枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

蕎麦の日、夢の知らせるもの・・・

2014年08月31日 | Weblog

 ここ2.3日、気にかかる夢見に、神経が張り詰める。古里のご先祖さまが気になるのは、枯れた巨木が路を塞いでいるためだが、年末でないと都合が合わない。他の二つは、意味深だ。それでも、福島の人々に比べたら、平穏なことに感謝する。

 今朝の新聞に、当時の福島第一原発の状況が載っていて、図らずも戦慄した。安全で安心な原発のないことを、否応も無く知らされた。人類の愚かさを記しているのに、隠匿しようと目論み、現状での再稼動を推進する等、驚き呆れ還るばかり。

 今夏の暑さは、厳しかったらしい。勤務先では、冷房があるため、どんどん温度設定を下げるのには閉口したが、盂蘭盆会を過ぎた頃から、体調に異変が出てきた。原因不明の高熱が出たり、浮腫みが激しかったり、体の冷えからきているとも。

 夏の水分で、お茶関係は別だが、ジュース類に含まれる、着色料、添加物、防腐剤等の化学物質が、体内に異様に溜まっているのでは?たまに飲むくらいなら心配はないが、朝から晩までの摂取量が1,000ccでは、相当な物だろうと思える。

 健常者でも、これだけの量を飲むのは、酷なことがある。運動量も捗々しくない者には、飲めないことの方が多い。朝、珈琲と枇杷葉茶・ドクダミ茶で400cc、昼食時に200cc、休憩時150cc、帰宅して200ccである。咽喉の渇きで追加している。

 自然の物ばかりであるから、健康を維持できる。殆んどが、無農薬で安全だが、市販品のジュースは、咽喉に甘味が絡まって、越さないのが不快だ。果汁100%の物は、認知症には無関係で、味覚だけは残っている。美味しい物を提供したいもの。

 年齢を過ぎれば、何処かで、誰かの援けを借りねばならないが、日中は静かに過ごしたいし、食品は安全な物を選びたい。図書館に併設された、施設が望ましい。掃除も、雑巾で頼みたい。電気の消耗は極力避けたい。自然の中での暮らしが好い。

 夕方から、天気が崩れるらしいが、水遣りをどうするか?枝豆の花が咲いてはいるが、晴れが少ないので、育ちが悪い。庭の賑やかしにはなっている。しょうじょうバッタが跳び撥ねている。西瓜とメロン、何時収穫しよう。明日は、出張の朝礼発表。

 トマト苗を買って来た。早速に植えたが、雨に祟られて、4個しか生らなかった。無農薬で味は最高だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴天、赤とんぼ舞う

2014年08月30日 | Weblog

 明け方まで、書籍を読み眠ったので、うとうとしていた。携帯のメールの音に開けてみれば、本日は休みか?とある。何かと聴けば、昼食をどうかという内容に、迷ったものの出かけることにした。布団を干し、洗濯物を広げ、出かける。帰宅時、図書館に寄り返却。

 車の前を翳めた物体に、おやっと眼が行く。赤とんぼだ!この時期には、顔に当って来るほどいたのが、最近は久しくなった。それでも季節の到来を告げに、こうしてやって来る。但し、幾許の者が気づくだろう。蛍も赤とんぼも、蝉にしろ、自然からの贈り物であるが。

 夏休みも、正味2日で終わる。宿題の代行もあるそうだが、一般的には金もかかる。どんなに優秀な者でも、小さい時から、自分のことは自分でこなしてないと、いざと言う時に役立たないもの。あの膨大な、無駄ともいえる時間を超えてこそ、成長できると思えるが。

 銀河に因んだグッズが、パソコンの周りでひしめく。孫がくれた物、リエさんからの贈り物。絵葉書等、重なり合って埃が載っている。模様替えをするべきか。DVDが増えたので、CDとの場所を移すかなぁ。どんな小さな物にも想いがあり、捨て難い。まとめて箱に仕舞う。

