枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

避難訓練・・・

2018年09月30日 | Weblog

 緊急時の訓練を行っているか、どうかによって、助かる確率が違うと言うが、本人の生きる希望があるなしでも、異なってきはしないか。運を天に任せるしかないもので、生きてこられたことに感謝さえしていれば、命も還せる。大切なものはあっても、失うものは何もない。すばるが生きていかれるかな。

 枇杷葉がどうなるかが心配ではあるが、これも自然に還そう。地球が滅びることに比べたら、然したる問題ではない。原発で汚染された土地や海の水に、地球が苦しさに呻いているのを、見過ごしにはできない。宇宙にも、新しい棲み処などもなく、生き残れる可能性も低いのだ。何が人類の幸せなんだろう。

 団地の草刈りが中止か、延期かと思いきや、何と小雨の降る中を遣っている。それも早朝の6時台である。急遽仕事というのに、何と言うことだろう。広場に集まっている者に伝えるが、男性のみで行うとのこと。だったらそう言っておいてよ。と思うが、勤務先に出掛ける。何でも午後からが本格的らしい。

 六連勤になるので、ヘロヘロである。正午を過ぎたが、珈琲を淹れて飲んで帰宅。今夜の夜勤者と、残った勤務者で、避難するなり、待機するなり考えるだろう。途中図書館に寄ったら暗い・・・開いてはいるが、臨時休館になったそうだ。頼んでいた本だけを借り、雨脚の強くなった中を自宅に戻り着いた。

 玄関を開けた途端に、すばるが飛ぶ。どうやら寒かったようで、膝に来て喉を鳴らしている。形は大きいが母親の乳を探して、腕に吸い付く。未だに甘えん坊である。今もパソコンをしながら、重いのを膝に乗せている。気温は丁度良い位と思うが、すばるには寒いんだわね。そろそろ仕切とドアを閉めよう。

 ドコモがスマホに換えよう、と煩くメールを送ってくる。携帯電話も、仕事を辞めたら使わないのに、それ以上には必要ない。写真の撮影にはデジカメがあるし、手紙を書くか、パソコンのメールで足りる。何よりも、周りがざわざわしないのがいい。隠遁生活も楽しいものだ。晴耕雨読・清貧の暮らしを送る。

 職員の中に、自転車で往復している者がいて、帰宅時に風が強かったら、早目の連絡を、と伝えておく。同じ方向に帰る者がいればいいが、自転車だと怪我をするし、帰宅できまい。勤務先も大事だが、自分の身体も大切なこと。ちょっと疲れたので昼寝をしよう。老体には六連勤はきつい。来月の勤務減そう。

 長崎茂木枇杷。大入りの撓る枝に、鈴生りに生った枇杷の実。甘くて果汁たっぷりです。

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大型台風

2018年09月29日 | Weblog

 この時期には台風が多く、加えて大型のが襲来する。台風にも性格があるのか、突っ走るの、気儘に寄り道するの、Uターンや自滅のもある。これに台風としての特徴が加わるから、予測不能になったり、甚大な被害へと繋がるのだが、天候を感覚でよむことが長けていれば、狂うことも少ない。

 伊勢神宮には、風神を祭っている場所があるそうで、天照大神を主格に、様々な神がおわします所でもある。神と言う姿で現れるが、森羅万象の仮の姿であろうか。こういった超常現象も、視える者ばかりでない。稀にある特異体質が、憑依されてしまう。科学的にも、医学的にも不解明だが。

 夜半から降り出した雨である。夕方、電気屋さんの来訪で、電灯を付け換えて貰い、設置しただけの、以前からあった冷房を撤去した。息子等がくれたのだが、台所で1度使ったが、電気代と苦手なことで、長らく思案していたのを、持って帰ってと依頼していた。何しろ、窓が開かず暗いのだ。

 新しい冷暖房は、オートにしていると、冷え方も温かさも効かないようで、設置温度で料金も安いようだ。冬場には、湯たんぽを入れるので、そこまでは使用しないが、一番気候の好い時に、窓が開けられないので設置とした。すばるの居場所に加えて、野良猫退治であるが、高くついたものだ。

 数日間、午後の7時を境にネットが切断される。以前には、長く繋がっていたのが何故?これはNTTの陰謀か、国のトップシークレットなのかは不明だが、不便で困るよ。ちゃんと料金を払っているのだ。勝手な切断は止めてくれ。原発は再稼働させるわで、国民の安全安心にも程遠く情けない。

