枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

たわいのない幸せ・・・

2013年09月30日 | Weblog

 日本は、戦争を放棄してから、安心して眠れ、脅えることがなくなった。だが、その安心も、アメリカのいいなりになることが含まれる。じわじわと迫る、飴の恐怖。それが原発だ。表面上は穏やかに見えるが、その設置場所は何れも、辺鄙な所に決められている。

 原発の再稼動をしなくても、黒字だらしい。それなのに、電気代を値上げる。消費税も上げ、年金は減らす。国民年金を納めない人等に、政府は給料をあげている。天引きで強引に徴収している者には減額したり、出さなかったりする。何処か間違っている。

 掃除っていうのは、上から下に向ってするものです。どうも納得し難い。一番不思議なのは、私が雑巾を使うと、バケツの洗浄液が真っ黒になり、他の人だと、きれいなままだ。電話機も消化器も、雑巾で拭くのだ。手すりや、テレビも同じ。自分の顔は拭かない。

 晴れているが、雲が多い空だ。それにしても、世の中には解せないことが多い。だからといって追求したり、答を見つけようとしないこと。何事も謎のままがいい。謎があると云う事は、ある意味では、生きる希望にもなる。この世は、不可解なことだらけで納得。

 同僚が、ズボンを何処で買うのか。と言うので、ネットと答える。出不精には、ベルネが便利。自分の懐具合によって選べ、金銭を支払える。バーゲンでは、ズボン丈がないので、止む無く買っていたが、これが都合もよく、ポイントも溜まる。増税では買えない。

 早出の勤務を終え、Aさん家に寄る。リエさんから、礼状が届いた由。kazu君も書いてくれたらしい。大騒ぎの顛末だが、よろこんでくれたことはうれしい。おもてなしの心は、実に複雑で、こうすればいいというお手本もない。要は、一人ひとりの行為の表現。

 帰宅して、枯れた枇杷葉の葉を落とす。カラカラ天気に、ぐったりの様子だ。明日は水遣りをしよう。天水のありがたさを、しみじみと思う。えらいものだなぁ。それにしても雨が降らない。降れば極端な災害に見舞われる。自然は、意志を持っているのだろうか。

 緋色の芍薬。豪華絢爛。もの凄く大輪の華を咲かせるので、緩やかに曲がってしまう。そうなると切って花瓶に挿す。

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ペテン師・詐欺師

2013年09月29日 | Weblog

 そういう事になりはしないかとの懸念があった。自民党は、ペテン集団。そのトップは詐欺師だ。年金が唯でさえ少ないのに、減らしてどうするんだ。その上消費税は上げる。国民を莫迦にしている。民主党が不甲斐ないのも、自民党から分かれたからだ。

 老後の貯蓄ができればいいが、現状では如何ともし難い。国民年金をきちんと支払っている者に減給させ、払っていない者にはたんまり差し出す。そりゃ足らなくなるわ。加えて、加入しないのも当然だろう。したくは無いが、強制的に給料から天引きである。

 一体、どうやって暮していけばいいんだ。出不精で、人付き合いが嫌いで、情報も縁がない。待っているのは孤独死。そうだな、生活ができなくなったら、山に籠もるか。白楽天のようにはいかない現実。ああ、札束が降ってこないかなぁ。現金は隠匿しよう。

 勤務先に行ったら、ゴのつくものを片付けて。と言われる。前回は、クリケットが怖い、と壁に張り付いているので、ピノキオを助けに行かせたが、ヤモリも居るし、その他の昆虫類の捕獲係をしている。いえ、介護の仕事もしています。何か本題から外れている。

 晴天が続いているが、肝心の稲刈りは雨かな?今度の休みには、友人と映画鑑賞。その後、孫の迎えがある。並びに、下の孫の誕生日。プレゼントは決めてあるが、手作りの物が少なくなって久しい。まあ、あまりうれしそうにしないので、中止もいいかな。

 早くも、年賀状の注文である。目まぐるしい1年にため息が出る。今年は、計画的なことはしていなかったが、暑さに忘れることが多かった。勤務先と自宅との往復にぐったり。それでも、枇杷葉の種を食べたので、維持できた。ありがたいことである。感謝。

 そろそろ、風邪の季節です。手洗い・嗽をしよう。年間、勤務時には欠かしたことがない。自前の枇杷葉茶でする。咽喉のイガイガは山女で嗽。これがとても佳く効く。自然の中で育ち、農薬は一切かかっておらず、安心して使える。リエさん、ありますか?

