枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷酒の効用・・・

2014年04月30日 | Weblog

 近くの友人が来訪。今朝は、割合と早くから起きて、散し寿しの準備をしていた。スリッパも出し置き、箸と箸置き、珈琲カップの用意に、珈琲ポッドも並べて待つ。筍が柔らかくなったので、酢飯に混ぜる。蒲鉾と金糸卵に海苔を飾り付ける。具が少ないのが寂しい。

 タイミング佳く友人が来る。先ずは珈琲を沸かして飲んでもらい、卵を焼きつつ、世間話に講じる。出来上がったので、皿に盛り付け出す。何と、お代わりをしてくれた。まあ、そこで枇杷葉の話になり、枇杷酒が癌に効くことに及ぶ。友人のは枇杷葉酒であるが・・・

 実家の母親が、あう度に痩せていくのを心配した友人が、試しに飲んでみたら、と勧めたのは、枇杷葉酒であったらしい。飲んでいく内に、痩せ方は変化がなかったが、食欲が出て来、体力もついてきたそうだ。頗る体調が良くなり、更に兄嫁のことも教えてくれた。

 体がだるく、何をしても長続きしなく、あまりの変化に心配した姑さん。普段から、何かと言われることに難色を示す兄嫁さんも、元気になった姑に、望みを託して飲みだしたらしい。尤も、ペットボトルのキャップ大容量を、毎日根気良く飲むことだけだが続かない。

 枇杷葉酒も、枇杷酒も同じ効き目がある。自分に合った物を用いれば良い。現在、出回っているのは、温室物もあるが、生の種をそのまま食べるのは、危険が伴う。出来れば、焼酎か塩漬けにしての保存を勧めたい。一日に3個以上は、控えて戴くのが望ましい。

 アミグダリンという、青酸配糖体には、大量に飲用すると、呼吸困難、激しい腹痛、下痢の症状が出る。これは、入梅前の青梅にもあり、種の中の核・仁には注意をされたい。焼酎に漬けておけば、ローションにも使える。あらゆることの症状を抑える。常備されたい。

 で。友人のお孫さんが、帰って居た時、背中に発疹が出たそうで、枇杷葉ローションを塗ったら治った。と話した。民間療法は、根気が必要で、時間もかかるのが難点かもしれぬが、薬に頼り過ぎると弊害が起き、気づけば、体はぼろぼろになっている。要注意です。

 今年の大雪の朝。車の運転が怪しく、欠勤にしました。雪掻きをして、とても疲れた日です。春の雪だった。

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卯月・朔、雨の一日・・・

2014年04月29日 | Weblog

 図書館に返却に行ったら、締まっていた。駐車場にも、案内を出しておいてほしい。カレンダーには、明日とあった。紛らわしいではないか。雨が降っているが、塩を換え、掃除をする。枇杷葉の袋かけと、フェンスの草抜きは断念。ベゴニアの鉢を外に出した。

 そろそろ炬燵を終おう。殆んど、使わなかった。孫が来た時くらいで、三日分の電気代。湯たんぽが役立ったのは、言うまでもない。未だ少し寒いので、離せない。年間を通じて、心強い味方である。大き過ぎると持ち運びと湯が困難。小さいと、朝まで持たない。

 今朝は、起きたのが遅く、その後ごそごそしていたから、塩を換えるのもゆっくりになった。雨が止むかとも、空を見上げていたが、あろうことか吹き降りに転じた。水遣りを兼ねて、室内に入れていた鉢物を外に出す。ベゴニアがたくさんあって、花を付け始めた。

 枇杷葉の根元に、フリージアが咲き出す。ラナンキュラスも色とりどりで、小振りながらも雨に打たれている。クリスマスローズを、鉢に植えたばかりに、その重みに耐えかねて、鉢置が傾いた。墜落した鉢もあり、置物を入れ換えた。木は腐るし、鉦は錆びていく。

