枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

肩凝りとリンパ線・・・

2011年11月30日 | Weblog

 肩凝りが酷くなると、原因はリンパ線が腫れていることが多い。触ってみると明らかに熱がしている。こういった腫れは、極度に揉むと痛みが生じる。軽くやさしく触り、凝りが解れたところで少しづつ力を入れていくのがいい。

 両耳の後ろ、首筋、鎖骨、胸と腕の付け根、腕の内側、手首、指先のツボを、ゆっくりと押していく。強く揉むと痛いだけで不快感が残る。くすぐったいのよりは強く触る。それでも最初は痛みが残る。決して無理強いでなく、指の加減で丁寧に触るのがコツ。

 或いは、枇杷葉温圧療法を、肩と腰に施すのも、一つの方法です。熱いので、肌から蒟蒻を離したり置いたりし、我慢できる熱さになったら、そのまま置いておきます。その後、生の枇杷葉の箇所が、黒くなったら毒が吸い出された証拠です。

 生の枇杷葉の葉が、青い部分がないほど黒くなり、何回か続ける内に、緑のまま残ってくる。就寝時に、靴下を履いて、足裏と靴下の間に、枇杷葉を入れて眠っても同じように、黒くなります。とても不思議ですが本当です。

 枇杷葉と蒟蒻の相乗効果は、既に述べたが、ここまで凄いとは。暗に、民間治療法と侮れない。実に驚くべき真実で、特筆すべきことだ。病気の症状が、個々にあるなら、その対応の仕方も多様性があるのだ。大薬王樹と呼ばれる所以だ。

 満月と木星。燦然と輝く、セレネとジュピター。宇宙のなんと、冴え渡るかな。

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穏やかな日に・・・

2011年11月29日 | Weblog

 小春日和が続き、少しばかりの曇りはあるものの、なんと穏やかな日であることか。父や母が元気で居たなら、焚き物をしたり、スクモを焼いたりしていたであろうことが、思い出される。父は鋸の目立てに精を出す。縁側で日向ぼっこの作業である。

 母は、畑の側の山で、枯れ木を拾ったり、野菜物の手入れをしたりで、曲がった腰を、どっこいしょと伸ばして、抜けるような空を見上げていた。古里に父と母になってからは、細々と暮していたのが偲ばれる。

 脱原発を公に言い始めて、もんじゅの廃炉を検討することや、19基の継続の危機がつたえられるに及んで、今度は発展途上国に輸出である。何と愚かしいことだろう。原発が危険なのはわかったことなのだ。況してや同じ地球上なのです。

 もんじゅや、ふげんの名前をつけたことを恥じるのは、仏に仕える身だけではない。畏れ多い水戸黄門よりも、遙かに罰当たりである。人間がしてはならない行いは、神仏の領域なのだから。科学を未来のシンボルにするなら、踏み込むべきではなかった。

 小さな身近な幸せを感謝し、生かされていることの有難みを祈る。その日暮であっても、この一瞬を大切にしたい。勤務できる場所があり、仕事をさせてもらえることや、少ない友人や知人であっても、かけがえのない人であることには変わりない。

 リエさんやサンタさんは、私にとって大きな存在。りささんも今の努力が花開くでしょう。拘わりの発端は些細なことですが、枇杷葉でシールドが張られて、小さな宇宙を醸している。何という歓びであろうか。イタリアに永住のあきさんには、第二子が誕生された。

 Aさんのところには、初孫が誕生して早や7ヶ月である。月日は過ぎる。時間も止められない。周りゆく渦の中で、天空より眺めていると、時は停止したようでもある。日々、過ぎ行く中での瞑想には、御仏の心がおわします。

 某新聞の、昔懐かしい味で、送ってもらった紅玉の林檎。味はいいのだが、欲を言えば、もう少し固めがいいなぁ。品種が違ったのかな?

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誤違わず・・・

2011年11月28日 | Weblog

 とても不思議なことに、枇杷葉で自分だけに。と願うのなら、その災いは自分に還る。況してや、その根本を履き違えると、更に命を落とすこととなる。言霊が、相手に言ったつもりでも、必ずぐるりっと周って、己に還ってくるのと同じです。

 己の立場をよくしようとすることは、鴉が孔雀にはなれないのと一緒で、必ず破滅するのだ。遅いか、早いかの違いだけで、怪我をしたり、病気を抱え込んだりする。それでも、そのことにさえ気づかない。運が悪かったと思うだけだ。

 昔は、お天道様が見ている。と、畏れもしたし、改心もした。今は、科学の力で解明できないことはない。と驕っている。愚かな顛末で、反省の気持ちもない。他人を悪しざまに言い、罵り、戒めを聴かない。年を重ねるほど、性質が悪い。

