枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

無月・朔

2011年07月31日 | Weblog

 夕立があったというに、蒸せ返る。なんだか梅雨時を思わす不快感だ。夕食の時間だが、お腹が空かない。食べなきゃな・・・とは思う。明日から文月で、秋にさしかかる。旧暦の七夕さまもある。願い事は、原発の廃止。夜中、赤々と電気をつけなくても、コンビニがなくても、テレビが夜中観えなくても。核廃棄物の処理に、10万年かかるという。

 アメリカは卑怯だ。自国で反対されるから、モンゴルに捨てるのだそう。例え、何処に捨てたって、地球という星に代わりはない。我々の子々孫々、到底見ることのできない時間を、一体誰が安全だと保証できるのか。プルサーマル、プルトニューム。何れもギリシャ神話の『地獄の王・プルート』からきているのだ。

 先日亡くなった小松左京にしろ、星新一、光瀬龍に於いても、未来の地球を予告している。来るべき世界は、ロボットしか生存しないとも。だが、福島の原発事故で、制御不能になった時には、そのロボットさえも作動しない。生身の人間が、まさに命を張って作業を続けている。この世の地獄ではないか。

 電波は澱みなく行き渡り、テレビはいつの間にか莫迦騒ぎをやっている。やらせに気づかない人間が居るのか?ああいった莫迦騒ぎを、面白がって見るから放送するのだ。地デジがなんだ。書籍があればいい。活字は、自分の時間を自由に使える。読みたい時に読める。テレビは見てやらなくてはならない。

 誰でも、何処でも、何でも手に入る。平等ではあるのだろうが、不便を強いられても、世界で一つしかない物を持っている方がいい。お金の価値はなくてもいい。何時も、肌身離さず持っていられたらいい。大切な物って、他人が見たら、なんでもないのです。それでも、自分にとっては、かけがえがないのです。

 今年の薔薇は見事でした。初夏の空に、咲き誇っていました。

 

 

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夕立は、三日続く・・・

2011年07月30日 | Weblog

 一昨日、昨日、今日と三日続いて、夕立があった。祖母が、夕立は続くと言っていたが、まるで父が泣いているように思えた。それも号泣しているような・・・。無理もない。体が不自由になって、母には面倒が見切れなくなり、兄達は一言の相談もなく、住み慣れた家を離れたくなかった父を、遠くに連れて行った。

 母と離されて、生きる希望を失った父は、食事をしなくなった。遺漏になった。その時点で、病院に収容された。父の住まう家は、母と一緒の古里だった。生まれ育った家ではなかった。介護の仕事をしていながら、父の世話ができなかったことが悔まれる。母とゆっくり語らうことも適わなかった。

 父も母も、肉体は消えたが、感じることも、視ることもできるのは、とても幸せだと思う。輪廻転生と言うが、魂は神の意思の中で渦巻いている。あれは私の思念かも知れぬ。遅かれ、何れは往き着く場所だ。畏れ敬い、或いは神々しさに眼の眩む思いで祈るだろう。今までもこれからも、一心に。

 夕顔が咲き始めている。何処からともなく匂いが漂ってくる。白い大輪の花が、ゆっくりと開く。花は大きいけれども清楚な姿である。まるで、白い貴婦人だ。これから舞踏会に出かけるのだろうか。薄墨の濃くなる夕空に、背筋を伸ばして微笑み立っている。ギリシャ神話の女神のようでもある。

 枇杷葉の新芽が育っているが、あちこち齧られていて、軸だけになっているのもある。バッタを始めとして、螳螂も、ナナフシに、尺取虫と続く。蛙や蜥蜴は、そういった物を餌にしようと住み着く。枇杷葉の葉の上が、ひんやりとしているのもいいのだろう。蛾の幼虫や、ウンカの蛹は、葉のエキスを吸って育つ。自然での共存とは、厳しい。

 皐月。新月から三日経った月。西の空で、街灯に負けないで輝く。

 

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大きな桃が、どんぶらこっこ

2011年07月29日 | Weblog

 佐藤さとる氏の作品に、『宇宙からきたかんづめ』という中に、タイムマシンは川に落ちた。という物語がある。この設定の桃太郎の話に、なるほど・・・と、酷く感心した。作者の語り口も面白い。児童文学は、対象が子どもだが、大人でも充分楽しめる内容です。是非、読まれますよう、一読をお薦めします。

