枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

冷えこみます・・・

2010年11月30日 | Weblog
 今朝は、早出だった。濃霧のため、速度が出せず遅刻。読みが浅かった。職場にある洗剤で、手荒れからの皸が切れて痛い。風邪も、熱はないが、鼻水が出る始末。昨夜、久々に入浴したが、止めておけばよかった。足湯で我慢しておけば、と後悔する。湯たんぽが重宝している。足元が温かいので、就寝が心地好い。電気毛布は、汗が出ないのか、反対に水分を奪われるのか、苦手である。

 風邪を引いている訳にはいかぬ。嗽、手洗いを遂行しているというに、何故うつすんだぁ?マスクしてよ。いっちゃなんだけど、何でマスクをきちんとかけないの?鼻出してて、予防になるのか。折角、予防注射したっていうのに、何にもなっていない。冬場の積極的なお友達は遠慮しよう。近寄るべからず。って、プラカード持ってようか。風邪の菌は、お断りします。

 虎年も、残す処少なくなった。虎穴にいらずんば虎子を得ず。というが、なかなか難題の多い1年でした。どんな仕事も、自分の思い通りにはいきません。いろんな考え方があっていいのですが、譲歩のし甲斐のない場合もある。世の中には楽しいことばかりはないです。自分なりの工夫や、思考回路の調整で、飛躍できたり、行く路を替えることはできますが・・・。

 下弦の月は、朝の空に霞んでいる。太陽も出ている。金星が輝いているよ。明日は、友達が来るという。枇杷葉茶を取りに来る。今年の枇杷葉茶は、とてもよく売れましたね。来年には、どのくらい入用かな?リエさんの分と、りささんの分は、確保しておかねば。我が家の木は、枇杷葉茶専用と、実を生らせるのと、区別しておこう。毎年、来年こそ、と辛抱の一年なのです。

 東側の茂木の赤枇杷。今年は、想いの外たくさん、花芽をつけています。実が生るのかな?
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風邪には、漢方薬で。

2010年11月29日 | Weblog
 風邪の予防に、枇杷葉茶での嗽、手洗いは無論するが、そこ此処でやられた場合にはたまりません。発熱にはきらん草が解熱剤。咳や痰にはアケビ、鉈豆にドクダミ茶。自分の体と、きちんと向き合っての処方をします。鼻水が出て止まらない時には、アケビ酒が効きます。それでも痰が切れない時には、鉈豆酒も飲んでみます。痰がごっそり取れます。鼻の中も開通します。

 いやいや。半信半疑と言うか、感を頼りにしてみたのですが、効きました。鉈豆酒も鉈豆茶も、出物腫れ物に効果有り。なので、きっと取ってくれたのです。枇杷葉茶にも殺菌作用や、血液の浄化作用がありますから、普段から飲まれていればいいのです。但し、体力の落ちている時に、枇杷葉茶だけでは、体の毒素が、上手く出ていってくれませんね。そういう時に、こういった漢方薬を使いましょう。

 薬局に行くまでもなく、身近な場所にあります。スギナ茶や柿茶、セイタカアワダチ草も、使い方遺憾で、重宝しますよ。自分の症状を知った上で、活用しましょう。私は自分の体調に応じて飲んだり、湿布にしたりしています。薬でさえ、副作用があるのです。漢方にもあるでしょう。唯、寝込むほどではなく、飲んだ一瞬に違う。と感じるようです。本能的でしょうか?まあ、あまり元手はかかっていませんから、見切りは早くしてください。

 自然の物は、農薬がかかると生えてきません。10年間は生えない。無農薬、っていうより、そういうのを自然は受け付けない。人間の体も、添加物や保存料などを、ごちゃごちゃと食べていると、がん細胞が活発になる。なっちゃうとすることないから、退屈してやーめた。そういうことになっちゃう。がん細胞も、思えば寂しいんだ。ちょっと遊ぼうかな?と賑やかにしたはいいが、場違いの決まり悪さに、引っ込みがつかない。