 若い頃なら、思い立ったら直ぐに、模様替えをしていたのが、ここ数年は、体力も衰えて、気乗りがしない。流石に、リエさん達がおいでの時には、片付けはしたが、あっちからこっちに移動させただけである。衣類もサイズが合うので着ているし、破れれば多少なら繕う。

 ペコロスの母の、岡野みつえさんが、亡くなられていたが、知らないと言う。某新聞には、コミックの挿絵が掲載され、報じていた。91歳であった。赤木春江さんの演技が、真実味を帯びていた。介護の負担を、見方を変えて捉えた。生きていくことは、自然のことなのだ。

 死に直面しても、現実には死ぬのは怖い。そういう想いを度々夢に視る。其処に往っても、助け出せない命ではあるが、やりきれない気持ちに陥る。だが、これが放射線なら、眼に見えない体内の恐怖が、常に付き纏うのだ。戦争も、原発再稼動も許されるものではない。

 薔薇の挿し木で付いたもの。農時期を記していないので、定かではないが、秋に挿した方がいいようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考え方の相違・・・

2014年08月29日 | Weblog

 他人の物を、黙って飲む。器に入れて出されれば、飲むのもいいだろう。でも不在であったり、その場に居ない時、勝手に黙って飲めるか?其処の感覚が理解できない。飲むな、と言うのではないが、そこは一声かけるべきだろう。お礼も言わず、当たり前の態度では。

 先日、賞味期限の切れた物を戴いた時、同じ物は返さなかったけれど、本人に謝って代わりを差し出した。捨てるにはもったいなく、腐ってもいなかったからだ。最近の考え方には、日付を見ては捨てル事が多い。年代を感じて悲しくなる。青かびは薬と食べたものだ。

 捨てて好いのは、自分の負担だろう。或いは、欲かも知れない。下手に拘っているよりは、素早く判断して他人に譲ることも必要。またそれで、福が舞い込むこともあるし、変なことから逃れられることもあり得る。そのバランスの取り方に依って、人生が変わることもある。

 奇貨居くべし。歴史小説は、その時代に往くことはできないが、共感したり得るものが多い。何に於いても学べることは愉しい。基より、作家の力量にもよる。考え方が違うという事は、視点も異なる。時代の人物像を描き切る作業には、冷静な筆量もあろう。読後感が佳。

 ケネディの長い日を少しづつ読んでいる。第二次世界大戦の頃の、若きケネディである。凶弾に倒れなかったら、どんな老後を送っているのか。世界が変わったことは否めないが、それも運命でもあったのか?魔力を持つアーサー王の剣は、何処を彷徨っているのか。

 体重が体にかかる比重は、どの位で膝や腰に負担をかけるか?身長に対する体重は、長い間に悪化し、膝の痛みに追い討ちをかける。痩せているからと安心もできない。それはそれで体力で悪化する。年齢と共に、日々動かなくなっていく。辛抱か諦めてしまう。

 今朝の新聞の投稿に、膝の痛みを歩いて治す、とあった。そういう方法もあるんだなぁ、と感心する。個人的には動くのは厭だし、痛みを我慢してというのも。枇杷葉の葉で、軽減できることを知っているから、不思議でならない。枇杷葉があれば、手軽にできるのにね。

 今年の弥生に見つけた、小さな枇杷の実。悲しくなるくらい、結実しなかった。それでも、生ってくれたことがありがたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉月、三日月

2014年08月28日 | Weblog

 今夏の宇宙は、雨続きで殆んど観れなかった。月さえまともに観ていない。初秋の宇宙も、似たり寄ったりである。心が塞いでしまう空模様に落胆するが、これも自然の成り行きだ。百日紅の、薄紫、白、紫、赤、桃色が風に揺れる。野葡萄が蔓を伸ばし、フェンスに絡む。