 暑い一日だった。まさに盛夏である。遺体があるので、部屋の中は寒すぎる20℃の設定で、外に出るとほっとする。午後からの葬儀なため、弔問者は汗だくである。寒がりの父であったので勘弁願う。祭壇上には、勤務先の生花が目立つ。それなのに弔電まで戴く。この上ない弔いに頭が下がる。

 葬儀は滞りなく進み、父のお骨を拾って安堵する。帰路、西方浄土に向かう父が視えた。お疲れ様。安心して遭いに往けます。生きるということは、どんなに辛く苦しかったでしょう。生前の父は好きなことをさせてもらってはいたが、何分養子で肩身が狭かった。仕事をしながら、休みの日には百姓である。

 戦争があったがために、苦労の多かった人性であったと思う。その困難な時代を、それなりに生きてきたことは、幸せなことでもあった。父の立ち居振る舞いが思い出される。早くに両親を亡くした父には、甘えるという所作が足らなかった。怒鳴ったり、つっけんどな態度は、子どもに嫌がられるのが理解できなかった父だ。

 母が亡くなった時、父の傍に来ていた。父は母が、母は父が居なくては、淋しかったに違いない。今頃は、遭えているかしら。これからは、父の命日にも、お参りしよう。職場の皆さまを始めとして、勤務先の丁寧な供養には、力強いものを感じた。心が砕けそうな想いでいる時、支えてもらえるのは、何を於いてもありがたい。

 撫子は、何処にでも咲いていた。好きな種類は、川原撫子だが、これもすて難い。

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父還る・・・

2011年07月28日 | Weblog

 先日、父に逢いに行った時は、病室への許可がいる次第で、何かしら不安が過った。それでも僅かでも生きていて欲しいと願っていた。昨日は、どうにもPCの不調で、胸騒ぎが止まなかった。勤務先に、娘から電話が入り吃驚した。あと少しで勤務を終える時間で、一頑張りするかなぁ!と、次の準備に取り掛かる寸前だった。

 何時もながら、兄の連絡にはむかっ腹が立つ。昨年の母のことがあるので、皆に嘆願した。快く勤務時間を代わってくれた。自分では落ち着いていたのだが、事務所に連絡もせず帰宅していたことに気づく。慌ててしまう。通夜と葬儀の時間、場所を連絡し、ほっとした。何をしていいのかわからなくなる。

 深呼吸をする。着替えをしなくちゃ。夕ご飯も食べなきゃ。おお、行水もして行こう。あたふたとしていたら、娘夫婦が来宅。そうこうしていたら、息子達も向かっているとのこと。通夜に間に合い一安心した。読経が始まる直前、勤務先から生花が届く。ご・豪華です!父の遺影が申し訳ない顔になった。皆様、ありがとうございます。

 通夜の席に座り、読経を念ずる。小さな孫たちも、一心に唱えてくれる。父に別れをして帰宅した。母の時にもだったが、父の時も、葬儀の日が休みである。偶然かもしれないが、せめてもの両親の配慮に違いない。親というのは、どんな時も、如何なることにも、わが子として思ってくれるのだろう。親ほどありがたい者はいない。

 散々、迷った挙句、リエさんにだけ連絡する。とてもびっくりされ、言葉が続かなくて、あっちに飛んだり、こっちに戻ったりと、取り止めがない。混乱している。母の時には立派な生花を戴いたが、今回は夏場でもあり、花が可哀想なので、辞退を伝え詫びる。どうにもけません。花が茹ってしまうのです。

 況してや、喪主は私でないから、兄に手渡せば、その扱いが測られる。紋切り型のお返しなどほしくもない。心からの言葉を伝えられないのは残念だし、不快感が募るだけ。父は、珈琲が好きだったので、これからは丁寧に淹れて、温かいのを持って行ける。そう言うと納得してくれた。お互いに、感情が呼吸し合うので、その声に安心する。

 ありがとう、リエさん。ほんとうは、リエさんの方が、父上さまのことで大変なのに。それに増して、ご自身の体調もあるというのに。ごめんなさいね。でも、うれしかったよ。重ねがさね、ありがとう。また何時か、ゆっくり会えるといいね。この1週間は暑いですが、秋は目の前ですから、何とか凌ぎましょうね。

 りんごの花が見たくて買った苗木。春爛漫に咲いて、実が生った。ピンポン玉くらいの大きさです。食べれるかなぁ?

