枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

不安を煽る・・・

2012年05月31日 | Weblog

 爽やかな風が通り抜ける。冷房をつけなくても、自然の風の速度が、体に合っている。そういった風が、建物の中を縦横に行くには、建て方があるし、材料もあるだろう。早くて簡単な建て方では、機械に頼らざるを得ない。

 大飯原発が、再稼動する。というニュースに仰天した。福島の人々を、蔑ろにする行為ではないか。原発の燃料になるウランが、プルトニウムを吐き出し、放射能を残して、処理できないから停めたのに。何という愚かなことに突き進んで行くのか。

 災害は、何時の時代にも起きているが、禍が生じた時点の暮し方に問題がある。放射能が消える物なら構わない。消えるどころか、気の遠くなる歳月を経る。知って要る者など皆無な時代に行き着く。果たしてそれまで、地球という惑星が無事であるのか?

 朝、勤務に付く前に、掃除をしたいのだが、思うに任せれない。然し、今日はどうあってもしなければならない。雑巾掛けもしよう。ソファの後ろも動かそう。洗面台も磨こう。合間、合間にしかできなかったが、さっぱりした。

 この心地よい空間を、何故維持していかないのだろう?皆で共有するのだ。何が何処にあるのか、使ったら元に戻そう。私物でない限り、丁寧に扱う。形ある物は壊れる。だが、注意は必要。口を閉じて、業務の遂行に心がけよう。

 夕刻の宇宙には、雲が多くかかっており、月の姿が垣間見えた。来月になる満月の、部分月食は、観えるか怪しい。月が欠けて上がってくるが、上手くいけば観える。金星は、内合に向けているので、地平線すれすれにあり観えません。

 金星が太陽面を通過するのは、内合になるからです。従って、この日以後は、明け方の東天に輝きます。7月には最大光度になり、昼間の宇宙でも観えます。地震や津波が、どういうメカニズムで起こるのか、理論的にはわかりませんが、原発が作動していると厄介です。

 シャッターチャンスが決まった。花の色も画面も、上手くいきました。

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ドクダミの花咲く

2012年05月30日 | Weblog

 そろそろかな、と思っていたら、開花した。白い可憐な花が、緑の葉の間から覗く。1本づつ丁寧に摘み、箱に詰めた。Aさんが、我が家のドクダミは、赤い軸で美味しいと言われるので、せっせと抜いている。冬の分も合わせると、かなりな量だ。

 ドクダミの臭いはするが、我が家の場合は、枇杷葉茶を飲んだ後の葉を、堆肥として土に戻しているので、それ程は臭わない。ベトナムの人は、これに具を載せて食べるそうだ。毒だしなので理に適っている。でも、ベトナムには、ドクダミがないの?

 入梅が近い。今年も梅を漬けよう。無論、ジュースにする。これを作って飲みだしてから、風邪の引き始めや、体調不良の時に、実によく効く。エキスの酸味が、頃合いなので、体が熱っぽいのに効果があるのだろう。サイダーや湯割りもいいが、ストレートが佳い。

 桑の実が赤くなってきた。これが紫になったら食べれる。蚕を飼っていた頃のとは、大きさも食用になって、実が5倍近く大きい。味も甘い。野生の物とは、形も大きさも違う。尤も、蚕には硬いごわごわの葉は食べれまい。

 芍薬を活けていたら、しな垂れてしまった。薔薇もだ。もったいないので、花弁を湯舟に浮かべよう。ちょっと優雅な気分に浸れる。庭に出ていると、しなくてはならないことが多い。水も充分に遣っておく。このところ天気なので、少しの雨ではぐったりなのだ。

 薔薇の挿し木をする。今日は日がいいのだ。夕顔の苗の移植もした。サルビアが芽を出してきたので、夕顔を動かさないと、大きくならない。空いた鉢があったので移す。クリスマスローズの苗も移植した。ミニバラが、小さな蕾をつけている。

 出窓の観葉植物。寒い間、じっと我慢していた。夏場には、窓を開け、水遣りを欠かさずに育てる。本箱には、大好きな作者の本が並ぶ。

 

