枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雨上がり・・・

2013年04月30日 | Weblog

 アラームが鳴って起きていたのに、雨音についうとうとしてしまい、寸でのところで寝過ごす処だった。疲れが溜まっているのか、体がだるい。きらん草を昨夜から飲む。その甲斐あってか、熱も然して出ず出勤できた。ありがたいことである。

 雨が降るのはよくわかる。大蒜エキスを薔薇にかけておいてよかった。枇杷葉の青い実にもしておく。イラが薔薇の蕾を齧っている。枇杷葉にもさばっている。連休は仕事の日もあるが、休みもあるので、袋掛けをしよう。小指大になっている。

 昨年まで、連休は出ていたが、何だかしんどくてたまらないので、全部は止めた。還暦で、年金がもらえればいいが、金額は少量だし、とても生活できない。止むに辞めれぬ事情で働いているとはいえ、体調悪しくとなる。枇杷葉パワーを浴びる。

 晩春風光。とはよく云ったものだ。旧暦で季節を知っていれば、慌てることが少ない。だが若い人ら、いやいや年配の人でさえ、しきたりや慣習をいい加減なことにしている。障子がないから叩きはかけないので、埃は上から下へを知らない。

 夕方に履物は下ろさない。着物は右前にしない。服は大勢で着せ掛けない。ご飯に箸は立てない等あるが、平気でしていることにびっくり。これらは全て、亡くなった人に対して行うこと。生前にすることではない。価値観が違うと言えばそれまで。

 年を重ねる毎に、体は本来のリズムに戻る。然し、若い人等には気づかないことがある。時がないのと同じだったりする。時間は刻々と過ぎているが、何処かで止まってしまったり、螺旋が捲けなくなったりで、家族でさえわからないことも間々ある。

 記憶力が低下していても、子どもの頃のことや、若かった時の想いには、自分の希望と夢があるから、然して忘れることが少ない。皮肉なことに、誰も知らない。大雑把な歴史を知っておくと、生まれた年代で納得も出来る。日本史は大切です。

 芽吹き始めたヒヤシンス。土の中からつむじをのぞけた。途中、寒かったので、中々花が咲きませんでした。

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夢視・・・

2013年04月29日 | Weblog

 昨夜、暖かいので湯たんぽをしなかった。明け方、寒くて目覚める。今から湯たんぽ、というのもどうかと懐炉を貼った。膀胱炎になる寸前で、1時間おきにトイレに通う。油断大敵。息子と墓掃除に行く予定で、何とか起きたのは、10時だった。

 嫁が昼食を孫等と作ってくれるので、安心して布団を干し出かけた。墓に着いて眼が点になった。花筒がない!土が掘り返されている。筍が掘られている。何ということをしているのか、呆れてしまう。筍は神出鬼没だが、墓場のは掘らない。

 猪なら、此処まで器用に掘らないだろう。ちゃんと花筒が片方に寄せてある。罰当たりなことをするものだ。然も、祖父の墓である。お彼岸に訪れた時には、シキミも換えてあるし、掃除もしていた。そのシキミが投げ散らしてあった。酷いことを。

 祖先の墓を守る処か、筍欲しさに荒らして行くとは。夢に出て来る筈だ。息子と一緒に、花筒を埋けて、水を入れシキミを挿した。祖母が母が、草葉の陰で泣いていたのだ。祖父には写真でしか会っていないが、仏の供養は現世の勤めだろう。

 何という愚かしい。同時に、見せ掛けの供養をしているのか。と空恐ろしくなった。父母の墓を暴いて、自分らに都合の好いように移したらしいが、祖先あっての自分ではないか。まさに生きていることを否定し、唾を吐きかけたものであろう。

 不思議なことが起きたのは、その直後だ。私の哀しみがご先祖さまに届いたのか、タオルを持って行っていたのが、何処を探しても見つからない。おかしい・・・脇に抱えていたのだ。失せてしまっても困る物ではないが、掻き消えてしまった。

