枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

濃霧に注意

2014年02月28日 | Weblog

 早起きがうれしい朝であった。着替えも寒さを感じなく、簡易懐炉に躊躇するが、腰痛が起きた時には不味いので、用心のために貼る。勤務先も、流石に暖房のスイッチを切っていた。まさに汗ばむ気温に戸惑う。今日で睦月も終わる。梅があちこち満開。

 自宅を出た辺りから、霧が巻いてはいたが、河川の側を通過し始めたら、視界が利かない。路面は凍結でないだけありがたい。ノロノロ運転で行く。大雪の降った地方では、雪崩が起きそう。数日間が大潮なので、用心に超したことはない。事故に注意。

 夜半、星の観えない日はがっかりするが、雨が上がった後の輝きに見惚れる。雨で宇宙の汚れが落ちるので、澄んだ星の瞬きに遇えるのがうれしい。春大曲線を眺める季節の訪れだ。燦然と輝く昴も、冬の大三角も、次第に傾いて隠れていく。星座は廻る。

 夕餉の食卓に、蕗の薹を茹でた。辛し味噌合えにした。この苦味が子どもの頃には口にできなかった。薬と思って戴く。タンポポにオオバコの根槐も薬になる。めっきり減った日本たんぽぽ。自然破壊が止まらない。それなのに、原発の再稼動を何故するの。

 邦画の鑑賞会をするとかで、目録を見る。羅生門、キュポラのある街、にごりえ、二十四の瞳、君の名は、心中天の網島、嵐を呼ぶ男。あるんだなぁ・・・と感心。日本沈没、砂の器、犬上家の一族。原作を読んでいるので、ストーリを話してしまう羽目に。

 洋画ファンもいて、その話に沸く。弾みで、フランダースの犬が出たが、最後の場面の絵の作者が出てこない。キリストが十字架に架けられている絵なんだ。何とネットを検索したら、ちゃんと載っている。ルーベンスであった。ネロとパトラッシュに泣けたもの。

 そこから飛躍して、世界のプリマバレリーナ・森下洋子さんの姿勢にいく。本物の舞台を観に行ったが、小柄な方なのに、舞台で踊り始めると、迫力がある。背筋を伸ばすことの意義を実践。皆の笑い声に始終溢れていた、楽しい一時だった。ほっとする。

 陽射しはやわらかだったが、洗濯物は乾いていた。取り込んでいると、枇杷葉の花芽が匂ってくる。これは昨年、花芽はついたが、結実しなかった。今年は、たくさんの花芽である。花芽茶に採ったが、まぶれている。東側のは、ちょっと怪しい。枯れたか。

 昨年、待っていた割には、咲かなかった百日紅。赤の混ざりもさっぱりであった。さて、今年はどうであろうか。

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銀河は翔ける・・・

2014年02月27日 | Weblog

 毎朝、お茶湯をしている。猫舌なので、にゃちぃ。と毎回怒る。寒い日が続いていて、布団の上から起きようとしない。カーテンを開けるのに、渋々薄目で見上げる。布団を剥がれてやっと、顔を洗い出す。丁寧な毛づくろいをして、湯たんぽを移動させた机の下に乗っかる。

 日溜りが好きで、眩しそうに眼を閉じていた。膝に翔け上がり、ぐるぐると咽喉を鳴らす。獏睡して、ずり落ちていた銀河。ほうれん草を好み、シーチキンに喜んでいた。地震が嫌いで、天井まで翔けていた。ずっと私には銀河が視える。最近は、透きとおってきた銀河です。

 昨夜からの雨音に、何だか寝不足気味。枕に耳を当てていると、物悲しい囁きにも聴こえる。誰がどんな人と話しているのか。暮れてゆく闇に、明け往く朝を感じる。雨音は強く激しく、小さく優しくなって、やがては曙の光に変わる。ああ、朝の訪れ。光に導かれて目覚める。

 クリスマスローズが、付けていた蕾を膨らませ、恥ずかしそうにうつむいている。鉢植えにしているが、肥料というほどには遣っていない。枇杷葉エキスの効き目は凄い。自家製液の散布も効いているようだ。蓬がうれしそうに、日向ぼっこしている。水仙、今年は咲くのかな。