 で。解決策も思いつかない。って、状況も出てくる。手っ取り早い方法が、あちこちに遊びに行ったもんで、足跡をつけてしまった。今更証拠隠滅は図れないではないか。然も、ドンドン細胞分裂で増えちゃってるし。どうするんだぁ?ってねぇ。決まってますでしょ。36計逃げるが勝ち。そういう理由もなくはないが、矢張り逃げ得にしよう。センブリを飲んでの逃亡でした。

 今宵もまた、星空の美しいこと。天頂には、夏の大三角があり、北方面には、エチオピア王家の面々が居り、東にはプレアデス星団や、ヒアデス星団が続き、オリオンが追いかける。シリウスとプロキオンが吼えている。天馬は翔け、カストルとポルックスが悪戯を仕かけているよ。夜空の星座は、時間によっては、春夏秋冬の星々が観える。夜露がかかりまする。其処は端近でございまする。

 白いランタナです。変化しません。真ん中が黄色のもありますね。
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柊の匂う・・・

2010年11月28日 | Weblog
 夜半に、鋭い鳴き声がする。鹿が啼いている。昨今は、交通事故に遭うくらい殖え、餌がないので、人里まで下りて来ての災難。車で撥ねられている。鹿一頭が死ぬのだから、車のほうも凹んでいるのではないか。等と、要らぬ心配をしてみた。車は、走る凶器というが、蚊や蝿ならいざ知らず、車輪の下になったり、撥ねておれば、気がつかなかった。で済むのか?そんな奴は、車に乗るな!空気のタイヤなの?と、疑問は残る。

 花の香りというのは、鼻がよくなければ匂わない。従って、柊の花も知らなければ、香りがするなどは、更に知らないだろう。冬至に鰯を食べ、その頭を竹串に刺し、柊の葉を付けて、玄関に飾っておいた。伝統的な慣わしではあるが、今は、誰もしない。柚子風呂も同じである。日本の行事は廃れていく一方で、外国の行事は増えていく。でも日本人は、外国の真似でなく、自国の伝統の、季節の行事をやってほしい。

 アメリカの言いなりは止めよう。時代遅れはどうかと思うが、自分の主張は持ちたくないか。頑固なのとは違う。信念を持ちたい、というだけである。然し信念に拘りがある。無農薬に反応する。自然の物にも惹かれる。天然、新鮮に拘る。得になるとかならぬとかでなく、結果的には、地球の恩恵を戴くことを感謝する。その繋がりを大切に思う。日本国は島国で、自給自足はできない。それでも何も作らないよりは況。

 Aさんのてあてに寄る。リンパ腺マッサージは、当てると直ぐに、一気に熱いのが入った。思わず布団を剥がれた。耳の詰まりが取れて、気分がよくなったらしい。私の体調もイマイチなので、エネルギアがゼロにならないように切り上げた。明日明後日は連勤だし、得に明後日は早出で研修がある。居眠りをしないようにせねば。扁桃腺の腫れは引いた。残るは、寝不足です。

 今月の、十三夜と木星。携帯で撮影したが、自分でもびっくりする出来。科学は進歩せねばなりませんが、人間のしてはならぬのは、神の領域まで入り込まぬこと。
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無農薬のりんご

2010年11月27日 | Weblog
 木村秋則さんの、無農薬の林檎を、見たことは愚か、食べたこともない。我が家にあるのは、岩手県の林檎だが、無農薬の品。時間が経っても酸化しないことに、先ず驚かされた!!そして、切った残りの果肉が萎まない。びっくりしちゃった。テレビでは、腐らないらしく、林檎の形のまま、しわしわになっていたのを、放映していた。百聞は一見に如かず。