 プライダルベールが、殖えてしまう。観葉植物にも色々あるが、我が家では繁殖力が強い。大事にするほど弱い。ドラセナが枯れたのは、窓の近くに置いたせいらしい。寒さに弱いのも原因。枇杷葉を鉢で育てる場合には、こまめに剪定をすること。伸ばさない。

 明日は、近くの友人が来る。筍があるので、散し寿しを作ろう。嫁に話すと、今回はいらないそうで、ご飯を控えて炊こう。牛蒡も入れよう、手近な材料を具に、友人を歓迎する。その友人、山菜が嫌いで、買ったりまではしない。もらっても、あまり食べないらしい。

 従って、通草(あけび)は、そのままをくれる。まあ、少しは焼酎に漬けてあるらしいが、欲深でないのがいい。私はそれを、リエさんに送ってお礼をもらう。欲が深い・・・。サンタさんにも何かともらっているが心苦しい限り。今年は、枇杷の実が見当たらず送れない。

 小寒・1月6日過ぎの撮影。この頃から、寒さが厳しくなり、宇宙は際立つ美しさを競うのも観頃だ。

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恵みの雨・・・

2014年04月28日 | Weblog

 やっと降った雨ではあるが、風が次第に強くなり、吹き降りである。勤務を終えて、駐車場までの距離が、濡れてしまう。帰宅して、薄着をしていたが、クシャミで上着を羽織り、ストーブを点けた。寝込んではいられない。何しろ四連休は仕事である。

 あまりのハードな勤務に、有給を使うことにする。幾らなんでも、体が持たない。若い時ならいざ知らず、還暦を過ぎると思うに任せない。実際には、その年齢にならぬとわからないもの。しんどさが違うことに、今更ながら驚いてしまう。歳を重ねていく。

 フェンスの向うの草抜きをしなくては、と気にはなっていたが、湿りが少なくては、と待っていた。連休なので、枇杷の袋かけや、初夏への対策もある。薔薇の蕾がたくさん付いているのがうれしい。白色の木香バラは、フェンスを覆い隠して溢れている。

 あちこちの片付をしなくてならず、横着をしていたのが悔やまれる。風は山河より、全巻読破。図書館には、ナルニア国ものがたりを全巻読んでから。どのみち連休中は閉まっている。田舎の事情ではこれが限度。休みでは利用度合いが低いのだ。

 山が緑に染まり、川面は太陽を受けてきらめくばかり。自然の移ろいには、時間を要することと同時に、変わらず流れていくものとがある。その帳合いに、不思議と気づく時、微妙なる変化がわかる。耳を澄ませば、田園交響曲の奏が風に乗って聴こゆ。

 病み上がりの体には、高々3連勤が堪える。気儘に過ごしていることには、体は疲れないものだが、お金をもらってとあれば、中々そうもいかない。そういったことを割り切って働ければ、巧く立ち回りができて、適当なさぼりもできるんだが、否である。

 介護の仕事は、考え方や行動で、負担にもなるし、気負いもなくなる。然し、親身にならなければできないこともある。相手の気持ちに添う、ということも限度も出て来るし、当たり前だが受け入れる度合いに差もある。その許容範囲が何処までか?

 節分の時の金星。この後は、内合に転じ、明けの明星となる。別名、一番星と呼ばれ、一際明るい惑星。

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晴天続くが・・・

2014年04月27日 | Weblog

 雨が降らずで、晴天続き、花木の撓れた姿に、水を遣る。鉢物が多いため、往復していたら、意外と時が経つもの。夕ご飯を戴き、パソコンの前に座れば眠気が襲う。体の疲れが溜まるのも、勤務の激務から来るが、これは性格の現われか。

 新月が近く、Aさん家に水をもらいに寄る。その途端、息子さんの右足が痛いので、治療できないか。と頼まれる。患部に触ると、火がついたように熱い。聴けば、枇杷湯をしたらしいが、刺激したと話す。愕然としつつ、生葉を採ってきてもらう。

