チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

小澤征爾・日フィルの第九プログラムより(ベートーヴェン生誕200年記念)

2020-05-27 23:45:22 | メモ

今年2020年はベートーヴェン生誕250周年ですが、50年前、200周年の時の日フィル第九のプログラムを見てみます。

↑ 表紙

 

↑ このコンサートは生誕200年である1970年の直前、1969年12月23日と24日に東京文化会館で開かれています。

豪華な独唱陣。
片野坂 栄子(1941年生)
春日 成子(1944年生)
砂川 稔(1930年生)
平野 忠彦(1938-2014)

 

↑ 23日のチケット。裏面の印によると10月20日に東京有楽町の交通会館チケットビューローにて購入。

 

↑ 小説家・安岡章太郎(1920-2013)。日フィル夏季合宿にて思い出話を披露。

このプログラムに寄せた文で安岡氏はこのように書かれています。

(前略)とにかく音楽は芸術であり、それが文化的土壌の異質な国に、これだけ急速に、これだけ広範囲にひろまるといふことは、おそらく一種の異変なのではあるまいか。霞が関の三十六階ビルや高層自動車専用道路の出現で、古い東京の景観が根こそぎ引っくり返ったといふ人たちは、戦後の洋楽普及によってどれだけ日本人の音楽的感性が変ってしまったかということも、注意すべきだろう。

(中略)昨年、東響がやった「第九」は独唱も合唱もアマチュアだったといふが、それなりに良かったと思ふ。たしかに私がきいても独唱は素人くさかった。しかし、バリトンが直立不動の姿勢で顔面紅潮し、近衛さんの指揮棒一閃、声をはり上げた瞬間は、さながら新品中尉が老師団長の命令一下、
「全員、突然に前へ・・」
と絶叫して、二百何十人かの全員が総攻撃で敵陣にとびこむ如く、その意気は素人らしくて、かへって良かったのである。

→ Freude! いまの時代でもアマチュアたちは総攻撃していますよ~

↑ 1970年日本フィル春季定期。
6月17日は小澤征爾指揮でマーラー8番。

↑ 当時の日本フィルの団員表。コンサートマスターはルイ・グレーラー(Louis Graeler 1913-1987)、アシスタント・コンサートマスターは瀬戸瑶子さん。

 

以下、小澤征爾さんのレコードの宣伝です。

 

↓ 裏表紙のステレオ広告(トリオIDS6700)

 

↓ 生誕200周年にベートーヴェン特設コーナーを作った「コタニ」という新宿のレコード店(『芸術生活』1970年2月号)

。。。情報を追加していきます。


マーラー「復活」、3番のベートーヴェン引用?

2019-11-24 01:09:26 | メモ

1. マーラーの交響曲第2番の第3楽章にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番の第3楽章のメロディが引用されていませんか?

↑ マーラー復活の第3楽章よりヴィオラの旋律(練習番号32、楽章開始から1分40秒くらい)

 

↑ ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第10番第3楽章トリオ

 

 

 

2. マーラー交響曲第3番第6楽章

↑ 9小節からのチェロの歌(とても表情豊かに、音の長さを十分に保って)

 

 

↑ ベートーヴェン、選帝侯ソナタ第2番ヘ短調WoO 47-2の第2楽章冒頭。これはちょっと無理がありますかね

 

。。。いろいろなところで指摘されていると思いますが一応メモっておきます。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が偽作?

2019-04-10 20:45:37 | メモ

名曲中の名曲、かのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は偽作で弟子(モスクワ初演のピアノ奏者セルゲイ・タネーエフ?)の作品だということを信頼できる筋から聞きました。

だからこそ新しい全集からは除かれてるとも。第1楽章開始のフレーズだけはチャイコフスキーの構想らしいのだけれど、あとはほとんど彼以外の人物が曲として形にしたのでチャイコフスキー作曲とは言えない、と結論づけられたとのことでした。

にわかには信じられないけど、ビックリしたので書きました。好きな曲だからこそ冷静に判断したいところです。

↑ IMSLPより初版の表紙。出版時は2番を書くのか誰もわからないため、佐村河内さんのように「第1番」とは宣言していません(笑)


サン=サーンス「サルタレッロ」歌詞の日本語訳

2018-09-13 16:03:54 | メモ

以前、サン=サーンスの男声合唱曲「サルタレッロ」(Saltarelle, Op. 74)をフランス語で歌ったんですが歌詞の意味が解っていませんでした。自分のためにいくつかの翻訳サイトを駆使して日本語にしてみました。間違いがあると思いますので直していきます。
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Saltarelle(サルタレッロ、昔のイタリアのダンス)


