枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

来る年に・・・

2019年12月31日 | Weblog
 長期政権のつけを、丸投げ状態で放り出し、ゴルフ三昧とは呆れる。嘆かわしい。最近の傾向に、こういった手合いを真似る向きがあるのも驚く。作文を書かせれば、幼稚園の児が書く内容だったり、受け答えも要領を得ない。まあ、尋ねている方にも問題があり、聴いている者には厭きれる言葉である。何にでもいただきますの連発。

 かと思えば、可愛いと言う言葉しかないような、高齢者への言葉に開いた口も塞がらぬ。人生は、幾つになっても学べることが多くあり、専門書の類には怖気るが、調べてみようという意気込みは大切。ナポレオンは、酢民時間が足らなかったので、思考能力が落ち、戦争に負けた気がする。小原庄助さんは、朝寝・朝酒で命を縮めた。

 オリンピックのために、血税を投入され、地球を壊されているのを知って愕然とする。来夏は、今年よりも長引く暑さと、不快指数が大きいようで、その中での開催となると、多大なる諸経費が上乗せられる。個人では、誰も払う意思もなく血税が投入される。初めから無理があったのを隠してまで行う意味がある?どこが経済発展なの。

 雨のお陰で、枇杷葉の花芽の香りが漂う。自分に出来ることと、枇杷葉を植えて環境の維持を図っているが、空気が清浄になることに加えて、呼吸が楽ですね。我が家は、道沿いにあるので、排気ガスが押し寄せるが、枇杷葉の光合成が浄化してくれるのだ。自然の恵を貰えば、還していかなければ、地球は枯れてしまう。壊れていく。

 庭に見えるのは、クリスマスローズの花と、カーネーションだ。冬の殺伐とした中に、山茶花が満開で、剪定をしたからか咲き続ける。小寒・大寒と過ぎれば節分で、立春が始まる。季節は廻り、人間の英知の届かない遥かな時間に、人類の滅亡も待ち受けるのだ。然し、それを速めることをしてはならないのだ。そのことに気づこう。

 今朝は、暖房の設定温度を18℃にしている。昨夜からのことだが、意外と温かいのだ。すばるにはふかふか毛布があり、一番いい場所に居るので、黙って眠っている。こちらは、これから仕事に行く。現状の厳しさに対応すべく出勤だ。無理はしたくないが、働かねばならない。沢田研二さんのコンサートに行きたいので、凌いで行くのみ。

 枇杷葉にも、四季があるので、その時によって葉色が微妙に違う。或いは、種類にも依るのだ。
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餅搗きも・・・

2019年12月30日 | Weblog
 子どもの頃、例年この日は餅搗きで、祖母や母は早朝から竈の側で支度に余念がなかった。父がこしらえて起きて来ると、蒸篭から打ち上げて臼に移し、杵どりして搗いた。搗きあがるのを待ちかねて、飯俸の中に入れ千切った餅を丸める。冷たい手で触るので、熱くて困るのを放る訳にもいかずで、ひたすら揉む。

 餡子の良い匂いがしてきたら、餅の中に入れて揉む。この時には口にも入る。豆餅や黄な粉も作るが、搗きたての餅の味は格別だった。電気で搗いたり、注文して受け取りに行く世の中になってしまったものの、昔の行事は懐かしい。それが終わると、煮しめを作る。田づくりや黒豆は祖母で、焜炉にかけしていた。

 味利きと称して、つまみ食いをするので、大目玉をくらう。おおつもごりの日は、豆腐を作る。門に大鍋を持ち出し、石で築いて竈をこしらえ、大豆を煮るのだ。焦げ付かぬようにするのが、子どもの仕事。大きな杓文字で混ぜるのがしんどく、庭に設えているので寒い。ぶうぶう文句を言いながらで、焼き芋目当て。

 現在のお正月からは程遠い、お年玉等、蜜柑くらいのものだった。然も、学校まで必ず行って貰って来る。何が悲しくて早朝から行くのか、意味の分からない時代だった。だが、和やかで静かな日の出と、校長の訓辞を聞くのも、生徒等の努めでもあった。のんびりした頃でもあったし、物が無かったから大切にした。

