チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ピーター・グライムズ日本初演(1956年)

2023-08-15 23:19:54 | 日本初演

バーンスタインのファイナル・コンサート(1990年8月19日。同年10月14日逝去)のライブCDに収録されている「4つの海の間奏曲」を初めて聴いたときは衝撃でした。

CDでこれほどまでの恐怖を味わったことがなかったからです。

まったく誰からも信用されないような底なしの孤独に背筋がゾッとしました。大人数のオーケストラでこんな疎外感が表現できるのか。(指揮者・作曲者の性的嗜好と関係あるのかも)

音楽はひたすら美しい。しかしそれ以上に寒い。

4曲目のホルンにマーラー5番第2楽章が引用されているのも意味深。

それからしばらくは「ピーター・グライムズ」にズッポシハマっている自分がいました。

 

日本初演を調べると1956年7月25日(水)に産経ホールで二期会によってなされていました。

森正指揮ABC交響楽団。作曲者がその年の2月に来日したこととの関連はわかりませんでした。

 

ピーター・グライムズ役は柴田睦陸(1913-1988)。

↑ 左がグライムズ

 

↑ 立派な舞台ですね。2枚の画像は属啓成著『新編音楽歴史図鑑』(1957年音楽之友社)より。

 

(数年前の記事を訂正しました。コメントを頂いている方々、返信が遅れていてすみません)


ベニー・グッドマン初来日(1957年)

2023-07-30 00:22:37 | 来日した演奏家

【2015年3月31日の記事に画像を追加しました】

クラリネットのベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909-1986)が1957年に初来日し、1月12日から15日まで東京・産経ホールで特別公演を行いました。

↑ 『婦人公論』1957年3月号よりグッドマン in 東京

 

↑ 国際情報社発行『国際写真情報』1957年3月号より。

ベニー・グッドマンといえばもちろんスウィング・ジャズですが、コープランドのクラリネット協奏曲(特に第1楽章のマラ9的諦観の境地に気が遠くなる)やプーランクのクラリネット・ソナタ(哀愁大好き)がグッドマンのために書かれていたり、モーツァルトなどの録音がかなりあったりで、クラシック側からしてもすごい人ですよね!

↑ NMLで聴けます。

この初来日のときは15名の編成で、1930年代と同じフル・メンバーだったようです。「レッツ・ダンス」から二木ゴルフ「シング・シング・シング」まで3時間に及ぶ演奏!

↑ ギターはスティーヴ・ジョーダン(Steve Jordan, 1919 - 1993)、ピアノはハンク・ジョーンズ(Henry "Hank" Jones, 1918 - 2010)

 

 ↑ 婦人公論同月号から。以下は再び『国際写真情報』より

 

Elmer "Mousey" Alexander (1922 – 1988)

 

Mel Davis (1931 - 2004)

 

Budd Johnson (1910 – 1984)

 

Israel Crosby (1919 – 1962)

 

紅一点、ドティ・リード(Dottie Reid)

 

。。。ネット情報によるとグッドマンは2回目の来日時にはクラシックのコンサートにも出演しているようなので引き続き調べます。

 

(追記)

↑ 『藝術新潮』昭和32年3月号より。初来日時。その時の録音がYouTube、e-onkyo musicなどで聴けます。バッドマン様ありがとうございました。

Vn:ブローダス・アール、渡邉曉雄 Va:河野俊達 Vc:黒沼俊夫

「私(ブローダス・アール、Broadus Erle, 1918-1977)もまた彼はすぐれた古典奏者であると思う。先日私とグッドマン、それから渡邉暁雄氏らと放送したモーツァルトのクラリネット五重奏曲をお聞きになった方は、そのことをよくおわかりになったと思う。」


エリック・サティ「ヴェクサシオン」日本初演(1968年)

2023-03-26 09:40:00 | 日本初演

(2015年4月23日の記事に情報を追加しました)

エリック・サティのピアノ曲「ヴェクサシオン」は下の楽譜を840回繰り返し演奏するというもの。

↑ まず、一番下の段のバス・テーマを弾き、次にこのテーマ上に2声部重ねて計3声にしたものを弾く。次に、もう一度テーマだけを弾く。そしてさらに、先の3声の形の最上声を1オクターブ下げたものを弾く。以上をワンセットとして840セット繰り返す。

それを1967年12月31日午前11時15分から1968年1月1日午前2時38分まで、実に15時間23分かけて日本で初演した人たちがいました。(アメリカ文化センター)



