枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走、望・大潮

2018年01月31日 | Weblog

 今月の施設の目標が、おもてなしの心とあるので、その心は(裏)、桃かな、林檎かな、蜜柑かな?と上司に言ったら、目が点になってしまった。うらめしや・・・も、個人の差で面白いが。忙しく働いている上司を笑わせて、気分をほぐしてあげたかったのだが裏目に。本日も業務多忙な一日であった。

 チャイコフスキー。冒頭から違っていたように思える。記憶力は確かな方であるのだが、如何せん当時の映像のどこまでが忠実かは不明だ。それにしても、マイヤ・プリセッカヤの美しさはどうだろう。白鳥よりも情感があるだけ、心に響く。まさに心酔してしまう踊りである。全幕を買おうと強く誓うよ。

 奇しくも、図書館に予約していた、チャイコフスキー伝が来た。思い起こすに半年前のことで、すっかり忘れてしまっていた。県立図書館からかと思いきや、地方の図書館である。それにしても可なりの月日であるのに、ちゃんと届くのが凄い。然も、前後あるようだ。すばるが我が家にやって来て幸運。

 餌を腹一杯に食べるから、出す物も多いが、悪臭がしないので助かる。これは何と言っても、枇杷葉茶のお陰であり、最初から飲ませているので抵抗しない。たっぷり飲んでは排泄する。毛艶は良いし、猫にしては頭がいい。枇杷葉茶の効果が、これ程までに出るとは思わず、宇宙猫になったらどお?

 銀河も変わった猫だったが、すばるは更に猫らしくない。手塚治虫氏の、シャーミー1000というタイトルがあった。宇宙人が猫の姿のスーツを着ていて、地球人と親しくなる話だ。これなんかは、三味線をもじっており、三毛猫の雄が皮を剥がれて造られていたそう。鉄腕アトムでは、緑の猫が出てくる。

 冬で背筋が凍る時なのに、ちょっと寒過ぎるかな?否、我が家には階段がないので大丈夫。きっとそれで安心して、風変わりなお客さんも訪れて来るんだわ。坂田康子さんの世界観が漂う、不可思議なことばかり。だからこそ、一人でも淋しくはなかった。視えるのは、一種の特技かも知れません。

 息子の家族が、インフルエンザに感染しているらしい。枇杷葉茶を飲まないからで、へんなものをもらうのだ。わたくしなど風邪の症状にさえならない。注射で疑似症状が出て難儀だったが、タミフルなど口にしない。発疹が出てきて、身体中が痒くなり、こっちの方が厄介というもの。注射も薬も否。

 鉢に植えてあるのや、路地に下してあるのが、次々と開花していく。立春辺りから、初夏まで咲くのもあって愉しみだ。

 

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討ち入り

2018年01月30日 | Weblog

 赤穂義士の討ち入りが、12月14日というのを、新暦ではなく、旧暦のことと気づかない方が多い。江戸・元禄時代では、そんな筈はないでしょう?新暦になった経緯までは知らなくても、ちょんまげを結っていた時代と、現在とが同じであろうか。世界史も日本史も、西暦は使うが、お国柄で違うこともあるよ。

 その頃の江戸の冬は寒く、凍てつく日が続いたことだろう。燃料の元である炭は貴重品で、専門の商い人がいて、注文に応じて荷車に積んで届けていた。浪士は簡単には出入りできないため、伝手を頼り、密偵を送り込んでいたものか。今夜の討ち入りを失敗すれば、浅野家は再興ならず、主君の仇討ちも出来ず。

 大石内蔵助の心情は、如何ばかりであったものか。息子は元服は済ませたとはいえ、14歳である。仇討ちが成就できても、助かる可能性はない。武士の世界の人情に、親としてより、忠義を取った大石内蔵助を、複雑な思いで眺めてしまう。武士の意気込み、忠義とは何とも無情であることか。妻の想いも非情な。