 玄関から向って左側の枇杷葉が、雪焼けを起こしている。寒かった日が多かったから、霜焼けにもなっている。フェンスの側のは移動しよう。下がアスファルトなのは好くない。一向に大きくならないし、葉付きも悪い。土がないと元気がない。で、何処に移動しようか悩むよ。

 白枇杷の近くと、フェンスの外に播いた麦。育って来てはいるが、麦踏の回数に依って、勢いが違う。踏まれて強くなる麦ならこそ、そのままではひ弱。子どもの頃には、させられていたが所以に厭だったが、遣ってみると祖母の云ったことがわかる。今更、手遅れではあるが。

 百姓は、豪いし、泥まみれになるし、暑さ・寒さがきつい。重労働には、年齢的な制限もあるもの。受け継がれてきた、家の伝統を守っていくことにも疲れる。工夫にも限度があり、金銭的にも遣れない。化学肥料代に困窮する。日本独自の方法は、自然農法だが不利でもある。

 昨年の秋の庭。まだまだ暑かった陽射しに、花木も辟易していた。それらが全て、自然の掟ではあるが。

 

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命の源

2014年02月26日 | Weblog

 木村秋則さんが、無農薬の林檎を作るきっかけには、自分の命を絶とうとする絶望感が心痛であった。でも、死なせてはくれなかった。いや、生かされたのだ。奈落に往っても、必ず這い上がって来るとの、神さまの配慮があったものか。

 往きたいように生き、命を終えれるのがいいのか。苦難あり、挫折有りでも、生かされていることに感謝できるのがいいのか。人様々であろう。同じ考えの者は居ず、違うからこそ学べることもある。誰かの役に立つことができればいい。

 とはいうものの、それらには耐えることや、苦難、我慢の路が待っていて、おいそれとは進めない。挫折感も多々あり、ちょっとしたことで傷つくもの。自分も相手に同じ事をしているかもしれないが、認めたくない想いもあり自問自答。

 どんなに正しいことを言っても、それが作用しあうことになると、或いは異なる意味にも転じる。然し、見えているものは換わらない。納得できないから、ずっとしこりで残る。我慢を強いられて鬱積する。自分で解決しようと読書に励む。

 歯医者から電話あり。すっかり予約を忘れていた。医者にはかかりたくない心境が、そうさせたものだろう。伸びに延ばしていた人間ドッグに、必ず行くようにとも言われている。その予約は取ったが、人間いつかは死ぬのだと呟いて。

 図書館に返却に行き、MOEをまとめて借りる。宮城谷昌光氏の孟嘗君もカウンターに置く。あれっ?読んだかな、と記憶が定かでない。で、帰宅して調べたらあった。再読しよう。郵便料金が4月から上がるが数円と半端でややこしい。

 政府の財政管理は、笊勘定になっている。赤字国債で、オリンピックなどできようか。施設を増やし、その時だけ使って、その後のことを考えているとは思えない。でかけりゃいいというのも問題だろう。何がおもてなしか、裏ばっかりだ。

 白枇杷の花芽が、大寒を過ぎた頃から咲き始め、ちょっと緩んだ気温に満開になった。寒さにめげず、咲いていることに感謝。庭中を見て歩きながら、声をかけていく。クリスマスローズが、春の陽射しを受けながら、日々開花していく。

 満月を取ってくれろという児かな。実際、これほど美しい月には、少しばかり明かりに借りたくなることが。

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梅一輪・・・

2014年02月25日 | Weblog

 紅梅は満開に近い。白梅が、一輪咲いている。駐車場からの歩きに、思わず立ち止まる。朝の冷気に清々しい。梅の開花と同時に、梅祭が始まる。京都北野梅花祭でもある。梅と言えば、菅原道真・菅公の飛び梅は有名。蕗の薹が覗いて、何処かで春が。

 昨夜は、ネットに繋がるものの、何度も切断して、ブログの更新ができなかった。やっと繋がったかと思えば、午前零時。タイムリミットになってしまった。今朝は、早出であったため、止む無く断念す。枇杷湯に入り就寝。勤務をこなし、研修に参加して帰宅した。

 此のところ晴天が続き、宇宙の輝きに観惚れる。仄々明かりて、冬の銀河も美しく、殊更に昴は燦然と地上を照らす。木星の威光も素晴しく、冬の大三角が賑やかしい。これほどの景色を堪能できる幸せを想いつつ、自然からの恩恵を感謝する日々でもある。

