枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

読む愉しみ・・・

2013年08月31日 | Weblog

 朝刊を手に取る。以前にはあったインクの臭いがないが、やはり新鮮である。毎日の小説も楽しみだが、世情の移ろいにも喜怒哀楽する。尤も、テレビ欄から見るので、重要な記事は最後になる。テレビは観なくても、大体がわかるのは、あらすじで決まる。

 何しろ、出演するメンバーが、何処の番組も同じで、どうでもいいタレントの下らないおしゃべりだ。と云うか、そういうシナリオができていて、その通りにしゃべらされている。馬鹿笑いにもげっそりする。食べ物の番組も異様に多い。物の有難みが失せる。

 やらせであろう。さくらが多いのが、実によくわかる。NHKにしろ、事前に撮影の許可を得るだろうから、そういった意味では、似たようなものだ。活字の面白さは個々に違うが、あいうえおの五十音を並べ替えて、膨大な言葉が生まれる不思議さにびっくり。

 日本語のかな文字、外来語の使い方等、よくもまあこれだけ、たくさんの言葉があるのだろう。同じ言い方でも、字体が異なればやさしくもなり、反対にきつい言い方にも聴こえる。そこに書かれている意味の多彩さにも驚く。辞書を引きつつ調べるのもいい。

 何かをしながらでも、途中で止めても、わからなくなることはない。映像は、意味不明だからややこしい。これでもかばかりにどぎつく映す。然もしつこい。文字では残酷な表現もあるが、想像の域で済むことも多い。まあ、横着者には活字は色々退屈しない。

 新しい書籍は、図書館に行く。何時も読みたい文庫は、買い置きで手元がいい。新聞記事の重要なのは切り抜く。その都度読み返してみる。脳への刺激に丁度いい。毎日新聞は、70%は信用性がある。原発のことも嘘ばかり書いているのが多いから。

 新聞代も莫迦にはならない。けれども、実益を考えると、購読してしまう。読んだ後の使い道は、廃品回収に出すだけではない。油を吸わせたり、窓を拭いたり、靴の中に入れたりする。トイレにこそ使わないが、緊急時には必要なことも。大切な資源である。

 今年の白枇杷。長崎茂木・赤枇杷と比べると、僅かながら色が薄い。味は、濃厚で甘酸っぱい。

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台風接近・・・

2013年08月30日 | Weblog

 今月は、PCの機嫌が悪く、然もそれが上弦、満月と続いたことにたまげる。辛うじて下弦は書き込む。満月の日は、旧盆にも中り、所謂盂蘭盆会である。この日には、不可解な出来事が多い。東北大地震で亡くなられた人の中には、遇えた方もいたことだろう。

 魂は、還るところがなかったり、想いが強過ぎて、行き場を失ったりすると、彷徨ってしまうことがあるからだ。逢いたい切なさが溜まると、浄化できない。せめて一目、一言が告げられたら・・・銀河鉄道に乗って逝ける。今年は、流れ星が殊更に飛んでいたよ。

 霊感が強かったり、そういった想いを感じたりするのも、能力的なことがあるかもしれないが、多くは個々への想いに外ならない。視えるということに、一抹の恐怖を覚えないでもないが、通じる願いもあるのだから、受け入れてあげるしかない。魂が浄化しよう。

 自然には、我々人間の計り知れない約束事があって、その摂理に基づいて、前世・現世・来世の世界と繋がっている。未だ解明できない事柄が存在するのも道理。至極当たり前のこと。色即是空。神の意思もまた摂理。弥勒の坐仏界へも至るのだと解する。

 還暦が近いのと、既に過ぎてしまったのとは、大いに違いがある。生き方は無論だが、思考程度にも影響は多大である。性格は、ここまで来れば、治る筈もないからだ。些細なことである。然し、食事のマナー、立ち居振る舞い等、培ってきたことで修正不能。

 例えば、お箸の持ち方。或いは、相手に差し出す時の置き方。お茶の淹れ方一つ取っても、自然の手つきでしたいものだ。珈琲を淹れるのに、粉は溢す。砂糖は撒かす。陶器の周りはお湯浸し。お盆を拭いて出すのならいいが、そのままである。飲む気がしない。

