枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

大晦日、霜月

2017年12月31日 | Weblog

 午後から雨だと言うのに、洗濯物を外に干させ、慌てて取り込むかと思えば、休憩時間だと知らぬ顔。一応、勤務は終えており、業務外じゃありません?洗濯物等、腐る訳じゃなし。カーテンを繕っているのに、性格かな立ち上がって仕舞う。

 小一時間のボランテェアを終え、Aさん家に寄って、水を分けてもらい帰宅する。今朝は、寝過ごしたので、洗濯もせず、珈琲さえ飲んでいなかった。ゆっくりと挽いて淹れる。すばるがうれしそうに駆け寄り、餌をせがむ。やっと元気になった。

 枇杷葉茶を飲ませているのが、効いたようだ。寒い時期でもあるから、滅多に化膿はしないだろうが、体力回復には効果が大きい。迎えに行った車中の姿が思い出されて、今後は医者は頼らないことにする。人間も、猫も生き物には変らず。

 膝に来て、抱っこをせがむ。毛布で包んでやると、ぐるぐると喉を鳴らす。で、このまま眠ってしまい、ずり落ちて騒ぐ。あどけないものである。悪戯は叱るが、猫可愛がりはしない。室内で飼うとストレスが溜るようだが、これも枇杷葉茶で安心。

 夏場の、毛の抜け方にも不思議に思ったが、枇杷葉茶を飲むと、暑い時期も乗り切れるよう。我が家に来た時から、飲ますのがよかった。カルキの混入した水は飲めない。Aさん家の水は旨さが違う。水で、生かされているのも納得できる。

 リエさんがくれた、安倍清明の幼少時の話を書いたのを、Aさん家のお孫さんに上げたが、面白かったと人気です。挿絵も素敵で、ちゃんと自分で読めたそう。来春、小学校に入学なので、文字に興味があるようだ。ありがとうと頭を下げて。

 お節料理、と言うほどではないが、膾を少々作ろう。蒟蒻や、大根の煮しめも、たくさん作ると正月が過ぎてもあるので、僅かばかり。お稲荷さんを買っているので、酢飯だけこさえよう。明日の弁当はそれに決める。夕方には年越し蕎麦を。

 何だか疲れてしまう。ちょっと息抜きに沢田研二さんのジュリーマニアを観よう。タイガースのDVDも観たいが、両方一度には無理。上司の無理解に厭きれる。自分がしているのは、誰にでも同じではないことに気づき、相手の気持を聴。

 何だか、気が緩んで眠くなる。図書館で借りた書籍も読まねば、と開くが、意思が弱さに断念するばかり。いかんなぁ・・・正月の期間は、ちょっと長く借りれるのがミソで、ついだらだらとする。テレビを観ないので、少しづつ読んでいかなきゃ。

 ヒアシンス。白・桃・橙・紫・黄色等あるが、青い色が素敵だ。ナメクジが球根を齧るのが癪だが、餌なので。

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小晦日、気忙しい・・・

2017年12月30日 | Weblog

 勤務も、ゆったりとしているが、インフルエンザや横着病で、平日勤務となる。皆が困っているのに、自分都合も言うてはおれず、立場が違えばしんどいのも知っている。それにしても、自分は楽をして動かず、口先で仕事を言いつける者にはうんざりだ。

 今年も、残す処僅かである。借りた物は忘れずに返し、年越しを憂うなく過ごしたい。貸した方は、ずっと残っており、言い出せないというのもある。それを好いことに、知らぬ存ぜぬを決め込むのは如何だろう。特に、わたくしは、本の返却にはうるさいの。

 友人にも辟易したが、傷めたり、汚した物は、新しく買って返す。失くすなど信じられない。加えて、返したとは、何という言い草であろう。金輪際、プラーベートでの付き合いは断る。自分が大切にしているから、貸した相手も同じとは思わないが、返してよ。

 リエさんからもらったのは、分別して並べてある。たった1冊の書籍には違いないが、その工程には、様々な人が携わり、吟味されて出来上がるのだ。魔法で出す訳ではない。況してや、それなりの価格があるので、無料ではない。弁償するのが当たり前。