 DVDのチャイコフスキーが届く。高校生の時に観たが、冒頭の場面は鮮烈な印象で残っている。白鳥の湖は、歌姫・デジレ・アルトーとの別れを、白鳥と黒鳥で現わしている。熊川哲也さんのもあるから、買っておこう。王子ジーク・フリードを踊っている。森下洋子さんは、くるみ割り人形のクララが素敵です。

 マイヤ・プリセッカヤさんは、親日家で、公演を各地でされ、本物が観たくて行った。身長はそうでもないのに、舞台に上がるとオーラが発せられ、空気がピンと張ってくる。心を奪われてしまい、息苦しいほどであった。そうか、これからの趣味に、クラシックバレエもいいかな。憧れも夢も、決して諦めずに。

 すばる。朝から遊んでもらおうと、隠れていて飛び出してじゃれる。歩くと、足にぶら下がり、廊下を疾走する。テーブルに上り、カーテンにぶら下がる。ご飯をちょいうだい、とせがみ、たらふく食べてどでかくなった。腕枕で眠るが、重くて仕方ない。寒いと潜って出ない。少し暖かいと枕元でうずくまるが。

 枇杷葉茶を一日に、150ccは飲むのか?抹茶茶碗に注いでいるが、美味しそうにごくごく飲んでいる。抹茶茶碗にしているのは、少し欠けているためで、何とかという作家さんの物らしい。値打ち物だと言われ、捨てるに捨てられずで、すばるのに。実家では、猫の茶碗は、備前焼であったのも、懐かしいもの。

 ヒアシンス・ナルッキス。ギリシャ神話の話では、自分に恋してしまう少年のこと。青いヒアシンスが素敵だなぁ。ブーケには白が。

 

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愛車に別れ・・・

2018年01月29日 | Weblog

 今朝は休みであるが、いつも通りに起床して、愛車の荷物の引っ越しをする。昨夜、積るかと思えた雪がなく、多少の安堵をする。蓮根を注文しようとしたら、臨時休業との案内だ。で、リエさんに連絡を入れたら、沖縄だと言う。何でもしーちゃんと一緒だとかで、取材らしい。暖かいそうである。

 午後になって、車が届き、燃費の良さは無論だが、室内が広いのにびっくり!カタログでは然程感じなかったのだが、乗ってみると意外である。タイガースが聞きたいので、ナビよりもCDにしてもらった。ラジオも余り聞かないし、後は室温の調整だけ。給油口とボンネットは直ぐに分りほっとした。

 愛車から下した荷物は、新車に入れ替えねばならず、きちんと積み終え、燃料の補給に向かう。本屋でDVDの注文をし、安全運転で帰宅する。この後には、勤務先で研究発表の話し合いがあり出かける。その前に試運転が必要で、ちょっとドライブに。走行は静かで、暖房もそこそこ利いて気にいる。

 座席のカバーを買っていなかったので、注文するまでは辛抱です。車内は汚れたら、マットを振るえばいいようにしておく。洗車やワックスも丁寧にしているので、売買価格が良くなる。以前には、ロゴだった時には、傷がついているにも関わらず、下取りが高価だった。手洗い洗車であったのも好。

 冷房は、殆ど使っていないので驚かれた。寒さが苦手なのだから、窓を開けて走るか、常温と変わらないので、使用料は少ない。走行距離も程々であるし、車検も済み、税金も払っておる。故障してからでは遅いので、今しかなく買い換えた。年金暮らしになれば、支払いが出来なく恐れもあるのだ。

 洗濯物が、風で粗方乾いてくれた。夕方の4時を過ぎれば、夜露に湿ってしまう。仕事に出ている日には中々乾かない。暖房器具を使えば早いかもしれないが、火事になった時を考えると、迂闊には実行できない。仕事着はたくさんあるので、同じ服を着ることもない。余所行きもちゃんと除けてる。

 ここで何時もなら、そのまま着れていたのが、多少の太りで窮屈になっている。ダイエットはしないので、バレエで痩せるかな?年齢の割には、バレエ体型らしいので、特訓をすれば大丈夫か?白鳥の湖も、絶対に手に入れよう。DVDのチャイコフスキーは必須です。随分前だが記憶には新鮮に残る。