 本日は、早出の半勤であったが、買い物が済んでいなかったので、一旦帰宅して食事を摂り行く。詰りはボランテェアだ。メモ用紙を見ながら、混雑を縫っての大仕事。その前には、嘔吐した者が居て、てんやわんやの大騒ぎ。正月は直ぐそこに待っているし、しておかなければならないことも押してくる。クタクタ。

 明日の用意や三が日の準備を終えて、Aさんちで今年最後の水を分けて貰い、挨拶をして帰宅した。帰れば、我が家の事もある。すばるのトイレが換えれない。ブログ更新を済ませてからにする。ストーブを点け、焼き芋を作る段取りをする。明日の弁当の用意もしておく。コンビニでの利用は最低限避けているので。

 花芽も、方角に関係なく、陽当たり次第で綻びている。匂いが余りしないのだが、どうしたことであろう。しーちゃんのは花芽は咲くが、結実には遠い。サンタさんのも、今年は咲いていない。ちょっと中休みになったようで、温暖化の影響もあるかも知れませんね。美味しい実になってと願うばかり。明日も仕事です。

 台所に置いている、すばるの餌箱です。最近は、無いと五月蠅く付き纏う。美味しいのはよく知っている。
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往く年に・・・

2019年12月29日 | Weblog
 厭な時代であったなぁ…。嘘と誤魔化しと、ペテンと詐欺と、主張性の無い騙し合いの、無意味な時間潰しでもあったと、甚だ嘆く。然しながら、暮らして行かねばならない。無い知恵を絞り、どうすれば地球にとって、最善策になるのかを考える。何だか、息をするにも苦しい想いが増えていく。原発諸事業・辺野古工事。

 幾つか歳を重ねても、往く年は然したる変化もなく、また迎える年も変わらずであろう。それでも、環境的な要素を抜きにしては、地球が破滅してしまうことは明らかだ。自然のままに当たり前の暮しができることが望ましいが、一人ひとりの心掛けが必要となってくる。便利で簡単だと手に入れた物には、必ず裏があるね。

 夕方の宇宙に、燦然と輝く惑星に気づいたら、それは金星です。然も、月と並んでの見事な光景になる。光度も-4.0等星で、ダイアモンドよりも素晴らしいもの。人口のイルミネーションが見劣りする光芒に、数多の星や、自然の営みに想いを馳せる。人間の自由になる物は、何も無い事に気づこう。愛があれば充分ですよ。

 祈り・感謝することで、与えて貰える幸せがある。些細なことかも知れぬが、それが解る人間になりたい。当たり前でありながら、そうでないこともある。嘘も方便とも言うが、善悪の区別はしたいものだ。誰に恥じないというよりも、自分の対してのことだ。金はなくてはならぬが、大金を持てば悪事に走る。自分らしさ。

 此のところ、日足が僅かの長さに感じる。冬至が済むと何となくだが、一日がゆったりする気になる。まあ、年の瀬でもあるが、旧暦での正月に、気分がいかないのかも知れない。小寒が過ぎれば、枇杷葉茶を作る。焼酎にも漬けておかねばならない。寒中の仕事が意外と多い。一年の中では20間程だが、多忙を極めるのだ。

 室温の設定を20℃にすると、すばるは寝床に来ない。それ以下だと寒いと、頭を押し付けて潜って来る。加えて、冷え込みの激しい時には、飼い主が出ても居る。従って気温は、すばるの態度で分かる。最近は鳴き声も出し、訴えが多くなって来た。3年目になるので、可なり慣れて来たのだろう。躾も厳しくして正解です。

 来た年の小さなすばる。貰った当時は、痩せこけて両手の中に納まった。最近は、抱えきれない。
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暦を見るが・・・

2019年12月28日 | Weblog
 昔の人は、どうやって暦を作ったのか?と思えることがある。様々な忌みを避けるために、東西南北の位置から、細かく割り当てたり、金神さまや守り本尊を導き、人の心の支えにしてきた。それには一重に、天を敬い、大地に感謝し、農作物や生き物への命に、天地神明があることに気づかせた。当たり前と言えばそうだが。