 貸したわたくしが莫迦だったのだ。と想うことにして、新たに買うが、じゅあ傷んだのはどうなのか?という気持ちになる。異次元ワールドの出没には至らずだが、哀しくなってくる。物言わぬからこそ、大切に扱ってほしいのを、何という奴だ。鮫のサメザメ。

 今年の衝撃は、やはりもりかけ・蕎麦であろう。蕎麦はいい迷惑である。差別・不当であるのが悲しい。然し、年越しにはなくてはならぬ存在。明日は、Aさん家にお水を分けてもらうので、午前中とした。カーテンの破れと繕いだけはして帰ろう。元旦仕事。

 パソコンの繋がり状態が思わしくない。自分で使いこなせるかが不明なので、同伴者が要る。車もだが、機種が新しくなっては、勝手が分からない。初代の据付型で、こちらは充分なのに、ネット接続が拒むのだ。ブログとネットでの買い物がしたいだけ。

 型式が古くても、傷んでいたいから、きれいな物です。掃除も行き届いているし、不便さはないのに、検索が出来なくなっていく。困った物です。加えて、自分では難儀なことで、さっぱり不明状態だ。機械・電気関係無知に等しい。理系のkazu君に頼みたい。

 林檎の木の下に植えた。寒水仙で、春をいち早く知らせてくれる。この花も、芳香が素晴らしいよ。

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霜月、三隣亡

2017年12月29日 | Weblog

 昨今は、お飾り等の一夜飾りを平気でするが、そういった縁起物は、極力避けたいもの。日本の風習をするなら、それまでの用意を怠らず、25日には飾り付けるのが好い。クリスマスに浮かれるより、同じなら暦を参照して。年末最後の行事に餅搗きがある。

 各地の風習に依り、29日とも30日とも言われるが、餅を搗いてはいけないようだ。これには、多忙な主婦に、計画を以って当らせ、無駄を省くこともある。掃除に撤し、後日の憂いを払っておく。従って、外回りの埃と、窓の拭き掃除を終える。結露で黴となる。

 天気であるが、午前中は曇りで、午後からの薄日には布団は干せない。友人が、最後の枇杷葉談義に訪れる。鉈豆の効用やら、山女の使途やら、枇杷葉茶の効力に話が盛り上がる。薬には即効性があるが、部分的なことだけで、他の部位に悪影響を及。

 自然の物には、ゆっくりと穏やかな作用が齎され、時間を掛けて治すので、直には効かない。同時に、自然治癒能力に援けられて、自ずと治そうという気持ちが大切。医者や薬が、治すのではないのを知っておきたい。加えて、食生活の根本を改善したい。

 それにも、自分の意思の変らぬ気持ちが大切で、信念を曲げないことだ。癌には、誰しも罹るのだが、悪性にする原因を作らないこと。防腐剤や着色料等、化学物質を口にしない。誘惑に負けて、病院通いをするか、健康で日々を送るかは、個人の自由だ。

 年金暮らしになれば、医療的な物は出てこないので、今から予防として、行かないで済むようにしておきたい。外科的な処置にも、枇杷葉は対処できるし、ドクダミや鉈豆の効果にも注目したい。自然の恩恵を心して、大切に使う。独り占めはしないことよ。

 枇杷葉の葉にも、生葉は痛みや打撲に、血止めにも使える。保存的な処方には、焼酎35℃を用い、生葉を先と軸を切って漬ける。切った先と軸は枇杷湯にしたり、足湯に用いる。枇杷葉茶には、可能な限り、寒中の物を使い、切って自然乾燥させる。

 花芽茶や、枇杷種茶は、時期にしかないので、結実の物を置いて、香りで愉しむ。種は、初夏から出回る実を食べ、乾燥させるか直に焼酎に漬ける。梅雨時と重なるので、黴には充分注意しよう。お茶で飲む場合の保存は、冷凍庫でする。腐るので用心。