 枇杷葉茶も、もうちょっと作っておこう、と生葉を採り切った。林檎の箱に一杯になる。あちこちに差し上げるのもいいが、我が家のが乏しくなった。枝の剪定には無理があり、今年は止めた。昨年、白枇杷が鈴なりだったが、今年は淋しい。花芽も寒さに怯んでいる。節分が近くなって来たのです。

 夕方の宇宙には、月が昇ってきた。金星と並んでの眺めは最高だ。自然の移り変わりを眼にし、山々の変化に耳を澄ませる。祈りと感謝の日々で。

 

 

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赤穂義士

2018年01月28日 | Weblog

 大石内蔵助の最終判断で、14日の夜半に決行となる。妻を離縁し、家族とも別れて、主君の敵討ちに参加したのは、47人であった。皆、浪人の暮らしに困窮しており、当に生きるか死ぬかであった。然し、どちらの選択にも、武士としての覚悟が要った。江戸時代・元禄の頃である。西暦1703年です。

 ふと外を見れば、猛吹雪である。降っては積っていくのに、瞬間凍り付く。何ということだろうか?田舎の山の中に帰宅するのに、道は閉ざされてしまう。仕方なく、雪やこんこん霰やこんこんと歌って誤魔化す。業務を終えてみれば、道が凍結状態であり、危険極まる。帰宅して何とか胸を撫で下す。

 暖かい地方でさえ、この状態であるのだ。東北の寒厳な場所では、雪に埋まっているのだろう。地球は次第に氷河期に入っていく。暑いのも寒いのも、ほどほどがいいなとごちる。だが、確実に地球最後の日に向かっているのだ。鉄腕アトムのいない世界では、滅亡を止める手立てはないのも事実だが。

 枇杷葉の生葉を採って切ったのを、林檎箱に入れているのが、乾燥している。寒中の行事に、味噌もあるのだが、作らなくなって久しい。一人では食べきれないし、材料費も莫迦にならない。市販の2年物や、3年物に旨いのがあり、少量を求めるのが美味しい。自給自足にも足りない暮らしだが幸せ。

 すばるが居れば、湯たんぽの代わりにもできるし、テレビを観ない分、読書もできる。真に幸せというものだろう。贅沢を言えば限がない。職場のアーカイブスで、樫山文枝さんが出ていて、懐かしい顔にも遇えた。桜井せんりさんも。この頃のNHKは、良心的で素晴らしい番組が多くある。堕落した。

 鼻の中にオデキが出来た。通草酒を毎朝舐めているので、風邪の予防にもなっているが、痰の絡みや咳止めにもなっているが、オデキもでき易いのか?節分も近いので、鬼やらいをしよう。青空市に行って、大豆を買って来なくては。休みの日には、用事が増えるばかり。図書館で借りた本が読めないよ。

 雪ばかり降るので、咲き始めた花芽が凍ってしまった。結実どころではないが、これが自然の掟なんだと見入る。ここまで寒さに弱いとは思えず、覆いをしていなかった。今冬の寒さには、怯むばかりの日々です。暖かであるのが良いとばかりも言えませんが、人間としての身勝手さを思うばかりである。

 春の穏やかな陽射しに、庭での日向ぼっこです。花があちこちに咲き、とても好い香りもします。遅霜が下りるのもこの頃で、油断ないように。

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白鳥の湖

2018年01月27日 | Weblog

 チャイコフスキーの三大バレエ曲の一つで、白鳥・オデット、黒鳥・オデールの対照的な見せ場が素晴らしい。瀕死の白鳥に対して、王子を誘惑する黒鳥。全幕を通して観ているが、手に入れたいのは夢でもある。検索して発見する。そこに、熊川哲也さんのもあって、思わずにんまりとなる。

 ダンスマガジンを定期購読していた時からのファン。ジークフリード王子の、ふがいなさに胸を痛め、悪魔ロットバルトの魔力に怒り、オデットの一途さに心が揺れた。作曲家のチャイコフスキーの人物像に、憬れと親しみも交差した高校時代、タイガースの花の首飾りを聴いて、情景が重なった。