 激務を終え帰宅する途上は、雨も降っておらず、嵐の前の静けさである。明日は、一番雨も風も激しい時間帯を、出勤することになった。団地の草刈りは中止と見込んでのことだが、無事に勤務先に行けるのだろうか?災害時のいざという判断が、狂うことのないように、心して赴こう。大丈夫かな。

 自然からの猛威には、人間への警告あり、畏怖もある。人類が何かで、何処かで気づいてくれることを、待っている気もする。地震も、世界各地で起こっており、愚かなる者等には天罰かも知れず、例え独りでも、数名でも、地球への労りを思い遣る者が増えることを、切に願う。沖縄に基地は否。

 宇宙の様は、季節でも、時間でも、刻々と変わる。それを眺められる幸せに感謝しよう。

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葉月、八せん終り

2018年09月28日 | Weblog

 人間の生死を、誰が決めるかは、本人の意志の疎通状態にある。然し、家族の拘る度合いで、後見人の立場で、大きく左右される。それを我儘と取るか、希望と察せれるかは、これまた介護職の個人でも異なる。災害時に、1対1での付き添いなど、以ての外である。介護現場を知らない者が決める。

 避難場所への移動も、暗闇の中を、然も冠水しているのを、安全なと言う所へ、一体どうやって行くのだろう?救命具の着用も、必然的な問題。国は、国民全員に配るべきだろう。血税を収めているのに、防衛費やアメリカの言い成りにするばかり。これのどこが安全・安心なのだ。原発再稼働中止。

 台風が、日本列島縦断とあるが、殊更に賑やかに言う前に、対策を取ってほしい。地球の表面を埋め立て、覆っているのだから、想定外の事が起きて当たり前。臭い物に蓋をすれば、その場凌ぎは出来るが、永久にはもたないもの。そういった事への関心に、もっと目覚めないと、災害は広がるのだ。

 前回の災害で、体調は崩さなかったが、周りの応対に疲れた。何でもかんでも受診でなく、応急手当でいい症状もある。つまりは日頃から、自己管理をしておくことで、慌て騒ぐことでもない。泥棒が入ってから縄を綯う、という悪循環だ。皆、自分だけは助かろうとするが、自然は容赦しないから。

 これからの建築は、災害時には球体になったり、舟になって浮かぶのがいい。命さえあれば、最初に戻れる。壊れてしまうだけの建物では、意味を成さない。地震や地滑りの振動を察知して、素早く形を変える。近未来の建築は、水に浮いたり、空中に浮かぶのもいいね。でも何よりも、自然を敬う心。

 枇杷葉の枝を伐っているところから、新芽が出て来た。今年は雨が多かったので、きらん草も繁殖している。神輿草が花をつけ咲いた。漢方の薬草は大切に栽培しているが、季節の移りで多々変わる。それが自然なことになるんだが、記録しておかないと忘れる。茗荷を食べ過ぎになったものか?違う。

 ネットの接続が、午後の7時を境に繋がらなくなる。この時間帯が一番多くなるようで、アクセスできない。尤も、従来のであるから、光に換えればいいのだろうが、半永久的な金額かは不明だ。個人のなので、四六時中の使用ではなし、何事もけじめが必要か。風はあるものの晴れており、秋晴れだ。

 たくさんの枇杷を、収穫して器に盛った。器は、枇杷葉の剪定を焼いて、土に混ぜて焼いた物。

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災害への対応

2018年09月27日 | Weblog

 災害と言うのは、人類が行ってきた悪事である。誰にって、地球に対しての行為でしょう。新聞の投書にもあったが、個人的にはここに何時も書いて来た。地表を覆い尽くし、核で汚し続ける。プルトニウムの保存と言うが、決して消え去ることのない物質なのだ。それも宇宙にばら撒くか地中に。

 地球は、言葉にこそしないが、人間なら身体中に病巣を創られたら、どんなに嘆き悲しむだろうか。その怒りの方法として、地震や津波に転じ、山を崩壊し地表を振う。災害が起きたら非難を、と言うが、何処に逃げたって無駄な行為だ。それよりも先ずは、快適な生活を止めることかも知れないな。

 地球に棲む命は、人間だけではないことに想い到ろう。映画や書籍は、現実とは異なる物語かもしれないが、事実無根でもない。生活の基本は、贅沢をすることではない筈だ。何でもかんでも手にしさえすれば、リッチな気分は味わえるが、暮らしの根本ではない筈だ。沖縄に基地は要らない、原発も。