それは下記の11人の方々です。

黛敏郎(1929-1997)
笠間春子
ロジャー・レイノルズ(Roger Reynolds, 1934年生まれ)
カレン・レイノルズ(Karen Reynolds)
湯浅譲二(1929年生まれ)
松平頼暁(1931年生まれ)
水野修孝(1934年生まれ)
一柳慧(1933-2022)
和田則彦(1932年生まれ)
高橋冽子(入野義朗夫人)
入野義朗(1921-1980)

(追記:Wikipediaによると16人。石井眞木氏もいらしたようです。ちなみに世界初演は1963年で、J.ケージら数人が交替で弾き続けたということです。)



↑ 840回の演奏をやりとげた後の拍手か?アホなことをマジメにやってしまう人たちってかっこええ!(『音楽の友』1968年3月号より)



もしかしたら何回も繰り返し聴いてこそ初めて良さがわかるのかも?という淡い期待をもって、ステファン・ギンズバーグ(Stephane Ginsburgh)というピアニストの演奏をNMLで通して聴いてみました。

結果、嫌がらせ以外の何物でもありませんでした~

「42の嫌がらせ」 840回の20分の1の42回でも1時間09分

(追記)遂に出た、全曲録音

YouTubeには既に他の奏者による完全演奏の動画があったかと思いますが、これはちゃんとBrilliant Classicsからリリースされています。

オランダのイェルーン・ファン・フェーン(Jeroen van Veen, 1969年生まれ)が2015年11月10~11日に録音。ちなみにピアノはヤマハC7。

ライナーノーツによると、レコーディングに際してピアニストは24時間近くずっと立てないし、眠れないし、トイレにも行けないので事前にバナナ・ナッツ・スープ・塩味の食物による特別なダイエット食を摂って臨んだそうです。(それでも52分間は録音を中断せねばならかった)

それと、ヴェクサシオンの形式は上述のようにA-B-A-Cとなっており、演奏中どっちのAなのか迷わないように、また、今が何度目の繰り返しなのか判らなくなることを防ぐためiPadに楽譜のコピーを840枚入れたということです。

かなり根性入っていますね。心して聴かねば!(聴かないけど)

(ヒマな表)

最も一回当たりの演奏時間が長いのがトラック7で111.0秒、逆に最も短いのがトラック15で95.5秒。トラック15あたりの終盤差し掛かりでは早く終わらせたい感が強まったのかも。

NMLで24時間ノンストップで聴けます。各トラック80分前後で切ってあるってことは18枚組CDで発売されているんでしょうか?


来日した有名なクラシックの作曲家

2022-12-07 17:29:53 | 来日した作曲家

日本に来たことがある作曲家って親しみが湧きますよね。ネットにはあんまりまとまった情報がないようなので初来日順に並べてみました。(広義のクラシック。修正、追加していきます)



セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953) 1918年 予定外にたまたま来日したが帝国劇場でリサイタル

エンゲルベルト・フンパーディンク(1854-1921) 歌手のほうじゃない、『ヘンゼルとグレーテル』のフンパーディンクです。調査中。

フリッツ・クライスラー(1875-1962) 1923年4月初旬 帝国劇場などでリサイタル

イジドール・アクロン(1892-1948) 1923年と1931年 ハイフェッツのピアノ伴奏者として来日。

ヘンリー・ハドリー(1871-1937) 1930年 新交響楽団を指揮

アレクサンドル・タンスマン(1897–1986) 1933年

アレクサンドル・チェレプニン(1899-1977) 1934年 日本の作曲界と縁が深い

フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942) 1937年。新響を指揮

マンフレート・グルリット(1890-1973) 1939年。後半生は日本で活躍され日本で亡くなったそうです。

ニコラス・ナボコフ(1903-1978)1956年。

パウル・ヒンデミット(1895-1963) 1956年ウィーン・フィル(初来日)と

ベンジャミン・ブリテン(1913-1976) 1956年シンフォニア・ダ・レクイエムをN響で日本初演。

ヘンリー・カウエル (1897-1965) 1957年。東京に数ヶ月滞在する間にアンタル・ドラティの委嘱で"Music 1957"を作曲した。

マトヴェイ・ブランテル (1903-1990)  1958年11月6日 カチューシャ「リンゴーの花ほころーびー」

ジョルジュ・オーリック(1899-1983)  1959年。親日家でその後も何度も来日。

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971) 1959年N響を振った。

ゴッフレード・ペトラッシ (1904-2003) 1959年

アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974) 1959年。N響を振って自作を披露。1970年再来日。パチンコにハマった。

ナルシソ・イエペス(1927-1997) 1960年。その後も度々訪日。

アーロン・コープランド(1900-1990) 1960年初来日のボストン響を指揮。1961年4月「東京世界音楽祭」のため再来日。1962年2月3日日米文化教育会議の代表者として再々来日。(確認中)

アラン・ホヴァネス(1911-2000)1960年?

