枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

煙に巻く・・・

2013年05月31日 | Weblog

 毛虫の大量発生に、ふと思いついたのが、石灰である。まるで雪が降ったように、葉にかける。農薬は、人体に害があるが、石灰なら手についたので、眼を擦らない限りは、心配ない。これをやると失明する。毛虫が、石灰のついた葉を食べると、どうなるのだろう。

 春先の異常な寒さが、毛虫の活動を妨げ、一気に暖かくなったことで、生き残った毛虫が、子孫繁栄の危機に、瀕しての結果だろう。まあ自然の摂理でもある。本能的なもので行動する、生物の特徴かもしれない。人間には、本音と建前を上手く、使い分ける。

 山芍薬が咲いているそうだ。今度の休みに、行ってみようか。芍薬も、百合も、日本古来のものは、山芍薬であり、笹百合であろう。これからの時期には、山百合の清らかな姿が、笹の中にすっくりと立ち並ぶ。今尚、あの風景を忘れられない。祖母も母も居た頃。

 梅雨の晴れ間である。洗濯物がよく乾く。風の匂いがするようで、抱えた洗濯物がざわめく。畳まれて姿々とする。ちんまりと座っているようで、微笑ましい。箪笥に仕舞われては、窮屈であることか。きっと痺れが切れるのであろう。時々、胡坐をかいたりする。

 桑の実が熟れ始めた。孫が見つけて食べている。この時期、山女の花が咲くが、薄紫の小さな団子鼻のようだ。我が家の庭にも、種が発芽しているが、未だそこまではなっていない。うふふ・・花が咲くのが楽しみ。況してや実が生る等、わくわくしてしまう。

 此処の住まいは、元は田であった。山は傍だ。自然の中に、家が建っているのだ。どちらかといえば、風が吹けば飛ぶような。然し文句も言えない。自分の持ち家でないので、改築もできず、細かいことも町にお伺いがいる。面倒くさいものでもある。

 今年買ったヒヤシンスの球根。どでかい花が咲いた。来年も咲くのだろうか。そこら中に匂いが漂っていた。

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曇り空に・・・

2013年05月30日 | Weblog

 雨が降りそうで、さてどうだろう?と、曇り空を見上げる。洗濯物が干せない。畳もうとしたが湿っている。黴が生えそう。夕方になって、タオル類だけ、乾燥機に入れる。肌着の湿っているのはいけませんなぁ。扇風機では乾きません。

 日曜日の献立が決まらない。そろそろ素麺の季節です。余り冷たい物は好まないが、夏の風物詩だ。流し素麺もいいが、場所がない。滝の流れ落ちる下で、素麺の流れるのが食べたい。旨いだろうなぁ。自然の水は冷たくて清いもの。

 勤務を終えて、エアコンのフィルターの掃除、換気扇の埃を取る。1施設は済んだが、もう1施設ある。フロアのと事務所のを外そうとしたが止める。残業は出来ない。早く帰らねば、気になること仕切りだが、安全運転で帰宅。夕焼けだ。

 小指大くらいの毛虫がおり、十数匹を捕獲。枇杷葉の葉を、食っておるが、丸々と肥って、美味そうである。農薬をかけていないのが、こんなに美味しいとは。むしろ、人間でないだけ、正直そのもの。枇杷の実も、親指大にはなった。

 根槐を乾燥した、ドクダミ茶を飲む。牛蒡をキンピラにする。お通じがよろしい。体も、塩でごしごし擦る。確かに沁みるが、痒みが消えるのだ。ほんとうに嘘のように、痒みがなくなるのはありがたい。薬だと、痒みが倍増することもある。

 枇杷葉茶の効き目に、意外なことは、肌が白くなること。滲みや雀斑が、知らない間に消えてしまう。宮部みゆき『桜ほうさら』には、左半分に大きな痣がある、女性が出て来る。もしかしたら、枇杷葉茶を飲めば、薄くなる気がしてくるが。

 私のは、小さいからか、失せてしまった。腰のところと、顔の頬にあったのだが。何時の間にやら見当たらなくなったのが、不思議でしょうがない。可なりなコンプレックスでもあった。然し尚、花芽茶がよかったのかは確定ではない。

 春の庭の花は、どれらを見ても、心が温かくなる。またその色合いも、やわらかいのがいい。

 

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呉服の日

2013年05月29日 | Weblog

 曇り空かと思えば、薄日の射す日であった。とても布団は干せない。気温は然程ではないが、蒸しむしとする。毛虫にナメクジがあちこちにいる。バッタも葉に止まって、食事中だ。枇杷葉の新芽が萎びているのが目立つ。ナメクジかな?