 一番大切なのは、自然に感謝し祈ること。当然とか、当たり前ではないことを、心したい。お金で買えない、命の恵には、神の想いが存在する。同時に、自分の言う言葉にも、態度や生き様にも、出てくることがあるのを知っておこう。平等というのは心構え。

 宇宙を観て、明日の天気や、農事を想う。必ず、知りたいことを宇宙は教えてくれる。風に雲に、星に諭される。

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白い悪魔・・・

2017年12月28日 | Weblog

 豪雪、猛吹雪を、その土地の呼び方で、白い悪魔とも言うそうだ。雪が降って綺麗だ、等は直に溶けるか、雪掻きの大変さを知らぬ者だろう。雪の重みで家が潰れる。いくらスノータイヤと言えども、スリップの危険性がある。かといって歩くのも・・・

 雪女。否、遭遇の可能性は大いにある。吹雪の夜には、何処にも出かけないのがいい。方向感覚が狂って、視界は閉ざされる。自然の猛威に、ただただ人間の無謀を知る。先日読んだ、魔女の血をひく娘の続編。吹雪の中で不思議な体験をする。

 彼女が、魔女であったとは思えないが、特殊な能力と、選ばれた者の運命で、様々な体験や経験をしていく。その根底には、地に、天に祈り、教えを乞う素直さがある。感覚を研ぎ澄まし、知識を積む。自分だけのためではなく、凡ての人に還して。

 天然痘。ジェンナーが治りかけの菌を、わが子にうえたことは有名だが、医学の知識も乏しい時代、治療法を知っていたことに驚く。薬草の使い方、処方方法にも感心する。日本だけでなく異国の地にも、漢方は用いられていたのにもびっくりした。

 魔女は存在していたのか?そうではなく、ちょっとした工夫と知識、加えて感能力や直感とでできたようにも想える。いつの時代にも、異端者は避けられ迫害される。そうして自分達に無い物を持っている、と言う理由だけで、魔女扱いをするのだ。

 すばるの元気が戻り、餌もやっと食べだす。腕白は少し減ったが、家中を駆けている。高い所に上がっては、下りられないと鳴く。飛べるでしょう、と言うとそうだったと下りて来る。相変わらず抱っこをせがみ、布団に入ったら腕に吸い付いてくるが。

 チョコレートケーキが好きである。蜜柑の皮も食べる。柑橘類は、苦手じゃなかった?大根の葉も食べている。枇杷葉茶を飲むので、毛艶は好くて抜け毛がない。銀河は、途中からだったが、すばるは最初からなので、ないと煩い。猫に枇杷葉茶。

 今年も、三日となったが、過酷な労働に嫌気が差す。インフルエンザも流行だし、嗽と手洗いは欠かせない。あけび(山女・通草)酒で、痰がとれるので、咽喉の調子はいいが、重労働に扁桃腺炎が出てくる。簡易懐炉装着で、低温火傷になってる。

 掃除は済ませたが、窓の汚れを拭いたい。明日は休みなので、遣っておこう。枇杷葉の生葉も採って、焼酎に漬けおこう。年賀状は書いて投函した。今年は、パソコンの調子が悪いので、筆で書いた。年賀状も今年まで。何だか大儀になってきたよ。

 旧正月を過ぎて、やっと咲き出した白枇杷。鈴生り状態で、たくさんの実を収穫できた。今年は少ない。

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遣り残した・・・

2017年12月27日 | Weblog

 年末になり、自分なりの計画を思うに、遣り残したことに考えが及ぶ。尤も、資金の不足もあるから、計画倒れとなるのも否めない。それでも、初夏にリエさんとしーちゃんとに逢え、りささんと末吉暁子さんの墓参りに行けたことは、感慨深いものがある。

 鎌倉。歴史的なこともあるが、ここが朝廷として栄えなかった理由が、朧に分かる。風が動き過ぎるのは、政変の危機を孕むのであろう。人物の風格にも縁るが、人の上に起つ時には、己を殺し、勝負には一瞬の呼吸が大切。進むも引くも潔くありたい。