 瞳みのるさんの著作を読んで、やはりそうだったのかと納得した。明星で公募していたが、高校生であるが故に、恋心を詩にできたのだろう。但し、トッポにではなく、ジュリーへの想いであったのは、当時の人気ならではのこと。GS時代のボーカルは多々いたが、ジュリーの人気は凄かった。

 憧れと現実の壁は厚い。到底、手の届かない人気者よりも、書籍の世界は広く深く、何時でも独りで入っていけた。知識を増やして自分を援け、豊かな心と発想ができるのも、本のお陰で、吸収できる歓びも類をみない。ジャンルの苦手な本にも、知っている方であれば、自然と読めたのも嬉しい。

 佐藤文隆さんの著作に、光瀬龍師との対談があるが、ひょんなことから大作家とお近づきになれ、亡くなられるまで様々なことを教えていただいた。雲上の方であり、師として尊敬して止まない。一緒に写った写真は、何よりの宝物。既に、二十年以上経つのではと思うが、やさしい師でもあった。

 一日、雪花の舞う寒い日であった。然し、寒太郎にしてみれば、季節到来のはしゃぎであろう。今年は、雪女も各地で出没しており、雪の衣がひるがえる。同時に宇宙の美しさは例えようもなく澄んでいて、これは星座を観るには堪らない。寒さも忘れて没頭する。むろん防寒装備で外に出ますよ。

 外に出てご覧なさい。これほどに美しく、心を捉え、厭きずに眺められる存在があるでしょうか。遥か彼方の輝きが、何万年も経って、今やっと地球に届いているのですから、神秘さと畏怖とが交差するばかりです。わたくしたちの小さな命にも拘る、重要なエネルギーが時を超えて、たどり着く。

 我が家の春の庭は、次第ににぎやかになっていく。昼の眠りの中で、花々のささやきが聴こえてくる。軽やかなメロディも奏でる。

 

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小雪舞う・・・

2018年01月26日 | Weblog

 晴れであるが、小雪のちらつく天気で、洗濯物を外に出さないことにする。入れ替えに難儀だし、その時間も惜しい。暖房であっという間に乾いたよ。施設では室内の方が早いので、見栄えを言わねばこれに限る。加湿効果もあり助かる。その洗濯物の干し方だが、個人差にびっくりする。

 洗い上がった物は、皺を伸ばして干そう。ハンガーにかけるのも、服の下から入れたい。上からだと首が伸びてしまう。ズボンは、ポケットの有る無いにも依るが、最近の物は剥げないので、表で干すこともある。タオルは、絶対にピシッとさせて。よれよれの皺では畳めないでしょうが。

 若い子ならともかくも、いい歳をした大人が、こういった基本を全くしない。乾燥機に入れるのも、皺は伸ばせて入れて!また、何でもかんでもを入れませんよ。静電気が起きて故障する。火事の危険性もあって、注意しましょう。自宅では、外干しでするが、帰宅したら一旦取り込んで。

 室内干しに掛けておき、一晩湿気を払ってから畳む。電気や灯油のストーブでは、意外と風があって、洗濯物がはためく。これは火事の原因にもなる。寒いのは困るが、住処がないのはもっと厳しい。湯たんぽで我慢している位で、丁度いいのだ。便利な器具に頼り過ぎると危険をはらむ。

 冷暖房をつければいい、と思われるかもしれないが、個人的には、薪での床暖房がよく、そこで作業できるのがいい。お茶も飲めると更に素敵だ。ご飯も炊けるし、餅も焼ける。酒の粕を焼いて、砂糖を載せて食べるのも美味しい。麹も手作り、味噌も搗ける。残念ながら、土地と資金が。

 山の手入れも出来、資源も無駄なく使え、自然との暮らしができる。昭和の時代が懐かしい。何でも手にはいるのが、良いのかどうかは分からないが、自分で選んで決めたいもの。買う以上は、それで何をするか、使いこなせるかだろう。携帯もスマホにはしない理由。パソコンは必要だ。