 芍薬の蕾。すっきりと立つ花姿に、思わず背筋を伸ばす。でも、猫背になっている。習慣って怖いなぁ。

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天高く・・・

2013年09月28日 | Weblog

 青い空が、抜けるように何処までも続く。秋の空は、ころころと変わるのだが、今年は比較的、晴天に恵まれる。あまり喜んでもいられぬ想いには、原発の再稼動されることにある。火力発電は、燃料が高く割があわないらしい。だが、核のゴミはどうするのか。

 秋の奈良も好い。孫の修学旅行が近い。時期的には、奈良公園の鹿の角切りは、もっと後だし、法隆寺の柿も熟してないか。大仏殿のお釈迦さまの鼻の中を潜って来るか。正倉院へは行けないだろう。猿沢の池の、亀の甲羅干しを見て来るか。しかと。

 今年も、早3ヶ月を残すばかりとなった。光陰矢のごとし。子どもの頃には、一日が長く思え、何をして遊ぶかが重要な問題だった。年を重ねて、あれもこれもしたいことだらけだ。お金も何処からか降って来ないか。大学に行く資金がほしいところ。貯まらない。

 若い時には、それほどに思わなかった勉学も、専門的な知識が必要とされることもあって、学ぶ意欲が湧くのだ。特に、西洋薬と漢方の役割の違い、それに依って起きる副作用。その関連性が理解できていないと、認知症には対応できない。薬は怖いんです。

 昨日の水遣りで、どうにか勢いが戻った枇杷葉。やれやれ・・・。中々、雨が降らないので、少しばかりほしいと天を仰ぐ。火事が起きたら、大変である。放射線汚染と同時では、壊滅的な打撃が大きい。これに地震がくれば、日本列島沈没。忽ち困るなぁ。

 此のところ、枇杷葉の手当てがありがたい。蒟蒻の温かいのは、ほかほかしているし、適度に腰を温め、朝までじんわりと効き目が持続する。日中には、焼酎に漬けてあるのを、手拭に包んで腰に当てるが、心地よさがたまらない。自律神経の促進をさせる。

 そういった効果が相乗して、体の根強い疲労感を取り去り、意欲を促す。細胞が若返り、活発化していくのだ。つまりこれが、癌細胞を退治する。反対に、体にメスを入れると、この均整が破れ、回復力を遅らせ、癌細胞を活発にするのではないのだろうか。

 薬には、病気に対する抵抗力を強め、安静を保つ役目がある。そのため、適度の睡眠を促す。風邪薬にも、花粉症にも、或いは体調維持に必要なコントロールが働くのだ。個人差もあろうが、睡眠効果が著しい。従って、体がだるく倦怠感が残ってしまう。

 友人がくれた菖蒲。植えた場所が合ったのか、毎年幾つか花を咲かせる。この濃い色合いが美しい。

 

 

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マリー・アントワネット展、下弦

2013年09月27日 | Weblog

 池田理代子さんの『ベルサイユのばら』で有名。友人と出かけた。見応えというより、華麗な世界に仰天。庶民の金を湯水のように使い、暮していたことにもたまげる。然し、現実の世界でも、似たり寄ったりの事柄が多い。本音と建前の違い。

 ドレスにも扇子にも、当時のファッションが残っており、ロココ調の織物が並ぶ。ダイヤには眼は眩まぬが、王政の影に、庶民を苦しませていた当時が思われて、胸が痛む。ジャン・バルジャン。たった1個のパンのために、投獄されたのだ。

