枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

なまはげ・・・大晦日

2014年12月31日 | Weblog

 子どもの頃、テレビで鬼の面を被ったこの行事を観て、びびりまくった。生禿げ、とはどういうものかとの期待と不安だ。東北の、春を待つ人々にとって、寒い時期だからこその催しだ。これもきっと、雪に閉じ込められているからこそ、楽しみでもあるのだ。

 自民党の政策は、やはり富裕者だけに都合が好い。福島の人等はもちろんのこと、庶民への配慮はない。年明け早々、値上がりが続く。嘘つき自民党に、誰が入れたんだ。中小企業や弱者には、一時金さえも凌げない。自分たちさえよければの考えだ。

 切詰めて、節約し倹約する。唯一の楽しみもない。息をするのでさえ、税金を取られそう。悲惨な状況が増え続き、自殺者も多く、殺人も容赦ないだろう。戦争へと駆り立て、命の代償にしようとするが、そこには保障は無い。死に損なだけの仕組みだ。

 原発の再稼動や、秘密保護法の施行にも、自民党や大手の企業には、実に都合の良い条件が揃う。新規の原発の建屋建設や、外国に輸出の目論見。プルトニュームを使って、爆弾の製造をし、殺戮し尽くす。裏工作は着々で、それに気づくことさえない。

 福島の悲惨さは、広島や長崎の、物言えず殺された人等を踏み躙る行為。更なる暴挙を繰り返すのは、一体何を手に入れたい?人間としての心は、何処にも見えず、愚かなる仮面だけが歩いている。死体を踏んでいくのだろう。怖ろしさに言葉もない。

 イタリアに永住している友人(こちらが勝手に思っている)、秋の葡萄の収穫と、ワイン造りは軌道に乗っているらしい。お子さまもまだ小さいので、手がかかることだろう。年に数回は、日本に来られるらしいが、お元気でいてくれることを、願って止まない。

 孫が、小学一年生の夏に泊まってくれたが、行き届かないことが多かった。何が幸いするのかわからない、人生の選択だ。幾つになってもあらゆる可能性に、チャレンジしていく想いには脱帽。このブログも友人が奨めてくれた。枇杷葉のお蔭でもある。

 行く年が過ぎれば、諦めてしまう。前を見つめて、生きることにも疲れる。それでも、来る年に立ち向かわねばならない。期待もなければ、淡々とした生活であるのだろうが、それでも行かなければならない。僅かでも希望や望みがあることを祈りつつ。

 サントリーの苗を買い、プランターに植えた。小さいが3つほど生り、食べることができた。枇杷葉に登らせた。

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心が折れる・・・

2014年12月30日 | Weblog

 自分の勤務態度が云々ではなく、利用者さんとの相性もあるが、年末の時期、説明はしなくても、気配でそれとわかるもの。即ち自宅が気になる。何処に行こうという訳でもないが、心が波立ち落ち着かない。そういった時に、係りっきりにはなれず、噛合わない。

 それで更に、不安からの苛立ちも加わって、暴力を振るう。殴られた者は堪らない。いきなりであれば、咄嗟に避けられず、まともにくらう。こちらが同じようにすれば、虐待になるので、手は出せない。落ち着かそうと飲み物を出したら、いきなり頭からかけられた。

 心が折れる、とはこのことか・・・。髪も服もびっしょりで、着替えようにも、他の仕事もあり動けない。勤務が終わるまで、ひたすら我慢である。この数日で、職員の誰彼もが、殴られ、蹴られて噛み付かれた。認知症であるとはいえ、暴力は御免である。気力無し。

 帰宅して、夕ご飯を戴いてから、洗濯機を回しつつ、湯を足して入る。髪も体も塩で揉む。湯冷めしないように、パジャマの上にセーターを着て、やっと気が晴れ珈琲を飲む。今から布団に入ると、真夜中に目覚めてしまう。月が、煌々と上がって来、美しい眺め。