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行なうは難し・・・

2012年05月29日 | Weblog

 Aさんの訴えは、臀部の筋が引きつる。というものだが、枇杷葉パワーを入れているのに、何やらおかしい。話を聴いて気づいた。枇杷風呂に入ってないのだ。体の髄が冷えているのに、どんなにパワーを入れても、通じない筈だ。

 今晩から入れて入浴される由。体というのは、レントゲンでも見えないことがあり、人体の不思議は謎が多い。況してや、地球の表面のことすら満足でないのが、地下のことも、宇宙のことさえも見当がつかぬのは当然でもある。

 だが、知ろうとすることには、知識を詰め込むばかりでなく、物事の由来や、その意味をも、考えることが大切と思える。旧暦を知っていれば、季節の到来がよくわかるのも一因。何故古来の人々は、そうしてきたのだろう?一考がある。

 枇杷葉は、お茶で飲む。焼酎に漬ける。塩漬けにする。これらの効力には、個人差を含む。また薬効にも多岐に広がり、内臓の働きから精神的なものまで幅がある。そして何より、副作用が少ないのも好ましい。言い換えれば、体内の毒素の出方が違うのだ。

 また、他の漢方との汎用ができ、処方によっては更なる効き目を現す。肝心なのは、焦らず諦めず、じっくりと付き合うことで、途中で投げ出したり、過信しすぎないことだ。そして、祖先を敬い、命のありがたさを感謝することに尽きる。

 親が子を思う心。子が親を敬う気持ち。その周りには、兄妹や親戚が居、加えて地域や職場がある。人間は、一人で産まれては来るが、ひとりでは生きられない。然し、死に逝くのはこれまた一人である。それらもまた、ご先祖さまが居ればこそ。

 月。14日めです。かぐや姫の想いも、明日は還ることになるので、半ばうれし泣き?十五夜が繰り返される度、複雑な心境に陥る。

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一段落・・・顛末

2012年05月28日 | Weblog

 エアコンのフィルターの掃除、脱衣所の換気扇やら、網戸等の掃除が済む。ほっと一息したが、まだ全部が終了した訳ではない。暮らしの中でも、掃除は必須なのだが、入れ替わり立ち代り、誰かが使用するし、その合間を縫ってだと、気づけば元の木阿弥。

 然し、めげない。しょげないで日々遂行している。決して本来の仕事を、忘れているのではない。単純に汚れた室内での生活をさせたくない。清潔感に加えて、ゆったりとした時間を過ごして欲しい。そのためには、掃除に邁進してしまう。

 トイレの神さまは、心の中に居るのだと思う。自分も含めて、綺麗なところでしたい筈。でも、汚れることや、汚いことはしたくない。いえいえ、汚いからこそ、ピカピカに磨くのだ。そこに入って気分好く済ませたいためだ。公衆便所に、無性に意欲が湧くが、何とか我慢する。

 我が家のトイレは、汚さないようにし、汚れは速拭き取るか、掃除をする。後でしようとすると、絶対に大儀になる。ま、いっか。では、綺麗にはならない。塵も積もれば山となる。と言うが、嫌な事ほど早めに片付けよう。

 仮に、何処かの家にお邪魔して、私が最初に見るところは、何処であろうか。そこを見れば、付け焼刃の掃除か、いつも丁寧にされているかが直ぐにわかるのだ。意地悪と取られても、その人の性格までわかる。まあ、二度とお邪魔には行かないが。

 服装でも、性格が出ていて、誰の持ち物かわかる。趣味の佳い人は、デザインはシンプルな物を好み、服を纏う。取ってつけたような、服に着せてもらうことはない。無論姿勢も好い。そういった女優さんを見ると惚れ惚れとする。

 宮部みゆき4週連続物語が終わる。『レベル7』は、かなり内容の変更があった。尤も、原題だと時代の古さがあるし、そこまでを演じれる俳優も居ないだろう。特に、若手の中には大根が多い。可愛い、綺麗だけでは、演技はできない。