 広島や長崎への原爆投下を、あれ程の悲惨さを、体験し経験してこなかった者等が、原発を推進し、核の保存を行う。戦争の惨さを語らないのも、今更言ってもとの想いもあろう。何故そこまでの気持ちを慮ることができないの?わたくしたちの祖先ですよ。その方達が居なかったら、命も存在しない。

 災害の研修があって参加したが、だからどうだって言うのよ。と正直思った。具体策は非難しましょう、備蓄はどうか、緊急時への対応は、とのことだけで、人間が遣ってきた、愚かな行為には及ばなかった。塵を出さない工夫、物を最後まで使い切る知恵、感謝と祈りの暮らしに、何故触れないのか。

 簡単で便利な事ばかりに依存していたら、緊急時への対応にも、咄嗟の判断も出来ない。幾ら訓練をしていても、天気の日中では違和感がある。雨の中での、加えてやかんであったら、逃げ道も分からないし、何よりも不安が拭えない。そういった人等を誘導して、安全な場所に等避難するのは至難の技。

 日頃から、旧暦を知っていることも、当たり前のこととして暮らすことも、咄嗟の判断に繋がろう。風の音に、雨の匂いに、季節の到来への関心が、命を助けることもある。水は高い所から低きに流れる。川の勢いは、小さな湧き水から、下り落ち本流へ海へと向かう。それらを阻む物があれば広がるよ。

 わたくしは大学には行ってもおらず、兄妹に比べられて出来は良くなかった。自然に向かい、語り、宇宙からの声に耳を澄ます。大切なこと、行うべきことを、学べることがうれしいもの。電気もなく、水道も使えなく、あるのは自分で考えて行動すること。朝が来れば明るく、地表を掘れば水が湧く。

 月を観る度に、その裏側には何があるのか?と考える。かぐや姫の都か、それとも兎達の棲み処。

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彼岸明け、立待ち月・大潮

2018年09月26日 | Weblog

 今週は、休みの関係上、5連勤となってしまった。それでは身体が持たないので、半勤務を二日程入れた。年金の関係で、働けば税金も諸々の金額も上がる。減るのは給料しかないが、意気消沈の想いが増えるばかり。贅沢もせず、唯一沢田研二さんのライブに行くくらいを、愉しみにしている。

 伊方原発再稼働認定?!馬鹿なことを言うな!寝惚けているとしか思えない。これも安倍政権への驕りで、我が身可愛さの判決だろう。庶民の命など、所詮捨て駒くらいにしか考えない、自民党の呆れ果てた政策。ぼんぼんの遣りそうな政策に、誰一人反対しないとは。否大勢で反論しようもの。

 女優さんの中にも、様々な演じ方をされて、評価も多々あるが、どんな場面でも、自然体でされ、心が髣髴となれたのは、樹木希林さんだ。そこには同じ人間であり、偶々稼業が女優なの。と言う飾り気のなさがあった。命には掛替えがないが、皆等しく終えて逝くことに気づかせてくれた。感謝。

 介護の仕事には定年はないが、それでも体力的には無理が出て来る。若い者で連携してのことと思うが、休日出勤には手当てが少ないから、と言うではないか。不平の根源は自分なのに、文句ばかりが先に立つ。子どもが小さいから、と言いつつも、旦那任せで、育児放棄しているのも明らかだが。

 家庭を持つのは、子どもを産むだけではあるまい。自分自身の親としての心構えもあり、はぐくんでいくことが、親になれることにも繋がる。誰しも、一気に親になった試しはなく、親が違えば、子どもも異なる。成長の過程も同じではない。昨今の有様には、心が痛む。どんな親でも悩むのよ。

 藤原てい著 流れる星は生きている を読み終えて、言葉がなかった。でも、よくぞ生きて、故郷の土が踏めたと万感の想いである。女は弱いが、母は強しであるのか。七十数年も前のことだが、人間である以上、戦争を起こしてはならないことを肝に命じる。原発を再稼働すれば当然狂うのに。

 枇杷葉茶を飲んでいて、一番の効果には、抗体と免疫が増えることがある。風邪は万病の元と言うが、通草との半飲で、押してしまう効果も大きい。実際、水虫への効き目は驚く。切り傷にも、虫刺されにも、腫物、打撲等、医者要らずとはよく云ったものだ。結膜炎、膀胱炎や尿漏れも殺菌作用。