 尤も、この後のことで、王政の復活もあった頃のこと。日本でも、外の国も、家柄を重んじるのは同じらしい。昔は、階級が全てあった。自由、平等、友愛。フランスの国旗の色だ。今晩は、ベルサイユのばらを読み返そう。全巻揃っている。

 朝、出掛けに布団を干し、天気がいいのでそのままに出かけた。帰宅して、ほかほかになった布団を終う。洗濯物もからりと乾いた。庭木に水遣りをする。雨がほしいなぁと空を見上げる。枇杷葉がぐったりしているのを、何とか元の状態に。

 日中は、汗ばむ気温であったが、夕方からはぐっと冷え込む。肩が凝らないよう着込む。そろそろセーターを出すかな。リエさん達は、とてもいい時候に来られてよかったね。銀木犀が咲き始めた。庭に立つと、風向きで匂いが流れてくる。

 友人が、山女をくれた。皮だけが必要なので、都合が好い。図書館に返却に行くと、臨時休館であった。明日までの返却があるのを、嫁に頼んでおく。閉館時間までに帰宅できないのだ。孫等は、先日の運動会の代休で、三連休である。

 鼻の中のおできが痛い。知人に赤ん坊ができているが、産まれるまで治らない。メンタムをつける。今月も数日だ。毎日が、あっという間に過ぎる。年を重ねるから早いのだろうか?何だか世界中の時間が、速くなっているように思えるが。

 玄関の向って左に、群れを成して咲く。植えた場所があったのか、どんどん増えていく。

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虐めの心理・・・

2013年09月26日 | Weblog

 他人より優れていたい。人よりも劣っていると思いたくない。自分では、たいした実力も無いのにあるように振舞う。口から出る言葉の端々に、優位に立とうとする驕りがある。態度にしても、言葉にしても、頂点に居るのは苦しいのに。と想い遣る。

 個人的には、虐められても、できれば相手にしたくない。愚の骨頂。次元が違うとの意識があるので、馬鹿馬鹿しい。自分の信念を曲げず、裏表無く接すること。以前、勤務中に思い違いから激怒された人に、誠意をもって行動していたら通じた。

 認知症と言えども、相手は人間です。真心が通じるよう、日々接していけば、行動の意味するところがわかる。1を聴いて10を知らなくても、心を向けることで、努力に通じていけばいい。根気も気力も必要だが、念じれば適うこともあると信じる。

 私の信じる神は、森羅万象の意味で、イエス・キリストを指すのではない。神とは、宇宙そのもの。計り知れない力を秘め、生命体を自由に操ることのできる存在。枇杷の種を食べると、何か不可思議な力が湧く。怒り心頭に発す。心を鎮める。

 明日は、マン・オブ・スティールを観に行く心算が、上映時間の勘違いで、マリー・アントワネット展に行くことに。直前まで迷っていたので、前売り券を買っていない。それも友人次第であった。卓球戦隊・ピンポンパンの、シニア版であるのだ。

 運動ウンチのこちらとしては、何が楽しくて、あの小さな玉に遊ばれるのか疑問。野球は、草野球の、いい加減なルールでやるのがいい。然し、ホームランを打つと、球の弁償になる。男の中に混じって、兄の代わりに打っていた。今はやらない。

 木登りは得意。逃げ足は遅かった。何に付けても、いつも足が地に着いていないところがあり、上の方ばかり見ていた。失敗や挫折は数知れずで、自分の価値を信じていなかった。晩年に近くなって、枇杷葉に遇えたことで、人生は大きく変化。

 秋の彼岸明けです。秋の夜長が愉しみだが、最近は睡眠不足。枇杷葉の、民間療法をやりながら、勤務に励む日々。腰痛予防には、枇杷葉の焼酎漬けが手放せないのだ。就寝時には枇杷葉温圧療法を施行する。これらの繰り返しが大切。

