枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

予知能力なのかな・・・

2015年11月30日 | Weblog

 リエさんが、風邪を引いているような気がして、案じられて仕方なかった。やっと連絡が出来て問う。そうだったのよ。にびっくりする。足の調子が良くなってきたそうで、ほっとする。やはり、イタドリです。しーちゃんが、痛みを取るのね。と言ったそうだ。

 先日の出張報告をするのに、午前中の出勤をする。高橋元太郎さんに、お逢いできたことはきっと一つのチャンスであったのだ。売れっ子の時ではない、今だからこそよかったとも思えるのは、こちらも年齢を重ねていて、納得できる内容が多有る。

 決して無理をしないでいれば、というか願うなら、望みは叶うものなのかも知れない。お金では買えない物も、この世にはたくさんある。でも、金色夜叉のお宮のように、ダイアモンドに眼が眩めば、愛さえも違ってくる。其々の生き方や来し方は異る。

 自分には、何も無いけれども、自然からの恵を感謝して暮すことはできる。自分のしたことで、誰かがやさしい気持ちになったり、安心できればいい気もする。即ち、存在を認めてくれて、自分の生きる原動力になればいいことだ。皆、往きかたは違う。

 今朝の霧の発生に、上天気が広がっている。帰宅して、直ぐに布団を干す。1時間弱、やわらかな陽射しにあてたら、ほかほかになった。何しろ、ここ数日は、冷え込みがきつい。湯たんぽで足元は温かいが、天日は何よりありがたい。熟睡できそう。

 日光殺人事件を読み終える。かの地は、独身の時に訪れたことがある。物見遊山であったため、記憶に残っているのは、左甚五郎だけだ。当時は、華厳の滝にも、あまり感激もなかった。興味がないと、そういう不届きなことしか、思い出せないもの。

 枇杷葉の花芽に、大群の蜜蜂が飛び交っている。凄いなぁ・・・と感心しながら眺めていた。サンタ枇杷葉は、今夏に芽が出た以外は、花芽がびっしりついている。りささんのは、1枝だけだが、とてもいい匂いだ。リエさんのは、来年に持ち越すかな?

 クリスマスローズも、八重のは遅くに開花する。期間は、長く数ケ月も咲いている。庭では、新芽が伸び、蕾も見えてきた。

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神無月、三の酉

2015年11月29日 | Weblog

 寒くなってきたら、やはり罅割れがしてきた。両手の皸が、痛いの痛くないの・・・。泣き泣き洗い物をする始末。洗剤もスポンジも、自分用のを持って行っているのに、施設の洗剤が使われているので、改善できないのだ。洗った物に触っても駄目。

 可と言って、あらゆる物に、自前にはできないのよ。そこがね、自宅とは違うから、我慢するしかない。こつこつと研究して行き、ノーベル賞でも貰うかな。柚エキスや、柑橘類がいいことは分っているが、洗剤にどうやって混ぜよう。洗った後にはいい。

 セイタカアワダチ草の、穂が出る前を取る。冷えに効果があり、冬場のカサカサや肌荒れにも効くそうだ。職場で話していて、それが何処にあるのか?には苦笑した。田舎のあちこちに、忘れられて生えているのに気づかない。興味がないとね・・・。

 昼食に、冷凍品ばかりを出すので、なんのための食事かと我慢の限度が切れた。忙しい、時間がないとは、何という言い草か。ハンバーグさえ、作ろうとしないので、手作り決行だ。玉葱をみじん切りにして炒め、冷ましている間に具を混ぜていった。

 合びきミンチ、卵、豆腐、パン粉。そこに冷ました玉葱のみじん切りを入れる。フライパンを温めて油を引き中火に。そこに丸くしたハンバーグを、手際よく入れていく。焦げ目が付いたら、ひっくり返し、肉汁が出て来るのを待つ。その間にソースを作る。

 ケチャップとソースを混ぜ、隠し味を入れておく。これが美味しかったらしく、大根おろしとも合って、ご飯のお代わりをされた方も。また作ってよね、にんまりする。何をするのも仕事です。相手がよろこんでくれるように、献立を考え作りたいものですね。

 介護の仕事ほど、勇気とやさしさが必要です。挫けそうで、心が折れそうな日々でも、美味しかったよ、ありがとう、ご馳走さま。真実心が温かくなる。自分のような者でも、誰かの役に立てることができる。頑張らないけど、努力は惜しまないことを思う。