 冬の宇宙の美しさに、夢中になってしまう。わたくしの用いるのは、ポケット版の天文年鑑で、藤井旭さんのが使い易い。火星が接近してくる。皆既月食、彗星と観どころ満載の、天然のイベント。天気にも左右されるが、根気と持続が重要となるのも愉。

 沢田研二さんのステージにも行くぞ。林檎の並木道を歩き、安曇野のちひろ美術館に寄ろう。介護の仕事を減らし、体力を維持していかねば。運気が下がってくるので、決して無理はせずに過ごそう。一日を過ごせる幸せに感謝し、枇杷葉に祈る日々。

 終活にも入らねば。書籍は捨てられないが、衣類の整理と、片付をしておかねば。図書館を利用して、知識を広げることも。そういった日々の充実に、枇杷葉は欠かせない。気力・体力の維持に、大きく関係している。自然からの恩恵はありがたいことよ。

 年賀状を書かねばなりません。はがき代が日にちを超過すると、一枚10円の負担が起きる。旧暦で出そうという試みには、出さないのがいい。仕方なく書いている。新暦だと、年始の挨拶の実感がない。三人程、家族にご不幸があり、寂しい思いがする。

 勤務に行けば、何かと医者通いを強調するが、カップラーメンやコンビニ弁当で、せっせと身体に毒を溜めている。薬を呑み、自分での快復に努めない。挙句に、勤務を休むとは、やる気が無いとしか思えない。膀胱炎になれば、腎臓も膵臓も遣られるのだ。

 簡易懐炉を、弱い場所に貼って温め、腰には枇杷葉を当てる。自分でちゃんとしないと、幾ら金があっても足らない。この時期に病院に出向く、という無謀に及ぶ行為で、インフルエンザにも罹る。手洗い・嗽で乗り切り、抗体と免疫を増やし、寒さに耐えて。

 買った時点では、ピンク色をしていた。南向きで、左側にリエさん、右向こう手に暁子さんの枇杷葉が。

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上弦・小潮、霜月

2017年12月26日 | Weblog

 今夜は雲の多い夕暮れとなったが、すばるの傷口を嘗めない防止具返却、洗車・ワックス掛けと、クリーニングの受け取りに市内まで出向く。昨年、年末に行ったら、一時間待ちで、隣のホームセンターでの不要な買い物に至った。白のシクラメンと餌を。

 来年こそ、正月は休もう、と思っていたのが、誰も出勤者がなく、上司に泣き付かれる。年齢考慮では優位だが、若い者は遊びに忙しい。言っておきますが、皆其々に、やんごとなき事情を抱えているんだ。順番と言うか、交替で勤務に出なけりゃ。憤慨。

 お正月だからと、自宅に帰る者は居ないので、三食の用意が必要となる。まさしく段取りを組んでの動きでないと時間には間に合わない。何しろ、食べるのは数十分であり、片付けに大わらわとなる。毎年、こなしてきてげっそりするのがお正月なのだ。

 以前には、お煮しめも作っており、年末の買い物から、作る段取り等、介護処ではなかった。まあ、ゆったりとはしていたので、利用者さんと一緒に作って。それが、介護の度合いが増え、食事の用意に集中できず、てんやわんやの大騒ぎが現状である。

 介護の仕事には定年は無いが、それでも体力も気力も衰える。夕方の時間には運転が怪しいのと、追越を駆けられて怖くなった。視力も遠くが見え難い。咄嗟の判断が付き難いのもあり、割り込みやら、急ブレーキに判断が出来ない。今後は昼間にする。

 枇杷葉茶を飲んでいると、血管の錆びつきが取れ、血液も通り易くなる。途中で破裂したり、止まっている場所も、難なく通す。修理しながら先へと進み、血液はサラサラに、管は再生していくのだ。信じ難いようだが、心筋梗塞でのバイパス手術等不要。

 医者は苦手であるのに、病気なったらどうするか?止む無く係りつけのDrは居るが、それとて当てにはしていない。もしもの時には、寿命だと思えばいい。人間欲を出して生きても、苦しかったり辛かったりの方が多い。延命治療などする気も金もないよ。