 庭のクリスマスローズの苗。種が落ちて発芽したもの。さて、何年後に花が咲くかな。

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言葉の意味には・・・

2012年05月27日 | Weblog

 気になる言葉には、個々の思いがあったりするが、季節感を現すのに、皐月晴れ。というのがある。この皐月の季節は、旧暦でのことで、梅雨時の雨に、たまの晴れ間のことを指す。従って、皐月晴れ。と云うのだ。今月の21日から来月の20日までは卯月です。

 知らないで使っているのは仕方ないが、教えてもらったら、直そうとは思わぬのか。或いは、スマホででも検索するとか。知ったように言ったり、言葉として書くのは、どちらかと言えば恥ずかしい。聞くのは一時の恥、聴かぬは末代の恥。と言うが。

 仕事をする上でも、言われたことは、自分の頭で考えて、その後話さなければ、絶えずいらないことと混同して、私語が多くなる。また些細なことで、度々の電話となる。機械を使うのではなく、使われるか、振り回されている結果だ。

 家庭的な雰囲気だが、食事の用意も、様々な見守りも大切なこと。況してや、掃除は生活の基本である。埃の、ゴミのある部屋で、寝起きをされているのは耐えられない。整理整頓のできた、こざっぱりした場所の提供がしたいもの。 

 帰宅して、洗濯機を回しながら、水遣りをする。これからは水が切らせない。お腹がぐぅ~と鳴る。早出だったのをすっかり忘れていた。朝、作っていたおむすびを食べる。新聞を読み、温かな珈琲を飲む。福島第一原発の事故で、凄まじい勢いで曲がった建屋に声を失う。

 ドクダミの花が咲き始めた。防臭効果もあるので、先日来飲んでいる。胃炎にもいいかな?歯磨き粉を鉈豆入り、に変える。口臭もあるが、歯槽膿漏に効果有り。種を植えたが、やっと芽が出始めた。夜盗虫が出没だ。

 弥生。市内まで出かけた時、中心を流れる川面を、花弁が流れて行った。

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風薫る頃・・・

2012年05月26日 | Weblog

 金環日食で列島が大騒ぎをした日は、旧暦の卯月。爽やかな初夏の風に、心地よいことといったら、1年中で一番季節の素晴しい時だ。山裾には、野茨と卯都木が咲き乱れ、まるで白い滝のよう。それが薫る風に揺れて、白い龍のようにくねるのだ。

 朝の通勤途上、空気のおいしさを堪能。それでも、一昔前とはえらい違いだが、そこは環境的な配慮もあって、車がないと仕事に行けない。徒歩で行くという手もあるが、夏中は水遣りがあるので、体力的に参る。

 かといって、水道を出しっぱなしにはできない。資源の無駄使いであろう。風呂の残り湯が足らない場合に決めている。早朝は曇っていたが、昼近くなって晴れてきた。布団を干す。庭の枇杷葉を見ていると、新芽の中心が萎れている。

 バッタの数ミリの大きさのが飛んでいる。庭中の葉を食っている。毛虫もいた。蛙は枇杷葉に包まって動かない。ひんやりとして、さぞや気持ちがいいのだろう。冬の間と、春中は、室内に入れていたベゴニアやプライダルベールを、縁側と枇杷葉の枝に吊るしている。

 ランタナが室内で花を咲かせた。ドクダミがそろそろ咲き始めた。芍薬もゆっくりとであるが、咲いている。昨年は、蕾のままであった白が、今年は膨らんで咲いている。朝夕の温暖の差が大きくないと、花の色が悪いそうだ。

 夕顔の芽がたくさん出た。サルビアも見える。千日紅はどこだろう?鉈豆も発芽しそう。枯れる物があれば、根付き発芽もする。自然界の掟には、人間には何一つとして添ってはいないのだ。人間の思いあがり、勘違いを正さなければ、地球には永遠は在り得ない。