 初夏の陽射しに、咲き始めたスズラン。日本鈴蘭は失せてしまうが、ドイツスズランは、あっという間に群れてきた。

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休日は図書館に・・・

2015年11月28日 | Weblog

 本の返却に図書館に出向く。作品の善し悪しにも、読者の偏見があることを認めよう。興味のない内容には、やはり面白みが欠け、読み終えるまでが苦痛である。竹での細工は、祖母が日溜りでしていたことも合わせて、思い浮かぶ光景だ。

 竹を取るのは、冬の時期に限られる。小寒から大寒の間で、この季節には、枇杷葉茶も、味噌も大切な作業になる。寒の水は元よりで、腐りがなく保存が可能でもある。科学的なことは判らないが、日本に残っている、古来からの伝統である。

 夏場に、寒水で珈琲を淹れたが、実に旨かった。今夏は然程の猛暑もなく、比較的涼しい日々でもあったが、疲れた胃の腑にはとても有難かった。人間の持つ自然治癒能力を、丁寧に修復してくれ、枇杷葉も大いに、疲れを癒してくれた。

 自然からは何時も、地球上に棲む生命体として、傲慢にも卑屈にもならず、ありのままの生き方を受け入れ、知恵と勇気で暮せるように教えてくれる。友人・知人の類は許よりも、出会いも別れも経験させて、数多の試算を諭してくれるもの。

 午前中の天気は先ずまずで、布団を久々に干す。午後からの雲行きに、素早く仕舞い、その後は読書に徹する。押入れに放りこんである衣料品を、破れのない物だけ洗う。洗濯機で洗えるのは、使い道があるのだ。毛糸の洗濯機は縮む。

 庭の球根が可なり芽を出しており、春が愉しみでもあるが、今冬の気温が心配だ。やはり冬には防寒をしないと、やられてしまう。枇杷葉にも被害が出る。さて、今年は綿で花芽を覆うかな?サンタ枇杷葉は、花芽茶に少し採っておきたい。

 新暦での生活と、旧暦との暮らしでは、約1ヶ月小の差があるから、季節を納得することも多いが、便利で快適な生活だと、身体のサイクルが狂って来る。人間の考え方が古い、と言えばそれまでだが、何と冷凍品の多いこと。旬の感覚無。

 リエさんが、船橋市の専門店に行って、買って贈ってくれた。箱の中から現われた、ふなっしーに飛び上がった。

 

 

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二十四節気の・・・

2015年11月27日 | Weblog

 小雪、と言うからには、寒さが除々に厳しくなるのだが、よくしたものである。日中の気温の上昇も射してなく、冷え込みの感じられる日であった。夕方のニュースで、雪花が舞い、急遽タイヤにチェーンを巻いていた。季節を現す言葉に、思わず頷いた。

 今朝は、何となく寒さの予感があって、昨夜やっと、湯たんぽの大きいのを出し、ストーブも点けた。足元が冷えるのは困る。頭寒足熱がいいですなぁ。塩で、身体を擦っているからか、急激な寒さは感じないものの、冬の彩りは訪れていることを実感した。

 畑の路地物には、寒さが来ないことには、白菜もキャベツも、ほうれん草も味も良くないし、玉に巻かない。玉葱の植え付けは、既に済んでいるが、暖かいとしゃきっとしない。苺も苗の育ちが悪い。日本の季節に合った、気温や風土がないと育たないもの。

 最近、年齢的なこともあるのか、ウエストがきつい。どうも横着をしているせいか、ゴムのズボンを穿くからか、締りがなくなってきた。運動が嫌いなので、一切出て行かない。でもこれでは、お気に入りのが何も穿けなくなってしまう。箪笥の肥やしが増える。

 帰宅途上の宇宙を、何気なく観ていたら、流れ星が飛んだ。今年は、時間的なことで、流星を観測する機会が少なかった。年末の、ふたご座流星群は見逃せないが、朔日に中るので、絶好の観測日和だ。観測用の防寒具を着込んで観よう。炬燵もいい。

 今年3年目の、サンタ枇杷葉の花芽をたくさん付けている。昨年には、5粒ばかり生ったが、来年にはもっと結実しそう。淡路田中なので、粒も大きく、甘酸っぱいのが特徴だ。長崎茂木は甘いし、白枇杷は、味が濃く甘酸っぱい。其々に違っているので愉しみ。

 サンタ枇杷葉。家の軒下にあったのが、何時しか上にまで大きくなった。夏には日除けになって涼しい。

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神無月、望・大潮

2015年11月26日 | Weblog

 サンタさんに送る手配の荷物が、昨日できなくて、勤務帰りを持ち寄った。大根の土付きや、胡桃、銀杏、鉈豆の実、唐辛子、それに通草酒と鉈豆酒も入れておく。生地をそのまま、ジャム瓶に移したので、到着したら2ℓに増やしてね。明日の午後着です。

 花芽が満開になってきて、蜜蜂も飛び交う。甘くやさしい香りに包まれて、心のリフレッシュができる。庭に立つと、浮き上がりそうになる。雨蛙も、じっと目を開けていたり、半眼であったりする。きっと庭の片隅では、せっせと枇杷蜜を製造中なのだろうなぁ。

 勤務中に体調の悪くなった者がいて、千振を常備しておくかな・・・と思った。あれはねぇ、苦いですよ。でも、瞬時に効きますから、薬効は素晴しい。お茶パックに入れて、鞄に入れておけば何時でも使えるが。後ね、梅干もいいのよ。酸っぱいエキスがいい。

 同じ、アミグダリンが含まれているのに、梅は酸っぱく、枇杷葉は無味である。如いて云えば、甘く芳しい。枇杷葉茶の香りも、葉だけでは然程でもないが、花芽や種はすこぶる佳い匂いである。湯飲みに注いで、口に含むと円やかで爽やか、咽喉越しが佳い。

 気温の上昇がなく、時雨の多い日でもあったため、洗濯物を出したり仕舞ったり、てんてこ舞いであった。冬の日照時間は、特に短いのに、雨に祟られると、まったくのお手上げだ。乾燥機に入れると縮む。電気代も莫迦にならない。経費節減・倹約・節電だ。

 年末の勤務表が出て、既に1ヶ月余りである。年間・100冊の目標に、あと少しである。年間に読む月刊誌も含むのだが、新聞の連載も入れたい。内田康夫の作品を、初めから読んでいるのも数である。それで気づいた。浅見光彦は、3年前も33歳のまま。

 然も、浅見の下にいる妹二人は、父親が亡くなった時点では、まだ幼児である。10歳の時に急死したとあるが、作者は事実を忘れているらしい。ちょっと可笑しな設定に?が付く。まあ、話の筋が面白ければ、後腐れがないので、どうでもいいことではある。

 ソアラ嬢が、どういった乗り心地かは知らないが、同級生に、セルシオを持っているのが居て乗せてくれた。車にも、価格にも、関心はなかったが、流石に乗り心地は違う。維持費も大変そうな高い車に、意識がついていかなかった。庶民の暮らしがいいです。

 春の暮れ、宇宙にかかる星の瞬き。暖かくなることは、身体もほっとするが、気を緩めずにいこう。

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勘違いをするのは・・・

2015年11月25日 | Weblog

 Aさんに、花芽茶を作るなら、満月までに。と伝えていたのが、向うの勝手な思い込みで、満月前後と言われる。丁度、上弦の日に寄ったので、満月までの天候でされるのがいいと、話したのだ。昨日は、得に風もあり、晴れてもいたから済ませたと思った。

 明日は、日がいいと云うので、暦を見たが、然したる佳き日でもない。況して、今は雨も降っている。明日の採集には不向きだろう。折角の心使いも、惨憺たるものである。自分の思い込みや判断でするなら、初めから聴かぬ方がいいのに。今後は云わぬ。

 友人も、枇杷葉茶を飲むと、子宮が疼く、と言うのであるが、水の合わないのもある気がする。また、枇杷葉茶を信じなければ、効果も薄れる。玉葱にも血液サラサラの効果はあるが、枇杷葉茶程はない。そこにスギナや蓬を飲んでいるらしいがどうだろう。

 何にしても、市販品を買うのより、旬の野菜を使っての、食事であってもらいたい。冷凍品は便利かもしれないが、落とし穴が必ず付いている。まあ、そういった物でお腹を満たして、病院に出向き、薬や手術での措置もいいだろう。副作用は怖くないのかな。

 それでも、強ち是非にとの奨めはしない。個々の生き方だし、人生の彩りは自分で決めるものだからだ。歳を重ねると、あちこちに支障が出てくるのは、これは仕方のないこと。病院に行ってまで、役にも立たない薬をもらってまで、長生きをしようとは思わぬ。

 枇杷葉茶のお蔭で、心身ともに健やかであれば、それだけで有り難い。この先、20年弱としても、大層なことでもある。その間の生き方を、信念に撤したもので可能に出来るなら、それに越したことはない。諦めもせず、かといって積極的な生き方も苦手だ。

 なすがままなら、きゅうりぱぱということだ。内田康夫の作品にも、外れはあるのだとがっかりする。終章のない殺人と軽井沢殺人だ。長ったらしいだけで、だからどうなのよ。と言いたい作品である。やたらと読者をその気にさせて、内容がお粗末であった物。

 今年の初夏の、袋をかけた白枇杷。物凄く生って、枝がしな垂れてきて、折れてしまうかと心配もした。

 

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北風の吹く頃に・・・

2015年11月24日 | Weblog

 昨夜の雨も上がった。天気に気を良くしたものの、地面が湿っているので、布団干しは止めることにした。友人の来る日なので、何とか寝床を這い出す。枇杷葉の花芽が満開で、気絶しそうな程芳香が押し寄せる。昆虫も来ており、蜜を吸うのに余念がない。

 介護の現場には、技術も資格も必要だが、教養や知識の類も求められる。では、そられはどういった時にか。例えば、話し言葉や、文章力にも差が歴然となる。パソコンでの漢字の変換は無論だが、文章も同じことが言えるのだ。読書の必然性を強く感じる。

 何がどうしてどうなった。何が、どうして、どうなった。明らかにこちらの方が読み易い。Aさんが椅子に躓いて転んだ。この方が更に分り易い。日本には、倭言葉があるし、表現の言い回しにも多々あって、そこに教養の差が出る。知った被りでなく知識で持つ。

 内田康夫の作品にも、古典的な言い回しに出くわす。何とも云えない絶妙な語り口に、話の筋が理解できる。小説家にも色々あるらしいが、自分の好きな作家は、こういった文章の書き方も愉しいのが多い。難しい言葉にも、独特の表現があって好ましいもの。

 書籍の持つ役割には、個人差があっていい筈で、何時でも何処でも、取り出せるのがいいとも言える。特に、文庫版はポケットに入るので、好都合だ。年末になると必ず、本屋に注文する物に、藤井旭の天文ガイドと、暦がある。日捲りと旧暦のカレンダーもだ。

 人間の暮らしには、月の満ち欠けは欠かせない。地球人であれば、宗教の如何に問わず、必ず観ているものである。恒星の軌道上を、ぶつからないように廻る地球。月が消えたら、太陽に引寄せられて衝突してしまう。重要な役割で、生命誕生の秘密もある。

 自然からの影響を受け、私たちは地球で暮しているが、棲む権利などはない。環境を破壊して、人類のエゴを剥きだしにしているからだ。今に、自然からの警告に耳を貸し、あらゆることを止めよう。原発等以ての外だ。沖縄の辺野古への基地建設も白紙に。

 玄関の傘立てに止まった、黒揚羽蝶。何という美しさだろう。あのビロードと言うか、ベルベットなのか、光沢に見惚れる。

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小雪、神嘗祭、勤労感謝の日

2015年11月23日 | Weblog

 二十四節気の小雪。寒気つのり、雨凍って雪となる。の意味で、小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。今朝は、それなりの冷え込みであった。寒くならないと、作物も出来ない。大根や白菜の美味しい時期だ。

 大根を膾にしようとして、昆布に漬けてみることに。一晩置いて口にしたら、これが意外と旨くほくそ笑む。この膾状態は、塩を軽く振っても、柚味噌でも、海苔の佃煮もさっぱりしている。梅和えもいいかもしれない。大根の辛味が堪える。ご飯のお替り。

 大根の葉は、小さく切って炒める。これも色々と味付けを換えれば、弁当のおかずから、ふりかけにまで用途は広い。倹約と節約の二本立てで、献立を考えるのは愉しい。大豆を作って、豆腐も手作りなら、おからや豆乳も出来る。揚げも味が違うねぇ。

 子どもの頃には、豆腐屋さんまでが使いであった。買い物籠を下げて行くと、揚げの揚げ立ての失敗を、新聞紙に包んでくれた。途中の神社で何故か、揚げが消える。狛犬ならぬ、狛狐がいて、不思議となくなっていた。二回目は、脇目も振らず走った。

 洗濯物を自然に乾かすのが、むろんいいのだが、都会の事情はそうもいかないようだ。従って室内に干すことになる。洗剤にも因るだろうが、枇杷湯で洗うようになって、そういった臭いが消えた。香りの洗剤でもなく、柔軟剤も使っていない。自然の香り。

 体質が、アレルギー反応を起こすので、宣伝の洗剤は使えない。柔軟剤も同じことで、痒くなってしまう。その痒みも半端でないのである。桃のボディソープにして、痒みも治まり、臭いもなくなった。枇杷葉エキスのは高いので、入浴時にしか使わないが。

 山茶花が散り始めて、そこだけ白い絨毯を敷き詰めたようだ。匂いは余りしないが、傍の枇杷葉と並んでいる。これは、買った時には、夏椿だったのに、えっ?と気づいたら山茶花に転じていた。きっと接木の優勢のが、沙羅ではなく、山茶花だったのだ。

 フリージアが咲き出した、晩春の庭。そろそろ初夏にかかる季節だが、意外と長く咲いている。

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自分を見失わないこと・・・

2015年11月22日 | Weblog

 介護の仕事は、激務です。夜勤をしなくても、日中の多々あるアクシデントに、対応を余儀なくされ、トイレもままならないのが現状。然し、日勤者のお互いが、協力し合い、助け合っていけば可能なことも、また多くある。要は、思考的なことを優先したいもの。

 資格を持っているからには、それに伴う技術もある。力任せにするのではなく、ポイントを把握してやれば、疲れは少ないのだ。考え方の違いになるが、選択法は色々あってよい。介護する者も、される方も、同じ性格ではないのだから、コツを掴むのも大事。

 今でこそ、介護は報酬の対象になったが、それまでは嫁いだ者が、好むと好まざるに拘らず、一切を看ていた。重労働であったことは言うに難くない。核家族になってきて、いいこともあったが、結果的には心を見失う家庭の崩壊にも繋がった。豊かさと引換。

 然し、そうなったことが丸ごと、良いことばかりとは思えない。親に対しての感謝や、尊敬の念が、態度に現われることは少ない。個人的には、遺産はオオタイサンしかない。それも何時の物であったか忘れた品だ。他には枇杷葉だけがある。大薬王樹のみ。

 自分の持っている力を信じて、必要であればパワーを贈ろう。認知症で、歩くこともできなかった方が、触り、話しかけたら、自ら立って歩いた。その当たり前のことが可能になる、自分の介護をしたい。誰にでもできない、私だけの思念でもある。枇杷葉力アップ。

 歳を重ねてくると、どうにも外出が億劫になる。田舎は特に、車がないと何処にも行けない。でも、仕事を辞めたら徒歩・・・。便利ではいいが維持費も、無料ではない。収入が途切れるのに、出費は嵩む。低所得者は、どうやって暮せばいいのか?不安が募る。

 春の月に、肌寒さを感じながら見上げていた。星座は、朧に霞む中に、蟹座、獅子座、乙女座、大熊座、小熊座が連なる。

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のんびりと過す・・・

2015年11月21日 | Weblog

 昨日、帰宅時に図書館に寄ったので、朝はゆっくり起き、のんびりと過ごす。布団を干して仕舞うまでの間を、フェンスの外を掃いておく。小ざっぱりとして、枇杷葉の生葉を少々採る。長崎茂木の木も、南側のは早くから生ったが、北東のは遅かったのだ。

 それが今年は、あちこちに花芽が付いている。結実は未だ不明だが、その匂いに心が蕩けるよう。白枇杷もそろそろ咲き出して、何という芳しいことだろう。人工的な香りでないのも心地よく伝わる。球根の芽もぐんと伸びており、霜の心配をしながら春待ち。

 脳溢血、脳血栓、くも膜下出血等、脳の血管が詰まって破裂し、下半身麻痺や死亡に至る病気があるが、要は血液をさらさらにして、血管の中を流れくれればいい。然しこれだけでは、何等解決にはならない。血管の傷みを治して、元の太さにしなければ。

 枇杷葉の威力には、そういった機能が含まれる。枇杷葉茶を飲用するようになって、身体に異変が起きた。細胞がふつふつと生き返る、その感じが判るのだ。理屈も屁理屈もないのだが、肌の張りが違ってくる。不老不死の薬効かも知れない。枇杷葉酒が。

 認知症にも、花粉症にも効果がみえる。然し、個人差という、希に合わない体質もあり、確率的には起きてくるが、それらを差し引いても効果がある。実に様々な症状に効く。民間療法でも伝えられたことを思い合わせても、遣ってみて損はないと想えるのだ。

 昨夜は、介護福祉士会の研修があり、帰宅したのは9時過ぎだった。勤務は早出で、一旦用事を済ませてのこと。月が上空に輝いていた。空腹を抱えて愛車を駐車場に停め、外に出ると癒される枇杷葉の花芽。白い花弁が闇に浮かび、匂いにほっとした。

 枇杷葉ローションを、スプレーに入れているので、好きな箇所にかけられる。これが意外と効くのもうれしい。手荒れは無論だが、頭皮や鼻炎にも、或いは結膜炎にも効果の程があるのだ。殺菌・美白・荒れ・滲み・雀斑への対応。炎症も抑え、痛みもなくなる。

 春がスキップしてやって来る。冬の寒さに、じっと耐えてこそだが、何といじらしい存在だろう。人間を癒すのに。

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