 そう言えば、この世に生きている、今後の目標が立たない。枇杷葉の発育には、年月が掛かるが、人間の思うさまにはならない。のんびりと清貧の暮らしでいくしかない。安い物には毒があり、それくらいなら食べないで我慢しよう。贅沢には限がない。

 今年も、僅かになった。然し、一年を振り返るのは止める。今年、楽しかった思い出は、リエさんに逢え、しーちゃんとディズニーランドに行ったこと。タイガースのCDやDVDを手にいれたこと。前野・ウルド・浩太郎さんの、バッタを倒しにアフリカへを知る。

 アフリカに、モーリタニアがあること。その研究書、孤独なバッタが群れるとき。も買ったよ。そうして浩太郎さんが、毎日出版文化賞・特別賞を受賞されたこと。バッタは苦手だが、同じ地球人として、異国の地まで応援しています。何時かお逢いできる? 

 朧月夜。源氏物語の、朧月夜の君は、次期上皇の皇后になられる方であるのを、光源氏は戯れるのだ。

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霜月・八日

2017年12月25日 | Weblog

 巷では、キタサンブラックが、武豊騎手での有終の美を飾り、教会に出かける方々もお出でのことだろう。信者にとっての祈りの日で、貧しい中にも皆で分け合う心があった。セレブという言葉が独り歩きし、クリスチャンでもないのに賑やかだ。

 我が家では、そういったことに託けて、家族が集まる日にしている。其々にプレゼントを用意するのも、日頃の無事を祈ってのこと。すばるのプレゼントがなく、嫌がるのを抱きかかえられたのが不満で、今朝は機嫌が悪い。其処に上がったら!

 少し元気が戻ってきて、悪戯に精出すようになった。餌も食みだし、やれやれである。然し、相当の痛手をくったようであり、小さな?体で啼いていたのが不憫。愛車に乗って、体を丸めて号泣する格好が、人間そっくりなのに驚いてしまったが。

 形は猫であるが、我が家ではおとこのこである。それも10ケ月ばかりの幼さで、ひとりぼっちにされたり、見知らぬ場所に連れて行かれ、母親の姿が見えないとなると、これはもう重大事件。泣き叫ぶところを、我慢して耐えていたのに胸が塞ぐ。

 帰宅してから、布団の中に潜り込むと、さっそく腕をちゅうちゅう吸い付く。これが一頻り済まないと寝ない。抱っこも増えた。娘が、我が家に来るのは、何かしら変わっている。と呟いたが、遠からず当っているのも可笑しい。名も、銀河にすばる。

 今朝は、晴れているが、昨夜の雨で布団干しは断念。Aさん家に、水をもらいに行くのと、職場に用事があるので、少ししたら出かける。布団干しも、この頃は疲れるのだが、陽に当てておきたい。庭に出ると枇杷葉の花芽が、そこら中に匂うよ。

 年金生活になる前に、タイガースのCDや、DVDを買っていてよかった。今後は更なる贅沢を出来ない状況になるので。勤務も一日になれば、日数を減らすしかない。介護に定年はないと言うが、都合のいい働き手を確保したいだけの気が・・・。

 愛車も10年以上乗り、タイヤ等の消耗も増え、昨今の事情から選択肢を迫られる。息子等は呑気な者で、自分達の勝手しか思わない。共同生活者を募ろうか、とも思ったりする。家事にも得て不得手があり、経営能力や電気系はさっぱりなので。

 春の宇宙には霞が懸かる。北の宇宙にはカシオペアが、そこから左に緩く曲線を辿ると、スピカに至る。

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雪が降る・・・

2017年12月24日 | Weblog

 寒さは然程感じないが、天気は曇り空で、今にも氷雨か雪になりそう。一足先に息子が来て、道具箱を開けて、組み立て式のワゴンや机を立てる。独りでできない事もないが、工具がないので頼んだ。その後一旦帰って、皆を乗せて来る。