 実家からの帰路、砂利道に雉がいた。番である。メスの方は、じっとその場を動かない。オスは、わざとよたよたと歩く。怪我をしているように見せかける。息子は、車の速度を落として徐行した。祖母が生前、藪の中に巣があると教えたらしい。

 子どもの頃に見たのは、大抵がメスだった。ミケが狩りをして来たのはメスだ。一目散に駆け戻る口に、しっかり咥えていた。祖母が炒り干しと交換し、捌いて炭火で焼いてくれた。塩の単調な味が旨味を増した。醤油の香ばしさが堪らない。

 自宅に着いて、息子の家族と昼食を摂る。息子は、新聞紙を廃品回収に出すべく、持って帰った。ふと眼を留め、ドクダミのあまりのきれいさ、青々としているのに、其処彼処を抜く。明日Aさんに持って行こう。アケビが要るというので、箱に詰めた。

 その序でに、枇杷葉を見て回る。長崎・茂木が何とか30ばかり。東側のが8粒。白枇杷が20ほど。サンタさんのが、たった1粒だがついている。奇跡だ。今年は、花芽の段階で採って、お茶にしたのがよかったのか。2ヶ月後が愉しみである。

 東側の枇杷葉。これには、未だ花芽もつかない。そろそろ7年目になる。こっち側は寒いので中々発育が悪いのか。

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春・うらら・・・

2013年04月28日 | Weblog

 旧暦の弥生二十日です。天気になり、一気に気温上昇。暑かった。藤の花が満開で、山裾が薄紫に色づいている。家の藤は、棚を埋めているが、自然に育っているのは、あちこちの枝に絡みついて咲く。またその風情も好い。風で匂いが香ってくる。

 春の褒章を、バレエダンサーの熊川哲也さんが受賞された。ダンスマガジンで見かけた時は、小柄な体に似合わず、自分の踊りを持っている気迫が感じれて、日本に、こんな少年も居るんだわ。とてもびっくりした想いがある。私、夢の中なら踊れるが。

 マイヤ・プリセッカヤさんの瀕死の白鳥は、映画『チャイコフスキー』で、デジレ・アルトーを演じた時だ。スクリーンの中ではあったが、水面に白鳥が浮かんでいる錯覚に陥った。可なりなお年を経てお目にかかるチャンスがあった。息を呑む素晴しさだった。

 バレエには、子どもの頃から憧れ続けている。然し、教室は遠く、月謝は高い。貧乏人には遙けき世界。本屋に勤めていた時、ダンスマガジンを知り購入。現在は買ってはいないが、床が抜けるくらい重ねた。雑誌の類でも捨てられず、物置に眠っている。

 明日は休みだ。実家に行き、墓掃除をして来る。午後からは、枇杷葉の実の袋掛けをしよう。今朝、嫁に電話して袋を買って来て。と頼む。20~30粒は見えるが、ちゃんと大きくなるかな。異常な寒さに閉口しつつ、少しは生っていることに安堵する。

 そろそろ生葉を採っておこう。硬くてごわごわの葉は、焼酎(35℃)に漬ける。採った葉の葉先と軸を切り落としたのを、30枚程度から50枚を、2ℓの果実瓶に入れて、焼酎を注ぐ。水道水で洗うと、カルキの臭いがするので私はしません。瓶も同じ。

 焼酎に漬け込んで、1ヶ月経てば使えます。できれば、3ヶ月置いた方がよく、エキスもよく馴染みます。漬け込んだ葉を、手拭に包んで患部に当てますが、白い物には用心して。色が付くと落ちません。エキスが患部を癒し、痛みを和らげます。

 炎症がある場合にも、熱を取り除きます。痛みを伴うのは、枇杷葉温圧療法で対処します。これは、生葉を患部に置いた状態で、温めた蒟蒻を乗せ、何度も繰り返し取替えます。根気が要ります。同時に、自然治癒能力を発揮するよう促します。