 床掃除や器具の汚れにも、枇杷葉茶か、エキスを用いれば、環境にやさしい。洗濯機の中も、風呂場にも黴の状態が削減されてしまう。身体は角質が取れ、肌は紙魚・雀斑、肌荒れ等のトラブルもなくなる。化粧代も少なくて済むのがあり難い。各々採り始める時期があり、暦を参照するのが好い。

 昨年の鈴生り状態の枇杷。収穫の頃合いには、茂木が最初で、田中。最後には白枇杷が。

 

 

 

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葉月、望・大潮

2018年09月25日 | Weblog

 雨で月見は出来なかったが、旧暦での観月といこう。薄が咲いていたのを、切って帰るか、とも思ったのだが、今時の風流人を気取ってもと止めた。定家葛も咲き終わり、韮ばかり眼につく。それこそ誰も摘む者はなく、わざわざ高いスーパーに出向いて買うようだ。韮はプランターでもよく育つ。

 このところ午後7時を過ぎると、何故かネットが通じなくなる。契約が光でないからか?料金が高いのに、変更する気は毛頭ない。そうしたら、今なら価格ダウンと宣伝している。それって、ずっとなんだろうか。迂闊には上手い話には乗れないが、こう度々の切断では困る。その為に頼んだんだ。

 機会に疎いと、言われる儘になってしまうのが人間で、それを騙すなんて卑怯であろう。アメリカが戦後、沖縄に取った措置がそうだ。英語の意味が解らず、名前を書けば心配ない、土地はお前たちの物だ。と言い含められ、取り上げれた。そうしてあっという間に基地ができ、そこから追い出された。

 だからこそ、真実を知って、沖縄だけの基地問題ではなく、国民の戦争放棄の気持ちなんだと思える。それを首相はじめとして、右に倣えを繰り返せば、地球は滅びの路へと突っ走る。本能で感じた地球は、今からでも遅くはないと、本来の姿に戻っている。地震も津波も、今後、増える一方となろう。

 然し、こういった一連の災害は、自然ではなく人災である。人類の愚かさを警告してきた自然が、生き物の棲む地球を約束したのを、人間は取り尽くし、溜め込み、返そうとしないのだから。地球は進化しているが、人類は堕落し、戦争を起こし破壊していく。地球が啼けば洪水が起き、地震にも繋がる。

 すばるの居場所が、涼しくなって毛布に移動している。出窓にはバスタオルを敷いているが、陽が射さないので寒いらしい。そろそろ湯たんぽの用意も要る。冷暖房を設置はしたが、頭寒足熱で、足元が温かいのが好い。枇杷風呂に浸かっているので、冷えは軽減してきた。何事も、継続と努力のお陰。

 尿漏れ症状も、枇杷葉茶での改善なら、根気も要るが自分でできる。笑ったり、くしゃみや、ちょっとしたことで漏れていたのが、毎日の飲用で知らぬ間に消え、身体も温まって調子がいい。認知症への予防にも対応できるが、人任せの対応ではいけない。薬では決して治ることがないが、心根次第か。

 玄関の入り口、向かって右手に、種を放っておいたのが発芽して、早何年も経過した。寒いので丈は伸びない。

 

 

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葉月、曇り・大潮

2018年09月24日 | Weblog

  昨夜遅くに、愚息からの電話があり、明日墓参りに行こう。と言うではないか。我が子であるから諦めてはいるが、もそっと早くに言ってくれれば、とこちらの予定を急遽変える。息子に限らずだが、相手の都合もあるんだよ、せめて前日の返事をくれ。と思ってしまう。三隣亡でなくてよかった。

 で。早朝に起きて、茗荷寿しをこさえ、段取りよろしく勤務先に届け、用意をして待っているが、一向に来ない。連絡もするが通じず。再度の電話でやっと出るが、寝惚け声である。さっさと起きろ!昨日の約束を忘れたか?いやいや、墓参りに腹を立ててもつまらんことと、ご先祖さまに深く謝る。

 すばるのトイレも気になるし、と思っていたが、朝ご飯を全部茗荷寿しにして、勤務先に持って行ったことに気づき呆然となる。仕方ないや、と米を仕掛ける。非常食のパンを齧って、珈琲を飲む。亡父に持って行こうと、少し容器に注ぐ。鎌も入れたし、蜂へのスプレーも持ったしで、愚息を待つ。