 出不精故にあちこち苦手で、ネットのベルメゾンでの注文ができ、届けてもらえるのがいい。昨年からの2ケ月間、不便で仕方なかった。電話注文は可能だが支障もあって、新しい機種にした。沢田研二さんのライブチケットも、ここからアクセスできる。安堵に胸を撫でおろす。行くぞ~。

 春分の日の下弦の月。上弦との違いが分かりますか?新月から三日月へは、どちら側が膨れていきますか?宇宙を観るのも楽しいよ。

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師走、上弦・小潮

2018年01月25日 | Weblog

 天気である。蒲団を干すには寒い、と断念したが、風もなく穏やかではある。寒中のこととて気温が低いのは当然だが、冬眠中のようになってしまう。上司に晩御飯の約束があり、夕方の研修に間に合えばいいので、ゆっくりとしていたが、準備にかかる。湯たんぽの温度には問題はないが、何分時間が経てば湯温は冷める。

 新しいパソコンの付属品には、マウスの新型が入っていた。パソコンと繋がなくてもいいし、雑音もしない優れものだ。すばるには気になる物らしく、動かせると手を出す始末で、遊ぶ物だと思っている。今も、カーテンをよじ登り、足にもつれ、甘噛みをしてくる。痛いのであるがじっと見上げて、甘えてくるのが可愛い。

 暦では、初天神であり、法然上人忌でもある。各地を歩かれて、皆平等であると説かれたそうです。どんな小さなものにも命があり、人間だけが尊いのでもなく、そのことに感謝することが生かされる。信仰も仏心もないが、説かれることには同意できる。宇宙に祈りを忘れず、心して感謝することも大切なことでしょうね。

 クリスマスローズの蕾は見えるのですが、未だ硬くて開きそうにない。寒い時の花だと聞いていたが、こう気温が低いと、固まってしまうだろう。人間の生活は確かに、便利で豊かになって、お金さえ出せば、何でも手に入る世の中だ。でも、どんなに時を超えても、心ばかりは可能性が低い。愛は不変の事柄でもあるんだ。

 外は可なり風が出てきた。枇杷葉が揺れているのが見える。そろそろ奈良の若草山の山焼きが近い。二月堂の修二会・お水取りも迫ってきた。旧暦であればこういった一連の行事を得て、お正月へと向かう。大石内蔵助は、昼行燈と仇名されているが、中々どうして、主君を想い、藩の存続をかけての決行に及んだ。忠臣蔵。

 今年は、今月の30日に中る。雪の降りだした中を、吉良邸に向かい、明け方近くにやっと主君の仇を討つ。直ぐ側には回向院があるが咎めを恐れて、固く門を閉じていたそうだ。一行は、吉良の首を槍に括り付け、泉岳寺まで辿る。雪の中を歩く浪士の思いは如何ばかりであったろう。本来は上京して偲びつつ歩きたいが。

 初夏には、林檎の花が咲きだすので、今年こそ実現させたいもの。予定を組んではいるが、日数のこともあるし、はり灸さんでの治療もしたい、リエさんにも逢いたい、暁子さんの墓参りも、と贅沢なことを目論んでいる。単独で行動したいが、地理に疎しである。余りにも無謀な計画とは、自分でも思っているが・・・。

 昨年咲いた、クリスマスローズの緋色だ。買った時には覚えていたが、咲いてから分かった八重である。一重のも薄い桃色がきれいです。

 

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旧針供養

2018年01月24日 | Weblog

 昔の人等は、全てが手作業であったので、針が扱えないと、たいそう困った。これだけで生計を立てていけるほど、腕の達者な者もいた。従って、折れたのや、錆びたのを、豆腐や蒟蒻に刺して、感謝を奉げた。また二十四節季の間でもあり、運針を願って、寒中の縫い競いをした。今は、和裁をされる方が減って、況してや着付けもままならずだ。

 ところで、二十四節季を知らない人の多さに、びっくりしたが、大寒の表示の日だけと思っていたのにも驚く。一瞬頭がクラクラした。どういう思考回路かが分からない、未知との遭遇であった。我が施設には、介護の資格者は大勢いるが、ちと常識に欠ける者が集まっているのだ。考えように依っては、日替わりメニューで、楽しく笑える職員が多い。