 食事の介助も、お皿やお茶碗に箸やスプーンを賑やかに当てては、どんなに素晴しい介助も値打ちが下がろう。耳障りなことこの上ない。高齢者の方には、そういった行儀作法を、徹底的に教え込まれている方が多い。誰に云われなくても気づいてほしい。

 特に、両親が厳しかった訳ではない。貧乏であったが故、茶碗を割らぬよう、お箸をちびささないように、静かに食べた。物は傷んだり、壊れるのは当然のことだが、大事に使い、大切に思うことで違う。そこには愛着も湧く。やさしく丁寧に扱おうと思うもの。

 衣類も、解れや多少の破れは、繕いたい。新しいのを買えば好い、というのも反対はしない。でも先ずは、直すことをしてみては。消費税が上がっていくんだ。簡単には買えない。最低限の購入に留め、サイズに見合った体にしよう。お腹を引っ込めねば。

 パソコンの左壁。ドナルド、ヒューイ、リューイ。リエさんにもらった、猫の時計。銀河にそっくりです。

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早起きは・・・

2013年08月29日 | Weblog

 パソコンの機嫌が、朝はいいらしい。夕方からは混み合うのか。そこで、ちょこっと書き込みをしておくことに。新聞に眼を通す。アメリカには、裏事情が多い、ということに納得する。日本でもあるのだ、大国だけに膨大なものであろう。

 働いて報酬を受け取ることが、当たり前と言えばそれまでで、それには相当の働き方がある。基本的には人間性で、マニュアルどおりにしても、ちょっとした工夫をしても同じである。時間が過ぎれば好く、しんどいことをしなくても。

 でも、それは違う。掃除が行き届き、空気の爽やかな居場所を提供したい。そこまでしなくてもいいかもしれないが、そういった些細なことにも気をつけたい。何かが違うんだが、それに気づこうとはしない。動こうとはしないもの。

 介護の仕事に、腰痛は付き物。医者が嫌いだから、民間療法でしているが、痛みはある。我慢もしている。働かねばならないから、枇杷葉のお世話になってやっている。決して平気な訳ではない。病院とは違うが、命と向き合っている。

 人間性がわかるのは、何も丁寧に話すだけではない。そこには必ず、心があるんだ。それが態度に出る。真実、相手のことを考えたり、その行動が取れるなら、自ずと雰囲気が醸し出される。年齢を経て、内面は自然と現われる。

 某新聞の記事に、美しさは内も外も同じ。だとあった。幾らお化粧で誤魔化しても、心の中は騙せない。茶道や華道をしていなくても、その所作は自分で努力したい。生かされていることの感謝の想いや、お蔭さまでの気持ちを持ちたい。

 やっと秋らしくなってきた。花木もどうやら持ち堪えた。自然からの命の繋がりには、希望も望みも含まれる。決して太陽の昇らない日はない。月の輝かない夜もない。雨や雲に覆われてもやがて晴れていく。森羅万象には抗えない。

 自分の使命を忘れそうになる。辛抱であろう。上司の居る所でだけ、格好をつけていても、錆は出る。誰でもない、自分の身から出さないように気をつけよう。掃除の手抜かりなく、整備された環境を、配慮できる努力をしよう。

 金魚草。毎年種が落ちて、春先には自然に発芽してくる。毎年、花の色も様ざまで、愉しみでもある。

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再稼動への動き・下弦

2013年08月28日 | Weblog

 伊方原発を、早期に稼動させようと、社員達が住民を説得しているのが、新聞に載っている。最終的な核のゴミ、プルトニュームの処分には触れていない。可笑しいではないか。電力は充分に足りているし、自然エネルギーへの転換を推奨している中で。

 何が良くて、放射線の原因を野放しにしてまで、原発の再稼動を求めているのか。原発は即刻ゼロにしする方向で進めるのが、本来の姿勢ではないか。福島第一原発は愚か、チェルノブイリの事故も、スリーマイル島、第五福竜丸でさえ、忘れている。