 金魚草の薄桃色。何とも云い難い花の色に、思わずうっとり。白、黄色、橙、赤、緋色、紅色と多彩。蟻の好物で失せていく。

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二度あることは・・・

2013年09月25日 | Weblog

 帰宅したら、風が吹いたのか、枇杷葉がフェンスから離れて、倒れそうになっていた。今月の初めにも可なり傾いて、心配していた。プランターなので、根が土に潜れない。そろそろ出してやるかな。きっとプランターは窮屈なのだろう。庭に、バケツの水を遣る。

 枇杷葉の生葉も、液を吸われて、黄色になっている。人間だけではない、自然の中には、枇杷葉を必要とする生き物が多い。誰にでも拒まず、どんなことにも嫌がらない。人間よりも、遙かに命の大切さを知っていることに感嘆する。森羅万象の為せる極意か。

 今朝、昨日の体調を想い、枇杷の種を齧って行く。なんとなしに体が軽い。以前は、車の運転や旅行など、疲労困憊して、暫く元に戻らなかった。今回は、枇杷葉のお蔭で何処吹く風。目の充血も無く、肩凝りもない。摩訶不思議な現象。感謝に堪えない。

 小豆島に行った時には、然程想わなかった幻想が、総社の鬼の城を廻った時に起きた。知らない男の子が、一緒だったのが、kazu君とは。そういう予知夢を、何度も繰り返し視ていたのに、あそこに行かなければ、脳裏に浮かばなかったのだ。そうだったのか。

 テレビは観ないが、書籍は読む。半沢がどうしたって?イケメンがなんだって。自分達の世代には、アラン・ドロンかジェームス・ボンド。隠密剣士か月洸仮面。銭形平次の大川橋蔵。スーパーマンにも憧れた。で、今回は友人と観に行く。還暦を過ぎると安い。

 某新聞に連載の、『劉邦』が愉しみで、毎朝これだけは読んで行く。新聞も、テレビ欄をちょっと覗いておけば、大体の見当はつく。心理的な含みを持たせて、視聴率を上げようとする。代わり映えしない。書籍には、自分の時間を充てられる。学べるのもいい。

 古備前。安土桃山時代の頃、作った人の名が、確認できた作品を言う。古伊万里もそうらしい。縄文時代にも及ぶが、誰が作ったかは不明なため、言わない。価格未定。相当な価値があるらしい。国宝級も及ばない。信長や秀吉は、これで茶会を催した。

 リエさん、しーちゃん。Aさんご夫婦に、よくよくお礼を申し上げました。心の籠もったおもてなしを、ほんとうにありがたく感謝です。娘さんにも、連絡がつきまして、感謝の気持ちをお伝えしました。今度は、手ぶらでおいでください。鬼が島に行きますか?

 初夏の薔薇。この薔薇は、親から挿し芽で育ったもの。買った苗は枯れた。以来、挿し芽で次々に増えていく。

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思考錯誤

2013年09月24日 | Weblog

 勤務中には、唯ぼんやりとしている訳にはいかない。こちらの予測を超えた行動があり、下手をすると事故になる。高齢になると、動作がゆっくりなので、慌てなければ対応できる。だがそうとばかりもいかない。筋力の低下から不安定なことが多くなる。

 老いていくということは、思考的なこととは反対に、思うようにはいかなくなる。体は、未だ元気であるという勘違い、ところが一向に動いてはくれぬのだ。やっている心算が、何かしら虚しくなる。気持ちの上ではわかっているが、納得するには程遠いのだ。

 介護の仕事は激務だが、自分の信念と取り組みで、遣り甲斐のある職種に変わる。介護福祉士の資格を習得して、それができているか随分と悩む。然し、幾ら悩んでも、目の前の事実は変わらないのも事実。自分の視点や価値観を変えなければ。

 職務の話し合いがあって、帰宅したのはPM8時頃だった。宇宙には、数多の星が瞬く。玄関から見上げると、星が降るようだった。カシオペア座が北に、夏の大三角が天頂に。月は寝待ち月を越え、未だ現れぬ。仕事の疲れも吹っ飛ぶ、星々の輝きだ。

