チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

服部正指揮・三越管弦楽団(1955年)

2022-08-14 01:23:15 | メモ

東京・日本橋の三越本店ロビーにおける三越管弦楽団の「初春大音楽会」の画像です。

(小原敬司氏撮影・音楽評論社『音楽』昭和40年11月号より)

1955年1月。指揮は作曲家・服部正(1908-2008)。総勢約50名の楽団の配置はかなり無理してますね~!

このオーケストラは「三越少年音楽隊」の流れかと思ったのですが、三枝まり氏『日本の交響楽運動の黎明期―三越少年音楽隊を中心として―』によると、「三越少年音楽隊は明治42年に成立し、大正14年に解散するまで、民間の交響楽団として活動し、その後の音楽界の重鎮となる人材を次々と育てた。」とあり、とっくの昔に解散していたようなので直接の関係はないようです。

 

【現場検証】2015年9月

↑ ヘタクソな写真ですみません。結構狭かったです

 

【参考】昭和10年10月1日増築全館落成ポスター

(2015年6月20日の記事を直しました)


『サウンドボーイ』創刊号におけるクラシックの排除されっぷり(1980年)

2022-06-16 19:20:18 | どうでもいいコーナー

若者向けオーディオ雑誌「サウンドボーイ」創刊号です。1980年10月、ステレオサウンド社発行。



これを読み通してみたら、オーディオ雑誌なのにクラシック音楽の記事や広告が意識的に排除されていてビビりました。42年も前から若者のクラシック離れは進行していたのか?

ほんのお慰み程度に載っている記事等は以下の4点のみ。



1.秋だから、ちょっと気取ってクラシックを聴いてみる。



↑ 「サウンド・ボーイ派のガイ&ギャルの諸君に、クラシックなんていうと、あんなのオジンの聴くものでしょ、小難しくてリクツっぽい音楽じゃんか、といわれそうだけど、頭っから敬遠することもないよ。」

無理して当時の若者に迎合してる感バレバレですね。それにしてもナウいヤングにモルダウやら結婚行進曲を勧めてもかえって敬遠されるような?せめてバルトークの弦楽四重奏曲4番やリゲティのエチュードとかの爽やかブン殴り系にしてほしかったじゃんか。

 



2.スピーカーの内側に貼る遮音材、ユニチカのラスクの広告



エキセントリックっぽすぎ。ヴァイオリン協奏曲や皇帝の第2楽章を書いたひとなのに~

 

 

3.スピーカーの試聴に用いられたレコード

1. ケンプの皇帝

2. YMO

3. ボブ・ディラン

4. ZAP

5. ヘブラーとシェリングのモーツァルトのソナタ

ここはクラシック率40%と高め。オーディオ評論家先生には「クラシックは排除してくださいね」とは言えなかった!?ところでケンプのデザインは古すぎて乾いちゃってこれ以上古くなれないから逆に新しく感じますね。

 

 

 
4.秋とは関係なくクラシック



↑ 「レコードついでに、今度はクラシックを紹介しちゃおう。サウンドボーイとしては、どうせ聴くなら、ガリガリのクラシックファンでも知らないという隠れた名曲に挑戦してはどうかな。」

ハンス・カンによるウェーバーのピアノ曲全集6枚組!この雑誌のクラシック担当者の怒りと誇りを感じさせるチョイスでした。

 

(2016年9月19日の記事を一部訂正しました)


1954~55年の日本の第一線バレリーナたち

2022-04-17 10:06:22 | バレエ

(2016年5月5日の記事に画像を追加しました。)

アサヒグラフ別冊『映画と演芸』1954年3月号および『主婦の友』1955年3月号において第一線バレリーナとして紹介された方々です。(アイウエオ順)

 

アベチエ (石井郁子の娘)

 


梅村レイ子

 


貝谷八百子

 


佐多達枝(小説家・佐多稲子の娘さん)

 ↑ 右より佐多達枝、松岡みどり、須郷文子、西田奈都子、西田三重子。服部・島田バレエ団を脱退したメンバーを中心として結成された青年バレエ・グループ「群舞(ぐんぶ)」。自分は佐多先生から直接「このときは寒かった」との証言を得ました。ちょっと自慢。

 

橘秋子(牧阿佐美さんのお母様)

 

 

太刀川瑠璃子(小牧正英の奥様)

 

 

谷桃子(小牧正英と一時結婚していた)

(羽田敏雄氏撮影。1952年アサヒカメラ年鑑より)

 

服部智恵子

 

 

日高惇 (小牧バレエを脱退、東京バレエ協会に参加)

 

 

広瀬佐紀子 (俳優・広瀬恒美の娘。小牧バレエを脱退、東京バレエ協会に参加)

 

 

牧阿佐美

 

 

松尾明美

 

 

松岡みどり (松岡映丘画伯の娘さん)

 

 

松山樹子

 

 

横山はるひ

 

。。。さすがにみなさんおきれいですなあ!画像が鮮明ならもっとよかったんですが。皆さん、現在の日本のバレエ界のルーツなんですね。


秋葉原の石丸電気は「日の丸電気」だった!

2022-01-04 23:00:36 | メモ

【2014年4月21日の記事に画像を追加しました】

音楽CDは最近は一年に2枚か3枚買えば多いほうですが、ちょっと前までは秋葉原の石丸電気で輸入盤を物色したりしていました。残念ながらもう石丸電気ってないんですよね?さみしい~。いろいろ質問するわりには途中でおなかいっぱいになっちゃって結局CD買ってかない生意気なクソガキにイヤな顔ひとつせずやさしく教えてくれたクラシック売り場の店員のかたがた、本当にありがとうございました!お元気ですか~?売り場の漢方薬っぽい匂いが好きでした。

 

ところで物置の古い雑誌の落丁ページ(おそらく1960年代後半のもの)に「日の丸電気」の字がありました。地図から石丸電気のあった場所に間違いないですよね?

 

なぜ名前を変えたんでしょうか。「丸」だけ残して。日の丸電気のほうがインパクトあんのに!? もしかして石丸が買収した?他の会社とカブった?または「日の丸」けしからん系のアレ?調べます(どうでもいいか~)

↓ レコード芸術1967年9月号より。「石丸電気姉妹店」。

 

↓ 1969年3月号より。レコードが80,000枚から100,000枚に増えました。

 

↓ 「石丸電気 同一経営」とあります。『スイングジャーナル』1970年4月臨時増刊より

 

次に、石丸電気各店の案内です。昭和60(1985)年版。

↑ 日の丸電気第3売場はそのまま3号館になっていますね。

 

↑ 本店にもレコード、CD売り場が。

 

↑ 3号店の充実ぶり。

 

↑ 6号店にもCD、ビデオ売り場。

 

ついでにFM放送のエアチェックについてのチラシです。昭和57(1982)年。

ここはひとつ、根性出して8素子アンテナを立てたいところです!

 

。。。日の丸電気、石丸電気に関する資料はここに追加していきます。


ブルックナー交響曲第3番~ブルックナーとワーグナーのサイン入り手紙

2021-11-21 23:50:50 | メモ

ブルックナーが1873年にワーグナーの家に第2番と第3番の楽譜を持っていって、結局ワーグナーは3番の献呈を受けることになったんだけど、ワーグナーにすすめられるままビールを飲んだブルックナーはベロベロに酔っぱらってしまいどっちの交響曲か忘れてしまった。

そこでブルックナーは「トランペットで始まるほうでしょうか?」とワーグナーにあたらめてきいたところ、ワーグナーから「そうです!」と返事があった。。という話は有名ですよね。でも、なんとなく作り話っぽい感じもしていました。

ところが、そのやり取りの手紙の画像がHans-Hubert Schönzelerという人のブルックナー本(1970年)に載っていました。



Symfonie in Dmoll, wo die Trompete das Thema beginnt.

A Bruckner



Ja!  Ja!  Herzlichen Gruss!

Richard Wagner



トランペットで主題が始まるニ短調交響曲でしょうか。

A・ブルックナー



そうです! そうです! 心からよろしく!

リヒャルト・ワーグナー


。。。一枚の便箋にワーグナーとブルックナーのサインが入ったこの手紙、きっと値打ちもんですよね。



それとWikipediaによるとこの紙は「ホテルに備付けられた便箋」ということですが、左上の文字を見ると"Hotel Goldener Anker Bayreuth"のようです。現存するんですね。

もし将来バイロイトに旅行することがあったりしたら、ブルックナーがこの手紙を書いたホテルに宿泊してみたいです。

(2015年7月1日の記事を一部変更しました)