出来ないのを、馬鹿騒ぎを繰り返して更なる人数を増やす大騒動に導くばかり。籠池さん、写真の証拠があるんでしょ!それにしても、赤木さんが実に気の毒で浮かばれないじゃないの。
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あっ、年賀状を・・・

2020年12月26日 | Weblog
 まるで他人事のように思っているわたくし、仕事もなく時間はありそうなのに、気づけば書いていないわ。毎度のことと苦笑されそうだが、リエさんとしーちゃん達に書いておこう。フェイスブックだと即答になるが、一応10枚分はあるのです。はり灸さんにも、職場の方にも出さねばと未だのんびり構えてブログの更新を。先日の雨は約1ケ月振りであったが雨量が少なくがっかり。

 ということは、梅雨時や台風時期の降雨が心配される。旧暦で教えて貰うことと暦での予想だが、自然を換えることは不可能で、あるがままの成り行きに任せるしかない。それにしても、新型のコロナを国内に発生させたり、自粛せよと言いつつ会食を平気で行い、事実とは違うから訂正するだの庶民を嘗め切っている輩を、即刻辞職であろう。庇い立てする理由は何なのよ!説明だろ。

 昨日はカレーを作って、それにサラダを添えて弁当で届けた。何処にも寄らずに帰宅して、ご飯を仕掛けてそろそろかな?と思っていたら、Aさんから電話が入る。用事があるから来宅せよとのこと。やれやれそれならちゃんと言うてくれていれば、帰りに寄ったのにと思う。年齢を重ねると、一つことにしか気持ちがいかないものでもあるから、半分は諦めて出かけることとしよう。

 年末の買い出しには行かずとも、配達をしてもらえるので安心できる。時間にせよ金額にしろ、あの人混みには遠慮したい。マスクを付けていても不安が過ぎる。布団も、今の時期にはそこら中に蔓延しているかと干せない。気温も低いから出さないのが賢明かな?さてさて昼ご飯としよう。その後にはAさんちに出向いて、銀行にも序に寄ってこようかな。何かと予定は変更へと傾。

 Aさんちを訪れるときちんと袋に入れてあり、お礼を述べて受け取り銀行に寄って帰宅する。箱は小さいが中味の質には仰天する味が隠されている。京都の和菓子老舗で、蕨餅とも言えないやさしい味わい。それをわたくしにまで下されるとの気遣いに有難く拝受。久々に味わう感激にうっとり。クリスマスにはそれなりのもてなしをするが、今年は弁当配達に切り替えてしまったよ。

 従って、不景気にてケーキは買わずで、ハーゲンダッツのアイスクリームとワインで済ました。わざに買いに行くのも大儀だったし、クリスチャンでもないのと教会も近くにはなくで、無信心者の戯言です。昨夜には、クリスマスキャロルとメリーポピンズを観ていたので、それで充分なのです。贅沢はしないこと、我慢も必要と独り言ちる。シャンパンは買ってあるが正月にしよ。

 玄関の場所の廊下に日本酒を置いているが、箱が汚れてしまったので取り換える。出窓のある部屋も掃除機をかけて、カレンダーも換えておく。写真のあるのはめんどくさい上に、季節感のずれが生じて使い難い。できれば1枚物がめくらないでもいいし、便利でもある。郵便局と図書館から無料で貰い、スタンドにもくれた。これに旧暦のカレンダーと、古典落語の日捲りで充分ね。

 洗濯も少しづつ終えて、後はマッサージチェアだけになった。洗濯機が二層式の容量が少ないのだから、計画してやらないと乾きが悪いの。それにしても冷暖房の水漏れと、PCの調子を見て貰うのが連絡ない。このまま年末を迎えるのか?何時まで経ってもメールが開かないから見られないで困る。分からないことには今後触らないのがいいが、現状では自分で出来ぬ腹立たしさだ。
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お飾りを

2020年12月25日 | Weblog
 今朝は、お飾りをつける予定で随分と前から用意していたのを、玄関と車に付ける。暮れの気忙しい時期で忘れるのだが一夜飾りは避けたい。勤務先では、掃除もしなければならずで、業務を終えてからやっていた。早朝に付けるようにくどい程確認して帰宅していたが、今年は態々出向くこともないので安堵している。慣習やら風習には地方に因って異なろうが、してはいけないことも。