 だが、其々に生きてきた長い時間には、今更にどうにもならない、影が大きく広がる。光と闇は同等で、輝かしい光こそ、悪の心を孕む。反対に、小さく微かな光なら、闇の入り込む隙はない。宇宙のなんと美しいことか。

 人類は知的な生き物と言うが、神の失敗作も存在しよう。この世に、正しいことはあり得ず、間違っていることこそ、真実なのかもしれない。神がよろめくと、メンテナンスの故障に繋がってしまう。大きければ、その衝撃は止められないのだ。

 晩秋には降霜があるので、室内に取り入れた鉢物。たいへん!お客さまが座れない。部屋中に鉢が並ぶ。

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変わっているのか?

2011年11月27日 | Weblog

 大根、人参、玉葱、じゃが芋等、野菜の皮を剥いて捨てる?ええっ!何で捨てるの、もったいない。大根や人参は、塩をしておけば一夜漬けになる。玉葱やじゃが芋は、スープになる。ごみにして出せば、ただでは持って行ってはくれぬ。最期まで使って、庭の花壇に堆肥で入れよう。

 納豆の入れ物も、そんまま土に被せておくと、微生物が活躍する。納豆菌はとてもいいのだ。しかも中味を食べて後もいいとは。納豆は、食べず嫌いである。息子の家族に食してもらい、その後を持って来て置く。何をするのも土が大事です。

 ピーマンも、中味の種がいいらしい。しかし、種は捨てる。人間は、自然の法則に反する、食べ方をしていることが多い。現代農業の特集を読み、以来活用している。ちょっとした工夫をすれば、地球は潤っていく。ああ、もったいない。密やかにつぶやきつつ。

 そういった食生活を始めて、体調がいい。確かに、栄養的には問題があるやも知れぬが、病気になって医者に行くよりはいい。栄養満点の体より、足らない物を補える方が、吸収率はいいので、免疫や抗体も、増えたり、変化がみられる。

 質素堅実な生活でいれば、どんな小さなことにも感謝ができる。或いは、旬の季節がわかるだろう。風の匂いに、雲の流れに、虫の動きに、月の満ち欠けに耳や眼を向け、心を磨こう。生かされていることに感謝する。

 次第に天頂に上がっていく木星です。撮影当時は、30度くらいの傾きで観えていた。東天に煌く。一目でこの輝きはわかります。

 

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枇杷葉の花

2011年11月26日 | Weblog

 朝夕の冷え込みが増してきた。夜空の輝きが冴える。圧倒的な木星の煌きに、天の川を挟んでの夏の大三角。その眺めの素晴らしさには、ため息が出る。時間も忘れての観覧に、ふと漂う香しい匂い。枇杷葉の花だ。薄茶色の苞を破って、白い五枚の花弁が開く。

 枝の中央に固まって咲く。ビロードの花弁に、蜜蜂が集まっている。忙しく羽を動かせて蜜を吸う。交わす言葉も楽しげだ。蛙は、冬眠しているのか、葉の上で動かない。突くと目だけを微かにぎょろつかせる。螳螂の生き残ったオスが、葉裏に止まっていた。

 小さな生き物たちは、枇杷葉の花の匂いを知っているんだ。癒しの香りを満喫しているのだろう。そう言えば、生前の銀河が、この時期には、どういう訳か外に出たがった。枇杷葉に頭を、体をこすり付けていた。教えなくても、本能でわかっていたのだ。

 今年は、枇杷葉の苞が、西側や南の側のにもついた。長崎茂木には、昨年同様、たくさんの花芽である。年を追う毎に、花芽がつき、庭中に匂いが充満する。毎年この月を待ちつつ居るのも確か。ほんとうに心華やぐ。来月には満開になって、その芳香に心を奪われる。

 枇杷苗を移植していたら、根を切られていた。芋虫か夜盗虫であろう。ナメクジは、枇杷葉茶が好きなことを発見する。銀河に、毎朝お茶湯を供えるに、わらわらと寄って来る。ゴキブリには効かないか?職場でゴキブリが出たら、何故か私を呼ぶ。叫ばず捕れば・・・

 秋に咲いた、我が家の薔薇。ちょっと花の彩が深いように見えるが。

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己を知る・・・

2011年11月24日 | Weblog

 仕事をするのに、何がうっとうしいか?掃除ができていないことに閉口する。掃除は、わからないようにするのがコツだ。汚れきってすると、これは当然誰にもわかる。或いは、同じするにも力のかけ方がある。従って掃除のやり方で、見違えるようになる。