 林檎の美味しいのが食べれる。無農薬であること。こんな条件の林檎が、実際に手に入るとは、まるで夢のよう。重ね々、サンタさんのお蔭です。枇杷葉は、我が家にある物だったり、近くに分けてくださるのを、採りに行ったりするので、あまり元手はかかりません。今後は、金銭の受諾より、物々交換がいいでしょうか。本当に、皆さんからのお礼の方が、凄すぎて、びっくり箱みたいです。

 枇杷葉を、種を植えて、育てればいいのですが、考え方や、生活の違い。また、スペースがないことなどの理由から、断念することもあるでしょう。そういった方のためには、通販販売での購入があるのですから。また、枇杷葉は、比較的暖かな地域を好みますから、寒い地方には実が生りにくいのです。温室があると育ちます。温泉施設は、絶好の発育場所です。

 このところ、扁桃腺炎の熱で、入浴を中止している。枇杷葉茶のお蔭か?不快な臭いがしないのである。また、肌は艶やかで、プルルンのしっとりです。以前は、1日でも入浴しないと、汗で体はべとつき、不快感は募り、睡眠不足で怒りっぽくなっていた。そういった、マイナスの事項が全く無い。とても不思議だ。こういった働きは、冬場の肌の乾燥を防いでいるらしい。高齢者にはいいようだ。

 母の悔やみを言われた。一人は、あけすけに言葉もそのままで、常識に欠ける言い方だった。お悔やみは、当人との付き合いの深さや、年齢や、上下関係で述べたい。もう一方は深々とおじきをされ、小さな声で「淋しくなられたでしょう」と言ってくださった。こういった場合、特別な言葉って要らない。お目出度いことの反対なのだから、相手の胸中を慮る、態度と言葉でいい。少なくとも私は、気持ちだけで充分です。

 二人とも、同年齢ですが、核家族と、同居との違いか、人間性の心のありようか、両極端に面食らいました。教訓として、私は、一般的であっても、気持ちのこもった挨拶はしようと、言い聞かせました。自分の言葉であれば、じょうずでなくても、心に染み渡っていくのだ、との思いがあります。普段から、自分を失わない、凛とした強さと美しさを備えていたいものです。

 クリスマスローズの種が零れて発芽した苗。白色だと思うのだけれど、咲いてみないとわからない。石灰を入れると、蕾が増えたよ。

 

 
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今宵は、星が輝くほどに

2010年11月26日 | Weblog
 昨夜の雨で、今夜は殊更に星が綺麗だ。大気が澄んでいるし、汚れが洗われたせいかもしれない。木星の輝きも素晴らしく、携帯で何度も撮る。画質がいいのか、レイアウトすると、自分でもびっくりする出来だ。こういう科学の発展には、驚くと共に、感心するばかりだ。この手の発明には、精密な青写真が必要だから、出る幕はない。

 撮影して、写真屋さんに持って行かなくてもいい。パソコンに入れれば、移し替えてくれる。拡大も縮小もできる。矢張りこれは腕ではない。携帯の機能がいいのだ。賢いなぁ。便利すぎて困ることもあるが、使う者の信頼度なので、制限すれば済む。こうなってくると、何だか意志を持っているようにも感じる。え?話しがずれたよ。

 今年も、ふたご座流星群は観えそう。その前に、金星がー4.7等級になって、昼間の明るさの中でも、はっきりと確認できます。太陽から40度離れた西側にあります。木星の光度がー2.6等級ですから、その輝きは素晴らしいものです。晩秋の西天の夜空で、鮮やかな輝きでしたが、街灯よりも美しかったです。この惑星が、ヴィーナスと云われる所以です。

 サンタさんから、林檎が届いたのですが、無農薬の林檎は、酸化しないんですね。加えて、どっしりしていて、食べ応えがありました。これに弾けるような噛み応えがあれば、申し分ない。最近は林檎も進化しているらしいから、子どもの頃に食べたような味わいのは、誰も作らないのだろうな。林檎の種から育てて、作るしかないのか。

