枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

タイガースを聴きながら・・・

2016年11月30日 | Weblog

 曇がちの天気だが、布団を広げ、片付けつつ午前中の用事をしていた。そこにチャイム。午後からの約束をしていた友人が立っている。泥付きの大根を抱えて来ており、追い返す訳にもいかない。困ったものだ。仕方なく、用事を中断して付き合う。

 空は、雲が増えたり、陽が射したりのあやふやさ。仕舞うには早いが気が急くし、時雨も厭だしで片付ける。外は、道路工事で騒がしい。静かな環境を好むが、この際文句も言えない。騒音に対するには、賑やかななのがいいと、タイガースを聴く。

 考えてみれば、グループサウンズを、じっくりと聴いたことがないのだ。沢田研二さんや加橋かつみさんの声は無論のこと、演奏に耳を傾けたことさえない。人気だけが前面に出て、彼等の本来の実力等、無頓着であり、嬌声で聴けもしなかったが。

 宮部みゆきさんの、英雄の書には、そういった葛藤や悩み・苦しみの有様が、丁寧に書かれているが、共感する想いは、きっと複雑であるが故に、心に残っていくのだろうと思える。沢田研二さんの甘い声には、それなりの魅力があり、聴く者を蕩す。

 加橋かつみさんは、声量の広さと奥深さがある。ギターの音程の確かさに、ドラムの狂いの無い先導も素晴しい。何れも、努力の結果であることは、否めない。でもそこにはグループとしての存在があったればこそで、自分を持って生きるのって難しい。

 然し亦、当時には理解できなかったことも、彼等が喜寿を迎えようとしているからこそ、その歳に近づいて解かることもある。尤も、本人たちで無いから、結構いい加減な想いであることも確かだ。冬の大気の澄んだ宇宙を観あげ、心を彷徨わせてる。

 オリオン座・大犬座・子犬座を三角形で結ぶ、冬の大三角形が美しい。携帯で撮影したら、見事に写っていた。昴の輝く辺りも素晴しい。ギリシャ神話では、プレアデス・ヒアデス星団とあり、この乙女の集団を、狩人のオリオンが追っている話である。

 本の世界に往けることは、自由奔放になれることでもあり、自分を取り戻せる時間でもあるが、つい没頭して読み耽るので、朝が来てしまう。勤務がある時には、極力午前2時を境に閉じるが、休みだとついそのまま読んでしまう。午前中はぼぅーと。

 鉢植えの枇杷苗。新芽が出るのは、上からだけとは限らない。こんな風に、横から飛び出すことも多い。

 

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霜月、朔・大潮

2016年11月29日 | Weblog

 快晴、とまではいかぬが、晴れているので重い身体を起す。介護フェスタ以来、疲れが抜けない。休みがのんびりとはできないことも原因。研修が入ると義務感と責任感で参加する。結果的には自分の肥やしにつながるのだから。時刻が夕方なのが・・・

 夕方の時刻をライトを点けて走行する。これが結構負担になる。若い時には平気で、朝帰りも厭わなかった。毎晩、天文台に出かけては、宇宙を仰いだ。勤務があっても、なんという事もなったのが、酷く堪えるのだ。全員の参加事情もあるから無理だが。

 免許証を返還したい。その反面、愛車がないと時間的な物が生じてくるから、勝手と言えばそうなのだ。勤務上は、遅出はしない。事故を起さないとも不明な時間を、何が哀しくてできよう。還暦を過ぎたら、一気に下降線をいくのにも戸惑う。速いのです。

 午後からは、風も出てくるし雲っても来たので、布団を仕舞う。枇杷葉の花芽が、風に乗り匂う。足長蜂やら蝿やら、花芽に群がる。枇杷葉の花芽は、これからが本番で、蜜蜂の飛来も待たれる。今年は物凄い花芽で、次々に開花しているのがうれしい。