 それらは、戦争を終結するのに、アメリカを初めとする、力の誇示で発明された、原爆がもたらした深い哀しみの想いに至っていない。戦争を知らないことは恥ではないが、哀れではある。人を平気で殺す。殺しておいて、殺意はなかったなど、言語道断。

 原爆は殺人化学兵器だ。無差別に殺戮を行い、地球を破滅させる。原発も同じだ。事故さえ起きなければ、と建前は云うが、自然の前には脆いもの。人間の力など取るに足らない。知っていながら、使うことに更なる不気味さが潜む。皆、懐具合で決断。

 そのつけを、国民に払わす。国債の負担金がべらぼうに多い。一生懸かっても払いきれない。闇がのさばり裏の道に入るのは必然的。暮らしの目処も立たない。これで、消費税を上げれば身動きが取れない。衣類は買うまい。食費も倹約し節約をしよう。

 テレビなど観ている余裕がない。細やかなことにも配慮し、工夫を重ねて暮さねば、働いても生活は困窮する。その中で、戦争が起きれば、ひとたまりもない。TPP参加では、この先が遣れないのも。土地がなく、生産できない者には、生きる術もないが現実。

 スーパーマーケットに行けば、農薬だらけの商品が見映え良く並ぶ。棚には、添加物や着色料のぶち込んだ物が並ぶ。そういった安価な商品には、必ず含まれる毒素。少しだけ、人体に影響はない分量。認知症の元が満載である。せっせと食べている。

 有吉佐和子の複合汚染。今一度読み返そう。背筋が寒くなる現実だが、これが真実である。臭い物には蓋をせよ。と顔を背ける。そうして病気になり、何も理解できなくなる。体の自由も利かず、心を病む。人間であることを放棄してはいけないのに。

 長崎茂木、赤枇杷の袋かけの状態。今年は、何処共に鈴なりであった。我が家のは、小粒だが、味は濃厚で果汁がたっぷり。

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宇宙の星にも・・・

2013年08月27日 | Weblog

 大気が澄んでき始めた。宇宙の星も、眩く煌く。天の川に架かる白鳥も、白さが際立つ。大熊と小熊の姿もはっきりしてきた。秋の星座の輝きが増す。先日の猛暑からすれば、朝夕は涼しい。網戸も閉めている。一気に10℃下がったもの。

 冷房も弱めにして丁度いい。数日で、あの暑さは何だったのか?という思いに。原発がこの豪雨で、少なからず影響を受けたろう。福島第一原発も、汚染水の流れ出すことは知っていながらで、ばれなければと、黙っていたものらしい。

 それを安心で安全等、何処をどうすれば云えたものか。然も、外国に輸出するとは。完全に放射能を防ぐ手立てはあり得ない。地球の地下深く埋め、何百年もそれ以上も見届ける者はいないだろう。今後、地震が起きない保証も無い。

 リエさん達がおいでになるということで、掃除をしなくてはならない。窓拭きもだが、あちこちを片付けなくては。庭は、枇杷葉だらけなのは知ってなので、今更隠せもしない。見苦しくない程度にとは思うが、其処が難しい。何からしよう。

 勤務先の掃除も、気にかかる。ちょっとしたことで、気持ちよく過ごしてもらえることに繋がる。その手間を惜しんではならない。掃除だと思うからできない。環境整備でしょう。それができて当たり前だと思う。そこから始まる気がする。

 すればできることを、何故しないのだろう。或いは、しようとしないのか。とても素朴な疑問。むろん、独りではできないことと、皆が同じ思いでしなければ、誰かがするでは達成できない。丁寧に且つ手早く、段取り良くが好ましいこと。

 ドクダミ茶を飲み出して、体の痒みが軽減した。無茶苦茶な痒みで、半端でなかった。痕が残るくらいの激しい痒みだった。アレルギーを持っているのもあり、一時はどうしようかと悩んでいたが、塩で擦ったのも効果が大きかった。

 口内炎にも効いたようだ。唇のカサカサにも効果が大きい。枇杷葉茶も飲んでいるが、最近は花芽と種にしている。夏バテを乗り切るには、その威力は捨て難い。継続は力なり、と言うがその通りだ。ドクダミは、寒中の根槐が効果あり。