 古くなった衣類の始末に、そのままゴミで出すのは頂けない。そこで少し形を変えての処分という場合、これが何時でも良いというのでもない。暦には、そういったことはむろんの事、建築などの吉凶も記してある。気になれば参照しよう。

 因みに、今日は呉服の日だそう。確かに、語呂合せだ。蒟蒻の日とも言うらしい。成程、と頷けるが、枇杷葉温圧療法に、蒟蒻を使う立場としては、特に感謝の念を強く持つ。その日その日の痛みの度合いで、生葉が黒くなるのも感謝。

 このブログも、長年続けてきたものの、始めた頃の記述は、いい加減なものであった。然も、読み難い。浜さんのご指摘があって、文章の段下がりや、絵文字を変えた。以来、何行かを書き、一段空けての記述にしている。内容は重なる。

 昨年までは、枇杷葉の葉は、余り被害がなかったのだが、近くの農家に農薬をするらしく、我が家に避難してくるらしい。困るよ。事情はわかるが、新芽から硬い葉まで、見境なく齧られては、一晩寝て起きたら、え~っ!という有様である。

 幾ら何でも酷いよ。フェンスの蔦なら、食べ放題でお構いなしなんだが、殊枇杷葉に関しては、使用目的があって植えている。まあ、言って聴かせて、わかるとは思えないが。今年、大量発生かな?神さまも気紛れだから仕方がないが。

 休みであったが、家事に追われた。ダニに不安になり、久々に掃除機をかけた。若い頃には、掃除と洗濯は欠かさなかった。今は、洗濯はするものの、掃除は汚さない工夫をする。リエさんが、来られるまでにはカーテンを替えたい。

 ヒヤシンスの咲く、春の庭。花の匂いが何処からともなくしてくる。微かな香りも、春の歓びに溢れている。

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飛ばされるぅ~

2013年05月28日 | Weblog

 今朝のこと。勤務先に行くのに、駐車場に着いたまではよかったのだが、車を降りて歩こうとしたら、傘ごと吹っ飛ばされそうになった。ひょえっ~、質札ではないぞ。思わず降りた車にへばりつく。危険極まりない。駐車場から命がけで歩いた。

 肌寒いのに、ちょっと動けば暑くなる。あれもこれもしておかねば、と気持ちは焦るが、おくびにも出さず、順序よく片付ける。以前は、何をしても息が上がることはなかった。最近は、動悸がする。要領が悪いので、中々捗らない。時間ばかりかかる。

 帰宅したら、ポストにサンタさんからの珈琲が届いていた。明日かもしれないと思っていただけに、ほっとした。それにしても、毛虫が多い。葉がありませんです。おまけにナメクジが・・・。枇杷葉が好物とは知らなかったのだが、美味しいからか。

 枇杷葉も、もしかすると植えてある場所や、土質・水はけにしても、色んな条件があるだろうから一概には言えぬが、海辺の枇杷葉は、甘さが強くあり、山のは多少とも、苦味があるのかもしれない。我が家の枇杷葉は、糠と塩を入れるので甘い。

 加えて、寒中に収穫するのもいいようだ。実際、甘味が乗って旨い。色々な時期のを、少しづつ採って、飲み比べをした。風味が違うように思えたのは、年末辺りからだ。それも、花芽が咲き始めた頃からが美味しかった。化学肥料では渋い。

 然しこれも、薬の基本から言えば、苦味や渋みは体に佳い。良薬口に苦し、と言う。唯、口当りを気にするのであれば、寒中の時期が好い。癖がなく、単調な味ではある。枇杷葉茶の色は、夕焼け色とも言う。煎じて暫く置き、飲むのがいい。

 昨夜からの雨で、昨日買って来た、デルフィニュームの苗がついた。ポット苗であったが、3つ買った。しめて¥300である。ものすごく得した気分。青い花であるのがいい。かすみ草がそろそろ咲くか。芍薬の、白色と薄桃色が咲き出した。