 薔薇の新芽が出ているのを、その上で切っておく。クリスマスローズも、新しい株が新芽を出している。自然界の不可思議さに多々、教えられる。プランターには零れ種が発芽して、苗を育てているし、蟻はせっせと餌を探して巣穴に運ぶ。観ていると厭きず。

 気温は低いとは言え、寒さを感じてもなく、新聞に眼を通す。尤も、綿の肌着を愛用するようになって、着膨れをしないので、肩凝り減少もある。懐炉を身につけておけば、移動上有難い。ズボンも最近は、内部に暖かさを工夫している。生地が冷たくない。

 福島の廃炉費用を、東電が負うのは当然のことでしょう。自分達が事故を起した訳ではない、とでも言うのか。安心で安全であれば、事故など起きはしなかった。地震が来ようと、津波に対しても、びくともしないのではないか。地球を壊している自覚が無。

 認知症になってから、慌てるのは本人ではない。周りの家族や親戚云々である。これは、核家族が進んで、自分の居場所もなくなったことがある。親の面倒を看るのは子の責任であろう。如何なる要因があっても、命をもらったことを感謝していきたいもの。

 水野英子さんの描く世界で、初めて知った花の名だ。美しい上に芳しい匂いで、相手の心を蕩かせる。

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親鸞上人忌

2016年11月28日 | Weblog

 極普通の者には、備わっていない力が、産まれながらにあったり、大病をした後に授かったりすることがある。修行を積んで出来る、というものかどうかは定かでないが、自然の息吹を感じて暮らし、或いは自然そのものであったなら、心に聴こえてくるものかも。

 秋深し。海の水を捲って見せる。常人には、到底理解できない世界だが、ふと有り得ると思うと、海を捲れるのだ。隠れてこっそり行うことも大切で、公衆の面前ですることでもない。精進潔斎をしても、力が与えられるとは限らない。慢心と驕りが隔ててしまうよ。

 高齢になるに連れて、惚けを装った方が生き易いこともある。必至で演技をしていることを思うと、笑うよりも気の毒でならない。格差が生じて、施設に入らざるを得なくなったり、一人暮らしを継続できないことも増えてくる。誰が悪いというのでもなく、生き難い社会。

 人間は、ある程度の年齢なったら、空気のような存在になれればいい。然らば、あらゆる総てに何も必要としなくなる。でも、魂は存在するから、何処でも自由に行き来できる。近未来には物質伝送機も秘かに造られるようになる。時間旅行も思いのままに可能。

 SF作家の想像力には、嘘のようで、真実が書かれているもの。Drモローの島にも、狂人的な博士が研究に没頭してしまう余り、悲惨な結末になるが、世界の何処かしらで、こういった秘密は行われている。神の存在などというものではなく、神そのものになって。

 相手を愛する余り、躊躇無く殺すのは、そこに永遠の存在を想うからかも知れない。科学の力を持ってすれば、不可能はないのだ。手塚治虫氏の、火の鳥を思い出す。地球に棲むあらゆる命が、その一瞬を生きることは、僅かの時間でしかない。悔いを残さない。

 昨夜の宇宙の美しさは、どうであろうか。雨の上がった宇宙には、満天の星が輝いていた。まるで心を洗われたようで、暫し望と観上げる。その一瞬、爆撃もなければ、理不尽な死への恐怖もないことの有難さを感謝。世界中の命を与えられた物が幸せなことを。

 釣り鐘草。今のところ、毎年咲いてくれる。種が零れて苗が発芽し、育ってもいる。自然の不思議さ。

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氷雨、神無月

2016年11月27日 | Weblog

 夕方から降りだした雨に、寒さを一頻り感じたものの、電気代の節約もあって、湯たんぽだけで過ごす。身体も、そういった環境に慣らせておかないと、地震や津波が襲った時、たちまち困窮することにもなる。冬は寒くて当たり前で、暖房に頼り過ぎない。