 今年の、東のフェンスの長崎茂木。3枝花があった。2枝になっていたが、10粒熟れた。極上の味。

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夏休み終盤に・・・

2013年08月26日 | Weblog

 そろそろ学校が気になりだすのは、宿題が遅々として捗らず、新学期が来ないことを願っていたものだ。自分の横着を棚に上げ、遊び呆けた言い訳である。然し、必ずその日は来た。先生に小言賜りつつ、わからないままにしていた。

 でも。教師にも縁るのだ。教え方の上手い先生は、頭の中にすっと入ってきて、納得できる。唯でさえ出来が悪いのだから、難しい言い方をされては、理解不能である。数学・物理等は、頭の中を数字や数式が、ランダムに飛ぶばかり。

 現国や古典、日本史・世界史は得意で、当時の教師の古墳探索にも加わった。尤も、中学時代だから、時間があり過ぎて、そういったことで消化していたに過ぎない。当時は、それを一生の仕事にするには、生活できる自信もなかった。

 学校で、学べる時にはだらけ、どん尻で卒業してから、子育てに拘って、しまったと思った。以来紙と鉛筆さえあれば、何時でも学べることもわかった。大学に行きたいのは山々だが、資金のないのもある。向学心は自分との根競べである。

 枇杷葉のお蔭で、自律神経失調症からも脱し、根気も続くようになった。諦めない。辛抱する。わかるまで考えること。或いは、調べて納得すること。加えて、本物を見ること。自然からの教えに、興味を示すこと。努力を惜しまず、怠らず。

 と、まあ。思うことは多々あるが、現実に翻弄されているのも事実。自分の思いと、仕事のバランスが上手くいかない。先ず、人としての当たり前のことをしたい。そこら辺に、大きな隔たりが生じてしまう。それの堂々巡りである。寝不足になる。

 枇杷葉の効能にも、その力を信じて、心を委ねれば効果が増す。一途な願いは必ず通じるもの。摘出するのが間違っているとは思わない。自分で決めたことだ。でも、精神を病んでいたら適わない。周りの者が理解する程度にもよろう。

 サンタ枇杷葉。7枝に花芽がついたが、残ったのは1枝。然も、たった1粒であった。大きさは鶏卵S大。味は不明。

 

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一息入れる・・・

2013年08月25日 | Weblog

 水遣りをしなくていい、という按配でもなかった。土砂降りである。今朝は、道路が洪水で、愛車は危うく溺れそうになった。山からの流れが、温泉によって遮られて、まるで滝のように迸っているのだ。先月、工事は完了した筈。自然の力を見くびっている。

 何事もだが、手抜き工事のつけは大きい。これだけの工事でさえ、自然の地理を佳く知った上で遣らないから、とんでもないことになる。風や土に聴いて、その理に適った遣り方を施工していかないと、営利だけでは、脆さが露呈してしまうのではないか。

 原発をきれい事で済まそうとするrから、事故が起きた時が怖いのだ。建設時に、きちんとした説明もしないで、お金だけを渡すから、放射線が垂れ流しになる。これだけの大金を出すからには、犠牲も含めてありますよ。と何故伝えなかったのだろう。

 危険を承知で建設するのと、騙まし討ちは違う。戦争を始めると、日本は消滅する。広島や長崎に落とされた原爆以上の、威力のある核があるのだ。一瞬にして失せ、生き残っても無残だろう。加えて、地球に影響がない筈がない。軌道も狂えば地軸も歪む。

 何処にも逃げ場は無い。生きていることはできない。それが戦争だ。アメリカが基地に利用するために、沖縄から撤退しないのだ。都合の好いことばかり言っているが、嘘ばっかりだろう。外交とはその程度のもの。食い違いが甚だ大きなことも事実だ。

 戦争の無い、豊で快適な暮らしなど、本当はない。あれば、路上生活者は居ないだろうし、格差も生じない。人が人を見下し、差別をすることを止めないのは、自分の方が上であるという優越感に浸りたいため。福沢諭吉の格言も、複雑極まるというものだろう。