 トイレに神さまが居る、というのも然りである。神さまは、その人の心の在りようにおられるのであって、都合よくトイレに居る訳ではない。物事の基本であるだろう。老廃物は、最終的に体から出てくれなければならず、どこかに排泄しなければ死ぬ。

 従って、其処を綺麗にし、誰が使っても気持ちよく過せればいい。特に、自分自身が快適に使いたい。本音を言えば誰のためでもなく、己の為に掃除をする。我が家でなら、適当にしておけばいいが、勤務先ではそうもいかぬ。何時如何なる時に、来客があるやもしれぬ。

 忙しいからというのは、通らない。玄関とエントランスは、そこの顔であるから、きちんとしておくことが大事。汚れは、直ぐに拭き取り、不潔感を残さないこと。各自が気をつけている。安全と安心と居心地のいい場所の提供に取り組んでいる。

 こういったことは、一人ではできない。職場の雰囲気作りは上司だが、この暗黙の了解がポイントになる。介護の仕事だけでは成り立たないのも現実。私のような、随分と勝手な部下を、心苦しいほどに誉めてくれる。ありがたく更に、掃除に励んでいる。あ・勤務です。

 神無月も終り、神さまがお戻りです。明日からは霜月。風が随分と冷たくなり、ストーブを点けた。焼き芋を作って、持って行く。皆にとても美味しいと喜んでもらう。お八つには、ふかし芋をした。シンプルですが、好評なのです。塩で甘味が増す。

 いつの間にか、シクラメンの種ができて落ち、発芽していた。たくさん芽が出ていた。

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アミグダリンを含む・・・

2011年11月23日 | Weblog

 アミグダリンは、枇杷はもちろんだが、杏や梅にも含まれる。特に、青梅には気をつけよう。但し青梅でも、入梅前の物に多く含まれる。梅ジュースを作るのも、そういったことを知っているのと、いないのとでは危険回避の考えも思い浮かばない。

 だが、このアミグダリンが悪いのではなく、青酸配糖体が含まれていて、これを食べることに依って生じる『青酸』が、中毒症状を引き起こす。体内には、微生物がおり、青梅には酵素がある。消化されるから、必然的に起こる作用なのだ。

 中毒症状も、軽いものから重い状態になることもあり、主に、腹痛、下痢、呼吸困難に陥る。これは、熟した梅でも、熟れた枇杷の実でも同じで、実の中の核に『仁』があるためです。微量ですが青酸が含まれています。

 同時に、このアミグダリンが、がん細胞を食べているのも事実。膜を作って囲い込み、バリアーで体を守り、再生してくれるのだが、実際には見たことはありません。すい臓癌の手術をした人から聴きました。摘出したら、とても綺麗なピンク色をしていたそうです。

 枇杷葉にも含まれていますが、花芽や種には、その何十倍ものアミグダリンが含まれています。毎日、適量をきちんと飲んでいれば、がん細胞も動けない。これを怠ると、隙ができてじわじわと活発になっていき、手遅れになるのです。

 癌は、誰でもが体に持っているのですが、うまく付き合っていけば、それなりに過せます。極端に放射能を浴びると、体の免疫も抗体も瞬時に壊れてしまいます。そうすると細胞がつくれなくなる。どんなに枇杷葉を飲んでも、吸収されないのです。

 チェルノブイリなどではなく、広島と長崎での原爆が、何十年も経っても尊い命を奪っていっている。その教訓を生かすこともなく、原発を造り続けてきた国の責任は重いと云えます。また、国民も騙されてはきましたが、事実を知ろうとしなかった。

 原発は、無駄遣いの象徴です。何十億という大金をつぎ込み、捨ててきました。そのつけは国民に委ねられ、年金や消費税に姿を変えて、押し迫ってくるのです。東電を始めとする、電力会社は、謂わば、殺人兵器を造り続けているのです。

 長崎茂木枇杷葉の全景。結構枝が込み入っています。実が生りだして5年目です。

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枇杷葉の花匂う・・・

2011年11月22日 | Weblog

 今朝は穏やかな小春日和。起きようと思いつつ、湯たんぽの温かさに、つい寝てしまった。足元が温かいと安眠できるのですね。前回の休みには雨であったし、孫たちの学習発表会であったから、布団は干せなかった。カーテンを開け、庭に布団を並べて干した。

 枇杷葉の花芽があちこち咲き出していて、香を密やかに焚いているような匂いに包まれる。とても心地よい。然し、じっとしていると寒さが這い上がってくる。窓の際でなら、ポカポカと暖かいのだが、気温はすっかり冬なのだ。暖房器具は湯たんぽのみ。