 菜の花畑に入日薄れ・・・さながら霞める朧月夜。何とも妖艶な月の姿。春は、魔物が潜んでいるようだ。

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入梅・・・

2013年05月27日 | Weblog

 ニュースでは、入梅したらしい。例年より11日早いそうだ。遅い春に、やっと暖かくなったと思えば、梅雨に突入とは。枇杷葉の新芽が萎れているのを発見する。毛虫の大きくなる途中のが、あちこちに見える。バッタも紫陽花を穴だらけにした。

 夕顔の種が発芽、綿の種も出る。店頭には苗が並んでいるが、雨が降らないので、中々出なかった。薔薇の蕾も咲いており、風に匂いが漂う。今年は、台風の大型が来るのか。蜂の巣が軒下には見当たらない。台風、地震、津波。危険が迫る。

 先日の25日は、湯島天神際であった。試験に合格したお礼参りがしたかったのだが、リエさんが代わりに行って来れる。ということでお願いした。いやいや、我ながら必死でしたからねぇ。家でもですが、勤務の休み時間にも、ひたすら暗記していた。

 勤務仲間の応援もありますが、菅公のお札はよく効きました。ありがたいお札です。菅原道真公は、学問の神さまですからね。天神様とも呼ばれ、梅をこよなく愛でた方です。梅の花はもちろんですが、梅干はよく食べています。弁当に入れます。

 ドクダミの白い花が咲き始めた。可憐な花に、足を止める。ドクダミは臭いと言うが、何故か我が家のドクダミは、然程ではない。確かに、手で触ったら臭ってはくるが、何度も手を洗うほどでもない。多分に、体のためにいいと思うからだろう。

 農薬がかかっておらず、緑の葉の艶がいい。ドクダミの根槐を掘り、乾燥させる。寒中に取るから甘い。臭みも思うほどはない。水はむろんのことだが、味噌作りもいいし、何をするのにも、寒中が適している。腐りが少ないのもいいのだ。

 乙女椿。昨年に比べて、半分くらいの花が咲いた。今、新芽が覗き、黄緑色の葉を見せている。とても美味しそう。

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香る風

2013年05月26日 | Weblog

 庭の薔薇が、薫風に匂う。四季咲きの薔薇だが、今年は朝夕の気温が低く、日中は暑くなっていたので、色が特にいい。加えて匂いも、自然の香りが漂う。香料とは違った爽やかな香りが、鼻腔をくすぐる。然し、香水ともなると、むせ返る感じになる。

 調香士の仕事が、どんなものかは知らないが、微妙な香りに対する、嗅覚が優れていないとできないようだ。感性もあろう。ヘリオトロープのくすぐるような香り、スズランの纏いつく香り、薔薇のむせ返る香り等、幾重にも重ねていくのだろうか。

 梅の清々しさ。ドクダミの純粋さ。夕顔の妖艶さ。花の持つ、独特の香りには、出逢った想いも繋がれて、様々なドラマがあることだろう。断片的な想いも、忘れたくても忘れられなかったり、その匂いによって、過去に引き戻されていくこともある。

 午前中、天気の下に布団を干し、息子と一緒に古里に行く。祖父の墓だが、華筒が傾いたままなので、もう一度土を掘って、華筒を埋め直す。シキミが無残に投げ捨てられていて、呆気に取られる。帰ろうとしたら、墓石が倒れているのに気づく。

 祖母の華筒も倒されている。ご先祖が、何かを伝えたくて出てきたものか。それにしても、筍欲しさだとしたら、罰当たりなことだ。今度は草刈に来よう。父や母、ご先祖様に詫びて、山道を降りた。兄の姿を見たが、行いが顔に出ているようだ。

 帰宅し、大急ぎで水遣りを済ます。布団を終い、昼食をかきこみ、友人との約束場所に出かけるが、姿が見えず電話を入れる。未だらしい。駐車場に車を入れ、先に園内に行く。暫く見ていたら隣に立った。目星の苗木を見つけ、其々に買い求める。

 介護福祉士の受験時に、湯島天神のお守りと、上司の子どもさんが選んでくれた手拭。何故かこれで受かった気がするが。

 

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初夏の空に・・・

2013年05月25日 | Weblog

 気持ちのいい風が、網戸にした状態で吹き抜ける。心地よい。外に出ると立ち眩む。暑いではないか。この時期の冷暖房が要らないのがありがたい。換気扇とフィルターの掃除を終える。高い場所のは、脚立に上がれないので断念。

