枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

行く年に・・・

2013年12月31日 | Weblog

 今朝は、氷が張ってはいなかったが、濃霧に閉じ込められた。風もなく、穏やかな日でもある。この一年を振り返る時、自分のしたことは必ず、還ってくることに気づく。父母の、ご先祖の眠る墓に参り、掃除ができたことは、気持ちの安らぎを与えてもらった。

 息子の家族も、文句も言わずに付いて来てくれた。ありがたいことである。同居していても、離れていても、同じするなら気持ちよくしたい。その場限りのお世辞を言うのではなく、相手の歩調に合わせること。何時もながら、嫁は息子よりもありがたい存在。

 枇杷葉の四季にも想いがいく。自然からの恩恵を、たくさんもらっていることも、エネルギーを与えてもらえることも感謝。庭に咲く、四季折々の花々にも、どれだけ元気づけられているか。神のされるがままに、生かされていることへの想いを祈る。抗えない。

 この一年で、うれしかったことは、介護福祉士の資格が取れたこと。本も読みたいし、勉強もしなくてはならず、近所の子どもの叫び声に我慢しての結果だ。子どもは泣くのが当たり前だが、些細な事で泣かしている。怒鳴り声や、他人のせいにして怒る親。

 勘弁して欲しい、と苦情を進言。まあ、反省の態度はなく、怒鳴り声も相変わらず。日中の時間帯なら許せることも、夜半からが特に酷い。そんな時間に風呂に入れる?小さな子どもが居るのであれば、就寝は9時が限度。眠いのを起こせば、泣き叫ぶよ。

 秋に、リエさん、しーちゃん、kazu君が来訪。枇杷葉に取り囲まれた我が家にお越しくださり、感激でした。三人ともタフで、疲れをものともせず歩き回っていた。こちらは、下手な運転で事故に遇わせては、と安全を心がけ、無事に送れてほっとしました。

 一年の計を何とか達成できたのも、枇杷葉のお蔭である。腰痛には焼酎漬けを、精神的なことには、枇杷葉茶を。あらゆる箇所に使い、その効力を知って驚く。新しい発見には事欠かない。夏バテには、焼酎に漬けた種をかじった。体のだるさが消えたよ。

 枇杷湯にも、どんなに援けてもらったことか。夏場は、半身浴が効き、冬になってからは、湯冷めがしなくなった。毎日のことなので、体はあまり洗わない。ボディシャンプーは、パックスナチュロン社の、枇杷葉エキスの入ったもの。洗髪もするが、半月間隔。

 麦を食べだして、膝の痛みとだるさが消えた。夏には大豆を植え収穫し、冬には麦を植えたら、発芽した。寒さに麦踏みをしよう。木村秋則さんの提唱する、土の改良がしたく、試みているがさて。今後は、愉しみを見つける工夫をし、心の張りを持ちたい。

 ここを訪れてくれた様々な方。この1年、ありがとうございました。宿根草の桔梗は、初夏を忘れずに咲く。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事への誇りを持つ

2013年12月30日 | Weblog

 介護の仕事をしていて、よかった。と思えるのは、自己満足でしかないのかもしれない。それでも、相手の気持ちに添えた時にはとてもうれしいもの。細やかな配慮を怠らず、その人らしいことを尊重して、何時も介護にあたりたい。当たり前の心を持ちたい。

 自分の体が動けば、頼まないことも、出来ないから云われる。リハビリにもなるので、してほしい思いがある。持っている力を生かせる介護をしていきたい、とも思う。何もかも介助すれば早いのだが、それでは急激にやる気も失せてしまう。見極めも大切なこと。

 研修に参加して学び、それを自分に取り入れて生かす。一度でできないことも、ちょっとした工夫があれば可能。立てない人には、起ちたい気持ちを促し、ゆっくりと立ってもらう。言葉掛けの大切さは記するまでもない。笑顔になられるのがうれしいものだ。

 人生の先輩として敬い、態度や言葉遣いに気をつけ、当たり前のこととして捉える。特別なことはなく、自分の往く路でもある。そこにプラスして、自分の特技をつければ、尚更に佳い。確かにしんどい時もあるが、お互いの気持ちが大切なのだ。お互いさま。

 お蔭さま、という謙虚な気持ちを持って、人生の先輩に接することも大事なこと。介護の仕事への、責任と誇りもある。遣り過ぎない、抱えない、心を添わせる介護を心がけたいもの。天知る、地知る、人智知る。己に恥じない介護を、気を引締めて遣りたい。