 勤務中の携帯保持は、危険もあるし、感心できない。緊急の用事があれば、勤務先に連絡が入り、そこから必要とあれば、携帯に替えればいい。休憩時間や、就業外ならいざ知らず、便利なからと使用すること自体、常識がない。大人としての自覚不足だ。

 携帯は、できれば持ちたくない。緊急時の連絡に必要不可欠とあって購入したが、テレビと一緒で、拘束されるに等しい。もっぱら写真撮影に使い、大切な人との連絡に活用している。勤務中の私語も避けたいもの。雑談しながらの仕事等、能率的さに欠ける。

 どんな仕事でも、公私混同はいただけない。就業時の8時間労働に関しての、給料をもらっているのだ。それ以外は、残業の許可を申請してほしい。作業の平等は無論で、上司になるに従って量は増える。それらをこなすのも力量。働く以上は無駄を省くことも。

 雑用と名の付く仕事は無い。どんなことにも意味があると思うが、考え方や行動に依って、さまざまに異なってくる。人間との関わりが生じてくれば尚更、一律にはできなくなる。どんなに資格があっても、全てに対応できるものではない。生きてきた年代がある。

 初代の主演は、高峰秀子さん。二代目が田中裕子さんだ。残念ながら、DVDが発売されていない。

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憂いをとる枇杷葉茶

2014年02月23日 | Weblog

 毎度のことながら、庶民の思いは届かないのが現実。東電賠償 国指針守らず、独自基準・転居即打ち切り。酷いものだ。放射線の汚染すら、対策が手遅れになっており、その合間に、汚染水は海に垂れ流し。報道されても、だからどうしたという威張りよう。

 全く、反省の欠片もなく、再稼動を目論んでいる。人の命など、どうでもいい考えが見え隠れ、呆れ果てた遣り方に、憤懣富士山の如し。神さま不在のように思えるばかりで、怒りの持って行き場がない。世の中は、金ばかりか。それらを支える庶民は不在。

 年齢を重ねていくと、体は色々な変調をきたす。中でも尿失禁は、嗤うと漏れ、クシャミで飛び出す。遅きに失し、不快になる。パットを当てればいい、とCMも流れるが、これが曲者。被れるのに困惑。どんなにソフトでも、敷いていると湿疹が起きる。爛れてくる。

 枇杷葉茶をのみ始めて、体の変化におやっと思う。なんとこの症状が消えた。出費が抑えられるし、不快感が無い。枇杷葉茶に限ったことではないが、体の毒素を出す。その何かが、体に反応してだろうか、以来嗤っても、クシャミでも出て来ることはない。

 ナプキンの類、歳を経ての紙おむつには、辟易する。どんなに改良されても、不快感は拭えない。高齢になっても、それを使用するのは厭である。そのためには、そういった症状を改善し、使わなくてもいいように、自分の体の機能を維持したいものである。

 常日頃からの生活を見直し、規則正しく、或いは質素な暮らしを心がけたい。何不自由の無い生活には、文明の発達と文化の衰退があり、いざという時の対応が不可能になる。工夫することも、自分で何かを創ることもない、認知症へまっしぐらに進むのみ。

 遊歩道に何が植わっていて、この季節にどの花が咲いているか、暦の上では春といい、冬ではないことを知っていたい。おおいぬのふぐりは、和名では星の瞳ということ等、ネットを調べれば何でも載っている。知識とは、自分を豊にすることでもあるのだ。

 薬は最低限の処方にし、薬草に慣れ親しむ。その成分を研究して知ることと、何をどうすれば効果があるかを頭に入れておく。祖母のしていたことを思い出す度に、民間薬の素晴しさを痛感する。皸には、柚の種もいいんだよ。無論、焼酎に漬けておくこと。

 昨年の金星。秋の輝きです。今月の26日には、最大光度になり、東天の宇宙に水星、金星と月が並びます。

 

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意気込みあれど・・・

2014年02月22日 | Weblog

 介護の仕事をしていて、哀しくなるのは意志の疎通ができなくなること。相手は病気だと知ってはいても、通じない想いになす術もない。どんな人にも、これまで生きてきた年月がある。それらの全てを理解することは不可能。許容範囲の豊かさにも繋がろう。