 何よりも、寒中に採った葉を、薬瓶に入れ、煎じて飲みます。お茶で飲む場合は、できれば10月以降の葉を用いるのがよく、春先の新芽は、夏にかけて育っているので止めます。自然のサイクルを壊すのではなく、恵みを借りるようにします。

 北側の日当たりの悪い場所。3年目なのに、一向に大きくならない。移植したら、ぐんと育つのだ。苗の移植も、春先は止めましょう。

 

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リンパ線腫れる・・・

2013年04月27日 | Weblog

 咽喉が痛い。唾を飲み込むのも辛く、食欲減退。休みたいが、そうもいかぬ。何となく体がだるい、とは感じていたが、ここ数日の寒さと急な暑さに、衣類の調整が出来なくて汗をかいた。若い頃なら、乗り切れることも、年を重ねると難しい。

 或いは、弱音を吐いて寝込んでいた時期より、少々のことでへこたれないようになったことが、限界に来て崩れるのかは不明だ。人間何時かは命を終える。それがわからないからと言って慌てないことも大事。そんな想いが頭を過る。

 昨夜は、洗濯物を干していなかったので、午前0時を越えてからした。望・満月であった。うっとりしながら携帯で撮る。冬の大三角が、月の光に照らされていた。木星は、西に沈んでいる。春の大曲線も、天の弓矢のように撓っていた。

 昼間の燕や、時鳥の鳴き声もせず、闇夜に梟の羽音も静かな月夜だった。菜の花の咲く朧月夜に、暫し佇むのもいい。ああ・・きっとこれで完璧風邪を引いたか。ドクダミの新芽が伸びている。Aさんに上げるべく掘っている。お茶にします。

 玄関でチャイムが鳴った。出てみると宅配便。え?何も頼んでいないよ。と、受け取ってみればリエさんからだ。本を送ってくれた。介護福祉士合格のお祝いをもらう。猫の時計に、思わず笑みが出る。銀河そっくり!螺旋を巻いてみた。

 ありがとう、リエさん。PCの部屋に飾っておくね。銀河グッズが増えていく。猫の雑誌に、思わず見入る。黒猫の子猫がいないかな。と思うが飼ってはなりません。銀河以上は、何処にもいません。まあ、可愛いだけでは飼えません。

 早春の星の輝きです。エチオピア王家の面々、冬の大三角、ふたご座、おひつじ座、かに座にしし座が観え、大熊座、小熊座は天を動きません。

 

 

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意気消沈・・・

2013年04月26日 | Weblog

 何かね、違うのよ。テンポというか、気配りというか。まあ、阿吽の呼吸とまではいかなくても、与えられた任務はやらなければ。給料をもらっているのだから当然、と思うが調子が狂う。短気は損気と言うが、これはもお自分で動いた方がよい。

 勤務を終える頃には、胃が痛くなってきた。心身ともに疲労が重なると、体の弱い箇所に出る。扁桃腺か、胃腸に現われる。還暦を過ぎるとわかるが、自分では処理できない容量になっているらしい。然し、当たり前だが誰も援けてはくれない。

 休みの日は、ほんとうにぼうっとしている。何も考えられない。枇杷葉の下で、零れる光に佇む。庭を何度も往復し、虫のつき具合や、新芽の様など見て、何をするでもなく過ごす。ご飯も忘れている。森林浴を兼ねる、体中の天日干しである。

 のんべんだらりのぐうたらを決め込む。仕事でない、というスイッチが頭の中を空っぽにする。気力が無くなっているのか、目標が見えなくなった。と言うべきか。毎日が無意味に思える。資格修得をしたと希望に膨らんでいたのが、萎んでしまった。

 同級生の一人が、数日前に亡くなっていた。特に、親しかった訳ではないが、ちょっとした同窓会をした時に、懐かしい顔に出会えた。変わっていなかった。還暦よりも早くに逝った仲間もいるが、忘れていた間柄だ。生涯、独身であった。

 小学校よりも、中学校の方が、個性も豊で人数も多かった。1クラスが47名で5クラスあった。歴史の授業だけは、2クラスの合同で、若い熱気でムンムンしていた。隣の人と服が擦れ合ったり、時には息使いが聴こえることもあり楽しかった。