 帰宅して、洗濯物を終い、枇杷葉の生葉を採った。花芽は、これ以上は咲かないものか。昨年の様子であれば、このまま枯れていた。お正月に摘芽しようかな。サンタ枇杷葉も、たくさんついているが、全部は咲いてない。洗濯機のスイッチを入れて回す。

 リエさんにもらった手袋が傷んできて、ネット買い物をしたが、発送しているにも関わらず、不在伝票もなく勝手に持ち帰っていた。ここの職員の教育はどうなっているの?マニュアル通りらしいが、ずさんな対応に呆れる。電話で苦情を言うのも莫迦らしい。

 佐川急便であれ、ヤマトであれ、会社をどうこう言うのではない。肝心なことは、職員一人ひとりの意識の問題であろう。この荷物をきちんと届けてあげよう、待っている人の心を思い遣る従業員の対応だ。さすればこちらも、労いの言葉が自然と出るものだ。

 今夏の枇杷の実を、備前焼の器に盛った。この備前焼は、枇杷葉の灰で捏ねた物。世界中にこれしか存在しない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凍てつく宇宙に・・・

2013年12月29日 | Weblog

 満天の星である。オリオンが煌き上がって来、あの輝きは昴。何と美しい星々だろうか。駐車場に愛車を入れて、暫し寒さも忘れて佇む。人工的な光とは比較にならない瞬きに、自然からの贈り物と感謝して見上げる。今朝、明け行く宇宙に、月が昇っていた。

 エリノアを、知っていますか?講談社の募集する、新人漫画賞に輝いた方ですが、若くして亡くなられました。当時、中学生か、高校生になったばかりでしたが、一読して心を奪われた作品。里中満知子、忠津陽子、樹村みのり、竹宮惠子、萩尾望都(敬称略)。

 夢中で読んだ作家群。漫画家になりたく、授業中も余白があれば描いていた。投稿したカットが載った時には、学校に持って行った。勉強はそっちのけで、しこたまケント紙を買い込み、ペン先や、墨汁を机に置いて、寝るのも惜しんで描いていた。成果なし。

 眼が悪くなっただけで、学校でも劣等性であった。親を始めとして、教師からも小言をもらうばかりであった。まあ、その時に気づいていれば、落ち零れにはならなかったが、遅きに失する。還暦を過ぎたが尚、学べることが愉しい。どんなことも勉強になるもの。

 勤務先の台所を磨く。換気扇も洗う。あらあら・・・汚れが落ちるわ、落ちるわであるが、疲労困憊である。本当に、ボディソープは激落ち。グリスにもよく落ち、これは一晩漬け込むのがいい。袖口も襟口も綺麗になる。粉石鹸は環境に好く、汚れも取れて凄い。

 今年を省みれば、介護福祉士に受かったこと。リエさん、しーちゃん、kazu君に逢えたこと。たくさんの本を読めたこと。働けたこと。その全ては自然からの贈り物。枇杷葉の力を借りられたことによるものだ。これまでも、これからも、枇杷葉の力をこそ信じて。

 毎年、夏の庭を彩るベゴニア。挿し芽で増えるのもいい。冬時には、室内にあって花を咲かせている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金星輝く・・・

2013年12月28日 | Weblog

 久々に、帰宅途上で金星発見。午後6時過ぎ、携帯撮影する。夕方の雨に祟られて、暫く観えていなかった。日没も速いし、そろそろ外合から内合になり、明け方の宇宙に移る。凍てつく宇宙の金星は、まさに美の化身であろう。木星は、オリオン座の左下に観える。

 勤務先で、お飾りを付ける、と言うので玄関の掃除をした。自動ドアなので、非情にし難い。本気でしていたら、首が疲れてしまった。あっちもこっちも、蜘蛛の巣がある。同じするなら、きちんとしよう、と始めたが中々捗々しくないのだ。階段にも、掃除機をかけ終了す。

 明日は、年末最後の残業。台所の換気扇が残っている。大つもごりには、お節を作るので、速攻で帰りたい。新暦の元旦が朔日なので、水をもらっておかねばならず、Aさん家に寄る。目が回って倒れないようにしよう。リンパ腺の凝りを解そう。何だか疲れた。凝り凝り。

 年賀状のレイアウトはできたのに、ブラックホールに突入する。仕方なく、嫁に緊急出動をかける。あらら・・・、あっと言う間にできたではないか。印刷段階に入っていたが紙詰りを起こす。何回か繰り返し終了。宛名は手書きでする。さて、元旦に着くだろうか?不安だ。