 きらん草が増えており、愉しみなこと。薩摩芋の勢いが好く、大豆も大きく育っている。蕎麦を蒔くのは、この時期らしい。知人が上げるからと言ってくれたので、心待ちでもある。育ってくれれば、食べるよりは増やしていきたい。たくさんになってから、蕎麦を打つ目論み。

 帰宅して、駐車場の草を抜きつつ、枇杷葉を見ていたら、葉の中心に苞が見える。長崎茂木であるが、他のはどうだろう。今年の秋は暖かい見通しだが、長雨に花芽は付くのか思っていた。それが自然ではあるものの、あの香りは捨て難い。アロマ効果は抜群なのよ。

 夏が涼しかったお蔭で、扇風機は出さず仕舞い。網戸が充分に役立った。電気代も格安で、要らぬ出費を免れた。原発にも頼らずで、これが何より安堵する。然し、電気代は、知らぬ間に上がっており、腹立たしい。水道代も節約できた。消費税を8%にしていいことない。

 これが10%になれば、生活は機能しない。自民党は、国民を守らないのは下より、私服を肥やし続ける。福島第一原発の汚染水も、汚染土も知らぬ素振り。痛みを分け合うというが、東京オリンピック開催に執着するばかり。借金が増え続けていき、国民は呆れるばかり。

 そう言えば、広島という映画がある。月丘夢路さんが主演しており、原爆の恐ろしさを知ってほしく、ノーギャラでの出演と言う。はだしのゲン、黒い雨にも記されている通り、ウラン型の原爆とプルトニューム型のは、殺人能力が桁外れに違う。人類は最大の過ちを犯した。

 科学と化学の違いは何だろう?いや、変わりはあるまい。平和的な活用には程遠く、人間が直に殺すのではなく、機械に依っての殺人だ。感傷など存在もしない。ゲームのように殺戮を行う。心の呵責はない。神に祈ることも、懺悔することも皆無で存在しないのだろう。

 蛙さん、姫が行方不明で困惑している。土竜も燕も待っているのに、主役の登場がない。王子様って、タイプじゃない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護用品etc・・・

2014年08月27日 | Weblog

 ベッド自体が、上に乗っている者を感知して、どう動けば体の負担が少ないか、褥瘡にはならないか、本人の考えることに、素早く反応する機能を持つ。おしめを換える時には、臀部を持ち上げ浮かす。ほんの少し上がるだけで、介護は数段やり易い。

 神経を繋げることに依って、体の機能が回復し、歩け、話せ、摂取できる。期限限定であっても、思う存分に生きられれば満足しよう。原発再稼動に依存する前に、人類の挑戦をしてみるべきだろう。介護の内容も、汚くて、しんどいから解放されよう。

 何故、できないのだろうか?否、造ろうとしないからだ。人間には、様々なタイプが居り、1人として同じ者は居ない。ロボットなら大量生産にできるが、人間はそうはいかない。況してや、母体の内で10ケ月10日を過ごして、産声を上げ誕生するのだ。

 近未来では、自然分娩は行われず、カプセルの中で、栄養液を注入されて発育される。コンピューターの弾き出す数値に依って生命数が決められる。性別も均等に分けられる。専門分野に区切られ、スクールゾーンを遮断する。知識だけを詰め込む。

 竹宮惠子氏の、ジルべスターの星からを思い出す。或いは、光瀬龍氏の、アンドロメダストーリー。デューン・砂の惑星も然りだ。科学の発展には必ず、危険も併せ持つもの。いつの時代に執っても、権力者が力を広げる。だが、自然は消えているのか。

 見捨てられた場所、忘れられた所に、小さな命は生まれて来る。膨大な時間は掛かるかも知れないが、命の芽吹きは繰り返されるもの。資源は尽きることはあっても、命の再生はできないのだ。明日の身はどうなっているか、決して保障はできない。

 枇杷葉にしろ、ドクダミにしても、その生命力の旺盛さは比較にならない。医学や科学がどんなに発展しても、そのエネルギーには及ばない。人類を援け、共に歩むことができる。自然からの力の恩恵を、侮ってはならない。自然は地球を守ってくれる。