 先ずは、自分のされたくないことはしない。そうは言っても個々に異なるから、自分を基準にはできないが、土足で踏み込むのは避けたいもの。当たり前のことが、自然にできるのが、最適ではある。さりげなく、という謙虚さが必要でもあり、培っていきたいもの。

 風呂に入れる、ということの意味には、決してシャワー浴でない、湯舟に浸かる動作がある。最終的には、リフト浴があるが、平行移動しての方法も、可能な限りは行える。出来た時の喜びは無論、本人の笑顔に、どんなにか救われる。足の爪も切れるのだ。

 以前、気難しい方が居て、物言いや動作で機嫌を損ねる。かといって、無理矢理もできない。入浴当番の時に、最後になるかもしれない想いが湧き、お風呂に誘ったら、にこっとして頷き、入ってくれた。それから程なくして亡くなられた。忘れもしない出来事だ。

 あんたとなら入ろうか。ええ按配じゃ、気持ちがええわぁ。その言葉の全てに、感謝をした。こちらこそ、入ってくれてありがとう。その人の湯加減を見て、足元に細心の注意をして、満足してくれる心を添わせる。人としての当たり前の行為でもある。教えられる。

 母や父にも、してあげたかったことだ。実際には何一つ、満足のいくことはできていなかった、とも思う。仕事であるからしたとも言えるが。それでも、ありがとうを言われた時には、返す言葉が見つからなくて、胸が詰まった。父母の墓掃除とお参りは欠かさない。

 ありがとう存じます。お礼を言うのはこちらです。多くのことを学ばせてもらい、教えてもらったことも数知れず、それらを生かして、仕事に励みたく思います。うれしいことよりも、辛かったり挫けそうなことの方が多い。何時も目の前のハードルは高くそびえている。

 リエさんから、父へのお悔やみに頂いた。たくさんの中で、この種類が今以って元気です。

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穏やかな陽射しに・・・

2014年02月21日 | Weblog

 久々に布団を干す。雲が多いとはいえ、天気に誘われて起きる。洗濯物も溜まっていたのを済ます。菜の花寿しをするべく、ご飯を仕かけていたが、どお間違ったか、軟らかくなり過ぎた。然し捨てる訳にはいかない。お粥にする分と分け、なんとか仕上げる。

 なに、軟らかいのを我慢すれば、食べれないのでもない。普段は、2合焚きで済ますので、水の分量を違えたようだ。職場の同僚との約束もあり、孫を迎えついでに持って行く。その後、Aさん家に寄り、水を分けてもらう。昨秋の折、皆で並んだ写真を手渡す。

 枇杷葉の生葉を採っておく。温圧療法に使うのだが、先日の雪にやられて、葉が傷んでいる。クリスマスローズの蕾が、随分と膨らんで来た。たくさんのもあれば、一輪だけのもある。啓蟄頃が見頃か?台所のシクラメンが、大寒辺りから咲き出している。

 温圧といえば、蒟蒻のサイズが、日に日に小さくなっていく。以前の企画なら、長く使えてよかったのが、最近は酷い。一晩使用で随分と縮む。数回の使用でも、然程小さくならなかったのだ。成分の偽装だろうか。これで蒟蒻と言えるのか。甚だ疑問である。

 水仙の花が咲かない。茎ばかり伸びる。地植にしなくては、と思いつつそのままにしている。麦は元気がいい。猫柳は満開。パンジーも咲いては萎む。春真っ盛りに、じっと待っているこの頃。人間という生き物は、自分勝手だなと反省。四季折々の花である。

 裁縫をし始めたら、携帯が鳴る。何かと思えば、愛犬の腰が抜けたという。気弱な声に、つい絆され病院まで連れていく羽目になる。孫等は家に待たせ、安全運転で行きはしたが、運悪くラッシュに巻き込まれ、大幅に遅れてしまう。孫等はおかんむりであった。

 嫁や息子に誤り、失敗作の菜の花寿しをかきこみ、明日は早出になったので帰宅した。何だか疲れた日で、肩が凝ってしまった。夕方からの運転は気を使う。自分だけならいいが、他人を乗せるのは神経をすり減らす。暦に小潮とあり、やれやれとため息。