 満身の力を注ぐこと、数十分。痛みが残っている、と言っていたのが、次第に消え、起き上がった時には、首を傾げる有様。一旦、自宅に帰り、数日後に来ると言われる。生葉を患部に貼るよう伝え、手当てを促し、水を持って早々お暇する。

 旧暦の用い方を知っている方には、どうということもないが、西洋暦のままに、一週間で事を運ぶと、様々に障りの出ることがあるのだ。ところが、気づかないことが多く、自然の警告には無頓着である。それにしても、波動に惹かれてしまう。

 簡単で、便利なものほど怖い。空気の流れや澱みは、実際には眼に見えず、わかり難いと思われるが、見ようとすればわかることだ。信じることが、視えさせてくれ、真実を映し出す。或いは、正しい姿を視させることに、良心の呵責を来たす。

 キリストを信じる者ではなく、ブラフマンであり、宇宙そのものが存在することに意味がある。神は、森羅万象に通じる。ありとあらゆる信仰の元に還る。人間の心に宿る、一種の崇拝ではなく、全ての源だ。全知全能の神・即ち宇宙に値する。

 其処に、往ったことのあるものにしか、知ることができない。また、それを知っているからと、無闇に話すことも、伝えることも憚る。どのように謂わしめようと、理解の度合いを超え、説明できる事柄でもない。体に直接、感じるためでもある。

 咲き始めたクリスマスローズ。満開を過ぎ、種を落としてはいるが、初夏まで咲き続ける。たくさんになった。

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熱が下がる・・・

2014年04月26日 | Weblog

 勤務に復帰。一日半の休暇でした。とは言え、有給が使えるならと書き込むが、上司に話した時点では、既に締めていることが判明。仕方ない、来月は引締めていこう。微熱状態なので、結構しんどいのだが、出てきた以上はやらねばと動く。熱が上がる。

 帰宅して、ポストに郵便物を発見し、リエさんからと判明。開けてびっくり!素敵なバッグ。確かに好みを当てている。ありがとう大切に使うね。でも、もったいない気持ちが強い。今度の上京までは仕舞っておくことに。軽くて、丈夫そうで、畳めて便利ですね。

 白枇杷が思いの外、結実していてびっくり。ひょっとして、寒中を過ぎて咲いたのがよかった?今度の休みには、袋かけをしよう。下にある麦の穂が伸びている。ブルーベリーも花が付いてきた。命の恵みに感謝し、新緑に風の当たる様を見る。眩しく光。

 最近の夢見に、どうということではないのに、記憶に残って引っかかることがある。然し、肝心な時にはすっかり忘れている。後で、あっと声を呑む。夢見とおなじ場面であったり、断片的に重なったりする。一体何処に往くのだろう、流砂に体がとらわれていく。

 薬の怖さは、百害あって一利なし。と言われように、部分的には効果があるが、体に満遍なくもたらす効果は少ないし、或いは全くない。漢方薬は飲み難く、良薬口に苦しで、体全体にくまなく行き渡り、その効果には個人差を伴う。効果は直ぐには出ない。

 体の中に持っている、個々の自然治癒能力を援け、あらゆる視点観点から、ゆっくりと効果を現し、徐々に浸透させていく。無理のない働きをさせていき、体全体に行き渡った時点で、一気に治すのだ。そこまでの辛抱が堪らない。早々と諦めてしまうのだ。

 免疫や抗体には、個人で持つ基準が決まっているのかもしれないが、突然変異を起こすのもあろう。枇杷葉の効き目には、死にかけている細胞を、時間をかけて蘇らせ、或いは再生を働きかけていく。それらが体に指令を出していけば、病気は完治する。