 年も押し迫って、あらゆる不祥事の露呈に呆れつつ、よくもまあ今まで隠蔽したものと。きっと、根拠もなく報道しては何もならないので、証拠や事実を確認していたのだろう。悪事と思っていなければ、幾ら検挙されても一緒かとも。謂えば、殺してないからいいではないか。との言い分も出て来るが、心が傷ついているの。

 国会議員の偉さって何?国民の税金での生活ではないか。明白であり、謙虚な姿勢で、物事の道理を説かねばなるまい。厭、これは遠い昔から、相手を騙し手を結ぶが、翻って主導権を握りたいがためだ。徳川家康の忍耐に、織田信長も豊臣秀吉も消えた。鎖国時代ではあったが戦の無い長期政権を築いた。太平の世は退屈か。

 その間には世界は変動して、遂に諸外国を受け入れざるを得なくなる。一番に被害があったのは通貨で、上手い事丸め込まれてしまう。然し、利を得られる立場であれば、これ程愉快なことはなかった筈で、手数料という莫大な資産をものにした。でも、当時の情報では、水戸黄門もいなく、大岡越前も存在しない。因って隠匿。

 庶民の知恵等、そういったことには疎く、物云えば投獄されたり、密かに引っ張られて殺された。正しい事をする人間は要らず、間違ったことへの傾斜を慶んだ。政治とは、様々な国との駆け引きであり、自国を潤すように努めるが、我が国のトップは、私腹を肥やすだけで、庶民のことには触れない。あくせく働くばかりだ。

 原発の処理費も、オリンピックの諸経費も、防衛費も、国民の汗の結晶を湯水の如く、何等考えもなく使途不明にする。桜も、咲いたのが悪いように謂われる。自然を敬い畏れる気持ちの欠片も無い。何期もの長き政権も、こういった狎れ合いが生んだもの。そうでなかったら、支持率が下がるし、居座っては居られまいが。

 枇杷葉の中心に見えてきた苞。中心が膨らんできてから、既に1ヶ月は経ったが、未だ硬く咲かない。

 
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北風小僧・・・

2019年12月27日 | Weblog
 風の強い日になる。洗濯物は乾くので有難い。昨日、雨で止むなく諦めていた物を、剥がして洗濯機に入れる。陽射しは曇りになったりするが、蒲団を干さないので好い。お飾りも玄関と車に付け、大根や椎茸を炊き、牛蒡をきんぴらにした。食材は新鮮なのがいいが、放っておくと萎びるので。明日の弁当用にもなる。

 明日から4連勤となり、正月を休む予定にしているが、勤務する者がいたので安堵。毎年、順番に休むようにすれば、文句も出ないのだが、何だかんだと言い訳をしてくる。皆、其々に家庭の事情はあり、正月は仕事をしたくない。手当てが付くと言われても、疲労度が半端でない。家で家事をしていた方が好いのは同。

 他人への配慮が欠けている人間が多い。自分が辛いなら、相手はどうだろうか?とか。しんどいのは同じでも、代わってできないか?とかを思い、お互いの心労を減らして業務に就きたい。年齢の差はどうしようもないが、さぼったり横着はしないでほしい。手順も覚えたり、臨機応変に動きたい。常に先を讀んで行動。

 洗髪は朔日にする。枇杷湯でのボディソープを使ってのことだが、櫛も洗えるし便利だ。その後には、塩でしっかりと頭皮を揉む。タオルを巻きつけて水分を取り、入浴する。風呂上りもさっぱりで、塩のお陰で身体はサラリとしている。髪を乾かせるのもタオルのみで行う。これが意外と髪が傷まない。しっとりとなる。

 今朝は、沢田研二さんのロイヤルストレートフラッシュを観ている。アラジンとイエスの復活も観ていたので、ちょっと重たくなって来た。生ごみを片付け、すばるのトイレも砂だけを換える。カレンダーは新しいのにしたし、衣類も準備は済ませている。孫等が来れば、用意している物を渡そう。二人とも受験生である。

 花芽の開花が怪しい。気温の変動についていけないのも、人間だけではなさそう。若い者だけに任せることをしないで、大人こそ認識を新たにして、環境改革に立ち上がりたい。小さなことでも、自分に出来ることはある。続けていくことも大切なこと。誰かが言うからではなく信念を貫きたい。いのちなりけりでもある。