 菜の花畑に入り日薄れ、見渡す山の端霞深し。春風そよ吹く空を観れば、夕月かかりて匂い淡し。田中の・・・朧月夜。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二日灸・腰痛が・・・

2014年08月26日 | Weblog

 おそらく、湿気の関係ではあると思えるが、足の付け根と脹脛にかけてに、鈍痛がある。痺れも抜けない。暦を見れば二日灸で、気だるい体を叱咤しつつ、枇杷葉温圧療法を施行する。昨晩は朔日なので、枇杷湯を新しくした。足湯と半身浴で体を温めた。

 左の大腿部を、バスに乗っていた高校生の時、急停止に依って強打した。1ヶ月近く腫れが引かず、以来足を引きずることがある。勤務中にはそういった気配は見せないが、自宅に居ると安心感からか、左足が重だるい。今年は湿気が多いので痛みもある。

 仕事の関係上、動けなければならないので、休みの日には外出は控え、家での治療に当る。するべきことをしないでは、体も応えてくれまい。今週中は、雨の多い日が続くとあるが、予防に越したことは無い。歳を重ねると、自分の意思だけでは動き難いもの。

 枇杷葉茶を飲用してから、体の変化が著しいが、中でも尿失禁が消えた。以前には、ちょっとしたくしゃみでさえ、あったことを思えば首を傾げてしまう。明らかに枇杷葉茶のお蔭だろう。CMでは、そういった物をあてがうが、個人的には厭だ。激しい爛れになる。

 生理用品に、布パッドが普及してきた頃には、用がなくなっていたが、介護用品で困るのが、紙製品だ。あれは絶対に厭だ。長時間安心と言うが、皮膚の敏感な者や、湿気が籠もる物には抵抗がある。然し、枇杷葉茶の効き目が、これ程凄いとは驚きである。

 外出していて困るのは、トイレの問題だ。手入れの行き届いた場所ならいいが、何時掃除したのか?と思える所では躊躇する。枇杷葉ローションを随時持ってはいるが、不快感が消えないこともある。できれば行きたくない想いがする。枇杷葉茶に援けられる。

 枇杷葉茶には、精神安定剤の働きも多く、体の機能回復をもたらす。だが、即効性には疎く、日々根気佳く続けねばならない。山に登るのが如何に速くても、天候不順や、異変を知っての判断は、生死を分ける。ゆっくりでも着実に登る方が、頂点に永く留まる。

 春の庭に、蕾を見せたフリージア。植えた場所の、何処に何色かを覚えきれず、咲いてはっとする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉月、朔・大潮、旧八朔。

2014年08月25日 | Weblog

 陽射しが見えて安堵。午前中に塩を変え、洗濯物を干して、一段落する。午後から、青空市に出かけ、野菜と果物の葡萄を買う。本屋に寄り、注文の文庫を受け取り、DVDも一緒に買った。図書館が休みなので、DVDの観賞である。往復時雨があった。

 車庫の土に、草が見える。長雨に蔦は伸び、木香バラも新芽を出す。枇杷葉の生葉を少し採る。腰痛予防にするのだ。肩凝りには、焼酎漬けを当てている。ひんやりして気持ち好い。これ等を施行する時に、注意するのは、枇杷葉エキスが写ることだ。

 特に、淡い色の衣類には、付くと落ちない。専用のタオルを決めておき、使うと良い。白にはハイターでも駄目で、用心が必要だ。染物をするにはもってこいで、殺菌や消臭効果が著しい。枇杷葉の木があれば、医者要らずに加えて、節約ができるのだ。

 野良猫が、屋敷の中に入って来て、至る所に糞をする。その臭いには閉口する。枇杷葉茶を飲んでいないから、たまったものではない。高級品の餌よりも、枇杷葉茶を飲ませて、消臭効果に努めてほしい。まあ、野良では仕方がないか。困ったものだ。