 枇杷葉にあたる、星の光を見つめながら、人間の生きてきた軌跡と、宇宙の成り立ちの壮大さに、思わず知らず至る。自分の、何と小さいことか。生きていられる当たり前のことではなく、生かされていることの意味を思考する。偶然への遭遇に驚く。

 はだしのゲンを、読み終えた。不完全燃焼。作者が、描きたかったことは、原爆がアメリカによって、落とされた事実と、今尚その苦しみに生きている人々の居ること。また、戦争に賛成する人間も、大勢居るという事実。原発は決して、平和利用ではない。

 白色のシラン。これは、長崎茂木の根元にあり、プランターで咲いている。楚々と、初夏の風に揺れる。

 

 

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秋分の日・居眠り・・・

2013年09月23日 | Weblog

 時候がよくなって来たせいか、立っていても眠い。疲労度もかさなっているからか、たちまち睡魔に襲われる。枇杷の種を噛むが、瞼が重なる。昨日は、運動会での観覧後、帰宅してつい眠っていた。暑過ぎず寒くもなく、過ごし易い温度に居眠り。

 リエさんの枇杷葉はあるが、しーちゃんのがない。南側のにしようか。昨年も一昨年も花芽は咲くが実が生らない。kazu君のは、長崎茂木の下で育つのにしよう。これは、親木の種からの発芽だから、気長に待とう。リエさんのは、今年つくかな。

 其々の枇杷葉を決めながら、何となくそっくりに思えるのは何故?自分の木は、長崎茂木だが、毎年アクシデントがある。白枇杷は、父母のと決めている。リエさんが、濃厚な味だった。と保障してくれた。今年は、随分と木丈も伸びた。愉しみだ。

 それはそうと、リエさんは庭の枇杷葉に挨拶してくれたようで、ちょっと気恥ずかしい。でも、遇えたことがうれしそう。手入れもあまりできていなかった。時期的に冬にするので、普段の姿を見てもらった。旧暦での歳時記を、大切にしているのだ。

 個人的には、漢方を好む。然し、全てのことには対応できない。自生している物を使う。民間療法で可能な範囲をする。自分の体に合った物でしていないと、高額な物では、金銭的に続かなくなる。毎日、同じことの繰り返しだが、それが大切。

 枇杷葉茶には、自律神経失調症に適度の影響を及ぼし、持続性や根気、或いは根性も促すようだ。飽きっぽい私に、ここまで続けられるとは、想いも及ばない展開。他人にはどうだか疑問もあるのは、間々合わない人も居るからだ。体質かな。

 先日、乳癌の人が助かった話を聴いた。枇杷葉茶は無論だが、生葉を患部に当てる、枇杷葉温圧療法がいい。その殆んどが、医者に見離された、手遅れの人だ。これには、献身的な愛情が極めて必要なこと、枇杷葉の力を信じることが重要。

 認知症にも効果がある。歯医者での驚きに納得したのも、その力があることを再認識した。嘘張ったりではない。それとも、私に与えられた力によって生じたのか?何かは不明だが、とても大きなものが渦巻いている。其処に到達して往くのか。

 初夏の宇宙の風景。夕暮れの去った後に、薄墨が下りていく。次第に色を重ねて、夜の帳を濃くする。

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運動会に思う

2013年09月22日 | Weblog

 最近は、春にする所もあり、運動会の目的から外れることも、と考える。前回のオリンピックの時からではないか。秋の刈り入れの後に、村中をあげてやっていた。五穀豊穣の祈りもあり、神聖な意味もあった。当時、やたらと長い来賓祝辞に閉口した。

 然し、マナーは何れも変わらない。種類は変化した。午前中は競技に出場し、午後からは観覧席での家族同伴。消防団の操方訓練を見ながらの昼食。出店も数軒来て、祭りの名残もあった。あの時に飲んだサイダーの味は、忘れられない。今のと違う。

 親の躾の問題で、煙草の喫煙には注意されたい。また、遊具で遊ばない、張り紙があるのだ。使わないよう言い聞かせるのが努め。それにしてもペットボトルの類の多さと、スナック菓子の豊富さにたまげる。きっと、放射線が使われているのは知らない。