 最近、PCの接続状況が思わしくない。昨夜にも気づいたら切断されており、これから訪問をとの思惑が出来ない。仕方なくDVDを観ることにして、図書館で借りたのもあるからと優先順位で読む。県立図書館以外でも借りられるのだが返却が厳しいため、職員からの伝達を受けた。まあ、そこまでの意欲もないのだが、貸してくれた手間もあるのでと読み始める。女だけの町が面白い。

 ストーブを点けている間にしておこうと、柚子を煮ていたら焦げた。慌てて鍋を隅に寄せて掻き混ぜるが、甘酒で作ろうとの試みは失敗かな?そうこうしている内に洗濯を干したり、枇杷葉茶の生葉を切っておくのもあって、電話が鳴っているのに気づかなかったが、足湯に行きたいとのことで、急遽ブログの更新をしている。弁当の配達は休みです。のんびりと過ごす予定が潰れた。

 自分都合は我慢できるので、足湯に来たいと言うにはストレスが溜まってのことだろう。介護の業務は生半可ではないから、例え給料を貰っていても厳しい。こちらは仕事と割り切れればいいが、中々そうとばかりにもいかない。相手との相性も間々あるのだが、始終笑顔で優しい事ばかりも言っておれない。家族が持て余す者への対応にも、推し量っての技術も必要とされてくるから。

 介護される者も、している者も、人間である以上最低限のことに限られる。食事・排泄・入浴であるが、そこに認知症状が出始めると知識や実習が大切な要素になる。加えて、介護者の資質にも大きく左右される。言葉使いにも要素が含まれて、何気ない一言が歯車を狂わせることにも。双方・お互いでのことですが、これが介護者には認めれない。利用者さんにも身体を触り卑猥な奴。

 腹の中で、このクソエロ爺と叫び、後ろから蹴り倒してやりたい想いに何度なったか。我慢にも限度があるしと、上司に訴えても即却下。何処のどんな仕事でも、異性間の嫌悪差には窓際に押し遣られる。今でいうセクハラだのパワハラが公然とである。家族で看られることは、思い様には依っても幸せなことだ。身寄りがなくても金銭的に余裕があれば施設が好いだろう。自宅では…。

 
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あれやこれや・・・

2020年12月24日 | Weblog
 弁当を作って届け、クリスマスプレゼントに小川珈琲の粉袋を付ける。UターンしてAさんちで卵を受け取り、コンビニで支払いを済ませて、本屋に寄り注文品を確認して今年までの営業なので、最後の挨拶を交わし合う。暦と天文年鑑にリエさんの絵本、宮部みゆきさんの文庫本である。実際は困惑する事態だが店主の意欲がないから仕方ない。スタンドで灯油をポリタンクに。

 図書館に予約していた書籍。女だけの町・ネロ・わたしはわたし・エカチェリーナ女帝を、落とさないように抱えて傘を差し車へと積み帰宅する。ホワイト・クリスマスが雨になったのはうれしい。やはり天水には勝てないもので、植物が生き生きとしている。寒さは感じないのだが、洗濯物を外に干しても乾かずで、室内での乾燥とした。暖房を点けていれば除湿機能も働く。

 昨日は、夕方とPM10時頃に出てみたが、雲行きが怪しくなっていた。それでも月は煌々と輝きながら、西の山裾に入ろうとしていた。オリオン座・プレアデス・ヒアデス星団、大熊座や小熊座カシオペア座は観えたが、次第に曇ってしまい断念する。開けて今朝はどんよりとした天気で、気温が高いと思ったら雨になった。車の中も暑くて暖房を下げる。身体にしっかり着込んで。

 リエさんの絵本になっている、カリーナの林檎が配信されるようで、チェルノブイリ原発事故を扱った内容だが、少女のひたむきさに、素直さに胸が痛むばかりだ。カリーナの小さな想いが世界中に広がって行くことを祈る。リエさんとても素敵な本です。一人でも多くの方がこれを観てくれると好いですね。地球はかけがえのない青い星です。人類だけでなく、多くの命が棲む星。