レナード・バーンスタイン(1918-1990) 1961年初来日

ヤニス・クセナキス(1922-2001) 1961年4月東京文化会館落成に伴う「東京世界音楽祭」のため来日。

ロディオン・シチェドリン(1932-) 1962年1月24日来日。労音での講演、芸大・武蔵野音大などを訪問

ジョン・ケージ(1912-1992) 1962年来日公演

オリヴィエ・メシアン(1908-1992) 1962年6月20日夫婦で来日。最初は高輪プリンスに宿泊。2度目の来日は1978年。

カール・オルフ(1895-1982) 1962年9月NHKの招きで来日、音楽教育について講演。9月27日東京文化会館にて小澤征爾指揮の東混で「カトゥーリ・カルミナ」日本初演。

ゴットフリート・フォン・アイネム(1918-1996) 1962年初来日。1992年再来日し「薔薇の影」日本初演。

ドミトリー・カバレフスキー(1904-1987)1963年国際音楽教育会議で来日、N響を指揮。

アラム・ハチャトゥリアン(1903-1978) 1963年 読売日響、京響を指揮。コーガン、オボーリンと協奏曲も。

アーサー・ブリス(1891-1975) 1964年にロンドン交響楽団とともに来日し自作『チェックメイト組曲』を指揮。

ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999) 1964年初来日。1974年再来日。

カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007) 1966年『テレムジーク』初演

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-2012) 1966年ベルリン・ドイツ・オペラと『若い恋人たち』初演

ピエール・ブーレーズ(1925-2016) 1967年大阪国際フェスティバルでN響でトリスタンを指揮

ヘンリー・マンシーニ(1924-1994) 1967年

ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)1969年初来日、親日家。

ペール・ヘンリク・ノルドグレン(1944-2008) 1970年から3年間芸大で学ぶ。1987年にも来日。

ハインツ・ホリガー(1939- ) 1970年2月、夫人のウルスラ(hrp)と初来日

アンドレ・プレヴィン(1929-2019) 1971年初来日。ロンドン交響楽団と

モーリス・ジャール(1924-2009) 1972年2月に単身来日して日比谷公会堂で分裂直前の日フィルを指揮(←Edipo Reさまのコメントより。ありがとうございました)

ジャン・カルロ・メノッティ(1911-2007) 1974年

ニーノ・ロータ(1911-1979) 1975年初来日。

クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-2020) 1976年初来日。大阪国際フェスティバル。1979年の同フェスでは自作(Vn協など)とショスタコーヴィチの交響曲(5,6番)を指揮(N響)

アルフレッド・リード(1921-2005) 1981年初来日

アンリ・デュティユー(1916-2013) 1981年?本人の89年のインタビュー記事で「日本には日仏協会の招きで8年前に一度だけ来ている」とある。

バーナード・ランズ(1934-) 1982年「Music Today」のため来日。

アストル・ピアソラ(1921-1992) 1982初来日

カレル・フサ(1921-2016) 1987年が初来日か? 愛工大名電高校の吹奏楽団で「プラハ1968年のための音楽」を指揮。

ルイジ・ノーノ(1924-1990) 1987年東大で特別講義。

ソフィア・グバイドゥーリナ(1931-) 1989年初来日。1997年11月時点で8回目の来日。

アルヴォ・ペルト(1935- ) 1990年春初来日。1991年再来日。その後も来日

スティーヴ・ライヒ(1936- ) 1991年10月、自身のアンサンブルを伴って初来日。2度目は1996年、「18人の音楽家のための音楽」を演奏。

ジェルジュ・リゲティ(1923-2006)1991年第3回高松宮殿下記念世界文化賞受賞のため

ペア・ノアゴー(1932- ) 1991年のサントリーホール国際作曲委嘱シリーズ第14回が初来日か

アルフレッド・シュニトケ(1934-1998) 1992年第4回高松宮殿下記念世界文化賞受賞のため夫人を伴って来日

エイノユハニ・ラウタヴァーラ(1928-2016) 1992年

フィリップ・グラス(1937- ) 1992年「浜辺のアインシュタイン」公演(品川・アートスフィア10月18~25日)に伴い来日

ルー・ハリソン(1917-2003) 1993年。東京・神田神保町「文房堂」ギャラリーでトーク&演奏会(7月20日、21日)

マグヌス・リンドベルイ(1958- ) 1993年。井上道義/都響により作品初演。8月28日サントリーホール

カイヤ・サーリアホ(1952-2023) おそらく国立音大の招待による1993年秋が初来日←『音楽芸術』1994年3月号「日本に来て日本を見たい思った」

ヴィトルト・ルトスワフスキ(1913-1994) 1993年第九回京都賞受賞のため来日。

ジョン・ウィリアムズ (1932- ) 1993年来日公演。

ジョージ・ベンジャミン(1960- )メシアン門下。1995年東京における「国際ヴェーベルン・シンポジウム1995」のため初来日。

オリヴァー・ナッセン(1952-2018)1995年?都響を指揮

ヘンリク・グレツキ(1933-2010) 1996年、シレジア・フィルとともに

ルイ・アンドリーセン(1939-2021)2000年

ハビエル・ブストー(1949- ) 2000年?

ヘルムート・ラッヘンマン(1935- )初来日はいつ?2000,2003,2009年には来日している。

エンニオ・モリコーネ(1928-2020) 2004年

ルドヴィコ・エイナウディ(1955- ) 2008年初来日。

スティーヴ・ドブロゴス(1956- ) 2008年初来日。親日家でその後何度も来日。←伊藤様、情報をありがとうございました

カレヴィ・アホ(1949- ) 2009年 読売日響による交響曲第7番の日本初演に立会う。

ジョン・コリリアーノ(1938- ) 2012年

ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937- )  2017年11月

ボブ・チルコット (1955- ) 親日家で何度も来日しているが初来日はいつ?2020年の来日は中止

ジョン・アダムズ(1947- ) 2024年1月

 

【2014年1月23日の記事を修正しました】


練習中の声楽家・田中路子(1954年)+オーストリア映画出演(1935年)

2022-08-20 17:24:09 | 日本の音楽家

【2016年4月22日の記事に田中路子さんの映画出演と引退公演の画像を追加しました】

アサヒカメラ1954年9月号から、神田生まれでヨーロッパで長く過ごした高名な声楽家・田中路子さん(1909-1988)の写真です。

この画像は、アサヒカメラの月例入選写真として紹介されており、三等賞になっています。

一等にも二等にも選ばれなかった理由は「力弱いのは、ピアニストの顔を出してしまったこと」であり、「田中路子の左腕のヒジのところから右を切り捨て、楽譜の左下の端から下部を切り落したら、グッと緊張した作品」になったという評が添えられています。

1枚の写真の構図としてはそうなのかもしれないけど、この外人ピアニストが誰なのか、もしかしたらダンナなのか?等の謎を残してくれた撮影者の名古屋の「内海薫」さんには感謝。

田中路子さんの練習現場にズカズカ踏み込むことのできたアマチュア写真家の内海さんってそもそも如何なるかたなんでしょうか?(調べます)

 

(追記)

アサヒグラフ1935年12月11月号より、田中路子さんが出演したオーストリア映画『恋は終わりぬ』(原題 'Letzte Liebe')の写真です。

ウィーンの音楽生活と悲しい恋愛を描いた映画。

田中さんと一緒に主演した役者(ピアノを弾く男性)は、なんと、シューベルト映画の名作『未完成交響楽』のシューベルト役、ハンス・ヤーライ(Hans Jaray, 1906-1990)。

 

。。。この映画、見てみたかったけど自分が検索した限りYouTube等にはありませんでした。残念。

 

【1962(昭和37)年引退公演】

↑ 「一応の」引退記念公演(1962年12月10日、日比谷公会堂)

たまたま同時に来日したベルリン室内管弦楽団の演奏会にも独奏者として出演されたそうです。

(『音楽の友』1963年2月号より)

ちなみにWikipediaには「1987年のサントリーホールにおける杮落とし公演の特別公演への出演が最後の出演となった。 」とあります。