 先日買ったDVを観た。名犬ラッシーには、若きエリザベス・テーラーが出ている。何と堂々とした演技だろう。ラッシーの演技も凄い。犬でありながら、まさに名犬。お金がないと言うのも、生活するのは厳しいが、本人にとっては不幸せではないのだ。なるほどねぇ。

 柚をたくさん戴いた。ストーブが出ている時なので、柚味噌を作ろう。祖母がしていた方法で、ヘタを切り、中の房を取り出して味噌を入れ、柚の汁を絞る。入り干しの焼いたのを小さくして混ぜる。味噌は手作りを使う。辛いのだが、ご飯の熱々に合うのだ。美味しい。

 三国志11巻目の半分を読む。正月をゆっくり読書に当てたかったが、人員の出動状況が思わしくなく、出勤となっている。基本的に夜勤をしないので、諦めた。どうも物事を真正面から取る帰来があるのだ。まあ、還暦までこれでやってきた。不器用さでは負けない。

 友人の母上が、今夏の差し上げた枇杷を、描いてくれたもの。こんなお礼の仕方もあるんですね。ありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早いもので・・・

2013年12月27日 | Weblog

 早、1年が終わろうとしている。歳を重ねるのが、滅法早い。実際、子どもの頃には、一日が長くてうんざりした。好きなことに熱中していれば、時間の経つのは早かったが、今は速さが違う。働けることを感謝して、あっという間の一日。忘れることも多い。

 年々、体は思うに任せず、疲労感も残る。枇杷葉のお蔭で、動けてはいるが、何時どうなるかは不明である。粗食に徹しているが、足腰も弱くなる。麦を食べるようになって、だるさが消えた。膝の曲がり具合もいい。腰痛は、良くも悪くも無く、枇杷葉手当て。

 昨日、洗車をしてワックスをかけていたら、午後になったので、お飾りは付けなかった。今朝、吸盤式のを車内に飾る。ワックスをかけた後に走行したが、酷い汚れはつかなかった。疲労困憊になる。然し、これが無かったら、仕事にも行かれない。感謝です。

 洗濯機や乾燥機も、敵のように酷使するが、せめて1年に1回位は、掃除をしたい。彼らにだって感謝すれば、仕事だからと動いてくれようではないか。機械でさえそうであれば、人間なら考える打にない。ふんぞり返る態度では、機械も動けまい。感謝する。

 古来の人々は、お正月に備えて、あらゆる物に感謝して、貢物を捧げた。神への畏怖の念がそうさせたのかも知れぬが、命があらゆるものに宿っていると信じた。また、それが信仰にもなったのだ。太陽を拝み、月や星に天気を問うた。人間が先ではない。

 新暦を使うようになって、個人の自由が優先され、暦を省みなくなった。何もかも、暦の通りにする必要もないが、四季折々の行事くらいは、旧暦でしたいもの。クリスマスよりも、小豆粥を炊いてもいいように思える。信心でなくても、空海は知っていよう。無心。

 人間としての尊厳に、欠かせないものは何だろう。様々なことがあるだろうが、馴れ馴れしくならず、必ず苗字で呼び、常に心がけをよくすることに尽きる。誰のためでもなく、自分の成長を促すことだろう。書籍を読むのも、学んでゆけることにあり視野を広げる。

 洗濯物が乾かない。時雨が多いのだが、今冬は除湿機を点けていない。電気代がかかるので節電。軒下に干していて、取り込むことにした。1日では無理なので、何日か干している。仕事着は毎日するが、室内のは数日着ている。汚れが目立ったら洗っている。

 節電対策に、コートを着ているが、虫食いだらけ。然し、暖かさは断トツで、裏地もちゃんとある。Aさんにもらったのだが、もったいなくて捨てられないのだ。新品を買えば10万はするかもしれない。ストーブが要らないし、湯たんぽを足に入れるだけで持つのだ。

 真夏の月。夏の月は悩ましい。冬の月とは違って、気弱に観えたりするのだ。何となく、妖艶として観える。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末の休日・・・

2013年12月26日 | Weblog

 今朝は、普通通りに起き、図書館に返却に行き、延長を書け帰り、愛車の洗車をする。小雨模様の天気だったが、お飾りを飾らねば為らず、今日を於いて休みが無い。玄関は、直ぐに付けたが、車を洗ってからにしたい。重装備で洗車して、ワックスをかける。汗が出る。