 切り傷や擦り傷、打ち身、捻挫、打撲等、枇杷葉エキスでの治療で治る。虫刺されにも効果が大きい。数年前のこと、蜂に刺された箇所に、枇杷葉エキスを浸したタオルを当て、何度も取り替えることで、腫れは引いて毒もなくなった。

 蜂に刺された原因は、黒い網の帽子を被っていた。いきなり頬を刺された。何が起きたかわからなかった。もう一度刺されて、帽子を脱いだ。其処に蜂の巣があることに気づかなかった。鉢は黒い色に攻撃を加える。自然の掟である。

 昼間は活発に動き回る。夕方には巣に帰る。その習性を失念していた。以来、白い服装で草を抜く。事前に大蒜エキスをかけておく。身近に枇杷葉エキスを持つようにした。何時も誰かが居るとは限らない。前回、嫁が居たのは幸運。

 今晩は満月。天気は下り坂のようだ。いやいや、雨にも降ってもらわねば、鉈豆が発芽しない。綿の苗は出てきた。毎年、綿を育てて服ができるのは、何時のことだろう?肩が凝りそう。気長にやるしかない。百日紅が青々としてきた。

 体の痒みには塩が効く。アレルギーも持っているので、その痒さは半端ではない。痒みを感じたら、塩を摩り込む。入浴の際にも、塩で体を擦る。枇杷湯に体を浸す。少々は沁みるが、痒みは治まる。掻いて血が滲むこともなくなる。

 芍薬が大輪の華を咲かせ、あまりの重さにしな垂れている。先日、孫が活花にするというので、切ってやったが、無残に短く切られていた。芍薬は、水揚げもして、そのままでいいようにしていたのだが。切ればいい、というものではない。

 南側から、西の方角に向かって撮った。左側には、桑の木がある。植えて4年目の枇杷葉。硬くてごわごわの葉を採ると、背が伸びるようだ。

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薬に頼らない暮らしを

2013年05月24日 | Weblog

 漢方も、店頭に売っているものではなく、民間の治療法は、誰にでもできる。然しまた、間違ったやり方や思い込みから、命を落とすことにもなる。生兵法は怪我の元。私の場合は、祖母からの教えが大きいが、実際には覚えていることを、確認する。

 薬は、どんな物でも、効能が全てに効くとは限らない。誰しもに合うはずがない。煎じ方にもよるし、症状で異なる。桔梗、芍薬、福寿草、万年青。トリカブトがよく知られている。用いる部位に依っては、効果が現れ、他の部位では危険が伴うからだ。

 枇杷葉もそういった意味では同じで、極一部の人には拒絶反応が出ることも。その時の症状や精神的なこと。或いは、原因さえ特定できないことも。従って、漢方に詳しい専門家に聴くのも、あるいは方法だろう。むろん、料金は高い。当たり前のこと。

 民間療法は、経験や感がとても大切で、森羅万象の理を知っていなければ、物事に対処できない。神の存在や、宇宙の倫理・無限大な時の流れ。果てが無く、果てがあり、広がっていくブラックホール。命の誕生と死。全てのものの往きつく果てに向かう。

 ソクラテスやプラトン、ニーチェ。かの哲学の根本は、何処から始まって、何処に往きつくのだろう。命は、誰から与えられ、誰に還すのであろう。彼方からの呼び声にも耳を澄まし、己を精進させる。或いは、魔の虜になることも。悩み、迷いながら生きる。

 自然界の恩恵を、与えてもらえることの感謝。生かされていることへの深い想い。自分の使命を悟り、冷やかで、凛とした姿でいることの難しさがある。出会い、別れを繰り返しては、一つの命を終える。これ程に壮大な、宇宙の歴史があるのだろうか。

 ほんのひと時、枇杷葉の木の下に佇んで思考する。何と多くの歴史が、此処に存在するのか。視えるものと、手を差し伸ばすが、空をつく。透き通った物体は、やがて時間の渦に引き込まれていく。虚なるもの。過去か、未来かさえも不明な出来事。

 3月下旬の春の月。春の闇には魔物がいるらしい。その魔物は、ちょっと気弱なところがあるのかもしれない。

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卯の花の咲く

2013年05月23日 | Weblog

 勤務途上の、道路脇の壁に、野茨が咲き群れている。白い花が清楚だ。もう暫くすると、卯の花もしな垂れる。何とも愛らしい花で、これが咲き始めると、田ごしらえの時期だと知る。子どもの頃、一面に咲き匂うのに、家に持ち帰ろうとした。