 月の姿に魅せられてしまう。この世の闇を照らす淡い光に、希望を抱いて生きていけるものかも。
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師走、朔・大潮

2019年12月26日 | Weblog
 昨夜からの雨音に、耳が痒くなって堪らない。朝は、ゆっくりと起きだして塩を換えた。本日の予定は、葉室麟 いのちなりけりを返却に行き、本屋まで足を延ばし、帰り道に燃料補給と洗車、灯油を買うこと。青空市に寄るが、ほうれん草がなく椎茸を見つけた。ガソリンスタンドの小父さん、一人で遣っている。

 燃料入れの来客もあり、待たされてしまうが、花や散るらんを読みつつ待つ。これは、吉良上野介や浅野内匠頭長矩も出て来る。つまりは長年知りたかった、赤穂騒動の内実でもある。やっと謎が解けたようで、読み進んでいると洗車が終わる。帰宅して、膾を作り、ご飯を温めて頂く。野菜がいいのよと肉も口に。

 正月は、来宅の予定がなく、読書できるのがうれしい。こちらから出掛けることもなく、のんびりと出来そう。DVDも、何度も観ていると、話の筋が記憶されるが、画面には新しい発見がある。隅々まで見ていると、気付かなかったことがあって愉しい。本屋も、経営者がやる気を失くしており、閉めるのも近いな。

 毎年、藤井旭さんの天文年鑑を買うが、コンパクトで見易く、便利重宝する。最近は、アマゾンでの購入が可能なので、金額の設定をすれば送料は要らない。でも、それだからこそ本屋が潰れる。資金が豊富であれば本屋をしたい。儲けもないのは分り切ったことだが、児童書の売れなさにがっくり来る。世知辛い。

 雨に濡れる枇杷葉がきれいだ。花芽の香りも鼻孔をくすぐる。何気ない日常で、この上ない幸せを感謝する。平穏で何とか凌げることは、極上の想いに通じる。リエさん、しーちゃん。その他の方々にも、感謝できる事柄が増えますように。どんな小さなことにも心を注いでいけば、必ず通じてくれるものと信じて。

 我が家のすばるは、千振が好物です。飼い主が飲んでいると、僕にもとせがむのである。銀河はほうれん草が好みであった。どうも、ちょっとばかり変わっている。魔女の修業をしていることもあって、そこからが風変わりであるのだ。えっ、猫は正常だが、飼い主が変人なんだって?そんなことはにゃぁだろう…。

 白枇杷の種を植えていたら、3ヶ月過ぎた頃から発芽してきた。ここからが実に長く、9年はかかる。

 
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花や散るらん

2019年12月25日 | Weblog
 いのちなりけりを漸く読み終えた。何しろ、窓拭きを丁寧にして、それから読んでのことなので、中々進まない。半分は読んでいたのだが、仕事をしての就寝前では、そのまま眠ることが多い。加えて、休日と言えどしなければならないこともあって、優先的に変わって来る。そういった何気ないことが、幸せに想えるうれしさ。

 今年も、既に1週間を残すばかり。出来なかったこともあるが、そこは自然の掟に逆らうまでもないと思える。沖縄の辺野古の工事も、政府の無茶苦茶な横やりを許せないし、原発のことも、嘘ばっかりでうんざりする。正しいことは行われず、間違いだらけの世の中に、天皇陛下の凛とした姿が胸を打つ。国民は立ち上がろう。

 勤務者にも色々な考えの人がいて、職場のことよりも、自分ち優先とされたら、業務が遂行できなくて困る。何の為に給料を貰っているのかが分かっていない。まあ、自分勝手もいいところだ。介護の職場では、それでなくても人手不足で、入浴も儘ならぬこともある。或いは、食事を作るのも出来ないでは、死んでしまうのよ。

 誰だって、楽をして給料のいい所に行きたい。でも、親は掛替えの無い存在でしょう。その世話をするには、相当の覚悟が必要とされる。これまでは全てが嫁であったが、今は違ってきている。年金での遣り繰りで、生活できる範囲をする。資格は無論の事だが、それだけでは不可能な事例が多くある。基本は、生活歴で決まる。