 神無月は、明日までで、新月からは霜月となる。神さまも、長い出張を終えて、出雲に帰る。近年の多忙な神さん、疲れが取れただろうか?五穀豊穣を祈願したことを忘れずに、お供えをして迎えたい。神さまの贔屓はないが、感謝の念は充分にあるのだ。

 安倍政権のあやふやさは、坊ちゃんの成り行き任せで、強行突破をするしか能がない。理路整然と説明するのが総理の役目だろうに、煙に巻く不誠実さばかり。無茶苦茶もいいところ。自分達の高給には、そういった下々の思いは無駄と撥ねる非情さだ。

 一日、雨が降っていたので、少しく考えることがあった。理不尽と言う言葉が当て嵌まる、今の政治であろうか。国民の声を聞いていると言う反面、馬の耳に念仏の首相である。自分の思い通りにいかぬとふてる。横暴に横槍を入れて、かき回すばかりだ。

 今年も少なくなって、亡くなった人が偲ばれる。身近では、児童文学作家の末吉暁子さんが、還らぬ人となった。春まで持つかな?と感じていたのが初夏まで持ち堪えた。人の命が尽きるのを、知っていても為す術がないこともある。未だ、心は癒えない。

 枇杷葉に、名前をつけているが、決められないこともあると知った。慈しみ、育んで大きくなったのを見ていると、感無量になってしまう。勝手に育つものでもないことに気づく。自然からのオーラ・力には、人智を超えた不思議なパワーが潜む。ありがたいね。

 原発の再稼動は止めて。今後の稼動状態で、地震や津波の頻度が異なり、その威力にも影響する。印度との調印も、庶民を莫迦にしている。戦争放棄した、憲法の原点に反する。亡くなった命の重要性を、もっと真剣に考えて。平和は当然じゃないよ。

 球根で買うが、花が終わると、飛来するようだ。団地の出入り口や、遊び場に群れてしまうのだ。

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青春時代

2016年11月26日 | Weblog

 数十年前の自分に遭いたくなる。自由と平等を勘違いして、好き勝手をしていた。親の金で行かせてもらう高校では、漫画ばかり描いていた。文系は得意であったが、理数系はさっぱりで、赤点を付けられ、教師に説教をくらっていた。不平不満が多かった。

 女子高は、男女交際禁止で、コンサートや追っかけは無論停学か退学。それでもタイガースのの魅力には勝てなかった。小遣いが多くは無く、シングル盤を買えれば好い方。楽器店に寄っては聴いていた。憧れも、雲の上の人間で、テレビだけであった。

 当時、ボーカルのジュリーに、熱い人気があって、ドラムを叩く瞳みのるさん・ピーには、多くなかったように思う。たった2本のステックで、出だしを決め、最後の余韻を残す技に、魅了されたものだ。そのタイガースも、人気絶頂期に解散し、普通の生き方に。

 再結成したタイガースの講演には、行かなかった。ファンであることには変わりなし。何処で応援していても、当時の彼等と、自分の青春とが、鮮やかに視えるからだ。レコードは手元にないが、CDを新たに買った。あの頃の自分に出遭ったら、何と伝える。

 鉄腕アトムに熱中し、エイトマンに恋したあの頃。浮かれっ放しの、何も学んでこなかったことを、大いに後悔している。今からでは遅いかも知れぬが、知りたい事を調べ、知識を増やしていきたい。自分の人生にはこんなこともあったと言える、記事を残そう。

 枇杷葉を知ったことも、多いに役立っている。医者には行かず、自然からのエネルギーで暮らせる幸せを、真実感謝している。予知夢に教えられ、不可思議な事柄に導かれて、こういった人生も悪くはない。誰もが経験しないことを、しているという緊張感。

 明日は、今日の次にやってくるとは限らない。けれども、自分の思いようで、明日に廻りあえたら、きっとそれは奇跡に違いない。生かされていることに感謝して、その日を過ごしたい。私はわたしで、他の誰でもない。宇宙全体の森羅万象に、先ずは祈りを。