 車内は、掃除機をかけているので、今回は省く。昼を過ぎた頃にやっと終わる。昼食をかき込んで、銀行で新札に替え、コンビニで振込みを済ます。そのまま歯医者に行く。その後、Aさん家に寄り、お水を分けて頂いた。そこから郵便局に回って帰宅した。ちょっと一服だ。

 お八つを食べ、珈琲を飲む。炬燵の布団を増やし、床を枇杷葉茶で拭く。物凄い汚れだ。掃除機だけでは、汚れは取れないのだ。また、水拭きでも綺麗にならない。本来はこの後を空拭きして、蜜蝋ワックスをかける。今回は疲れたので止めた。雑巾は漬け置きにする。

 カレンダーを張り替えたり、新しいのを出しておく。旧暦のカレンダーも届いて、正月を迎えるに至っては佳い。明日から7連勤になるので、疲れが溜まらないようにしよう。就寝前の読書は欠かせない。日捲りのカレンダーは重要で、旧暦と照らし合わせて活用するのだ。

 毎年、同じようなことをしている割には、忘れていることが多い。そのためにも、旧暦のカレンダーは必要なのだ。自然を操ることは出来ない。人間が、自然に合わせて、その力を貸してもらう。その方が理屈に合っていて、体に馴染む。生かされていることのありがたさ。

 春夏秋冬を通じて、四季折々の食材を使い、季節外れの物は頂かない。バナナ、胡瓜、トマト等、夏の野菜ですから、体にいい筈がありません。腰痛の原因を自ら作って、慌てないようにすることです。夏場の氷も必要最低限に。冷房の利いた場所で、冷たい物はどお?

 夏に耐えれる体を作るのは冬場。その反対も云えます。頭寒足熱を心がけ、そういった細かいことに眼を向けて、体を労わりましょう。足湯や半身浴はいいですよ。その際には、庭にある薬草を、乾燥させて入れるのもいい。せいたかあわだち草は、冷えに効きます。

 体の痛みのあるところは避け、足の裏を揉みます。ちゃんと臺があり、押さえるとよくわかる。枇杷葉の生葉を採り、束子で洗って笊に干し、不織布に入れて湯船に浮かべたり、枇杷葉茶で飲んでから、入れてもいい。湯冷めがしないばかりか、芯まで温まってきます。

 枇杷葉の生葉は、焼酎2ℓに対して30枚が目安です。できるだけ患部に当てられる大きさの物を選びます。1ヶ月過ぎれば使えますが、3ヶ月くらいが丁度いい。毎日使う物なので、定期的に漬けておきます。枇杷葉茶は、寒中に採った物がよく、まとめて作ります。

 夏の庭に花咲く。自分の好みの物になってしまうが、心がやさしくなって佇む。暑さも忘れてしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大師講

2013年12月25日 | Weblog

 高齢者の方には、クリスマスなどは忘却の彼方。然し、嫁いで来、子どもを育てている中で、付き合いは避けて通れない。毎月の集金日は決まっていて、必ず21日に集まる。その日は、お大師さま・空海の講があり、年嵩の者が勤行をあげ祈る。

 婦人会活動も活発で、口達者の年長者がなっていた。働いている者には、夜はきついが、毎月持ち回りで、電気代や水道代を集めた。無論、寄付もである。公共の場での出し惜しみはご法度で、村八分にされることもあり、空海の教えとは程遠い。

 旧暦で云う、大師講でもある。高齢になっても、そういった行事は体に染み付いているのか、しきりと尋ねる方が居る。体内時計とも云うのだろうか。元気で働いていられる時には、自由が利かず、やっと時間ができた時には、足腰が思うに任せない。

 昨夜は、車に忘れ物をしていて、夜半に取りに出た。丁度、北の宇宙を流れる星が観えた。小熊座流星群だ。かなり大きな流れ星だった。1時間に1つ観えればいい方なので、偶然とはいえラッキイ。努力を怠らない者に、神さまがしてくれた贈り物。

 介護の仕事では、心を平静に保つことが困難な状況もある。こちらも人間である故、冷静でばかりはできないこともある。上手くいくことも、失敗することもあるが、寄り添うことは大切。心を澄ませて、耳を傾けることも大事。星に願いをかけると叶う。