 安く、簡単に腹がくちくなるが、咽喉の渇きは半端でなく、コップに注いで飲むより、がぶ飲み。お一人様の考え。誰かが飲むだろう、とか。そういった口飲みはいけない、という意識が低い。いやいや、外に出たら、躾をしているかどうかが問われる。目が点。

 こういった、何でもない当たり前のこと。当然ながら躾ができている、という前提で、大人になって仕事をしてみると、その差に歴然たるものがある。手抜きはむろんのこと。何事も、忙しいで片付ける。働くという心構えがない。給料分の働きをしてほしい。

 どんな仕事内容にしても、しなければならない。立場では同じだから、話し合うことも必要。勝手に決めて押し付けられるのは遣り難い。まあ世の中、解り難いことばかり。考え過ぎると頭も剥げる。心因性の病気にもなる。莫迦らしいと言えばそれまで。

 我が家の周りは、何処となしに雰囲気が違う。パワースポットであろうか。銀河が、近頃よく視える。気配がある。特別のことではない、何もしないことが、出入りできる条件なのか。枇杷葉の持つ威力も、無関係ではなかろう。儲けには縁がないが。

 初夏の庭には、真紅の薔薇が咲く。挿し芽をして増やしている。愉しみの一つでもある。

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ある日の出来事

2013年09月21日 | Weblog

 歯医者での、驚きの事実にびっくり。何が驚いたかって、自分の口の中に、金がない。あっ!間違えた、菌がなかったの。虫歯菌とか、歯槽膿漏菌が、正常値より少ないこと。よくいえば、二重丸。でもその事実に、Drが唖然。なんでだろう?

 実は、歯磨きは朝しかしません。それも、しゃかしゃかとやればお終い。出勤時間がない。昼も夜は愚か、就寝時など磨いたことがないの。子どもの頃には、虫歯もやったし、大人になってからも、歯医者には行った。だが、驚きの事実は枇杷葉。

 食品も、市販品の添加物や着色料、防腐剤には振り向かない。況してや、コンビニには支払い時に一寸寄るくらい。買い物は、極力避ける。駄菓子の類は食べない。ジュースも絶対に飲まない。そう言うと、Drは成程、と頷く。出不精でもある。

 此処十年来、飲用するのは、無農薬の珈琲や紅茶。加えて、ドクダミ茶に、鉈豆茶。ドクダミも、寒中の根槐を掘る。これが甘くて、臭いも少ない。山女酒は咳や痰に。自然の物を感謝して戴くありがたさ。こういったことの継続が、功を為したもの。

 モニターに写る画像に、たまげたよ。ここまでの効果が、枇杷葉にあろうとは、信じ難い。然し、事実でもある。えへへ・・・単にうれしいが、これからはもう少し丁寧に磨こう。枇杷葉以外の漢方にも因るが、神さまのご加護である。凄くうれしいな。

 まあ、信じる人は少ないし、実行に移す人も更に減ろう。継続は力なり、と例えがあるが、ほんとうに地道、悪く言えばそれだけ。莫迦の一つ覚えで、単純な性格。めんどくさい気もするが止めない。信念を曲げない、頑固者でもある。文句ある?

 水道のカルキの臭いが厭さに、Aさん家の水を分けてもらいに通い、枇杷葉茶とご飯を炊くのだ。水道水は洗い物だけ。可なりな金額になるが、請求されたことがない。実にありがたいことである。リエさんに、あの事故時一度タンクで送った。

 備前焼に水を入れて、10分位置く。その後、これでお茶を入れて飲んだり、ご飯を炊くと味が違うよ。我が家にあった備前焼は、枇杷葉の枝を乾燥させ、焼いて粉にして土と混ぜた。あの微妙な色合いが気に入っているんだ。傑作だったでしょ。

 紫ラン。赤紫色です。鉢仕立てなので、あまり増えない。外でいいので植えている。植え換えたのがいいかな。

 

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