 その時点で、すばるの恐怖心が増し、居場所がないと隠れ回る。箪笥の上やら、パソコンの部屋にと逃げるが、息子に捕まえられ、抱きかかえられて震える。先日の恐怖から覚めないのに、放っておきなさいってば。皆が帰ってやっと姿を。

 洗濯物を仕舞い忘れていたのを、室内に取り込む。乾いているが、多少の湿りがあるので、畳めないので干しておく。息子等が居なくなったので、ストーブは消そう。節約・倹約である。然し、食費はけちっても、病気になったのでは始まらぬ。

 勤務も半分にして、今後の生計を立てねばならず、衣類は大切に着ているが、消耗品は仕方ない。それでも早急に必要な物はない。辛抱すれば何とか着られ、暑さ、寒さに耐えていこう。年金生活になれば、世間とのズレも生じるだろうな。

 年数が増えれば、傷んでも来るし、壊れもするので、新しい物に換えていかねばならない。身体はそうはいかずで、枇杷葉茶に頼るしかない。そのお蔭で、何とか過ごせるのだから、これはありがたいこと。脳の血管も整備してくれ再生完備。

 先日、心筋梗塞で倒れた方が居たが、枇杷葉茶を常用していれば、細くなった血管を元に戻してくれるし、血液をサラサラに換える。バイパスを通す手術をされたようだが、枇杷葉茶を飲んでいれば、緊急事態にはならぬ。加齢臭も消える。

 この二十数年。身近にある薬草を摘み、乾燥させて飲み、保管しているが、枇杷葉茶くらい様々な疾病に効果があるのは驚異で、こうして続けていられることを幸せに想う。誰の為でもなく、己が命を大切に、他人に迷惑を掛けない秘訣だろう。

 時たま、鉈豆を、日々通草酒を、非常時に千振を飲む。化粧水も自分で作る。枇杷葉の花芽と種で極上の化粧水。薔薇とドクダミは、香りと痒み止めになり、使い分けて愉しむ。無農薬の物で、健康を損わないで、医者に罹らないようにする。

 インフルエンザの注射をすれば、痒みと熱感と擬似症状に辛く、自然治癒能力を発揮しても治らない。加えて、相当のエネルギーの消耗をした。疲労困憊には、泣きっ面に蜂である。薬の・注射の怖さに辟易となる。自然治癒能力を促したいが。

 春の夕暮れの宇宙に、一際煌めく金星の姿。日本では、宵の明星と呼ばれ、一番星とも言われる。

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天皇誕生日

2017年12月23日 | Weblog

 現天皇陛下を象徴するような、穏やかな小春日和。皇居までは行けないが、新聞を読みながら、心を籠められた訪問に、ただただ頭が下がる。寄り添われる皇后さまにも胸が篤くなる。国民が安心して、暮らしていけることを願われる姿に驚く。

 本来は、政治を司り、庶民の生活を鑑みるのが、古来の天皇陛下の姿であったのが、いつの間にか、飾りになり、権力と金欲に塗れた、実権者に移っていく。そうして血族の争いにも巻き込まれ、武力の強い者にと摂っていった。今は金塗れ。

 スター・ウォーズを観に行こうと思いつつ、家事に追われて実行できない。またしてもDVDになるかなぁ。月刊誌のモエを、月遅れで見ていたら、ハイジの映画をみつけた。これの映像があれば買いたい。ヨハンナ・スピリ、アルプスの少女・ハイジ。

 アニメのは持っており、実写版で観たい。アルプスの自然の移り変わりが、どれほど美しいかは知らない。そこでの暮らしには、過酷な現状があることだろう。赤毛のアンもそうだが、地球上に自然が残っている場所は少ない。戦争で壊されていく。

 すばるの元気が戻ってきた。入院の恐怖と、飼い主の不在とが続いて、相当堪えたようだ。爪も切られて、悪戯にもならない。押入れの襖を引っ掻くのが精々で、淋しかった様子だ。外に干した布団を取り込んだ上で、丸くなって居るのがいじらしい。