 火星。赤い星で、戦いの女神の異名がある。蠍のアンタレスと共に、燃えるような気分の高鳴りを覚える。

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雨に安らぐ・・・

2012年05月25日 | Weblog

 雨です。今回は、お天気が続いたせいか、雨粒にほっとする。静かな雨音で、降り足りない気も否めないが、それでも天水に感謝する。水道の蛇口からではこうはいかぬ。花々にも精気が戻ってほっとしたところ。自然の恵みは素晴しい。

 仕事に出かける前に、芍薬の緋色を切る。水揚げをして花瓶に挿す。昨夕、近所のガキンチョ、駐車場に車が停めてあるにも関わらず、通り抜けて行った。然も、その芍薬がやっと咲いたというのに。気が散ってしまう。出窓に飾る。

 釣鐘草の、種が落ちて発芽したのが、咲いている。何分の一の確立かは知らぬが、自然発芽するのは、至って珍しい。枇杷葉の活性力は、いろんなところでパワーを発揮する。お茶で飲んだ後を、土に還しているのが効いたものか。

 テレビで、生活保護を不正受給していたと、お笑い芸人が槍玉に挙げられている。本業で落ちを取らず、甘えで落ちを取るとは。特別に、恥ずかしいことでも、悪いことをした訳でもない。けれども考えれば、倹しい生活に慣れての暮らしはできなかったか。

 色々な理由があるだろうが、健康で居られる幸せ。或いは、病気にならないよう気をつけること。自然に逆らわず、あるがままに生きること。その日を精一杯過ごすこと。その根本に、枇杷葉がある。加えて、蒟蒻があるのね。

 日々の暮らしを、生きていられることを感謝し、自分だけでなく、誰かの支えになれたり、また援けてもらったりできれば、輪廻転生でこの世は周る。Aさんのてあてをしながら、体の中から、活性化されてきたことが、無性にうれしい。

 新月から上弦に、上弦から満月に、満月から下弦に。下弦から無月になる。あらゆるものの命の源でもある。

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白い花に・・・

2012年05月24日 | Weblog

 白い芥子の花は、モルヒネになるそうですね。ドクダミも白い花が咲く。小手毬、芍薬、梅、梔子、金魚草、夕顔、桔梗、枇杷葉も白い花だ。眩しいくらいに真白な色で、不思議な神秘さがある。毒にもなるが薬にもなる。

 夏の日中の電気代が、2倍になるとかで、せっせと換気扇のフィルターの掃除と、残りの窓、網戸の汚れを取る。もの凄い埃です。ここの掃除を小まめにしないと、電気代は嵩む。挙句に暖かくもならないし、涼しくもない。

 それでも、人数の多い時でないと、動きがとれない。しかも短時間での作業でないと、他の人に迷惑がかかる。冷房を入れるまでに少しづつやるしかない。自分から言い出したことだし、最後までやらなくてはと一人ごちる。

 トイレの窓と、高い場所の換気扇、冷房のフィルターは脚立がいる。明日は雨だというので、室内の作業にしようか。雑巾を片手に奔走する。小綺麗な生活空間を提供し、落ち着いた雰囲気と、ゆったりできる時間の共有をしたいもの。

 帰宅して、庭の水遣りをする。芍薬の白と、緋色が咲いていた。薔薇は蕾をそのままにしているので、真紅の花がたくさん咲いて、まるで太陽を閉じ込めているよう。バラ園には、白色で緑のかかった種類があった。挿し木で増えないか?

 銀河が亡くなって、そろそろ1周忌が来る。その前に、白い猫が迷い込んで来たが、もしや実家のシロではなかったか。寒い北風の吹く日に虫の息で倒れていた。援けを求めて、か細く啼く声は、もののあわれを誘った。朝起きたら冷たくなっていた。

 実家が無人になって、見知らぬ場所に連れて行かれ、檻に入れられていたそうだ。辛抱強く待っていて、隙を見て逃げ出したらしい。やっとの想いで我が家にきたのに、援けてやることができなかった。今は、銀河と宇宙で戯れているかな。