 祖母は言う。野の花は、野に咲いてこそきれいなんだ。無闇に手折ることをさせなかった。傍にあるスイカズラの花の蜜を教え、麦わら人形を作ってくれた。ユスラが熟れ、グイビや梅の酸っぱいのが、お八つ代わり。腹は何時も空いていた。

 そろそろ冷房のスイッチが入る。もっと早くにやりたかったんだが、研修時間までにちょっとあるので、フィルターと、換気扇の掃除をする。埃が凄い。経費節減でもある。可と言って、小まめには難しいのも実感。脇目も振らずにし終える。

 昨夜は、布団を干したこともあり、湯たんぽをしなかった。暑くて眠れない、というのでもなく、ちょうどよいくらいの気温。然し安心はできないので、蒟蒻を温めての、腰痛予防を怠らない。生葉は、必要なだけ庭から採り使う。経済的。

 備えあれば憂い無し。とも言うが、用心には越した事はない。日中は、焼酎漬けの枇杷葉を、手拭に包んで腰に当てている。友人も、足の痛みに湿布をしている。と話していた。市販の湿布は効かないが、枇杷葉はじんわりと効いてくる。

 何に効く。という効能を並べるものでもないが、略押並べて効果がある。一番の効能は、血液をさらさらにする。これは玉葱も同じだ。枇杷葉茶は、錆びついた水道管宜しく、血管を掃除する。細くなった所を、難なく元の状態にしてしまう。

 外科的な威力を発揮し、自然治癒能力をフル回転させての工事をやる。枇杷葉は、この時期出回っている枇杷の実を買い、種を植えれば育つ。同時に数本育てていけば、収穫も安心してできる。鉢は大きめの物を用意すること。

 そういった手間隙がない人は、年末まで待てば苗がある。苗木店での購入を勧めます。価格は¥2,000くらいから。それさえも待てない人は、持ち主の居ない枇杷葉を見つけて、もらうしかありません。危険も伴いますが、覚悟して。

 今年の枇杷葉。寒さが和らいだ、或る日の枇杷葉。少し暖かくなったね。と囁いているようです。枇杷葉は、寒さが苦手。

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超自然現象・・・

2013年05月22日 | Weblog

 竜巻。縦横無断にわが道を行く。如かして、自然の様々な要因が集まっての、起るべき現象。ヤングスーパーマンでも、突如として現れたが、NHKの放送が終わったため、結果が不明である。つたやのレンタルを借りれば観えるが。

 屋内に居ると涼しい。久々に友人と薔薇園に出かけ、散策してきた。我が家の薔薇の花色もだが、昨年よりは鮮やか。柏餅があったのを買い、家に持ち帰り戴く。珈琲を淹れる。枇杷葉茶も湯飲みに注ぐ。買っていた枇杷を出す。

 世間話に講じる。赤ん坊は泣くのが当たり前。それを泣き止まない、と殺めるとは。短絡的な思考感覚になっている。現代病か?その要因には、便利で簡単になった暮らしがある。わざわざ作らなくても、何処にでも売っている。

 アレルギーの原因になる要素があっても、人体に及ぼす影響までは考えない。確かに、そんなことを考えていたら、口に入れる物がなくなる。病気になったら、薬を飲めば好い。治療も受けられるが、人間的な情操面はどうだろう。

 枇杷葉茶の効能は、個人の免疫度にも、抗体にもより異なる。そういった基本的な資質を作っておかないでは、書かれている通りには効かない。本末転倒である。自然界にある、様々な要素を借りても、日々試行錯誤ではある。

 鰯の頭も信心から。とも言うが、誰の・何を信じるかに依って、効き目が違ってくる。ここに書かれていることも、読んだからといって、そのままを実行はしないだろう。自分勝手に解釈をして、肝心な箇所を変えてしまう。違うよぉ・・・。

 友人が帰ったので、布団を終う。枇杷葉を見回っていたら、かけていた袋が外れている。どこかなぁと見上げて、青い実を認める。親指大になっている。枝が撓り始めたので、順調に育っているらしい。それにしても毛虫が多い。

 4月下旬の枇杷葉。まだ小さい実だ。寒かった春を越して、どうにか生っている。今年はだめかと諦めかけていたが、命の神秘さに驚いた。

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