チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

指揮者・渡邉暁雄の妻・信子さんと3人の息子さん

2017-11-12 00:25:22 | 日本の音楽家

【2014年7月31日の記事にご家族の写真を追加しました】

『主婦の友』1959年1月号より指揮者・渡邉暁雄(1919-1990)のご家族です。

↑ 左から二男規久雄さん、長男康雄さん、渡邊暁雄氏(当時39歳)、信子夫人(鳩山一郎の五女)、三男民雄さん。

↑ 東京・音羽の鳩山邸にて。音楽之友1956年1月号より。

 

渡邉暁雄指揮日本フィルのシベリウス交響曲全集(CD)を聴きました。1962年の一度目の録音です。聴く前は「きっと技術もイマイチで幼稚な演奏なんだろーなー」とか漠然と思ってたんですが、その予想は完全に裏切られました。日本でも半世紀前からこんなレベルが高く集中力のある演奏してたんですね。CD4枚イッキに聴いてしまいました。特に4番が緊張感が持続する素晴らしい演奏だと思いますた。渡邉暁雄、すごいです!



週刊朝日昭和29年(1954年)2月14日号に、渡邉氏が35歳の頃の、奥さま信子さんへの感謝の気持ちが「内助外助」と題して掲載されていました。シベリウス録音の8年前ですね。

「米国に留学中、当時二つの長男を連れて後から来た家内は毎日のように出掛けて草月流生花を米人、邦人一世二世などに教えていた。僕が学校に行ってる間は家内が子供の面倒をみて、帰宅すると教えに出掛けるので僕が子供の世話をする。つまり、まったく僕の勉強のために毎日を家の内外で働いて居て貰ったわけである。今日でも二人の悪戯坊主(※1)の世話の他に、僕の演奏会があるというと頼みにあちらこちら飛び回ったり一生懸命手紙を書いたりして、情無いけど現状では必要な事である"切符売り事業"に奔走してくれる。いろいろ考えると頭の上るはずはないのにその僕を亭主関白に振舞わせて良い気持にさせて置くところなど、どうも僕よりも人間は一枚上らしい。
 折角梅原先生(※2)の薫陶を受け上野の美校(※3)を開校以来最初の女子卒業生として出たのに、心ならずも、まったく僕本位の生活に入って貰う結果になってしまって、稀にしか絵も画けず、淋しい面も多いだろうと思い、感謝と申訳ない気持を家で直接言うのは癪にさわるから、この際に公式に表明させて戴こう。」

※1 長男・渡邉康雄(指揮者)、次男・渡邉規久雄(ピアニスト)。下の写真はどちらでしょうか?
※2 梅原龍三郎(1888-1986) 洋画家。
※3 東京美術学校(現:東京芸術大学)

この奥さまあっての大指揮者・渡邉暁雄だったんですね!

 

↓ 仲良きことは美しきかな (音楽之友昭和23年11月号)