 リエさんの送ってくれた煎餅。素朴な醤油味が咽喉にいい。味の濃さがしつこくない。しっかりと噛まねばならぬが、その硬さもいい。煎餅だなぁ・・・という感慨に耽る。人工的な味のないのも程よく美味しい。柴又とあり、虎さんを思い出させる。旨い。

 雨が降れば、命の降臨を潤い、天気であれば、草木の育ちを想う。風に吹かれ、雪に曝され、陽の光を浴びて命は還りゆく。地球上に数え切れない無数の誕生と消滅。原発は一瞬で消してしまう。考え方を偏らせてはならない。殺戮は虚しい。

 明日は、洗車をしたい。午後から歯医者、夕方には年賀状作成。休みでもゆっくりはできず、その後年末年始を勤務する。図書館にも行っておかねば、買い物もある。働けることを感謝して、枇杷葉に援けてもらって過ごそう。体力の維持をしよう。

 毎年、たくさんの実を生らせる枇杷葉。孫が4歳の時に初めて花を咲かせた。その孫も、来春は中学生。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虐めの自覚

2013年12月24日 | Weblog

 自分は、虐めていない、と思っていても、相手の心の中までは窺えない。気づかない内に、意地悪を続けていることもある。仲の良い者同士だといいことも、不信感を拭えない者には、厭な気持ちが残ってしまう。そういった話に及んだら、己を省みることも大事だ。

 若い人には、ちょっとのことも、高齢者にとっては苦痛を伴う。痛みにも時間の観念にも、誤差が生じる。還暦を過ぎた今、母や祖母の想いがわかる。何故、元気で居た頃に理解できなかったのか、切なくなる。介護の仕事に従事して、やっと気づいた愚かさである。

 この仕事をしていて、絶対にしてはならない行動は、口先だけの格好付け。それと、かわいい。という言葉を云わないこと。莫迦の一つ覚えのように連発する輩がいる。これが尊厳に値するのか?心外な言葉である。この先、そういった高齢者にはなりたくない。

 介護者の思うような、やり易い高齢者は居ない筈。それこそ、若い孫のような者等に、様々なことをされても、忍耐という我慢強さで黙っている。嫌な事は厭だと、云える者ばかりではない。その時代を生きてきた高齢者は、今でも耐え忍ぶ姿が残っているのだ。

 最近の親には、同居して我慢することもなければ、他人が持っていようといまいと、必要かどうかを判断して買うことがない。便利さと豊かさの見返りは、慎ましやかな態度や、一線を引く意識が違っていること。綺麗で豪華な生活を求める。原発への傾斜になる。

 枇杷葉の花芽の香りが、勤務途上に漂う。遊歩道を微かに流れてくる匂いに、何処の枇杷葉かわかる。近くの小学校の裏手にあるのと、何処かのお宅の枇杷葉で、体中に纏いつく程の匂いがする。我が家のも、洗濯物を干しに出ると匂う。花芽茶は年明けに。

 腰痛予防に、毎日枇杷葉の焼酎漬けを当て、簡易懐炉を貼って、就寝時には、生葉と温めた蒟蒻を当てる。その日の疲労度次第で、生葉が真っ黒になる。鍼灸は苦手だが、りささんの薦めてくれた所はよかった。久が原の末廣堂だが、中々行けないのが難点。

 で。行けない分を、民間治療で補う。歩けなくなってからでは遅い。病院は嫌いだし、手術など以ての外。それくらいなら、鍼灸さんに往診してもらう。従って、そうならないためにも枇杷葉は欠かせない。枇杷葉の移植はこの時期なので、必要なら苗をあげますよ。

 着払いで送ります。鉢で育ちますが、下がコンクリーでは怪しい。また、一度植えたら無闇には移動しない。金神さまの意向に逆らってはなりません。旧暦を参照して行ってください。木丈が2m以上にならないように、毎年剪定し、枇杷葉茶にします。枇杷湯にも。

 夏の雄大な宇宙。アンタレスの赤い星。天頂の大三角、白鳥座、琴座、鷲座。無限に広がる瞬きです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧笛・警告

2013年12月23日 | Weblog

 深い深い海の底で眠っていた海龍が、毎晩鳴り響く霧笛の音に呼び覚まされ、地上に上がってくるが、哀しいことに、相手は灯台。物言わぬ道標。霧笛は、仲間の呼び声ではなかったのか。哀しみに気も狂わぬばかりの海龍。灯台は破壊されて、再び深海に還る。