 白いカラーが咲いた。背筋を伸ばした姿に、思わず見惚れる。純真で謙虚な、この花がお気に入り。

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小春日和に・・・

2016年11月25日 | Weblog

 長閑な朝に、陽射しが暖かい。布団を干し、洗濯物を目一杯する。その後、新聞をゆっくり開いて珈琲を飲んでいたら、チャイムが鳴る。誰ぞね・・・友人であった。予告なしの来訪は止めてね。然し、追い返す訳にもいかず、玄関を開ける。自分都合は困る。

 介護フェスタの疲れが抜けず、布団の中に居たいのだが、友人にはそういったことは通じないらしい。天気が好いので、布団が濡れる心配はない。ケーキと珈琲でもてなす。午後からは、研修が入っており、役場にも用事があるので、図書館経由で出掛ける。

 枇杷葉の花芽もたくさん付いているのが見える。年賀葉書の印刷用に、携帯で撮っておく。毎年の絵柄にしているが、しーちゃんのを使う?リエさんのは未だ硬い。白枇杷も咲き始めているが、長崎茂木は満開である。蜂が飛来している。青空には飛行機が。

 駐車場の出入り口は無論のこと、屋敷の周りを箒で掃く。冬の佇まいに変わっているので、落葉が日々ある。何処の家のと言わずに、掃きたいもの。自然からの贈り物には、感謝しておきたい。フェンスの上で、真紅の薔薇が1輪揺れている。人目を惹く彩哀。

 山茶花も枇杷葉も白なので、一際目立つ。秋なら、艶やかさも美しいが、初冬ともなれば、物憂げでもある。クリスマスローズの鉢と、枇杷苗の鉢を動かす。新月になったら、枇杷苗は移植しよう。鉢が小さいので窮屈そう。デルフィニュームの八重咲きを植。

 先日来の鼻のできものが、お産が済んだ途端に引っ込んだ。然し、今回のは酷かった。案の定、微弱陣痛で、5日係った。これ以上なら、切らないと母子共に危険、という瀬戸際である。自然分娩を望んでいても、命に拘れば変更しないと。自然を侮らない。

 朔日、望日はお産のリズムが好いが、それでも潮の満潮時に産まれるとは限らない。地球と月との引力や、重力の関係も忘れてはならない。また、遠心力もある。自然がもたらす力には、不可思議なことが多い。医者だとて人間である。間違った判断も有る。

 午後になると、陽射しが弱まってきた。布団を仕舞い、遅い昼食を摂る。年末が迫ってきており、業務の他にも多々、雑事が多いのもこの時期。玄関の掃き・拭きは勿論、掃除はこまめにしよう。旧暦で祝う心算でも、準備だけは怠らずでありたい。せっせっせ。

 今年の生った胡瓜。プランターで育てたが、瑞々しい味で美味しかった。糠が効いたのか次々と取れた。

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天才を育む・・・

2016年11月24日 | Weblog

 核家族になって、我慢することも少ない上に、会話が成立たない者も増えている。そう言った成長過程を辿って育ち、親になってしまう。感情の赴くままに、行動すれば、そこには当然殺意が生じる。わが児であれ、身内であれ、目的に反すれば殺してしまう。

 誰であろうと、殺しておいて、殺意は無かった等、信じられない。計画性は無かったかも知れぬが、間接的であれ、直接であれ、人を殺めるには、それなりの理由がある筈だ。精神鑑定を付けるが、そこまで加害者の人権を言うなら、殺された者は浮かばぬ。

 産まれて来てくれたことを歓び、愛情のありったけを注いで育てよ。自分が生きることは、必ず見ている者には通じる。皆、大なり小なりに、悩みはあるし、挫折感も味わう。でも、踏ん張って生きていかねば。森羅万象への、感謝を忘れないことも大切なことだ。

 祈ることも、感謝することにも、其々に意味がある。はっとする瞬間、気づける自分で居たい。人間であれば尚、過ちは繰り返すものだが、諌め悔いて自分を育てたい。その可能性を大切にして生きていきたいものだ。きっと未だ、感謝の想いが足らないのだろう。