 オリンピックも終り、テレビも静かになる。まあ、観たい番組は殆んどないし、じっと座って居るだけができない。裁縫をしていたり、枇杷葉茶を作っていたりするのだが、どうにも落ち着かない。殊更騒がしい、観たい番組もない。然るに、読書の方に軍杯が。

 昨秋の中秋の名月。月の艶やかさ、美しさが見事であった。十三夜ともに鑑賞したい。片方だけだと、片見月と言われる。

 

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紅梅匂う・・・

2014年02月20日 | Weblog

 駐車場から勤務先までの途中に、紅梅がある。今朝、蕾が綻んでいるのが、眼に留まった。まるで、小さな炎のようで、春や春梅一輪の暖かさの句が浮かぶ。胸の中に明かりが灯ったようで、足取りが軽くなった。何となく弾む心に、背筋が伸びた。

 テレビは、昨夜のフィギアを映している。氷の滑る上での演技で、あれだけ華麗に舞えるもの。得点などどうでもいい気がするが、そこはオリンピック。優劣をつけること、タイムの更新での評価になる。曲を選び、衣装を決め、競い合う競技でもある。

 どの種目も、精神的な面と、体力の激しさにびっくりする。それらを4年に1回、然も数時間、或いは数分で決めるのだ。物凄いことだと感心する。人間が極限状態での、可能なエネルギーの放出なのか。神秘的な美しさに、眼を瞠る思いがする。

 不可能を可能に変え、跳躍する姿には圧倒される。誰でもができないことだからこそ、称えられるのだ。その不屈の精神に、諦めない闘志に、拍手を贈りたい。人間は援けあっていかねば、困難に向えないが、謙虚な心と、自分を知ることでもある。

 明日は、裁縫をして、菜の花寿しを作らねば。孫の迎えもある。来月が過ぎれば、消費税が上がる。軽四の税金も高くなる。国民に皺寄せをして、涼しい顔で国債を発行し、赤字を増やしていく。東京オリンピックで、またぞろ借金を増やす。絶句!

 裏の住人は、この時間になると子どもを泣かせる。虐待であろう。小さな児を風呂に入れるのには、時間が遅い。泣き叫ぶ声に頭痛がする。泣くのがわかっているのに、毎晩である。隣近所の迷惑は甚だしいものがある。警察に通報したがいいか。

 帰宅途上の宇宙には、冬の大三角と木星が冴え、昴の輝きがあり、携帯で撮影した。こんな素晴しい夕刻を、誰も見上げていないのも、不可解なこと。自分の想いようで、心は豊かになり、知識は増えるもの。ありがたいこと、感謝の念を忘れまい。

 玄関の入口、向って右側の斜面に植えてある、隅田の花火。秋口に咲く方が、色が澄んでいる。梅雨時のは、ちょっとセクシー。

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二十四節気・雨水

2014年02月19日 | Weblog

 雨水。冬の氷水が陽気に溶け天に昇り、雨水となって降るの意で、雨水と言う。雪が降った割には昨日、今日の暖かさだった。散歩に出たが、風が温んできた感じだった。然し尚、寒さは厳しい。早春賦の歌詞そのものである。春、未だ浅きの想いだ。

 歳を重ねてくれば、色々と疾病が出る。一番に困るのが、歩けなくなること。病院に行けばいいという安易な考えでは、良くはならないのだが。足の痛みや膝の痛みには、麦ご飯を食べよう。この数ヶ月で軽減し、足の運びがいい。腰痛にも影響が大きい。

 注射にしろ、膝に溜まった水を抜くにしろ、それで完全によくならない。却って悪化し、手術して金属を埋め込む。入れた時には良くなった気がするが、異物を注入するのだ、痛みが激しくなるのは必須。その痛みに耐えるくらいなら、枇杷葉温圧療法だ。

 こちらは、根気と努力だけ。自分の持続力、諦めない気持ちも大切なこと。然し、自然治癒能力を援ける働きをする。眼に見えての回復は、及ばないかもしれないし、一長一短の駆け引きがあるかもしれない。枇杷葉には、遣ってみるだけの価値はある。