 私は、記憶の良い方で、可なりの顔と名まえを覚えているが、全員ではない。出世した者も、転落した者も、同じ教室で学んだ仲間だ。あの頃の皆は、本当に初々しかったよ。世の中がこんなに厳しいとは、社会に出て知った。頭の善し悪しもあるが。

 立春過ぎて採った花芽。自然乾燥しているので、お茶にして煎じると、濃いきれいな色を出す。味も癖がなく、美味しい。

 

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春の宴・・・

2013年04月25日 | Weblog

 季節は春で、時期から云えば初夏に近い。然し、然程暖かくない。屋内に関しては、ストーブを我慢できるが寒い。外に居ると温かい。何かね、地震が起きそうにも思うが、セーターが放せないのもどうか。枇杷葉も霜にやられているのだ。

 好天に布団を干し、パワースポットに立つ。芍薬と薔薇がぐんと大きくなった。百日紅が芽を出した。クリスマスローズの苗があった。小さな物で、花が咲くには何年もかかるだろう。無事に育ってくれるかな。山椒が芽吹いて十数枚取る。

 散々考えてみたものの、一合飯は炊かないので、息子等と分ける段取りにして、散らし寿しを作る。何時もの材料だが、水煮の蓮根を買う。砂糖と塩、お酢で味付ける。嫁に電話したら、参観日と言う。終わり次第取りに行くと返事。

 ゆっくりしていたら玄関のチャイムが鳴る。ありゃ、来ましたか。御新香を刻んでもらう。その間に寿司飯を混ぜる。飯ぼうに入れて、風呂敷に包んで持たす。錦糸卵は間に合わなかったので、作るよう云う。米は『あさひ』を使う。

 白枇杷が割合ついていて、青い小さな実が見える。静岡・土肥地方で生るから、白枇杷というのだが、こちらではなんと云えばいいか。長崎・茂木とは明らかに違う。皮の色も薄いし、実の格好も異なる。味も濃厚なのだが、さて?

 以前、NHKの教育テレビでやっていた、オペラ特集や、バレエを観たいものだ。そういった企画をしてくれたり、質の良い番組を制作してくれれば、テレビも見ないことはない。最近は、民放かというような低俗な番組が増えた。観ない。

 受信料云々ではない。観たいという番組がなく、観ていても退屈するか、面白くない低質な内容では見る気もしないでしょ。テレビは、観なくても点けている、というものらしいが、電気代がもったいない。そこに居たら何もできないでしょ。

 書籍は、自分の時間を創れるし、ちょっとわからないことも、手元にあれば便利がいい。辞書も同じ。意味もわかるし、用途も載っている。ネットで、調べられないことはないが、アクセスするのもめんどくさい。ブログだけでいいのです。

 早春の梅。梅一輪、一輪ほどの温かさ。白梅ですが、今年ほど、春が待たれた年はありません。60年に1回の異常かな。

 

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雨のハミング・・・

2013年04月24日 | Weblog

 大荒れの天気だと騒いでいた割には、程々のお湿りで、花木が潤った。駐車場から仕事場までの距離を5分程行く。リラは甘い香りを漂わせ、藤もしっとり濡れている。春雨のそぼる中を、遊歩道の花に見惚れながら歩いた。雨に唄えば。

 孫等には、常々言っていることは、学生の身分である間は、前髪は眉の長さに切る。理由は、学習がし難い。髪に気を取られたり(掻き揚げたり、手悪さをする)、お洒落をしに行く場所ではない。と話している。似合う似合わぬは別なこと。

 髪質にも依るが、猫毛の癖っ毛であったがために、毎朝癇癪を起こしていた。朝起きると、もしゃもしゃに縺れている。祖母は、湯で濡らした手拭を当て、癖を取って梳かしてくれたが、乾くと元の木阿弥。真っ直ぐな髪を見るにつけ、悔しかった。