 商品価値がない。需要がないという理由だけで、転作したり、辞めてしまう農家もあるんだろうな。木村秋則さんの作る林檎が、当たり前に作られて、安心して食べられる林檎が、店頭に並ぶ日が来るといいな。その季節にしかない、旬の果物が買える幸せを感謝したい。サンタさん、とても美味しかったです。本当にありがとうございました。

 今日食べたのは、岩手の林檎です。青森の林檎は戴いておりません。このような貴重な林檎は、神棚に飾っておいた方がいいかな。もったいない。ありがたい。我が家の枇杷の実ですが、その時にならねば、収穫はわからないので、取らぬ狸の皮算用、にならぬよう気をつけます。花芽がたくさんついたので、どうも欲が出たかな。遺憾です。

 光合成をしている枇杷葉。その傍に立っていると、絡みつかれているようです。
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家事一般

2010年11月25日 | Weblog
 掃除をするなら、二度手間はしないのがいい。料理の後片付けが、満足に出来ないなら、作らぬのがいい。要は、ポイントをきちんと押えてすること。拭いたか、撫でたかわからないような掃除をするな。容器や器のヌルヌルやベトベトでは、料理が気の毒である。どんなおいしい物も、そんな器に盛られたのでは、空気が失せる。あ・違った。食べる気がしません。

 掃除は、上から下へとしていきますが、目立たない場所、足元や、裏側、隅っこの方にも気を配ります。そして丁寧に素早く拭き、力を込めて拭うのです。ヘラヘラ笑うように、ちょっと撫でただけでは、汚れは落ちません。これは掃除の基本中の基本です。割り箸や楊枝も、大いに用事を言いつけましょう。角の綿埃や、サッシのレールは、綺麗に磨きます。

 ガラス窓は、新聞紙がとても重宝します。科学洗剤もなければ、アレルギーも出ません。汚れは隅々まで落ちます。台所の水周りや、廊下、風呂場には、枇杷茶スプレーが大活躍。手あれもなければ、厭な臭いもなく、自然な艶と、輝きが出て来て、心地好いです。台所の流しは、重曹とお酢でピカピカです。頑固な汚れには、ボディシャンプーが効果を発揮しますよ。枇杷茶と一緒に使えば、とてもよくわかります。

 兎にも角にも、人工的な臭いはつけないように。自然のままの匂いでありながら、体臭がしないのがいいのです。枇杷葉は、防臭効果も備えています。ほんとうに便利で、広い用途に使えます。あなたの味方、低価格や、無農薬なので安心できます。お茶で飲んだ後も、ゴミで出してはいけません。乾かして風呂に入れ、その後を堆肥にします。石灰、塩と糠。向かう所敵なしです。

 私が、外食できない理由には、器がどんな方法で洗われているか?丁寧に洗えているか?見掛け倒しではないか?ということから、一度でも汚れたお皿で出てきたら、絶対にそこの店には行かない。食べる物を扱うのです。冗談ではありません。作る人の真心があれば、食べてくれる人にも伝わります。大量生産はできなくても、食べ物を感謝して戴きたい。例え百金のお皿でも、美味しいのではないかしら?

 身支度に余念がない銀河。小春日和の日に、うらうらと。
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真っ赤なりんごの故郷は・・・

2010年11月24日 | Weblog
 ♪わたしは真っ赤なりんごです。お国は遠い北の国。りんご畑の晴れた日に、箱につめられきしゃぽっぽ。町の市場に着きました。りんご・りんご・りんご、りんご可愛いひとりごと。林檎は好きです。しかし、あのシャキッッとした歯触りの林檎が、最近はないのだ。加えて美味しくない。絶望的な心で、1%の想いを抱いて買う。無残にも期待は木っ端微塵。なんでだぁ!!甘酸っぱい、程好い硬さの林檎は、作っていないの。