 古きよき時代。とも云うが、そういった時代を懐かしむことはあっても、其処には還れない。時間を巻き戻すことは不可能だ。或いは、往けたとしても、皆がそうとは限らない。心を支配することもまた、不可能に等しいからだ。今を生きることしかできない。

 帰宅して、締め切っていた窓を開けた。庭を見ると、夕顔が咲き始めている。気温が10℃程下がったことで、開いたものか。鉈豆が1つ鞘を下げていた。季節は廻っているんだ。人間の思い上がりではなく、自然の法則に適った約束事があるのだろう。

 今年、長崎茂木枇杷に、袋を掛けた状態。摘芽(花芽茶用)も多少はしたが、自然の摂理に任せている。

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自然の恵みを・・・

2013年08月24日 | Weblog

 待ちくたびれた雨である。暑さや寒さは、人間がどんなに足掻いても変えられない。自然現象に感謝すると共に、その摂理に感銘を受ける。時間的には、どんなにしても一日は廻るし、過ぎ去って往く。自分の弛まぬ努力と、向き合い方が人生を変える。

 もの心付いた時、兄が居たし、暫くして妹も産まれた。小さな頃には無意識であったことも、自分の置かれている立場を考えれば、どうすればいいかがわかってくる。然し、そうは物事は思うようにはいかない。狡賢く計算高さがあれば、尚更にいいかも。

 人生の折り返し地点に立って、自分を見返ることができたのは、不幸中の幸い。然し、それが正しいとも間違っているとも、即答も断言もできない。加えて、華々しい賞賛を浴びることもなく、寵児になれる訳でもない。平凡な生き方こそ難しいものだ。

 況してや、コツコツと努力を重ね、或いは、人の嫌がることを黙ってする。理不尽な扱いにも、自分のことでは腹に収め、他人が困らぬように奔走する。裏表無く自分の生き方として通す。これが何ともし難い。不平不満はだらだらと並べ、給料は受け取る。

 しんどい思いはしたくない。楽で横着が出来れば、上手く立ち回る者の多いことか。反面、掃除の手順が気になり、あちこちの汚れが眼につき、修理や修繕、片付けなどの細々したことが疎かになる。快適さに程遠い暮らしが浮き彫りになってしまう。

 外見的には、何処といって変化はないが、精神的なことや、内面的なことには、小さなことでも見逃すと大事に至る。そういったことに協力して、力を合わせていかないと、病気に冒される要因を作り出す。或いは手遅れを綻びさす。大切なものって何?

 昔から、三つ子の魂百まで。と云われる所以には、親の躾があり、生活の主だった家庭環境の影響が多いからだ。大人の都合勝手で、暮らしはできない。子どもの生活サイクルと、大人とは雲泥の差が歴然で、親業とは免許も資格も持ち合わせない。

 子どもが泣くのと、子どもが泣かされるのは、早意味が違う。泣いている子には、それなりの理由がある。周りの者は、理由を聴いてやらねば。遅い時間に入浴させれば、子どもは眠いのでむずかって泣く。それを怒る親の方が間違っているではないか。

 初夏のすっきりした月。衣装も夏衣になったセレネが、裾を翻して翔けていく様が観える。涼風が吹き渡る。

 

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処暑・空曇・・・

2013年08月23日 | Weblog

 降りません・・・。曇ってはいるのですが、蒸せ返るばかりで、一向に雨が降りません。何日もカラカラ天気が続いて、ちょっとしんどい。冷房を入れるので、風邪が治らない。帰宅して網戸を全開にする。扇風機も止む無く点ける。室内の空気を入れ替える。

 庭に下りて、枇杷葉の葉の枯れたのや、虫食いを外す。藪蚊に刺されながらの作業に、30分ばかりで止めた。メンタムを塗る。PCの電源を入れて立ち上げる。と、ポツポツと雨音がし始める。待望の雨にほっとする。ありがたや、ありがたやの感謝です。

 途端に気温が下がり始め、涼しくなった。こういった自然環境の我が家ですが、リエさん達、大丈夫かな。と、一抹の不安が過る。住んで居る者は平気だが、都会の快適な生活に慣れてしまうと、田舎はどうかなぁ。特に我が家の事情は、非文明的なので。