 枇杷葉の花芽が、大霜と雪で、中々咲いてくれない。寒さに滅法弱いので、これは当然のことだが、暖かくなっての気温にも期待できない。不作の年になっている。白枇杷は、これはさっぱりの姿で、立春過ぎか、春分の辺りになるかもしれないな。

 昨日、冷凍庫を確認したら、当分の間の、花芽と種はある。誰かに上げるには少々寂しいが、まあ困る程でもない。リエさんのが咲き始めているが、芳しくはない。暁子さんのは既に結実になってきた。りささんのやサンタさんのはやっと咲いて。

 しーちゃんのも、少ないながら咲いている。今年、初めて咲いたのは、満開には劣らずだがたくさん見える。寒さがこんなに影響するとは、枇杷葉の発育も、心配でしょうがない。クリスマスローズは白い清楚な姿を見せている。花は蕾が三つ程。

 休日に、新聞をゆっくり読み、珈琲の飲めるのがうれしい。外出にはまとめて行く心算だが、これが延び延びとなる。先日出したクリーニングと、洗車をしておこう。旧暦のカレンダーをAさんに持って行き、お飾りを付ける。一夜飾りは駄目なので。

 明日には、娘夫婦と、息子の家族が集まる。恒例のクリスマス会の開催だが、孫等はプレゼントが目的で、それほどの嬉しさはない。すばるのプレゼントには餌を。首輪もほしいところだが、銀河のがあるので。昨夜、ワインを飲み過ぎてしまう。

 白枇杷が咲くのが、年内であるのは珍しい。その殆んどが、節分を過ぎる。我が家では、茂木が11月頃から咲き出す。

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冬至、霜月

2017年12月22日 | Weblog

 二十四節気 冬至 この日は、太陽が黄道の南端を通るので、北半球では、一年で中で最も、昼の短い日となり、寒気の厳しさを増す。毎年、十二月二十二日頃である。何時ものことながらも、季節の廻りを的確に現している。と寒さに怖気づく。

 冬至には、南京を煮付け、鰯を齧り、柚風呂に入るが、昨今の者には、昔の行事の意味さえ薄れてきている。鰯は、安くても尾頭付きで、そのお頭を竹串に刺して、柊と共に玄関に飾り、魔除けとした。南京も柚も、各家庭にあるか分け合うかした。

 生活の知恵でもあったのだ。南京は、保存が利き栄養もあった。スーパー等ない時代には、食卓をつましやかに賑やかす大切な、食料でもあった。戦時中には厭きる物でもあったが、殆んどが水に等しい食べ物で我慢していた。農家だって同じ。

 秋刀魚もそうだが、資源を見誤って獲り尽くした結果、高値の花となってしまった。秋刀魚は、やっぱり目黒。等とは言っておれない。然し、鰯も秋刀魚も、贅沢な食卓であればのこと。隣近所の付き合いにも、遠慮や気兼ねがあれば殺人も減。

 すばるの様子がおかしい。餌を食べない。寒さからか眠るばかりで、あまり動こうとはしない。以前のように、飼い主の先に立って、転げるように走っていた姿がない。悪戯も少なく、怪しい行動が目立つのだ。薬害の恐ろしさを間近に見知った。

 猫本来の姿を、転換させるのだから、これが人間であれば、相当な精神異常となろう。薬だけではなく、注射にも含まれていよう。人間の勝手で、何という可哀想なことをしたことかと胸が痛む。生き物を飼い、棲むということの本質は残酷さが。

 図書館に寄って帰宅する。森の珈琲が届いていた。隔月の22日に届くようにしているが、毎朝では足らないので、小川珈琲も淹れる。味の違いに驚きつつ、手間もあるので我慢している。明日から、三連休を取ったので、挽いて淹れられるよ。

 年末であり、大掃除の分担が押し寄せて来る。気づけば自分で遣ればいいのに、労力を惜しんで他職員を巻き込む。実際、自分で遣れば速いし、何処までしたかが分っていいのに。ボディソープを持参しているので使う。すんごく綺麗になった。

 薄桃色のクリスマスローズが開いた。枇杷葉の根元にすっくりと静かに立ち、気をつけて見なければ分らない。

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