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暑さを凌ぐ・・・

2011年07月27日 | Weblog

 電力消費に対する節電が、テレビでやかましい。清少納言の所作で言うなら、夏は簾を建て、冬には掲げればいい。古の人の知恵に預かろう。何もTVで教えてもらわなくても、旬の野菜を食べていれば、体は組織や体温が、季節に合った作りになっていく。同時に、何処にでも生えている野草は、毒を出したり、体を冷やす働きがある。

 ドクダミを筆頭に、スギナ、蓬、桑、柿、無花果などの葉は、用途にも依るが、自然に生えているもので、手軽に採取できる物ばかりだ。なかでも枇杷葉は、副作用が少ないのに、薬効は優れており、独特の臭いも殆どない。ドクダミも、冬場の茎根を乾燥して飲めば、甘味さえある。ドクダミの臭いは気になりません。

 冷房に頼り切らない生活に、普段から慣れておくことが大切であろう。 庭がなくても、プランターでの野菜の栽培、或いは、朝顔や鬼灯、風船蔓、アイビーなどは、ほったらかしでも増える。時計草に至っては、熟した実が食べられる。この際、井原西鶴がもてもてになるか。チョイ悪小父さんである。

 胡瓜も、トマトや茄子、南瓜も、花と実が楽しめる。また、蒟蒻は1年中重宝します。安価で毒消し、砂下ろしの役目があります。グルメ食品を食べて病気になるより、粗食に慣れているのがいいのです。何でも食べる、と言いながら、大きい小さい、少ない多い、好きだの嫌いだなど、不平不満ばかりだと、厭きられてしまいます。

 初夏に咲く撫子。これもいろんな種類がある。庭の隅で楚々と咲く。花色は、桃色、白。薄桃がある。

 

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偶然の一致・・・

2011年07月26日 | Weblog

 頭の中では、ちゃんとしようと思っているのに、どういう訳か、妙にずれてしまったり、意外な方向に流れていったりする。何故かは解明できないが、時間の軸が、絡まってしまうのだろう。そういう偶然の悪戯が起こり得ることがある。まあ、取り立てて云うほどのことでもないのだが、確執し続けての、連鎖反応かもしれないが。

 これまでにも多々あった。時間通りに出かけていたら、事故に遭っていたことや、体調不良で、寝込んでいて難を逃れたことが。例えて云うなら、何だか理屈抜きで、誰かが行くなと囁くのである。一度や二度ではない。それ故、胸騒ぎがした時には声に従う。

 眠っていても夢で視る。妙にリアルな内容だったり、誰かに呼ばれたように、その場所に連れて行かれるか、行くなと命じられる。目覚めても、はっきりとした感覚が残っている。水を飲んだ咽喉ごし感。体がぶつかる衝撃感があって、傷みを伴ったりするのだ。

 実に説明し難い。抵抗できない磁場に摑まってしまうこと。或いは、どうしても近づけない。勢い余って撥ね飛ばされる。その反動で、とんでもないアクシデントが起きる。時間軸が曲がる。そういった事態に引き込まれて、地球は生命の危機を覚って、暴走し始めるのだ。

 すくすくと育つ枇杷苗。白茂木なためか、発育がゆっくりしている。5粒植えて発芽はしたが、この1本だけ育っている。

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漆黒の闇へと・・・

2011年07月25日 | Weblog

 銀河の物語。生後3ヶ月、貰い手がつかないことから、明日には捨てられるところだった。思いがけずわが家に来たが、当時は駄犬が2匹住んでおり、怖くてみゃあみゃあ啼くばかりしていた。外に出れば、帰れない。娘の姿を見つけると、猛ダッシュで帰る。そのくせ、ご飯は私にねだる.