 原発の、微細な音波が図らずも地震や津波を呼ぶ。波動の呼び声に、再びも三度も災害は起きる。地球上で、あらゆる場所で、原発が再稼動すると、その予波は止まらない。放射線は宇宙に海に、地上にも音もなく注がれる。人類の破滅は既に始まっている。

 政治が悪いのも、国会議員の人格の問題も、上に立つ人間等が間違っていた。然し尚、誰一人としてやり直そうとした者はいない。地球人類の最大の汚点。原発を造ったことにある。平和に利用しようとも、核兵器は造らないと云ったところで、最早後の祭りです。

 この数日間、寒さに体がめげますが、年末の大掃除をしなくてはなりません。基本的には、掃除をしないのなら汚さない。汚したら直ぐに掃除です。溜めると、後が遣り難くなり、時間も膨大にかかる。3ヶ月サイクルで遣っていると、時間も短縮されて手早く片付く。

 掃除は、環境に配慮したもので、そこから得る影響力は大きい。そりゃそうでしょう。台所やトイレが汚れていたら、げんなりしますよ。食欲も減退です。落ち着いて用が足せませんよ。きれいに掃除がされていれば、気持ちいいのは無論、ほっとして安心します。

 トイレは特に、皆が使うものです。何時も清潔を心がけ、見た目も落ち着く空間が大切です。ゴミ箱に至っても同じで、きれいにしておきたいもの。洗濯機を掃除しながら、いつもありがとう、お礼を言いました。年がら年中、動いてくれているのだ。せめて綺麗に。

 物言わず居ても、洗濯機や乾燥機、窓ガラスがなくては、寒さや暑さから、風や雨から守ってくれない。だからこそ感謝の想いも籠めて、掃除をするのだろう。トイレに神さまは居るよ。磨き上げたら私も気持ちが真新しくなった。清々しい気分になれたのがうれしい。

 今夏の、枇杷葉の実と種。甘酸っぱさが口中に広がった。種は、枇杷酒と、お茶にしたよ。香りが仄かに匂っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬至・恒例の集まり

2013年12月22日 | Weblog

 冬休みを控えた日曜日には、我が家に皆で集まる。恒例の手巻き寿しを頬張り、其々にプレゼントを交換する。孫等にとっては、プレゼントが目的であり、長居はしない。連日の勤務で疲れているのもあり、ほっとして炬燵に入る。新聞をじっくり読んでいく。

 炬燵も、普段は点けていない。皆が揃うので点けたもので、ストーブも同じだ。玄関の掃除が気になるので、雑巾掛けをし、序でに外側の窓拭きもする。ボディソープでの掃除なので、簡単で綺麗になる。掃除機をかける時には、左手に手袋をつけるのがいい。

 これで隅々の簡単なゴミを拭き取り、掃除機で吸い取る。横着で安上がりな掃除法です。洗濯物が溜まっていたので、3杯する。布団は干せない。年末なので、致し方ない用事が次々と浮かぶのだ。普段も可能な限りやっているのに、何故か増える一方。

 年末は特別なこともあり、気忙しく感じるが、四季折々に計画を立ててやれば、慌てなくてもいい。旧暦のカレンダーにあることを参照し、祖母のやっていたことを思い出し、こうもあろうかとしている。そのことに気づくようになれば、体が思うようにならない。

 還暦と言う年齢には、元に還ることもあるらしいが、その通りだと実感する。体の中も外も、自分で想う以外、疲れていることも、見過ごしていることもある。野菜中心のお菜も、若い人等にはそっぽを向かれるが、これからは自分のためにも、摂取したいもの。

 佐川急便だけではないが、業務の受け継ぎができていないことに唖然とする。何度も同じ事を言わせるな。こちらが電話を掛ければ、電話代を持って来る。然しながら、持って来た業者はいないので掛けない。時間指定がなければ留守の時間帯なの。

 日中に居るのは、犬か猫くらいでしょう。霊は生憎受け取れません。年代的なことがあるのかもしれないが、前任者の小父さんは、丁寧で腰の低い方でした。こちらがびっくりするくらいの対応で、安心してお任せできた。業者ではなく、人柄の問題です。

 携帯が普及してきて、肝心なこと、基礎的なことが抜けている。手順がばらばらで、何をしているんだ。と呆れてしまう。マニュアルがあろうとなかろうと、自分の頭で考え、相手を思えば能率も上がる。基礎ができていないから、違うことがわからない。

 鉢仕立ての、白紫陽花。地植にすれば増えるらしいが、迷っている内にそのままになった。清楚な趣がいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする