枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

身近にあるもの

2008年09月30日 | Weblog
 秋の七草の桔梗は、何処を見渡してももはや無い。
 畦に群れるよう咲いていた花の姿が消えている。

 萩の花も、夏の盛りから咲き出す。道路が山を切り崩して完成し、狸や狐の住処を奪う。
 合歓の木も、山の中腹から上にあったのが、今では道端に見えている。人間はこれを自然が近くなったというのだろうか?人間にとって便利であり、住み佳いことは、言い換えれば、自然に居る生き物にとってはどうだろう?

 狸や狐が自然保護を訴えるわけでも、住処を返せ、と言ってはこないだろうが、一山消え去る毎に、かなしくなる。田舎の畦道と言わず、家の軒端に群れ咲いていた薬草も、めったに眼にかからない。

 実家に行けばあった薬草も、妹夫婦があっという間に除草剤をかけて死滅させた。利口なような言い方が、無智そのものである。

 人間だけが命を持っているのではない。自分が落ちこぼれの、他人より違った生き方や感じ方をしているのが、まるで悪い事のように思っていた。

 自分が何処にいるのかわからなかったけれども、福岡さんの著作を読んで、迷いが少し吹っ切れた。自然を侮る者は、必ず自然にしっぺ返しをされることに思い至った。

 宇宙は、神はこの手のなかにいて、想い一つで変幻自在になるんだ。人間の思い上がりを捨て去れば自然とわかることであったのだ・・・。

 家の近所を散歩すると、ここの畦にだけ自生している、『きらん草』。1年中あって、春先に小さな青紫の花を咲かせる。気温や湿度によっては、秋や冬にも花が咲くことがある。女性の産後の乳腺炎に効くという。赤んぼは人間の乳が一番佳いことの証明。でも、母乳の元が、添加物や着色料だらけでは心配。

 要は自分で作る事が先決ですがねぇ。
 で。この草は、解熱解毒作用がある。医者嫌いで、偏屈者にはもってこいの薬草です。

 ちなみに風邪の予防に、枇杷酒でうがい、手洗い。お茶でする場合は、塩を一つまみいれます。引いたかな?と思ったら、センブリを枇杷茶で煎じる。きらん草を煎じて飲む。

 即効性はないかもしれないが、免疫が作れて自然治癒能力を助けてくれますよ。農薬散布の野菜や薬で却って、体がだめにされていくような気がします。

 枇杷茶を3ヶ月ばかし飲んでいる友人が、思いっきり痩せてズボンのベルトがゆるくなった。と、嬉しそうであった。何より本人がびっくりしていた。
 
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無頓着なこと

2008年09月29日 | Weblog
 この枇杷の木は、最初に植えた鉢の苗で、東側の川沿いにある。
 そこに木香バラを3本植えたところが、勢い押されて、丈ばかり伸びていた。

 そりゃまあ、太陽に向かって光合成ができる場所にいきますわ。
 昨年の暮れに、あまりにも茂りすぎた木香バラを思いきって剪定した。

 テレビのアンテナはむろんのこと、家を覆う有様に困惑してである。
 すると枇杷の木に、花芽がついた。

 たった一箇所ではあるが、花は10個ばかりついている。当に、9年目で生った。
 実際に実が熟れたのは、たった1個であるが、採った時期もよかったのか、最高の味であった。

 大きさも卵大であったからまずまずである。ここに枇杷や木香バラを植えたのは川の側が道路で、丸見えになっているのと、陽射しがきつくて、暑さ凌ぎができないものかと考えてだ。

 ここには夏椿もあるが、接木であったのでいつしか普通の椿に転じている。それも光合成の関係で、上に伸びて背ばかり高い。

 枇杷も葉を使う目的で、温圧療法に用いている。瓢箪から駒で、実が生ったのだが、枇杷の木は、年数が経てば自然と生ってくるのですなぁ。

 で。ここの場所の北側に、白枇杷が植えてある。
 南側のもこっちに持ってきてから、すっかり落ちついて育っている。

 もう1本ある白枇杷は、来春に移動させることにしているが、どうなるかな?

 枇杷に限らず、自然に植わって、自然の中で育っていくのが、自然の姿なんだけども、人間はいろんなことを考えて、無駄なことばっかりしているのだ。

 自然に対して人間の成すべき事って、何もないんだよね。
 地球の緑が消失していく原因も、人間が愚かにも住みよくしようと考えたから・・・。

 月を眺めれる自然に想いを馳せ、兎が餅つきをしてるって、観ていればいいような気がする。
 知識をたくさん持っているいることは悪いことではないと思うが、なにかこううまく言えないけれども、不自然な想いが消えないのね。心が空っぽになるっていうか・・・。
 
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枇杷酒

2008年09月28日 | Weblog
 自生の枇杷を、友人からもらった。
 直径1.5cm位の枇杷の粒が鈴生りである。

 種が必要で持って帰ったものの、作業に閉口した。
 スーパーの大の袋に2杯分。

 なににせよ、小さい。実を時々食べてはみるが、どうもイマイチな味である。
 やっと作業を終えたのは4時間後・・・・・。

 焼酎に漬けるのと、お茶にするのと分けて完了したのは、二日かかった。実は傷みが激しく、そのほとんどを捨てた。

 友人も食べようともらったらしいが、小さくて難儀な上あまりおいしくなかったらしい。
 そりゃ、淡路の田中に比較すれば、十分の一の大きさだものねぇ。

 焼酎に漬けるには、レモン汁を入れるとあるが、そのまま種だけで入れた。
 風邪の予防や、傷の手当に用いるには、適してないのと、焼酎だけでも売り物でないから充分楽しめる。

 幸いに、うまいことできあがっています。
 これに花芽を少し入れると、とってもいい香りがします。

 友人がくれた枇杷の実の形は、小ぶりだが房洲枇杷に似ていた。
 味は、茂木に同じで、淡白だった。これは店頭で売っている、ほとんどがそうであろうと思う。

 淡路田中も、枇杷狩りに行って、たまたま受けてくれた農家や、みやげに買った農家のが甘酸っぱくておいしかっただけである。

 ネットで注文するのも、農家を選べないから、味のばらつきは著しいものがあるのだ。
 我が家のは、形や大きさは茂木で、味は淡路田中と、静岡土肥の白枇杷とのミックスである。

 少々、熟れていなくても甘酸っぱさがある。
 今年、アイスにしてみたが、シャーベットの方がいいかも、とは拙宅においでの方の意見である。

 う~ん。実は山羊の乳で、コクを出して、ソフトクリームを作りたい。
 枇杷の酸味と甘味のバランスを引き出したものを作りたいのよね。

 オリジナルのアイスを!!って、自分が食べたいだけなんだけどさ・・・
 
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眠れる美女

2008年09月27日 | Weblog
  
 眠り姫は、百年の間眠り続けたのか、魔女の呪いで、眠らなければならなかったのか?
 魔女の力なんてのは、しごく普通であって、お姫さんはものぐさな性格だったのかもしれない。

 体温を低温にしていれば、急激な変化もないし、お腹もすかないだろうしな。
『夏への扉』がバージョンを変えた物語では?
 何れも、結末が決まっていればいいけど、土壇場のところが気をもます。

 眠れる美女っていうけど、本当は、しこめの女の子で、王と王妃が将来を悲観して、あえて魔女に呪いをかけるよう仕向けたのかも・・・。

 なんたって、自分達には魔力がなく、魔女に頼むしかなかったような気がするの。
 魔女は、人間の魂胆はわかってはいても、姫のあまりの不細工さに、同情しちゃう。

 まあぁ!あ・でも。百年くらい眠らせておけば、物好きな王子が一人くらいは来るかも。そんでもって、姫の方も、十人並みには見えるかもしれないわ。

 恋は盲目っていうから、よくいきゃそれ以上で・・・。魔女は、自分が愛用している、安眠用具をちょっと改良して、姫の眠るベッドに取り付けておく。

 まあ、それくらいの魔力は、お茶の子さいさいでできちゃう。
 姫が興味を引くように、糸車から特殊な匂いを出そう。その匂いが、アロマで、香料もなにげなく漂わせなくてはならない。

 きっとそれに枇杷のような匂いが使われていたんだよ。って、ほんとかあ?
 いぁや、ほんの思い付きだよ。
 でもさ、沈丁花や金木犀のようなきつい香りはだめだと思う。

 脳波をそれとなく刺激してコントロールしなければだめでしょうからね。
 魔女は医学に詳しかったのと、薬草類をたくさん知っていたから、成功したんです。

 え?もちろん姫の心理的な治療とかもできて、百年後の人生を変えられるようしておいたんですわ。姫の名前が、『オーロラ』ってのも、オーラそのものじゃないですか?

 我が家の箱庭で、挿し木をしたバラが開花したもの。赤も澄んだ色合いで、とてもきれいです。
 元の色は、もう少しくすんだ色です。
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知識の無駄

2008年09月26日 | Weblog
  
 世の中から、差別がなくならないのは、学校に行って、知識を詰め込んで、頭だけを大きくさせて(見かけだけ)えっらそうにふんぞり返ることだと思えるよ。

 確かに学ぶことが悪いのではない。学んだことをひけらかしたり、知ったかぶりをしていることが、相手に威圧感を伴って人が人を比べることで生じてくるのではないのか?

 小学校1年生の児より、六年生の児の方が、知識は多いのは当然である。でも、人として偉いのか、というとそうではなくて、同じなんだと思う。

 大人だって年を重ねてきているから、偉いのでも、大学に行って勉強したから偉いのでもない。
 自分は立派なんだ、何でも知っているんだ、という心が差別を生んで、却って貧しい心を創って、ばかにしてしまう。

 鬼子母神が人間の児を食べて生きていたが、百人居る我が児を育てるためであった。
 人間の方は、鬼にこどもを食わすのに生んではいないとお釈迦さまに訴えて、お釈迦さまは鬼子母神の児を一人隠される。

 鬼子母神はたったひとりの児が見えなくなったことで、半狂乱になり、お釈迦さまに詫びて還してもらう。
 鬼子母神は帰依し、以後はこどもの守り神とされた。

 平岩西遊記の件にも、そういう話がでてくる。
 こっちは人間が知らずして、天界の池が溢れて、地上に落ちた鯉のこどもを食べたことであるが、鯉も母であれば、たとい人間の児をさらったとはいえ、食べれはしなかった。

 それと気づいた観音さまが、魚篭に入れられて鯉を哀れと助けられた。
 仏も神も同じであるのに、人間によって区別され、そこから差別が生じたのかな?と。

 元は一つであったのに。福岡さんは、それら全てを捨てよ、莫迦になれ、と書かれている。
 自分が莫迦になれないのはそれを何故と考えているからだ。

 自然に還る、という根本がまったくわかっていない。
 体中に毒が溜まっているんだぁ・・・。

 枇杷茶を沸かす水を、最初は水道水でしていた。カルキを抜くのに、少し時間を置くのだが、飲んだ後口がなんとなく残る。
 
 Aさんの家で、井戸水を分けてもらえるようになってから、それがなくなった。
 体が変化するのはいうまでもないが、頭自体が考えることをしなくなった。

 自然は、宇宙であり、神であると思えだしたから・・・。
 自分のなんとちっぽけで、無いに等しい物体であることか。
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彼岸浄土

2008年09月25日 | Weblog
 朝夕、めっきり涼しくなって、お天気なら布団を干すのが日課。

 雨も草花を成長させてくれる自然の恵み。

 枇杷苗が18本確認できた。中に、3組程双子がいる。

 品種も、産地もまだわからない。
 でも5本くらいと思っていたのが、3倍出てくれたのだ。
 ありがたいことです。

 6月に種を植えて直ぐに出たのは、白枇杷1本と、赤枇杷が3本だったのが、9月の急に涼しくなった頃から、一気に芽吹いた。

 日本の四季の変化に驚くとともに、春と秋の節目になにか不思議さを感じる。

 『彼岸浄土』ということばが脳裏にふっとうかんだ。

 とりわけ9月の秋分には、日本だけでなく、世界各国に様々な催しがある。

 メキシコの古代の人が築き上げた階段に、太陽が当たると、神の宮殿に続くとされる印が現れるし、お釈迦さまによれば、この日に限り、無なる世界に(宇宙)往けて、神に遇えるとも聴く。

 神の存在は、あってないに等しく、信じる者には、視えるのだとも。

 神とは、実体も存在もわからないから神であるのだと想える。
 形や、何かで見えないから神であろうか。

 不信人者の屈折した勝手なぼやきですから、うっちゃっておいてくださいねぇ~
 
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枇杷の種類

2008年09月24日 | Weblog
 枇杷の品種は、一般的には茂木と田中だが、近年は種無しや白茂木等いろいろあるそうだ。

 自生の枇杷も含めればもっと多いのだろう。この枇杷は実家が千葉だと言う友人が送ってくれたのだが、丸くて横に広がるような形をしている。

 葉の形や大きさと特徴も、我が家のとは違いが見られた。種も丸くどっしりとしていた。味は淡白であったが、甘酸っぱさがなかった。

 自生なので家の方角や、肥料や雨などの自然現象も影響があるかもしれない。

 枇杷の実が、字こそ違え楽器の琵琶に似ているのはうなずける。
 平安時代の宮廷で奏でられる楽器は、琵琶、琴、篳篥、鉦、笛、鼓などであったのも、奏者の気迫となにかこう・・凛とした雰囲気があったように思える。

 代々の世襲で受け継がれてきてはいても、聴く方の心に届かねば、何も奏してないに等しかったと思えるからだ。

 能を演じている者に、邪魔にならず、かといってぴったりと添っていなければ、空気が乱れるし、舞えないであろう。

 無を一瞬にして有に変え、そこに宇宙を出現させる。
 演じる者と奏でる楽器と、聴いている者とが、一体になれる空間を創りあげる。

 山があり、土があって緑が覆う場所に人は住んで居た。
 人間はいつのころから、自分の都合だけを言い合うようになったのかしら?

 枇杷の品種改良もいいけれど、枇杷にとっては自然のなかで、自然のままにそこに居ることは、人間にとっても恵みを分けてもらえて、いちばんいいと想うのだがなぁ。
 
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枇杷風呂

2008年09月23日 | Weblog
 枇杷風呂というか、湯船に枇杷茶の後のお茶パックをいれて入るようにし始めたのは、災害の様子をニュースで見ていて考えたのと介護をして感じた事による。

 枇杷湯は、体臭を消し、湯をきれいに保つ働きがある。半身不随になると、床ずれなどによる皮膚の炎症や、痛みを伴って微熱が出、部屋の空気が異臭を放つ。

 どんなに臭いをなくそうとして、衣類を換えても、部屋の掃除をしても一時だけであるから、介護人は嫌気がさしてくるのだ。また化学薬品配合のスプレーをしても、今度はその臭いに辟易してしまう。

 自然に臭いがとれて、心も落ち着く方法がないかと、試行錯誤して、やっとわかったことだ。それには先ず枇杷茶を飲んでもらわねばならないのだが(水にもよります)。次に湯船に浮かべて入ってもらう。

 介護が必要な方は、タオルで拭いてあげましょう。湯の温度は、熱からずであるが、蒸すようにタオルを体に当てて角質を剥して拭きとってあげます。

 頭部は枇杷茶を洗面器に入れて洗ってあげるか、洗った後で、スプレーをしてあげるかがいいです。フケ、痒みがなくなるし、髪がしっとりします。
 
 顔は特に丁寧に蒸しタオルでパックマッサージをしてあげれば、気分がやさしくなりますよ。介護されるのも、するのもお互いが気持ちよくできればいちばんですね。

 市販品が全部悪いのではありません。化学薬品に弱い方もおいででしょうから・・・。介護に携わって感謝されたのは、排泄物が嫌でなく、最後まで看取ってあげれたこと、と言われました。

 仕事でお金を払っているのだから、世話をしてもらうのではなく、全て自分の行く末です。心を込めて看てあげれればそれに越した思いはないのです。

 資源は貴重な地球の宝石です。シャワーをしないで枇杷湯をし、昨年までは足し湯と残り湯の活用でしたが、今夏は足湯に変えました。むろん残り湯は洗濯です。

 湯船の汚れは重曹と、ボディシャンプーで充分です。また天井や壁にカビがつかなくなりました。枇杷は地球が与えてくれた恵みの植物なんだと気づいた。発見の連続です。
  
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還らないもの

2008年09月22日 | Weblog
 命は何処からきて、何処にいくのかしら・・・。

 自分の信じる者が、信じている者に殺されなければならなかった不運。
 体の中に毒を溜め込んで、心を凍てつかせていく哀しさ。

 この世に生を授かりながら、自らの手で葬ることが最良と思えた人間の過ち。
 でも、誰もその人を責められない。

 自分の命に代えても、救いたかった命でも助けられない事があるように。
 それら全ては、神のみぞ知ること。神様のほんの気まぐれが、人間にもたらす事件。

 生きていなくていい人間など居ないと言うが、ではそれを決めたのは誰?人間が人間にしている裏切り。
 いやいや、人間がしたことへの宇宙(神)からの報復になるのかな。

 金曜日に体験したことはどうもこの事件と関わりがあったみたい・・・。
 あの児がきていたんだ。寒くてさむくて氷ついていったものね。

 清らかな心のままに生を終えた児。迷いも疑いも欠片もなかった。
 今日は、孫の運動会に参加していたの?よかったね。

 出窓の側に置いている枇杷の木。淡路田中ですが、茂木とは比較にならないほど葉が大きい。
 すごいよ!5倍はあるもの。

 毎月、22日はSさんの月命日。
 彼女が視えたのは、余命6ヶ月と宣告されてから。末期の膵臓癌であった。

 それがわかったのは、亡くなってから4ヶ月後。
 瑞光に導かれるように連れられて往った。

 自分が何もできない絶望を知った日でもある。
 
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挿し木で増やす

2008年09月21日 | Weblog
 バラの挿し木は、5月や6月より9月がいい。
 昨年してみた結果。

 今年の初夏からまたしては蕾をつけて咲く。
 色は圧倒的に白が多い。ついで赤。元がそれしかないのだからしょうがない。

 季節がこれから暑くなるより、涼しくなって気温や湿度が幾分ぼけているのがいいのかなぁ?
 たいして手をかけた訳でもない。バラには、バッタが若芽をくっちゃべる。

 かと思えば、ナナフシがもくもくと食べている。きれいに咲かすのに農薬をかければいいのだが、自分が嫌さにしていない。

 虫も無農薬ってよく知っているわ。と、変に感心した。

 枇杷の葉も、新芽を出したとたんに食べられる。
 人間は1枚の葉でも、虫にとっては同居生活で、しかも死活問題だからそのままにしておく。

 枇杷の木も枯れてしまうわけではないから、いいかなっと思う。
 何がいるかと調べれば、蟻、蜘蛛、葉ダニ、瓜バエがいて巣作りをしている。

 へえ~。ということは、枇杷の葉が軟らかいうちに卵を産み付けておいて、寒くなり葉が硬くなったら、じっとしつつ春先に孵化するのだろうか?

 でも、そこになんで蟻まで?土の中で冬を越すのではないの・・・?
 枇杷の葉は葉巻のように巻きつけられていく。
 ふ~ん。自然を見るって面白い。

 テレビの前に座っておれば、時間だけが過ぎていくのが、我が家の小さな庭には限りないドラマと、果てのない宇宙が視えるのだ。

 そしてまた、それらのことは本に載っていないことでもある。
 歩く度に渦巻き繰り広げられる多々な銀河の集まりに驚愕する。
 ほら!手の平の中にも視えるよ!宇宙が♪
 
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