 大寒の月。満月だったかな?冬の月の、神々しさとも眩さとも思える輝きには、体を浄化させる気迫がある。

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回復の兆し

2014年04月25日 | Weblog

 頭の痛みが薄くなり、明日からの勤務を思い、上司に電話する。声の調子が、何かほっとしたように思えて、申し訳なくなる。実際、本人もここまで熱が出るとは思いもよらずで、年齢を感じないではいられない。高齢者になったら尚、治癒力は低下する。

 然し、滅多に病院にも行かず、殊更に薬を飲まないから、効き目もあったのだ。漢方医にかかったのもよかった。尤も、薬の説明はちゃんと紙で出してくれるので、処方を納得できる。また、最後の切り札が効いたのも確かだ。千振は解熱効果もあるんだ。

 痰が絡むことは殆んどなかったが、用心の為に嗽をした。咽喉が腫れているので、飲み込みが悪く、口内炎になりかけた。然し、山女の嗽は、それさえも除々に治した。多少の痛みは残るが、熱が下がったのはありがたく、明日から仕事の再開である。

 布団に包まっていると、何もしないことがもったいない。でも、少しの休息は必要なんだ。と言聴かせる。頑張らなくていいけど、ゆっくりしよう。時間の使い方を考えて、のんびりすることもいい。消費税が8%になって、何だか過ごし難いのを日々実感する。

 藤の花が、山々に薄紫の飾りのようです。この後、桐の花が咲き、栴檀へと移ります。小説の中に、花木の描写があると、まるでそこから匂いが立ち上がってくるようです。ナルニアにも、至る箇所見受けられ、信じる想いが強くなる。銀のいす、まで読破。

 明日辺りから、天気が崩れるようで、耳が痒い。月は程なく新月になる。JR尼崎脱線事故は、9年になる。阪神大震災は20年経過した。どれをとっても残された者の哀しみは癒えない。福島第一原発では、毎日何等かの事故が起きているというのに。

 エネルギー政策は原発を中心とは、あきれ果てる。小さな子どもでさえ、過酷な現状をしっているのに、大の大人が知らないでは済まされない。アメリカの言い成りは止めよ。国民の上層階級のことしか考えてない、一国の首相が舵を誤っている思いだ。

 今年の初春、おもわぬ雪に枇杷葉が萎れる。箒で取り除けると、ぐったりしていた。この雪で殆んどの花芽が枯れた。

 

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天日に当てる

2014年04月24日 | Weblog

 寝ていても、熱が下がらず、ご飯は咽喉を濾さない。薬を飲むには食べねばならず、仕方なく押し込む。インフルエンザでない、扁桃腺炎の弱みは夕方から熱が高い。薬は相当に苦い。じっとしているのさえ辛く、千振を飲む。通草も嗽にしたり、飲んだりする。

 頭の芯が痛いが、冷たい蒟蒻と枇杷葉を乗せる。入浴がしたいが、熱が引かぬ。熱い湯での清拭に留め、布団に潜る。体の節々が痛いのは、風邪の影響もあるらしい。鼻水と咳は軽くなった。明日、休みなので、仕事には行けそう。でも、無理はしまいと納得。

 体調を崩したきっかけに、何時も通勤途上にある、枇杷葉が切倒されていたこともある。寒中の採伐なら頷けもするが、この時期の枝打ちは、邪魔なからの思いが見て取れる。傲慢だなぁ、とその仕打ちを嘆き、車の速度を落として良く見れば、跡形もない。

 枇杷葉を、必要ないとの判断だろうが、それなら立て札をして、お持ち帰りください、とでも書いておけばいいのに、と目頭が篤くなる。年老いた親であっても、認知症で自分の名前さえわからねば、こちらから名乗ってまでは、面倒との思いも隠れる。軽々しい。

 この世に生を受けた以上は、使命のままに生きねばならず、死に向かっていく者。でも、地球という青い星の上では、命は等しく同じである。皆、何がしかの為に、命を与え、もらい引き継いでいく。人間だけが、自由に命を奪える生き物ではない。愚かなる者。