 嫁が来たので、葡萄をことづける。孫等が好きなので、食べさせたい。果物の農薬はかけないで、手間隙をかけた方が美味しいのだが、合理的でないそうで、儲けも少ないとか。でも、体に毒を溜め込むよりは、安心して安全な物を戴けることがいい。

 新聞を読んでいると、知りたい情報が詰っている。活字の大きさに少し、抵抗はあるが、理解できる範囲を記している。わからなければ、何回でも読み返す。活字であるので、何時でも読める。ネットをしているので情報は事欠かないが、じっくり吸収可能。

 鶏頭が小さな花をつけている。陽射しに映える筈が、長雨で伸びない。メロンも枇杷葉にぶら下っている。甘味がないのが残念だが、いい経験になった。雨も大事だが、太陽の陽射しはもっと大切なこと。夏は暑くなくては、作物が育たないことを再認識。

 白いクリスマスローズ。1枝からたくさんの蕾が出た、と思ったら豪華に咲いた。何ヶ月も咲くので愉しみ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴れ、曇り、雨になる。

2014年08月24日 | Weblog

 予想した雨である。河の水嵩が増えないので、先ずは安心する。然し、県北は大雨の警報が出ている。それが此処まで、押し寄せて来るには日数もかかる。このまま降り続けば、河は濁流と化す。決壊したら危ういのだが、危険に疎い。下手に移動しないことだ。

 そうなると、仕事に行けぬが、仕方がない。危険を冒してまで行くことは、命を落とすことにも成りかねない。これでも政府は原発を再稼動するという。汚染水の海への垂れ流し、沖縄の辺野古への基地増設強行。オスプレイの内地移動等、国民の納得を無視。

 政府や、首相が責任転嫁をする。資産のある者が偉いのか?権力のない、自由は存在しないのだろうか。可笑しいではないか、国民を守る、日本国憲法は、一体誰のためで、何のために成立したのか。戦争に負けたが、アメリカに対して右に倣えがおかしい。

 明日から、三連休であったが、勤務を代わって、という同僚に譲る。ちょっと予定の変更で、ゆっくりできなくなった。ニルスのふしぎな旅、少し後に回す。平日は静かで、読書にもってこいなのだ。夏休みも僅かになった。文月も今日までで、明日から葉月となる。

 文明の利器に頼り過ぎると、人間の感覚は麻痺する。勤務中でも、時間がわからないと、携帯を離せない。字がわからないと、携帯を手繰る。時計のある所まで行くのを、大儀がる。辞書を引けない。介護の仕事には、凡そ無縁のことでもあろう。気配りがない。

 何かが違うと思えるし、徐々に狂ってきているとしか思えない。体調管理をさせられている、何不自由ないと思わせ、感情も、機能も、薬で操作する。人間であることも、生きている意味さえ定かでない。食事も殆んど手づかず、虚ろな目をして座っている生物。

 認知症になりたくなかったら、自分の意思で行動しよう。原発に頼らず、多少の不便をしようとも、生活をしていくことを探ろう。何もしないことは、自由ではない。快適で便利な暮らし、年中を通じて、ほしい物が手に入ることは、却って不幸なこと。体に毒を溜める。

 美しい月。四季折々の、夜毎の月の移り変わりに、心がときめく。月下人は、何処だろうかとも・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

処暑、晴れ間に・・・

2014年08月23日 | Weblog

 処暑 旺盛な太陽も次第に衰え、暑熱も退く、という意で、処暑と言い、天地清く、爽やかとなる。毎年、八月二十三日頃である。それにしても、自然を侮ったばかりに、甚大な被害が広がった。自然からの警告に、気づかなかった者への戒めでもある。

大雨の予報だったが、どうにか晴れていた。昨夜は、寒いので窓を閉めて眠った。今朝は、山裾にまで、霧がかかっていた。曇り空に、太陽が鈍く輝く。洗濯物が気になるが、外に干しておいた。Aさん家に寄って、水をもらって帰る。おでんをご馳走になる。