 前・現総理の遣って来た進行形の施策は、庶民から税金を巻き上げての湯水の如くばら撒き使う事。事が露見すれば表立っての責任を取らせ、控えると何も言わないがそれ自体が遣ったことと認めている。閣僚は黙らせても事実を説明しない限りは、財産没収でしょう。よくまあ悪事の並べたてで恥ずかしくないのですね。映像にもしっかり写っているし、逃れることにはならぬよ。

 Aさんちで水を分けて貰うのが出来なくって、ペットボトルでの購入をしている。地下水の旨さには、枇杷葉茶と珈琲とご飯が正直であって、水を替えたら何となくの違和感が漂う。災害時には水道も止まれば、井戸水は命の元だが今後はそうもいかない。故郷に行けば井戸はあるが、何十年も使っていないので費用も掛かる。便利で簡単で出来ることには、必ずしわ寄せが来るな。

 我が家では、枇杷葉茶を土瓶で沸かして飲み、その後は良く乾かせて枇杷湯に用いる。それが終われば再度天日で乾燥させ、寒中に糠と塩を混ぜて寒肥にする。枇杷葉茶で飲むのも朔日と望日で換えるか、朔日だけにしてはいるが、塵でだけは出さない。使わせて貰う有難さを想えば粗末にはできないし、自然へ還すことをしておかないと、環境を壊してしまうのだ。清貧の暮らし。

 
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朝の一仕事

2020年12月23日 | Weblog
 今朝は5時起きである。年末最後の瓶出しなので、1年分を纏めて持って行った。寒いので防寒防備のいで立ちで、歩けば10分の距離を重いので車を使う。割れた食器もあったりで、更なる怪我になっても痛いとの横着者。ストーブを点けて枇杷葉茶を土瓶で掛けておく。あっという間に片付いて帰り、二度寝をしようかとも思っていたが、眼はぱっちりと開いてしまったため断念。

 珈琲を挽いて淹れ、パンを焼きながら洗濯機を回す。カーテンを開けるが結露を拭くのは早くてもと諦め、頃合いを見てからにした。新聞もゆっくりと読んだが、検察の捜査に疑問を感じるばかり。任意も何も遣っておるから関係をしていないと言うておるのだ。庶民の血税を湯水の如く使っての、私腹を肥やし長期飽きれ政権を、無理矢理に続けたことこそ犯罪だ。と思うのだが。

 時計を見ると未だ9時前である。さて、と天井を見たのが悪路露見の始まりだった。そうだ!台所の戸棚の掃除が残っているし、壁のタイルも拭いておかねばならない。ボディソープを少量キッチンペーパーに付け、拭っていけば綺麗に。下の電球は棒状なので一応そのままにして、壁に掛かっていった。こちらもタイルの継ぎ目が気になるので、其処の汚れ中心で拭いていった。

 手抜きの掃除にしては1時間もかからず完了。玄関・台所テーブル等の挿し換えに、外に出て高い場所の枇杷葉だけを伐った。本日は、風もなく暖かな陽射しに身体も動く。部屋中を枇杷葉で埋め尽くし南天も挿して、早々とした正月の雰囲気に。南天は咳・咽喉の飲用に用いるが、野鳥も狙っており案じてもいたが、無事な枝だけを手折る。餌がないのだから残してやらねばね。

 枇杷葉の花芽にも沢山の冬鳥が見えているが、写真までは撮らないので定かではない。鳴き声でそれと分かるが、賑やかな田舎の事情である。烏もこちらの方は嘴が先細であって、先太との分布状態はどうなのかしら。と思ったりもしている。烏にはどうでもいい、カラスの勝手です。今朝は早く起きるので早く寝ようと思いつつも、ジュリーマニアを観ていたら眠れなくなる。

 で。今朝は根性で起きた。起きたら掃除を、と思うだろうが未だ暗く寒い。学校に行く家庭では何時もの事であろうが、わたくしには草刈り・掃除の奉仕時期のみで、弁当を作るのも早起きをしなくて好い段取り。まあ起きたら時間はたっぷりあるので、花芽を箱に入れていたのをお茶パックに詰める。これを冷凍庫に保管しておいたり、葉も切ってと用事は多いもの。昼が来た。

 ブログの訪問は朝に済ませておいた。昼食は饂飩にし、葱をたっぷりと入れた。野菜物は何でも美味しいのだが、弁当を作っている者が、何と玉葱・葱類は嫌いと言うので、こんな安価で栄養はなく身体に好い物をと処理している。昨日は豚肉との塩炒めにしたが、色目も綺麗で美味しい。昔、外食をした時に、すうどんでいいか?と聞かれて頷き、酢饂飩ではなかった驚き!!