 昨夜は、遅くであったが、嫁に手伝ってもらって、年賀状を印刷した。宛名は、手書きなので、ゆっくり書かねば。今年の枇杷葉の花芽をアレンジした。近況報告を入れる余白を作る。レイアウトが上手くいって満足。個人的には、年賀状は年が明けて書く物と思う。

 旧暦では、世間一般には拙いので、これも個人的にしか考えていない。然し、歴史のことを調べるなら、やはり旧暦の方が、何かと使い良い。疑問に想えることが、旧暦に充てれば解決する。まるでパズルのように、謎が解けていく。小説を読むのも、可なり違う。

 Aさん家の坪庭の、大山蓮。毎年のこと、たくさんの蕾が付き、夕方には咲いていく。匂いも姿も凛として。

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霜月、上弦・小潮

2014年12月29日 | Weblog

 冬至を過ぎると、少しづつ陽の入りが遅くなる。宇宙の仕組みの不思議さ、巧みな歯車に想いがいく。太陽を中心に、周る惑星、数多の星。そのどれもが、軌道上を通って、お互いに衝突を避けている。自転も公転も、或いは惑星の衛星も。

 地球と月と太陽の関係。特に、月との拘りは、古の時代からだ。人類が誕生した源には、月の満ち欠けと、満干潮が条件である。惑星の上でも、北半球と南半球とでは、暮らしも育つ物も違う。然し、命の誕生には不可欠の月。折りしも上弦。

 年末のため、燃料補給に寄る。ちっとも安くなったとは思えない。庶民には絵空事の世界。所得の多い者に還付する仕組みらしい。自民党が圧勝したのではなく、野党が不甲斐ないのだ。勘違いも甚だしい。原発の事故など無かったようだ。

 再稼動にしても、新規の建設も、国民に納得する説明がない。福島の人々の、無念さに考えが至らない。人間のしていることとは、到底思えない所業。ゴルフに興じるとは具の骨頂。節度も弁えず、高笑いをしているのが、まざまざと見える。

 墓掃除で、肩凝りを訴えて来たら、多少は軽くなった。祖母に通じたのか、と安堵する。亡くなって久しいから、肉体は既にない。でも、感じる時がある。宮部みゆきの『荒神』には、自然を破壊し続けると、必ず禍が呼び起こされるのだ。警告!

 我が家は、枇杷葉のお蔭で、結界を張れるし、不思議なことも間々起きる。単なる偶然ではなく、何かが引寄せられ、或いは離れていく。それもまた、自然の中に組み込まれた、出来事でもある。宇宙は、神の聖域。踏み込んではならない空間も。

 夏、6月下旬に収穫した、長崎茂木枇杷。粒も小さかったが、数も30粒程だった。貴重品になった。

 

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計画どおり・・・

2014年12月28日 | Weblog

 今朝は薄曇りで、先ず々の気温だ。墓掃除に行くので、8時過ぎに起き、用意をする。鎌を研ぎ手袋を出し、お供えの水を汲む。墓掃除セットを玄関に置き、息子に連絡をして暫し待つ。蛍光灯の笠が外れているのを填めてもらい、いざ出発。

 古里は無人で、住んだ形跡が無い。荒れ果てているのが、物悲しい。枯葉を踏み拉いて坂道を登る。ご先祖の墓を、熊手で落葉を掻き集め、笹を刈っていく。墓掃除専用の箒で、掻き出したり、枯れ枝を除け、作業は終わる。合掌して下る。

 竹藪の枇杷葉が気になり、笹を刈ると、花芽の結実が見える。実が生る頃には、踏み込めないので、採って帰るよ、と声をかけた。孟宗が倒れこんでいる。次回には鋸を持って来よう。息子は坂道を丁寧に掻き出し、黙々と道を均している。

 帰宅して、オイル交換をしてやる、と言うので昼食を作る。ご飯がないので、雑煮をする。嫁に電話して言うと、そちらに向っています。えっ?まあ、近いからいいが、折角来たのであれば、スティックのオレを渡す。娘がお歳暮でくれたが甘いの。

 珈琲は、無農薬に限る。淹れ方にも因るのだろうが、苦過ぎたり、香りがしないので、飲む時には相当の覚悟が。加えてたくさん飲めず、胃が痛くなる。ブラックで飲みたいので、サンタさんからの無農薬が美味しい。枇杷葉茶も、花芽が佳い。

 そうそう・・・。川の側に伸びている花芽を、取りに行く心算だった。まあ、誰も採らないだろうから、慌てないでいい。物好きは少ない。息子の家のは、葉を取っているからか、花芽がなかったそうだ。息子の所のは、大きくなり過ぎたら困るのよ。

 ここ数日、訪問者が急増して、何と千人を越えている。何時も人気なのは、枇杷葉のテーマだ。アクセス数も多い。この1年間、よくぞまあ訪ねてくれたもの。感謝に堪えない。枇杷葉の素晴しさを知って、是非施行してみられたら、価値も届く。

 夏の時期を過ぎても、咲き続けるミニバラ。白で咲いて、次第に緑に変化する。これ以上は大きくならない。

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有給休暇・・・

2014年12月27日 | Weblog

 年内の休みに、有給を充てる。洗車と買い物に行くため。プリンターのインクを買い、外に出たら呼びかけられた。以前、同じ場所に居た、遠縁の子だ。立ち話もどうかと、パン屋に入り、小さなパンと珈琲を注文しガラス張りのテラスで話す。

 不況の影響を受けてはいるが、働けることに感謝しているそうだ。病院通いより、自然療法がいいと話す。子ども等は二人共大学生らしく、家に帰ってくるのは遅いと言う。こちらのことも伝えながら小1時間程居た。蛤と海老、糸蒟蒻買う。

 洗車とワックスに使える金券があり、時間を聞くと1時間かかると言う。数台が待っている。隣のホームセンターに行き、店内をくまなく散策。ストーブの特価品を見つけ、DVDコーナーで、禁じられた遊びに眼が留まる。バケツと手袋も購入。

 帰宅して、愛車の室内に掃除機をかけた。明日は、玄関と愛車の、お飾り付けをしよう。洗濯機に浸けていた、トイレのマットを洗う。これで年内の大掃除は終りで、お節にかかる。と云っても、自分用のだけなので、たくさんはしない予定。

 明日は、息子と墓掃除に行く。年末年始は仕事で、働かなければならない。準備も整えて、粗漏のないように、新年を迎えたいもの。玄関の窓拭きができていない。いえ、勤務先です。どうするんだろう?ボランテェアでまでは気力がない。

 今年読んだ書籍の中で、最後になって印象深いのに出遭えた。宮部みゆきの『荒神』、長い間封じ込めていた、己の想いかもしれない。きちんとした文章が醍醐味。携帯や、スマホが出てこないのがいい。平岩弓枝、私本・椿説弓張り月も。

 枇杷葉の花芽が、未だ馥郁とした匂いをさせている。深呼吸したり、傍に寄ったり、眼を閉じてみたり。同じ香りであるが、花自体は目立たない小さな花弁。花の球のように咲いているのもある。白枇杷は満開に、サンタ枇杷葉はそろそろ終り。

 りささん枇杷葉の根元に、ランタナやベゴニアを、夏の間置いている。暑過ぎないように、陰をこしらえてくれる。

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体力維持・・・

2014年12月26日 | Weblog

 三連休で連日勤務。明日明後日は休みなので、洗車と買い物に。プリンターのインクやら、蛍光灯を準備。墓掃除もある。両親へのお茶湯は毎朝しているが、この時期にきれいにしておかないと、お彼岸に参れないことになる。寒中には、笹刈りを予定している。

 今年の蝮騒動があって懲り、暑い時期には、できる限り危険は避けたいもの。都会のような場所なら、爬虫類は棲み付かないが、人間の勝手都合に合わされる。こちらは咬まれたくないので、そういったことを回避の思いになる。自然との共存は、困難でもある。