 祖母は、髪を括ってくれるが、余計に爆発する。小学校の5年生になって、三つ編みにした。それでも雨の日には、賑やかに撥ねる。今でも、髪をひっつめているのは、そういった理由があるから、負かり間違っても、ショートにはしない。括るのだ。

 最近は、枇杷葉エキスの入ったボディローションで洗い、塩でトリートメントをしているからか、髪質が滑らかになり、落ち着いてきた。それでも勤務上のことで、自宅からきちんと括って行く。勤務の途中で解いたりはしない。髪も薄くなってきた。

 仕事に対する意識の違いかもしれないが、車椅子からの移乗をする際にも、基本を覚えていれば出来る。転倒させないように注意し、手際よくすることが大切だ。家族の方等が見ていて、感心し誉めてくれたが、当たり前のことなのです。

 然し、初めから出来た訳ではない。失敗をして気づき、研修に参加して学び、自分なりの工夫と指導を受けることも大事。その人のやり方があるので、それが自分にそのまま、当て嵌まるとは限らない。助言を素直に聴くことも大切。

 東側の枇杷葉。長崎茂木で、10年は経つ。寒さには弱いので、中々実がならない。花芽が咲いたが、殆んどが枯れた。

 

 

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晩春に・・・

2013年04月23日 | Weblog

 庭の花も、其々に咲き終り、少し淋しくなったので移動する。クリスマスローズは、大きな鉢を下ろし、小さめの物を、枇杷葉の根元に並べた。車庫の近くにあったのを、一纏めにし、枇杷苗を移動した。鉢の数は変わらないので、景観を夏向きにした。

 ドクダミがかなりの範囲で芽を出した。引っ張ると抜けるので、お茶にするべく採る。バケツに入れていく。直ぐに一杯になる。こうして採って乾燥しておけば、必要な人に分けて上げれる。季節の旬と時期には、自然の摂理が伴うのだ。当然のこと。

 大蒜エキスは薄めて使うのがいい。生地のまま噴霧ではきつい。薔薇の葉は、綺麗で勢いがいい。夕方の時刻か、明日は雨、という宵がよいのかもしれない。試行錯誤であるのだ。色々書いてはあるが、微妙な頃合いで変化が起きるのは否めない。

 枇杷葉の実が、それでもまずまず付いている。どうにか食べれそう。サンタさん枇杷葉は、残念だが寒さに枯れた。花が咲くのも遅れたから、結実は難しかった。今年の花芽に期待したい。長崎茂木と、白枇杷も結実しただけ有難い。自然の厳しさだ。

 商売でのことではないので、それも致し方ない。枇杷葉での生計を立てるには、それなりに梱包にも気を使うし、品質のいい物と、量を捌かねばならない。むろん、ネット販売になるが、振り込んでもらってでないと送れないし、トラブルも起きるだろう。

 年金暮らしになると、生活が立ち行かなくなるが、枇杷葉茶だけでは凌げない。価格や分量も納得してもらうには、中々だろう。近辺で売っている所もあり、お客の取り合いになる。物々交換といくかな。ビジネスの難しさを感じる。先行きは怪しい。

 風呂場で、ユキノシタのランナーが伸びている。先には、子どもがぶら下っている。早出に花が咲く。湿り気が丁度いいのか、風呂場で増殖中だ。葉は肉厚で、天麩羅にすると美味しい。これも子どもの頃には食べれなかった。薬だと思って食べる。

 花芽も咲いてしまった後、実にはなりそうもない枯れた状態。もったいないので採った。お茶パックに入れて飲む。香りもよく、色も佳く出た。

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困った時の枇杷頼み

2013年04月22日 | Weblog

 帰宅して、明日のゴミ出しをし、生協の荷を片付け、届いた花を植えつけ、携帯を見たら着信があった。Tさんである。あらま、久々の連絡ではないか。何事かと掛けてみたら出ない。夕ご飯を戴き、新聞を広げようとしたら、掛かってきた。