 どんな高価な薬も治療も、続けなければ元の木阿弥。地道なこと、目立たないことが回復させる。謂わば、縁の下の力持ちで、主演女優ではなく、脇役であったり裏方に徹する。でも、その存在がなければ、主役は舞台に立てないし、観客も居ない道理。

 枇杷葉の効果が著しいものではないが、続けることによって体質改善されるのに、鼾もあるようだ。疲労が重なって、自分でも気づかぬ内に、物凄い鼾に跳ね起きていた。また、息苦しさもなくなった。花粉症に近い症状があったことは否めないのだが。

 自律神経失調症の、心のバランスを保つ意味合いも大きい。何がどういう折り合いで、効果がもたらせるのかは断定できないが、感情の起伏の激しさが落ち着く。然し、何れも個人差があり、或いは枇杷葉の効果と裏づけもない。憂いを取り去る意味。

 細胞の活性化。免疫や抗体の自家製造をしている。風邪を引かなくなったことは、多いな要因だろう。年間を通じて、直ぐに咽喉が痛くなり、扁桃腺が腫れ高い熱にうなされていた。薬で散らしても、治ることはなかった。手術すればいいと聴いたが。

 枇杷葉のお蔭としか思えない。自然治癒能力を発揮させ、あらゆる症状の改善が診られる。自分にあった処方を、長い月日で見つけられたこともありがたい。自然に還ることで、その恩恵に預かった。他力本願にも、信じる有効性があったに違いない。

 晩秋の薔薇と夕顔。昨夏、長引く暑さではあったが、夕顔は霜が降りるまで咲き続けた。花の姿は頼りないが。

 

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枇杷葉のお蔭で・・・

2014年02月18日 | Weblog

 腰痛予防に、枇杷葉の生葉と蒟蒻を用いる方法は、既に知っていると思っていた友人が、焼酎に漬けなくてもいいとのたまう。話を、聴いていないのだ。勤務に行くには、蒟蒻持参という訳にはいかないので、焼酎漬けを作っているのだ。生葉は、夜間に使っている。

 手荒れにもよく効く。枇杷葉ローションにはお世話になっており、滲み、ソバカス、出物、かさつき等、洗顔後につけておきます。この上に、はと麦エキスをつけ、ファンデェーションを塗ります。朝の忙しい時間には丁度よく、手早くできる。化粧代も年間1万円未満だ。

 枇杷葉ローションには、美白効果も含まれ、しっとりとした潤いもあって手放せない。ちょっとした工夫で出来、売り物ではないので、充分愉しめる。今年は、ドクダミの花もしてみようか。作っておいて、差し上げるのにわくわくしてくる。思わぬ効果に、にんまりとする。

 雪で、あちこちと大変なことになっている。先週は、降っていたが日中には溶けた。昨夜は雨だった。いやいや、雪掻きをしなければならず、仕事にも行けない、となると立ち往生だろう。死活問題に発展するから、止んでもらいたい。然し、自然を侮るべからず。

 電力会社の、原発への再稼動に、安全・安心の基準があるのだろうか?福島第一原発の、廃炉に向けた動き、汚染水の漏水といい、何処をみても好天の兆しはないのに。一体、何が安心で安全なのか、理路整然と説明してほしいもの。嘘ばっかり並べている。

 自然は、地球という星の象徴で、其処に棲む生き物の、命の源。確かに、人間という生き物が、発明したり、工夫を重ねて、文明を発展させた。然し、文化は衰退させている。伝統の受け継ぎは、何処に消えてしまったのか。便利で簡単なことも必要ではあるが。

 雪で動けなくなったら、助かる方法は何だろう。寒さで凍死しないためには、どうすればいいか。そういった肝心なことは、家庭でも学校でも教えてくれない。無闇に動かないこと、雪の中で体を擦り、じっとしていることだ。動いて衣類が濡れれば体温が奪われる。

 ここ数年、1月から3月にかけ、積雪が多いのも、異常気象の影響があるのだろう。用心に超したことはない。天気予報が当たろうが外れようが、春の雪には充分な注意を怠らないこと。機械に頼らないことや、宇宙を観て、星の運行、月の動きに関心を持とう。

 井山宝福寺、雪舟が涙で描いた、とされる鼠。火事で焼け、今は跡しかない。墨の濃淡の絵は、意外と迫力がある。

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