 小雪とはよく云ったもの。一日、北風が吹いており、外に出るのが億劫であった。洗濯物を仕舞うのに、二の足を踏む思いだったが、室内に入れねば、夜露が降りている。勤務も終わる頃で、冷え込みが堪える。季節は廻るものと、甚く感じる。山は紅葉が美い。

 クリスマスローズが、新芽を伸ばしてきている。枇杷葉の下に置いているので、水遣りには気をつけているが、見回りは大切。枇杷葉の花芽の匂いを愉しみつつ、鉢の様子を見ている。土の割合で、根腐したのもある。山茶花が満開になっている。ハラハラ零。

 先日、鎌で切った指の痕が、綺麗に傷口を塞いで、何処だったかな?と思うくらいになる。細胞の再生化は素晴しいものがある。枇杷葉で、癌細胞が動けなくなる過程を思う。実験をしようと思って切った訳でもないが、細胞の活性化には驚くものがある。凄い。

 フェンス越しに満開になった薔薇。色鮮やかで、大輪でもある。焼酎に漬けて、薔薇酒にした。ローションにもなる。

 

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勤労感謝の日・小潮

2016年11月23日 | Weblog

 二の酉、神農祭ともある。一年の締めくくりに中って、収穫の喜びを感謝する祭り。今は、廃れてしまった行事。反面、金を支払えば、当然と言う態度で、傍若無人に振舞う者も増えてきた。何とも哀しい風潮であることか。労苦を感謝する意味さえ異なる。

 昨日の不思議な出来事。勤務を終えて、駐車場まで行く。愛車のエンジンをかけて乗り込み発進して、対向車線のない道を進み、主幹道に出ようと左右を見て右折した。その直後、猛スピードの直進車が通った。数秒の差で事故は愚か、命が助かる。奇跡。

 今朝は、平年の気温になって、寒さが感じられる一日だった。寒くないと、宇宙が晴れないし星が観えない。生暖かい温度には閉口する。最近は、暖房を点けるので辟易しているが、流石に一日、寒さに手こずった。懐炉は付けての業務遂行だが、外は寒い。

 上着も、ブレザーを止めて、ショートコートにした。靴はブーツに替える。宇宙を観るのは愉しみだが、自宅で観上げる時も、重装備で望もう。夜間の冷え込みは、意外と身体を冷やす。星座を観ていると、時間を忘れるが、トイレは行っておくようにしよう。必須。

 炬燵があれば、地面から30cm位上った台座に置き、夜露が降りるので、布団の上を薄いビニュールで覆っておくのも良い。ストーブは、あまり役に立たない。焚き火も風が吹くと危険だ。雪山に出かける位の服装で、地面に寝転んだり、寝袋に入るのもいい。

 近所の山に行くともなれば、家人に場所や帰宅時間等を、きちんと連絡しておこう。山の天気は変わりやすいので、観測所は無事であっても、下りていく場合は危険なこともある。積雪で転落の場合もある。慣れない場所は勿論、知らない所は、十分な下準備。

 我が家は、田舎の山の中なので、遭難の心配はないが、遅刻の可能性はある。つい、夜更かしをしてしまう。室内に朝帰りをして、眠い目を擦る。熱い珈琲を淹れて、復活する。テレビを観れば電気代がかかるが、宇宙を観るのは無料。実にもったいない。

 勤務先の近所の金柑。何度も花ばかり咲いて、実が生らないそうだ。揚羽蝶の幼虫がいたよ。爽やかな香り。

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寒太郎の出番・・・

2016年11月22日 | Weblog

 小雪 二十四節気。 寒気つのり、雨凍って雪となる。の意味で、小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。寒くはなったが、未だストーブも出さずで、何とか凌いでいるが、小雪になると、湯たんぽだけでは堪えるか。