 茗荷も、好む人の差があって、臭いが嫌だと言うが、嗜好でなく、季節の贈り物として、青空市で求める。子どもの頃には、何がうれしくてと文句を言っていたが、歳を重ねて、節約的なことでの贅沢に変化した。青空市に行けば、格安で手に入るのもうれしいし、旬の物を戴ける有難さである。感謝。

 あれからおそらく起きたであろう息子が、玄関に姿を見せ、ようやく墓参り・掃除に出掛けた。古里の荒れ果てた様子に、毎度のことながらため息をつく。墓に通じる小路さえ藪である。鎌で払いながら進むが、猪の蹄に驚く。ミミズを狙っての、土の掘り起こしに感心するばかり。墓は無残な草の山。

 ご先祖にご無沙汰を詫び、水と花を供えて、辺りの草を刈ったり抜く。笹がお生い茂って、手が付けられぬ状態だ。寒中に来てはいるが、それ以後が息子の都合で来られなかった。暑い時分には、蝮がいるので、一人では行くなと言われ、止む無く断念していた。庭に下りる手前に、ほととぎすを発見。

 帰宅して、郵便局に行くが、故障と言われ、燃料を入れるのを兼ねて遠出を。肝心の銀行に寄れば、平日のみでシャッターが下りている。なんちゅうことか、田舎の事情には多々あるが、何時からなったんだ?世情に疎いという欠点をさらけるが、今までは午前中だけ開いていた。人件費の節約なんだな。

 宇宙は、晴れていても、曇っていても、雨であっても、変化は稀だ。宙を眺めるのは変化に気づくこと。

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秋分の日・大潮

2018年09月23日 | Weblog

 二十四節気 秋分 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。涼しい気温に油断すると、風邪症状が出るので、用心に越したことはない。通草酒を舐めておく。新暦と旧暦の日数差は、29日ほどある。

 中秋の名月。樋口一葉の十三夜には、既に雪もちらつくことから、旧暦での歳時記を用いたいが、さてどうなんだろう?何れにせよ、季節の移り行きには戸惑う位早い。昨夕には、金星が最大光度なのを、帰宅途上に車を停めて観望・撮影する。-4.6等星というが、まさに眼も眩む輝きである。

 木星に、土星、火星もくっきりと観えて、暫し眺めていたが、わたくしの他には、誰一人として居ずであった。ああ、もったいない。明るく健全と言う生活には、心を亡くしていく時間ばかり。テレビやスマホでの報道なら、挙って出て来るが、馬鹿丸出しである。宇宙を眺めて明日も晴れと確信。

 今朝は、仕事に行く時間に目覚めたが、息子からの連絡なし。前以って話してあるが、音沙汰なし。新聞に目を通しながら、第五福竜丸の被爆記事を読む。夢の島迄行って来たが、直接自分に関係ないと、冷ややかなものだ。如何なることにも原発は要らない。基地も必要ない。真の平和だけ。

 庭に出て蒲団を広げ、枇杷葉の虫喰いを外す。やぶ蚊が群がる。雨で孵化したものらしいが、凄い数である。あちこち刺されて、止む無く中に入ることに。洗濯機の2杯目を回す。すばるは、程好い気温に、出窓でうとうとしている。貌を半分上げて片目を開ける仕草が可笑しい。大きくなった。

 凌ぎ易い季節到来に、安心して網戸にしかけ止める。野良猫の襲来には、決して油断はできない。粗方、傷口は治ったが、肉の中に喰い込んだ牙の痕が、中々取れないのだ。固い塊になっており、少しづつしか出て来ない。枇杷葉茶と刀豆茶で、可なりの回復ではあるが、年末くらいまでは無理か。

 雲の多い天気だが、三日続けての晴れ模様に、彼岸日和を感謝する。これも単に、祖先への供養の気持ちであろう。昨今には、お墓はデパート化して、掃除もしなくていいそうだ。供養も、永代供養に変化しており、掃除も代行に委託できる。そうは言っても、自分のご先祖ではないのか?矛盾。

 秋薔薇の名残咲です。夏も終わり、初秋になって、忘れたように咲いていた。鮮やかだけに・・・

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彼岸日和

2018年09月22日 | Weblog

 ご先祖様のお墓参りに、青空がのぞいた。明日の中日には行ってきたいものと、休みを取っているが、運動会のシーズンでもある。現状では、初夏にしたりの学校も多く、何だか寂しい思いにもなる。墓参りも代行があったりして、何だか違うような感も、なくはないが、ご先祖のへの感謝希薄。