 外をうろついて、ダニと蚤を連れ帰る。風呂に入れられ、DDTをぶっかけられて真っ白になった。銀河は、毛並みが漆黒の闇の色でつけたのに、まるで雪塗れか、小麦粉に突っ込んだよう。家族で大笑いである。きょとんしている銀河の体から、蚤がぴょんと跳ねた。慌てて新聞紙を敷いて、毛を梳いてやった。

 銀河を譲り受けたのには、以前の住まいに鼠が出没したからで、毎晩の運動会は記録的。古屋が揺れる始末だった。猫の気配で途端に出なくなった。暫くして引越しを余儀なくしたが、置いて行く訳にはいかない。犬は実家に連れて行った。思案の果て、室内で飼うことにした。時折、散歩に出かけて迷子になる。

 ご飯をやるのは私なのに、眠るのは娘の布団だった。こちらの話す言葉を理解しており、ちゃんと聞き分けていた銀河である。好物は、メロン、ほうれん草、味付けのり、おかき、アイスクリーム、胡瓜。えっ!と、思うような物を食べるのだ。一風変わった銀河で、地震予知能力にも優れていた。

 そういった時には、恐怖のあまり天上まで駆け上がる。そうして、炬燵に潜りこんで出てこない。酷い時などは車酔いしたようになって、ぐったりしてふらふらしていた。その様子で地震の大きさや、国内か外国かがわかった。枇杷葉茶を飲むようになってからが、的中率が増していた。

 今年の4月10日の誕生日に、娘夫婦からプレゼントされた、真新しい首輪に替え、二人の孫からの手紙を胸に、息子と嫁からの毛布に包まって、旅立って逝った銀河。

 

 

 

 

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母を偲ぶ・・・

2011年07月24日 | Weblog

 亡母の困惑が伝わる。兄や妹の身勝手さに、今更ながら驚く。それでも亡くなった人を偲ぶのは、何時、何処ででもできる。お寺に行かねば、供養できないのではない。己の心の中に宿る魂を鎮めるのだ。頭の出来不出来ではないのです。無心に祈ることにあるのだ。

 門前の小僧習わぬ経を読む。と言うが、何遍も繰り返して聴いていれば、厭でも覚える。無心の心が学ばせる。知らず知らずに頭に叩き込む。それに心が加われば、一心に詠むことができるであろう。何事も、月日が必要だが。そうして覚えれば、決して忘れない。

 箸置を作っている。皆で協力しあって、牛乳パックを洗って乾かす。乾燥させる。幅1cmニ裁断する。千代紙を同じ長さに作る。ボンドで裁断した牛乳パックと千代紙を貼り合わす。乾かせて結び目を表が出るように挟み込む。これにニスを塗って出来上がり。

 とは言え、指はボンドでくっつくわ。千代紙が綺麗に貼れないわ。騒々しいこと夥しい。それでも何とかノルマをクリアする。幾つか作れば流れがわかるが、手先と頭とが上手く折り合いません。冷や汗を掻きながら作っている。

 帰宅すれば、花木の水遣り。これは、死活問題ですから、放ってはおけない。況してや物言わぬ相手です。耳を澄ませてみなければ、何も聴こえてはきませんね。枇杷葉の新芽を食べているのはバッタです。次々と齧っている。そりゃ、美味しいわよ。

 我が家の枇杷葉は、無農薬で青々としているし、艶やかな品質で、安心して使えます。枇杷葉の葉も大きく、1枚で充分過ぎるくらいです。品種が違うのだと思っていましたが、強ちそうでもありません。お日さまの照らしてくれるお蔭でしょうか。

 銀河の眠る傍に咲く、ピンクのデルフィニューム。青い色には目を瞠るが、ピンクはやさしい心根を感じる。二人の孫のようです。

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月命日参り・・・

2011年07月23日 | Weblog

 Sさんの毎月の墓参りに、可能な限り通っている。花を持って行っても撓れるので断念し、お菓子にした。Sさんの居る場所は、日当たりもいいし、駐車場からも近い。お供えをして枇杷葉茶を注いだ。隣の墓には、Sさんの義伯母さんも眠る。最も最愛の息子の傍に居るが。そこにも同じように供える。