 それにしても暖かい。ちょっと動いただけで汗ばむ。反面、洗濯物は乾かず、じっとりと湿っている。寒太郎がちっともやって来られずで、雪も舞わない。空っ風など吹きそうにない。この異常気象に、天変地異が起きる。と感じていたら、地震と津波が襲った。

 昨日が、下弦で小潮。今日も小潮であるので、被害は大きくならずに済んだが、熊本も鳥取も同じで、地球自体は球体であり、何処で何が起きても、必ずその反動はある。それが、原発の稼動状態で、地核に至る振動をもたらす。夢で視た通りの場面に。

 地震が起きたら、直ぐに逃げよう。と言うが、同時に日本中が揺れたら、何処に避難しても同じだ。ノアの箱舟が動き出す。諦めなくてもいいが、希望的な観測は止めたい。命を自分自身ではどうすることもできない。神のみぞ知る。助かろうとする方が否だ。

 善男善女等、何処にも存在しない。何を祈ったところで、助かる見込みも無い。仮に、生き残ったとして、放射能塗れの空気や、水に植物だ。自分も被爆している可能性もある。其処には未来等描ける希望は少ない。人類は、染色体異常で、新しい人種誕生。

 オリンピックや、豊洲移転など問題外で、東北地震の被害状況でさえ、未だ解決していないというのに、更に大きな地震が襲って来ないと、予測していないのか。日本列島を改造して、地核の変動を促したんだ。人間の無知が生んだ、最悪の物語な展開かも。

 近くの郵便局の傍にある、沙羅双樹の花。お釈迦さまがこの樹の下で、悟りを啓かれた、と云う。夏の短期間しか咲かない。

 

 

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有給にて・・・

2016年11月21日 | Weblog

 休みである。5連勤の疲労感が抜けない。ヘロヘロになっているが、仕事であり止むを得ないことだ。介護の仕事内容は、部署に依っては異なるが、大幅には変化がない。雇われている以上は、仕事内容をこなさねばならない。心身ともに疲労困憊。

 事務的なマニュアルには、何がしかの事例があるが、役に立つとは限らない。Aさんの症状がBさんにも当て嵌まるとは言えず、微妙なズレも生じてくる。生まれ育った地域や人間関係、考え方の違い等、一人として同じ者は存在しない。日々悩むよ。

 然しながら、同じ方であっても、その日の気温や体調にもより、同じと言う訳にもいかない。健常者の我々でさえ、気分の優れない日もあるのだ。元気で居た日々に還りたいことも、突然幼い日に還ることもある。その対応に、冷静な対応が出来れば。

 休みにゆっくり寝て居られればいいが、そうもいかない。枇杷葉の花芽の付きや、咲き具合、苞の状態を見て周る。しーちゃんのに花が咲いた。サンタさんのにも、少し綻ぶ。リエさんのは未だ硬い。落葉も掃いておかねば、とフェンスの薔薇に近づく。

 おおっ!薔薇が咲いている。蕾も見えるではないか。秋口に咲かないものだから、がっかりしていたが、このところの暖かさに、気づかなかった。花の無い時期、色も濃くてきれいだ。白いのに蕾が付いていて、そっちばかりを見ていた。自然は侮れない。

 カメムシの発生で、枇杷葉の葉が、黄色くなって落ちていく。勤務先でも、侵入してきて大騒ぎをする。施設内電話で呼ばれ、緊急事態発生かと駆けつけると、カメムシを取ってと言う。雷を落しておいたが、慌てふためくとは。ゴキブリにも叫んでいる。

 一体何処のお嬢さまや、奥さまなのだろう。地震や火事や、津波の類に、どういった対処ができるのか怪しい。危険を察知する能力を養っておいて。自然の中に避難することもある。これでは、たちまち壊滅状態に。まあ、何の憂いもなくていいのかもね。

 夕闇の迫る中、宇宙を観上げると、懸かる月がある。辺りは薄墨を刷いたようで、木々の形も仄かに。

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