 年末の行事と言う最大限の大仕事。掃除は、家屋を済ませばよく、お飾りを付けて除夜の鐘を聞こう。これも、最近は騒音らしい。風情も何もあったものではない。アメリカ過ぶれがいいのかは不明だが寂しい。日本人の誇りは何処に?綺麗で簡単な生活の落とし穴を、気づかないでいる。台所の仕切はわたくしがやりましょう。

 先日は、里芋が土付きで置いてあった。これを水で洗い、鍋に水・塩と入れていく。沸騰したら10分間はその儘にして、冷水に浸すと綺麗に皮が剥ける。大きさを揃えて容器に詰め、冷凍庫に入れておいた。本日は、柚子の皮を刻んで包み、冷凍庫に仕舞う。お正月に、すまし汁をするので、ちょっと風味が好い。捨てないの。

 焼酎がなかったので、種は捨てたが、これは手荒れ防止に効く。昔の人は、捨てる事よりも、物を生かして使う方法を考えた。原発の汚染水を、一体何処に捨てるのか?そんな危険な物体を、海や空に散らさないでほしい。土に埋めると言っても、どんな被害が生じる?原発そのものが危ないのだ。今更のように言うのかしら?

 ちゃんと餌は食べているのに、小さくて。何処かに潜り込んだら、出られないと啼く。でも自分で出てくれ。
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窓掃除に励む

2019年12月24日 | Weblog
 日中は、天気が下り坂に向かう中、窓や網戸、玄関等の雑巾掛けを行う。本気でするので汗が出る。2時間程掛ったが済ませ、雑巾を洗って干す。遅い昼食を口にし、塵を集めておく。外国では、クリスマス・イヴであろうが、新暦では正月の準備である。お飾りを付けるにも掃除が出来ていないと拙い。洗車もあるが明日以降に。

 結露が出来るので、黴となってしまう。それを取るのに、洗剤を雑巾に浸して拭く。面倒なようだが、意外と落ちる。加えて、汚れが付き難いし、次に拭く時には落ち易い。要は、横着者の苦肉の策。どうしても落ちないのには、市販品の消しゴムを。漂白剤は出来る限り使いたくない。自然への配慮と、自分の健康の為であるが。

 衣類も、洗剤で洗うよりは、ボディソープを使って洗うのが、痒みが無くて良い。素材は可能な限り綿製品だが、敏感肌には辛いもの。これを行い始めてから、痒さに掻きむしることがなくなった。無論の事、枇杷湯に浸かり、塩で身体を擦ることもしている。これが、湯冷めを防ぐ。さっぱりとした肌に、枇杷葉ローションを塗。

 その後には、ワセリンだったり、メンタムだったりする。桃の花も好い。この時期には、柚子がたくさん出回るので、皮は除いて刻み、中の汁と種を焼酎に漬ける。手荒れに効果があるが、誰にでもと言うのではないから、試してみてにして。柚子味噌には色々の遣り方があり、伝統的な遣り方や、素朴な家伝の技もあるのに感心。

 此方では、蓋を切り取り皮と実(房を除く)を分けて、その中に入り干しの炒ったのを、味噌と混ぜて容れる。炭火でするのが好いが、ストーブに置いて作る。素朴な味が好ましい物。今晩はイヴでありチキンを買った。前夜チキンに、醤油・大蒜・生姜・白出汁、これに塩・胡椒を少々と、林檎を半分擂って入れ焼く。たられば!

 掃除を終えて、カレンダーを付け替え、珈琲を飲んだら眠くなった。如何なぁ…、ブログの更新をしておこうとかかる。すばるは特等席で昼寝である。暖房のフィルターも掃除したので、のんびりできる。正月は、休みにしたが、さて、読書ができるであろうか?葉室麟・いのちなりけり 花や散るらんと続くが、眠くなってしまう。

 花芽には、結実する物と、落下してしまうのとあるが、実には種がある。従ってエキスも沢山ある。
 

 
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人の痛みを知る

2019年12月23日 | Weblog
 本人から、こうして欲しいと言えるなら、それに越したことはない。性格もあろうが、勤続年数や、目上の者への配慮で、出来ないことが多い。こちらはいつ辞めても好いのと、普段から何かと言われるので、悪者になっておこうと覚悟する。地域のプラ当番を済ませ、朝食を慌しくかきこみ、勤務先に向かう。貧血で早引きした。