 墓所の周りに生えている草を抜く。手を合わせてお願い事をした。拳骨で殴られた耳が、どうにも気持ちが悪く、落ち着かないのだ。原因は、よもやという出来事でなった。殴った人を諌めても、或いはどんなに話したところで、これまでの人性で思うようにしてきたのだ。直せるものでもないだろう。

 安易に他人を殴れるものは、人間としての価値がない。腹が立つから、やり場がないからという理由だけで、簡単に暴力が揮える感覚がわからない。理性の欠片も無いものは、畜生にも劣る。人を殺めたり、説明できない憤りだけで、何故簡単にできるのか、理解に苦しむ。いくら後悔をしていると謝っても、奪われた命が還る訳ではない。

 況してや、心に深い傷を負った者には、言葉を幾ら積み重ねて償おうとしても、溝は愚か、ひび割れた箇所は、決して元には戻らない。お金など何になろう。還してくれるなら、時間を元にしてほしい。お互いが出会わなかった頃に。生きるという厳しい現実は、気づけなかったことを、蹈鞴を踏んで思い止まらせているようだ。

 Sさんの墓参りを済ませて帰路、急に耳鳴りが止んだ。とても不思議なことだが、ざわめきが消えたのだ。なんだかふんわりとした、軟らかな手が撫でたようにも思える。頭の痛みもなくなった。きっとお蔭でしょう。これからもできるだけ行ってあげよう。心が休まってほっとします。心のままに行けるのがいい。

 家の中に居ると、とても涼しい。夕方になったので水遣りをする。胡瓜とトマトが元気がない。百日紅とカーネーションが咲いている。ランタナは、暑くないのでなかなか咲かない。朝顔も少しだが咲き始めた。夕顔の蕾も見える。ベゴニアを挿し芽にしたら、全部ついた。色々で群れてきれいです。

 くぅ・・・と、もがいて腕の中で逝った。いつも愛用していた羽根布団に包めてやる。膝に抱き上げると、まるで眠っているようだった。銀河、長い間ありがとう。これからは、外を思い切り翔けれるよ。以来、うれしそうに出入りしている。

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蝉は何処に・・・

2011年07月22日 | Weblog

 鳴いていない。この頃には、ニイニイ蝉からあぶら蝉に代わって、煩いほどに鳴いているのだが、今年は、台風6号の前に、しゃわぁっしゃわわぁの声が、ちょっと聴こえただけだ。可笑しいじゃないか。夏の暑い季節だからこそ、蝉も鳴くというものだ。どうにも淋しい限りです。蜩の、カナカナカナ・・・も、未だ聴こえていない。

 例年の暑さも、なんだか夏らしくない。何処がどうというのでもないが、納得し難い思いが行き交う。日々の生活に追われているが、淋しい想いが通り過ぎる。異様な空気が、満たされているようにも感じる。何処かのちょっとした暴走で、時間の裂け目が生じるかもしれないです。危うい気配に心が凍る。

 我が家は、冷房が設置されていないが、とても涼しい。このところ、その涼しさを飛び越えて寒い。夏でも階段はなく、平屋なのですが。玄関以外は開けて、網戸にしている。その涼しさはまるで、正体不明の同居人がいるみたい。先日は、布団を蹴っ飛ばして寝ていたらしく、体調不良に陥った。

 夏の就寝には、浴衣がいい。どうもパジャマはいかん。昼間も夜間も、腹巻は必須です。これがなくては危険極まる状態になり、勤務どころの騒ぎではない。しかしAさんにいただいた絹の腹巻は絶品です。枇杷葉茶を飲んでいるので、体質改善はできている。暑さや寒さへの変化にも、へこたれることなく対応できている。

 体内の細胞全体が、体質と外気との接点を繋いでおり、微妙に調整を繰り返しているのがわかる。脳波が指令をキャッチしているのだ。何か上手くは説明できないが、夢の中で感じ、受け取っている。これらには、医学的な根拠もなければ、科学的な解明もない。従って、これは枇杷葉の謎の部分でしょうね。

 台風で、袋ごと落たもの。小さな実がついていた。ミニバラと一緒に。

 

 

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