 歯が無いというのも、妙なものだ。何時もの調子で食べると、カスっと逃げる。空気も漏れる。勤務先には歯医者があるので、知人の紹介でもあり、恐る恐る行ってみた。事情を話すと、予約が取れた。明日である。医者は嫌いだが、食べれないのは困る。

 あ。雨が止んだ。お湿り程度で、もう少し降ってもらいたい。図書館に寄り、絵本を返す。戦争や原爆のことを描いた絵本。これは大人でも難しい。そうして戦争の惨たらしさ、悲惨さや恐ろしさを、胸が詰る想いで読んだ。戦争は、全ての国民が犠牲だ。

 暑さ、寒さも彼岸まで。という季節感も、今年のようでは怪しい現象。米の出来もよくないだろう。無農薬なら未だしも、農薬漬けでは収穫は減るのではないか。これでTPPに参加するとなれば更に悪化しよう。日本の先行きは、暗澹たるものになっていく。

 実に不思議なことだが、反対している国民を無視してまで、何を急ぐのだろう。国を滅ぼす算段か。原発は、トイレのないマンション、の例えらしい。それでも尚、快適な生活がいいのか?不便でも排泄できる方がいい。だって死じゃうよ。出さないと・・・。

 初夏の庭に、いつの間にか現れた薔薇の蕾。真紅の薔薇で、秋口に挿し木にすると、割と付く。今年も挿そう。

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パソコンも熱中症・・・

2013年08月22日 | Weblog

 これがどうにもいけない。朝の涼しい内は、どうにか接続するものの、夕方を過ぎ、夜半にかかると、ふっつり機嫌が悪くなる。連日の暑さである。唯でさえ、熱を帯びる機械であるから、中毒症状を起こすのだろうか。原因が不明なだけに困惑する。

 日本列島に異常が起きているのは、福島第一原発事故前後で、予測できない事もなかった、自然からの警告を、政府も科学者も無視した。研究を重ねて、或いは起り得る事であった事への対応を封印していた。原発は、安心も安全も無いに等しい。

 某新聞には、大きく紙面を割いて、戦争の恐ろしさ、してはならないことを記している。誰が首相をしても同じだが、殊、戦争への暴走と、原発再稼動及び、輸出は断じて止めねば。美しい日本が壊れてしまう。今更創れはしないからこそ、守らねば。

 施設に、中庭があって、其処に花々が植えられているが、草の丈が伸びて、花が埋もれてきていた。いつも小まめに来られている人が居て、服を着替えていたかと思うと、中庭に出て行かれた。夕方の中庭はすっきりし、花々は風にそよいでいた。

 通路から見遣る中庭は、あまり気にしないのか、冷房さえ利いていれば快適だし、暑さも感じない。敢えて、暑い中を出てまで、草を抜こうという者はいない。況してや、この暑さである。熱中症になっても困る想いがある。でも誰かが、しなければ・・・。

 これは単に、その者の心がけの問題か。人間だけが棲まう地球でなし、其処への想いもなければ、美しい日本、地球になど還れはしないだろう。戦争に行ったことも、況してや戦争を経験したこともない。でも憲法を変えれば、恐ろしいことになる。

 戦争は、形を変えた殺人だ。命令一つで命を奪わす。殺されたくなかったら、殺すのだ。手っ取り早いのが核兵器。これらは人間は愚か、地球を破壊する。自分でさえなかったらいいの。痛みも悲しみも、憤りも全てが無残に残るだけ。誰が得をするのか。

 はだしのゲンを、小さかろうが、読もうが、それは本人の自由です。教育委員会が、政府が決めることではないよ。戦争は残酷だし、殺し合いは悲惨です。でも、そのことを考えて止めようとはしない。絵本・広島の原爆。親子で読んでみては如何。

 この先も、今までも。知識を広げていき、学ぶ努力を惜しむまい。誰に誉められる訳でもなく、人としての当たり前の行動がとれるように励もう。心からのまい進には、謙虚さもなければ。お蔭さまで、という生き方ができるよう反省する。もう少し頑張ろう。

 初夏の夕刻。日暮の枇杷葉には、何か威厳が見える。生葉を少し戴いた。蒟蒻を温めよう。

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