 こちらも本人不在では、することも無いので帰宅する。年末の掃除もあるし、枇杷葉のこともしておかねば。帰ればそれなりに用事もある。気温の設定を少し下げ、足湯に来ると言うので、準備をしておく。来年の勤務表も出来ていたので、持ち帰った。体調不良でも、自己責任と他者が関わっての差は大きい筈。診察不具合です。

 ご飯を炊いておこうと、木村式の無農薬米を研ぐ。夕ご飯を食べると言うので準備する、クリスマスのご馳走も作っておく。当日は、仕事なので食べに来られない。明日は、大掃除にかかろう。年末だからするのではないが、気分的なことでの掃除を。気合を入れて取り掛からないと、中々腰が上がらない。横着者故のことですが。
 
 辺野古の工事が、長々と延びて、移設が大幅に遅れることになった。要は、アメリカが基地を撤退すればいいだけの事。終戦は迎えても、戦後の終わらない現状を忌むばかり。人間であれば、損得も駆け引きもするのだろうが、沖縄の海は元には戻らない。自然を冒涜していけば付けは必ず還る。地震も増え続け、津波も襲ってくる。

 地球を破滅に追い遣っているのは、紛れもない人類であり、傲慢な態度や、譲らない態度が影響している。子どもでさえ分かることが、大人に理解できないのだ。神も最早呆れ果て、な術も無いのが現状でしょう。それでも、地球が回復してくれることを願い、何もしないよりはと声を上げる。無力でも、大勢いで立ち向かおうよ。

 諸外国の若者は決断をするが、日本の者は何処に居るのか?腐りきった政策の、何処を尊敬できるのか。自分だけが良ければいいの?生きて行くのも、一人では何も出来ないでしょう。自然からの恩恵を受けるからこそ、わたくしたちは使えるのです。与えてもらえるから暮らしが成り立つ。お金を払えばいいのではなく資源には限。

 月の彩は、淡い黄色?それとも蒼い色かしら?それとも、銀色になるのでしょうか?あなたの彩で。
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冬至・若潮、星祭り

2019年12月22日 | Weblog
 二十四節気 冬至 この日は、太陽が黄道の南端を通るので、北半球では、一年中で最も昼の短い日となる。寒気も厳しさを増してくる。毎年、十二月二十二日頃である。気温が低くなっており、曇り空でもあるので、寒いのではある。動いていると、然程感じないことも、見守りだけだと寒さが堪える。懐炉を二つ貼っての出勤。

 女性の身体は、非情に微妙な創りであるので、少しの事で精神を病む。特に妊婦は、新しい命を宿して、この世に送り出さなければならない。十月十日の間、しんどくもあり、歓びにも況して、不安なことが多くある。そういった中では、命が消えてしまうことも起きてしまう。本人の哀しみは如何ばかりか、周りの者も思い遣って。

 砂の器で、島田陽子演じる流産の悲劇に、小さな命と一緒に本人も亡くなる。尋常ではない方法での堕胎である。あの場面を観る度に涙が湧く。幸せも不幸せも、子どもを産める環境であろう。ハンセン病と言う症状であれば、主人公の頑なな気持ちも分かるが、女の想いとしては割り切れない。戦後のどさくさには大勢の混血児が。

 それらを誰も責められはしまい。生きていく為の方法であり、産まれた子どもを育てるために、親であればこそ、当然の行為でもある。誰が援けてくれたのか?皆が観て見ぬ振りをしていた時代だった。当人にしか分からない想いを、心中に閉じ込めて生きた。自由も平等にも見放され、その日を生きるしかなかった時代でもあった。

 業務が終了して、図書館に寄るのでダッシュで帰った。宮部みゆき・黑武御神火御殿、ヨシタケシンスケ・なんだろうなんだろう。新刊も、新聞連載で読んでいるが、やはり読みたいのだ。ヨシタケシンスケさんの、発想・着眼点が面白い。厳めしい顔であるのが、一瞬綻び笑えるのだ。人気の秘密は、今まで思いつかなかったから。

 椅子の大きさに比べて、とても小さいすばる。上がろうにも出来ず、上がったら最後、下りられない。
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