 近くの町営農場で作っている林檎は、農薬紛々、ひ弱な発育。土の固さにびっくりしたよ。木村さんの林檎が作れるとは思えないが、自分の食べたい林檎はできる。枇杷葉も、自分なりの工夫をして、甘酸っぱい果実にできたもの。来春に、青森に行って、林檎の花の咲き競う下を、あのお花はんのように、歩いてみよう。そう言ったらAさんは『一緒に行きましょう』とにっこりされた。

 林檎の花を乾燥させて、お湯を注いだら開くお茶があるそうです。お土産はそれにします。祖母や母が行けなかった青森で、林檎の花を見せてあげたく思うのです。岩手県にもとても美味しい林檎があるとか。故光瀬龍の疎開先でもある。これらはサンタさんが、枇杷葉のお礼にと、送ってくださるようです。もったいないことで、涙のカーテンが降りて来るようでした。ありがたい贈り物に感謝するばかりです。

 枇杷葉の硬い苞が、少しづつ開いている。白い花弁が覗いているのだ。うれしくて笑顔になれる。リエさん、来月には採れたてを送れるよ。我が家のも少しは採れると思うから、詰め合わせにします。農薬のかかったのは、お茶の色や風味が違う。それに喉に引っかかるような感じがする。気のせいかもしれませんが・・・。あちこちに生えてある野生の木を見ながら、分けてもらえないかと案じている。

 我が家のも、年々大きく育っているし、花芽も増えてきているから、その内に採りきれないようになるんだ。ほんとうに後数年したら、たわわに実った枇杷に囲まれる。その楽しみにほくそ笑んでいる。Aさん家の枇杷葉にも、花芽がたくさんついたようなので、実を生らせてみたら?と言ってみた。剪定も少しはしたらしい。お茶にする手間はあるが、自分の体と向き合える。枇杷葉茶は、生命の維持を保つのです。

 今月上旬の枇杷葉の苞。硬くて薄茶色の苞に覆われ、産毛を風に揺らせていた。
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夢の中で・・・

2010年11月23日 | Weblog
 母の夢は視ないのに、何故か、故郷の家に居る。一昨日、そこを通ったからか、小さな我が子と一緒に居るのだ。母が元気だった頃に還っている。逝ってしまってから、後悔ばかりが押し寄せる。せめて一日なりと、看てあげたかった。兄が、妹がなんと言おうと、傍にいてあげたかった。けれども諍いをしてまで、傍に居られる母の胸中を慮れば、無碍なこともできなかった。

 せめてもの想いは、生前の母に、産んでくれたことを感謝できたこと。伝えられたことでしかない。それさえも、御仏の志としか考えられない。至らぬ娘であった詫びが言えたことは、あの日を於いてはなかった。しゃんとせねばと思う気持ちと、笧との結び目が解けない想いも混じる。幾つになっても親は親だ。兄や妹のように、合理的には考えられない。

 そういう想いが、きっと夢の中に現れるのだろう。母が孫を大切にしてくれた日々と重なる。その時代に往っているのだ。これからも、夢の中では遇えるのだ。と言い聞かす。孫である娘が、母の遺言を受け取ったことも知った。日蓮宗なので、金の珠が弾けたという。以前にも娘とは、日没時に、東から登る日の輪を見た。ころころと転がって往くさまは、本当に目を瞠るものがあり、一言も発せられない異様な空間だった。

 私も、娘も、不信心な不心得者だが、不思議とこういった現象に遇う。自然を赴くままにしていると、御仏が知らせてくれるのかもしれない。ありがたいことです。昨日今日の欠勤は、疲れの溜まった体を、休めるようにしてくれたものなのだ。しんどさが通り越したら起きれた。原点に還っての仕事をするよう、気持ちを切り替えよう。私は、私でしかあり得ないのだから。

 とても綺麗に咲いた、白い薔薇。人生を色々に塗り終えて、今、真っ白に還った母に贈ります。
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風邪かな?