 足が痛いと言うAさんの、土踏まずを触ると、悲鳴を上げる。両手が熱を帯び、膝や足の裏に波動を当てる。暫くすると痛気持ちいい、と言い出す。途中何度も中断(電話や来客)するが、足が軽くなるまで触っていた。帰りしな、歩くのを見ると軽やかだった。

 疲れたが、心地の佳い疲労感だ。2時間余りの手当てをすると、流石に疲れる。然し、以前ほどエネルギーの放出がないよう、コントロールできている。全力疾走するのと、ウオーミングで済ますのでは、体の負担は違う。最近は、何処でも、誰にでもできる。

 予知能力、感能力というのか、心のシールドがふっと消えた時、視えてしまうことがある。一瞬のことで、残像が残ってはいるが、記憶に鮮明であるか、そうでないかは想いようだ。再び見えるのは突然のフラッシュバック。できれば起きてほしくない出来事。

 枇杷葉のお蔭をたくさん戴き、その波動を体内に籠めていると、思いがけないことに出遭う。枇杷葉には、生のエネルギーが多いので、不の世界に招かれることが少なくなった。あの日航機事故の時には、無数の手が空中に浮かんで、引き込もうとした。

 生存者が3人いたが、行きたくない!その想いを叫んだら、強烈な力に弾き飛ばされた。子ども等が見ており、あの時の顔は忘れられない。金縛りにかかっていながら、体がばらばらになりそうだった。あれから30年が経つんだなぁ。感慨深いものがある。

 春の庭。サンタ枇杷葉の様子。新芽が芽吹き、淡い薄緑の葉をそろそろと伸ばす。うららかな陽を浴びて。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋雨しのつく・・・

2014年08月22日 | Weblog

 空が晴れたかと思えば、束の間で小雨が落ちる。雨脚が強くなったり、雷が鳴り響いたり、今年の初秋は、星の瞬きも僅かにしか観えない。あちこちに異変が起きている。源氏と平家が争い、平家が負けて都落ちした。何百年も前、このような天気であったのか。

 新月が近い、月は日に日に細る。災害は、何時、どのようにして起きるのか、近場を常に散策して、危険箇所を調べておきたいもの。夏は、暑いのだ。冷房に頼って生活をしていると、小さな前兆を見落としてしまう。難しいことは兎も角、異変に一早く気づきたい。

 自然を相手にして、人間が勝てる筈もなく、文明の利器に振り回されて、肝心なことを忘れている。生きていくことには、自然からの教えが無くてはならず、数字や言葉では割り切れない、表せないことがある。全知全能の支配者であり、ブラフマンとも呼ばれる。

 神の声を聴き、使命を帯びている生き物は、人間だけとは限らない。原発の生み出す核廃棄物、その処理にかかる年数は、何十年と云われるが、大気圏外に捨てることも、地球の内部に埋めることも、さしたる違いはない。人類を破滅に導くことに変わりはない。

 この先に待っている地球の未来は、誰の制御も効かず、何者にも存在を許さない、星の姿に転じる。太陽も月も、太陽系・外に及んで、止まるところのない闇に吸い込まれていくのだ。核の脅威には、戦争への自国の威嚇が潜んでいる。平和とは、脆く崩れ易い。

 じたばたしても始まらない。時間が止まってしまうのは避けられない。罪も咎もない人間など、この世には存在しないだろう。懺悔に値することも叶わず、その日まで命を全うするしかないのだ。普段通りの暮らしの終わりは、誰にも知らされていない。ノア以外には。

 帰宅途上、図書館に寄り、ケネディ暗殺の事実、を返却する。100冊まで少しづつ読み近づいた。読みたい題と中味が、自然に伝わってこないと、飽きてしまう。絵本にも、隠された作者の想いが読み取れることもある。本は素晴しい、愉しみの増えるものだ。

 姫金魚草と、チューリップです。春の庭が鮮やかに彩どられ、日差しの中で踊っているようだ。親指姫はどこかしら?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする