朝刊を手に取る。以前にはあったインクの臭いがないが、やはり新鮮である。毎日の小説も楽しみだが、世情の移ろいにも喜怒哀楽する。尤も、テレビ欄から見るので、重要な記事は最後になる。テレビは観なくても、大体がわかるのは、あらすじで決まる。
何しろ、出演するメンバーが、何処の番組も同じで、どうでもいいタレントの下らないおしゃべりだ。と云うか、そういうシナリオができていて、その通りにしゃべらされている。馬鹿笑いにもげっそりする。食べ物の番組も異様に多い。物の有難みが失せる。
やらせであろう。さくらが多いのが、実によくわかる。NHKにしろ、事前に撮影の許可を得るだろうから、そういった意味では、似たようなものだ。活字の面白さは個々に違うが、あいうえおの五十音を並べ替えて、膨大な言葉が生まれる不思議さにびっくり。
日本語のかな文字、外来語の使い方等、よくもまあこれだけ、たくさんの言葉があるのだろう。同じ言い方でも、字体が異なればやさしくもなり、反対にきつい言い方にも聴こえる。そこに書かれている意味の多彩さにも驚く。辞書を引きつつ調べるのもいい。
何かをしながらでも、途中で止めても、わからなくなることはない。映像は、意味不明だからややこしい。これでもかばかりにどぎつく映す。然もしつこい。文字では残酷な表現もあるが、想像の域で済むことも多い。まあ、横着者には活字は色々退屈しない。
新しい書籍は、図書館に行く。何時も読みたい文庫は、買い置きで手元がいい。新聞記事の重要なのは切り抜く。その都度読み返してみる。脳への刺激に丁度いい。毎日新聞は、70%は信用性がある。原発のことも嘘ばかり書いているのが多いから。
新聞代も莫迦にはならない。けれども、実益を考えると、購読してしまう。読んだ後の使い道は、廃品回収に出すだけではない。油を吸わせたり、窓を拭いたり、靴の中に入れたりする。トイレにこそ使わないが、緊急時には必要なことも。大切な資源である。
今年の白枇杷。長崎茂木・赤枇杷と比べると、僅かながら色が薄い。味は、濃厚で甘酸っぱい。