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人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

任務遂行に懸命のN響コンサートマスター、田中千香士氏(1975年頃)

2015-03-28 23:08:59 | 日本の音楽家

日本ディスクライブラリー『不滅の交響曲大全集』(1975年頃のレコード12枚組)の解説書に、NHK交響楽団の当時のコンサートマスター、田中千香士さん(たなか ちかし、1939-2009)の「任務遂行に懸命の私」というエッセイが載っています。



桐朋学園出身の田中さんは、N響のコンサートマスターに就任する前、24歳のときに斎藤秀雄、森正により京都市交響楽団のやはりコンサートマスターに推挙され、東京の自宅から車で京都に乗り込んだそうです。

京響での初めての練習のときには「真剣な面持ちで、ズラリと並び居る楽員のまん前に突如として座ったのです。それまでも、ソリストとして、京響を初め全国の各オーケストラと協演したことは度々あったのですが、その中に座って弾いた経験がほとんどないに等しかったので、楽員達にともすればふるえがちの声で、一通りの挨拶をした後に、自分の椅子が一番前に厳然と控えているのを見た時には、再び東京への道を、来た時と同じ装備をした車で、一目散に戻る自分の姿を想像しました。」

。。。大丈夫か?ってドキドキします。



「プロのオーケストラの楽員として演奏したことは一度も無かったのです。この様な状態ですから、初めの一年は毎日、全ての曲が新しく、年末にある我国特有のベートーヴェンの第九シンフォニー大会?に、耳では知っていても、弾くのは初めて、というコンサートマスターでありました。」

。。。それでもコンサートマスターが務まってしまうのだから、田中千香士氏という人はタダモノではないですね!



N響のコンマスになってからについての記述はコンサートマスターの仕事を知る上で興味深いです。

「日々のたつのが異常に早く、これはN響のレパートリーが広いせいもあり、大体三年位しないと、全部の曲を頭に入れることができず、指揮者も世界の一流所が続々と押しかけて来ますので、五年や六年はスリル満点で過ぎ去ったのでしょう。気が付いてみたら、毎年N響が楽団員に記念として配る銀のスプーンがザクザク家にあるのです。
ヴァイオリンのソロ用の曲をたくさんこなすにも大変な努力がいるのですが、オーケストラのあらゆる曲を良い指揮者の良い指示に正確に従いつつ、ものにするのも、これまた大変な努力が必要です。優れたピアニストのように、オーケストラを自分の楽器として完全に扱える指揮者と演奏するときには、難しいコンチェルトのソロパートを自分の責任のみにおいて、汗をかきかき練習するのと比べ、何と気楽に曲の真髄に迫れることでしょう。棒が自由自在に、楽員の持っている機能を引き出してくれるので、何の用意もいらないのです。
ただどのような内容を指揮者の要求に対して差し出せるかが問題で、くせのない、素直な音楽にマッチしたものでなくてはなりません。しかも個人的なものでなく、各セクションの合意の上のものです。大勢の楽員が、一体となって、良しにつけ悪しにつけ、演奏会の時間の間はチームワークが取れていなければならないのですから、この苦労も並のものではありません。合奏能力を養う点でもオーケストラは良い勉強になるので、将来ソリストとして立っていくつもりでも、一時期は必ず経験すべき試練だと思い、懸命に任務を遂行しています。」

。。。さすがN響のコンサートマスターだけあって、真面目で誠実なお人柄が偲ばれます。
(N響の銀のスプーンほしい!)

↑『フィルハーモニー』誌1972年4月号より、N響第574回定期公演からバッハ ブランデンブルク協奏曲第4番

指揮:森正、ヴァイオリン:田中千香士、フルート:小出信也、宮本明恭