さあ、ローマの子供たちよ
みんな陽気な歌を歌っている。
平野と山を離れて
タンバリンに合わせて踊ろう。

Venez, enfants de la Romagne,
Tous chantant de gais refrains,
Quittez la plaine et la montagne
Pour danser aux tambourins. 
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神聖なローマはあなたに与える、
マリア様の喜びを。
彼女は王座からそれを許してくださる。
彼女は必要なとき自分の目を隠す。

Rome, la sainte vous les donne,
Ces plaisirs que la madonne,
De son chêne vous pardonne,
Se voilant quand il le faut.
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仮面カーニバル、
スパンコールで飾ったスカート、
鐘、幻想的な叫びは
警察の手先どもをダメにする。

Le carnaval avec son masque,
Ses paillettes sur la basque,
Ses grelots, son cri fantasque,
Met les sbires en défaut.
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足を踏み鳴らそう!
もう一度手を叩こう!
夜が来て、それから夜明けが来るが
ダンスし続けることとは何も関係ない!

Frappons le sol d'un pied sonore!
Dans nos mains frappons encore!
La nuit vient et puis l'aurore,
Rien ñ'y fait dansons toujours!
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複数のキスが逃げて飛び去る。
文句を言うの? クレイジーダンスは
母親たちに言葉を失わせる。
愛のためにはとても良い。

Plus d'un baiser s'échappe et vole;
Se plaint-on? la danse folle,
Coupe aux mères la parole,
C'est tout gain pour les amours.
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私たちの後についてくる善良な司祭、
しかし過ごし方を知っていて
すべてを放っておいてくれる。
聖書を持ちながら
見てはならないものからは何も見ない。

Le bon curé, qui pour nous suivre,
Laisse tout, mais qui sait vivre,
Ne voit rien avec son livre,
De ce qu'il ne doit pas voir.
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しかし何だって!
明日はカマルドリ会の僧侶たちが
修道院の個室から出てくる。
そのあと、四旬節、断食と教皇勅書。
街には雨が降るだろう。

Mais quoi! Demain les Camadules
Sortiront de leurs cellules;
Puis, carème, jeûne et bulles,
Sur la ville vont pleuvoir.

 

王座【chêne=オークの木】に座す聖母マリア

 

ローマ教皇の大勅書【bulle=教皇の印章→勅書の意味に】(画像はWikipediaより)


シューマンの霊の願いにより発見されたヴァイオリン協奏曲

2017-11-15 16:46:31 | メモ

大作曲家の降霊術はローズマリー・ブラウンだけではありませんでした。



以下、『芸術生活』1969年6月号より(一部変更してあります)。

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ことの起こりは英国の作家、ジョゼフ・マクロード(Joseph MacLeod, 1903-1984)著の伝記『ダラーニ姉妹(The Sisters d'Aranyi)』が1969年に出版され、この中でシューマンのヴァイオリン協奏曲が死後世に出た不思議な物語を明らかにしたのが始まり。

シューマンは1856年に没したが、その3年前の1853年秋、ハンガリーのダラーニ姉妹【姉妹ともヴァイオリニスト】の大伯父に当たるヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を名演奏したのに感激して自分もヴァイオリン協奏曲を作曲した。しかし生前演奏される機会がなく、死後も関係者がその終楽章に難色を示したため、結局、彼の作品集には収められずに永久に闇に葬られる羽目になった。

1907年ヨアヒムが死んだとき、姉のアディラ(Adila d'Aranyi, 1889-1962)も妹のイェリー(Jelly d'Aranyi, 1893-1966)もこうした事情は少しも知らなかった。

ところが1933年、イェリーがコップで霊媒のお告げをいただくという、当時流行したゲームをしているうち、突然思いもよらぬシューマンからの伝言が届いたもの。自分のヴァイオリン協奏曲があるから、それを死蔵せず公開してほしい、とシューマンの霊はイェリーのコップを動かして、つぎつぎテーブルの上のアルファベット文字を示してハンガリー語まじりで自分の思いを訴えた。

シューマンのヴァイオリン協奏曲の楽譜は1937年にヨアヒムの蔵書から見つかり、同年初演された。

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。。。コックリさんみたいなもんだったんでしょうか。

Wikipediaの記述「アディラ・ファキーリは妹イェリー・ダラーニと同じく、心霊主義や交霊術に興味を持っていた。1933年3月にロンドンで交霊術に参加した際、ローベルト・シューマンの亡霊が現れ、『シューマン本人やヨアヒムの肉声』によって《ヴァイオリン協奏曲》が二人の姉妹に託されたという」とかなり違います。

この件、もう少し詳しく調べてみたくなりました。