 セーターを出して着込む。薄着をしていたが、動いていないと寒いのだ。勤務先では暖房があるので、薄着でないと暑い。この温度差が風邪の元だ。基本的に、嗽と手洗いをすれば、酷くはならないと思うが。梅ジュースも効いたらしい。鉈豆も山女も、きらん草も効く。

 枇杷葉茶を飲んでいると、認知症になり難いのではないか。科学的なことも、医学的な根拠もないが、薬の用途に伺える。記憶力もよくなるし、物事を取り違えることもない。但し、何時頃から飲んでいればいいのかは不明。また、個人差も大いにあろう。

 裏の家に引っ越して来たのは、赤ん坊を含む小さな子たちで、天気がよいと表に出てくる。もっともなことなのだが、母親ががなりたてる。そりゃ、無理でしょうが。家の中でじっとしていたら病気です。おしゃまさんとやんたれ坊では、隙を狙っては出てくるのだ。

 ライラックの木が、大きく生り過ぎていたため伐ったら、少し元気が出たような白枇杷の苗。本来は7年も経っているのだが、一向に育ってくれなかった。どうかなぁ・・・。

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北風の吹く・・・

2011年11月21日 | Weblog

 どんな正直者も、大金を拾ったならば、端数かもしくは1枚程度、くすねはしないのか?まあ尤も、落ちている確率は低いし、お天道様の光が眩しい金ではなかろうか。時々、花さか爺さんを思うが、ポチは借りれない。例えまっとうなお金であっても、自分家のポストに入っていれば仰天するだろう。

 昔ならともかくも、今日日の金の値打ちは如何なものか。百円札のあった頃が懐かしい。当然、物の価値が異なってもいた。貧乏は、決して恥ではなかった。けれども、隣近所が助け合い暮す、心の繋がりがあったようにも思うが。明日の天気を心配しても、放射能を不安に思うことはなかった。

 寒さが訪れるに従って、風も強く吹くであろう。福島第一原発の状況が、このまま持ち堪えてくれればいいが、建屋がそっくり消失する訳ではない。異次元空間に移し変えられることはないのだ。放射能の危険が回避されもしない。神の扉が開かれ、降伏の時を迎えたのかもしれない。あの震源地は、神の最初に降り立った場所だ。

 勤務を終え、研修に参加しての、駐車場までの距離に、枇杷葉の木がある。闇になってはいても、あの芳香は間違うことがない。しかし誰も気づかない。昼間でもわからないものが、夜半に知る由もない。そう思うと、心が少しくときめくようだ。自然の恵み、季節の移ろいを、神に感謝して祈る。

 東の枇杷葉を夏に伐ったら、秋口になって芽ぶいてきた。凄まじい生命力だ。これらが人体に影響するエネルギアには、どんな再生力が隠されているのだろう。

 

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宇宙の散歩

2011年11月20日 | Weblog

 目印は、東天に輝く木星。そこから北に目を移すと、ペガサスの平行四辺形があり、アンドロメダ星雲が渦を巻く。その斜め下には、ペルセイウスがメデウスの首を掲げ、上には逆さまのカシオペアが、エチオピア国王ケフェウスは、その後ろで肩身が狭そうだ。

 そこから北天へと目をやれば、大熊小熊が下を見下ろす。更に西に周れば、夏の大三角がその名残を留める。南には、蠍が姿を消したので、オリオンが様子を伺っている。プレアデスもヒアデスも、その輝きを観せはじめている。大雑把だが、めぼしい星座だけでいい。

 放射能が目に見えないので、野外観測は無理な所もあるでしょう。でも一度でも夜空を見上げていたならば、あの星の輝きは、眼を瞑っていても観えるというもの。自分だけの宇宙へならば、何時如何なる時にも往けるのです。神々の物語の始まりです。

 我が家の庭からでも、おおよその見当で見上げるのは、カシオペア座が分かり易い。そこから東と西へと見渡すのです。時々、流れ星が観える。思いもかけない流星痕だと、知らずため息が漏れます。専門的な知識がなくても、科学的な解明ができなくてもいいのです。

 宇宙を見上げて、美しいと感じられ、心をときめかせ、自然のもたらす育みを、体中で受け取れれば、生きていられる幸せに繋がるでしょう。大切なことは何か、希望が灯れば、きっと独りではないと気づくでしょう。宇宙では、命が生まれ還っていく。

 このところ、肩凝りが取れないので、枇杷葉温圧療法でてあてした。肩が軽くなった。背中も痛みが取れた。やはり温めるのがいいようだ。枇杷葉が何枚も真っ黒になった。ありがたい。どこかに出かけてまでの治療だと億劫である。家ででき、蒟蒻なので安価です。

 先月の枇杷葉の中心。枝にたくさんの苞が見えてきた。4年目から実がなり出した、長崎茂木です。

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