 いきなり。枇杷葉を採っていいか?と言う。お茶にするらしい。ファイルを渡しているでしょう。何処にやったかわからない。とのたまう。寒中に採るのがよく、この時期は新芽が出ているから採れない。と伝えるが、どうして?と食い下がる。

 植物は光合成をしており、二酸化炭素を吸って、酸素を提供しているから、密封した状態になり腐るんです。以前、枇杷葉茶で飲むよう上げたのは、なくなったらしい。寒中に採ったのがあるから。と言うと暫し黙る。買ったら高かったらしい。

 少しため息も出るが、根気佳く説得する。暫く、世間話を交え、我が家にあるのでよかったら、分けて上げる。と話す。遠慮がちに承諾。そりゃねぇ、代金をもらうのは簡単ですし、要らない訳ではありませんが。でもそれっきり縁の切れ目。

 恩は押し付けてはいけませんが、困っているのがわかっていて、見過ごせないでしょう。況してや、肝心な時に思い出してくれたのです。感謝しなくてはなりません。全ては枇杷葉のお蔭です。ありがたいですね。因果応酬とも言いますか。

 これまでに、騙されたり、恩を仇で返されたことは数え切れませんが、結果的にはそういう性格や事情が明るみに出たのは、よかったのです。失った物は還ってきませんが、捨てていい物だったのだ。罰が当たるのは騙した者にだ。

 明日は休みで、枇杷葉茶を持って行く。と言ったら、とても喜んでいる。素直と言うのか、純粋なのだ。まあ、私の友人の殆んどは、人が善い。計算高くもなく、お人好しが多い。金はないが心が広く、頭脳明晰な人が多い。心が温かい。

 早春の枇杷葉。この数日、その季節に逆戻りした。セーターを着て行った。室内は暖房が利いていたが、風が冷たかった。

 

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偉大なる宇宙・・・

2013年04月21日 | Weblog

 海棠が散り始めた。ドクダミの新芽が伸び、10cm近くに育っている。ブルーベリーの花が咲き、木香バラの蕾が、寒さに震えている。中々暖かくならず、冬物が手放せない。湯たんぽも一向に終えない。流石に懐炉は外したが、腰痛に注意。

 何か、漠然としたものだが、言うに云われぬ不気味さが潜む。自然界の中では、サイクルに従った法則があり、着実に周っているのだろう。またそれは、数式でもなく、理論上のことでもなく、宇宙の中心で起こっていること。遙かなる次元。

 地球に生まれて、存在していることの不思議さ。命のあることへの感謝。宇宙からの恵みを戴くことの感動。あらゆるものへの、小さきものまでの生命反応が、遙か彼方の時空で、営まれているのだろうか。命果てる時、知り得るのだろうか。

 人間は、小さな生き物を平気で殺すが、相手次第では、人間は同じ事になる。人が人を殺めるのは、無数の想いが乗り移るからか。一寸の虫にも五分の魂、と言うが、人間だけの棲む地球ではないだろう。様々な要因があっての存在だ。

 手塚治虫氏の『魔人ガロン』や、『偉大なるゼオ』に、人類の行く末に、知恵と勇気とがあれば、生き残っていけることが描かれてあった。然し、それには正しい判断ができ、自分のことよりも地球の平和を願う人間でなければ適わない。

 沖縄に基地はいらない。オスプレイの飛行は止めて。原発の再稼動はさせないで。たったこれだけの国民の要望を、何故聴けないのだろう。福島第一原発の、事故後の対策など無きもの。自民党のしてきた悪政の結果ではないか。

 働けど働けど、我が暮らし楽に為らず 更に悪化を辿るなり。年金だけでは暮していけぬ。年を重ねるが、収入はしれている。贅沢もせず、節約・倹約に努める日々。何が愉しくて生きているのかとも想う。出不精でよかった気がするよ。

 早春の宵。春の闇には、魔物がじっと潜んでいる。未だ寒いのだ。ちょっと暖かいと、もそもそ出て来る。湯たんぽが好みかな?

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