 枇杷葉の生葉をもらうのも、声に出して断り採る。自然の摂理に悖った、眼に見えぬ存在が必ず生ずる。地霊の許しをもらい、枇杷葉に述べねば障りがあろう。自然の物に感謝してこそ、罰は当たらない。熱が落ち着いたので、日向ぼっこに興じ甲羅を干す。

 夕方から、蒟蒻の冷たいのを頭に乗せ、枇杷葉の生葉も当ててみる。ひんやりして気持ちが佳い。少しうとうとして、山女で嗽を繰り返し、千振も飲む。苦い!体の調子が次第に戻っていく。就寝時も蒟蒻をあてがう。効き目はゆっくりだが、息がし易くなった。

 何時も庇にかかる枇杷葉で、花芽はたくさん付くが、結実しない。今年も、殆んどが落ちてしまった。

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気づけば、扁桃腺炎・・・

2014年04月23日 | Weblog

 不覚である。或いは、鬼の霍乱とも云う。自分の年齢のことを、あまり考えていなかった。熱が高く引かないのだ。止む無く診療所に出向く。ここは、山の麓にある小さな病院。丁寧に見てくれるのもあり、先生が変わり者。薬も、苦くよく効く。

 然し、熱を下げる薬は、飲めば車の運転ならずで、飲まないで仕事に行くが、ぶっ倒れそうになる。平熱が低いので、38℃は眼が周る。何とか4時間を終え、明日は休むことにした。帰宅して夕飯を戴き、薬を飲むと直ぐに熱が下がった。

 瞬発力が素晴しいのは、本来薬は飲まないことが、効果を上げたものか。風呂には入っておらず、今日明日も断念しよう。薬を過信してはいけないので、体調が元に還るよう、軟らかく温かい物を戴こう。お粥がいい。梅干も美味しいねぇ。

 青空市が診療所の近くなので寄る。おおっ!たらの芽がある。蕨と筍も、糠つきである。そこら辺にあった山草を箱に詰め、リエさんに送る。多分、今春の最後だよ。木の芽も入れといたよ。電話すると、酷く恐縮していたが、旬の物だからね。

 ふなっしグッズを送ろうか?って言うけど、本のお礼だよ。それこそ気にしないで。そっちにないから送るんであって、喜んで食べてくれれば満足です。父上がお元気であれば殊更ですが、作ったのをお供えしてください。塩で保存もできるよ。

 上京して、泊めてくれるだけでもありがたいのに、至れり尽くせり深津絵里でしょ。こちらの方が申し訳なく思い、それはリエさんの徳です。生涯に於いて、感謝し切れない想いです。もし地震や津波が押し寄せて、住む所がなくなれば来てね。

 何もない所ですが、雨露は凌げると思います。不自由もさせるかもしれませんが、命がある限り、希望はあるでしょう。何とかなると信じています。風は山河より、を読んでいて胸に迫るものがあり、主人公の清々しさ、潔さに新鮮さを見ました。

 それにしても、徳川家康の強かさ、先を読む力には少なからず驚き、徳川幕府の基礎を、この時点で描いていたのかと震え、人を生かせる者は、人に援けられており、自然にも通じていくことが、森羅万象の摂理であることにも感動した。

 冬の宇宙。凍てつく夜空は、木枯らしの途絶えを待って輝く、数多の星々。無窮とは、北極星のこと。

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弥生・下弦、薄日差す。

2014年04月22日 | Weblog

 今朝の体の具合はすっきりしない。喉の痛みがあり、熱も高い。何時もは口にしない、冷たい物に手がいくが、明日の勤務のこともあり、上司に電話する。午後からの出勤にさせてもらうが、熱を下げねばならない。きらん草を、枇杷葉茶で飲む。