 すばるが足元で絡んでくる。丁度ストーブの温かいのが当たって、気持ちがいいのだろう。毛繕いをしながら、ちょっかいをかける。そろそろ爪が伸びてきたのもあり、結構痛いのだ。叱られると引っ込めるが、遊んでほしくて出してくる。こ・こら、離せよ!腕にぶら下がって、ずり落ちていく。然し、ものすごく重たくなった。餌もよく食べている。

 フランク・ハーバードの、デューン・砂の惑星は、古典SFとして有名だ。その中の3作品をあげるなら、アシモフの我はロボット、コナン・ドイルの失われた世界だ。中でも、子守りロボット ロビィは印象深い。グローリアとロビィとの劇的な再開には、涙腺が緩んでしまう。映画もあったが、あれは全く以って異なる。岩崎書店少年少女SF全集です。

 SFならなんでも、というのではないが、蠅男、Drモローの島、タイムマシン、キャプテン・フューチャー等、読まなければ面白みは分からない。夏への扉は別格です。現実を遥かに超えた時点での物語が、何故そんなに面白いのか?ストーリ性もあるが、人間の心を、より人間らしく書いているのが素晴らしい。スター・ウォーズも子ども騙しに思える。

 砂の惑星は、物凄く長いが、映画ではその序章のみだ。最後まで読み切って終えるのは相当なものだ。わたくしは途中で挫折した。文庫では全巻持っていますが、未だに読めません。隠居したら押し入れから出そうかな?然し、根気の必要とする作業でしょうね。死ぬまでに、読めるかが問題です。物語の奥は深く、折りたたんでいるのもあって困難です。

 花の色が白いと、緑の枇杷用にはくっきりと映える。花弁が春風に揺れ、うれしそうに舞う。庭のあちこちに、妖精の出現がみられる。

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新しいタイプの・・・

2018年01月23日 | Weblog

 パソコンのデータを移行してもらい、説明を聴いて終了した。流石にプロですな。小一時間でやってしまう。然も、さっぱり分からない者に、教えてくれるんですから、大変とは思います。全く使えないというのでもないから、どうにか納得はできるが、とやり始めたものの、焦ると混乱する。ええ・・・っとと暫し考えての作業に、どっと疲れた。

 NECさんの親切な方にも感謝する。機種などとんと理解不能なのに、ちゃんと応対して手配してくれた。きっと心の優しい方なんだろう。支払いも分割にしてもらい、何とか遣り繰りがつきました。ただもう少し、小さいのを思っていたので、画面の大きさにびっくり!ありがたいことです。これなら死ぬまで使えます。認知症予防に役立ちそうです。

 検索も、ネットでの買い物にも支障なく、早速注文出来ました。デューン・砂の惑星を手に入れることができ、最高です。スター・ウォーズも予告編が観れ、DVDの出るのを待つばかりです。初期設定を自分では無理と知って、専門の方に頼めたのも安心です。ノートなので、すばるの悪戯には注意が必要で、画面があっという間に変わって泣きたい。

 今朝、目は覚めたが、身体が気力喪失となる。背中が疼いて痛さに冷や汗が出る始末。遅れて行こうと連絡を入れるが、さっぱりの体たらくで、二度目の電話で休むことにする。昨日、雪で冷え込んだものか?まるで枇杷葉そのもので、蒲団に潜ってしまう。ところがすばるには気にいらずで、ご飯頂戴と起こしに、何度もやってくる。抱き込んで眠。

 朝昼を抜いて、というよりも欲しくなく眠ってしまう。リエさんからのメールでやっと起き、珈琲を挽いて淹れる。食欲不振なのは、きっと胃が疲れているので、刀豆茶を飲んでおく。ここで一人辞める者が居て、皆の体調にもかなり影響が出てくる。施設の運営にも、その対応に限度がある。家族は、金を払っていれば、見てもらえるとの誤認が有。