 明日辺りから、世間は大型連休だ。介護の仕事にはそういったものはないが、それにしても低賃金である。勤務している施設は、条件も待遇もいいが、人手不足は否めないこと。今後、十年間に向け、増え続ける認知症者への対応を、真剣に議論してもらいたい。

 加えてそこに携わる者への賃金を、早急に上げて貰いたい。体力的にも、精神的にも、限度を遙かに超える。24時間365日を、同じ態度や言葉で遣れる筈もない。精一杯のことはできても尚、足らない部分は現われてくるもの。夢のような介護での看取りは無理。

 高齢者への薬の投与は危険だ。古来から使用してきた、漢方薬ならいざ知らず、薬害のはっきりしない、個人差のある薬は怖い。人間は、簡単で便利な生活から、病気を作り出すことになっていることを知らない。無駄を省くのではなく、大事な物を捨てている哀れ。

 清貧の暮らしができれば、金への執着も無く、物にも拘らない。己の命が存在する以上、自然に教えを乞い、宇宙から学んでいく。そこにある真理に気づき、今日という日を賢明に生きる。一日を悔いなくすえることはできないが、己を省みることは常に怠らないで。

 年間の、読書数目標が100冊であったが、中々達成できなかった。新聞は、日々丁寧に読むが、これは読書に入れていない。新聞連載もあるのを数にすれば突破している。来年も、めげずに読み続けよう。貧乏性であるため、日中はじっとして読めないのもある。

 大山連。Aさん家の坪庭にある、白く艶やかな木。夏の夕刻に、ぱっと咲く。素晴しい芳香に心身ともに酔ってしまう。

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歯科・・・

2014年12月25日 | Weblog

 定期検査に行かず、横着をしていたが、今回の歯痛・肩凝りに暫し、通院することに。仕事の関係からか、左肩が重だるい。3連休には蒟蒻を当てていたが、一寸佳くなると止めてしまう。反省しきりである。それなのに我が身を省みず、他人の肩凝りを解す。

 Aさん家に寄り、お好み焼きをご馳走になる。足が気になっていたので、手当てをする。世間話もしつつ、今年を感謝する。お世話になりっぱなしだが、水を戴けるのがうれしい。枇杷葉に援けられての一年を、過せたことは幸せと納得。自分の身丈に合う暮し。

 リエさんには、枇杷葉の生葉も入れたから、宅配にしたが、サンタさんには、花芽だけなので郵便にした。どちらも年内に届けばいいと言う楽観。ふと旧暦では霜月なのに、目まぐるしい想いがしてくる。慌てないで、急がないでいい。心のゆとりを持っていこう。

 図書館も明日から、年末年始の休館に入る。借りているのは、宮部みゆきの『荒神』。祖母が話していた、山ノ神さまのことが、思わず脳裏に浮かぶ。山を荒らしてはならない。汚してはいけんぞ。何でそんなことを云うのか、理解できなかったことが甦ってくる。

 自然を敬い、恩恵に感謝し、生かされていることを祈る。たくさんの資産はないが、悪い事で儲けてないからいい。騙したり嘘をついたりもしていないので、却ってそれらが財産だ。自分の心の有り様で、毎日が過せて送れることも幸せ。ありがたいことである。

 この1年も、自分のしたいことができ、リエさんにもしーちゃんにも逢えた。これではり灸さんが近くなら、何も言うことはない。考えようでは、遠いからこそ逢えることが歓びでもある。老後の予定を立てながら、なすがままに逝きたい想いが膨らむ。どうなるかな。

 生まれた時点で、その年数が決まっているのを、如何に生きるかで人生への見方ができる。織り成す綾の様々も、其々に違う。その微妙な彩が、自分と他人とで見る色が異なる。それが当たり前で、決して同じ色は無いのだ。それを見届けたく想うこともある。