 介護の業務のあれこれには、年齢的な制限もなく、職場での連携状態での運営に、当日勤務者の馬が合う気持ちにも依る。然し、仕事である。給料を貰う以上は、業務をこなさねばならない。従って、無理を承知で遣れば、身体の節々に影響も出て来る。枇杷葉茶は、補って援けてはくれるもの。

 然し、完璧に元に戻してくれるものではない。これには、自信の努力と、並々ならぬ想いとが遭わなければ、回復には至らない。同時に、気力も必要となる。これが中々想うにできず、性格にも依るんだろが、三歩進んで二歩下がる。常に諦めず踏まれても、踏まれても尚、努力するしかない。

 朝夕に、枇杷葉の枝中心に、たくさんの苞を見つけている。今年は、初生りが多いのだが、どの木にも見えているのがうれしい。枝は、横に伸ばしたのがいいようで、高い所には無理なことが増えた。剪定も、花芽になってからすることにして、馥郁と匂うのを堪能してから、花芽茶にしよう。

 気温が低いのか、すばるがパソコンの傍の、マッサージチェアで眠っている。出窓に居ないと思ったら、心地好い場所を探していた。昨夜は、蒲団に入らず、枕の辺りに眠っていた。猫って不思議な生き物だと、すばるを見ながら思える。飼い主を探すのは、餌の時だけ纏い付自由にしている。

 そろそろ勤務に行こう、と気合を入れるがしんどい。人間も70近くなると、体力も気力も低下するが、年齢には決して勝てないものと悟る。自然からの恩恵で暮らしていても、こればっかりは不可能だ。然しながら、心の修業と思い、朝目覚められる幸せを感謝して、祖先への供養をしたい。

 枇杷葉に囲まれ、室内にも緑を増やし、自分自身が納得して生きて逝かれたら、何よりのこと。

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失策の結果が・・・

2018年09月21日 | Weblog

 分かっていたことではあるが、またもや有耶無耶政治が始まる。せめて官房長官と、副総理は辞めてもらいたい。どのみち、沖縄問題にも、拉致への働きかけにも、それこそアメリカの言い成りは見えている。庶民の存在はないことのような悪政に、一矢を報いていく者等はなかった。落胆。

 歴代の首相にも、様々な人柄があるが、できもしないのを、また遣っていることに、正直に向き合う者が、どれだけ居たことだろう。政治は権力であり、金の力だが、民主党も解体し、野党は揃ってさえいない。臭い物に蓋をしておき、都合勝手で、国民を蔑ろにするなら、誰だって出来る。

 平成時代を、慈愛に満ちた配慮をされつつ、苦悩されての退位に、現天皇陛下がおいたわしい。国民の庶民の傍に立って、その心に添っておられたことにも、深い想いに至る。政治とは一切関りを持たぬ精神にも触れ、人間として生きて来られた行程を忍ぶ。年齢からのお身体をお大切に願。

 職場に到着し、暫くすると遅出勤務者が休む、と言う話で急遽残業となる。加えて、職員に体調不良が出て早退。なんなんだぁ・・・介護の業務での二人欠員はきつい。おまけに熟していくことは多いのだ。仕事に来ている以上は、遣らねばならない。そういう日に限っての、悪天候も影響か。

 勤務者との連携と、段取りの手際もあり、時間との折り合いも上手くいって、夜勤者と組む。何時もは厳しい方も、まごまごする遅出者にやさしい。洗い物は置いててと、朝までには出来るから。遅出の業務の、必要不可欠事だけを終えて帰宅。でもくたくたに疲れる。ご飯も余り欲しくはないが。

 習慣と言うのは恐ろしい。毎日の体内時計で、決まっているんだろうか?おおよその時間がくれば、腹も空くのだ。無理して何とか戴き、枇杷葉茶を流し込む。疲労している場合には休むのがいいんだが、これが肝心な時には眠くない。少年ケニヤを読んでいたら、転寝をしていた。風邪に注意を。

 パソコンのネット不通により、時間は止まった感じで、ザ・タイガースのコンサートの映像や何かを、点けて眺める。時の経つのを感じつつ、当時の自分に戻っていることにも驚く。夜半にうなされてしまった。後悔先に立たずとも言うが、憬れのままでいるのもいいかもしれない。心での青春を。

 あちこち探索・冒険をやって、下りられなくなったり、出られなくなったり、疲れ果てて。

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