2010年11月21日 | Weblog
  寝不足からか、体がだるい。頭がふわふわするのは何故だろう。たくさん着ればいいようなものでもない。えらく体がしんどくて、沈みこんでいくようだ。喉も痛い。ちょっとばかり、エネルギーが不足しているのかな?仕事をしなければ、立ち行かないのだ。我慢の限界かな、とも思う。しばらくのんびりしていたい。今日は、風呂は止めておこう。マスクもかけているんだが・・・。

 ストーブを消しても、体が熱い。どうするかな?明日は。危険区域に突入だよ。扁桃腺が腫れた様子。食欲が落ちていたから、体力的に持ち堪えなかった感じ。いかんなあぁ、と思いつつも、そのまま布団に潜り込むことにした。おやすみなさい・・・。

 秋の陽射しを浴びる枇杷葉。茂木枇杷です。花芽が鈴生りなのがわかりますか?
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白枇杷の苞が・・・

2010年11月20日 | Weblog
 孫のミュージックフェステバルが、学校の講堂であって出かけた。全校生徒の出演なので、楽しみであった。学年毎の趣向を凝らした演奏に、拍手が沸き起こる。然し、何といっても、全校生徒56名である。人数には負けそうだが、分担が多いので張り切っている。それなりに工夫を凝らせての演奏会だった。堂々としたフェステバルでしたね。

 午前中に終わってしまい、帰宅してから庭をごそごそする。娘が帰りを立ち寄ってくれ、喪中葉書の勢作に没頭してくれた。私は、朝顔の後片付けや、水遣りをして、携帯で枇杷葉を撮影した。茂木枇杷の花芽が、ほんの少し綻んできている。それで思い出して、北東の川側に行ってみた。これも鈴生りになっている。しかも咲き始めている。

 で。何気なく白枇杷を覗いて、仰天した。花芽だ!!たった一枝だが、硬い苞に覆われた花芽が、嬰児の手の形についている。そして胸が篤くなった。きっと母が亡くなったからだ。と、じっと見つめた。白枇杷の実を食べさせてはいるが、買った物で我が家のではない。この木に花芽のつくのを、どんなに待っていたことだろう。

 同時に、私が生きている内には、付かないのだ。とも思っていた。半分以上諦めていたのだ。それがどうだろう。正直うれしいとは思えない。それでも花が咲いて、実が生れば、仏壇に供えてあげれる。枇杷葉自体が不思議な樹だもの。況してや白枇杷の怪異は、全くの偶然だとは思えない。枇杷葉が迷信で、忌み嫌われる理由もそこにある。

 私には、そういうことがあるが故に、枇杷葉の摩訶不思議を、探求したい思いが渦巻くのだ。自然の仕組みであり、命の源になる、宇宙の底には、人間が計り知れぬ、混沌とした集まりがある。止められない、過去から未来へと流れていく時間がある。入り口も出口もなく、周り続ける渦があるのだ。私には、敬い、感謝するしかない。

 どんな小さな事でも、自分なりに納得して、心を込めて行なえば、神さまは必ず、見てくれておいでだ。困った時しか、神さまには頼まない。と言う本音も、実際には困っていないから必要ない。誰かがしてくれる、自分はしなくてもいい。というような考えでは、本当に困ってはいない。まだ余裕がある。切羽詰ってはいても、方法がある。

 苦しみも、哀しみも乗り越えていけるから、明日に繋がる。今は希望もなく、絶望しかなくっても、一筋の光に導かれて、往くことができる。弛まぬ努力も必要だが、自然に任せることも大切です。流れに逆らわない勇気もいるのです。じっと温めていける心が大切なのです。そんな気持ちにさせてもらえたのも、お蔭なこtに違いありません。

 茂木の赤枇杷に吊るしたベゴニア。お気に入りの場所です。

 
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