 今晩のカレーを鍋に入れて火にかけ、枇杷葉の生葉を採る。海棠の虫の駆除と、枇杷葉の黄色い葉を落とす。衣類をたくさん着れば窮屈だし、かといって少ないと寒い。此処2・3日の不穏な天気に、布団も干せずだが、寝ている訳にもいかず。

 頭が重いのは、木の芽立ちの時期だろう、と安易に思っていたが、暖房の効かせ過ぎと、気温の変動もある。何にしろ、のんびりとゆったりの仕事ではない。変化には、素早く対処しないと、事故になる。然し、自分の体調も見過ごしにはできない。

 そろそろ弥生も終盤にいく。花のうつろいも、牡丹や芍薬になり、石楠花、藤や桐の花になる。その後に、栴檀の花が山を雲のように覆うのだ。遠くからの眺めもきれいだが、花の下から見上げると、まるで雲に乗っているように思えてくるのだ。

 今年のチューリップの花は、四つ子と三つ子で、大きい花の裾から分かれている。この中だと、親指姫は、実に小さい。覗いてみたが、出てきたのは蛙だった。土竜のお婆さんは見当たらなかった。大人になると、寓話も童話も忘れてしまうのか。

 悪玉 血圧や血液中のLELという。とあるが、基準はあくまでも、平均値であって、個人の健康状態ではない。目くじらを立てるほどのことでなし。医者にとやかく云われる筋でもない。自分自身の気持ちの問題で、納得しているのが一番である。

 サンタ枇杷葉。淡路田中なので、木丈は結構高い。花芽も早くから付き、昨年は実を生らした。

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樗・栴檀

2014年04月21日 | Weblog

 風は山河よりの第四巻を読んでいた時、三分の二を過ぎた章に、栴檀の記述を見つけた。樗、と書かれており、栴檀の花の様子だ。正に大木に薄紫の雲が浮かんでいる字だ。木へんに雲とあり、あふちと読む。獄門の木とも言われるが、それは冬の様だろう。

 書籍を読んでいて、はっとすることがある。同時に、とても不思議なことだが、枇杷葉のことや、栴檀等の共通した想いに驚きもする。帰宅時の遊歩道、ライラックの房が踊っていた。軽やかにステップを踏んでた。ドレスの裾が翻って、仄かな匂いに足を止めた。

 藤の花は、夕暮れに香り立つ。同じ薄紫の花なのに、その佇まいに太陽と月を想う。氷点でのライラックの役割は、人物描写に用いられており、眠りの森の美女では、禍を福にせんとする役割を担う。藤は、妖しい美しさと色めきを持ち、娘道場寺がそれである。

 筍を、台所に放ってある。糠がないが、湯がかねば鮮度が落ちる。すったもんだの末、家に持って帰ることにした。勤務を終えて帰宅して、直ぐに糠を入れて湯がいた。その後、水で冷ましている。で、このままにもしておけないため、味付けをして持って行くのだ。

 もったいないことである。リエさんには初物を送ったが、掘り立てなので美味しいのに、誰も見向きもしない。スーパーに行って、出来上がった物なら買うのだ。都会の人は、新鮮さを求め、田舎の者は、面倒がる。とても矛盾している。ただ(無料)程高い物はない。

 勤務先の野良猫は、どうやら病気らしい。腐臭がして、体のあちこち毛がなく、皮膚が爛れている。癌だろうと思えるが、個人的な感傷で飼う事はできない。枇杷葉茶を飲ませば、幾らかは延命できるかも・・・。施設の周りをうろつき、悲痛な声で鳴いているのだ。

 今朝の体温は、6.2あって体がだるかった。でも休む訳にはいかず、弁当をこさえて行く。午前中は寒くて困ったが、掃除をし始めたら温もった。リネンの交換もして、宿泊者の用意をしておく。掃除機を本気で掛けたら、暑くなった。リンパ線マッサージもしておく。

 春の宵の宇宙です。未だ、寒気が逃げずで、しゃきっとする気温だ。毎晩、天気さえよければ眺める。

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