 新聞記事にもあったが、認知症状の高齢者に、何かとやらせるのは、職員の負担を更に増やす。付いていなければ、何をするかわからないのを、洗濯物をたたませる、干させる。中には、濡れたまま、自分のだと言い張って、部屋に持ち帰る。職員は、こっちをして振り向いたら惨憺たる有様だ。然も、洗濯物を床に落としているし、汚染の手で触る。

 日常を支援しようと言うなら、余りにも職員の数が足らない。細かい声かけや動作への促し等、皆無だろう。トイレ誘導と、食事の用意と見守りが精一杯であろう。余生を穏やかに過ごせれば、それでいいのじゃない。退屈であるだろうと言うが、そういった現状にしたのは、家族でしょう?その責任をこちらに持って来られても、困惑するばかりだ。

 プランターに植えておいたが、すっかり忘れていたのに、季節の訪れと共に咲いてきた。春が来ました。

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嵐の前の・・・

2018年01月22日 | Weblog

 どうにも不気味な感じが拭えない。嵐の前の静けさか・・・、地震が起きるか、津波になるか。何れにせよ、自然災害の恐ろしさは、忘れた頃に襲ってくることにある。ガソリンの価格も、最高になっており、知識はあっても、実際には不測のことが重なる。

 大寒に、こんなに気温が高く、穏やかな小春日和も不気味である。自然からの警告に、耳を澄ませ、宇宙に注意を払っていても、地震を止める術も、津波から逃れるのも難しい。気づいた者に促されても、柵には抗えないこともある。人間も自然の物。

 核シェルターがあって、放射能からは逃げられても、外の世界との遮断では、空気が無くなれば命を終える。食べ物も同じで、尽きるのは時間の問題だ。それに、自分独りが生き残ったとして、何も出来ないのは明らかだろう。とどのつまり死んで往く。

 淡路震災、東日本震災でも、何等罪・咎のない人が亡くなった。戦争も同じで、多くの犠牲が発生した。広島と長崎もそうだが、沖縄の悲劇を忘れてはならないのよ。今尚、上空を米軍機が飛び、庶民の不安を駆り立てている。基地があるから飛ぶんだ。

 自分さえ良ければいい、と言う考え方でいるから、沖縄でのことには耳を貸さず、都合が悪いと蓋をする。武器を造れば儲けられるから、平和を訴える顔でいながら、腹の中は真っ黒で、平気で戦争に加担する。国民の事等、白々しく上の空での政治。

 他所の事情は知らないが、団地の中での違法駐車、ゴミの散乱等、家の中は綺麗にして、自分地さえ良ければの考え方だ。つましやかな暮らしをしている者には、なんとしても不可思議な現象。近所のコンビニさえ行かないのに、棲み難いこと夥しい。

 流通手段が、物々交換であれば、暮らし向きが良くなるのか?まあ、考え方にも依るだろう。丹精籠めて作っているのは、こちらの想いだけで、相手に通じているとは限らない。そういったことが分からないと、物の価値は違ってくる。枇杷も桃も同じだ。

 枇杷葉茶も、千葉県を境にして、東北には育たないらしい。寒さに弱いので、枯れてしまうのだろう。冬の間、室内に運べればいいが、地植ではそうもいかない。閉開式の温室があればかなり違うが、結実するかどうか?我が家でも、寒いと発育不良。

 自然での条件には、人間が勝手に決められることでもない。枇杷葉の木が大きくなり、葉の中心が膨れて苞ができ、花芽が咲いて結実するのも、自然の掟に他ならない。それにつけても、赤枇杷は比較的育つが、白枇杷の種類は、中々育たないのね。

 すばるが手術のショックから立ち直り、餌も食べだしたが、何分大きくなってきて重い。体はでかくなっても、遣ることは変らず、腕に吸い付くのを止めない。爪の立て方は減っている。枇杷葉茶をたっぷりと飲み、水も美味しそう。肥満ではないのも安心。

 雨上がりの庭に。春の陽射しに思わず佇む。我が家の庭には、生き物の棲み処であり、自然の営みが。

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