 以来、外食では饂飩は食べない。何が哀しくて外に行ってまで饂飩なの?と思うのだ。それに田舎の事情でもあるが店も無い。遠くに行くにも時間が勿体ないでは、ちょっとした工夫し自宅で食べたい。鮨が一番の得意で、水加減やら材料にも由るが好評なのよ。今度はサラダ巻きを作って、と予約も入っている。レタスもあるしシーチキンも、蒲鉾もあるから直ぐにできるわよ。
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霜月・小潮・上弦、言葉もない・・・

2020年12月22日 | Weblog
 前首相への国会招致は、そういう場に慣れていないからって?誰だって慣れないわよ。じゃあ籠池さんは慣れてたの?ああいう事や逮捕は予期していたのか?噓つきもここまでくると次に出す言葉を失うな。国会での予算額も、話し合いも無ければ、金額を莫大に膨れ揚げての決定。誰も頼んでいませんし、それって二階さんに流しているの?それともアメリカへの献金なのかな??

 コロナを盾にしての、隠れ談義や飲食を行い、ばれれば言い訳を重ねるが唖然とする嘘。庶民の誰もが知らないし、気づくこともないだろう算段で、止める者には首を切り何も言えないようににたつく。天使ではないとは思っていたが、悪魔もここまでの非情さはない。でも、田舎から出て来て、トップの座に座りたくて、我慢しての裏方には飽きたのか本性を現す為体。暴動だわ。

 弁当を作って届ける。銀行にも寄って帰宅し、明日の瓶を出す用意をする。箱に詰めてあるのを車に積んでおくだけだが、早朝のことなので手が冷たく割っては困る。今朝も、すばるが窓を開けてと煩い。で、開けたら寒いとストーブに往く。飼い主は震えながら開けたり閉めたり、今は少し暖かいので換気をしている。カーテンを替えたいのだが、どの道上がってぶら下がるのよ。

 猫の習性なのだろうか?新しいのに換えた途端に飛びつき、うれしそうにじゃれるか勢いをつけてぶら下がる。飼い主の悲鳴を物ともせず、どうだジャンプも掴まりも上手いだろう。とカーテンで揺れているすばる。洗濯をしているので綺麗だが、あちこち爪で引っ掻いた跡が残る。外に出さないで飼っている弱みに、きつくも叱れずの心境を心得ている。悔しいがこの時点で負け。

 山茶花は、急激な冷え込みで無残な姿になっているが、枇杷葉は花の咲き終わったのや、これから咲くのも未だ蕾状態のもあって風に匂いが漂う。家内にも花瓶に挿しているので香しいばかりだ。正月の花を買いに出る余裕もないので、南天と枇杷葉で済まそうか。クリスマスローズを切れないこともないが、旧暦まで我慢しよう。誰も来ないことを設定しての横着をする心算で。

 昨夜の観望は、夕方の宙と流星群だった。足湯の娘が柚子を持って来てくれ、湯割り用と手荒れ用を作っておいてとのこと。珈琲を飲み小腹にプリンを入れて帰った。写真も撮っていたようだが、性能がいいスマホで鮮明に写っていてびっくり。青森の地震は核燃料の廃棄場があるのと、コロナに託けての防備が正常に動くとも思われない。政府の腑抜け共を辞めさせたいのよ。

 これ程に財政が圧迫されて収入の見込みもさっぱり状態を、どうしたら庶民の命を救えるのだろう?やる気が見えない上に、借金を押し付けての愚策ばかりで、支離滅裂であり、意欲低下を齎す弊害とする。こんな最悪の時世を、自分達はこれでいいとばかりに手放し、死んでいくのをにたついて待っている閣僚共。私財を投じて等、最早死語となっている。お金が消えればいい。
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