 東京駅前の切手会館のツリー。リエさんが写メで送ってくれた。人工的な輝きには、綺麗だけど寒々しい感じが・・・。

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霜月・三日月

2014年12月24日 | Weblog

 暦では、霜月三日。息子等からのプレゼントは、煉瓦だ。それをリエさん枇杷葉の周りに置いて、土を入れる。鉢をどうにか動かし、プランターの苗を植え付ける。百足を1匹見つける。霜にやられた鉈豆を抜き、空いた土を被せる。鍬で樹の根を掘り、土を篩う。

 作業を終えてから、麦を蒔いていたことを思い出す。あらら・・・どこだろう?仕方ない、埋まってしまった。リエさんに、花芽を送ろうと生葉も採る。次いでならと、白枇杷も採った。箱を探して詰めたらタイミングよく友人が来訪。帰る途中で寄って、発送してもらう。

 友人が、白と薄桃のシクラメンを持って来てくれた。あちこち回さないのがいいらしい。台所のテーブルに置く。あまり暖かくないのが佳いらしい。小椋佳の歌声が、耳に流れて心地よい。我が家の何年も咲いているのは、蕾が見えている。とても愛らしい姿である。

 三連休の最後は、曇り空で捗々しくない。それでもシーツの糊付けが半乾きになったのを、竿にかけ直す。来年のカレンダーを解き、指定の場所に吊るしていく。今年は、ロイズと牧野富太郎博士のは予定外で貰う。ちひろと旧暦は毎年。ふなっしーは初めてだ。

 孫等が小さい時には、写真から作っていたが、思春期真只中が居て、必要なくなった。お正月に来ないと、お年玉はないよ。と言うと素直に頷いていたが、親を経験していないことだから、それなりに気まずさがあるらしい。子どもの成長で、親になっていくんだよ。

 友人が帰った後、散らし寿しにかかる。今夜、仕事で出かけられない、という新婚さん。定番の寿しがご所望らしい。ありきたりの具で申し訳ない気がするが、それでいいと言う。海老があったので乗せたら、豪華になった。錦糸卵を上に張って、何とか誤魔化す。

 それを持って行く途中には、観えていた三日月だが、帰りには早隠れてしまった。シャッターチャンスは、その時しかない。だが、走行中には急に停まれない。年末でもあり事故は避けねば。世間は新暦で回っているので、計画的には進行中。気分は旧暦だが。

 リエさんが送ってくれた、クリスマスのふなっしー。超多忙のふなっしーに、弟が出来たとか?白い猫も登場している。

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何時もの集まり・・・

2014年12月23日 | Weblog

 今朝は、個人的な心配を他所に、小春日和になる。布団を干し、洗濯を済ませる。ご飯を仕掛けておいたのをスイッチを入れ、ストーブに点火し、朝食を摂る。ゆっくり起きたのだが、どのみち午後から来るだろう。慌てなくていい、と新聞を読む。

 日曜版の連載を楽しみにしていたが、急展開で終わる。作者の体調が案じられる。執筆は可なりの重労働で、姿勢等の問題もあるから、長時間の同じ体位には、注意が必要。他の連載も抱えておられ、体調を崩されたのでないことを切に祈る。

 介護をしていて、悩まされるのは臭いだが、人間の自然現象で拒めない。枇杷葉茶の飲用を薦める一因には、消臭作用が著しいことであるが、長く携わっていると気にならなくなる。或いは、臭いの変化で体調がわかる。熱感も伝わってくるのだ。

 最近の洗剤には閉口する。どぎつい臭いが鼻につく。安物の臭いより、自然からの風だと有難い。化学的な要素が含まれて、そこまで遣るのか?という臭いにはヘドモドしてしまう。アレルギーがあるので、ボディシャンプーを使い、洗剤は避ける。

 花芽茶がたくさん採れたので、サンタさんに贈ろう。といって、サンタ枇杷葉の花芽で、結実見込みの薄いのを選んだ。どのみち枯れてしまうので、今の内に採ったのだ。昨年は一粒も生らなかった。今年は、苞も多いし、花芽にもなったが実はどうか。