 ヒアシンス。これも色々あるが、白い花が好き。

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三日月と金星

2012年05月23日 | Weblog

 おおっ!宇宙にかかる、三日月と金星。絶妙のコントラスト、と勤務を終えて出た。あちゃ、携帯がない。わ・忘れて来たんだぁ・・・。今日を逃すと、明けの明星になってしまう。車を吹っ飛ばして帰宅。携帯は、台所のテーブルにあった。

 携帯を引っつかんで、猛ダッシュする。山の際まで行けば観えるのだ。シャッターを何度も切って撮影した。美しい三日月と金星の輝きが見事。ため息が出ました。自然を、地球に棲まうことを、感謝して祈る。帰り道、小さな光が飛んできた。蛍!ラッキー!!

 自然への感謝も、祈りも、神に捧げるもの。生きていられることを、真実ありがたく思う。未来を予測できなくても、ありのままに生かされていることの、何と幸せなことか。枇杷葉のパワーをもらいながら、この素晴しい一瞬を感じている。

 5月21日から、旧暦では卯月です。夏です。田植が始まり、緑が薫る、若葉が繁り、風の波に揺られて踊る。祖母と野いちごを取り食べた、あの甘い懐かしい味には出遭えまい。苗代いちご、戸も言い、赤い実と黄色の実があった。

 古里の山に、田畑に、たくさんの私が見え隠れする。祖母が、父や母が居て、自由奔放に遊ぶことができた。今は、どろんこ遊びも、物を作ることも、何処かの施設に行ってする。大人の造った建物の中でさせられる。

 ブランコを作って。と強請る孫に、祖母は足場の笹を刈って、太い木の幹に縄をかけ、板を渡して作ってくれた。藪蚊に刺されるのも構わず、一人悦に入って漕いでいた。祖母の作ってくれたブランコは、私に合わせてあったので、とても乗り易かった。

 最大光度ー4.5等星。この素晴しい輝きは、まさにビィーナスです。木星ー2.1等星。今は観えません。宇宙の姿は、日々変化があって、見応えがあります。

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バラ園へ・・・

2012年05月22日 | Weblog

 友人と近くの薔薇園に行く。まだ始まったばかりなので、蕾が多い。温室咲きではないので、とても匂いが強い。従って侵入者がちらほらといる。管理している小父さんに、捕まえたカナブンを渡すと、おったか!と喜んで採集箱に入れる。

 えっ?薔薇を見に来たのではなかったのか。と、言いつつも、またもや見つける。天道虫だ。これは七星天道ではないので、花弁を齧る。小父さんはにっこりする。なんだかんだと数匹捕まえる。友人が呆れたので、帰ることに。出口で玉葱1袋¥100を、買い求める。

 駐車場が離れているので、てくてく歩く。川に黄色い花が咲いている。黄菖蒲だと、友人の賜う。古里の変わりようを嘆いていたら、若いお兄さんが足を止めて、珍しくもない川を見て、花の名を尋ねてくる。ここで薀蓄を垂れたのが拙かった。

 あ・リエさん。編集された原発の本、紹介しておきました。東隣の県の方ですが、軽トラでお越しでした。無農薬や、自然栽培を話したら、今の子どもを取り巻く、環境の難しさを言われて、昔の不便さを生活に生かす橋渡しに、燃えているようでした。

 その方には、またお逢いできるような気がします。ここを覗いてください。と教えましたら、何だかメモを取っていたようです。お若いのに感心です。福島正信さん、木村秋則さんのことも話しましたが、百姓は侮れません。

 自然を知ること、旧暦を使うことも、是非学んでほしいです。百姓には、旧暦を用いての暮らしでないと、作物の出来が違ってくるからです。自然をいい加減に考えていると、そのしっぺ返しは、とても大きなつけで還ってきます。

 昨日の金環日食も、裸眼で観たり、ゴミ袋を代用したりで観た人も居て、仰天した。まあ、私の眼ではないからいいが。ちょっとだから、とか。日食めがねを買うほどでもない。という人だ。何せ、その日のためにだけは、莫迦らしいと言う件。

 咲いた。咲いた、チューリップ。親指姫は何処かな?

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