 某新聞の、新しい読み物が始まり、連載中の劉邦と合わせて、毎朝の愉しみ。先日、再放送で箸墓伝説殺人を、沢村一樹が演じていた。この箸墓に何等興味もなかったのが、そういった伝説のあったことを思い出させた。古文は実に面白い。

 新聞の連載は、牛馬童子のことであるが、そこに隠された謎が、一体どんな展開になるのか待ち遠しい。あの場所と、あちらには神域の結界ができる。熊野古道にも興味が湧く。人は、意味なく殺人をしない。見境のない殺人には死刑のみだ。

 何時もは遅い娘夫婦が、先に到着し、後から嫁と孫等が着く。乾杯をして、手巻き寿しを頬張る。鳥の唐揚げは嫁の自信作。紙コップに入れてある。孫はプレゼントが待ちきれず、早々と交換を提案する。自分たちは、抱え切れない袋の山で満足。

 ばあちゃんは、ストーブが来ないよ。煉瓦は希望していたので、玄関に重ねてあった。息子は仕事で、弁当持参だそうだ。プレゼントは渡しておく。サンタクロースは居ますが、この不況では暇なのか、却って多忙なのか?ケーキはアイスであった。

 洗濯物に触ると、殆んど乾いているので仕舞う。仕事では、乾いた後に夜露が下りるので、湿ってしまう。冬至を過ぎると、徐々に明るくなって陽射しも戻るが、節分までは寒さは続く。立春過ぎると旧暦のお正月だが、2月下旬過ぎとなる。さても。

 人間の気づかないままに、種が零れて発芽。自然の驚異を感じる時だ。科学が幾ら進歩しても、抗えない。

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大掃除、冬至・朔・大潮

2014年12月22日 | Weblog

 冬至。この日は、太陽が黄道の南端を通るので、北半球では、一年中で最も昼の短い日となり、寒気も厳しさを増す。毎年、十二月二十二日頃である。風も冷たく、雲っている。布団を干したいが、時雨れても困る。と雪がちらつきだした。

 掃除機を出し、手袋を填めて床掃除にかかる。雑巾もだが、軍手なので、これで汚れを拭う。窓も桟も、めんどくさくなくできる。カーテンレールも拭き、粗方済ます。麦も残りを、フェンスの外に蒔いておく。花芽を少し採りおく。好い匂いだ。

 長崎茂木は、既に結実したのもあり、サンタ枇杷と白枇杷は、苞の状態を採る。昨年に比べて雪が多い。このままでは恐らく、枯れてしまい咲かない。中途半端なのが可なりある。枇杷葉に断りをしてもらう。ストーブが点かないので冷たい。

 何度かやって、やっと点いた。消耗品なので、使用すれば壊れる。かといって全く無いのも、朝が辛い。煮炊きがしたいので必要。やっぱり買うかな。灯油も高くなって、電気が好いようにも思うが、原発に依存するのが怖い。思案のしどころ。

 暑いのは、極限まで我慢できるが、寒さには怯む。指先が悴んでくるし、凍傷や皸にもなる。これが辛さに防寒しているが、被ってしまっては、何もできない。文明の利器に頼り過ぎ、結果は悲惨。横着をしていれば治るが、そうもいかない。

 布団のシーツの汚れが酷くなったので、剥がして洗う。明日は、娘夫婦、嫁と孫等が来る。息子は仕事だそう。酢飯は少なめにしようと決める。プレゼント目当てで来るが、気にいるかどうかは疑問。ばあちゃんの欲しい物は、ストーブだよ。

 末廣堂さんから、クリスマスカードが届く。まあ、なんて素敵なカードでしょう。そらちゃんが選んでくれたようです。びっくりしました・・・ありがとうそらちゃん。電話機が壊れているので、メールを入れますね。皆さん、お元気で何よりです。

 毎年、花が咲き乱れ、丹精込めていることが報われて、自然の有難さも同時に感じる。心が和む一時。

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